ホーム > サイトマップ > 言葉 > 孫エッセイ > 孫娘の反抗  


孫娘の反抗

2011.08.08. 掲載
このページの最後へ

現在2歳9ヶ月の孫娘の守りを、週1〜2回している。孫一家とは離れて住んでいるので、詳しくは知らないが、孫の反抗は1歳11ヶ月ころから始まったようだ。「パパ、イラナイ」ということばを、その頃から聞くようになった。

2歳1ヶ月の12月23日には、パパへの反抗か強くなり、ママにも及んできたと聞いた。それを知って、私たち祖父母への反抗期はあるのか、あれば何時からか、それにどう対応するか興味津々だなどと孫の成長記録に書いている。

その翌日、孫と私と妻の3人は、公園の芝生でシャボン玉遊びをしていた。孫ははしゃいで走り回り、喜びいっぱい、それを私はビデオカメラで追う。孫の姿が、妻の後ろに入って見えなくなり、「グランマが邪魔」と言った途端、「グランマ、ジャマジャナイ!」と大声で孫に一喝された。祖父母は大笑い。妻は孫に守ってもらったと喜んでいる。もちろん、これは私に対する反抗ではなく、誤解による抗議なのだが、この子らしいと頬がゆるんだ。

そのあとも、私たちに対しては反抗はなく、楽しく過ごすのだが、この日は「〜シナイデクダサイ」が多かった。面白いので、私がからかって「〜しないでください」というと「〜シナイデクダサイト、イワナイデクダサイ」と言う。「それじゃ、どう言ったらいいのですか?」と尋ねると、「ワカラナイデス」に吹き出した。

親たちは、反抗期だから反抗するのは仕方がないと思っているようだが、それだけではなさそうだと思った。それは、これまでしなかったおしゃぶりを離さなかったり、這い歩いたりするからだ。何か欲求不満があるのではないか?

夕方ママが迎えに来ても、しばらくはママの言うことをすべて拒否し、帰ろうとしなかったが、ある程度時間が経つと、私の抱っこで、バイバイの準備に入り、私に抱かれてマンションを出た。これはいつもの儀式なのだが、この時はいとしくて涙が滲んだ。この子は私が抱っこをすると、帰るときだと悟り、嫌がらずに従う。潔い。

次の守りをしたのが12月30日。相変わらずパパへの反抗は強いようだ。息子の困っている様子が目に浮かび、息子を可哀想に思った。そして、私たちが孫に反抗されず、楽しく過ごすことにうしろめたさを感じた。42歳の息子のことが気になるのだから、親心とはおかしなものだ。

この日から、私は意識して孫に逆らうようにした。これで私にも反抗すれば、反抗期だからと受け止めて、息子も少しは気が楽になるのではないかとの浅知恵である。どんな反応をするのか見るのも興味があり、何もかも言いなりになるのは、この子のためにならないなどと屁理屈もつけた。

孫は私の逆らいにとまどい、困るようだったが、それでも私は何度か孫に逆らった。

1月1日のこと、逆らう私によほど腹を立てたのだろう、私の顔を孫は叩いた。両親は「ボウボウに謝りなさい」と孫に強要する。「ボウボウ」というのは、祖父としての私の呼び名で、「ボーボとグランマ」に詳しく書いている。

それに対して、孫は、「グランマ、アヤマッテ」と言う。私がそうするように言い、妻が謝ると孫も謝った。そういうわけで、今年の新春は孫に顔を叩かれて始まった。

私は、中学2年までは絶えず喧嘩をしてきたので、殴られたことはあるが、それ以後は殴られたり、叩かれたことはない。60年ぶりで叩かれたのだが、もちろん、腹立つことはなく、ちょっと逆らう度が過ぎたかなと反省した。

翌2日、「モウイッカイ」をくり返すので、からかって「もう1回」を私が繰り返して言うと、3回目くらいで「モウイッカイハ、シナイ」と拒絶した。女の子なのに気が強い。

2歳2ヶ月となる1月14日に来た時も、孫はまだ私に逆らうので、「りおちゃん可愛いくないよ」というと、「カワイクナインジャナイ、ハンコウキナノ」と言う。これには大笑いした。これが両親の言う反抗期の正体なのかもしれない。

