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歌劇「アイーダ」

演奏会形式

2013.09.26. 掲載
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演奏会形式の歌劇アイーダ

一昨夜、フェスティバルホールで、ヴェルディの歌劇「アイーダ」の公演を鑑賞した。

2013年9月24日(火)18時30分 フェスティバルホール 座席1階8列5番
指揮:グスターボ・ドゥダメル 管弦楽:ミラノ・スカラ座管弦楽団

エジプト王:ロベルト・タリアヴィーニ(バス)
アムネリス:ダニエラ・バルチェッローナ(メゾ・ソプラノ)……エジプト王の娘、王女
アイーダ:ホイ・ヘー(ソプラノ)……エチオピア王の娘、王女
ラダメス:ホルヘ・デ・レオン(テノール)……警護隊長
ランフィス:マルコ・スポッティ(バス)……祭祀の長
アモナズロ:アンブロージョ・マエストリ(バリトン)……エチオピア王、アイーダの父
使者:ジェヒ・クォン(テノール)
巫女:サエ・キュン・リム(ソプラノ)

合唱:ミラノ・スカラ座合唱団
ブルーノ・カゾーニ(合唱指揮)

演奏会形式のオペラは初めてなので、このオペラがどのように表現されるか興味があり、少し心配でもあっが、結果は大成功だった。曲が終わると、拍手が鳴りやまず、ソリストや指揮者の退場、入場が数回、時間にして10分以上続き、途中からは、ほとんどの観客がスタンディングオベーションを行っていた。クラシックコンサートでは、このようなことは珍しいのではなかろうか?

今回の演奏会形式では、オーケストラは舞台の上で、指揮者を囲んで半円形状に並ぶ。ソリストは指揮者の右側の少し奥に並び、コーラスは舞台の一番奥に、1列約20名の5段で並び、総勢約100名に及ぶ。もちろん、オーケストラピット、舞台装置や扮装、演技、ダンスはない。

私は1956年にイタリア歌劇団のアイーダを観て以来、いくつかのオペラを観劇してきたが、今回の演奏会形式のアイーダは、それらとは違った音楽的に素晴らしいもので、興奮し感動した。

その感動のわけを、思い出すまま、振り返ってみることにする。

・指揮者

指揮者のグスターボ・ドゥダメルは小柄で縮れ毛、あまり風采の上がらない感じだったが、指揮を始めると華麗に変身、千変万化の指揮ぶりにすっかり魅了されてしまった。私の座席からは、その表情、口の動きまでが良く分かる。指揮をしながら自分も歌っているようだ。この小さな身体からほとばしり出るエネルギーの持続に引き付けられてしまった。

この人は、観客に笑顔を見せ、手をふり、ソリストやオケ、コーラスのメンバーにも気配りをしていた。

・管弦楽団

ピアニッシモで前奏曲が始まると、その美しい音色に魅せられてしまった。しかし、このような静かな演奏がこのオーケストラの本領ではないことは直ぐに分かった。ダイナミックな演奏、透明感のある美しい音色、ソリストの歌にピッタリ合わせ、曲を終える時の歯切れの良さ、個々のアーティストの技量の高さがこのミラノ・スカラ座管弦楽団の実力である。

私の座席からはティンパニが良く見え、場面から場面への変換を鮮やかに演出する技量に感嘆した。アイーダののアリア「おお、わがふるさとよ」の伴奏をしたオーボエの演奏にも参ってしまった。しかし、それらを超えて、自分の好みから、金管楽器トランペットの演奏を素晴らしいと思った。

第2幕の「凱旋行進曲」の場面では、「アイーダ・トランペット」をしっかり見ながら演奏を聴くことができた。これはヴェルディ自らがデザインした柄の長い「エジプト風」特製トランペットである。かっこが良く、直進的な音色が出るのだが、音程を取りにくい欠点があると言われている。それを6人のラッパ手が、2階左右のボックス席から、輝かしく吹き終えた。見事だった。アイーダにもっとも似つかわしい楽器はトランペットであるとこれまで思ってきたが、それが証明された思いだった。

・合唱団

ミラノ・スカラ座合唱団のコーラスは、100名が勢ぞろいしたときに、まずその威容に圧倒されたが、ソリストに引けを取らない発声、音色、声量、歌唱力には唖然としてしまった。このようなスゴイ合唱団を他に知らない。この作品では、オーケストラ以上にコーラスが重要であることを、この公演ではじめて知った。

・ソリスト

ラダメス役

ホルヘ・デ・レオン(テノール)は、最初のアリア「浄きアイーダ」から素晴らしい声質で高らかに歌い上げ、それは最後まで続いた。ただ、ほかのソリストより、少し声量が劣るように感じた。入退場では、いつも微笑みを浮かべ、観客に手を振り、好青年の印象を受けた。

アイーダ役

ヘー・ホイ(ソプラノ)は、よく通る美しい声で、声量もすばらしかった。第2幕終了前に、アイーダ、アムネリス、ラダメス、アイーダの父などのソリストとコーラス、オーケストラのいずれもが、フォルティシモで演奏する場面で、ソプラノのアイーダの声だけが聴き分けられた。それに対して、アムネリスのメゾソプラノ、ラダメスのテノール、アイーダの父のバリトンの声はコーラスやオーケストラの音に埋没し、聴き分けることが難しかった。

