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私のパソコン歴

2017.08.03. 掲載
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目次
1.はじめに
2.PC使用までの準備期間
3.MS-DOS PC時代
4.Windows PC時代
5.まとめ


1.はじめに

サイトに載せた記事をチェックしていて、パソコン歴についてまとめたものがないことを知り、少々慌てた。私の人生で、これほど有用だった道具はほかにはないからだ。

その道具が登場し始めたごく初期から、想像もできない発展を遂げた現在まで、自分のしたいことをするため、あるいは、自分のしなければならないことをするために、これをフルに活用してきた。

私が使ってきたパソコンと関連機器、関連ソフトについてまとめ、記録するには膨大な時間とエネルギー要る。しかも、それはあまり意味がない。そこで、これについては、ほんの概略だけをまとめることにした。

パソコン歴としては、パソコンを道具として作った作品を時系列で配列することを考えた。更新歴との違いは、年単位でカテゴリ別に配列することで、これは言わば、更新歴とサイトマップの組み合わせ方式と言える。

PC歴を、PCを使うまでの準備期間、MS-DOS PC時代、Windows PC時代の3つの時期に分け、私が重要だと思う作品を記載することにした。

なお、パーソナルコンピュータ( personal computer )は、「パソコン」や「PC」という略称で呼ばれることが多い。

また、MS-DOSは、パーソナルコンピュータ用のディスクオペレーティングシステム( Disk Operating System )の一つで、マイクロソフト( Microsoft )が作り、8086系マイクロプロセッサをCPUとするPC-9801パソコンに使われた。バージョン6が最終版だった。


2.PC使用までの準備期間
1965〜1984年

パンチカード

1965年ごろからデータの整理に関心を持ち、いろいろ試みるようになった。平山健三氏の著書「知識の整理」でパンチカードを知り、3ヶ月ばかり実際に使う機会があったが、非能率で、費用対効用比の悪さを体験し、使いものにならないと判断した。

電卓1号機

1967年には、ソニーから電卓(電子式卓上計算機)1号機 SOBAX ICC-500 が発売され、第一外科の医局に寄贈された(図1)。当時は医学データの計算には、専らヘンミの計算尺(図2)が使われていたので、この電卓は便利この上なく、医局員は順番待ちで使った。

私も学会発表を控えていたので、夜に借りて家に持ち帰り、妻に使い方を教えて、計算を助けてもらっていると、腹痛を訴える。陣痛のようなので、診て頂いている病院の産婦人科へ車で運んだ。そして、午後2時に長男 圭が生まれた。思い出の深い電卓1号機である。


図1.ソニーの電卓1号機 SOBAX ICC-500 1967年発売


図2.ヘンミ(HEMMI)の計算尺 本体と容器

プログラム付電卓

1970年には、シャープからプログラム付電卓 CS361P が発売され、医局に寄贈された(図3)。これはプログラミングが可能な電卓だったので、私はこれを使って、当時学術論文に必須に近かった「標準偏差算出」のプログラムを作り、これを残して翌1971年に医局を辞した。聞くところによると、かなり長い間このプログラムは利用されたようだ。


図3.シャープのプログラム付電卓 CS361P 1970年発売

コンピュータの利用

1971年には、医局を辞め、開業の準備に入ったが、メイスン・バルグレン両氏の「医学における電子計算機の応用」を読み、データ整理に対する考え方は根本的に変わり、現在のスタイルに移行して行った。

1973年には、開業と同時に、コンピュータ利用を目的として患者ID番号を設定した。その方法は警視庁の指紋台帳に準じたもので、姓と名が分れば職員の誰もが簡単に決めることができた。当時、阪大病院や星が丘厚生年金病院でもID番号化は行なわれておらず、先進的だった。

開業して一番バカらしいと思ったのは、レセプト作成だった。こんなのは、人間がするものではない、機械にやらせよう、と思って検討し、開業1年目の1974年から、レセプトコンピュータ(レセコン)シャープ COMEDICAを使い、外来会計処理とレセプト作成を行なった。

当時一般病院でも、レセプトコンピュータを使用しているところは少なく、開業医では近畿地方でも数えるほどしかいなかった。

このレセプトコンピュータは、実のところ大型コンピュータの端末処理機で、カタカナと英数字だけの印刷しかできない代物だった。レセプトの病名にカタカナは認められていないので、病名を手書きしなければならないが、それを除けば、時間、正確さ、人力の省力の面で比較にならぬほど優れていた。

1982年には、オフィス・コンピュータ シャープ HAYAC3800を設置した。この頃から漢字ひらがななどの日本語印字ができるようになった。それに伴い、オフィス・コンピュータを使ったレセコンが登場したので、これに変更した。

このレセプトコンピュータ導入後、毎月の疾病統計がとれるソフトを作ってもらい、毎月の疾病がハードコピー(印刷)と磁気テープ(ストゥリーマ)に残せるようにした。その成果は、野村医院二十年史の中で、疾病統計として記録に残している。

当時のパソコンはまだ玩具のようで実用性に乏しく、このオフコンを使ってコンピュータの勉強をすることにした。このオフコンのFDは8インチの巨大なもので、言語はCOBOLだった。しかし、FDの構造やファイルの概念を理解できた程度で、COBOLは自学できるほど簡単なものではなかった。


図4.シャープのオフィスコンピュータ HAYAC3800 左は本体 右はプリンター 1982年発売


3.MS-DOS PC時代
1985年〜1996年


図5.NEC 9801m2 1984年11月発売
8086-2 8(i8086互換)(5MHz) 5インチFDドライブ 2 MS-DOS 3.0 640×400

私が1985年6月に購入し、最初に使ったパソコンは、1984年11月発売されたNEC 9801m2だった。これはホビー用に使われていた8ビットパソコンから発展した、ビジネスに使える16ビットパソコンで、それまでの8インチではなく、5インチのFDドライブを2台装着した製品だった(図5)。

それから1996年8月に、Windows PC に変更するまでの11年間、何台かのMS-DOS PCを使い、その最後は、NECの 9801BXだった(図6)。


図6.NEC 9801BX 1993年1月発売
i486SX(20MHz) 3.5インチFDドライブ 2 MS-DOS 6.0 640×400

1985年 49歳

大阪府医師会マイコン同好会に入会
NECの 9801m2を購入して、すぐに大阪府医師会マイコン同好会に入会し、パソコンの学習を始めた。当時は、現在パソコンと呼ばれる個人用小型コンピュータをマイクロコンピュータ、略して「マイコン」と呼んでいた。今では、マイコンとは、LSI(large-scale integrated circuit) 高密度集積回路を指す。

この同好会では、BASICというプログラム言語を使ったプログラミングが中心で、お絵かきソフトを使ったCG作成も一部で行われていた。

パソコンを手にして私が行ったこと
それは、青色申告に必要な経理関係の仕事をパソコンに代行させることだった。その中でも、給与計算が一番面倒なので、BASICでプログラミングをして、8月からパソコンで給与計算を始めた。

そのほかにも、自分で幾つかのプログラミングを行ったが、年末になって、これらのほとんどを、表計算ソフトで処理することに切り替えた。その最大の理由は、自分で作ったプログラムであっても、その一部を変更するのに莫大な時間と集中力がいることを経験したからである。

表計算ソフトとして、当時「Multiplan」と「Super Calc」というソフトがあり、私は「Super Calc 3」の方を使って、給与計算を始め、これまで手書き手計算で行ってきた経理業務関係を、ほとんどこのソフトに行わせるようにした。


1986年 50歳

パソコンを購入した翌年の1986年に私は50歳となった。好きなことをする、したいことをするというのは、もの心ついた頃からの私の生き方、行動原理であることを、この頃から自覚するようになっていた。

そのしたいことをするということを強く意識するようになったのは、その実現に役立つパソコンという有力なツールを手にしたためだと思う。パソコンをこき使って、したいことをするぞ、と心は高鳴った。

前年の6月から入会した大阪府医師会のマイコン同好会では、BASICという言語でプログラムを作ることが主流で、レセプト作成ソフトや、データベース、簡易ワープロまで作るような先輩がいた。他の一般会員は、そのプログラムをコピーして持ち帰るというのが、当時のマイコン同好会例会の常態だった。

最初の間は、私もそれに倣い、給与計算とか自分に必要なプログラムを作っていた。しかし、私にとってパソコンは道具であり、パソコンそのものや、プログラミングに、興味があるわけではない。自分に必要なソフトがないから自作するだけで、もしも、自分の目的に適う既成の優れたソフトがあれば、そちらを使う方がよほど効率的である、とは思っていた。

表計算ソフトを活用
そのような既成ソフトの一つとして、表計算ソフトのSuper Calcが販売されていることを知り、このソフトで給与計算のほかにも、自分に必要な多くの事務処理のフォームを作り、パソコンでそれらの処理を行うことに成功した。そこで、2月8日のマイコン同好会の例会に、この成果を持ち込んで、デモンストレーションを行うことにしたのである。

入会して半年余りにしかならない新米が、パソコンを使って、その頃では想像もできないような、多くの事務処理のデモをしたのだから、同好会の会員は唖然とされ、それが愉快で、私は得意満面だった。そのあと、意気揚揚と、まるで凱旋将軍のような気分で、帰宅したのを覚えている。生涯で、これほど嬉しかったことは、後にも先に経験していない。

デモをした見本
1.給与計算明細、2.月別給与台帳、3.個人別源泉徴収兼賃金台帳、4.社保生保請求書、5.月別社保生保請求台帳、6.国保請求書、7.月別国保請求台帳、8.月別自費収入台帳、9.月別未収金台帳、10.月別普通預金出納帳、11.月別現金出納帳、12.月別疾病統計、13.月別頻度別疾病統計、14.月別問屋別薬品購入量、15.健康診断総括表、16.健康診断個人別報告、17.セット検査点数早見表、18.脳卒中鑑別診断、19.患者データ時系列表示、20.患者データ時系列グラフ表示、21.月別アレルギー性鼻炎患者数のグラフ表示

