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さようなら、こんにちは、ブラジル

2004.10.03. 掲載
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さようなら、ブラジル

99年8月から私の携帯の着信メロディーは「ブラジル」でした。i-mode携帯が発売された4ヶ月後に購入し、それから5年1ヶ月の間、1日ほぼ17時間の使用に耐え、一度も故障することなく、忠実にメールとWeb検索でミニパソコンの役割を果たしてくれたのです。

当時TVで放映されていた時代劇のオープニングテーマ曲「ブラジル」が、この時代劇に非常にマッチしていました。そこで、この携帯に付属しているメロディー作成機能を利用して「ブラジル」を自作し、着信メロディーとしました。だから、これは私だけの着信メロディーでした。「_ソミー、ソソミミレレドレー」皆様おなじみのメロディーです。

携帯は来年大阪市内に引越をしてから買い換えるつもりでいました。大阪市内では歩き回ろう、そのためには「ウォーク・ナビゲーター」付きの携帯が便利だろうと考えましたが、それまでは今でも不自由していないP501iで十分だと思っていたのです。

ところが、1年前に購入した携帯が不調なのでドコモショップへ相談に行くと言う友人の話を聞いて、その店に同道しました。そこで、ウォーク・ナビゲータの精度はカーナビほど高くはなく、50メートルくらいの誤差が出ることもあると聞かされたのです。それじゃ「ナビ」の価値がありません。

その店に展示されている携帯の数は数十種はあるのでしょう、カラフルでカッコイイものが目に付きます。FOMAの機種も多いので、普通の携帯との違いを尋ねてみると、テレビ電話ができるかできないかが大きな違いだと言います。テレビ電話など要らないと一瞬思いましたが、待ち合わせ場所をテレビ電話で見せて教え合ったり、テレビ電話で見せられた物に対する意見を話すのにも活用できることを知り、これは実用的だと俄然興味が湧いてきました。

複雑な機能は要らないから、文字が大きくて読みやすく、使い方の簡単な年寄り向けのFOMAはないかと尋ねると、9月4日に発売されたばかりの「らくらくFOMA」F880iESというのがあると言うので、それを購入することにしました。

私の携帯P501iを見たドコモショップの店員が「これはNTTの博物館に陳列している年代物です」と言うのを聞いて頬がゆるむのを自覚しながら、それでもFOMAに変更したのにはもう一つ理由があります。それは妻の携帯が6年前のPHSだからでした。職員たちがメール交換を日常茶飯事に行っているのを知りながら、自分の機種ではそれができない、また、先日の医師会家族親睦旅行で他の奥様方が色鮮やかでオシャレな携帯をお持ちで、その画面も驚くほど美しいことを知り、ちょっと欲しくなったようでした。

そういう訳で色違いの同じ機種F880iESを2台購入し、「ブラジル」「モーツアルトの子守歌」の着信メロディーを「展覧会の絵」「星に願いを」に変えました。このようにして04年9月27日「さようならブラジル」となった次第です。最近5〜6年間に行われたこの世界の進展は目を見張るばかりです。


PHS       P501i          F880iES    .


こんにちは、ブラジル

こちらは昨夜(04年10月2日)のお話です。生まれて初めて経験した奇妙な、しかし感動的なコンサートの模様を、記憶と感動のうすれない間に記録しておくことにしました。

昨夜のジョアン・ジルベルトのフェスティバルホールでの公演は異例づくめでした。開演は5時、その30分前に「アーティストの要望によりエアコンを止め、非常誘導灯を消します」、15分前に「アーティストがいまどこにいるのか分かりません」、5時30分頃に「アーティストは只今会場に向かっています」というアナウンスが入りました。会場は爆笑です。

昨年東京での初来日公演でも同じだったようで、ボサノバの創始者、ボサノバの神様は、エキセントリックな人として知られているから、いらちの大阪人でさえ寛容になれたのでしょう。結局開演は1時間遅れの6時でした。開演に先立って、「休憩はありません」のアナウンスがありました。

2700名収容のあの広いフェスティバルホールが満席の中、73歳の老人はステージの中央の椅子に座り、ギターを弾きながらつぶやくように唄い続けます。聴衆はそれを静かに見守り、聴き入るのでした。ジョアンの居る場所だけが弱く暖かい電灯光で囲まれていて、周りは暗闇に近い雰囲気は今まで経験したことがありません。よく知っている「マダムとの喧嘩はなんのため?」などを楽しく聴いていると数曲唄ったところでハプニングが起こりました。

