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孫の遊びとホモ・ルーデンス

2011.11.11. 掲載
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孫娘は3歳になった。この日まで成長記録をとり続けてきたが、定期的に記録をとるのはここで終わりとして、年内にそれを「孫娘3歳までの成長記録」のタイトルでまとめたく思っている。記録は14個のカテゴリーに分け、さらにそれぞれのカテゴリーを10〜40個の下位カテゴリー(特性)に細分して記録してきた。

この膨大なデータをまとめるのは容易ではない。そこで、私の関心のあるカテゴリーについて、気楽にエッセイのかたちで書くことにより、成長記録をまとめる作業の模索練習とすることにした。

これまでも模索練習を兼ねて、プライドのめばえ孫娘の反抗孫のふざけいたずら人のこころの面白さホモ・ファーベルを載せて来た。

人間の定義として、ホモ・サピエンス(知性人)、ホモ・ファーベル(工作人)、ホモ・ルーデンス(遊戯人)がよく知られている。ホモ・サピエンスとホモ・ファーベルについては、自分の経験からもよく理解できる。それに比べ、遊びについては、無駄や遊びに効用があるとは思ってきたが、ホモ・ルーデンスと定義できるほど「遊び」が人間に特徴的な行動であるとは思わなかった。

成長記録の遊びのカテゴリーは、項目を発生順(時系列)に並べて記述した。その項目を幾つかの基準で分類もした。孫娘を3年間観察している間に、「遊び」がこどもにとって本質的なものであり、価値の高いものであることを知った。それをまとめると以下のようになる。

1.遊びの間、喜び楽しんでいる

これ以上楽しいことはないと言うほど遊びを喜び、楽しんでいる。これは他のカテゴリーにはない大きな特徴で、遊びの本質であろう。私は20代半ばから生きる価値の基本を「生命の発揮」と考えてきた。人の「生命の発揮」とは、単に生きているだけでなく、その生きていることを喜び楽しむことである。

孫娘を観察していると、彼女の「生命の発揮」は「遊び」で最も大きい。昔の人が「遊びをせむとや生まれけむ、戯れせむとや生まれけむ。」と歌った気持ちがよく分かる。

2.早い時期から遊ぶ

遊びは生後5ヶ月で始まり、小さなぬいぐるみや大きいぬいぐるみで遊びはじめた。

3.成長するほど、遊びの種類、熱中度が増す

遊びの記録の生データの数が0歳〜1歳で5件、1〜2歳で14件、2〜3歳で80件と、2歳に入ると遊びは爆発的に増え、熱中度(エンジョイ度)も増し、3歳になる直前の2ヶ月間はそれが最高だった。

4.既製の玩具・遊具以外でも遊ぶ

遊びの項目97のうち、既製の玩具・遊具は39項目で全体の40%であるのに対して、玩具・遊具以外の物での遊びは50項目、52%を占めている。

5.物がなくても遊ぶ

物を使わない遊びは、「いないいないばー」「かくれんぼ」「ふざけいたずら」「バターン遊び」「ボクシングごっこ」「トンボ目回し遊び」の6項目、6%である。「ふざけいたずら」以降の4項目は、ほとんどが孫と祖父との二人の間だけの遊びで、1歳6ヶ月から始まった。

その一つの「ふざけいたずら」は、遊びの生データの件数が多い順で見ると、「ぬいぐるみ」「ボール」「滑り台」に次ぐ。

6.自分で遊びを発明する

孫が考え出した遊びは15項目、15%もある。それは、「バターン遊び」「蛇遊び」「魔女箒遊び」「魔女絨毯遊び」「紙吹雪、かき氷遊び」「目覚まし遊び」「スカーフお化け遊び」「芝居遊び」「ブクブク遊び」「お医者さんごっこ」「トンボ目回し遊び」「ストロー吹雪」「変な顔のお化け遊び」「ソファー電車遊び」「サンタクロース遊び」と祖父が名付けたが、「バターン遊び」を除いて、最近4ヶ月間に集中している。

