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アイーダと私

2004.01.04. 掲載
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目次
1.ミュージカル「アイーダ」
2.ミュージカル「アイーダ」とオペラ「アイーダ」との違い
3.オペラ「アイーダ」
4.浄きアイーダ


1.ミュージカル「アイーダ」

2003年も終わりに近い12月27日土曜日の夕べ、劇団四季によるミュージカル「アイーダ」の公演を、大阪MBS劇場で、松吉先生と一緒に鑑賞した。オペラ「アイーダ」は私にとって思い出が多く、一番好きな歌劇であるが、このミュージカル「アイーダ」も、重厚さではオペラに敵わないが、全体としてそれに負けない魅力が一杯の素晴らしいものだった。

このロックミュージカルの「アイーダ」は、ディズニー制作ミュージカルの第3弾に当たる。「美女と野獣」から始まり、「ライオンキング」では、これまでに観たことのない斬新な演出とコスチュームで目を奪ったが、好き嫌いは別として、アニメの雰囲気が充満していた。しかし、この「アイーダ」は、本格的なブロードウエイ・ミュージカルとして、2000年3月に登場して大成功を収め、今もロングランを続けている。

わが国では、そのいずれのミュージカルも、劇団四季が日本版を公演してきた。私は、その三つのいずれをも観てきたが、ライオンキングでは、その舞台装置、コスチューム以外に音楽も魅力的で、特に、「くよくよするな」という意味の「ハクナ・マタータ」(Hakuna Matata)は、すっかり気に入ってしまった。

この度「アイーダ」を観るにあたって、以上の三つのミュージカルの音楽がエルトン・ジョンの作曲だと知って驚いた。彼の名前から反射的に頭に浮かぶのは、ダイアナ妃の葬式の時の独唱の場面と、それに感動して購入した、「キャンドル・イン・ザ・ウインド 97」のCDを持っていることくらいである。

「ライオンキング」から、彼の作る音楽の素晴らしさは理解できたが、あのヴェルディーの「アイーダ」に対抗できるだろうかという気持はいくらか持っていた。しかし、ブロードウエイのオリジナル・キャストによってレコーディングされたCDが発売され、これを聞いてみると、バラード調の曲からロック、ゴスペル調の曲までが巧みに融合されていて、オペラとは違う仕方で、聞く者の心を打つ素晴らしいロックミュージカルであることを知った。

このミュージカルを、劇団四季のキャストは、ブロードウエイに劣らぬ見事な歌唱で盛り上げ、感動を与えてくれた。中でも、ヌビアの王女アイーダ役の濱田と、エジプトの王女アムネリス役の佐渡の歌唱は、正直スゴイもので圧倒されてしまう。それに対して、ラダメス役の阿久津は、容姿は良いが、歌は五木ひろし的な演歌なまりのある歌い方で、声量も充分でなく、声に艶が感じられず、ミスキャストだと思った。ソロだけでなく、合唱を交えてぐんぐん迫ってくるところは、オペラにも匹敵し、優しくきれいな音楽だけではなく、パワフルに盛り上げていくことができるエルトン・ジョンの作曲と、それを忠実に歌い上げる劇団四季のメンバーの歌唱力に脱帽した。

今回の劇団四季によるミュージカル「アイーダ」は、大阪公演が日本初演となる。大型作品のロングランを東京以外の都市でスタートさせるのは、劇団四季のみならず、日本演劇史上初めてのチャレンジで、「関西から元気になろう」という文化庁「関西元気文化圏」の共催事業第1号にも選ばれたと聞く。ロック、ポップス、ゴスペル、バラードが適切に混ざり合い、ミュージカルを観るのがはじめての人でも、この「アイーダ」は、抵抗なく鑑賞できると思うので、関西人で興味をお持ちの方に是非お勧めしたい。


2.ミュージカル「アイーダ」とオペラ「アイーダ」との違い

オペラもミュージカルも、ストーリーは、パピルスに書かれている古代エジプトの恋物語で、時代は今から3千7、8百年前、エジプトの若き将軍ラダメスとエジプトの王女アムネリス、そしてエジプトで奴隷となっている敵国の王女アイーダとの三角関係による悲恋をテーマにしている。

ラダメスとアイーダは、オペラでは神殿の地下牢で、ミュージカルでは地下の墓場で死んでいくが、そこで、悲しみよりも、天国で結ばれる喜びを歌って、息絶えるところは同じである。

