| ホーム > サイトマップ > ことば > 心に生きることば > 第2章:欲求 |
| 01<義務と欲求> | 02<基本的欲求> | 03<酒> |
| 04<歌> | 05<女> | 06<食> |
| 07<本> | 08<受動的欲求> | 09<能動的欲求> |
| 10<私の美意識> | 11<個人主義> | 12<デザイン> |
| 13<神戸> | 14<健康志向> |
この章では「したいこと」や好み、嗜好など、あくまでも私個人の趣味的なことがらについて、まとめておく。趣味といえば、一般には軽くみられやすいが、私の場合、それは生きる核心となる部分である。これに対して、仕事などの「しなければならないこと」は、生きる上での義務と考えている。
人が生きるということには、「しなければならないこと」をすると、「したいこと」をするという二つの面がある。「しなければならないこと」ばかりをする人生も、「したいこと」だけをする人生も、おそらくは存在せず、実際は、それぞれが異なる程度と割合になっているはずで、それが、その人の人生であろう。
これまで、「しなければならないこと」と「したいこと」を対立的に思ってきたが、それは間違いで、私が感覚的にそう思っていただけのことだった。中には、「しなければならないこと」と「したいこと」が同じだという幸せな人もいるかもしれない。
私の「しなければならないこと」はいろいろあるが、その最大のものは開業医としての仕事である。今年の8月末で29年目を終えるが、その間、これに対して全力投球をしてきた。あとしばらくこの仕事を続ける気力は残ってはいるが、ゴールが見えてきた現在、そこまでの限られた時間の中で、「したいこと」をできるだけ多く済まそうとするには、「しなければならないこと」を減らすより仕方がないだろう。その思いが強いため、ふたつのことがらを対立的に思ってきたのだが、本来は違う次元のことがらである。
この「しなければならないこと」の代表である開業医の仕事について、その総括を野村医院30年史にまとめることは是非「したいこと」である。これなどは、「しなければならないこと」から生じた、「したいこと」の代表的な見本であろう。
補足:
「野村医院30年史」は結局作らなかった。その一番大きな理由は「野村医院20年史」の二番煎じとなるからで、10年分のデータを増やすことは簡単だが、あまり意味がないと思った。その代わりに、「高血圧症薬物療法の変遷−開業医31年間のまとめ−」 と 「開業医の小児科独習法」 を作った。
私は開業して以来、診療の指針の一つとして「今日の治療指針」を使ってきた。「高血圧症薬物療法」は、その中にに書かれている高血圧症の標準処方と、当院の処方をまとめたもので、隔年で購入してきたこの図書を、すべて保管していたことによって、まとめることが可能になった。また、この「高血圧症薬物療法」の内容は、二つの大手医薬品メーカーの当院担当営業所で、講演したことがあった。
もう一つの「小児科独習法」は、小児科を標榜することはしなかったが、小児科の患者を診療しなければならない内科開業医が、どのようにして小児科を独習したかをまとめたもので、高校と大学で同期の友人である小児科医三宅潤先生(パルモア病院理事長)に、過分の評価をいただいたのが一番嬉しかった。(2008.11.11.)
