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心に生きることば

−BOWの人生哲学−

第3章:教育

2002.06.21. 掲載
2008.11.11. 追加
このページの最後へ

   章内目次

01<潜在能力> 02<気質> 03<学校教育>
04<家庭教育> 05<自己教育> 06<教育雑感>
07<学習> 08<褒める> 09<説明>
10<プレゼン> 11<マニュアル>  

心に生きることば 全目次
第2章:欲求 ←            → 第4章:行動

教育の本来の役割は、個人の持ついろいろな潜在能力を引き出すことである。しかし、教育ということばから受ける印象は、人を教えることが中心となり、才能を引き出す、才能を育てるという面があまり感じられない。また、すぐ「教育が悪い」と、教育に責任を負わせる風潮を見るにつけ、世間は、教育に過大の期待をしているのではないかと思う。


01<潜在能力>

1. 潜在能力は平等ではない(望)

個人のもつ潜在能力を引き出す場合、これを、1)本人の潜在能力、2)本人の気質、3)教育の三要素に分けて考えることができる。本人の潜在能力には、当然個人差があるが、この差を無視して、人はだれも平等な能力を持っているとの前提に立ち、教育方法が適切であれば、高度の能力を引き出すことができるはずだ、と教育を重視する人たちは思うようだ。素質よりも環境を重視する立場は、不思議にアメリカとロシア(旧ソ連)に多い傾向にある。


02<気質>

「気質」を「潜在能力」と区別して考えるのは、潜在能力を充分発揮できるようにする要因として「気質」が重要であると思うからだ。この「気質」にも、個人個人で違いがあることを、教育を重視する人は、無視するか軽視しているように思える。

1. 賢愚は気質による(司馬遼太郎)

「潜在能力」が同じでも、熱中したり、集中したり、全力投球できるという「気質」がなければ、その能力を十二分に発揮することはできない。むしろ、この「気質」は「潜在能力」以上に重要ではないかと思える。この集中力などを「したい」時、あるいは「しなければならない」時に発揮できるという「気質」が大切で、司馬遼太郎が「賢愚は気質による」と述べたのは、正しいと思う。持って生まれた「頭の良さ」よりも、「やる気」の方が、より大事だというわけである。

2. 親は無くとも子は育つ(諺)

このことわざは、「世間は見殺しにしない、助けるものはいる、渡る世間に鬼はない」というのが本来の意味だろう。これを、環境が悪くても、本人の「潜在能力」と、努力する「気質」があれば、「潜在能力」を充分発揮することができる、という意味に解釈することもできる。「育つ者は育つ、育たない者は育たない」という、個人の「気質」と「潜在能力」の方を高く評価する立場で、私もこちらを選ぶ。

こどもの持って生まれた素質は、環境や育てかたでは変わりにくいという事実を、第1章 08<素因と環境> 1. 泣く子、笑う子、怒りんぼ(望)で報告したが、これは開業して約30年間で、2卵性双生児の兄弟数組、3卵性三つ子1組の成長を見てきた結論である。


03<学校教育>

教育を、学校教育、家庭教育、社会教育、自己教育の4種類に分けて考えるべきではないかと思うが、「教育=学校教育」と一般には考えられているのではなかろうか? それには、一定の正しい教育方法を行えば、生徒の能力が伸びて個性が開発されるはずだという前提があり、教育方法を改善、改革することによって、教育の問題の多くが解決されるはず、と思っているようだ。しかし、私は学校教育には、昔からあまり期待をしないで来た。

1. できる者はする、できない者が教える(バーナード・ショー)

できる者はする、できない者が教える。Those who can do,and those who can't teach(Barnard Shaw)

このことばを、私は大学受験の頃に知った。皮肉屋のバーナード・ショーらしい表現ではあるが、なるほどと共感した。これは、朱牟田夏雄「英語の學び方」至文堂に載っていたもので、この本から学んだ幾つかの英語のフレーズによって、その後の私の生き方や考え方は、かなり影響を受けていると思う。

50年ばかり昔に読んだこの本を取り出してみると、酸性紙のためか、バラバラにページが外れていて、1952年刊、定價金百五拾圓と旧字体で印刷されている。

優れた英文学者として名高い朱牟田夏雄も、当時東大教養部の助教授だった。この本は、高校上級から大学初年の層を対象に、英語の学び方を例文を挙げて説いている。このバーナード・ショーのフレーズでは、以下のように「do」が省略されているものとして、読むことを教えるものだったが、私はフレーズの意味するところの方が、興味深かった。

Those who can do do, and those who can't do teach

2. 馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない(諺)

You can take a horse to the water, but you can't make him drink.