この資料を見ながら、パソコンを購入して半年ばかりで、これだけのフォームを作ったことに驚き、また、それだけ熱中していたことを、懐かしく思い出している。

イメージ・スキャナGT3000を購入
この年の7月に、エプソンからイメージ・スキャナGT3000が発売された。それまで、100万円近くしていたものが、198,000円と格安の値段になったので、発売前から予約をして購入した。同時に、ストゥリーマ付き20MBのハード・ディスクも購入し、この時から私は、CG(コンピュータ・グラフィック)、パソコン画像に全エネルギーを注いだ記憶がある。

パソコン画像に取り組む
当時、パソコン画像に取り組んでいる者はほとんどいない上、ソフトも少なく、自分でアッセンブラ言語を独習し、幾つかの画像表示関連のユーティリティを作った。

また、ハードディスクの深い階層にあるファイルを簡単に使うための手段として、バッチファイルの活用を思いつき、これで実用上不自由なくファイルを操作することができた。

スキャナ取りこみ画像、表計算ソフト、BATCHプログラミングの三つを組み合わせることで、診療中の患者さんに対して、パソコンを使って病気の説明を始めたのは、この年の夏からである。


1987年 51歳

大阪府医師会医学会の医学研究奨励費助成を受く
1987年の2月に、大阪府医師会医学会の医学研究奨励費助成に対して、「パーソナルコンピュータを用いた診療補助システムの開発」という研究課題で応募した。これは、スキャナ取りこみ画像と表計算ソフトを中心にして、ファイル操作をバッチファイルで行うという、私が診療に使っているシステムそのもので、大阪府医師会マイコン同好会を代表して私が申請をしたが、幸い承認され、研究助成費を頂いた。

この結果、マイコン同好会はマイコンクラブに格上げされ、府医のサークルの一つとして認められた。

土曜勉強会を開催
パソコンを診療中の説明に使うだけでなく、この年の6月から1年間にわたり、患者さんや職員への教育に使った。2台のパソコンを並べて、画像を中心にした土曜勉強会を開催したが、その時のために作った画像が200枚を越えた。

大阪府医師会医学総会で発表
11月には、第11回大阪府医師会医学総会において、演題パーソナルコンピュータを用いた診療補助システムの開発として、医学研究奨励費助成金を頂いた研究の発表を行った。これは翌年の大阪府医師会医学雑誌雑誌に掲載された。


1988年 52歳

医用CGシステムを構築
1988年6月30日は、私がマイコンクラブに入会してパソコンを始め、ちょうど3年目に当った。私はこの日を目標に、それまでに習得した画像に関する知識と技術を総括し、医用CGシステムを構築しようと思い、それに没頭した。そして期日通りにこれをまとめ、画像システム・ディスク、個別画像ディスクを完成した。パソコンを始めて最初の1年間では、会計処理関係をすべてパソコンで行えるようにし、次の2年間は、画像(コンピュータ・グラフィック)に専念してきたが、そのまとめだった。

パソコン通信局を開局
9月に入ると、SONYのIT−V1200という機器を使って、NOM−BBSというパソコン通信局を開いた。ここに、府医マイコンクラブのメンバーの多くがアクセスし、パソコン通信や電子メールの交換の場となった。

パソコン通信局NIFTYに加入
11月からは、国内大手のパソコン通信局であるNIFTYに加入した。ここで、全国の多くの医師やコンピュータ・グラフィックに取り組んでいる方々と交流することができて、世界が大きく広がり、たくさんのことを学び、また、教えることを楽しんだ。NIFTYのデータ・ライブラリに私が登録したデータは、70点近くになる。しかし、93年に、野村医院20年史を編纂する作業に没頭し始めた頃より、自然とパソコン通信から離れていった。

ビデオで紹介された
12月には、メディカル・エグゼクティブというビデオの中で、「新しい患者サービスの工夫ー患者教育ー」というタイトルのもと、パソコンを診療中の患者さんの説明に使っている当院が紹介された。数名のスタッフが、車2台にたくさんの機材を積み込んで来院し、4時間以上かけてビデオ取材をして行ったが、テープに編集されたのは約10分だった。


1989年 53歳

1989年7月に、私が独習してきた医用CGのまとめを、NIFTYのデータライブラリに「医用画像独習記」のタイトルで登録した。

医療におけるパソコン通信シンポジウム
これがきっかけとなり、10月28日に、大阪科学技術センターで開催された医療におけるパソコン通信シンポジウムの講師として、「実用画像通信」という演題で講演を行った。これは参加費として、3000円を徴収するシンポジウムであったが、満席だった。

私は、パソコンで作ったカラースライドを使って、PC9801というパソコンで扱える16色画像までの基礎的な知識と、実用上役立つ知識を説明した。そのデータとなる本文のほか、23枚のスライドを、NIFTYのデータ・ライブラリに登録した。

CG作品展に出展
NIFTYの画像関係のフォーラムから、神戸にあるTWIN−NETというCG専門のパソコン通信局を知って加入し、このネットが主催する第1回CG作品展に4点出品をした。9月22日から30日の間、神戸異人館ラインの館を借り切り展示した。折から、CGがブームになりかけていたせいか、訪問者が多くて、会員一同大満足だった。

CGを通じて、医師だけではなく、学生、サラリーマン、画家、プロの映像作家、映像技術者など多くの職種、広範囲な年齢の方と交流ができたのは、予想もしないことだった。この人たちとの、オフライン・ミーティングにも何度か参加したが、BBSで意見を交わしているメンバーなので、初めて逢った時から旧知の間柄のように話が弾み、訪問の約束まで簡単にできてしまうのには驚いてしまった。普段はオンラインで(電話線を通して)情報交換をしているが、直接会って(オフラインで)飲みながら話をする懇親会が、パソコン通信にとって、それに劣らず重要であることを示している。


1991 55歳

Windows 3.0 発売
この年の春にマイクロソフトから、MS−Windows3.0が発売され、早速インストールしたが、結局はタスク・スイッチャーとして使うことに終った。これまでのMS−DOSではシングル・タスクのため、違うソフトを使う場合には、今使っているソフトを一旦終了した上で、違うソフトを立ち上げなければならなかったのが、タスク・スイチャーとして使うことで、二つ以上のソフトを切り替えて使えるのは、診療中に使う場合などに重宝だった。

BOWの98画像初心者用講座
この頃になると、Macが画像関連で飛躍的に発展し、Macユーザーの鼻息が荒くなって、自慢が目立ってきた。しかし、当時の画像を扱えるMacは非常に高価で、プロは別として、それを買えるのはほとんど医療関係者に限られていた。それに対して、Macでカラーが使えない頃から画像をこつこつとやってきた者は、腹の虫が収まらない。いくら良い道具を持っていても、それを使いこなせなければ、役に立たないではないか。非力というPC9801でも、これだけの画像処理ができるのだと、デモンストレーションをしたくなった。

そこで、NIFTYの医療関係の画像を扱っているFSKY2というフォーラムで、BOWの98画像初心者用講座として数回にわたって書き込みを行い、書き込み終了後、そこのデータ・ライブラリに登録をした。この講座は、98ユーザーからかなり反響があり、他のパソコン通信局から転載の希望が幾つかあった。その時の私は、かなりアグレッシブだったようで、後で友人にからかわれたのを思い出す。今思うと大人げなかったが、お陰で98画像をまとめることができた。


1992年 56歳

パソコンに関しては、もう私の生活、診療に欠かせない道具として一応完成された状態だった。そこで、求められて、枚方市医師会報第40号に、私のパソコン活用法というタイトルで投稿をした。


1993年 57歳

この年最大のイベントは、野村医院開院20周年記念事業で、20周年記念パーティーと、その際に謹呈する野村医院20年史の制作出版だった。

野村医院20年史
8月31日で野村医院は満20年となる。そこで、8月に入った頃から全力を注いで、「野村医院20年史」制作に没頭した。それまでの人生でこれほど集中して、全エネルギーを注ぎ込んだ経験はなかった。その甲斐あって、11月28日に開いた20周年記念パーティーに間に合わせることができた。その間の状況を、20年史のあとがきにまとめているので、ここに転載しておく。


野村医院20年史のあとがき
この20年史を作ろうと思った一番の目的は、20年間の開業医としてのまとめを残しておきたいという自己満足のためでした。37歳から57歳までの期間は、私のような普通の人間にとって、一番活動的な時期であるはずです。それをまとめてから、次のステップに進みたいと思いました。

構想は前からありましたが、実際に制作にとりかかったのはこの夏からです。職員などに回想文を書いてもらい、それが終わると同時に、突貫作業がはじまり、今日までこれに没頭してきました。データを整理してまとめる、それをはじめから少しづつパソコンで印刷し、校正してまた印刷をするという作業の連続でした。

印刷は、開業以来当院のすべての印刷をお願いしている峰印刷所にして頂こうと決めていました。しかし、実際にお願いしたのは9月24日です。峰さんは、突然の話に面食らわれたことと思いますが、快く引き受けて下さいました。ただし、この時にはまだ1枚の版下もできていなかったのです。

1ケ月余りで何とか版下制作を完了できたのは、全くパソコンのおかげです。パソコンそのものより、高性能のレーザー・プリンターと優れたソフトの方がより有用でした。CANON LASER SHOT B406G2、MS-WINDOWS 3.0、FD ver.2.32 or FILMTN ver.2.33、MIFES ver.5.0、1-2-3 R2.3J、WordPerfect 5.1J、VJE-Pen ver.3.1、この何れが欠けても駄目でした。私の最初のDTP(desk top publishing )は、これらに助けられて生まれました。

「書きたいことは全て書いた。しんどかったが楽しかった」というのが今の正直な気持です。回想文を寄せてくれた職員、旧職員、息子圭、そしてよき協力者であり、同時に厳しい批評家である妻経子に、心から感謝の気持を捧げます。 1993年10月31日 野村 望