これまで私は、「したいこと」について深く考えたことはなかったが、この章をまとめるに当たって考えてみると、いろいろな分類ができた。その一つは、形に残ると残らない、二つ目は、創ることと楽しむこと、三つ目は一時的と恒常的という分類である。
四つ目の分類として、食べるなどの「基本的な欲求」と、鑑賞などの「受動的な欲求」、そして創作などの「能動的な欲求」に分けることもできる。この最後の分類には「レベル」があり、最下層に「基本的欲求」、中間に「受動的欲求」、最上層に「能動的欲求」という階層構造を考えることができる。私の「したいこと」の説明には、この階層構造のある分類が一番都合が良いので、これを使うことにした。
「したいことをして、悔い少なく死にたい」などと書いて、「しなければならないこと」をしないで、「したいことだけ」をしたいと思っているように誤解されたことがある。
もちろん、どう受取られても構わないが、「したいことだけを」するなどできるわけがなく、生きている限り、「しなければならないこと」がついて回って当然だ。また、先にも書いたが、この「しなければならないこと」に対して、私はほぼコンスタントに全力投球をしてきたと思っている。「したいこと」をするのに、全力投球は当たり前、手抜きをしてもそれは勝手だ。しかし、「しなければならないこと」の手抜きをするのは、恥ずかしいことだと思う。
「したいこと」は年月が過ぎる度に増えて行く。55歳の時のしたいことのテーマは26だった。59歳でそれは30になり、66歳の現在37に増えている。その内で済ませたのは10テーマであり、いつまで経っても完了させることはできないかもしれない。ただし、それぞれのテーマには欲求の程度に違いがある。だから、観念的には数量だけでなく、欲求の程度を掛け合わせたもの、つまり(テーマの欲求度)×(テーマの数)、言い換えると程度問題の積が問題になる。
「したいこと」を程度問題の積の総和で考えた場合、すでに済ませた歌と思い出 歌の曲名検索に加えて、この「心に生きることば」を書き終えると、これまでしたいと思ってきたことの50%くらいは、済ませた気持になれそうだ。私の場合は、満足の最低点を60%、目標点は80%に置いている。これからの人生は、これを目標に生きていきたいと思っている。
追加フレーズ
先に、「しなければならないことと、したいことは対立しない」と書いたが、「しなければならないこと」と「したいこと」が重なり、択一しなければならない状況に遭遇することがある。その場合は、もちろん「しなければならないこと」が「したいこと」に優先する。
このことは大人には分っても、こどもには理解できなくて当然だろう。息子が小学生のころ、11月の連休を利用して、2泊3日の家族旅行で鳥羽に行ったことがあった。ホテルに着いて夕食を食べ終わったところで電話があり、泣き喚く息子を車に乗せて、とんぼ返りをした。そのようなことが重なったためだろう「僕は医者にならない、子供がかわいそうだから」と息子は言っていた。
その息子が、自分で医者の道を選び、自分が希望して私の後を継いでいる。彼が開院20年目の感想で書いたように、自分らしい医院を作ろうとしているようだ。私は2005年9月1日に引継いだ日から、診療を離れ、自分のしたいことをしている。(2008.11.11.)
追加フレーズ
「欲求と義務」ということばから、「自由と規律」という対になったことばを思い出す。神戸高校の前身である神戸一中の第2代校長池田多助は、英国のパブリックスクールのカラーを取り入れ、校舎もパブリックスクール風とし、在任21年間でその校風を定着させた。
私が神戸高校に入学したのが1952年で、その3年前の1949年に刊行された「自由と規律」池田潔著 岩波新書がよく読まれ、校内でも度々取り上げられた。この書は、英国パブリックスクールの生活を紹介したもので、自由と規律は相伴うものであることがよく理解できた。同じような対句として「自由と義務」「権利と義務」などがある。(2008.11.11.)
衣食住のうち、衣とか住については、今はあまり関心がない。しかし、食や酒などについては基本的欲求として楽しんでいる。今の私の基本的欲求は、「酒、歌、女、食べ物、本」とまとめられる
Wer nicht leibt Wein, Weib, und Gesang,
Der bleibt ein Narr sein Leben lang. Martin Luther
宗教改革をおこなったマルチン・ルーテル(Martin Luther)の、「酒と女と歌を好かない者は一生涯の馬鹿者だ」ということばが好きだ。この三つは、私の「基本的欲求」の中の大事な部分である。この三つに「食」と「本」を加えた5項目を、私の基本的欲求として説明していきたい。
