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2011.08.18. 掲載
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目次
1.はじめに
2.学生時代
3.勤務医時代
4.結婚をして
5.開業医時代
6.祖父となり
7.まとめ
人のこころに関心を持つようになったのは、思春期のころからではないかと思う。高校・大学の学生時代には、自分のこころの問題の解決を真剣に求めていた記憶がある。
医師になってからは患者のこと、結婚してからは妻やその身内のこと、50歳を過ぎたころからは、人生で経験したことで、人のこころの面白さを思うようになってきた。
孫娘が生まれてからは、人間が生まれてから成長していく過程で見られる、人のこころの面白さを満喫させてもらっている。その中でも、生まれつきの要素が強いとされている気質の面では、驚くことが多い。
私は、自然よりも人間の方により興味を持って75歳まで生きてきたが、その中の「人のこころ」の部分について、まとめておくことにする。
1955年に大学に入ったが、高校・大学時代は、他の多くの人と同じで、悩みの多い期間であった。大学受験、生きる価値の追求、異性問題が大きかったように覚えている。
その頃に愛読し、あるいは、影響を受けた書籍を約40冊保管している。その中で「人のこころ」に関するものを書庫から取り出してみた。そのほとんどは、50年近く手にしたことがなく、古色蒼然としている。
1.異常心理学 村上 仁 岩波全書 1952年刊
2.異常性格の世界 西丸四方 創元医学新書 1954年刊
3.ノイローゼ 加藤正明 創元医学新書 1955年刊
4.改訂心理学初歩 監修矢田部達郎 東京創元社 1956年刊
5.精神分析入門 フロイト・菊盛英夫訳 河出書房 1956年刊
6.現代人の心理構造 A.アドラー・山下 肇訳 日本教文社 1957年刊
7.精神分析入門 宮城音弥 岩波新書 1959年刊
大学時代の愛読書の内の約2割が「人のこころ」に関係している。そのことから、私が人のこころに関心を持ちはじめたのは、やはりこの時期だったことが分かる。これらの書籍は、多かれ少なかれフロイトに関係しており、人のこころを解析するための強力なツールを得た思いだった。
医学部は教養課程が2年、専門課程が4年で、そのあと1年間のインターンを終えて医師国家試験を受け、専攻先を決める。その頃(1961.3.)25歳の私は、外科を選ぶか内科にするかという文章をサークル誌に投稿した。その中で「二つのことが特に好きだ。それは、物を壊したり作ったりすることと、人の気持、心とかに関係したことがらである。詰め込まれた医学教育の中では、大脳生理、精神科、内科、それと外科に興味がある。」と書いている。
結局は外科を選んだのだが、精神科も選択対象の一つだった。診療科としては両極端にある科を選択対象にしようとするのだから、人間って面白い。この時、精神科を止めた理由の一つとして、友人がそちらに進むことを挙げている。
それから6年が過ぎた1967年、私はその友人の妹と結婚をした。これはいくつもの偶然が重なって生まれた産物であった。まこと、縁は異なものであり、面白い。
1962年に外科に入局した。そこはハードトレーニングで知られていたが、特に入局1年目はCクラスと呼ばれ、今では想像もできない厳しい修練を課せられた。
そのCクラス時代に、「人のこころの面白さ」を二つ経験した。その一つは、2組の脳腫瘍患者の家族の介護の仕方から得た印象であり、もう一つは、先天性心臓病のこどもの性格の特徴である。
脳腫瘍患者の方は、一人は新婚早々に手術を受けた患者の夫で、術後覚醒することなく、徐々に容態は悪化して行った。それは2ヶ月以上続いたと思う。その間、20代の若い夫は、一人で一心不乱に介護を続けた。その姿を見て、私は感動すると同時に、なぜ、この人はこれほどまでに献身するのか、できるのかと考えた。
