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心に生きることば

−BOWの人生哲学−

第9章:価値

2002.11.11. 掲載
2012.11.11. 追加
このページの最後へ

   章内目次

 
01<価値の基準> 02<大切なもの> 03<人生の短さ>
04<生きがい> 05<生き方の規範> 06<満足>
07<幸福> 08<オマケの人生>

  心に生きることば 全目次
第8章:運命 ←            → おわりに

第8章:運命では、人間が決めることのできないことに対して、私はどのように考えて対処するかをまとめた。この最終章に当たっては、私が生きる価値と考えてきたもの、大切にしてきたこと、行動原理など、私個人の生き方をまとめた。

生き方というものは、人それぞれで異なるものであり、多種多様な生命活動こそ、人類にとって望ましいと思っている。


01<価値の基準>

世の多くの人がそうであるように、私もまた生きる価値の基準となるものについて、真剣に考えた時期があった。自分が納得できるものが得られるまでは、何とも落ち着かず、そればかりが頭にあって、悩んでいた記憶がある。

ところが、いったん自分なりの答えを見つけてからは、もうそのことについて、ほとんど考えたり悩むことはなくなった。20代初めのころ、今から40年ばかり前のことである。


1. 生命の発揮(望)

生きる価値の基準となるものは何かと考えていたある時に、閃いたことばが「生命の発揮」である。

周囲を見渡すと、草も木も花も、生命あるものは、その命を精一杯発揮し、充実して生きようとしているように見える。生き物が、与えられた命を精一杯発揮して生きることを、生きる価値の基準と考えると、これまで漠然と自分の頭にあった生きる価値を、体系的に説明することができる気がした。

人の「生命の発揮」とは、単に生きているだけでなく、その生きていることを喜び楽しむことで、具体的には、自分のしたいことを目一杯するということと、ほぼ同じになる。したいことは人それぞれに異なるが、例えば、何かを鑑賞する、他人の喜びに役立つ、何かを創作するなどがそれに当たるだろう。

個々の生き物が、精一杯生きて死ぬことだけでも価値はある。しかし、それを次に続くもの(子孫)につなげるとか、一緒に生きるものの生命を充実させるのに役立つなら、より一層価値があることになる。

もちろん、それでは「何のため生きるのか?」「なぜ精一杯生きるのか?」という問題は残る。しかし、それはいくら考えても分からないことで、考えても分からないことを考えるのは無駄なことである。

この価値の基準を見つけて私は満足した。そして、それ以上深く考えることをして来なかった。

第8章:運命 01<無常>のところで、生命あるものが、その生きている間に、自分の持って生まれた素質を、環境の変化に対応させ、その命を精一杯発揮して生きようとする性質を「生命の法則」と名付けたが、個々の生物についての価値の基準が、「生命の発揮」である。

2. 生命曲線(望)

このキーワードは、「生命の発揮」という価値の基準を考えた時に、それに関連して考えた観念的なものである。生命の発揮度×時間=生命量と考えた。その生命量は、誕生した時から、青年期、壮年期、老年期、死までの間に変動がある。青年期に最も生命活動が発揮され、中年期以降は活動が衰える人もあれば、老年期に最高の生命活動を発揮する人もいるだろう。

その生命量を時間軸で表した曲線が「生命曲線」である。これは、当時の私の頭の中にできた観念的な曲線である。その人の全生命量(一生の生命発揮量)は、この曲線で囲まれた面積で表すことができると考え、大発明をした積りでいた。

追加(2008/11/11)

生命曲線の概念を理解しやすいように下記の模式図を追加

生命曲線模式図

第8章:運命 06<老年> のところで、生命の充実量=その時点での充実度×時間(年月)と観念的に考えると、物理的に生命の時間を延ばしても、脳死あるいは植物人間のように生命の充実度が極めて小さければ、その積である生命の充実量は少ないと書いたが、この場合の生命の充実量=生命量、充実度=生命の発揮度である。40年が過ぎても進歩が無く、今でも、私の頭の中には昔の考え方が残っているようだ。

3. 無価大宝(むげたいほう) ひとの価値(道元)

これは「道元禅師からのメッセージ」の4番目に書かれていることばである。

「ひとの価値は地位・財産・職業に関係ありません。知識・能力だけでひとを評価すると、過ちを招きます。知識を生かす心と行いこそ大切です。ひとの価値は心と行いから生ずるのです」

人間の価値は、知識を生かす心と行いから生ずると説く、この道元禅師のことばも、私の考える価値の基準に近いと思う。

4. 人の生命は地球より重いか?(望)