しかし、導入部は全く異なり、オペラではラダメスの詠唱「清きアイーダ」で始まるのに対して、ミュージカルでは、博物館の古代エジプト展示室を訪れた観客が、物語に引き込まれていくシーンで始まる。中央には古代の地下の墓場が置かれている。間もなく、時は一気に古代に遡り、アムネリスが美しいバラード「Every Story Is a Love Story」を歌う。

また、エジプトの敵国が、オペラでは「エチオピア」であるのに対して、ミュージカルでは「ヌビア」となっている。現在のアフリカ大陸が、ローマやギリシアによって「アフリカ」と名づけられる前、ここに住んでいた人々は「ヌビア」と呼ばれていた。だから、「エチオピア」「ヌビア」の一部であり、違う国ではないのである。

オペラとミュージカルの一番の違いは、オペラが大掛かりで豪華な舞台から成り立っていることで、それは特に凱旋の場面で著しいが、ミュージカルでは、それほどではない。

また、恋の三角関係について、オペラではエジプト王女アムネリスはアイーダに対して、奴隷として対応し、嫉妬と敵意を強く抱いたままで終わるが、ミュージカルでは、アムネリスは、アイーダを自分と対等近く扱い、ラダメスとアイーダの愛が、何にも代え難いほど強いものであることを知ると、二人を許し、次期ファラオとしての立場から、二人を同じ地下の墓で死なせるように王に代わって命令する。このアムネリスの「許す愛」、エジプトの王位を継承する「強さ」のシーンでは、オペラにはない強い感動を覚える。

フィナーレは、オペラではアイーダとラダメスが地下牢で死ぬところで終わるが、ミュージカルでは二人の死んだ地下の墓が、そのまま博物館の古代エジプト展示室中央に置かれた墓にタイムスリップし、そこで現代の服装のラダメスとアイーダに似た男女二人が惹かれ合う場面で終わる。何千年を経ても、男と女が惹かれ合うことは変わらない、人類が生存する限り、それは続くだろうと暗示しているようだ。

以上、オペラとミュージカルの細かな違いを取り上げてみたが、今振り返ってみて、最も大きな違いは、オペラがエジプトの将軍ラダメスを中心に置いた男の物語であるのに対して、ミュージカルは、エジプトの王女アムネリスとヌビアの王女アイーダの二人にスポットを当てた、女の物語であることではないかという気がする。男の私が、オペラのアイーダにより惹かれるのは致し方あるまい。


3.オペラ「アイーダ」

1956年10月24日(水)、大学に入って2年目だった私は、コーラスの仲間と宝塚大劇場で第1次イタリア歌劇団公演によるヴェルディの「アイーダ」を観た。当時フェスティバルホールはなかったので、宝塚大劇場が選ばれたのだった。これが私の見たオペラの最初である。その前売り券を買うために、阪急の始発に乗り、当時第一生命ビルの地階にあった梶本音楽事務所の前で数時間並んだことを覚えている。

この時、ラダメスを演じたのはマリオ・デル・モナコ、アムネリスはジュリエッ夕・シミオナートだったと思い込んでいたが、当時の資料を集めたWebサイトを調べてみると、予定されていたデル・モナコは出演できなかったらしい。それはデル・モナコが13歳の彼女と駆け落ちをしてスイスへ行き、スカラ座を始め、ローマ、ナポリの歌劇場の出演契約に違反したので、イタリアに帰る旅券をとりあげらたためだという。その代役として、当時イタリアで格の高かったウンベルト・ボルソが歌ったらしい。

この公演でラダメスを演じるデル・モナコの姿が私の頭に焼き付いているのだが、それはあり得ないことだった。なぜそのような映像が残っているのかという疑問は、すぐに解決された。1961年に第3次イタリア歌劇団公演があり、東京文化会館と大阪フェスティバルホールで「アイーダ」が上演され、それがNHKからテレビ放映されていたのだった。それを観たのだと思う。

この、1961年10月31日、東京文化会館でのライヴをNHKが記録し、その映像がLDで発売されていて、それを購入して持っていた。ここには、アイーダ:ガブリエルラ・トゥッチ、ラダメス:マリオ・デル・モナコ、アムネリス:ジュリエッタ・シミオナートという超豪華キャストによる伝説の名演奏が記録されていた。そそっかしい私は、確かめもせず、モノカラーのこの録画が、第1次のイタリア歌劇公演のものと思い込んでいたのだ。私はこれをTVで観たほか、このLDでも観て、それが強烈に頭に焼き付けられてしまったのだと思う。その頃から私にとってテノール歌手といえばデル・モナコであり、3大テナーのドミンゴ、カレーラス、パヴァロッチよりも、彼のトランペットヴォイスを好む。