もう一人も、手術の後、先の患者と同じ経過をたどった。こちらには、妻と2人の娘がいるので、結婚して20年以上は過ぎているはずだ。しかし、介護の様子は正反対で、患者を思いやることは少なく、不平、不満、いらだちが目立つのだった。
この二組の脳腫瘍患者の家族から、男と女の問題に対処する仕方の違いを考えた。男は、あるべきだとされていることを、意地になって貫こうとする。理想的ではあるが、そのようなことが続けられるわけがなく、いずれ倒れてしまうので、非現実的である。それに対して、女は、現実を直視し、自分たちが倒れてしまっては何にもならないと思い、行動するのだろうと考えた。本当のことは分からないが、私は今もそのように思っている。もちろん、どちらが良いとか悪いとかの問題ではない。
心臓病のこどもについて知ったことは、その性格が正反対の二つのタイプに分かれるということだった。一つは、わがままで、甘えん坊、反抗的。もう一つは、従順でけなげ、いじらしい。
同じ生まれつきの心臓病を持ったこどもの性格が、なぜこれほど違うのだろうか不思議に思った。両親や周囲の者は、そのこどもを不憫に思い、愛情を一杯こめて大切に育ててきたのに変りがないはずだ。この性格の違いを、育った環境のせいだけと考えることはできなかった。そうではなく、そのこどもの持って生まれたものが大きく関係していると考えざるをえなかった。
戦前は遺伝を重視するドイツ学派の学説が重視されてきた。しかし、戦後、少なくとも私が学生のころからは、冷戦の両大国であったアメリカとソ連では、遺伝よりも環境を重視する学説が主流で、我が国でもそれを受け入れていた。しかし、当時から私はその学説に疑問を持っていた。そして、性格は環境よりも遺伝の方がより大きく関与している事実を見つけようとしてきた気がする。心臓病のこどもの性格の違いは、その事実の一つかもしれない。
勤務医時代の終わるころ、私は自分が10年間在局した医局のメンバーの、性格や特徴を10項目に分けて分析した文章「一外気質」を記念誌に投稿した。およそ外科医には似合わない「人のこころ」の分析を、他科の医師、中でも精神科医は面白がったと漏れ聞いた。
妻と結婚をして、思ってもいなかった人間勉強ができたのだから、面白い。そのことについては、「心に生きることば」に詳しく書いているので省略するが、要は、この世にこれほど私と正反対の性格の人間が存在するということを知ったことで、私が極端なら、妻もその対極にある。後にも先にも、これほど反対の性格の人間に出会ったことがない。
しかし、それに負けないくらい、多くの共通する性格も持っている。結婚して43年になるが、反対の性格も共通の性格も、お互いが影響しあうことはなく、その程度は変わらない。つまり、それらの性格は環境に影響されなかったということになる。これは気質の違いと考えるべきだろう。
これによって「性格は環境よりも遺伝の方がより大きく関与している」という仮説は確信に近いものとなった。
1973年(37歳)から2005年(69歳)までの32年間、開業医として生きた。その間、小児科を標榜していないのにも関わらず、かなりな数のこどもを診療してきた。その中で、「こどもの持って生まれた素質は、環境や育てかたでは変わりにくい」という事実を得ることができた。これは、2卵性双生児数組、3卵性三つ子1組の成長を見てきた結論である。
2卵性双生児で男の子同士、女の子同士という同性のこどもの成長を何組か見てきたが、性格や体質、顔かたち、罹る病気の種類や頻度まで違うことが多かった。興味深かったのは、乳幼児のころ双子の一方が専ら病気で来院していたのが、少年期になるとそれが入れ替わり、最初のこどもは病気を滅多にしなくなったというケースで、それを母親と一緒に面白がったことがある。