このことわざは、馬のような従順な動物でも、その気がなければ飼い主の命令に従わないものだ、まして、人間が不本意な指示命令に従わないことがあっても当然だ、という意味だろう。このことは教育についても当てはまり、いくら周りが一生懸命になって勉強をさせようとしても、本人にやる気がなければ効果はない。

そのやる気だが、それを起こさせるようなうまい方法があるわけはなく、人によりさまざまであり、むしろやる気を起こさせようと働きかけることが、逆効果になることもあるだろう。その中では、「ほめる」「したいことをさせる」「達成感を感じる経験をさせる」などが、やる気を起こさせるのに効果があるかもしれない、という程度のものではないだろうか?


04<家庭教育>

第1章人間 04<子供>のところに、私が思うことを書いた。


05<自己教育>

1. 教えてもらうのは嫌い、教えるのは嫌でない、自分でするのは大好き(望)

私はこどもの頃から、人に教えてもらうのが嫌いだった。自分で本を読んだり、調べたり、考えたり、作ったりする方がよほど好きだったが、内科を開業して、成長途中の子どもの中に、親の手助けを嫌い、それに怒る子どもがいることを知って、嬉しくなったことが幾度かある。親の助けを借りず、自分ひとりでやり遂げたいという欲求を持った小さな子どももいるのだ。

自己教育は、自分から進んで学ぶという点では独学と似ているが、自分独りの環境を意味しない点では、独学とは異なる。優れた環境の中にあって、自分から積極的に学び、考え、自己の能力を発揮させようとする教育を、自己教育と考える。それに対して、独学は往々にして独り善がりになり、偏りやすい危険があると思う。

教えてもらうのは嫌いだが、教えるのは嫌いではない、どちらかというと好きな方だ。もちろん、教えたがりではないし、自分独りでする方がはるかに好きではあるのだが、この傾向が生まれつきなのか、それとも、大学に入ってインターンまでの7年間、ずっと家庭教師のアルバイトをしてきたことによるものなのか、判然としない。


06<教育雑感>

1. 人は教えている間に学ぶものである(セネカ)

私は教えることが嫌ではないので、教えることが多かった。そのときに何時も思ったのが、この「人は教えている間に学ぶものである」ということばの正しさである。人に教えようとすると、自分で分かっていたつもりのことが、よく分かっていなかったり、正確でなかったりすることに気付き、勉強をする。だから、自分の知識の整理のためにも、人に教えることは有用であると思う。

2. 教育とは学校で習ったことを全て忘れた後に残っているところのものである
                               (アインシュタイン)

このアインシュタインのことばも、よく理解できる。個々の細かな知識などではなく、学校、教師、友人、教材、その他いろいろな生活環境の中で身についたものが、学校教育の本質で、これは独学では得られないものだと思う。


07<学習>

1. 総論→各論→総論→各論の循環で理解は深まる(望)

新しく何かを本気で学ぶ、理解する、あるいは習得しようとするとき、基本を徹底的にマスターしてから次に進む、というやり方はしないで来た。人間の理解力というものは、少なくとも私の場合、「基本」を大雑把に掴んで「実地」に当たり、そこから「基本」の意味を理解し、一段レベルが上がったところで「実地」に臨む、この循環によって理解を深めることが多かった。

言いかえれば「基本→応用→基本→応用」「解説→実行→解説→実行」がくり返えされる度に、理解が深まると思っている。

それに対して、一段一段と基礎を積み上げていく学習法を勧める人たちがいる。また、それを信じる人も世の中に多いが、愚の骨頂ではないかと思ってきた。学習を、石垣を積み重ねるとか、ピラミッドを作り上げることに喩えるから、そのような単純で、もっともらしい学習法を考えつくのだと思う。

