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2014年の総括

2014.12.28. 掲載
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目次
  1.重点をおいたこと
  2.新しく始めたこと
  3.続けていること
  4.サイトに載せた記事
   ●言葉  ●音楽  ●映像
   ●PC  ●旅行
  5.交流
  6.健康
  まとめ


2003年から、年末にその年の総括を載せてきたので、今回で12回目となる。

1.重点をおいたこと

石巻での復興支援交流コンサートに参加する

サイト掲載記事の、Googleでの検索順位を調べる

サイトの記事を見直し、修正、精選する


2.新しく始めたこと

老化現象に対応して行った方法をサイトに掲載する

サイトに載せていないテーマについて記事を書く


3.続けていること

1日およそ10時間くらいPCに向かっていることは、医業を退いた2005年から続いている。そのほとんどが、何かを創るためにPCを道具として活用している。

夕方約2時間程度の妻とのウォーキングは2007年末から続けて来たが、昨年、妻が転んで右ひざを骨折したので、その後は、地下鉄で梅田に出かけるスタイルに変わった。秋から、ウォーキングを復活している。

夕食はほとんど家で、午後7時から9時頃まで、休肝日を設けずスーパードライ350mlを3缶から4缶飲み、妻ととりとめもない話しをし、TVなどを見るのも変わりはない。そして、この時が一番しみじみとした幸せを感じる時間であることも変わっていない。また、夕食が腹12分目であることも、20年以上前から続いている。

朝食は、毎日うどんか蕎麦を、一味唐辛子を思いっきりかけて食べるのも変わっていない。これは結婚以来で、今年は結婚46周年だから、それほど長く続いていることになる。この麺類に、たっぷりの刻みネギと固い蓮根の天ぷらを添えるのも、大阪市内へ転居してからなので、9年以上続いている。

7年前から、毎月2回コーラスのレッスンを受けている。

年賀状のスタイルも、2008年から変わっていない。


4.サイトに載せた記事

今年サイトに載せた記事は、この「1年間の総括」を含めて14件で、昨年と同様サイト開設以来最少だったが、内容は自分にとって有用なものだった。また、Google検索で1位の記事は4件(29%)、10位以内は11件(79%)だった。

●言葉

白内障手術体験記 (04/21) Google検索:3位/約 21,200 件
頚椎症性神経根症を患う (06/22) Google検索:1位/約 6,640 件
天からの啓示? (07/14) Google検索:4位/約 201,000 件
私の補聴器使用法 (10/02) Google検索:1位/約 408,000 件

PCに10時間も向かっているのは、何かをまとめたり、記録に残したりしているためで、そのうちの文章が主体のものを「言葉」というカテゴリーに区分している。

●老化現象に対応して行った方法をサイトに掲載する

今年に入って老化現象が目立ってきて、苦痛を感じるようになってきた。それに対応するために行ったことをまとめた。

その最初は、視力の低下に対して、白内障手術を受け、白内障手術体験記 のタイトルでウエブサイトに掲載した。

白内障手術の手術を受ける頃から、右腕がしびれて痛むようになった。肩も首も凝り、だる痛い。これに対して、 頚椎症性神経根症と自己診断して頚椎症性神経根症を患うのタイトルでまとめ、ウエブサイトに掲載した。経過は良好で日常生活に支障はなくなった。

聴力の低下も、今年に入って強くなり、会話に支障があるばかりか、自分の歌っている声もよく聴こえず貧相で、暗い気持ちになっていた。白内障の手術で視力が非常に良くなったので、聴力も補聴器で改善するのではないかと予想して、病院の補聴器外来を受診し、補聴器を装着した。

しばらくは、余り聴力の改善は見られなかったが、いろいろ調整を受け、最近になって、かなり満足できるレベルに改善している。とは言っても、音色は昔の自分の声からほど遠い。きれいな音色で昔は聴こえていたのだと分かり、それが可能だった過去があることを幸せに思う。人は失ってはじめて、失う前の状態の幸せを実感できるように作られているのだろう。