その極めつきが、「泣く子、笑う子、怒りんぼ」の3卵性の三つ子の女の子の姉妹で、1歳から診察をしてきたが、いつも泣く子は泣き、笑う子は笑い、怒る子は怒るので、それが可笑しくて何時まで続くのか興味津々だった。この3姉妹は5歳まで診療した。病気についてはあまり変わりはなかったが、性格はいつまでも違っていた。
50歳半ばから、心に残ることばを書き留め始め、66歳でそれをまとめて「心に生きることば」−BOWの人生哲学−のタイトルでサイトに掲載した。
その書き留めたことばの中に「賢愚は気質による」という司馬遼太郎のことばがあった。このことばを何から見つけたのか分からないが、自分の人生経験から、その通りだと実感し、心に生きることばの中に載せた。この「気質が重要である」という思いは、50代半ばから強くなっている。
「潜在能力」が同じでも、熱中したり、集中したり、全力投球できるという「気質」がなければ、その能力を十二分に発揮することはできない。むしろ、この「気質」は「潜在能力」以上に重要ではないかと思える。司馬遼太郎が「賢愚は気質による」と述べたのは、正しいと思う。持って生まれた「頭の良さ」よりも、「やり遂げようとする気質」の方が、より大事だというわけである。
今回、この「人のこころの面白さ」をまとめるにあたり、「賢愚は気質による」の出典を調べたところ、新潮文庫 小説「峠」の上巻222ページにあった。
・新潮文庫 「峠」上巻222ページ
「人間には、心のほかに気質というものがある。賢愚は気質によるものだ」
わからない。
それを、継之助は懇切に説いてくれた。気質には不正なる気質と正しき気質とがある。気質が正しからざれば物事にとらわれ、たとえば俗欲、物欲にとらわれ、心が曇り、心の感応力が弱まり、ものごとがよく見えなくなる。つまり愚者の心になる。
継之助によれば学問の道はその気質の陶冶(とうや)にあり、知識の収集にあるのではない。気質がつねにみがかれておれば心はつねに明鏡のごとく曇らず、ものごとがありありとみえる。
小説「峠」の中では、「気質には不正なる気質と正しき気質とがある」とあり、一般に使われている「性格の中の生まれつきの部分」とは少し違っていることが分かった。
心に生きることばに取り上げたキーフレーズは442篇で、その内の自作は300篇あり、68%を占めている。だから、自作以外のフレーズも、必ずしもその出典に書かれた意味ではなく、私が同感したものである可能性が高い。あくまでも私の解釈である。
2008年11月に孫娘が生まれた。その成長は「人のこころの」の材料の宝庫で、絶えず拡大を続ける。このような貴重な材料を、私の貧弱な記憶にだけ留めておくことは許されないと思った。
そこで、孫の成長を記録に残すことにした。データは、ビデオ記録から取り出した記事を中心に、私がメモ書きしたものを使って補強した。そのデータを14個のカテゴリーに分け、それぞれのカテゴリーをさらにいくつかの下位のカテゴリー(特性)に細分した。
14個のカテゴリーの中では、「観察」「感情」「言語」「理解」「学習」「気質」「自我」の7個が「人のこころ」に関係している。ここでは、その中の「気質」に的を絞って取り上げることにした。それは「気質」が最も個性を表すからだ。
今回「気質」について調べてみたが、手持ちの4冊の心理学事典、3冊の乳幼児心理学書、1冊の発達心理学書にある「気質」の定義は、それぞれかなり違っていた。また、2冊の発達心理学書には「気質」の項目がなかった。
最近の気質研究者による「気質」の定義にも違いが見られた。ただし、気質は、「発達初期から観察され、時間的に安定的で、遺伝的に影響されているパーソナリティー特徴の個人差を指すものであることに関しては、気質研究者の間で合意が見られている」とのことだ。なんとも曖昧である。
そこで、常識的に考えて、「気質」とは持って生まれた個人の特徴とした。その「気質」を特性で細分して分析することにしたが、この特性についても、気質研究者によって非常に異なっている。その上、それらの特性には、個人の気質を記録するのに有用なものはほとんどなかった。そこで、この気質の特性も、孫の成長観察中に見つけた、顕著で、継続性のありそうなものを選び、この特性を出現順に並べた。