2. learning by doing(諺)

この英語のことわざは、わが国の「習うより馴れよ」という諺に近いと思う。いろいろ予備知識を得ることに時間を費やしたり、習ったりするよりも、先ずは実際に実行してみることの方が効果がある。これは新しい技術を習得する場合の、最も効率的な方法である。

3. 案ずるより産むがやすし(諺)

これも、いろいろ思案をしたりするよりも、実際にやってみるのが良い、という生活の知恵である。

4. 一度教えたことは、二度は教えない(自動車教習所の教官)

私が66年の人生で一番頭にきたのは、今から40年前、自動車運転教習所の教官に、「一度教えたことは、二度は教えない」と叱られたことばだ。これに猛烈に反発し、「お前なんかに教えてもらうもんか」と、自習用の教則本を買ってきて勉強した。その結果、卒業試験の成績は98点くらいだったと思う。車というものが身近になく、タクシーに数回乗ったのが、車の運転を実際に見た全てという時代でのこの成績は、かなりスゴイことだったのではなかろうか?

このことばは、反面教師として私に有効に作用したわけだが、このような経験は二度としたくはない。


08<褒める>

「褒められる」ということは、人生のあらゆる場面で、人が才能を発揮するための原動力になり得ると思ってきた。この教育の章で取り上げるが、もちろん教育に限るものではない。

1. してみせて、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ(山本五十六)

名将の誉れ高かった、山本五十六元帥のことばとして、知られている。連合艦隊司令長官として、旧日本軍の最高の地位にあった者にして、このように褒めることの大切さを述べていることに感慨を覚える。

2. 見て見て(望)

私は何か新しいものを作ったときに、誰かに見てもらいたくて、バタバタと駆け込んで「見て見て!」と息せき切って叫ぶことが多い。結婚するまでの対象は母だった。母が亡くなり、結婚してからはそれが妻に代わった。

最近Webサイトに何か新しいことを載せたときなどは、特定の人にメールを送るとか、掲示板に即刻書き込みをすることもある。ご迷惑なことなのに、何人かの方が、それに応えてくれる。

母はそのときに、「やっぱり兄ちゃんね」と誉めてくれることが多かった。それを聞くだけで、満ち足りた気持になり、興奮は収まるのだった。

バカみたいな話だが、こどもの頃から還暦を過ぎた今でも、同じことをくり返している。しばらくの間は得意になり、そして急速に冷めていくのだが、この何かを創り上げたときの充実感あるいは達成感が、何よりも嬉しく、誰かに知ってもらいたいと思ってしまう。

3. やっぱり兄ちゃんね(野村まさゑ)

母は何か私が良いことをする度に、「やっぱり兄ちゃんね」とほめてくれた。それは口ぐせのようでもあったが、妹や弟がそのようにほめられていた記憶はないので、私は特別だったのかも分からない。しかし、何でも自分に都合の良いように解釈する性格なので、あんがい、私の思い込みに過ぎないのかもしれない。いずれにしても、このことばから、私は人生でもっとも大きな影響を受けたのではないかという気がする。

4. ほめられると何でもする人(野村経子)

ある時、医師会関係の仕事だったと思うが、ほめられた後で新たに別の仕事を頼まれ、それを引き受けてしまった時、呆れた妻が発したことばが、「あなたはほめられると、何でもする人ね」だった。それほどバカでもお人好しでもないのだが、やはりほめことばに弱いところがあるのかもしれない。

私は母からほめられて育ったが、妻からは、叱られることはあっても、ほめられたことは滅多にない。叱られると、なにくそと頑張るから、成果は出るが、それは自分にかなり自信がついて来た時期だから良いので、もし若い頃これをやられたら、スポイルされてしまっていたであろう。

5. ほめ上手は、ほめられるのが好き(望)

ほめ上手と言われる人をよく見ていると、自分もほめられるのが好きという人が多いようだ。しかし、逆は必ずしも成立せず、ほめられるのが好きで、けなし専門の人も見かける。

6. 下手なほめことばは逆効果(望)

「ほめる」ということは、それほど簡単なことではない。相手が評価して欲しいと思っていることを、適切に表現してほめるなら、相手に感動と満足感を与えるが、評価して欲しくないことを過大にほめたりすれば、逆効果になり、不快とか軽蔑の感情を起こさせるだろう。また、意図的に相手の嫌がることをほめそやし、公開することを、「ほめ殺し」というのではなかろうか?