私はアルコールを飲める体質で、過去にはブランディーやウイスキーなどを飲んでいたが、スーパー・ドライの発売以来、ビール党に変わり、家では専らスーパー・ドライを愛飲している。
90年に大阪で開かれた花博のレーベン・ブロイの館で、ミュンヘンから来ている楽団が、大ジョッキを片手にビールをグイグイと飲んでは、上機嫌で演奏していた。それを見てすっかり惚れ込み、こう言う酒の飲み方が気に入って、ドイツのビヤホールに憧れるようになったのである。スーパー・ドライで強まった私のビール嗜好は、これで以って確定してしまった。
97年にドイツ・オーストリアへ旅行したが、ドイツはあまりにも清潔で、統一されている感じがして、私には合わない感じがした。しかし、ミュンヘンのホフブロイハウスという巨大ビヤホールで楽しく飲んだビールは、私の期待を裏切らず、素晴らしかった。
私は粗野で大雑把な性格のためか、がぶがぶ飲むアルコールが好きで、ビールというのはそれに合っている。とにかく、これまでビールで失敗したことはない。ところが、冷酒やワインの場合、これらを同じようにビール飲みしてしまうので、酩酊して失敗をすることがある。もっとも、日本酒は超熱燗や、ひれ酒なら失敗することはないのだが、、、
動物性の脂肪をたくさん摂るフランス人に、心筋梗塞などの虚血性心疾患で死ぬ人が少ないという謎を、「フレンチ・パラドックス」と呼び、その原因として、フランス人が大量に飲む赤ワインの中のポリフェノールが、動脈硬化を防ぐのだという説が最近ひろく認められている。
確かに、それも一つの原因だろうが、赤ワインを好む国はフランス、イタリア、スペインなどラテン系であり、ウイスキーやビールを好む国は、アングロサクソンやゲルマン系であることも、大いに関係しているのではないかと私は思う。ラテン系民族の楽天的享楽的性格や生活態度が、ストレスを貯めず、虚血性心疾患の発症や死亡を少なくさせていると考えるのだ。
私は日本人の中では、ラテン系の要素が強いのではないかと思っているが、アルコールについて言えば、ビールの方が性に合っているのだから面白い。
数年前、夕食をはじめたところで、妻は私のことを、「あなたは酒飲みではない、食いしん坊や」と決めつけてきた。そのわけは、私がまず料理をガツガツ食べて、一息ついたところで、おもむろにビールに移るからだという。そう言われて見ると、妻はまず一口ビールを飲み、それから食事を始める。アルコールをほとんど飲めない体質であるのにアルコールが先、私は人並み以上にアルコールは飲める体質だが、まず食べてしまう。
この妻の指摘を聞いて、ものすごく嬉しくなった。アルキメデスが、風呂の中で浮力の原理を発見した時に、喜んではだかのまま風呂を飛び出した時の気持は、こんなのではなかったかと思った。だから、このことを発見し、私に教えてくれた妻に感謝している。たしかに、私は食いしん坊だ。
酒飲みではない、食いしん坊だと言われてなるほどと感心し、それから、私にとって酒は何なのかを考えてみた。その結論として、「酒が肴」つまり、私の場合は、アルコールが楽しい雰囲気を作る肴である、というところに落ち着いた。もちろん、アルコールがなくても、楽しい雰囲気を楽しむことはできる。しかし、そこにアルコールが加わると、その楽しさはより高まることが多いのも確かである。
「酒は涙か、ためいきか、こころのうさのすてどころ」、高橋掬太郎作詞、古賀政男作曲のこの歌は、酒を歌った歌謡曲の代表である。ところが、私にとって酒は、楽しい雰囲気を作り高めるものであり、自分自身は、悲しい酒、苦しい酒、怒りの酒、からみ酒、やけ酒は嫌いだ。そのような酒は飲まないし、そのような時に、酒を飲むことをしない。
私は歌が好きだが、それは絶えず鼻歌を唄っているということとほぼ同じ意味である。1年で鼻歌が出ない日は10日もないだろう。診察室でも、知らずに鼻歌が出ていることもあるらしい、患者さんに、「誰が鼻歌かと思ったら先生だった」と言われたことがあり、時には、気付かず口笛を吹いていると当院の職員から聞いたこともある。
何か思わぬことで時間を潰さなければならなくなったが、そのための用意ができていない時など、鼻歌を唄っていれば、すぐに時間は過ぎるので、待ち時間がまったく苦にならない。もちろん、このような効用があるから鼻歌を唄うのではなく、それは自然と出て来る性質のものだが、意識的に鼻歌を唄うのは、このような場合だ。
鼻歌ばかりではなく、時には大声を張り上げることもある。そのような場合に、唄って一番気持の良いのはもちろん風呂場である。エコーがかかり、湿り気があって、いくらでも上手く唄える。第一、カラオケのようにリズムを強制されないところがよい。気分のおもむくままに唄ってこそ、歌のこころは発揮できるというものだ。ある時はカルーソーに、ある時はデル・モナコに、またまた、ある時はドミンゴになっている。私はバリトンである。それなのに、なぜテナーなのか? テノール・コンプレックスがあるのだろうか?