しばらくして、大声で「ボウボウ」「はーい」、「ボウボウ」「はーい」と数回呼び合ったら、孫は飛びついてきて、私の下腿にしがみついて離さない。ボウボウが好きでたまらないのがよく分かる。

私が逆らうようになったので、見放されたと思い込んでしまっていたのだろう。気の強い子だから、それに耐えていた。

しかし、大声の呼び合いを繰り返している間に、ボウボウは、今まで通り自分が大好きなのだと直感したのだろう。こんな小さな可愛い子に、私はつらい思いをさせてしまったのだ。悪かったと心の中で孫に詫びた。浅知恵、屁理屈の完敗である。

1月17日には、反抗期は収まったようだと息子は話した。結局、私への反抗は、私が仕掛けたから発生したもので、孫自身からの反抗はなかったと言える。孫にとって、今回の反抗は正当防衛だったのだろう。

2歳0ヶ月ごろから、孫は祖父母と3人で一緒にすることを特に喜び、求めるようになった。「3ニンデ、イッショ」「3ニンデ、イッショニ」とよく言う。これを私は「仲良しトライアングル」と名付けている。これは2歳2ヶ月から2歳7ヶ月まで続いた。

もう一つ、孫について思い出す情景がある。まだ、私に逆らうことのなかった2歳1ヶ月の12月17日のことだ。公園に入る手前の急坂を、私がバギーを押して猛スピードで駆け下りたら、妻と一緒に後ろを歩いていた孫は、「ボウボウ」「ボウボウ」と大声を上げ、必死で追いかけてきた。私に置いてけぼりにされると思ったのだろう。こちらは、孫が面白がってくれると思ってしたことが、逆に不安にさせたことを知った。それを妻から教えられ、嬉しかった。

以上が孫の成長記録の中から、「反抗」に関係する箇所を抜き出してまとめたものである。

第1次反抗期は、自我の発達する時期なので、避けては通れないと専門家は言う。確かにこの時期、自我が急速に発達するのは、孫を見てきて良く分かった。「自分でする」と自立を求め、「見て見て」と評価されることを気にし、自尊心(プライド)を秘めるようになる。

だからといって、第一次反抗期というラベルを貼り、反抗は仕方がないと考えるのは間違っているのではなかろうか?第1次反抗期などと言わず、「第1次自我発達期」とでも言い換えた方がよいのではないか?

そして、その対応は、なぜ、〜した方が良いのか、なぜ〜しないといけないのか、なぜ〜してはいけないのかなど、その理由をこどもが分かるように説明し、それを納得させることから始める必要があろう。また、なんらかの欲求不満があるのかもしれないので、それにも向き合わなければなるまい。

孫の反抗の半年ばかり前、1歳6ヶ月の6月3日のこと、この日17:30〜22:00まで孫の守りをした。バギーに乗せて、商店街を通って近くのスーパーに行き、買い物をすると孫は大はしゃぎで喜ぶ。暗くなっても外に出たがるので、「太陽が隠れてしまったから、もうお外へは行けないよ」と言うと納得したようで、「タイヨウガ、カクレテシマッタネー」を何度も、何度もくり返す。「太陽が隠れてしまった」ということばが、孫にとってよほどインパクトがあったのだろう。

その1週間後の6月10日、この日は17:30〜22:30まで孫の守りをした。孫と妻の3人で公園で遊んでいると街灯が点灯した。その瞬間「タイヨウガ、カクレテシマッタネエ」「サンポ、イケナクナッタネエ」と孫は言った。

日が沈むと暗くなること、電灯が点くこと、散歩にいけなくなることを、1歳6ヶ月のこどもは、はっきり理解できているのだ。このエピソードを思い出し、こどもでも、理由が分かり、それが納得できれば、それほど反抗するものではないだろうと思うようになった。


<2011.8.8.>

ホーム > サイトマップ > 言葉 > 孫エッセイ > 孫娘の反抗   このページのトップへ