この聴力低下に対して補聴器装着を試みたが、その一部始終を、私の補聴器使用法のタイトルでウエブサイトに掲載した。

○サイトに載せていないテーマについて記事を書く

私は、これまで生きてきた78年間で、一度だけ、不思議な現象に遭遇したことがある。これは鮮明に記憶に残っている。この現象を詳しく記録し、その現象の発生メカニズムを考え、この現象から私はどのような影響を受けたかをまとめ、天からの啓示?のタイトルでウエブサイトに掲載した。


●音楽

男声カルテット GNT4 デビュー (01/31) Google検索:1位/約 6件
ミュージカルと私 (03/09) Google検索:11位/約 1,620,000 件
私の好きな映画音楽 (03/22) Google検索:2位/約2,090,000件
第6回コンサート (03/31) Google検索:7位/約 1,030,000 件
ハートリー合唱団 石巻演奏旅行 (08/21) Google検索:1位/約 98 件

○石巻での復興支援交流コンサートに参加する

男声カルテット GNT4 デビュー

昨年から月に1回コーラスに参加している20歳前後の若者二人と、私たち高齢者二人が、男声カルテットを組んでデビューした。祖父と孫の年齢差が面白く、好評を得たようだ。

デビューはソロプチミストの新年例会だったが、その他にも、参加しているハートリー合唱団の第6回コンサート石巻での復興支援交流コンサートにも出演した。

第6回コンサート

3月30日に私が所属し、レッスンを受けているハートリー合唱団の第6回コンサートが、恒例のフランス料理店 ル・ビューイーゼルで開かれた。第4回からは新森美加先生が教えておられるハートリー合唱団の他に、先生が教えておられるフックラックミュージックとの合同コンサートの形で催されている。いつもは80名前後のところを、今回は100名が参加し、盛大で楽しいイベントだった。

昨年のコンサートは、阪神淡路大震災と東日本大震災に対する「メモリアル チャリティー コンサート in 大阪2013」の名前で行われたが、今年は、東北の被災地石巻市から、3名のお客様をご招待してのコンサートであった。

ハートリー合唱団 石巻演奏旅行

8月8日より8月10日まで、ハートリー合唱団は宮城県石巻市への演奏旅行を行った。大阪空港から仙台空港までANAを利用し(一部の者は新大阪駅から仙台駅まで新幹線を利用)、仙台からはタクシーで石巻に到着。石巻グランドホテルに宿泊し、8月9日に特別養護老人ホーム「花水木」とコンサートホール「N's-SQUARE」の2会場で演奏を行った。

台風11号の影響でかなり激しい雨に見舞われたが、コンサートホール「N's-SQUARE」には50数名のお客さまがお越しになり、地元石巻ジュニアリーダー「げろっぱ」の8名のメンバーも合唱に参加して下さった。出演者はそれぞれが、これまで歌ってきた中で最高の出来栄えをご披露できたのではないかと思う。

出演者とお客様が一緒に「花は咲く」と「故郷」を歌い、感動の絶頂の中で迎えたフィナーレは、今回のコンサートの華であった。石巻の皆様から、私たちは逆に励ましをいただいた気持ちである。

○サイトに載せていないテーマについて記事を書く

ミュージカルと私

私が初めてミュージカルを知ったのは1952年、16歳の時に見たミュージカル映画「巴里のアメリカ人」だと思い込んでいた。今回、「ミュージカルと私」をまとめていて、それより以前の1950年、14歳の時に見た「赤い靴」や「白雪姫」もミュージカル映画に属することを知った。

舞台でのミュージカルは、劇団四季公演の「キャッツ」が最初だった。1986年、50歳の時に、大阪駅の近くに作られたテント小屋キャッツ・シアターで見た。だから、私が観たミュージカルは36年もの間、専らミュージカル映画だったことになる。また、ミュージカル映画はミュージカル全体のほぼ半分を占め、そのほとんどが、私にとって思い出深い。