このLDをDVDにダビングをした後で、DVDとしても販売されていることを知り、最初からDVDとして記録されたものの方が、画質はもちろん音質も優れているので、改めて購入した。私のDVDライブラリの254番はLDのDVD化、255番はオリジナルのDVD盤である。蛇足になるが、256番はパヴァロッチがラダメスを演じたアイーダ、257番はドミンゴがラダメスのアイーダDVDである。

先に、ミュージカルとオペラのアイーダの違いの一つが、凱旋場面であると書いたが、オペラの凱旋場面は、豪華絢爛、威風堂々たるものだった。そこで、かの有名な「凱旋行進曲」が演奏される。ここで使われるトランペットは、「アイーダ・トランペット」と呼ばれるもので、ヴェルディ自らがデザインした柄の長い「エジプト風」特製トランペットである。これはかっこが良く、輝かしい直進的な音色が出るのだが、音程を取りにくい欠点がある。実際、第3次イタリア歌劇公演の「アイーダ」を聞くと、音程が微妙に狂っているのが分かる。

この「凱旋行進曲」について、他にも思い出すことがある。私は大学に入ってからトランペットも始めたが、この「アイーダ凱旋行進曲」が好きで、よく吹いていた。弟の義が小学5年の時、卒業式で彼にこの曲を演奏させたことを思い出す。

また、大学専門3年の秋に、西日本医科大学対抗競技大会の応援で名古屋に出かけ、その前夜祭のステージで、私がトランペットを吹き、何人かで応援歌を唄った。ドラムの前奏に続いて、「アイーダ凱旋行進曲」を高らかに吹き上げるはずだったが、この時本来のリズム音痴が露呈し、すっかり出遅れてしまったのである。幸いドラマーが良かったので、何とかごまかしてくれたが、爆笑は致し方なかった。


4.浄きアイーダ

私が一番好きなアリアは、この「浄きアイーダ」である。風呂場でエコーを聞かせて大声でこれを唄うとき、この上ない至福を感じる。これは恋人に聞いて欲しくて唄うセレナーデではない。まして、他の人に聞かせる歌ではさらさらない。天に向かって、自分の思いのたけを、声の限りに唄い放つ歌である。ラブソングの甘さなど微塵もない。あるのは、怒りに近い強烈な思いだけである。

「Celeste Aida,forma divina」 この歌を私はイタリア語で80%くらい覚えていて唄うことができる。それは今から50年以上前の中学生の頃、イタリア語の意味も分からずに覚えたものだ。そのころ、オペラのアリア集のレコードを持っていて、その中のヴェルディーの「アイーダ」抜粋曲集をよく聞き、一緒に唄っていた。今なら1時間前のことの記憶もあやふやだと言うのに、当時の記憶の確かさに呆れてしまう。

この「浄きアイーダ」に関連して、思い出すことがいくつかある。今は「清きアイーダ」と書かれているが、当時は「浄きアイーダ」だった。そして、この「浄き」という言葉が「神々しく美しい」という意味であることを知った。

そのころ、中学3年生だった私は、好きな女の子の対象が、それまでの同じ学年から、中学1年の女の子に変わっていた。その一人にF・Tさんがいた。私は彼女に、「ベアトリーチェ」という名を付け、密かな恋人にした。ダンテの永遠の恋人の名をもらったのである。とはいっても、彼女は自分の心の中の憧れの対象であり、それ以上の関係にはむしろなりたくなかった。身体が容赦なく大人になっていくのに悩み、精神的なものに逃避しようとしていたのかも知れない。

その頃の日記の中で、F・Tさんを「浄きB」の符丁で書いている。神々ししほど美しいベアトリーチェのようなF・Tさんという意味である。彼女は少し褐色を帯びた肌で、知的な感じの少女だった。姉が同じ学年にいて、この人は真っ白な肌だったが、惹かれるところはなかった。F・Tさんが誰であるか、私のほかに知る人はいない。あの青春の頃に戻りたいとは決して思わないが、このような青春を経験したことを幸せに思っている。

ミュージカル「アイーダ」を観たことに触発され、この「アイーダと私」をまとめてみた。今年は私にとって残務整理の年である。DVDライブラリ構築を早々に切り上げて、そちらに集中したく思っている。


<2004.1.4.>

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