このことばは、日本赤軍の要求に応じ、服役中の赤軍幹部ら計11名を釈放した際に、当時の福田首相が発言したものであるが、その由来は、昭和23年の最高裁の判決にある。

「生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる刑罰のうちでもっとも冷厳な刑罰であり、またまことに止むことを得ざるに出ずる究極の刑罰である。それは言うまでもなく、尊厳な人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去るものだからである。」

このことばは、人の命の尊さを強く表現したものであるが、余りにも文学的で、法律の文章の体をなしていない。法令に、このような情緒的な修飾語が挿入されたことにより、論理的であるべき思考に代わって、感情論理を一般に浸透させてしまった責任は重大である。

世の中には「1人の命と9人の命のどちらが大事か」という状況がしばしば発生するが、この感情論理では、それを解決することはできない。どちらも無限大に大切なものだから、比較にならないわけである。

それぞれが対等の人間であるとするなら、9人の命は1人の命より大事であると考えるのが常識であろう。1人の命と引き換えに地球を破滅させても良いなどと考え、それを実行するエゴイストがいるとは、到底思われない。

もし、そのような人間が居れば、私たちは自分の命を守るため、戦わざるを得ない。


02<大切なもの>

1. 生きる自由(望)

これは書くまでもなく生物にとって必須条件である。自分の生命を守ることは他の何よりも優先される。

2. したいことをする自由(望)

これは生命の次に大切なことがらであると思う。少なくとも、私にとってはそうである。それは、私の「生命の発揮」に結びついているからである。ただし、人間は一人だけで生きているわけではない。したいことをすると言っても、他人の迷惑にならないようにという制限がつくのは当然であろう。

他人もまた、自分のしたいことをする自由があり、それが、私のしたいことをする自由と衝突する場合も起こり得る。その調整をうまく行なうために、マナーを使い、話し合い、最後は法律に頼ることもあるだろう。

幸い私は、これまでの66年の人生の中で、自分がしたいことをすることによって発生するトラブルを、経験せずに済んだ。まことに運が良かったと、ありがたく思っている。

また、したいことだけをして生きて行くことのできる人間などは、この世に存在しない。誰もが生きて行くために、しなければならないことをしている。自由と権利には、責任と義務がつきものである。自由と権利だけを求めるのは、身勝手なエゴイズム以外の何ものでもない。

私は、したいことをする自由を命の次に大切と思うが、して欲しいことをしてもらう自由や権利などは、低く評価している。

世の中、してもらう権利ばかりを主張し、「〜してくれない」「どうしてくれるのよ!」と文句を言う人間が多い。しかし、私はそのような人間を好きになれないし、できることなら付き合いをしたくない。

3. 3番目に大切なのは誇り(望)

この「誇り」は「美意識」と言い換えることもできる。「したいことをする」という動的ことがらに対して、「誇り」は静的なものである。関西弁で言えば「エエカッコ」で、カッコイイことが大事なのだ。ただし、これは他人がどう評価するかとは関係なく(少しは関係するか?)、自分がカッコイイと思うことである。

それに対して、「名誉」などは、まったくと言って良いほど関心がなく、大切ではない。どうして世の中、勲章を欲しがる人が多いのか理解に苦しむ。名を惜しむなどと言うが、よほどの著名人であっても、名が残るのは長くて死後5年、私などは3ヶ月も持てば良い方だろう。


03<人生の短さ>

1. 人皆生を楽しまざるは、死を恐れざるゆえなり(吉田兼好)

私は「徒然草」からいくつかの人生訓を学んだが、その一つが、この「人皆生を楽しまざるは、死を恐れざるゆえなり」である。これは「死を恐れざるにはあらず、死の近きことを忘るるなり」と続く。「徒然草」第93段である。死を人間の運命として自覚した人は、一日一日を喜びをもって、自分のしたいことをして送るはずだ、ということばに同感した。

私は早くから妹、母と死別したこともあり、30代から死を意識してきた。また、生きる価値の基本を「生命の発揮」、つまり「充実した人生」と考えてきたので、この兼好のことばの意味するところがよく分かり、「徒然草」の中でも一番好きな段である。

2. 明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは(親鸞)

親鸞は4歳で父、8歳で母に死別し、9歳で出家をした。その得度(とくど)について、「明日してあげよう」と言う慈鎮和尚の言葉に対して、「人間、何時死ぬかはわからない。明日の命の保証は誰もしてくれない。だから、今日得度をして欲しい」との意味をこめて、この歌を詠んだのだという。