青春時代に夢中になったことは、老年期になっても記憶に色濃く残っているようだ。また、戦争中の貧しい文化の中で育った私たちの許へ、戦後どっと押し寄せたアメリカを中心とする西欧の文化に圧倒され、貪るようにそれらを身に付けようとした影響が大きく残っているのかもしれない。

来日公演で本場のミュージカルを初めて見たのは、1989年、53歳の時に、フェスティバルホールでの公演「ウエスト・サイド物語」だった。また、本場で本場のミュージカルを最初に見たのは、2000年「オペラ座の怪人」で、劇場はロンドンのハー・マジェスティー・シアターだった。

最近では、2012年に、続けて4本のミュージカルを見た。このうちの2本は、これまでになかった新しいタイプのミュージカルだった。舞台の大スクリーンに投影した鮮明な動画とシンクロさせて、生音楽や生ダンスが演じられる。そのシンクロが見事で、違和感を感じない。技術の進歩を痛感した。

振り返ってみれば、1950年、14歳から始まって、2012年、76歳までの62年の間、ミュージカルを観てきたことになる。

そこで、これまで観てきたミュージカルについて、まとめることにした。ミュージカルは、歌、踊り、芝居が渾然一体となって構成されたアートである。私は、その中でも特に歌に興味があり、「ミュージカルで唄われた私の好きな歌」の項目を設けた。

また、2010年には、創作ミュージカルに出演したことがあり、「ミュージカル物語」のタイトルで記事を載せているが、そのことにも少し触れておいた。

私の好きな映画音楽

私が過去60年間に鑑賞したミュージカルをまとめて、「ミュージカルと私」のタイトルでこのサイトに掲載した。その作業をしていて、私の好きな歌は映画と関係したものが多いが、それはミュージカル映画に限らないことを知った。そこで、それらを「映画音楽」としてまとめ、歌(メロディー)と関係づけてみることにした。まとめた映画音楽は全部で121曲、映画は106作品となった。

歌については、これまでに「歌のデータベース1000曲」「歌と思い出510曲」「私の愛唱歌250曲」「私の英語愛唱歌101曲」「私にとっての歌」「ミュージカルと私38曲」をこのサイトに掲載してきた。今回の「私の好きな映画音楽」で以て、歌シリーズを終わりにしようと思っている。

「青色太字の文字列」をクリックすると、リンクされた記事にジャンプし、記事が表示される。 また、ブラウザの[戻る]ボタンや、キーボードの[Bacspace]キーで元の画面に戻ることができる。

「歌い出しメロディー」は、「abc略譜」で記載している。 青色の「MIDI」(ミディ)をクリックすると、「歌い出しメロディーの2小節分」が聞こえる。また、青色の「歌と思い出」をクリックすると、その歌についての「私の思い出」が表示される。

個々の映画音楽は、五十音順索引で検索するのが経験上一番見つけやすい。そこで、五十音順 曲名索引を設けた。


●映像

エルミタージュ美術館 ほか (09/10) Google検索:3位/約 116,000 件
デジカメによるハイビジョン動画 (11/27) Google検索:3位/約 1,440,000 件

○美術鑑賞歴に追加する

エルミタージュ美術館 ほか

これまでの美術館訪問歴を、私の美術歴にまとめているが、それによると36の美術館になる。

世界三大美術館をウェブで調べると、以下の美術館が挙げられている。この中でエルミタージュ美術館だけが未訪問だった。

     ○ルーヴル美術館、プラド美術館、ウフィツィ美術館
     ○ルーヴル美術館、プラド美術館、メトロポリタン美術館
     ○ルーヴル美術館、メトロポリタン美術館、大英博物館
     ○ルーヴル美術館、エルミタージュ美術館、メトロポリタン美術館
     ○ルーヴル美術館、エルミタージュ美術館、プラド美術館

