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庄野先生卆寿お祝いの会

 10回目の庄野学級クラス会

2012.10.05. 掲載
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目次
あらまし
出席メンバー
新幹線延着
お祝いの会
帰りは修学旅行気分
まとめ


あらまし

戦前は男女別学であったが、敗戦の翌年の1946年に、神戸市立高羽小学校4年生では、男女共学のテストケースとして男女組が作られ、男組、女組の3組構成となった。その男女組の担任が当時23歳の庄野千鶴子先生で、私たちはその生徒であった。

落成して7年目の校舎は、当時まだ新しく、阪神間では一番美しいと言われ、他校の先生がたくさん見学に来られた。私たちクラスの授業参観も、男女共学のテストケースとして、何度か行われた。

翌1947年に教育基本法が公布され、全国的に男女共学が行われるようになった。私たちは1年早く男女共学を経験した全国でも珍しいクラスだったのかもしれない。


図1.昭和6年(1939年)6月7日の新校舎落成式(神戸市立高羽小学校創立50周年記念誌より)


今から10年前の2002年12月にクラス会を持って以来、ほぼ毎年クラス会を続け、今回で10回目となる。先生はその内で、9回お越しいただいた。その記録をこのサイトに掲載してきたが、そのまとめを8回目の庄野学級クラス会に載せている。

2年前に東京で庄野先生の米寿をお祝いしたが、今回は庄野先生卆寿お祝いのクラス会である。次のお祝いは9年後の「白寿」となるが、それは実現できないかもしれない。そこで、今回のお祝いのクラス会と、そのあと修学旅行気分でクラスメートと過ごした帰り道のことなどを書き残しておくことにした。


出席メンバー

2年前の米寿のお祝いには男5名、女7名の12名が参加したが、今回は男3名、女4名の7名である。男性は山本君が亡くなられ、常連の馬場君と山下君が病気で来られない。女性の欠席者の多くは、活動中の仕事と日にちが重なるための不参加と聞いた。女性の方がたくましいというのは本当のようだ。

先生は、2年前のお祝いの集いを覚えていらっしゃるのか、今回の出席者が少ないことを気にされたようで、山下君や馬場君のことも何度もお尋ねになった。

前回はテーブルが二つに分れたが、今回は一つなので、最初から最後まで先生を囲んで2時間半を語り過ごすことができた。


新幹線延着

新大阪から新幹線に乗って間もなく、静岡―掛川間で信号機のトラブル発生のため、最大80分の遅れがあるとのテロップが流れ、静岡を過ぎたところで、車掌は10分から30分の遅れと告げた。

お祝いの会場へは10分前に到着する予定だが、30分も遅れると先生は心配されるだろうと気が気でない。救いは、東京在住の池田君が出席なので、その間先生のお相手をしていただけるだろうという期待だった。結局、新幹線は20分遅れで、10分遅刻となった。

帰阪して朝日新聞を調べると、信号機のケーブルが、ネズミとみられる小動物にかじられて損傷したのがトラブルの原因とのことで、何とも次元の低い話に呆れてしまう。


お祝いの会

庄野千鶴子先生は大正12年のお生まれで、本年数えで90歳を迎えられる。そこで先生の卆寿をお祝いする集いを持った次第である。

先生は敗戦の翌年、1946年4月から1947年3月までの1年間、神戸市立高羽小学校の4年庄野学級を担任してくださった。この学級は、翌年から始まる男女共学のテストケースであった。

2012年9月28日金曜日午後1時から、庄野先生卆寿のお祝いのクラス会を開くことになった。今回の会場も、米寿お祝いの会と同じ「ホテル モリノ新百合ヶ丘」で、先生のお宅に近い場所にある。新幹線の延着で10分遅れて到着したが、先生は池田君と歓談されていた。

先生は、2年前の米寿のお祝いでお目にかかったときよりもふっくらとされ、肌つやがよく、卆寿の人とはとうてい思えない。前回は車椅子で来られ、両脇をかかえて部屋にお連れしたが、今回は、杖を使って、介添え無く独りで歩かれるのだから、めざましい改善である。

今回はテーブルが一つで、はじめから終わりまで、先生を囲んでのお祝いだった。先生は非常に喜ばれ、先生の独演会に近かったが、その間ずっと笑いが続いた。庄野学級のクラス会は10回ほど続いているが、これほど楽しく笑い続けた経験を思い出せない。

笑い続けたのは、先生のお話が面白かったのもあるが、新しい記憶の残存時間が短く、同じことをくり返し話されることが大きかった。普通なら、同じことの反復にうんざりするのだろうが、かって敬愛し思慕した先生が、担任して下さった67年前のことを、正確に話され、会話の応答が迅速かつ的確であるのだから、そちらの方に感心し、感激したのだと思う。

