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2014.08.21. 掲載
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目次
はじめに
石巻との交流の経緯
演奏会
特別養護老人ホーム 「花水木」
コンサートホール 「N's-SQUARE」
被災地訪問
宮城県女川町
宮城県石巻市
まとめ
2014年8月8日より8月10日まで、ハートリー合唱団は宮城県石巻市への演奏旅行を行った。大阪空港から仙台空港までANAを利用し(一部の者は新大阪駅から仙台駅まで新幹線を利用)、仙台からはタクシーで石巻に到着。石巻グランドホテルに宿泊し、8月9日に特別養護老人ホーム「花水木」とコンサートホール「N's-SQUARE」の2会場で演奏を行った。
台風11号の影響でかなり激しい雨に見舞われたが、コンサートホール「N's-SQUARE」には50数名のお客さまがお越しになり、地元石巻ジュニアリーダー「げろっぱ」の8名のメンバーも合唱に参加して下さった。出演者はそれぞれが、これまで歌ってきた中で最高の出来栄えをご披露できたのではないかと思う。
出演者とお客様が一緒に「花は咲く」と「故郷」を歌い、感動の絶頂の中で迎えたフィナーレは、今回のコンサートの華であった。石巻の皆様から、私たちは逆に励ましをいただいた気持ちである。
今回の石巻での復興支援交流コンサートは、ハートリー合唱団をご指導下さっている新森美加先生が、お一人で企画され、ご自身で何度も石巻に足を運ばれ、交渉を重ねられた結果実現できたものである。
先生から直接伺ったわけではないが、これまでのレッスンの合間に見聞きしたことから、石巻との交流の経緯をまとめて置くことにする。
●五代先生の告別式の1時間後に東日本大震災が発生
2011年3月11日、新森先生のご夫君である五代文吾先生の告別式の1時間後に東日本大震災が発生した。
そのことを知っている者は、五代先生がこの震災とともに天国に旅立たれたという思いを抱いている。
新森先生が、石巻での復興支援交流コンサートの実現を目指された原点は、ここにあると思う。五代先生は阪神淡路大震災の際に、被災して亡くなったこどもたちを悼んで「大きな星☆小さな星」という心に響く美しい佳曲を作詞作曲されている。最愛のご夫君がいちばん望むことは、被災地の皆様と交流し、でき得る支援を行うこと、そして、それは歌による支援だと思われたに違いない。亡くなられたご夫君に対する新森先生の深い愛を感じる。
●メモリアル チャリティー コンサート in 大阪2013を開催
その実現のためにまず実行されたのは、2013年1月12日のメモリアル チャリティー コンサート in 大阪2013の開催だった。その収益金をお持ちになって、東北の被災地 宮城県石巻市を訪れた。これが最初の石巻訪問である。石巻の地を選ばれたのは、ここが最大の被災地だったことによるのではなかろうか?
●石巻市を複数回訪問
その後も単独あるいは団員を伴って何度か石巻市を訪問して交流を深められ、石巻市の若者のグループのコーラスの指導もされた。その若者たちはこのコンサートに出演し、素晴らしい歌を聴かせてくれた。
●今年の定期コンサートに石巻の方を招待
2014年3月30日の定期コンサートに、石巻市の3名の方を招待し、私たちのコーラスを聴いて頂いた。
●石巻で最終打ち合わせ
2014年5月中旬、復興支援交流コンサートの下見と最終打ち合わせのため、団員数名を伴って石巻を訪問、そこで旅行日程の最終決定が行われた。
今回の石巻演奏旅行は、特別養護老人ホーム 「花水木」と、そのすぐ近くにある「N's-SQUARE」というホールでコンサートを行った。
特別養護老人ホーム「花水木」の建物の中には、他にも、ショートステイや介護センターがあり、介護の総合的サービスを提供する施設である。
この老人ホームの集会場で、以下のプログラムに載せた曲をご披露した。入居者と職員合わせて30数名の皆様が、1時間ばかりの間、熱心に耳を傾けて下さった。頭やからだでリズムをとる方も居られ、喜んでいらっしゃるのが良く分かり、その姿に感動して涙ぐむ団員も多くいた。