9歳のこどもが、それほど強く死を意識していたことに驚く。まこと、人の命は誰にも分からない。そのことを悟れば、毎日を精一杯生きようと思うかもしれない。

3. 人生は短い。この書物を読めばあの書物は読めないのである(ラスキン)

ラスキンは、短い人生において読書できる時間は限られている。だから、それに値する良書を読めと述べている。これはまた、前に読んだつまらない本を、もう一度読んでしまう愚を避けよ、と言う意味にも通じる。

読むに値しない本を、何度も読んでしまわないために、それを捨てるという読書法を、私は受験勉強で身に付けた。そのことを第5章:情報 04<情報の整理>のところで書いている。

今回のこの心に生きることばを書くに当たって、これまでに読んだ、これに関係する書物のほとんど全部に目を通した。そして、もう二度も読むことはないと思う書物を処分し、今はガレージに積み上げてあるが、さっぱりして気持が良い。

4. 短い人生は時間の浪費によっていっそう短くなる(サミュエル・ジョンソン)

無駄は読書に限らず、付き合いも含めていろいろある。人生のゴールが見え出して、残り時間が限られてくるのを自覚すると、したくないことに時間をとられるのが惜しくて、それをできるだけ減らしたいと思う。しかし、そうは言ってもなかなか難しいのだが、、、

5. 光陰矢のごとし(諺)

人間は年をとるとともに、加速度的に時間の過ぎて行くのを速く感じるようになる。古今東西、感じることはみな同じのようで、英語は Time flies. ラテン語は Tempus fugit. 時は飛ぶという。

6. 残された時間はわずか、今が大事(望)

10数年前のことだ。妻の友人の夫が癌であることを知って、「一日一日が大事ね」と妻が友人を慰めたところ、彼女は即座に「今が大事なの!」と答えたそうだ。

妻はそのことばに衝撃を受け、私に話したが、私も同じで、そのことばが強く心に残っている。以前から自分の残り時間の少ないことを自覚していたが、それは頭で考えていることだった。実際にその状況下にある者にとって、今の今が、かけがえのない大事な時間であることを知った。

7. セプテンバー・ソングは人生秋の歌(望)

セプテンバー・ソングは、私が高校生のころ流行したアメリカン・ポピュラー・ソングである。「5月から12月までの時間は長いけれど、9月の声を聞くと、残された日々は少なくなる。だから、貴重な日々を貴方と一緒に過ごしたい」と、人生の秋を歌っている。今まさに晩秋にいる私に、ふさわしい歌だ。人生の中で、自分は今どのあたりにいるのかを、四季から考えてみるのはロマンチックな表現だと思う。

最近、人生の時期を時計で表現する方法を知った。自分の年齢を3で割れば自分の人生の時刻が出るというものだ。私は今66歳だから、22時ということになる。残された時間は2時間というわけだ。これは、人生を72年と仮定して24時間で表している。

自分の寿命を80歳くらいと思っている人にとって、先の計算で得られた時刻では、針が進み過ぎだと思うだろう。80歳とすれば、0.3を掛けると人生時刻が算出できる。私の場合、19.8時、つまり19時48分となる。そうすると4時間12分が残っている勘定だ。

もっと長く生きられるはずだと思う人は、96歳の人生を考えて、自分の年齢を4で割れば良い。私の場合は16.5時、つまり16時30分で、残り時間は7時間30分もあることになる。

もちろん、自分の人生の長さを知ることはできないが、日本人の平均寿命(2001年は男子78歳、女子85歳)、長寿短命の家系、そのほか寿命に関係しそうな因子を勘案して、自分なりに推測する人もいるだろうし、そんなことは考えず、ひたすら長寿願望で自分の寿命を考える人もいるかもしれない。

自分の寿命を何歳と考えるかで、人生時計の時刻は変わるわけだが、この人生時刻には、現在の人生の時期を直感的に理解できるメリットがある。そう言うわけで、遊びのようではあるが、少しは実用価値もあると思う。

私は一応70歳を人生のタイムリミットと考えてきた。それは、短命の家系であり、医師は一般の人より死亡年齢が10年くらい低く、医学部を一緒に卒業した83名中11名が既に死亡している。解剖実習を共にした6名中3名がもう居ない。これらを総合して考えると、父の亡くなった71歳くらいの寿命と考えるのが、まともな神経であろう。そこで、切りの良い70歳としたわけだが、人生時計に合わせて72歳としても一向に差し支えはない。そうすると、現在の人生時刻は22時で、眠りにつく2時間前となる。