今回のお祝いの具体的なことがらは先生の記憶からなくなるとしても、この楽しかった雰囲気は先生のお心に残ると信じたい。


図2.新百合丘ホテル「梅の花」でお祝いの会


図3.お祝い会が終わったあと、花束を前にした庄野先生


図4.お嬢様お迎えの車で帰られる庄野先生を全員でお見送り


図5.先生一番のお気に入りの磯部君がお別れのご挨拶


帰りは修学旅行気分

2年前の米寿のお祝いでは、帰路で箱根に立ち寄った。それは修学旅行気分の楽しいものだった。今回は、南に下がって、湘南・鎌倉を観光して帰る予定が組まれていた。

関東は地理も不得手で、地図的イメージが浮かばないので、Google地図を使って調べてみた。


図6.今回の旅行の概略地図。お祝い会場は(3)新百合ヶ丘ホテル、宿泊は(6)プリンスホテル鎌倉


図7.宿泊ホテル周辺の七里ヶ浜・江の島を観光


ホテル

今回のメンバーから、海の見えるホテルの希望があったとのことで、毎回幹事をしてくださる磯部君が、鎌倉プリンスホテルの海が見える部屋を予約してくれていた。

ホテルのチェックインが午後7時を過ぎていたので、部屋に入ったときには、海の眺めはほとんど分からない。旅の疲れか、夕食後すぐに眠ってしまい、5時過ぎに目を覚まし、カーテンをあけると、目の前に大海原が広がっている。すっかり感動してしまった。

バルコニーに出て、東から西へと目を向けていくと、江の島の右手に、遠く富士山らしきシルエットがある。同室の磯部君を招き、あれが富士山であることを確認した。富士がはっきり見えたのは、このあとしばらくの間だけだった。げに、早起き三文の得である。


朝ぼらけの富士


図8.am 5:24 部屋のバルコニーから西側を眺めると江の島の右側に富士山が見える。


図9.am 5:47 朝ぼらけの湘南海岸の向こうに富士山がはっきり見えてきた。


図10.ズームアップして見る富士山


七里ヶ浜

ホテルの部屋の正面に七里ヶ浜が広がっている。海岸線がほぼ一直線のこのような海浜をこれまで見たことがない。海の広さ、大きさを感じる。このホテルは全室がオーシャンビューであるとホテルのパンフレットに書かれているので、どの部屋からもこの眺めを楽しめるのだろう。素晴らしい。

ここ七里ヶ浜は「真白き富士の嶺、緑の江の島 仰ぎ見るも、今は涙」と歌われた「七里ヶ浜の哀歌」の舞台となった場所である。「七里ヶ浜の哀歌」は「真白き富士の嶺」とも呼ばれ、1910年(明治43年)逗子開成中学校の生徒12人を乗せたボートが転覆し、全員死亡した事件を歌っている。

現在は、サーフィンのスポットとして有名のようで、朝から続々とサーファーが集まり、40名ほどで1グループとなり、そのグループが数組確認できた。


図11.七里ヶ浜は相模湾に面した約3kmの一直線の浜。


図12.七里ヶ浜はサーフィンのスポットとして有名のようで、1グループ40名ほどの集団が数組見られた。


江の島観光

台風18号の影響で前日は曇ときどき小雨だった。この日も、本土陸が予想されている17号台風が近づいている。そのためか、天気予報は曇のち雨であるが、ここでは晴れていて、富士山まで見えるのだ。そうなると、しばらくはこの天候が続くのではないかと考えたくなる。

昨夜は鎌倉だけを観光しようと皆で決めたのだが、この天候から、江の島を観光し、展望台から富士山や湘南海岸を眺めることに変更した。西の空に雲は少ない。だから、江の島に行けば、もっとはっきり富士山が見えるに違いない。そう思って勇躍、江の島に向かった。


図13.江の島の玄関口に立つ「青銅の鳥居」は、文政4年(1821年)に建てられたものだと聞く。


図14.江島神社の鳥居から階段が始まる。鳥居の左側にエスカーというエスカレータの乗り場がある。


図15.明治時代この地に庭園を作った英国人の名が付くサムエル・コッキング苑


図16.2003年に江ノ島電鉄100周年記念事業として完成した江の島展望灯台は海抜約120メートル。


図17.江の島展望灯台から東側(写真右側)を眺めると、遠くに七里ヶ浜が見える。


図18.七里ヶ浜をズームアップ。あの波がサーフィンに向いているのだろう。


図19.江の島展望灯台から西側を眺めると、左端近くに富士山の頂が見えているのだが、判然としない。


図20.ズームアップしてみると、正面に富士山の頂が見える。台風17号接近中のつかの間の幸運であった。
天候はこのあと崩れ、大阪に着くまでに雨となった。結局あの朝ぼらけの富士がもっとも良い写真となった。


まとめ

67年前に1年間をともに過ごした恩師と生徒が、今もなお当時のことを懐かしみ、思い出を語り会えるという幸せをつくづく思う。特に今回ほど先生がたくさんお話になり、それを聞く私たちの笑い声が絶えなかったクラス会はこれまでなかったと記憶している。

いつも献身的にクラス会のお世話をしてくださる磯部君に心から感謝申し上げる。


<2012.10.5.>

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