花水木のホームページで、「8月のボランティアさん」として紹介されていたが、私たちの歌を喜び楽しんでいらっしゃる姿を目にして、このコンサートがボランティア活動と認められたようだと思った。
プログラム
曲名など | 種類 | 出演者名 | |
1.「家族写真」 | 混成3部合唱 | ハートリー合唱団 | |
2. 挨 拶 | スピーチ | ハートリーミカ | |
3.「夏の思い出」 | 女声2部合唱 | ハートリー合唱団 | |
4.「サンタルチア」「虹の彼方に」 | 男声4重唱 | GNT4 | |
ピアノ | ハートリーミカ | ||
6.「千の風になって」 | 男声2重唱 | 山本真輔・内倉和真 | |
ピアノ | ハートリーミカ | ||
7.「ハナミズキ」 | 混声3部合唱 | ハートリー合唱団 | |
8.「しあわせ」相田みつを詩集より | 朗読 | 秋山邦子・中村美之 | |
9.「さくら・荒城の月」2つの変奏曲 | 箏曲 | 杉田 礼 | |
10「家路」 | 朗読 | 秋山邦子・中村美之 | |
混声2部合唱 | ハートリー合唱団 | ||
11「花は咲く」 | 混声3部合唱 | ハートリー合唱団 | |
12 挨 拶 | スピーチ | 中島亜子 |
この特別養護老人ホーム「花水木」と同じ名前の「ハナミズキ」という歌を今回の演奏旅行で、団の若者2名とミズ4名が歌った。この歌は、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件がきっかけとなって、一青 窈(ひとと よう)が作詞作曲し歌った曲である。その歌を、同じ名前の老人ホームで歌うことになるとは不思議なご縁である。
「N's-SQUARE」は、山小屋のような木のぬくもりを感じさせる、こじんまりしたコンサートホールで、グランドピアノはヤマハC5マホガニーと1909年製NewYork Steinwayを常設している。矢野顕子、村上ポンタ秀一、山下洋輔など著名ミュージシャンもここでライブを行ったとのことだ。
新森美加団長からこのホールの素晴らしさを伺ってはいたが、想像していたよりもオシャレで、音響効果も優れていて、このホールでコンサートを持つことができる幸せを思った。
以下の図6と図7で、このホールのオシャレな構造をご紹介する。
公演当日は、台風11号の影響で激しい雨に見舞われたが、石巻市民の皆さまが多数来場された。
それに応えるべく、私たちのこれまでの最高と思える歌をお聴かせできたのではないかと思っている。
地元の若者グループと大阪の若者が「君をのせて」や、アナと雪の女王の主題歌「ありのままで」を上手く歌い上げるのを聴きながら、頬はゆるみ、深い感動を覚えた。素晴らしい若者たちである。
このコンサートホールのオーナーが遠藤氏であることはホームページで知ったが、「N's-SQUARE」という名前の由来が気になった。調べてみると、オーナーの独り言ブログ(2009年11月7日(土) N's-SQUAREコンサート)で、N's-SQUARE Nobukazu Endo の記名があり、N は オーナー Nobukazu Endo のイニシアルではないかと推量した。客席の壁に「N」のプレートが貼られている。
プログラム
曲名など | 種類 | 出演者名 | |
1.「アメージンググレイス」 | 混声4部合唱 | ハートリー合唱団 | |
2. 挨拶 | スピーチ | ハートリーミカ | |
3.「家族写真」 | 混声4部合唱 | ハートリー合唱団 | |
4.「夏の思い出」 | 女声2部合唱 | ハートリー合唱団 | |
5.「サンタルチア」「虹の彼方に」 | 男声四重唱 | GNT4 | |
ピアノ | ハートリーミカ | ||
6.「美しき国 美しき人」 | 独唱 | 野村 望 | |
ピアノ | 竹中雄哉 | ||
7.「ハナミズキ」 | 混声3部合唱 | ハートリー合唱団 | |
休 憩 | |||
8.「しあわせ」相田みつを詩集より | 朗読 | 秋山邦子・中村美之 | |