7. スゴイ○○が、スゴイスゴイ○○になった、スゴイ!(望)

これは、私が親しい人に、あそび心を持って捧げる最大限のほめことばで、原型は、あるパソコンのCMのコピーである。これまでに、このほめことばを献呈した方は数名もいない。


09<説明>

うまく説明をして相手に理解してもらうことは、教育だけでなく、世の中の色々な分野で重要である。私は家庭教師として7年、医師として40年、説明を必要とする仕事に携わってきた。それだけでなく、私は「説明」という行為がなぜか好きなので、これまでに「説明」について気をつけてきたことをまとめておく。

1. 図式化(望)

分かりやすく説明をすることを常に心がけてきたが、具体的に言うと、まず、図式化できるものは図式化して説明するようにしてきた。これは、私自身が図解したり、図式化する方が分かりやすいという頭の構造から来ているところが大きいのだろう。

開業してから、説明用に図式化してきたことを羅列してみると、カルテに書く所見も、図解できるものは図示することにしてきた。中でも1)口の中とのど、2)腹、3)背中、4)腰、5)尻、6)顔と頭については、必ず図を使って書いている。そのほか、心電図の説明、レントゲン写真(胸、心臓、胃)、病気の説明を図解して説明することが多い。

開業して間もなくの頃から、病気の図解入り説明のパンフレットを自分で作り、使ってきた。86年に、日経メディカルの第1回病院PR誌コンクールがあり、これらのプリントで応募したところ、入選することができた。

当時、説明用のパンフレットなどはほとんどなかったが、最近では、おびただしい量のパンフレットが、薬品メーカーなどによって作られているのを見るにつけ、当院はそのはしりであったことを思う。

2. 百聞は一見に如かず(諺)

聞いて分からないものも、見れば簡単に分かるということはよくあることだ。「百聞は一見に如かず」という日本のことわざや、「 Seeing is believing 」という英語のことわざは、洋の東西を問わず、人間の知覚と理解の特性を表していると考えて良いだろう。

この点では、開業以来診察机の前の本棚の、一番手の届く位置に、身体や病気の写真、絵の載った図書を並べ、それを使って説明してきた。また、それに役立つ書籍を、絶えず注意して収集してきた。

そのほかに、診療机の前の本棚には、診察した患者さんの病気をポラロイド写真で撮影した疾病図譜を20冊並べている。これは、開業して4年目から6年目(77年から79年)にかけて、診察した病気の写真をまとめたもので、1冊30〜40枚の写真が収められている。

そのタイトルは、1)ムンプス、耳下腺炎、反復性耳下腺炎、2)顔面神経麻痺、3)舌炎、4)伝染性紅斑、5)溶連菌感染症、6)単純ヘルペス、虫刺症、伝染性膿痂疹、7)頚部急性リンパ節炎、8)麻疹、9)風疹、突発性発疹、10)水痘、11)手足口病、12)帯状ヘルペス、13)蕁麻疹、14)薬物アレルギ―、15)接触性皮膚炎、16)紫斑病、17)カルブンケル、フレグモーネ、18)汗疱状白癬、19)女性乳房、20)爪異常、である。

これらの写真は、実際に診療した病気の写真であるため、説明に説得力があり、また同じ病気でありながら、症状は種々様々であることを理解してもらうのにも非常に有用である。

ポラロイド写真にしたのは、撮影と同時に写真をお見せして、不都合なところが写っていないことを確認していただくためだった。患者さんにお断りして撮影を2年間続けたが、あそこの医院に行くと写真を撮られるとの噂が広まり、来院を敬遠される患者さんが出てきたのは、致し方あるまい。この疾病図譜は、20年以上過ぎた今でも重宝している。