大声で唄うのは食堂か風呂場が多いが、気分次第ではトイレでも唄う。幸いなことに、我が家の周囲三方は田圃なので、近所に気兼ねをする必要がない。この環境を神に感謝しなければ、罰が当たるであろう。
もう一つの気持良く唄える場所は車の中だ。一人で運転している時にCDとデュオをする喜びは、経験者なら誰も認めるであろう。4〜5年前までの私の最高のお相手は、ミレーユ・マッチューだった。もちろん、フランス語は皆目分からないので、歌詞はいい加減、ラ行を中心にでたらめに唄うが、そんなことはどうでもよい。彼女の、張りのある素晴らしいトランペットヴォイスに合わせて唄うとき、歌はこのように唄うのだということを、身体全体で感じる。そして、気持が非常に爽やかになるのである。
最近のお相手は、アンディー・ウィリアムスが多い。昔はあまり好きでなかったが、彼の声域が、私より1音くらい高いので、この人とデュオすると、高いところの音を出す練習になるような気がするのもその理由の一つだが、声に深みがないので、日本人の私などには向いているように思うのも、理由になるかもしれない。
「テノール馬鹿」というのは、学生のころ、合唱をしていた時に良く聞いたことばで、テノールは自分の歌に自己陶酔して、まわりとの釣り合いを考えずに声を出し、リズムも狂いやすい習性があることを揶揄したものだ。私が風呂場で大声を張り上げて唄っている時は、まさにこの状態だろうと思う。必然的にアカペラ専門、ここでは自己陶酔の極致を味合うことができる。
ときどき、我ながら感心することがある。同じ鼻歌を飽きもせず何度もくり返しているのだ。唄うのも、楽器を演奏するのも、聞くのも、私はくり返しが気にならない。これは自分だけだろうか? 音楽好きはみんなそうではないのか? そこで思うのだが、「くり返しが嫌いなら音楽家になれないのではないか」という仮説である。
大声を張り上げて唄う場合はもちろんのこと、鼻歌を唄っている時も腹筋に力が入っているのが分かる。この鼻歌が習い性になっているせいか、普通の場合でも、絶えず腹筋に力が入っていることに以前から気付いていた。古来、重要視されてきた「臍下丹田」と言われた部分に、絶えず力が入っているのを知って、歌を唄う効用がここにも及んでいることに驚いている。呼吸法も、短く息を吸って臍下丹田に向かって、ゆっくり静かに吐く腹式呼吸、いわゆる臍下丹田呼吸法が、自然と身についているのだ。
腹筋が強くなると、食事の際に早く満腹感が得られるので、腹十二分目に食べても、それほど大食いにならずに済む。私は、いくら身体に良いと言われても、腹八分目で済ませたことはほとんどなく、物理的にこれ以上入れられないというところ(腹十二分目)まで食べてきたが、体重の変動は少なく、結婚当初の服をいつでも着ることができる。これなどは、腹筋が強いせいで、腹十二分目と思うほど、実際に食べる量は多くないのだろうと思っている。
追加フレーズ
この「唇に歌を持て」ということばは、小学校の教科書にも載っていたが、最初に読んだ本は、「日本小国民文庫第十二巻 心に太陽を持て 山本有三編 新潮社 昭和十年刊 である。その中に載っていた話の一つが、「唇に歌を持て」だった。
沈没した船から投げ出され、暗闇の中を泳いでいる時に、遠くから美しい歌声が聞こえて来て、近づいてみると、1本の丸太に何人かの女性がつかまって、立ち泳ぎをしている。歌をうたっていたのはその内の一人で、頭から大波をかぶっても平気で歌を続け、救助船を待つ間、皆を勇気づけていたという。歌には、このような偉大な力があることを知って、感動したことを思い出す。(2008.11.11.)
「女」については、結婚してからは妻だけを愛していることを第1章:人間の03<夫婦>のところに書いた。
昔、カルメン・マキという少女が「時には母のない子のように」という歌でデビューした。ハーフのような目鼻立ちのはっきりした良い女性だった。顔も良かったけれど、彼女の歌いかたは、素人ぽく、それでいてクールで、魅力的だった。その彼女が、将来のことを尋ねられた時に、「この歌一つで打ち上げ花火のように消えていきたい」と答えた。いい言葉だと思った。
西田佐知子という歌手がいた。「アカシヤの雨が止む時」でスターとなったが、この曲を聴いて私は彼女のファンになった。関口宏と結婚してのち、芸能界から完全に姿を消してしまった。
山口百恵も三浦友和と結婚し、芸能界から引退した。森昌子も森進一と結婚し、芸能界を去った。最近では伊達公子の引退が美しかった。この私が好きな5人の女性は、共通して去り際が見事で、終わりがいさぎよい。
補足
私が購入した唯一の日本の女性の写真集が、伊達公子のプレーとプライベートを追った写真集である。他には、イングリット・バーグマン、オードリー・ヘップバーンの写真集しか持っていない。私にとって、彼女はこの二人に匹敵する好きな女性だ。その本の名は、Date 田沼 武男著 1997年1月15日 株)文藝春秋刊。(2008.11.11.)