1994年 58歳

医師会設立
この年の初めから、医師会独立のための業務を片付ける作業が続き、3月26日には設立総会、4月1日から交野市医師会発足、7月10日に交野市医師会設立記念式典、9月1日より、社団法人交野市医師会が認可発足した。その間の事情も医師会設立奮闘記―こんな筈ではなかった 新米総務は右往左往―に書いた。

日本プライマリ・ケア学会近畿地方会で発表
10月2日に、尼崎で開かれた日本プライマリ・ケア学会近畿地方会で、内科開業20年間における紹介患者の疾病統計という演題で発表した。

大阪府医師会医学会総会で発表
11月13日には、府医会館で行われた大阪府医師会医学会総会で、内科開業20年間における紹介患者の分析という演題で発表をした。この時の座長からの推薦があったので発表演題を原著として、大阪府医師会医学雑誌大阪医学に投稿するように、との依頼文があり、翌年同じ演題で投稿した。何しろ、20年以上も原著など書いたことがなく、参考文献と英文抄録には泣かされた。


1996年 60歳

還暦まで
4月16日に私は60歳となった。この日のために、それまでに書いてきた雑文をまとめて、DTPで還暦までという書名で自家出版した。

O-157による集団食中毒
7月13日に、病原性大腸菌O-157による集団食中毒が日本列島を襲った。患者は9000人を超え、死者は11人に及んだ。 この時、O-157に関する情報は、一般の医学書に記載はなく、最新の情報は、インターネットから入手できるものに限られていた。私はパソコン通信から情報を得ようとしたが、そこに流れている情報は、インターネットで入手したものを、パソコン通信に移植しているものに過ぎないことが分った。

交野市医師会パソコン同好会発足
8月3日の交野市医師会理事会で、医師会にパソコン同好会を作り、インターネットに接続できるようにしよう。その世話人は野村 望にしようという緊急提案が満場一致で可決された。

仕方がないので、その足で日本橋に行き、Windows95搭載のパソコンを購入した。このようにして、O-157による集団食中毒がきっかけとなり、Windows PC時代 に突入することとなった。


4.Windows PC時代
1996〜2017年


図7.NEC 9821Ct16 1996年6月発売
Pentium(166MHz) FDドライブ 1 CD-ROMドライブ 1 HDD 1.6GB 1
Windows 95(32 bit) 640×480

1996年8月3日の交野市医師会で、医師会にパソコン同好会を作り、インターネットに接続できるようにする。世話人は野村 望にするとという提案が満場一致で可決された。

インターネットに接続することのできるパソコンは、Windows PCかMacに限られる。そこで、私はWindows PCの中から、NECの 9821Ct16を選択した。それは、MS-DOS PC時代に使ったPCが、すべてNECの9801機だったので、NECに安心感があったからだ。

還暦の年にWindows PCを使いはじめ、現在に至る21年間、使い続けてきた。今はデスクトップ機4台、ノートPC1台をLANで結んで使っているが、メインPCは VAIO SVL2413AJ である(図8)。


図8.VAIO SVL2413AJ 2013年2月発売
Core i7-3840QM(2.80GHz) BDドライブ 1 SSD 512GB 1
Windows 10 Home Premium(64 bit) 1920×1080

1996年 60歳

●医師会パソコン同好会の世話を始めた年

パソコン同好会発足の準備
MS-DOS時代の最後で書いたように、思わぬことから、パソコン同好会の世話人を引き受け、交野市医師会の会員の希望者が、インターネットから情報を得られるようになる指導しなければならないことになった。パソコン歴11年、パソコン通信歴8年ではあるが、Windows PCは触ったことがなく、インターネットの世界を見たことがない。

そこで、まず、Windows PC(図7)を購入して使い方を理解し、インターネットの接続ができるようにした。また、パソコン同好会でインターネット接続の実習をする場合、自前のホームページ(サイト)を持っている方が便利だと考え、野村医院のホームページを作った。Windowsマシーン購入後2週間足らずで作り上げたことになる。

そのことを思うと、信じられないほどの短期間で仕事を仕上げていることに驚く。追い詰められた時の、火事場の馬鹿力が出たのだろう。

Windows PC時代のパソコン歴は、サイト最初の作品が「野村医院のホームページ」であり、それ以後の、パソコン歴に取り上げようと思う記事(作品)は、ほとんど、このサイトに記事として載せている。

そこで、私が選んだ記事を、西暦年ごとに、カテゴリー分類で配列し、各記事名(タイトル)の下に内容紹介文を付けて内容の見当が付くようにし、記事名を記事本文にリンクして、青色太文字の記事名をクリックすることで、本文にジャンプできるようにした。

4.PC 交野の野村医院
    Windows PCを購入して作った最初の作品で、自分の作品を世界に発信する基地となった
7.医療 患者さん用 薬の説明集(1) 五十音別
7.医療 患者さん用 薬の説明集(2) 薬効別
    投薬の際に添付する約400種類の薬の説明シートのデータベース。五十音別と薬効別に検索可能
3.映像 神戸ルミナリエ96
    阪神淡路大震災の翌年1995年に神戸の町と市民を讃えて催されたが、その翌年のルミナリエ撮影
4.PC パソコン物語
    パソコン音痴の中高年医師たちの、パソコンに対する4ヶ月間の挑戦を、リアルタイムに記録


1997年 61歳

●「歌と思い出」の掲載を始めた年

1.言葉 曲直部先生に学んだこと
    阪大第1外科同窓会誌「曲直部壽夫先生追悼特集号」に投稿した追悼文
1.言葉 還暦を迎えた旧友あい集う
    1962年に阪大第一外科に入局した同期生8名のうち、生存している7名が7年ぶりに集まった
1.言葉 私の(超々)整理法
    いろいろな整理法を試みた後でたどり着いた、さぼりで手抜きな個人データの整理法を紹介

2.音楽 歌と思い出 1<1936〜1945>
2.音楽 歌と思い出 2<1946〜1950>
2.音楽 歌と思い出 3<1951〜1955>
    生まれてから60歳になるまでに親しんできた歌と、それに関わる思い出を年単位でまとめた

5.旅行 私の海外旅行エンジョイ法 1997
    旅行記をビデオで残すが、サイトに記事で残すことに変わったほかは、今もほぼ変わりなし

6.出版 パソコン物語
    サイトに掲載した記事を使って、パソコンで版下を作り、500部をDTP出版した

7.医療 患者さんのための病気の話
    異型肺炎、溶連菌感染症、カモガヤ花粉症など、家庭の医学には載っていない病気を説明した


1998年 62歳

●妻が入院手術をした年

2.音楽 メロディー整理法
    メロディーから曲名を知る方法として、いろいろ考案し、最終的に「abc 略譜」に決めた

4.PC 掲示板 BOW-BBS 新設
    新設した電子掲示板 BOW-BBS に書き込みが殺到、54名を超え、オフミまで行った

6.出版 Windowsパソコンの使い方
    パソコン同好会の例会での講習を中心に、Windows PCの使い方を、200部 DTP出版した

7.医療 医院経営と表計算ソフト
    医院経営に関するほとんどの業務が、表計算ソフトによって可能であることを具体的に説明
7.医療 腹十二分目でも健康
    私は腹十二分目の夕食を10年以上続けてきたが、健康であるという一例をご披露した
7.医療 腹十二分目でも健康 補足
    BOW-BBSに書き込まれたご意見と、それに対する私の弁明などを載せた
7.医療 奥さん入院、亭主大変
    妻が中耳炎の手術を受けるために入院した期間と、その前後の珍騒動の一部始終を記録に残した


1999年 63歳

●携帯電話でEメール・転送メールを始めた年

4.PC 携帯電話でEメール
    携帯電話でEメールが使えることを旅先からの送受信で確かめ、使い方をマニュアルにまとめた
4.PC 転送メールで快適
    プロバイダに届いたE-メールを、メール転送サービスを利用して、携帯に転送する便利な方法

7.医療 自分の禁煙、他人の禁煙
    自分が禁煙した時のこと、医師として患者にすすめてきた禁煙についてまとめた


2000年 64歳

●掲示板 BOWのひとりごと を開設した年

1.言葉 唐辛子と私
    私は韓国人がびっくりするくらい大量の一味唐辛子を好むが、その理由について考察した

2.音楽 歌のデータ・ベース 1000曲
    自分が好きな歌、思い出の深い歌を中心に、好きではないが、日本人好みの歌も少し加えた
2.音楽 歌の曲名検索
    ジャンル、日本語曲名、欧米語曲名、歌い出し歌詞、歌い出しメロディーから検索できる

4.PC 掲示板 BOWのひとりごと を開設
    プロバイダのアサヒネットが提供するBBSを、「BOWのひとりごと」の名前で開設した

5.旅行 ソウルは活気があふれてた(改訂版) 2000
    5月の連休に、医師会会員親睦旅行でソウルへ行った際の旅行記録、写真は動画から切り出し
5.旅行 ロン・パリやぶにらみ道中記(改訂版) 2000
    8月の夏期休診期間中、パリとロンドンへ旅行した際の旅行記録、写真は動画から切り出し

7.医療 野村 望 医学学術論文目録
    自著論文10、共著論文19、学会発表(演者として)24、学会発表(共同演者で)34


2001年 65歳

●MS-DOS時代のパソコンのまとめと、WindowsPCへの完全移行に費やした年

1.言葉 老人となった旧友の集い
    1962年に阪大第一外科に入局した同期の桜が4年ぶりで集まり、メーリングリストを作った

4.PC 実用解像度
    デジタル画像の基礎として「解像度」という概念を、実用的に理解するためにまとめた

5.旅行 ハワイ珍道中 2001
    4日間の5月の連休をフルに使って、ハワイで珍道中をくりひろげた夫婦の旅日記
5.旅行 エーゲ海クルーズ 2001
    二組の夫婦が、夏に10日間のエーゲ海クルーズを楽しみ、ドジとハプニングを続発させた
5.旅行 芦原方面旅行 2001
    医師会の親睦旅行で芦原方面に行き、永平寺で「道元禅師からのメッセージ」を読んで感動した