7.遊びの内容を変えていく

同じ遊びでも、内容を変えていくことが多く、それが新しい遊びの創作につながることもある。

8.目新しい遊びに興味を持つ

玩具売り場、遊戯室、遊園地などで目新しい遊びに興味を持ち、それで遊ぶことを求める。

9.成長すると他人と遊ぶ割合が増える

0歳代では、孫が一人で遊び、それを祖父母が見守る場合が73%だった。1歳代になるとその割合は56%に下がり、2歳代では19%で、8割が祖父母と一緒に遊んでいる。

また、他のこどもとブランコに乗ったり、滑り台を滑ったりして、順番こで遊ぶ楽しさを覚え、知らないこどもと遊ぶ楽しさを体験するようになった。これは来春、幼稚園に入園すれば、飛躍的に高まることであろう。

10.ことばを話す割合がカテゴリーの中で、知覚、対人に次いで多い。

記録したカテゴリーの中では、ことばを話す生データの件数が「知覚」で121件、「対人」で99件と多いのは当然として、その次は「遊び」の51件である。遊びでことばを身につける機会は多い。

11.遊びと境界領域にあるカテゴリーが多くある

「作業」は「遊び」に最も近いカテゴリーであるが、その違いは「遊び」が楽しむことを目的としているのに対して、「作業」は達成することを目的とした手を使う行動と一応区別している。そのほか、「運動」や「鑑賞」、「音楽」なども「遊び」に近い場合がある。

12.ぬいぐるみは変わらぬおもちゃ

最初に手にしたおもちゃはぬいぐるみだったが、0歳代、1歳代、2歳代を通して常に孫の遊びとともにあった。ほかにこのようなものはない。2歳代に入ってからは、自分の弟、妹、友だちのように擬人的に扱っている。

以上12の項目に分けて「遊び」をまとめてみると、こどもにとって「遊び」は価値があり、本質的なものであることが良く理解できる。しかし、「遊び」が大人にとっても同じように価値があり、本質的なものであるということを、孫の観察記録から判断することはできない。

そこで「ホモ・ルーデンス」を提唱したホイジンガの著書を読んでみた。


ホモ・ルーデンス (中公文庫) ホイジンガ (著)、 高橋 英夫 (訳) 中央公論新社 (1973)

ホイジンガは、そのまえがきの中で、
じつに多くの遊ぶ動物がいる。それにもかかわらず私は、「ホモ・ルーデンス」すなわち遊ぶ人という言葉も、ものを作る機能とまったく同じような、ある本質的機能を示した言葉であり、「ホモ・ファベル」と並んで一つの位置を占めるに値するものであると考える、と書いている。

そして、膨大なデータを駆使し、「遊び」について、12の章に分けて論じている。この大著(420ページ)の中で彼が言いたいことは、人間の多くの活動が、ものを作る機能と同様に、遊ぶ機能にも強く結びついているということのようだ。

「ものをつくる」に比べて「遊ぶ」ということばを定義することは非常に難しい。ホイジンガは第1章で「遊び」について、「遊び」を生物学的にも論理的にも完全に定義することはできない生命体の一つの機能であるとし、その本質は「面白さ」であり、その特徴として「自由な行動」などを、56ページにわたって述べている。

その中で「遊び」と「まじめ」は対立するように見えるが、そうではなく、「まじめ」が「遊び」になることも、「遊び」が「まじめ」になることもありうる。そのどちらもが、より根源的な概念に還元することのできない根本的なものだとしている。この部分を私は面白いと思った。

私の場合「遊び」よりは「したいこと」という方が合っている。同様に「まじめ」よりも「しなければならないこと」の方がピッタリくる。その「したいこと」と「しなければならないこと」は対立しているようだが、そうではない。「しなけれならないこと」が「したいこと」になりうるし、「したいこと」が「しなけれならないこと」にもなりうる。お互いは独立していて無関係で、対立する場合が多いだけである。

「遊び」の本質をホイジンガの言う「面白さ」と捉えるなら、「ホモ・ルーデンス」が人類の本質的機能を示した言葉であるとの説も納得できる。「遊び」を「したいことをする」に言い換えるなら、それは私の行動原理の第1であり、「まじめ」を「しなければならいことをする」と言い換えれば、それは行動原理の第2である。この発見を面白く思っている。


<2011.11.11.>

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