もしも、その後も命があれば、あとはオマケの人生、夜遊びをして違う人生を試みるかもしれない。例えば、あかんでもともとで、荒唐無稽な目標を立てるかもしれないし、スケールの小さい1年単位の目標を立てる可能性もある。それはどちらでも良い。第4章:解決のところで書いたように、私はタイムリミットが好きな人間だから、誕生日を節目にして、1年ごとにしたいことを考えている可能性が一番ありそうだ。

補足(2008/11/11)

71歳からオマケの人生に入ったが、予想と違ってタイムリミットを設けない生き方を選んでいる。本当の人生と根本的に違うのが、タイムリミットだとは愉快だ。あるがまま、なるがままに生きることは、しみじみとした幸せにつながる。案外これが、オマケの人生にふさわしい生き方かも分らない。


04<生きがい>

1. 隋処作主(ずいしょさしゅ) どう生きるか(道元)

「生まれて死ぬ一度の人生をどう生きるか、それが仏法の根本問題です。長生きすることが幸せでしょうか、そうでもありません。短命で死ぬのが不幸でしょうか、そうでもありません。問題はどう生きるかなのです。」

これは「道元禅師からのメッセージ」の2番目に書かれたものである。これを永平寺で初めて読んだ時、仏法の根本問題がどう生きるかだということを知って、20代半ばのころ、このことについて真剣に悩み考えたのがそれで良かったのだと嬉しくなった。それと同時に、道元の禅宗に親近感を抱いた。

2. 安身立命(あんじんりょうみょう) 人生に定年はない(道元)

「死を迎えるその一瞬までは人生の現役です。人生の現役とは、自らの人生を悔いなく生き切る人のことです。そこには老いや死への恐れはなく、尊く美しい老いと安らかな死があるばかりです。」

これは「道元禅師からのメッセージ」の3番目に書かれたものである。この「自らの人生を悔いなく生き切る人」ということばは、私が20代半ばから持ち続けてきた生きる目的と、まったく同じであることに感激してしまった。

私は、権威のある人が言ったことばを盲信することはしない。むしろ、「まてよ、ちょっとおかしいのと違うか?」と、まずは批判的に受けとめる習癖がある。例えば、キリストがどう言った、釈迦がこう言ったと言われても、無批判に受け容れることはしない。ところが、逆に自分の考えと合っている場合や、あるいは、それをもっと深めた考えに接すると、本当にそうだと納得して、それを受け容れ、同時にその人を尊敬する。

第8章:運命 02<運命>のところで、人生で運命を強く感じる時がある。その一つが人との出会いであると書いた。もう一つは、ことば(考え方)との出会いである。医師会旅行に参加しなかったなら、医師会旅行の行き先に永平寺が含まれていなかったなら、そこ並べられていた英文併記の「道元禅師からのメッセージ」のパネルの前を素通りしていたなら、道元の思想を、生きている間に知ることはなかったかもしれない。

妻もこのパネルを読んだが、私のような思いはなかったようだ。だから、この問題に強い関心を持っている私が、パネルを読むことによって、はじめて成立した出会いだと言える。私の考えと非常に近く、重要な部分では全く同じ考えを持つ既存宗教の存在を知ることができたのは、運命と思わざるを得ない。

3. いかに長く生きたかではなく、いかによく生きたかが問題である(セネカ)

このことばは、古代ローマのストア学者であるセネカの著書「人生の短さについて」の中に書かれている。まことにその通りだと思う。

「よく生きる」とはなにかについて、私は先に述べたように「生命の発揮」と考えた。くり返すと、生きていることを喜び楽しむこと、具体的には自分のしたいことを目一杯するということになる。充実感のある人生を送るというのも同じ意味だ。そうすることによって、死ぬ時に後悔をすることはないだろう。

4. 悔いなき人生(望)

悔いなき人生、正しくは悔い少なき人生である。私は80点主義で生きてきたので、目標の80%が達成されれば大満足で悔いはない。それが60%でも何とか満足できる人間である。

一回限りの人生だから、自分の人生は思うように生き、したいことをして、死ぬときに悔いることのないように生きたい。これが、私の生きる目的であり、20代後半から変わらずに持ち続けてきた私の生きがいである。