この「エルミタージュ美術館 ほか」の記録を、私の美術歴の追加記事とする。

○孫たちと遊び楽しみ、記録を残す

今年も孫と存分に遊び楽しみ、その状況をデジカメハイビジョン動画で記録した。その内、年末年始を北海道で一緒に過ごした日々を「年末年始の北海道2014」の名前でブルーレイ盤を作成したほか、同名のマスターファイルを作成した。

他に「孫の運動会2014」「孫のクリスマス2014」についても、ブルーレイ盤とマスターファイルを作成した。

デジカメによるハイビジョン動画

6年前に初孫に恵まれ、その成長記録を写真で残そうとした。しかし、幼児は絶えず動き回るので、シャッターチャンスが少なく、撮ることだけで疲れてしまう。

そのとき、こどもは動き回っている行動自体が面白く楽しいのだということを発見した。どのような名優も、こどもには勝てないと言われるのが良く分かる。

そうなると、孫の成長記録は動画撮影に限る。ハイビジョン・ビデオカメラは持っていたが、大きくて、幼いこどもの撮影に不向きである。そこで、最初はデジカメでSD画質の動画を撮っていた。2009年に準ハイビジョン動画の撮れるデジカメが発売されると、即、これに変え、2010年にフルハイビジョン動画の撮れるデジカメが発売されてからは、専らこれを使って孫の生活記録を行ってきた。

手のひらに収まる小さなデジカメが、充分実用的で、鑑賞に堪える画質であることや、私の使い方などをご披露した。


●PC

Google 検索上位タイトル (11/06) Google検索:3位/約 998,000 件

○サイト掲載記事の、Googleでの検索順位を調べる

Google 検索上位タイトル

今から6年前の2008年12月に、Webサイト「中之島のBOW」に掲載している全タイトル272件について、Googleで検索した結果を「検索結果1位」のタイトルでまとめた。それによると、検索順位が1〜10位のタイトルは 209件 77%、1位は 195件 72%で、予想以上の高順位に驚いたことを覚えている。

今回もう一度同じ調査をすることにしたのは、これからは掲載する記事は少なくなると予想されることと、体力的にもまとめる良い時期と考えたからだ。

その結果、Google検索で1から10位に表示された上位323件は、6年前と同じく全体の 77% を占め、その内の1位は230件で、全体の 55% を占めたが、6年前の 72% よりは大幅に減っている。

今回分析した検索上位タイトル323件の中には、母集団が1万件以上のタイトルの90%を含み、323件の母集団件数の平均は778,466件で、母集団としては問題がないと考えた。

○ウエブサイトの記事を見直し、修正、精選する

リタイヤ後このサイトに掲載した記事は、
06年 41件、07年 50件、08年 81件、09年 24件、10年 34件、11年 46件、12年 32件、13年 20件、
14年 14件、合計 342件、平均年 38件で、12年から毎年減少傾向にあり、平均件数を下回っている。

このことは、書き残して置きたいテーマやタイトルの多くを書き上げたということの表れかもしれない。幸い、当サイト掲載記事の80%近くがGoogle 検索上位タイトルを占めている。それだけ、検索で当サイトの記事に接して下さる方がたくさんいらっしゃることになる。

そこで、当サイトに掲載中の記事について、記事を見直し修正を行う。現在はもちろん、将来的にも不適当と想像される記事は削除し、記事を精選することを始めた。これは、来年の重点テーマになると思う。


●旅行

ロシア旅行 (09/10) Google検索:?位/約 1,400,000 件


○8月末から9月初めにかけてロシアに旅行した

ロシア旅行

ロシアは一番嫌いな国である。それは、日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏をした1945年8月15日の1週間前の8月8日に、日ソ中立条約を一方的に破って、ソ連は日本に対して宣戦布告し、北方4島の占領、シベリア抑留を行った国だからだ。