2002年 66歳

●「心に生きることば」の創作に没頭した年

1.言葉 心に生きることば まえがき
    自分の思考と行動が影響を受けている短い言葉を、9章に分けてまとめたが、その約6割は自作
1.言葉 心に生きることば 第1章:人間
    人間に関して、結婚、夫婦、ストレスなど16項目に分けて、心に生きることばをまとめた
1.言葉 心に生きることば 第2章:欲求
    欲求に関して、義務と欲求、基本的欲求、能動的欲求など15項目に分けて、ことばをまとめた
1.言葉 心に生きることば 第3章:教育
    教育に関して、潜在能力、気質、学校教育など11項目に分けて、心に生きることばをまとめた
1.言葉 心に生きることば 第4章:行動
    行動に関して、行動原理、能動的行動、工作人、集中力など21項目に分けて、ことばをまとめた
1.言葉 心に生きることば 第5章:情報
    情報に関して、情報の収集、情報の整理、情報の保存、情報の発信など9項目に分けてまとめた
1.言葉 心に生きることば 第6章:思考
    思考に関して、知覚、認識、ことば、疑うなど11の項目に分け、心に生きることばをまとめた
1.言葉 心に生きることば 第7章:創造
    創造に関して、創造、独創、ひらめき、私の創造など5項目に分け、生きることばをまとめた
1.言葉 心に生きることば 第8章:運命
    無常、運命、受容、神、宗教、老年、死など9項目に分け、心に生きることばをまとめた
1.言葉 心に生きることば 第9章:価値
    価値の基準、大切なもの、人生の短さ、生きがい、生き方の規範、幸福など8項目をまとめた
1.言葉 心に生きることば おわりに
    書き終えた時点でキーフレーズは442篇、その内の自作は300篇で60%を占め、これは私の
    人生哲学と言えよう
1.言葉 心に生きることば 付録:80点主義
    こどもの頃から100点がとれず、80点主義、99点主義で生きてきたが、大きな効用があった
1.言葉 心に生きることば 全目次
    
1.言葉 心に生きることば キー・フレーズ総索引
    
1.言葉 50年目の謝罪
    中学3年で先生に逆らったことがあり、半世紀を過ぎて謝罪したが、苦い思い出である
1.言葉 小学4年庄野学級
    敗戦の年の翌年1946年、男女共学のテストケースのクラスで、楽しさが満ちあふれていた

6.出版 実用電子出版
    CD−Rという電子メディアに情報を書き込み、そのCD−Rを、PCのCDレコーダか
    CDプレーヤーに挿入することで、情報を再生させる電子出版を始め、実技を公開した


2003年 67歳

●息子夫婦の結婚式のDVDビデオ制作とDVDライブラリー蒐集を始めた年

1.言葉 喜びと悲しみ
    息子と松浦千佳の結婚式が翌日に行われる日に、フィレンツェに居たが、その前日に
    私の無二の親友森隆君が突然亡くなったとの報が入った
1.言葉 新郎の父の挨拶
    息子野村圭と松浦千佳の結婚披露宴で、新郎の父親として挨拶した原稿と実際のスピーチ
1.言葉 2003年の総括
    1年の総括記事を掲載した最初の年で、2000年、2001年、2002年の総括概略も含んでいる

3.映像 DVD制作第1号で使った技法
    息子夫婦の結婚式のDVDビデオの制作を、撮影1週間目に完了させた技法のマニュアル化
3.映像 DVDライブラリ 登録番号順
    蒐集したDVDに登録番号を付け、整理し、保管収納する基本番号とした
3.映像 ピカソとデッサンと絵画
    こどもの頃のピカソのすばらしいデッサンと、デッサン力のすごい画家との対話をまとめた

5.旅行 倉敷と大原家の人々 2003
    大原美術館のモローの「雅歌」に感動、棟方志功の「ニ菩薩釈迦十大弟子板画柵」に魅せられた

7.医療 20年目のクリスマス・リース
    野村医院の待合室の壁を、20年の間飾ってきたクリスマス・リースに感謝
7.医療 猛烈な下痢腹痛の体験記
    生まれてこの方経験したことのない激しい下痢腹痛をもたらした病気を、医師として記録考察


2004年 68歳

●息子夫婦に引継ぐための準備に没頭した年

1.言葉 頑固な私の総括
    私の頑固さを、ライフスタイル、道具や方法、価値観など、に分けて並べ上げた総括
1.言葉 謝 辞
    交野市医師会設立10周年記念式典で、感謝状受領会員を代表して述べた謝辞
1.言葉 2004年の総括 診療のまとめ
    私たち夫婦にとっては、息子夫婦に引継ぐための準備に終始した年であった

2.音楽 アイーダと私
    オペラ「アイーダ」大好きで生きてきたが、ミュージカル「アイーダ」もなかなかのものと思う
2.音楽 さようなら、こんにちは、ブラジル
    携帯電話変更で着信メロディー「ブラジル」は無くなり、ジルベルトの公演で度肝を抜かれた

3.映像 DVDライブラリ 五十音順
    タイトルが分かっている場合に、該当DVDを探すのに便利で、二重買いを防ぐ効果もある
3.映像 DVDライブラリ ジャンル別
    ジャンルから、該当DVDを探すのに便利
3.映像 DVDライブラリ 制作年順
    制作年代から、該当DVDを探すのに便利

7.医療 医薬分業と院内処方
    医薬分業の利点と欠点、当院が院内処方を続けてきた理由、院内処方活用のための工夫など
7.医療 野村医院勤務マニュアル 改訂8版
    1983年に初版発行、その改訂8版で、これを基に医院勤務者の実務マニュアルを出版した
7.医療 病名マスターの標準化
    標準となった「新傷病名マスター」のコードに全面移行した理由と、具体的な方法を詳述
7.医療 病名の履歴と略号
    カルテから、患者の病名の履歴が簡単に分かるための、いくつかの工夫をまとめた
7.医療 後発薬品(ジェネリック)
    ゾロ品と呼ばれていた後発薬品を開業以来使わず、これからも使う気持になれない理由
7.医療 薬の服用方法
    服薬方法について総合的にまとめた著作やWeb記事を発見できず、最初のまとめになるかも?
7.医療 健康一口ことば
    心に生きることばの中から健康に関係のあることば40篇を選び、新たに3篇を加えた
7.医療 高血圧症薬物療法の変遷
    開業医として、31年間診療に従事したが、そのまとめの医療関係論文として選んだテーマ
7.医療 デジタルX線画像 FCR Pico 使って
    デジタルX線装置FCRを導入、取説、パンフ、ヘルプ、Web検索を参考にしてまとめた使用法
7.医療 けなげなシクラメン
    野村医院玄関口にある花壇は、12月から5月まで、16株の真紅のシクラメンが患者さんを迎えた


2005年 69歳

●引き継ぎ引っ越しで疲労困憊の年

1.言葉 9歳は人生のターニング・ポイント
    9歳は人生のターニング・ポイントという仮説を思いつき、それを検証してみたら当たりそう!
1.言葉 作文と文章スタイル
    私の文章スタイルは、中学3年の作文でほぼできあがっていることに驚き、成長の停止を嘆く
1.言葉 交野市医師会初代会長への弔辞
    初代会長小菓照三先生が突然亡くなられ、常務理事として、生まれてはじめて書いた弔辞
1.言葉 高校時代の私のまとめ
    高校卒業50年の記念誌に、私が高校生活で得た、最も重要だと思うことをまとめた

3.映像 中之島の夜景
    田園都市交野から中之島のマンションに転居して2ヶ月目、余りに美しい夜景に感動した
3.映像 光のルネサンス2005
    中之島公園を中心とする光のルネサンス 2005 に魅せられ、すっかり興奮してしまった

4.PC ホームページ開設10年目の感想
    医院引き継ぎのための改造作業中に迎えた、超多忙なホームページ開設10年目だった
4.PC ホームページの閉鎖と復活
    医院を引き継いだ日にホームページを閉鎖し、2ヶ月後に中之島のBOWと改名して復活した

5.旅行 台北への旅
    5月の連休に、交野市医師会の家族親睦旅行で、台北へ旅行したときの記録
5.旅行 台北旅行後のゆううつ
    台北旅行後、いつもの海外旅行後と違って、ゆううつな気分が続いた理由の考察

6.出版 医院勤務者の実務マニュアル
    野村医院のホームページに掲載した「野村医院勤務マニュアル」が基になって出版された

7.医療 院長交代について
    2005年1月5日に院長交代の説明文を掲示し、その印刷物を自由にお取り頂けるようにした
7.医療 22年目の正月飾り
    1984年から毎年、待合室の壁にあって、新春を祝いでくれた扇子さん、ありがとう
7.医療 息子の患者さんからの手紙
    息子の診療を5年間受けてきた患者さんから、私宛に、感謝のことば一杯の手紙が届いた
7.医療 医療情報の保存と廃棄
    法定保存期間を超えた医療情報の内、将来有用なものを残し、不要なものを廃棄する選別が重要
7.医療 診療システムの引継
    息子が医院を継承するにあたり、診療システムの引継に役立つ情報を、具体的に提供した
7.医療 医院大改装
    10日間で医院室内を天井から壁、床、ドアにいたるまで完全に改装する工事に、立ち会った
7.医療 感謝の集いと記念アルバム
    職員と旧職員に対する感謝の集いを持ち、32回のイベントの写真を収めた記念アルバムを贈呈