拍手が続く中で、歌い終わったジョアンがステージ中央の椅子に座ったままうつむいて、全く動かなくなってしまったのです。昨年の3日目の公演でも同じことがあったそうですが、今回はその時間が長く、私の計測では40分はありました。その間、拍手は絶えることなく続きます。後の座席の女の子が父親に「休憩がないと言ったのは、こんな休憩があるからと違う?」と尋ねているのを、そんな見方もあるのかと感心して聴いていました。フリーズタイムが20分過ぎた頃から、拍手はボサノバのリズムの速さに変わりました。

ジョアンは全く身動きをしません。まるで化石のようで、顔もギターを持つ手も何もかも微動もしないのです。こんなことがどうしてできるのだろうかと不思議に思ったり、彼の頭には今何が起こっているのか、などと思い巡らせていると、私なら鼻歌を唄っていれば何時間でも何もしないで時間を過ごすことができることに気がつきました。そこで彼は鼻歌でなく、頭の中で歌を唄っているのではないかという考えが閃いたのです。それは拍手のリズムがボサノバのリズムに感じられたときと一致しています。

その時に浮かんだボサノバはなぜか「ワン・ノート・サンバ」で、これをくりかえし、拍手に合わせ、自分も手拍子を叩きながら鼻歌で唄っていました。40分くらい過ぎたころ、いらちの浪速っ子が少しこらえられない状態になってきたような感じになってきたころ、ジョアンは急に立ち上がってお辞儀をしてから、唄いだしました。もう割れんばかりの大拍手です。

その後は、とめどなく湧き出るのを止めることを知らない泉のように、ボサノバが続きました。その2〜3曲目で「ワン・ノート・サンバ」が始まった時、彼がフリーズしていた時間の一部分で、彼も同じ歌のイメージに浸っていたのかもしれないと思って嬉しくなりました。

この長いフリーズタイムの間にいろいろ考えました。疲れたのか?、感動に浸っているのか?、ショー効果なのか?、カリスマはこのようにして自分をアッピールするのか?と。

しかし、このときになって初めて思いました。始まった最初の頃の、まだ興に乗っていない自分と聴衆に対して、ここで時間が必要だったのではないか、昨年の来日以来気に入っている日本の聴衆の反応と自分の表現の最高を出したかったのではないかということでした。

それほど、この後の彼の歌とギターは私たちを惹きつけるものがありました。聴衆もまた、聴き方が大きく変わりました。もう彼の歌とギターに魅せられてしまったといって間違いはないでしょう。

何時までも続くと思われた歌を10数曲で止めると、彼は立ち上がり、何か小さく話して、ステージを離れました。そこには、あの情熱を込めて弾き語った姿はなく、73歳の弱々しげな、少し猫背の老人がいるだけでした。それでも最高の拍手が鳴り止みません。

しかし、付き人が二つのギターの残りを持ち去ることで、いくらアンコールの拍手が続いたとしても、これでお終ということを悟らせました。賢明な浪速っ子はそれを即座に理解して、THE ENDとなったのです。ここにもジョアン・ジルベルトと浪速っ子の美意識を私は感じました。

それにしても、何と不思議な歌、そしてギターのコードかと思いました。私も昔クラシックギターを少し弾いていたことがありますが、彼のギターコードはモダンジャズのコードを越えた摩訶不思議なものです。それでいて、抵抗を感じさせない説得力があります。このような、おそらくこれからの短い人生では経験することがないであろうライブに遭遇することができた幸せをつくづく思います。


私とブラジル

これを書きながら、ラテン好きの私ですが、その中でもブラジルは若い頃から好きだったことに改めて気がつき、そのことを思い返してみました。

最初の心に残るブラジルは「黒いオルフェ」という映画で、その次は、セルジオ・メンデスとブラジル66です。息子圭が1歳を過ぎた頃から、病院から帰ると、オープンリール・テープに入っているラテン・ロックの彼らの演奏する曲に合わせて、圭と私はキャッキャッ騒ぎながら狭い府営住宅のアパートの中を踊り回るのでした。息子がお調子乗りだったり、ラテン音楽を好むのは、この頃の影響があるのかも分らないと思っています。

実はこのジョアン・ジルベルトの公演を息子夫婦と私たちの親子で鑑賞しました。興に乗って楽しんだのは息子と私が一番程度が強かったのかも分かりません。2002年8月24日に大阪ブルーノートでセルジオ・メンデスとブラジル66の公演があり、その時も息子たちと聞きに行きました。そこで非常に満ち足りた気持になりましたし、35年前のころのシーンを鮮明に思い出したのですが、今回のジョアン・ジルベルトの公演では、もっと深いもの、それと歌の関係などを考えさせてくれました。ジョアン・ジルベルトが私に投げかけてくれたものは人生そのものでした。


<2004.10.3.>

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