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2013.12.22. 掲載
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目次
はじめに
出雲までの道中
出雲大社
ホテル一畑
堀川めぐり
松江城
大根島の由志園
まとめ
今年はハートリー合唱団が生まれて10年目、私は2007年から入れていただいているので、8年目となる。お誕生会を兼ねての親睦旅行は、今回が2回目。前回は、昨年2月の伊勢志摩旅行だった。
今回の行く先として、60年ぶりに「平成の大遷宮」が行われたばかりの出雲大社を参拝することに決まった。神社参拝は、昨年の伊勢神宮参拝に続くが、私には興味がある。
この合唱団のメンバーは、70歳から82歳の9名で、平均年齢は私の年と同じ77歳、うち男声は2名、指導してくださる新森美加先生は、今年還暦を迎えられた。
観光バスは30人乗り、ゆったりと心地よく移動して、出雲・松江旅行を楽しんだ。
出雲までの行程は、守口市(京阪駐車場)→近畿自動車道→中国自動車道→米子自動車道→(松江で昼食)→山陰自動車道→出雲で、トイレ休憩と昼食、観光地以外はバスに乗ったままなので楽だった。
1957年、21歳の夏、所属していた大学の男声合唱団の演奏旅行で、松江に初めて来た。そのうちの数名と船を漕ぎ、この嫁が島へ上陸したことを思い出す。古いアルバムから、その時の写真を見つけた。
私は、これまで、コーラスを教養課程の2年間だけ続けたと思い込んできたが、専門課程の1年間もまだ続けていたことを、この写真から知った。お蔭で記憶がいかに不確かなものであるかということを学んだ。
松江は300年間、この橋1本で北と南を結んできた。この橋は昭和初年に完成したものである。 56年前の深夜、コーラスの連中数名と、この橋の欄干から揃って放水をした記憶がある。思えば、誰もが二十歳前後、若かった。
掘りごたつのない座敷のため、座ることのできないメンバーがかなり居て、部屋に椅子を運び込んでもらった。料理は美味かったが、高い椅子、低い机が不便で不似合だった。
私たち平均年齢77歳のメンバーには、和室が不向きであることを昼食で知った幹事さまは、添乗員を介して、ホテルと何度も交渉を重ね、オシャレな洋室に変更してもらった。
お蔭で、お誕生会を兼ねた晩餐会は美味しく楽しく終わり、そのあと、コーラスとしては初めてのカラオケも、爆笑の連続であった。幹事さまのご尽力に対して、大幹事長の称号が拍手のうちに謹呈された。
五層の最上階までの階段は勾配が厳しく、殿様も大変だっただろうと同情した。最上階は手すりを巡らし、壁のない360度展望のきく望楼で、展望台・司令塔の役割をしているとのことだ。今は窓にガラスがはめられ、望楼に出ることはできない。
1.私はこれまで出雲大社へ2回、松江には5回旅行している。その最初は、今から56年前、21歳の時の男声合唱団の演奏旅行だった。嫁が島、松江大橋、松江城、出雲大社で、その時のことを思い出した。
2.帰宅してアルバムを見ると、これまで2年間合唱団に在団していたと思い込んでいたのが、3年間であることを知った。いかに私の頭、記憶が不確かであるかを証明されたのである。これには参ってしまったが、記憶というものは、案外そのようなものかも知れないと思い直すことにした。
3.平均年齢が77歳というこのコーラスのメンバーは、声も気持ちも若いが、階段の昇り降りや、座敷に座ることは苦手であることがよく分かった。椅子、座椅子、掘り炬燵などであれば、座るのに問題はない。
4.何度か旅をしたことのある出雲・松江地方であるが、今回が一番気楽で、楽しく、新しい発見もあった。これは新森先生のお人柄の影響が大きいと思うが、メンバーの一人一人が、人生をエンジョイしようとされていることも、大いに関係していると思う。
5.天気予報は2日とも雨だったが、出雲大社で10数分小雨にぬれたほかは、観光中に雨はなかった。
6.高齢者集団でありながら、誰一人身体に不調を来すことがなく、無事帰阪できたことが幸せだった。
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