声量的にはアイーダに勝る3人の声が聞こえないというのは、音のピッチの問題ではないかと思う。アイーダがその時に発していた音が、コーラスやオーケストラよりも高かったからではないかと考える。

この悲劇のヒロインは、入退場時に観客に顔を向けず、笑みもなく、淡々と歩いていった。巫女役のサエ・キュン・リムも同じだったので、これは東洋人の特徴なのかもしれないが、この二人を除くソリストたちが、このオペラの終了を心からエンジョイしているように見えたので、ずいぶん損をしたと思う。

アムネリス役

ダニエラ・バルチェッローナ(メゾ・ソプラノ)は、文句なしのメゾソプラノ歌手で、声量、声質、発声、表現力ともに素晴らしく、文句のつけようがなかった。特に、第4幕でラダメスに死刑が宣告されたあと、嘆き悲しみ、取り乱して神官たちを呪う歌は、心底、心を打った。

第4幕の終わりで、アイーダとラダメスが、地下牢で二重唱「さらばこの世」を歌い息絶えるとき、アムネリスの祈る歌が重なって、消えていくシーンでは、誰もが感動したように見受けられた。

しかし、悲劇のヒロインの迫真の演技をしながら、入退場の際には、その美しい顔に絶えず笑顔を浮かべ、観客に手を振り、まこと愛らしい人であった。彼女が通るとき、ひときわ激しく拍手が鳴り響いた。

祭祀の長、エジプト王、エチオピア王の役

祭祀の長役のマルコ・スポッティ(バス)、エジプト王役のロベルト・タリアヴィーニ(バス)、エチオピア王役のアンブロージョ・マエストリ(バリトン)の3人は、文句のつけようのない歌を聴かせてくれたが、入退場では笑顔で手を振り、終了を心から楽しんでいるように見えた。そのことが観客の感動を高めたように思う。拍手は時間とともに増え続け、途中で席を立つ人はごくわずかであった。


・ヴェルディのオペラ

私はこれまで、このオペラの華やかな第1幕第2幕に関心を持ってきたが、それと対等に第3幕第4幕を合わせて、全体として鑑賞するべきであり、奥の深いオペラであることが、今回の公演でよく理解できた。

今春、フェスティバルホールのこけら落とし公演で、ヴェルディの「オテロ」を鑑賞した。こちらは、チョン・ミョンフン指揮のフェニーチェ歌劇場の公演によるオペラ形式のオペラで、もちろん、これも素晴らしかった。ヴェルディのオペラは最高だと思う。



私にとっての歌劇「アイーダ」

2004年にアイーダと私というタイトルのエッセイを掲載した。それはミュージカル「アイーダ」を観劇した余韻の中で書いたものだった。そこでは、歌劇「アイーダ」とか、その代表的なアリア「浄きアイーダ」にも触れている。私にとって歌劇「アイーダ」は特別な存在である。そのことをここに書き残して置こうと思う。

1951年、中学3年のころ、父が買ってきたオペラアリア集のレコードの中に、歌劇「アイーダ」の代表的なアリア「浄きアイーダ」があり、そのころから、レコードに合わせてこの歌を歌うのが好きだった。合わせると言っても、オクターブ下で歌うのだが、以来現在に至るまで、時々発作的に大声を張り上げて歌っている。この歌以外で良く歌うアリアは、歌劇「トスカ」の「星は光りぬ」くらいだろうか。今から62年も前の話である。

この歌は私にとって余程魅力があったのだろう、レコードのジャケットについているイタリア語の歌詞を覚えた。イタリア語は発音だけなら、ほとんどローマ字読みで間に合うので、意味は分からなくても覚えることができた。今でも、その80%近くを暗譜で歌えるのだから、若い時の記憶力はたいしたものだ。

1955年に大学に入るや男声合唱団に入り、以来2年間の教養時代をコーラスに没頭した。1956年にイタリア歌劇団が来日し、コーラス仲間と歌劇「アイーダ」を観劇した。当時日本にはオペラを公演できるコンサートホールがなく、大阪は宝塚大劇場、東京は東京宝塚劇場で行われた。はじめて観るオペラに興奮し、ラダメスの歌う「浄きアイーダ」に聴き惚れ、見惚れたことを思い出す。



まとめ

私のいちばん好きなオペラ「アイーダ」を、グスターボ・ドゥダメル指揮によるミラノ・スカラ座の公演で鑑賞した。

演奏会形式のオペラは初めての経験だったが、通常のオペラ形式よりも、音楽そのものをより深く鑑賞できた。それは、舞台装置や扮装、演技、ダンスを楽しむことを放棄した代償を、はるかに超えたものであった。

これほど感動したコンサートは、他には、2008年1月23日に、カラヤン生誕100年記念行事として、ベルリン・フィルハーモニーホールで行われた、小沢征爾氏指揮のベルリン・フィル演奏会しかない。これを「戦慄的感動の演奏」のタイトルで、このサイトに掲載している。

<2013.9.26.>


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