何をしたいかについては、この章の01<価値の基準>のところで簡単に述べたが、第2章:欲求第7章:創造の二つの章に、私のしたいことのすべてを書いたつもりだ。


05<生き方の規範>

生物は与えられた生命をそのまま発揮するように生きている。しかし、人間はそれだけで生きることには満足できず、何らかの規範を考えて生きようとする。生きる目的、生きがい、価値の基準といったものは、私にとってその根本的なものであるが、日常生活でも、いくつかの自分なりの規範を持っている。

例えば、第2章:欲求 10<私の美意識>に書いたことも私の「生き方の規範」である。ここでは、その他の、私にとって大事な「生き方の規範」を書いておく。

1. 他人に与えた喜びが、他人に与えた悲しみを、少しでも上回るように生きる(望)

したいことをするのが私の「行動原理」であり、思いっきりしたいことをして充実して生きることを「生命の発揮」として、生きる目的としてきた。

しかし、人間は一人で生きているわけではない。自分のしたいことと他人のしたいこととが衝突する場合も起こり得る。また、他人に迷惑をかけないつもりでしたことでも、他人を傷つけてしまうこともある。

だからと言って、他人を傷つけまいといろいろ考えて行動していたのでは、思い切って生きて行くことはできない。

そこで、単純明快に、「他人に与えた喜びの総量が、他人に与えた悲しみの総量を、少しでも上回るように生きる」ということを、私の「生き方の最低必要条件」とし、「行動の規範」としてきた。そして、喜びの総量が、悲しみの総量より、大きければ大きいほど価値があると考えた。

2. 自分で目標を作り、タイム・リミットを設け、それを守る(望)

私の行動原理は「したいことをする」である。その中でも、何かを作る、問題を見つけ、問題を作り、それを解決するという「能動的欲求」を満たすことが一番したいことである。

その場合、自分で目標を作り、タイム・リミットを設けている。これについては、第4章:解決 08<タイム・リミット>にも書いた。

私は、タイム・リミットを設け、それに向けて可能な限り努力するのが好きな人間だ。与えられたタイム・リミットはもちろん、自分で決めたタイム・リミットを守るのが私の「生き方の規範」の一つで、これまでタイム・リミットを守らなかったことは無かったと思う。

もちろん、タイム・リミットを守ることが良いとか、守らないのが悪いとかという問題ではない。それはその人の生き方の問題である。

補足(2008/11/11)

先にも書いたが、71歳からオマケの人生に入り、タイムリミットを設けず、あるがまま、なるがままに生きている。

3. しゃーないことはしゃーない、仕様があることは、仕様がある(望)

これは第8章:運命 03<受容>ところで書いたフレーズである。「しゃーないことはしゃーない」というのは、私の「生き方の規範」の中でも重要な部分だと思う。「しゃーない」は「仕様がない」の関西弁である。世の中には、どうしようもないことがある。それを嘆いても、悔やんでも、腹を立てても、何の効果もない。運命は甘受するより仕方がないという考え方だ。

しかし、仕様があることには仕様を考え、投げ出さず、努力をすることもこれに付随する。

4. 80点で満足する(望)

私は時に、完全主義者と誤解されることがあるが、実際は逆で、不完全主義者である。

小学生のころから、ケアレス・ミステークをして100点を取れないことが多く、開き直って、99点で良いと思うようになった。

その代わり、他のことでも99点を目指すことにし、これを99点主義と名付けた。小学校のテストの99点と言うのは、世の中一般では80点程度に相当するだろう。そこで、99点主義の代わりに「80点主義」と呼び代えることにした。

100点を望まず、99点、一般には80点で満足すると、生きるのが非常に楽になる。また、「80点主義」は効率が良く、少ない努力で大きな効果を上げることができる。

私があまり努力をしないで、そこそこに充実して生きることができたのは、80点で満足してきたお陰だと思っている。第8章:運命 04<神>のところで書いたように、私の神は99.9999%は正しいが、0.0001%は間違う。神ならぬ身の私が、99%では出来過ぎ、80%でちょうど良い程度だろう。

今から4年前に「80点主義」についてまとめ、このホーム・ページに掲載した。今回それに少し手を加え、この心に残ることばの付録とすることにした。

5. 一筋の道(曲直部壽夫)

93年の暮れに、それまでの開業医のまとめとして「野村医院二十年史」を作り、それを、自分から医局を出てご迷惑をおかけした恩師曲直部先生にお送りした。その時、先生は慢性の肺疾患で入院中にも関わらず、目を通して下さった上、電話で妻に「野村君らしく一本筋が通っている」と言って下さった。