それでも一度は訪れたいと思ってきた。それは、第二次世界大戦後の44年間、世界を二分した、資本主義陣営と共産主義陣営の一方の盟主であった超大国をこの目で見たかったこと、もう一つの理由は、エルミタージュ美術館を訪れたいことだった。


9.交流

●コーラス

2007年末から参加しているハートリー合唱団で、月2回のレッスンを受けている。そのレッスンが楽しい上、食事会、お誕生会、演奏旅行などがあり、昨年から加わった20歳前後の若者2人と私たち老人2人が組んで、男声カルテットを結成してデビューするなど、親交を深めている。

●同窓会など

7月に交野市医師会創立20周年記念祝賀会、10月に神戸高校3年8組のクラス会、11月に鷹匠中学3回生の同窓会があった。

●飲み会

50年代〜60年代のいわゆるオールディーズを、ともに英語で歌い、飲むのを楽しむ友人を1995年から持っている。私が現役中は2〜3ヶ月に1回、引退してからは半年に1回くらいのペースで19年間続いてきた。今年は、5月に1回だったが、帰宅はいつもと同じく午前1時を過ぎていた。

もう一つは、1996年のボージョレ・ヌーボー解禁日以来18年間続いている飲み会で、今年も楽しく駄弁り、飲むことができた。

●メール交換

個人的なメールの交換も、人との交流をの記録として最近では重要な情報になってきた。そこで、今年からこれも加えることにした。これを大きく受信メールと送信メールに分け、それぞれを、家族、親戚、知人、新人に細分した。新人というのは、過去に交流がなく、メール交換がはじめて人を指す。

受信メールの合計は 307 件、その内訳は、家族 45、親戚 10、知人 243、新人 9 であった。

送信メールの合計は 334 件、その内訳は、家族 62、親戚 12、知人 246、新人 14 であった。

●亡くなった人


図1.庄野千鶴子先生 卆壽のお祝い会場で 2012.9.28.

庄野千鶴子先生
庄野千鶴子先生が3月10日に91歳で亡くなられた。1946年4月から1947年3月までの1年間、小学4年生を担任していただいた。

小中高大学を通じて一番思い出に残る恩師で、師を慕って、当時のクラスメートが2002年以来毎年クラス会を開き、先生が東京に転居されてからも、喜寿、米寿のお祝いのクラス会を東京で開いた。

このサイトには、小学4年庄野学級から始まり、庄野先生卆寿お祝いの会など、8回のクラス会の記事を載せている。


10.健康

今年は、年のはじめから老化現象と思われる症状が数多く表れ、いささか暗い気持ちになっていたが、年半ばから次第に症状は軽くなり、後半は対応策 白内障手術体験記頚椎症性神経根症を患う私の補聴器使用法 も功を奏して気分良く過ごせた。

快眠、快食、快飲はこれまで通り続いている。便通は不規則で秘結、下痢軟便、普通便と、一定しない。親からもらった体で一番感謝してきたことは消化器系が強いことであったが、2007年に前立腺の手術を受けたあとから、快便ではなくなり、それは今も続いている。しかし、その対応策を考えるほど困ってはいない。


まとめ

1.今年は年初めから、私に老化現象が多く現れたが、年半ばから軽減し、後半は気分良く過ごせた。

2.老化現象には対応策を講じたが、その効果はかなりあった。

3.サイトに掲載した記事が今年は14件で、ウエブサイト開設以来最低であった。

4.新しく記事を載せることは、今後も引き続き少なくなるであろうと予想できる。

5.今年サイトに掲載した記事14件の内、Googleでの検索順位が1位のタイトル4件(29%)、
 1〜10位のタイトルは11件(79%) だった。

6.掲載記事の修正や、将来、存在価値がなくなると思われるタイトルの削除を、来年から始める予定に
 している。

7.昨今の、日本と世界と自然の状況から「万物は流転する」「諸行無常」「運命は偶然」を強く思う。


<2014.12.28.>

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