孫に「気質」というカテゴリーを私が認めたのは0歳10ヶ月である。それ以前に、あまり怖がらない子、機嫌のよい子などの気質は表れていたのだろうが、そのころは孫を観察できる時間がわずかだったので、私には分からない。
したいこと、したくないこと、嫌なことについてはっきり意志表示をする。そして、譲れないことには頑強に拒否する。理由無しの命令や禁止にも断固拒否することが多い。しかし、理由が納得できれば、意志を変えることも多い。
まとまった物を一旦分解し、それをまた元に戻すことが好きである。これは頻繁に見られる行動だ。片付けるのが好きなのでは決してなく、元へ戻すことに興味があるようだ。
孫の気質の中で、私がいちばん感心しているのは、このあきらめのよさである。自分のしたいことを理由なしに禁止されたり、命令されると拒否するが、納得できる理由があれば、いさぎよく受け入れる。もちろん、どちらでも良いことは、すぐに受け入れる。
喜びや嬉しい気持ちを、飛び跳ねたり大声をだして、からだ全体で表現するのは、1歳6ヶ月ころからで、それは今も続いている。ビデオの悲しい場面を見ている時の表情も、それに似つかわしい。
私も集中力のある方だが、孫の集中力には負ける気がする。したいことをしている時に、一心不乱にそれに打ち込んでいる姿を眺めながら、人間の素晴らしさを思ってしまう。
気に入ったことは「モウイッカイ」をくり返し、何度も反復する。それに付き合うのが大変なので、頼み込んで止めてもらうことがある。これは、「遊び」「鑑賞」などの状況でよく見られる。
逆らう私に戦いを挑んでくる。知らない大人には人見知りをするが、気は強い。
選択の場面で迷うことがほとんどない。
孫には、孫なりの美意識があるように感じる。壊れたドーナツは嫌いだと言って、一部が壊れたドーナツを食べるのを拒絶した。積み木で柱を立てるときにも、規則性(低いものの上に長いものとか、色の組み合わせ)を持たせる。
一つのやり方を済ませると、違ったやり方を行おうとする。一つの目標を達成したら、それを変えようとする。「作業」の状況でよく見られる。これは 6.反復を好む の正反対である。
1から10までの特性は、何度も似たことを経験している。しかし、この「照れる」はただ一度の経験である。だから、これは気質ではなく、たまたま口にしたのかも分からない。しかし、私としては、「照れ」と言うか「デリカシー」があるのだと思いたい。
以上が、孫の成長記録から取り出して整理をした孫の気質である。現在2歳9ヶ月に入った幼児が、質、量ともに、大人顔負けの豊富な気質を持つという事実を知り、人のこころの面白さを強く思う。
記憶では、私は少なくとも4〜5歳ころから、物を壊したり作ったりすることが好きだった。年を経るにつれ、それは何かを創ること、何かを構築することに変わったが、中身は変わっていない。
また、学生時代から「人のこころ」に興味を持つようになった。しかし、その興味の程度は、物を創ることと比べれば、その20分の1にも満たない。それでも世間一般の人よりは、関心がある方ではないかと思っている。
孫を授かり、その守りをするようになって、人間の成長過程に魅せられてしまった。その中でも「人のこころの面白さ」は抜群である。
これまで「歌と思い出」「心に生きることば」などで、自分史的な記事を幾つか書いてきたが、「人のこころ」という観点からまとめたことはなかった。それをまとめたいと思わせた一番の動機は、孫の成長過程の観察である。ここに取り上げた孫の気質が、気質として長く続くか否かを私が確かめることは、年齢的に難しい。しかし、元になるデータとしての存在価値は、あるのではないかと思っている。
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