翌年2月には「一筋の道 野村望国手開業二十年を祝す 曲直部寿夫」と揮毫された鮮やかな額が送られてきた。これを読み、感激で胸がつまり、涙がこぼれた。先生は不肖の弟子を許して下さったのだと、その時直感したのだ。その時から、この揮毫は診察室の壁にあり、診察中の私は、左斜め上に見上げている。なお、国主というのは医師を敬っていう語である。

この「一筋の道」「野村君らしく一本筋が通っている」という恩師のことばから、これもまた私の「生き方の規範」の一つであることに気がついた。大学を辞める時も、いったん口にしたことを変えるのを潔しとせず、先生の慰留を固辞した。

そのほか、何かにつけ、自分のしたいことを行い、したくないことをできる限り避けて生きてきた。その点、まことに私は頑固者だと思う。


06<満足>

1. 少欲知足 足ることを知る心(道元)

これは「道元禅師からのメッセージ」の12番目に書かれていることばである。「貧しいことが善でもありません。豊かなことが悪でもありません。貧富にかかわらず、貪欲の心がおこるとき、人は美しい心を失います。仏心とは足ることを知る心のことです。」

このことばもまた、私がずっと思ってきたことと同じであり、道元と禅宗を、限りなく身近に感じることになったことばの一つである。

第2章:趣味 10<私の美意識>のところで、「快感をとめどなく求めるは醜悪」と書き、第8章:運命 03<受容>のところで、「しゃーないことはしゃーない」と書いたように、貪欲は性に合わず、あきらめは良い。

しかし、「仏心とは足ることを知る心のことです」と言われると、私の場合は自分の美意識に反するから、足ることを知っているだけで、仏心など、とんでもないと思ってしまう。

2. 満足は天来の富みである(シェークスピア)

満足することは、この上なくすばらしい富である、というこのことばに同感する。そうとは分かっていても、満足できない人がいる。どうも、それは性格に関係しているらしい。あきらめの悪いタイプの人に多いようだ。総じて文句垂れである。一方、満足しやすい性格はその反対で、あきらめの良いタイプの人が多いように思う。

3. 満足は幸福につながる(望)

満足こそ幸福である。足るを知ることから感謝の気持が生まれ、ああ幸せだなという気持になる。欲を減らし、思い通りにならないことは、あきらめればよいのだが、それができない性格の人を気の毒に思う。


07<幸福>

1. 与うるは受くるよりも幸いなり(レ・ミゼラブル)

敗戦後間もなくのころ、小学校の4〜5年だった思う。父に連れられて、モノクロのレ・ミゼラブルを観た。話の筋は当時の少年少女小説「ああ無情」の通りだったと思うが、字幕に出た「与うるは受くるよりも幸いなり」のことばが妙に頭に残って離れず、「なぜ、もらうよりもあげる方が幸せなのか?」ということが気になって仕方がなかった。

このことばの正しさが分かったのは、それから10年以上過ぎてからだと思う。年をとるにしたがって、このことばの重みが増して行った。特に医師になり、結婚してからは、心からそう思うようになっている。

これを書くために、この映画について調べてみたら、1935年制作の「噫無情 レ・ミゼラブル」のリバイバルだったようである。

2. 愛されることは幸福ではなく、愛することこそ幸福だ(ヘッセ)

私は中学2〜3年のころ、ヘッセの「デミアン」に夢中になっていた。これで、思春期を乗り越えることができたのではないかと思っている。そのヘッセが書いた、「愛されることは幸福ではなく、愛することこそ幸福だ」を、その通りだと思う。私も「愛されるより愛したい」人間である。また、このことばは、第1章:人間 01<恋愛>のところで書いたものの再掲である。

3. 国家が、君に何をなし得るかを問うな、君が、国家に何をなし得るかを問え(ケネディー)

  Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.

ケネディーは、1962年の大統領就任演説の中で、このことばを述べた。この年に私は医師となり、大阪大学第一外科に入局した。そのころには、私の生き方の方向も決まり始めていた。「人にしてもらうのは嫌い、人にするのは嫌でない、自分でするのは大好き」というように、能動を好み受動を嫌う傾向は、このころからはっきりしてきたと思う。

だから、なんとカッコイイ演説なんだろうと、このケネディーのことばにすっかり惚れ込んでしまった。そして1971年に大学を辞める時、医局での挨拶で、このことばを借用した。それは「医局が私に何をしてくれるかを求めず、私は医局にこれだけのことをしてきた」と述べたのだった。後にも先にも、このような挨拶をして医局を離れた者は居ないだろう。