2006年 70歳

●死亡を想定した年

1.言葉 死期を想定して生きる
    私は、50歳のころから、自分の死亡時期を70歳(71歳になるまで)と想定して生きてきた
1.言葉 私にとっての死
    古希の齢となった一人の人間が、「死」をどのように思い、考えているかを書き留めたもの
1.言葉 旧友との再会
    49年間会っていなかった小学4年庄野学級のクラスメートに再会し、男4人が旧交を温めた
1.言葉 古稀を生きる
    古稀の誕生日に心に決めたこと5箇条 実行できたのは2箇条のみ
1.言葉 庄野学級古希クラス会
    敗戦の翌年、10歳で小学4年庄野学級に学んだクラスメートが、70歳となり、クラス会を開いた
1.言葉 ハンドルネームBOW
    1989年からハンドルネームとして使っている「BOW」について、関連することがらをまとめた
1.言葉 先生と交わした手紙
    父の従弟で、私より15歳年長の教育者と交わした手紙は、真剣に人生を生きた人の一つの記録
1.言葉 校医を辞めました
    32年間務めてきた小学校校医を辞める日、体育館で600名の生徒に話したことばと、その後日談
1.言葉 2006年の総括
    精神的に一番活動的で、サイト掲載記事数も最多、Google 検索順位が高い記事も多かった

2.音楽 葬送の音楽
    葬送の場で一般によく使われている音楽と、自分の葬送で使われるのを望む音楽を考えてみた

3.映像 高層階からの眺望
    中之島のマンション37階から眺める昼間の眺望は、立体的で、まさに俯瞰、大都会である
3.映像 中之島バラ園
    バラ園は中之島公園の中央にあり、90種近いバラが約4000株咲き揃って、素晴らしい
3.映像 祇園一力亭
    祇園の中で最も由緒のあるお茶屋のひとつの「一力亭」で、3組の夫婦と一男が夕べを楽しんだ
3.映像 浜松池田邸
    池田先生ご夫妻が40年間の診療を辞められ、浜松に終の棲家を造り、転居された池田邸を訪問

7.医療 胃透視検査法
    開業医現役時代に私が行ってきた胃透視検査法を、できるだけ具体的にまとめたマニュアル
7.医療 下痢の食事療法
    開業当初から、下痢の患者には、話して説明するだけでなく、この文章を読んでもらっていた
7.医療 嘔吐の食事療法
    開業当初から、嘔吐の患者には、話して説明するだけでなく、この文章を読んでもらっていた
7.医療 受話器握って失神
    電話の応対中に気分が悪くなり、受話器を握って失神して大騒ぎとなったハプニングの顛末
7.医療 開業医の小児科独習法 目次
    小児科を標榜しなくても、小児の患者を診なければならない場合があり、小児科を独習した
7.医療 開業医の小児科独習法 はじめに〜第二章
    はじめに: 第一章:小児科勉強のテキストとした図書 第二章:紹介した症例から学ぶ
7.医療 開業医の小児科独習法 第三章
    第三章:診療した患者から学ぶ 診察、病気のいろいろ、ストレス病、季節病、疾病の変遷
7.医療 開業医の小児科独習法 第四〜九章
    図譜作成、説明パンフレット作成、講演、学校医・園医として、CD−ROM、Web検索
7.医療 開業医の小児科独習法第十章とあとがき
    小児の薬、小児の特徴、素因と環境のどちらが個性に関係しているか、人の成長過程を見る
7.医療 開業医の小児科独習法 総索引
    辞書的な使用を顧慮して、詳細な総索引を付けた
7.医療 開業医の小児科独習法 病名索引
    辞書的な使用を顧慮して、詳細な病名索引を付けた


2007年 71歳

●オマケの人生が始まる年 世界一周航海をした年

1.言葉 2007年の総括
    死亡想定年での私の人生は、したいことが70%、しなければならないことが90%達成できた

2.音楽 私の英語愛唱歌101曲
    私の英語愛唱歌101曲の歌詞を載せ、歌と思い出・唄った歌手・歌のデータベースにリンク
2.音楽 英語愛唱歌を唄った歌手
    歌好きな私の感想と好みを書いた
2.音楽 生年順クラシック作曲家名
    詳しい音楽史年表が見つからないので、自分のために「生年順クラシック作曲家名」をまとめた
2.音楽 クラシック雑感 飛鳥II世界一周 2007 DVD 制作余話
    飛鳥II世界一周 2007 DVD のBGMに、クラシックの曲を使いたくなり、関心を持った

3.映像 飛鳥U世界一周写真集・目次
    飛鳥U世界一周2007航海記は文章が主体で、写真は必要最低限だが、こちらは写真のみ
3.映像 飛鳥U世界一周写真集1.太平洋、インド洋
    4月4日〜4月16日:神戸港、フォーマル・ナイト、シンガポール、飛鳥まつり、モルジブなど
3.映像 飛鳥U世界一周写真集2.エジプト
    4月18日〜4月25日:ギリシャのスエズ運河まで、アラビア海、カイロ、ピラミッドなど
3.映像 飛鳥U世界一周写真集3.地中海1(黒海周辺)
    4月27日〜5月3日:まで、イスタンブール、ボスポラス海峡、ギリシャのデルフィ遺跡など
3.映像 飛鳥U世界一周写真集4.地中海2
    5月4日〜5月11日:ヴァレッタ、シエナ、ピサ、プロバンス、マルセイユ、ミロ美術館など
3.映像 飛鳥U世界一周写真集5.大西洋1(フランス)
    5月13日〜5月20日:ボルドー、ヴェルサイユ、ルーブル、アントワープ、ブリュッセルなど
3.映像 飛鳥U世界一周写真集6.大西洋2(イギリス)
    5月21日〜5月29日:大英博物館、リバプール、湖水地方、聖パトリック大聖堂、ギネスなど
3.映像 飛鳥U世界一周写真集7.ニューヨーク、パナマ運河
    6月2日〜6月12日:ニューヨーク、バハマ、チチェン・イツア、コスタリカ、パナマ運河など
3.映像 飛鳥U世界一周写真集8.太平洋東岸
    6月14日〜6月25日:カボ・サン・ルーカス、サン・フランシスコ、ヴァンクーヴァーなど
3.映像 飛鳥U世界一周写真集9.アラスカ
    6月26日:Bella Bella、ミスティー・フィヨルド、メンデンホール氷河、ハバード氷河など

3.映像 世界の写真 はじめに
    約1,300枚の写真を、自分が利用しやすいように分類し、世界旅行の映像データベースを構築
3.映像 世界の写真 目次
    分類別の目次は求める写真を見つけやすい
3.映像 世界の写真1.船旅でだけ、体験できる風景 1
    港の風景、客船が航行する河川、洋上から見る風景、ヘリコプターによる空中撮影など
3.映像 世界の写真2.船旅でだけ、体験できる風景 2
    スエズ運河、パナマ運河、氷河、鯨ウォッチングなど
3.映像 世界の写真3.世界文化遺産 1
    サン・ジミニャーノ、ピサ、カイロ、ピラミッド地帯、デルフィ遺跡、イスタンブールなど
3.映像 世界の写真4.世界文化遺産 2
    サン=テミリオン、ヴェルサイユ宮殿、セーヌ河岸、ベルギーの鐘楼、グラン=プラスなど
3.映像 世界の写真5.都市観光
    ダブリン、ニューヨーク、サン・フランシスコ、ロンドン、ヴァンクーヴァー、パリなど
3.映像 世界の写真7.施設・建物
    教会・寺院、有名建築、商業施設、広場・公園、道路、門、橋など
3.映像 世界の写真9.交通機関
    飛鳥Uの外観・内部、他の客船、貨物船、パイロット乗船ボート、船舶牽引電気機関車など
3.映像 世界の写真10.自然
    美しい海、湖、川、山、坂、雲と空、太陽、動物など
3.映像 スライド・ショーDVDの制作 フォトストーリー3
    飛鳥U世界一周2007のスライド・ショーDVD制作法をマニュアル化

5.旅行 飛鳥U世界一周2007航海記・目次
    飛鳥U世界一周写真集は写真ばかりだが、こちらは文章が主体で、写真は必要最低限のみ
5.旅行 飛鳥U世界一周2007航海記・はじめに
    
5.旅行 飛鳥U世界一周2007航海記1.太平洋、インド洋
    4月4日〜4月16日:神戸港、フォーマル・ナイト、シンガポール、飛鳥まつり、モルジブなど
5.旅行 飛鳥U世界一周2007航海記2.エジプト
    4月18日〜4月25日:ギリシャのスエズ運河まで、アラビア海、カイロ、ピラミッドなど
5.旅行 飛鳥U世界一周2007航海記3.地中海1(黒海周辺)
    4月27日〜5月3日:まで、イスタンブール、ボスポラス海峡、ギリシャのデルフィ遺跡など
5.旅行 飛鳥U世界一周2007航海記4.地中海2
    5月4日〜5月11日:ヴァレッタ、シエナ、ピサ、プロバンス、マルセイユ、ミロ美術館など
5.旅行 飛鳥U世界一周2007航海記5.大西洋1(フランス)
    5月13日〜5月20日:ボルドー、ヴェルサイユ、ルーブル、アントワープ、ブリュッセルなど
5.旅行 飛鳥U世界一周2007航海記6.大西洋2(イギリス)
    5月21日〜5月29日:大英博物館、リバプール、湖水地方、聖パトリック大聖堂、ギネスなど
5.旅行 飛鳥U世界一周2007航海記7.ニューヨーク、パナマ運河
    6月2日〜6月12日:ニューヨーク、バハマ、チチェン・イツア、コスタリカ、パナマ運河など
5.旅行 飛鳥U世界一周2007航海記8.太平洋東岸
    6月14日〜6月25日:カボ・サン・ルーカス、サン・フランシスコ、ヴァンクーヴァーなど
5.旅行 飛鳥U世界一周2007航海記9.アラスカ
    6月26日:Bella Bella、ミスティー・フィヨルド、メンデンホール氷河、ハバード氷河など
5.旅行 征服されたことのない国
    日本は2000年以上に亘って、他国に征服されることがなかった唯一の文明国である

7.医療 入院と心の情景
    約2週間、一日の大部分を病院のベッドの上で過ごした時に、心に浮かんだ情景を記録した
7.医療 私の入院物語
    2006年末に前立腺の病気で入院して処置を受け、2007年の初めに同じ病気で手術を受けた
7.医療 初めての人間ドック
    71歳まで一度も受けたことのない人間ドックだが、これを最後にするつもり