86年夏から、診療机の前に置いたパソコンのモニターに、からだの図解、病気の写真や図解などを表示して、患者さんに説明を始めた。パソコンを購入してちょうど1年目で、スキャナで画像をとりこみ、お絵かきソフトを使って病気の図解の絵を作るなどによって、200枚以上の画像を作成した。これをメディカルCGライブラリとして、ハードディスクに保存し、診察の必要に応じてこれを使って説明をした。

86年というのは日本で民生用スキャナが発売された記念すべき年で、当時このような医用画像を作っているものは他には居なかった。

そのほか、人体模型や病気の模型を手許近くに置き、これを使って説明をすることも多い。よく使うものから順に書いていくと、1)心臓の模型、2)胃の模型、3)胃潰瘍の模型、4)腰椎の模型、5)頚椎の模型、6)動脈硬化の模型、などがある。

3. 説明はやさしいことばで(望)

難しいことばや専門用語などをなるだけ使わず、日常で使われていることばをできるだけ使うように、心がけてきた。難しいことを難しく説明するのに努力は要らないが、難しいことをやさしく説明するには、いろいろ努力が必要である。

4. 説明は簡潔に(望)

やさしいことばを使ったとしても、それがだらだらと長くて、要領のえない説明では困る。簡潔、簡単明瞭こそが説明のキーポイントだと思う。ここでも、第2章:趣味 12<デザイン>のところで書いたキーフレーズ「Simple is best」が重要だと思っている。

長文の説明を、短いキーフレーズにまとめる、それをさらに圧縮してキーワード、コンセプトにまとめるという形で私はものごとを理解する習性があるようだ。頭がシンプルにできているので、複雑なことにはついていけない、簡単な形に分解して、ようやく、飲み込めるのだと思う。

5. 相手の反応を見ながら説明を工夫する(望)

この「相手の反応を見ながら説明を工夫する」は、そうありたいと思う自戒のことばで、時々、自分では分かりやすく説明をしたつもりが、独り善がりに終ってしまっているのを知り、がっくりくることがある。

6. 先生は早口だから年寄りはついていけない(A.K)

この「先生は早口だから、年寄りは話についていけない」は、1987年10月に、近くの公民館で「成人の心臓病」という演題の講演をしたあと、その講演を聞いた患者から言われたことばである。この時、パソコンを使ってたくさんのスライドを作り、自信満々で、分かりやすく心臓病の講演をしたつもりでいた。

ところが、感想を尋ねたところの返事がこれだった。かなりショックは受けたが、良いことを教えて頂いたと感謝し、以来、気をつけるようにしている。しかし、元来が早口でせっかち、それが興に乗ると余計に早口になるので、なかなか守られないのが正直なところである。

「説明」とは、自分が言いたいことを言うのではなく、相手が分かることを分かるように言うのでなければ、自己満足以外の何ものでもなくなる。しかし、分かっていても実行はなかなか難しい。

年寄りの仲間入りをした昨今、耳も遠くなり始め、視力も落ちてくるようになると、相手のことが気になり、ゆっくり大きな声で話すようになってきた。説明を理解するのに必要なスピードがあるということが、実感として分かるようになってきたようだ。


10<プレゼン>

「説明」に関連して、ここで「プレゼン」「プレゼンテーション」についても触れて置く。私にとって「プレゼン」といえば、学会や講演用のスライド作成とその発表になるが、学会発表とは現在はほとんど無縁となったので、専ら講演や説明会ということになる。

私は大学にいた頃から、スライド作りが好きで、自分の学会発表用スライドはもちろん、友人のスライドまで手作りで作ってきた。当時はスライド原図を、レタリング・セットなどを使って手書きで作り、これをスライド制作店へ持っていって、青地白文字のブルースライドを作ってもらっていた。