以上の3つのことばは、いずれも受動的な行動よりも能動的な行動に大きな価値を置いている。そして、私もまた同じ価値観を持っている。

その出発点は小学生のころ疑問に思った、「与うるは受くるよりも幸いなり」ということばである。幸福というものは求めて得られることは少なく、他人が幸せになるように行動する時に得られることが多いのではないかと思う。

4. 人は幸福である義務を持つ(アラン)

「文句を言うのは止めよう、自分のことを愁嘆するのはやめよう、自分が生きてきたことを幸せだと思おう、そう思う義務がある」というアランのことばを最近知った。

私は生きる価値を「生命の発揮」と考えたが、幸福であるというのはまさに生命を精一杯発揮している状態である。この「人は幸福である義務を持つ」ということばは、私の生きる価値観をカッコヨク表現したらこうなるのだと思っている。

5. 素直に喜べる心、素直に感謝できる気持は相手を幸せにする(望)

私は幸せを意識して求めて来たことはないが、幸せに感じたり、他人が幸せそうに見える時に気付いたことを書きとめてきた。そのいくつかを書いておくことにする。

何か良いことがあったとき、義理とか打算とかではなく、心から喜んでもらったり、心から感謝をしてもらうと、それによって非常に幸せな気持になる。だから、思っているのなら、素直に喜びや感謝の気持をことばで表わすことを勧める。

6. 愛されていることを喜ぶことは、愛してくれている人を幸せにする(望)

「あなたに愛されて嬉しい、幸せである」と喜びを表現することによって、逆に自分を愛してくれているその人を、幸せな気持にさせるものだ。

7. しみじみとした幸福感は夕食どきに得られる(望)

ここ10数年、午後8時から9時までの夕食どきは、私にとってかけがえのない大切な時間である。朝食と昼食はカップヌードルのような簡単なものをあわただしく口に放り込むだけ。ところが、夕食はゆっくり落ち着いて、私の好みのものを数種類、美味しく、腹十二分目になるまで食べる。同時にビール633ml瓶を2本程度飲みながら、ゆっくり朝日新聞と読売新聞を読み、テレビを観る。そして妻ととりとめのない話を交わす。その時に、いつもしみじみとした幸福感を味わう。

妻は、開業以来私と一緒に、フルタイム働いているので、ゆっくり買い物をしたり、料理をする暇がない。それでも、夕食は私の好きなものを並べてくれる。「あなたは料理の天才だ」と思わずもらすこともあるが、何のことはない、私の好きな店屋物を見つけて来る天才なのだ。だから、美味しく食べる夕食は、ほとんどスーパーで売られているものばかりである。

この夕食どきの幸福感をいつまでもむさぼることはせず、9時からは診察室に行き、1日の集計、日計表の打ち出し、その他の診療に関するその日のまとめを済ませる。それから、パソコンを使っていろいろ作業を行う。快感の後はストイックになるべきだというのが私の美意識で、そのことは第2章:趣味 10<私の美意識>のところでも述べた。

補足(2008/11/11)

リタイヤして3年が過ぎたが、夕食どきが幸せな時間であるのは変わらない。その後をストイックに過ごすということはしなくなった。しても良し、しなくても良し、思うがままに過ごしている。

修正(2012/11/11)

オマケの人生に入ったころから、外食をほとんどしなくなり、夕食の時間は午後7時から9時までの2時間に延びた。ビールは瓶でなく350mlの缶3〜4缶に変わり、夕食後ソファーで横になる場合も増えたが、夕食どきが幸せな時間であるのは変わらない。

8. 湧き上がる幸福感は達成感に通じる(望)

夕食どきのしみじみとした幸福感というのは、第2章:趣味のところで述べた「基本的欲求」が満たされた状態に近い。しかし、もちろんこれだけでは満足できない。「能動的欲求」を満たすべく行動するのが私の一番したいことである。具体的には、何かを作ること、問題を見つけ、あるいは問題を作り、その解決に努めることであるが、そのことについてはくり返し述べてきた。

自分で決めた目標を、タイム・リミットに間に合わせて達成できた時の満足感は、湧き上がる幸福感と表現すべきものと思う。何とも嬉しく誇らしい気持、そして、その気持を抑えきれず「見て見て!」と叫んでしまう。この湧き上がる幸福感は長続きせず、間もなく次のしたいことに取り掛かってしまうのだが、この達成感を求めて私は生きているようなところがある。

補足(2008/11/11)