2008年 72歳

●戦慄的感動の演奏を体験 初孫誕生の年

1.言葉 私の年賀状スタイル
    1954年から2007年までの年賀状を表示、2008年からは変更することにした年賀状のスタイル
1.言葉 オマケの人生で変わったこと
    タイムリミットを決めなくなった、したいことを、自分が納得の行くまで続けるようになった
1.言葉 大阪弁と標準語のアクセント
    大阪弁の特異性がよく分かり、大阪弁を自由に使える地域で生まれ育った運命に、感謝している
1.言葉 脳優勢度調査と脳科学
    脳科学的には疑問があるようだが、人間の思考と行動のパターン分類としては、有用だと思った
1.言葉 BOW式英語音声表示記号
    英語は強勢アクセントのほか、音の高低アクセントがあり、弱いアクセントは短く、時に消失
1.言葉 新しいいのち
    誕生後2時間あまりの初孫の姿を目にして、受けた感動を記録したら、そのまま詩になっていた
1.言葉 私が作ったマニュアル
    マニュアル作りは私の生き方の基本の一つで、1970年ころから実用的なマニュアルを作ってきた
1.言葉 幸運の星
    初孫に、幸運がいつまでも続くようにアドバイスをしたくなった、同じ干支の祖父の気持
1.言葉 2008年の総括
    重点を置いたのは音楽で、鑑賞、コーラス入団、abc記譜法、MIDI、データベース作成をした

2.音楽 戦慄的感動の演奏
    カラヤンに育てられたムター、小澤、ベルリンフィルが、師に捧げた最高のプレゼントの演奏
2.音楽 50年ぶりのコーラス発表会
    大学の教養課程の2年間を除いて、コーラスと無縁だったのが、コーラスコンサートに参加した
2.音楽 文字譜いろいろ
    インターネットで使うのに便利な記譜法のを探してabc譜法を知り、abc略譜を考案した
2.音楽 実用abc譜
    自分が使う際に、手許に持って置きたい便利なまとめとして作った「abc譜」の実用書
2.音楽 ミレイユ・マチュー
    自分が一番影響を受けた歌手について記録に残して置きたくなり、ふり返ってまとめた記事
2.音楽 人生応援歌 くよくよするな
    私に生き方を教えてくれた歌の中で、世間では知られていない歌を紹介
2.音楽 クラシック・データベースの説明
    良く知られたクラシック400曲のデータベースを作ったが、その説明
2.音楽 クラシック・データベース作曲家(ア〜ナ行)
    54名の作曲家、198曲のメロディーを中心としたデータ
2.音楽 クラシック・データベース作曲家(ハ〜ワ行)
    46名の作曲家、202曲のメロディーを中心としたデータ
2.音楽 作曲家名から曲名検索
    100名の作曲家名から曲名検索
2.音楽 ジャンルから曲名検索
    15のジャンルから曲名検索
2.音楽 日本語曲名からデータ検索
    五十音順日本語曲名からデータ検索
2.音楽 欧米語曲名から日本語曲名検索
    欧米語曲名から日本語曲名検索
2.音楽 メロディー・パターンから曲名検索
    「abc略譜」で表示したメロディー・パターンから曲名検索
2.音楽 阿久悠の歌
    NHK歌謡コンサート「阿久悠 歌よ時代を語れ」を聴いた私の感想
2.音楽 神戸ジャズ・ストリート
    初めて体験した神戸ジャズ・ストリートは、予想以上に素晴しかった

3.映像 明石瞳さんの受賞作品
    私の親しい明石賢三先生の奥様の新槐樹社展大阪府知事賞受賞作品を鑑賞した後の感想
3.映像 京阪中之島線開通
    中之島を南北に縦断する鉄道は多いが、東西に縦断する初めての鉄道で、クール


2009年 73歳

●アナログデータのデジタル保存と階層構造の研究に没頭した年

1.言葉 運命について
    20歳ころから感じてきた運不運、運命について考察し、幸福不幸とも関連付けた
1.言葉 ドジBOW 5話
    私がしてしまったドジ・チョンボ話5話に、オマケを2話加えた7話をご披露
1.言葉 時代先取り
    頑固で保守的なところが多いが、メカに関しては、時代先取りをすることが多かったことの記録
1.言葉 ある牧師への手紙(追補版)
    「野村医院に二十年史」を見てPCに無縁だった状況で学術図書をDTP出版した人との交流
1.言葉 2009年の総括
    重点を置いたのは、アナログデータのデジタル保存と階層構造の研究

3.映像 古き日のムービーと録音
    私たち夫婦の結婚式と披露宴の動画記録と、家族の誕生日のただ一度だけの音声記録
3.映像 金沢美大とミステリアス・ディナー
    金沢美大卒業の二人の画家を囲んで、私たち夫婦と友人の5人が酌み交わしたディナー
3.映像 天神祭
    日本三大祭の一つの天神祭を、2006年の船渡御、2007年の陸渡御の写真を使って概説した

4.PC 新しいパソコン保全システム
    これまで行なってきたパソコン保全システムを発展的に解消、新しい保全システムを構築した
4.PC PCファイルの階層構造
    WindowsPCには仮想階層が多用され、使いやすい階層構造となっている
4.PC このサイト内記事の探し方
    最新の記事、カテゴリーから、現ページに関連した記事、検索エンジンを使うに分けて説明
4.PC Windows 7パソコンのカスタマイズ
    これまで使ってきたWindowsXP機との構造上の違いを検討し、その対応策を考えた

5.旅行 北欧4国への旅 2009
    全体として期待以上に魅力的だったが、暗い曇天のイメージがあり、ノールウェーが良かった
5.旅行 ハンガリー・オーストリア オペラ鑑賞の旅 2009
    小澤幹雄さん案内のブダペスト、ザルツブルグ、ザルツカンマーグート、ウィーン音楽の旅

8.設計 水の都 大阪vsベニス
    私にとって大切なカテゴリー「設計」に、安藤忠雄氏の作品「水の都 大阪vsベニス」を紹介


2010年 74歳

●ミュージカルに出演した年 Web記事の文書スタイルを変えた年

1.言葉 読点の使い方
    1906年に句読点が登場、読点の使い方にきまりはなく、私なりの使い方を考えている
1.言葉 リンゴ3話
    美味しいリンゴを中心に、リンゴにまつわる、たわいもないお話を3話
1.言葉 記憶力低下対処法
    加齢現象による記憶力低下を仕方がないと受け入れ、それに対処する老人の知恵を紹介
1.言葉 夕方のウォーキング
    夕方、夫婦で自宅と梅田の間をウォーキングすることを3年前から続けている
1.言葉 8回目の庄野学級クラス会
    1946年小学4年庄野学級のクラスメートが、東京転居の先生不在でクラス会を開いた
1.言葉 庄野先生米寿お祝いの会
    先生が転居された東京で、先生の米寿をお祝いする会を開いた
1.言葉 2010年の総括
    重点を置いたのは、孫の成長記録、出演したミュージカル、AVCHD動画作品の制作

2.音楽 歌詞リズム略譜
    英語の歌を暗譜するのに役立つ「歌詞リズム略譜」を考案し、実際に試用して効果を確かめた
2.音楽 ICレコーダーと音声編集
    音声録音の機器をPCMレコーダーからICレコーダに、音声編集ソフトもAudioStudio10に変更
2.音楽 ミュージカル らくだのダンス
    ミュージカル らくだのダンス公演の宣伝用チラシの紹介
2.音楽 ミュージカル物語ーらくだのダンスに出演してー
    「ミュージカル らくだのダンス」に出演した一部始終の記録
2.音楽 私にとっての歌
    歌うのは好きだが、人に聴いてもらうよりも、大声張り上げ、自己陶酔状態になるのが一番好き

3.映像 大阪市内環状クルーズ
    八百八橋時代の水路を体験、水門による水位調整、低い橋の下を航行する工夫が面白かった
3.映像 中之島バラ園 2010
    リニューアルオープン後2年目の中之島バラ園は、都会的でオシャレになった
3.映像 中之島の天の川 2010
    LED球の数は昨年と変わらないが、より華麗で天満の子守歌のソプラノ・ソロがよく合っていた
3.映像 ケーブルテレビと映像機器の配線
    ケーブルテレビの番組を視聴する配線を見て、取説やWeb検索で調べ、その仕組みを理解した
3.映像 AVCHD BD制作技法 BD制作第1号
    孫の成長の記録として、デジカメでAVCHDのフルHDを録り、BDを作成するようになった技法
3.映像 らくだのダンスDVD
    出演したミュージカルの舞台写真を使って、スライドショー形式のDVDを作成した

4.PC Web記事の文書スタイル
    サイト開設後14年が経過したのを機会に、Web記事の文書スタイルを決めておくことにした
4.PC Web文書スタイルのテンプレート
    Web文書のスタイルを決めたあと、その実行に便利なように、テンプレートを作成した
4.PC 理想を目指したサイトのリニューアル
    現在掲載中の約340の記事全部を、新しく決めたスタイルで、リニューアルすることにした
4.PC アクセス30万回
    1996年8月15日の開設以来15年の期間を経て、2010年12月14日に30万回のアクセスがあった
4.PC 15年間のメールの整理保存
    メールソフトはExchangeほか3種類を使ってきたが、2001年よりBecky!2を使っている
5.旅行 香港旅行 2010
    医師会親睦旅行で参加し、観光した香港は、高層建築が密集し、強い心理的圧迫を感じた


