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2005.12.20. 掲載
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目次
1)大阪市庁舎玄関前
2)市庁舎南側みおつくしプロムナード
3)府立中之島図書館玄関前
4)中央公会堂
5)中之島公園西側
6)土佐堀川
7)バラ園
8)剣先公園
9)八軒家浜
「神戸ルミナリエ」を初めて見たのは、あの大震災の翌年96年でした。その時のふるえるほどの感動を「神戸ルミナリエ96」として、開設3ヶ月目の私のWebサイトに掲載しました。その3年後に見た「神戸ルミナリエ99」は、かっての荘厳さが失せ、規模も小さくなり、その分だけ、きらめきと色彩の数が増えていました。その上、見物人の数がものすごく多く、その中で1時間近くも身動きがとれないまま、おとなしく列が動くのを待ったのです。もうここへ来ることはないだろうと思いました。
ところが、このたび中之島公園を中心にくりひろげられている「光のルネサンス2005」を経験し、ルミナリエとは違った素晴らしい光の祭典に魅せられ、すっかり興奮してしまいました。「ルミナリエ」を「静」とするなら「光のルネサンス」はまさに「動」。舞台は、二つの川、それに挟まれた中之島、公園、古い建物、最新の建物、これほど恵まれたシチュエーションは他には余り存在しないのではないかと思います。
私が見た、今年で3年目を迎えるという「光のルネサンス2005」をご覧に入れます。格別に厳しい寒さが全く苦にならず、興奮してデジカメ撮影をしている私を追いかけながら「海外旅行をしているパターンね」と話す妻のことばに同感しました。
西(画面左)から、1)大阪市庁舎玄関前、2)市庁舎南側の道路、3)中之島図書館玄関前、
4)中央公会堂、5)中之島公園西側、6)土佐堀川、7)バラ園、8)剣先公園、9)八軒家浜です
「愛と平和と友好のシンボル」として、ノルウェーから世界の各都市へ贈られるツリーで、今年も大阪に「愛と平和と友好」を届けられました。
市庁舎南側にあるみおつくしプロムナードでは、30分毎にポップ調の軽快な音楽に合わせて、イルミネーションの演出が約15分間行われます。それはまさに千変万化の光のマジックです。ビデオで記録するのと違った魅力が、瞬間々を切り取った静止画像にあります。たくさんの画像でそれをお確かめ下さい。
明治時代に開館した歴史ある中之島図書館の玄関には、古代ローマの神殿を思わせる堂々とした4本の円柱が並んでいます、その正面玄関をスクリーンにして、大型プロジェクターと照明を、音楽に完全にシンクロナイズさせ、「光のエンターテイメント」を演出しています。響きわたるテナーのたくましい声、美しく澄みきったソプラノ、それを見事にフォローするオーケストラ、まるで幻想の世界に遊んでいる気分になります。
1918年に建てられた赤レンガの壁と青銅のドームとのコントラストが美しい建物です。北浜の株式仲買人・岩本栄之助が100万円の私費を投じて建設し、大阪市に寄贈したもので、ネオ・ルネサンス様式の傑作といわれています。2002年にリニューアルが行なわれました。
ライトアップされた中央公会堂は、溜め息が出るほど美しく、正面、斜め、側面からとシャッターボタンを押し続けました。
中之島公園西側では、イルミネーションで飾った動物たちや、樹木と一体となった光のガーデニング・アーチなどが見られます。また、土佐堀川の御堂筋から栴檀木橋までの間の一部で、両岸より川面を照らすライト・カーテンが見られます。そこへ中之島周辺をパレードしている船が、イルミネーションで輝く姿を見せ、このライト・カーテンによって、その美しい姿が照らし出されます。
バラ園は巨大な光のタワーやリース型アーチで飾られ、屋台もたくさん出ていて活気があります。大川が堂島川と土佐堀川に分かれる分岐点となる剣先、その剣先公園周辺では、ペットボトルで作られたキャンドルや、ペットボトル・ツリーが見られます。ここでは、中之島チャリティ音楽祭も行なわれています。また、23〜25日には、ここににサーチライトによる光のタワーが出現します。 ります。
剣先公園の最先端、船の舳先にあたる剣先に巨大なサーチライトが3基置かれ、ここから天空に向かって3本の光の柱を創り出しています。これは今年から始まったイベントで、光のタワーと名付けられました。初日の今日(12月23日)デジカメを片手に、剣崎、天神橋、難波橋、天満橋、堂島川べり、土佐堀川べりと駆け巡って撮影してきました。
残念ながら、周りのビルからの光が強く多いため、少しインパクトに欠けますが、これもまた、思ってもいなかった人工美の世界です。来年はもう少し光量を増やして迫力を増すことを願いました。
剣先のすぐ南側から始まる土佐堀川の川べりに八軒家浜があり、その南側ビル壁面に、雪の結晶のシルエットが舞い降りています。ここも周りの光が強いため、目立たなくて、すこし可哀そう!
八軒家浜は、江戸時代に京都伏見と大坂を往来した三十石船の船着場であり、八軒の船宿があったことから八軒家の名前が生まれたといいます。
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