1985年にパソコンを始めてからは、パソコンでスライド原図を作り、このCRT画面をリバーサルのカラーフィルムで撮影して制作するようになった。

1997年に市民講座で講義をした時から、パソコンを会場に持ち込み、パソコンを直接操作して「プレゼン」を行うようになった。当時からパワー・ポイントを使用してきたが、最近のこのソフトの進展は目覚しく、また、一般への普及も著しい。今や「プレゼン」=パワー・ポイントの感がある。確かにこのソフトは「プレゼン」のツールとして、便利この上なしにできている。

しかし、この優れた技術に振り回され、このツールの華やかな機能のデモに目を奪われるが、肝腎のコンテンツの理解に役立たないばかりか、マイナス効果の「プレゼン」に接することも多い。「プレゼン」の本質は、自分の伝えたい内容を相手に理解、納得してもらい、相手を説得することにあるのだから、本末転倒と言えよう。

1. まずストーリーを作る(川島康生)

1966年に心臓外科グループに配属され、学会発表も増えて行ったが、その頃、私たちのグループのリーダーだった川島康生講師から、学会発表のためのスライド作りの要点として、「まずストーリーを作る」ということを学んだ。これは私にとって新鮮な驚きで、「プレゼン」の方法の基本を身につけることができた。

それまでは、データを並べ、スライドを作り、その中で使えるものを組み合わせてストーリーを作っていたが、まずストーリーを作り、それに合わせてスライドを作って行くという逆の発想が新鮮で、また、よく納得できたので、以来学会発表だけでなく、まとまった文もこの方法で書くようになった。


追加項目(2008/11/11)

11<マニュアル>

「マニュアル」については、第4章:行動 14<成功>の項目 で、7.「 成功経験をマニュアルにする」として書いているが、この第3章:教育では、一つの項目としてまとめて置きたい。それは、私ほど「マニュアル作り」を行なってきた者は、あまりいないのではないかと思うからだ。

マニュアルと言っても、教育を目的とする本格的なものから、手順集のようなものまであるが、いずれも実用を目的としている。

手許に残っている最初のマニュアルは、大学にいたころ(1970年前後)に、「人工心肺操作の実際ー特に直視下心臓手術に関してー40ページ」、「圧規制型レスピレーター使い方の実際74ページ」、「心臓外科術後患者管理メモ28ページ」、「人工心肺回路OU型シリーズの使い方16ページ」を学生や看護師、技師のために書き、「電話の話し方 17ページ」を研究室の事務員のために作った。

開業してからは、職員用にレセプトコンピュータの使い方から始め、野村医院勤務マニュアルに発展し、8版まで改訂した。これが、ある医療出版社の目に留まり、医院勤務者の実務マニュアルとして出版された。

このサイトに掲載しているマニュアルのタイトルを、サイトマップで順に調べて、以下の50タイトルが確認できた。掲載タイトルが現在450なので、その11%を占める。中でもパソコンと動画技法に集中している。

その50タイトルの中で、職員などの教育用マニュアルの類はわずか4タイトルしかなく、残りは自分のための手順集である。「私はこのような手順で問題に対処しました。もし、良ろしければ、この手順をご利用下さい」というものばかりである。

もともと記憶力に劣る方だが、年齢を重ねるごとにその程度はひどくなり、時間をかけ苦労して得た結果を、1日も経たずに忘れてしまうことがしばしば起る。そして、最初から同じことをくり返してしまう。

それを避ける老人の知恵として、自分のために記録することを行なってきた。自分のためだからと言ってメモ程度にしておくと、あとでチンプンカンプン、何を書いたのか分らなくなることを何度も経験した。そこで、他人が読んで分る正式なマニュアル形式にすることにした。それを10年以上も続けている。

以下、このサイトに掲載している 2008.11.11. 現在のマニュアル形式のタイトルを列挙しておく。

<ことば>
●その他の記録
勉強覚え書き 
私の「(超々)整理法」  
●言語
BOW式英語音声表示記号

<音楽>
●記譜法
実用abc譜  
abc譜のABC

<映像>
●動画技法
アナログテープのデジタル保存
DVD制作第1号で使った技法  
DVD制作の小さな工夫  
アナログディスク(LD)からのDVD作成  
VHSビデオからのDVD制作  
TV番組からのDVD制作  
スライド・ショーDVDの制作  
実用ハイビジョン・ビデオ(1)撮影  
実用ハイビジョン・ビデオ(2) カット編集  
実用ハイビジョン・ビデオ(3)特殊編集