2011年 75歳

●東日本大震災の年 孫娘3歳までの成長記録を完了した年

1.言葉 後期高齢同期の集い
    1962年に阪大第一外科に入局した8名の内2名が死亡、残りは後期高齢者となり5年ぶりに集合
1.言葉 地震のまとめ
    東日本大震災で地震の知識が欠けていることを痛感し、精度が高いと思われる情報をまとめた
1.言葉 東日本大震災から学ぶ
    人生の終わりの時期に、想像を絶する自然災害と人工災害を見聞し、学んだことをまとめた
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 関連 孫エッセイ
    膨大な孫娘3歳までの成長記録をまとめる前に、幾つかのカテゴリーでエッセイ形式でまとめた
1.言葉 ボーボとグランマ
    孫は私たち祖父母を「ボーボ、グランマ」と呼んでいるが、名前の由来と祖父母との関係など
1.言葉 かえるさん
    撮影したビデオを再生して、孫と妻との会話の様子を聞き取り、書き留めたもの
1.言葉 プライドのめばえ
    1歳9ヶ月の孫娘のプライドを傷つけたことを、撮影したビデオを再生して初めて知った
1.言葉 孫娘の反抗
    孫に反抗される親が可哀想で、私が意識して逆らうようにしたら、孫は戸惑い、反抗してきた
1.言葉 孫のふざけいたずら
    2歳9ヶ月の孫娘は、私にふざけ、いたずらをし、逆らい、困らせ、悪戯っぽい笑顔で楽しむ
1.言葉 人のこころの面白さ
    孫娘の成長過程で出現した気質というカテゴリーに分類した行動は、孫娘に特徴的だと思った
1.言葉 孫が初めて見た個展
    私の友人の奥方が開いた100号個展を孫が見た時の行動をビデオ記録し、それを分析した記録
1.言葉 ホモ・ファーベル
    孫の成長記録に、6月から作業というカテゴリーが出現、ホモファーベルに対応すると理解した
1.言葉 孫の遊びとホモ・ルーデンス
    孫の遊びから、こどもにとって「遊び」は本質的で価値があるものだということが理解できた
1.言葉 孫がことばを習得する過程
    孫は生後6月で通常の単語、11月でオーム返し語、1歳3月で複数語文を話せるようになる
1.言葉 孫と祖父母との人間関係
    祖父母は孫とともに遊び、楽しみ、喜び、見守り、感動をもらい続けてきた
1.言葉 孫と歌
    孫娘は生後11月から口笛人形の吹く「朝の3時に」という曲が好きで、鳴らし続けさせた
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 全目次
    孫娘3歳までの成長記録の19章と関連孫エッセイから成る
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 第1章:まえがき
    孫娘3歳までの成長記録を作りたいと思った動機
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 第2章:方法と構成
    孫娘3歳までの成長記録を作る方法と記録の構成
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 第3章:カテゴリー
    孫娘3歳までの成長記録を分析するカテゴリーの選択とそのサブカテゴリ(カテゴリ特性)
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 第4章:生活年齢ごとの特徴
    生活年齢ごとのカテゴリーとカテゴリー特性の行動を表示した
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 第5章:身体
    身体というカテゴリのサブカテゴリー(カテゴリ-特性)の行動を記録した
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 第6章:知覚
    知覚というカテゴリのサブカテゴリー(カテゴリ-特性)の行動を記録した
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 第7章:感情
    感情というカテゴリのサブカテゴリー(カテゴリ-特性)の行動を記録した
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 第8章:運動
    運動というカテゴリのサブカテゴリー(カテゴリ-特性)の行動を記録した
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 第9章:言語
    言語というカテゴリのサブカテゴリー(カテゴリ-特性)の行動を記録した
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 第10章:遊び
    遊びというカテゴリのサブカテゴリー(カテゴリ-特性)の行動を記録した
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 第11章:作業
    作業というカテゴリのサブカテゴリー(カテゴリ-特性)の行動を記録した
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 第12章:対人
    対人というカテゴリのサブカテゴリー(カテゴリ-特性)の行動を記録した
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 第13章:理解
    理解というカテゴリのサブカテゴリー(カテゴリ-特性)の行動を記録した
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 第14章:学習
    学習というカテゴリのサブカテゴリー(カテゴリ-特性)の行動を記録した
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 第15章:気質
    気質というカテゴリのサブカテゴリー(カテゴリ-特性)の行動を記録した
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 第16章:鑑賞
    鑑賞というカテゴリのサブカテゴリー(カテゴリ-特性)の行動を記録した
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 第17章:音楽
    音楽というカテゴリのサブカテゴリー(カテゴリ-特性)の行動を記録した
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 第18章:自我
    自我というカテゴリのサブカテゴリー(カテゴリ-特性)の行動を記録した
1.言葉 孫娘3歳までの成長記録 第19章:まとめ
    孫娘3歳までの成長記録をまとめ終えての感想
1.言葉 2011年の総括
    重点を置いたのは「孫娘3歳までの成長記録」とAVCHD動画BD作品4点の作成

2.音楽 ミュージカルとメル友ゴダイ
    らくだのダンスの著者、このミュージカルの作詞・作曲をされた五代文悟先生を偲ぶ

3.映像 HD動画のための静止画
    HD動画作成のための静止画を中心としたまとめ
3.映像 静止画より作ったHD動画の例示
    静止画を加工して作ったハイビジョン動画は、直接撮影した動画に劣らず実用的である

5.旅行 新幹線九州旅行 2011
    鹿児島まで開通した新幹線を利用して、鹿児島、熊本、福岡を旅行した
5.旅行 厳島神社
    九州からの帰り道、厳島神社に立ち寄った


2012年 76歳

●閉鎖したブログと掲示板の内容をまとめて記録した年

1.言葉 幼児の毎月の成長 誕生から3歳まで
    孫娘3歳までの成長記録をまとめ直したもの、目次のクリックで○歳○月のデータが表示される
1.言葉 9月に思う
    9について、9月から変えたこと、今日から変えたこと、これからについて
1.言葉 庄野先生卆寿お祝いの会
    小学4年庄野学級のクラスメートが東京に集まり、庄野千鶴子先生の卆寿を祝った
1.言葉 心に生きることば 補足 修正 追加
    今年で10年目となるのを機会に、キー・フレーズの補足説明と修正を加え、幾つか追加した
1.言葉 2012年の総括
    映像関係の基礎をまとめる、動画生産専用システムを探す、まとめていない分野の自分史を書く

2.音楽 63年ぶりのハーモニカ
    小学校6年時にハーモニカバンドの一員で学芸会に出た記憶があり、購入して吹けば、吹けた
2.音楽 リスト編曲ベートーベン第9交響曲
    リスト編曲のベートーベン第9交響曲のピアノ版とオーケストラ版との違いを書いた感想文
2.音楽 第4回コーラスコンサート 2012
    ハートリー合唱団とフックラックミュージックの合同開催
2.音楽 平均年齢81歳のロック・コーラス
    音楽教育を受けていない高齢者が、歌い慣れていないロックやR&Bを、見事に歌った

3.映像 色の勉強
    波長の違う二つの音は2つとして聴き分けるが、波長の違う二つの色は混合されて別の色になる
3.映像 私の静止画処理法
    1986年から取り組んできた静止画の処理法についてまとめた
3.映像 私の動画歴
    1942年から取り組んできた動画(ビデオ)の自分史をまとめた
3.映像 動画ファイル
    動画ファイルに関する基本的知識をまとめた
3.映像 ビデオカメラの規格
    デジタルビデオカメラの規格を、古いものから順にまとめた
3.映像 光ディスク
    記録用電子メディアとして、光ディスクは、CD、DVD、BDがほぼ10年間隔で登場した
3.映像 アナログ動画のデジタル変換
    過去に収録したアナログ動画(8ミリビデオ、Hi8、VHS、LD)を変換してデジタル化する
3.映像 動画関連の基本用語
    動画関連の基本用語をまとめ、解説した
3.映像 私の画像歴
    私の静止画像歴を、アナログ画像時代とデジタル画像時代に分けてまとめた
3.映像 嵯峨野・仁和寺・北野天満宮の紅葉 2012
    2011年と2012年の秋に、嵯峨野・仁和寺・北野天満宮の美しい紅葉を撮影した
3.映像 私の美術歴
    中学時代によく眺めた少年美術館全12巻を無傷で入手できたので美術歴をまとめる気持になった

4.PC ブログ・掲示板・ウエブサイト
    掲示板「BOWのひとりごと」を2000年に開設、ブログ「エンジョイBOW」を2006年に開設
4.PC 掲示板 BOWのひとりごと 全目次
    2000年〜2012年の時系列順全目次
4.PC 掲示板 BOWのひとりごと(1)
    2000年〜2002年の時系列順全記録
4.PC 掲示板 BOWのひとりごと(2)
    2003年〜2005年の時系列順全記録
4.PC 掲示板 BOWのひとりごと(3)
    2006年〜2008年の時系列順全記録
4.PC 掲示板 BOWのひとりごと(4)
    2009年〜2012年の時系列順全記録
4.PC ブログ エンジョイBOWの記録
    2006年〜2012年の時系列順全記録 目次付き

5.旅行 冬の伊勢志摩旅行 2012
    ハートリー合唱団のメンバーの親睦旅行で冬の伊勢志摩へ
5.旅行 美しき国スロベニア・クロアチア 2012
    2012年6月、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロを旅行した
5.旅行 旅をして考えたこと 2012
    旧ユーゴスラビア連邦4カ国を旅して考えたこと

8.設計 私の住宅デザイン
    設計は私がしたい大きなカテゴリーで、医院と居宅の新築、居宅の増改築ではそれに熱中した


2013年 77歳

●両親に関する記憶をまとめた年

1.言葉 10歳のころの遊び
    孫娘の「遊び」に圧倒され、自分のこどものころの遊びをふり返り、まとめた
1.言葉 子を亡くした母の心(手記)
    麻疹に罹り、わずか3日で我が子を亡くした悲しみを書き綴った母の手記
1.言葉 母の一生
    私の知っている母の一生を、私が母から受けた影響を中心に、まとめた
1.言葉 60年間の手紙の整理保存
    自分の人生に強く関係した交友の記録として手紙を保存する
1.言葉 4月に思う
    私の誕生日、誕生月に関わるいろいろな過去、現在、未来について思ったこと
1.言葉 喜寿になって知る父の影響
    父が作った環境から私が受けた影響は、予想以上に大きかったことを喜寿になって知った
1.言葉 庄野学級喜寿のクラス会
    敗戦の翌年、小学4年生をともに過ごしたクラスメートの12回目のクラス会に10名が参加
1.言葉 2013年の総括
    動画保存システム構築、動画制作システム開発、PC間のデータ転送にバッチファイル活用