9.「Story of My life」 | 独唱 | 山本真輔 | |
ピアノ | 竹中雄哉 | ||
10「Sebben Crudele」「Largo」 | 独唱 | 内倉和真 | |
ピアノ | ハートリーミカ | ||
11「君をのせて」「ありのままで」 | 混声2部合唱 | ジュニアリーダーげろっぱ | |
山本真輔・内倉和真 | |||
12「千の風になって」 | 男声2重唱 | 山本真輔・内倉和真 | |
13「さくら・荒城の月」「鳥のように」 | 箏曲 | 杉田 礼 | |
14「家路」 | 朗読 | 秋山邦子・中村美之 | |
混声3部合唱 | ハートリー合唱団 | ||
15「花は咲く」 | 混声3部合唱 | ハートリー合唱団 | |
16「故郷」 | 斉唱 | 会場内の全員 |
今回の石巻演奏旅行の目的のメインは「復興支援交流コンサート」を持つことであるが、被災地を自分の目で見ておきたい気持ちも強く持っている。
時間的な制約があるので、宮城県女川町と宮城県石巻市の被災地を訪れた。地元タクシー会社の方々や、新森団長の石巻の友人がていねいに案内をして下さり、厚い人情を痛感した。
女川町(おながわちょう)は、宮城県にあり、太平洋沿岸に位置する町である。日本有数の漁港である女川漁港があるほか、女川原子力発電所が立地することでも知られる。
東日本大震災では、17mを超す津波が、町立病院のある高台を襲い、病院の1階部分が完全に水没したと聞く。その高台から見下ろすと、鉄筋コンクリート製のビルが基礎部分ごと地面から抜けて横倒しになっている姿が目に飛び込んでくる。
液状化現象で基礎が浮き上がった所を津波になぎ倒されたと思われ、世界的にも例の無い被害である事から、町では被害資料として保存する方針のようだ。
東日本大震災の死者は、宮城県が全体の約60%を占めたが、石巻市はその宮城県の死者の約40%を占め、今回の震災で最多となる3,700人以上の犠牲者を出している。
日和山は石巻市にある標高56メートルの山で、日和山公園として整備されている。今回の震災では、市民がここに登って津波から避難した。
ここから南側を眺めると、北上川下流に架かる県道240号線の日和橋が見える。この橋が津波で流されなかったので、震災後の復旧作業に非常に役立ったと聞く。
昨年10月、妻と東北旅行をした際に、ここ日和山から石巻市を眺めた。季節の違いだろうか、今は緑が鮮やかだ。しかし、広大な更地は変わらない。
津波はこの北上川を氾濫させながら猛烈な勢いで遡り、河口から5kmも離れた石巻市立大川小学校を襲った。徒歩で避難していた児童78人と職員11人が流され、助かったのは児童4人と職員1人のみであった。東日本大震災で、学校としては最大の犠牲者となった。
石巻市には現在73の仮設住宅団地があり、4000戸近い仮設住宅に、8000人以上の被災者が生活している。石巻滞在中、懇切丁寧に私たちの移動に関わって下さった大型タクシーの運転手さんも、仮設住宅にお住まいで、台風11号の影響による大雨の中、ご自分が居られる仮設住宅団地を車中から案内して下さった。
1.ハートリー合唱団の石巻演奏旅行は、つつがなく成功裏に終了した。
2.演奏はこれまでの最高のレベルだったように思える。
CDに録音されたコンサートの演奏を聴いても、その感想は変わらない。
3.大阪組と石巻組の出演者全員で「花は咲く」を合唱して会場は興奮の極みに達し、そのまま
観客も一緒に、思いを込めて「故郷」を歌ったフィナーレが、このコンサートの華であった。
4.石巻のY様がコーラス出演中の写真を多数撮影して下さった他、N's-SQUAREの
録音サービス利用して、映像と音の情報を豊富に記録できたことが非常に嬉しい。
5.私たちが接した石巻の方々の暖かい人情を忘れることはできない。
6.石巻には広大な更地が広がり、震災からの復興はまだ道半ばだと思った。
7.台風11号の影響を受けたが、大きな支障はなく、良い経験となった。
8.静かに、優しく微笑まれている五代文吾先生を感じている。
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