オマケの人生に入ってタイム・リミットを設けず、なるがままにしたい仕事を行なっている。それをやり遂げた時の達成感や喜びは、タイムリミットを設けていたときとどこか違う。達成感よりも、その行程を楽しむようになった。それは、少年のころ、食事を忘れてもの作りに熱中していたころの喜びである。

補足(2011/12/23)
タイム・リミットを設けず、したい仕事をしていることが多いが、かってのようにタイムリミットを設け、必死で仕事をすることも時々ある。最近では孫娘3歳までの成長記録をまとめた時だった。常時したいというわけではないが、この作業が面白くて楽しく、没頭してしまう場合もあるようだ。

9. したいことをした結果が、他人にも役立てばより幸せ(望)

私の生きる目的はしたいことをすることであると、くり返し述べてきた。もちろん、それが中心であることに違いはないが、最近になって、それだけでもないと思うようになってきた。それは、したいことをして得られた結果が、他の人に役立つのを知ると、達成感とは違った種類の幸せを感じることに気がついたからである。

ふり返ってみると、大学にいたころから、自分が体得したノウハウを他人に教えるのが好きだった。開業20年目に野村医院20年史を出版したが、この中にも開業医に役立つと思うことをできるだけたくさん書いた。パソコンを始めた85年からは、大阪府医師会マイコンクラブやパソコン通信の世界でそれを行なって来た。Windows95が普及し始めた96年からは、交野市医師会のパソコン同好会会員に対してそれを行ない、自分のホーム・ページ上では、それをより積極的に行なってきた。

「道元禅師からのメッセージ」の9番目に、度衆生心(どしゅじょうしん)が書かれていて、「仏心とは、自分のことはさておいても、世のため人のためにつくそうという心に他なりません」とある。

悲しいかな、凡人である私は、あくまでも自分のためにしたいことをするのであり、世のため人のためにするのではない。しかし、その結果が、世のため人のためになるところがあれば、それは幸せと思う。

95年発行の交野市医師会会報第1号に、自分のしたいテーマは30あるが、その中で最もしたいテーマの第1は「歌と思い出」を書く、第2は「心に生きることば」を書く、第3は「歌のインデックス」を作ることだと書いた。

この「心に生きることば」の完了で、最もしたいと思ってきたことは達成できたことになる。しかし、もう心は次のしたいことに向かっている。

今しばらくは診療という、しなければならないことをしながら、したいことをするが、間もなく、しなければならないことは大幅に減る。そうなれば、したいことをもっと速く達成できるだろうし、もっと違ったタイプのしたいことが出てくるかもしれない。

現在は、自分のために、自分のしたいことをしているが、そのころには、他の人の役に立つことをすることも、自分のしたいことになるのかもしれない。

補足(2008/11/11)

オマケの人生に入っても、変わらず自分のしたいことをしている。その結果が他の人の役に立てば嬉しいが、他の人の役に立つことを目的とはしていない。もし、今後他の人の役に立つことを目的することがあるとしても、それは自分がしたいからであり、利他的に生きるためではないはずだ。


追加項目(2008/11/11)

08<オマケの人生>

追加フレーズ(2008/11/11)

1. 死亡想定年齢を決めて生きる(望)

私は死亡想定年齢を70歳と決め、それ以後は、命があればそれからはオマケの人生として生きようと決めてきた。死亡想定年齢を決めたのは50歳ころからだと思う。

年をとるにつれて、したいことが増える一方であるのに対して、果たしたことの割合が増えないことに焦りを覚えるようになった。

そこで、死ぬ時期を想定して、それまでの期間に優先順位の高いものから済ませて、80%の到達を目指そうと考えたが、70%に終わった。 詳しくは死期を想定して生きるに記載した。


追加フレーズ(2008/11/11)

2. オマケの人生は、あるがまま、なるがまま、思うがまま(望)

死亡想定年齢を過ぎた71歳からはオマケの人生に入った。オマケの人生に入るまでは何も考えなかったが、実際にオマケの人生に入ると、もうタイムリミットを決めてそれを守る生き方を止めようと真っ先に思った。

そして、自分を含めて人間には「あるがまま」、運命に対しては「なるがまま」、したいことに対しては「思うがまま」に対応している。

とは言え、したいことをしている時間、それに集中している時間は、本当の人生の時よりも比較にならぬほど長いのだが、こういう生き方に身を任せると、しみじみとした幸せを感じる。

オマケの人生の模様は、 オマケの人生が始まる年、 オマケ1年目をふり返って、 オマケの人生で変わったこと、 にまとめている。


<2002.11.11.>
<2008.11.11.>
<2012.11.11.>


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