2.音楽 メモリアル チャリティー コンサート in 大阪2013
    ハートリー合唱団・フックラックミュージック主催、第5回コンサート
2.音楽 歌好きのルーツは母の歌
    私の記憶にある母の愛唱歌25曲と遺された楽譜10曲
2.音楽 生きている喜び
    生きている喜びを存分に味わう経験をしたことから、過去の資料なども参考に、まとめを書いた
2.音楽 合唱曲の数字譜
    複雑な構成からなる合唱曲を理解し暗譜するために、数字譜を利用した
2.音楽 歌劇「アイーダ」演奏会形式
    私の一番好きなオペラ「アイーダ」を、スカラ座の演奏会形式の公演で鑑賞したが、最高だった

3.映像 ファイルベース時代の動画保存
    ファイルベース時代の現時点での動画保存の標準形式は MP4、それをマスターファイルとする
3.映像 動画制作システム DV-7HD
    1920x1080のHD動画を制作するシステムを構築し、動画マスターファイルも作っている

5.旅行 スイス旅行 2013
    妻の望むスイス旅行で、マッターホルン、ユングフラウ、モンブランを眺めた
5.旅行 東北旅行 2013
    かなり前から旅行したかった東北へ、3泊4日の旅をしたが、実りが多かった
5.旅行 冬の出雲・松江旅行 2013
    ハートリー合唱団の、お誕生会を兼ねての親睦旅行で、出雲と松江を訪れた

7.医療 ある患者への手紙
    60年間の手紙の整理保存を行った際に見つかった、私が患者に送った手紙のコピー


2014年 78歳

●石巻演奏旅行を行った年

1.言葉 天からの啓示?
    私の人生で最も鮮明に記憶に残っている不思議な現象につき、その発生メカニズムを考察
1.言葉 2014年の総括
    重点を置いたのは、石巻での復興支援交流コンサート、サイト掲載記事の検索順位調査

2.音楽 男声カルテット GNT4 デビュー 2014
    82歳の神谷文雄、77歳の野村 望、21歳の内倉和真、19歳の山本真輔の男声カルテット
2.音楽 ミュージカルと私
    1950年14歳から始まって、2012年76歳までの62年の間、観てきたミュージカル
2.音楽 私の好きな映画音楽
    映画音楽を最も多く知ったのは14歳から23歳の1950年代で、全体の50%、61曲もある
2.音楽 第6回コンサート 2014
    東北の被災地石巻市から、3名のお客様をご招待してのコンサートであった

3.映像 エルミタージュ美術館 ほか 2014
    これまで36の美術館を訪問しているが、世界三大美術館のエルミタージュは未訪問だった
3.映像 デジカメによるハイビジョン動画
    孫の成長記録は動画撮影に限るが、大きなカメラは不向きで、小さなデジカメが最適

4.PC Google 検索上位タイトル
    サイトに掲載の420件の記事で、検索で1から10位に表示された上位323件のタイトルを分析

5.旅行 ハートリー合唱団 石巻演奏旅行 2014
    ハートリー合唱団は石巻市への演奏旅行を行い、石巻ジュニアリーダーの8名もこれに参加
5.旅行 ロシア旅行 2014
    ロシアは一番嫌いな国だが、かって世界を二分した超大国を一度は訪れたいと思ってきた

7.医療 白内障手術体験記
    白内障の手術を受け、見える世界が20%以上明るくなり素晴らしい

7.医療 頚椎症性神経根症を患う
    手術でなく保存療法を選び、自然と回復した

7.医療 私の補聴器使用法
    補聴器は眼鏡とは比較にならぬ超精密機器であり、聴力の向上には限界がある


2015年 79歳

●聴力低下が顕著になり始めた年

1.言葉 私にとっての記録
    日記を書いたことがないという記録好きにとって、記録の意味は何かを考えた
1.言葉 奥村先生を偲ぶクラス会
    1946年に戦後最初の新学期を高羽小学校4年庄野学級の生徒として迎えたクラスメートは
    前年亡くなられた恩師庄野千鶴子先生を偲ぶクラス会を開いた
1.言葉 2015年の総括
    重点をおいたのは、サイトに掲載する記録の充実と新人若者歌手デビューの応援だった

2.音楽 第7回コンサート
    今回のコンサートは演奏レベルが高く、28曲を2枚のCDに、11曲をBDとDVDに残した
2.音楽 内倉和真・山本真輔 デビュー ライブ 2015年8月9日
    2年前、平均年齢79歳のハートリー合唱団員のレッスンに加わった若者二人のデビュー ライブ

3.映像 大川沿いの桜
    自宅の近くを流れる大川沿いを散策し桜を眺め、写真で記録に残した
3.映像 98画像の変遷(改訂版)
    MS-DOS PC時代に使われた静止画像の変遷、発展をまとめた

4.PC 私の電気通信歴 固定電話からスマートフォンまで
    携帯電話から変えたスマートフォンをよく理解するため、電気通信のあらましを調べた

5.旅行 ケルン・オランダ・ベルギーへの旅 2015
    前年から老化(特に聴力)が急に進んだので、行ける間に海外旅行をしようとこの旅を選んだ
5.旅行 真夏のスペイン旅行 1995
    1995年のスペイン旅行の記録は動画だけなので、旅行記として文章と写真で保存することにした
5.旅行 秋のスペイン旅行 2015
    老化が進み、最後の海外旅行になるかもしれないと思って、選んだ国がスペインだった
5.旅行 真夏のイタリア旅行 1992
    私たち夫婦の最初の海外旅行イタリアの記録は動画しかなく、これを文と写真の旅行記にした
5.旅行 真夏のドイツ・オーストリア旅行 1997
    3回目の海外旅行ドイツ・オーストリアは、デジカメ写真のCD保存だけなので、旅行記にした

7.医療 医療関係論文目録
    「医学学術論文」の中に「医療関連論文」に含める方が適当な論文を見つけ、それに対応した
7.医療 医師2年目から3年目までの診療症例 1963.6〜1965.6
    医師になって2年から3年の間に、出張先病院で診療した中で、重要と思う250症例を記録した


2016年 80歳

●サイト開設20周年の年

1.言葉 傘寿に思う
    オマケの人生に入っても自覚がなかった体力の衰えを、3年前から感じるようになった
1.言葉 ボージョレヌーボ解禁日に飲む会
    聴力低下がひどいので、20年続いたボージョレヌーボ解禁日に飲む会の最終回にして頂いた
1.言葉 2016年の総括
    重点をおいたのは、BDレコーダ中心の映像視聴システムを作ることだった

2.音楽 第8回コンサート
    今回のコンサートでは鑑賞に徹し音声と動画記録に関わらなかったので、記録は私の感想ばかり
2.音楽 歌の発声 メカニズムを中心に
    コーラスを退団する機会に、歌の発声、特にそのメカニズムを詳しく知りたくなり、まとめた
2.音楽 ハートリー合唱団12年のあゆみ
    コーラスを退団する機会に、ハートリー合唱団12年のあゆみを、できるだけ詳しく記録に残した
2.音楽 コーラスを退団
    聴力低下が急速に増し、在団を続けて合唱団の楽しい思い出に傷がつくことを恐れ、退団した

3.映像 友の水墨画個展
    解剖実習グループ6人の中で生きているのは浜田辰巳君と私の二人だけになった。
    その彼が水墨画の個展を開いたので鑑賞したが、素晴らしい作品に感嘆した。良く生きている!
3.映像 BDレコーダ中心の映像視聴システム 
    BDレコーダを中心とした、ホームシアター的な映像視聴システムを構築した

4.PC サイト開設20周年 
    2016年8月15日をもって、当サイト(ホームページ)は開設20周年を迎えた

5.旅行 ポーランド旅行 2016
    老化で海外旅行が難しくなるかも知れないが、アウシュヴィッツだけは訪れようと考えた旅行

6.出版 サイト内容のDVD記録 
    私の人生の記録の多くは、このサイト内の記事にあり、それを記録したDVDを定期的に作成する


2017年 81歳

●人生まとめのとき に入った年

1.言葉 人生 まとめのとき
    人生 まとめのときに入ったことを自覚し、自分の人生のあらましの記録を残したいと思う
1.言葉 野村 望 年譜
    自分の人生のあらましの記録の一つとして、野村 望 年譜を作った

4.PC サイトのハイパーリンク
    サイトの記事には、出版では得られないハイパーリンクという優れた特質がある
4.PC 私のパソコン歴
    パソコンを道具として使って作った年度単位の作品歴を3つの時代に分けて紹介した

5.旅行 ハンガリー・スロバキア・オーストリア・チェコの旅 2017
    30歳近くのころ先輩医師から聞いた「優秀なチェコの軽機関銃」が頭に残り、チェコに旅行した
                                           


5.まとめ

1.私のパソコン歴を、パソコンを道具として作った作品歴と定義し、年単位でカテゴリ別に配列した

2.その時代を、パソコン使用までの準備期間、MS-DOS PC時代、Windows PC時代の3時代に分けた

3.Windows PC時代より前の二つの時代については、歌と思い出の記事を出典とした

4.Windows PC時代の作品は、このサイトに掲載している記事そのものである

5.作品の名前の下に、全角34文字以内の内容説明文を付け、開かなくても内容の見当がつくようにした

6.私にとって、パソコンは創作の道具として最高に有用であったが、時に恵まれたことに感謝している

7.パソコンを含め、IT機器の発展が年を追うごとに猛烈に加速することに唖然となる

8.未来については、関心はあるが、もう私の課題ではないという思いが、時が過ぎるほど強くなっていく

9.私のパソコン歴をまとめて、「運は時なり」ということばが、私の心の中で生きるようになった


<2017.8.3.>

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