<パソコン>
●DOS時代
BOWの98画像初心者用講座  
私のパソコン活用法
●PCハード
スキャナーの使い方  
実用解像度  
PCオーディオの基礎
●PCソフト
筆まめへの移行  
Windows XPに合わせたPCカスタマイズ  
XPの「ブリッジ接続」は大きなお世話
●ウエブ・サイト
ホームページの白文字印刷法
BOWのWeb検索ミニマム
●メール
Outlook Express と Exchange のデータ  
携帯電話でEメール  
リモートメールの使い方  
迷惑メール対策
●インターネット
ISDN回線の接続と各種設定の方法  
ダイヤルアップ・ルータを利用したネットワークの構築  
ASAHIネット上で掲示板を開設する手順
●PC環境の保全
ウイルス対策  
パソコンが不調な時の対応の方法  
ダブル・パソコン 二重系によるPCシステムの保全  
トリプル・パソコン  
新しいPCへのデータコピー  
簡単なダブルパソコンシステム  
7年目のPCリカバリー

<出版>
Windowsパソコンの使い方  
実用電子出版  
医院勤務者の実務マニュアル

<医療>
●医学論文など
デジタルX線画像診断  
胃透視検査法  
開業医の小児科独習法
●ノウハウ
開業医というプロの整理法  
レセコン使用法(各論)
●旧野村医院関係
職員に求めてきたこと−医院勤務の基本−  
野村医院勤務マニュアル  
医院勤務者のことばづかい


追加フレーズ(2008/11/11)

1. マニュアルに効用はある(望)

1)業務を実行するのに必要な最低限の知識や技能の習得に役立つ
2)ルーティーン業務を間違いなく同じレベルで行なえる
  以上は教育用マニュアルとしての効用で、以下は私の手順集としてのマニュアルについてである
3)時間をかけ、苦労して得た成果を思い出す
  記憶力の低下で、過去にしたことを忘れて、最初から同じことを始める時間の無駄を防げる
4)新しい問題解決に活用する
  過去の成果を使って、新しい問題の解決に利用できることがある
5)マニュアルを作る者の能力を高める
  他人に読んでいただくことを意識すると、正確さ、分かりやすさなどに注意を払うようになり
  結局は、自分自身の理解を深め、表現力を高める方向に働く可能性がある


追加フレーズ(2008/11/11)

2. マニュアルには欠点もある(望)

マニュアルに固執すれば、TPOに応じた臨機応変な対応ができない場合が出てくる。その原因は

1)なぜその行動が必要なのかを理解していない
2)経験を積んで体得するより仕方がない微妙なことがらは、マニュアルでは書いたり表したりする
  ことはできないというマニュアルの限界
3)マニュアルに記載されてしかるべきことが欠落しているか、補充されていないか、変化に対応した
  修正ができていない


追加フレーズ(2008/11/11)

3. マニュアルは必要条件であるが充分条件ではない(望)

マニュアルは、業務に必要な最低限の知識や技能が書かれているものだという認識が必要である。マニュアルは必要条件ではあるが充分条件ではない。いったん、マニュアルの手順を身につけたら、あとはマニュアルを離れ、マニュアルに書けない部分を体得し、業務に従事することが肝要である。マニュアルは新しく学ぶ時期に重要だが、そのあとは、忘れてしまった手順を確かめる場合の辞書代わりの存在で良い。


追加フレーズ(2008/11/11)

4. マニュアル人間(諺)

マスコミなどで、「マニュアル人間」と侮蔑的に述べることが流行っている。たしかに、TPOが分らず、臨機応変な対応ができず、教えられた通り、ロボットのように対応するしかできない者も多い。だからと言って、「マニュアル」の本来のあるべき使い方、功罪、限界などの検討もなく否定してしまうのは乱暴過ぎると思う。


<2002.6.21.>
<2008.11.11.>



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