私が一番憧れた女優は誰かと考えると、イングリット・バーグマンになる。家族も、ファンも、名声も、財産も、全てを捨て、轟々たる非難を浴びながら、ロッセリーニ監督のもとへと走った、美しい熱情の女の姿を見た時の感動を、私は忘れることはできない。日本の女優では、関根恵子がそれに近い。彼女は15歳で女優となり、24歳で舞台をすっぽかして、作家河村季里とともに、バンコクへ海外逃避行したが、27歳で監督高橋伴明と結婚して「高橋恵子」に改名し、映画、TV、演劇に活躍している。二人はともに世間の非難を意に介さず、自分の情熱に忠実な女性だった。
息子が一人暮らしを始めたのは、10年ばかり前のことだった。その頃から、私にとって、夜の診療を終えてから始まる夕食時が、一日のうちで一番大切な時間となった。朝も昼も食事は簡単な間に合わせ、それを時間を気にしながら急いで食べる。だから、ビールと一緒に、新聞を読みながら、TVを見ながら、妻ととりとめもない話を交わしながら、好きな物を美味い美味いと言いながら、ゆっくり食べる夕食のひとときが、私にとって何よりも嬉しい。しみじみとした幸せとは、こういう状態を言うのだろうと思う。
夕食を美味しく食べる幸せを上に書いた。私はほとんど胃の不調を経験したことがない。1年で私の食欲がない日は5日くらいだろうか、と妻に尋ねると、食欲のない日など知らないと答えた。それは、ちょっとオーバーだと思うが、ことほど左様に消化器系は丈夫にできている。
「夕食が美味いというが、お前は胃腸が丈夫だから、何を食べても美味いんだろう」と言われるかもしれない。そういう面もたしかにあるとは思う。しかし、そうは言っても食べ物の好みにはうるさい方で、私にとって美味いものだけを食べているのだと思う。幸か不幸か妻は料理が苦手だ。そこで、少し手を加えるだけで、私の好みの食事に変わる食材や出来上がりものを買ってくる。
妻の名誉のために書いておくが、料理下手の妻でも、ほかの誰が作るよりも美味いものを、少しは作ることができる。その第一は米飯で、これは炊飯器が作っているだけだと言われるかもしれないが、最高に美味い。他に竹の子、枝豆も妻が煮たものに敵うものを知らない。
そういうわけで、私は決してグルメ人間ではなく、自分の好きな物をたらふく食べたいという、食いしん坊なのだと思っている。
貝原益軒の養生訓を持ち出すまでもなく、腹八分目が健康に良いと盛んにいわれている。ところが、私は少なくとも10年以上、腹十二分目の夕食を取ってきた。食べ物のなかった戦争中や、戦後間もない時期はもちろん、それから後も、自分の食欲を抑え、腹八分目にして夕食を我慢したという記憶がない。いつも、物理的にこれ以上食べ物が入らないという状態で、食事を止めてきた。
「腹十二分目でも健康」だという報告を4年前に書いてこのWebに掲載して
いるので、もし興味がおありなら、お読みいただければ幸甚である。
修正
ただし、間食は一切せず、朝食、昼食は夕食の半分程度(腹六分目)である。これから計算すると、1.2+0.6+0.6=2.4 2.4÷3=0.8 となり、1日の合計では、腹八分目の食事をしてきたことになる。夕食の腹十二分目は間違いないのだが、朝食と昼食のことを考えなかったのは間違いだった。1日量として腹八分目であれば、1回量が腹十二分目であっても、構わないということのようだ。(2008.11.11.)
私には、酒、歌、女、食に負けないくらいの楽しみがある。それが本。子供のころから本屋が好きで、これは50年以上も続いている。そして、おそらく死ぬまで続くだろう。梅田へはたいてい毎週1度は出かけるが、本屋に立ち寄らないで帰ることはほとんどない。その本屋だが、阪急ブックファースト、旭屋本店、紀伊国屋がほとんどである。
55年に大学に入ってから、一番良く立ち寄った本屋は旭屋本店で、ここでよく出会う友人が二人いた。一人は土佐のイゴッソ、今は亡き野中君、もう一人は義兄となった田伏だった。
本屋に行っても、手当たり次第に何でも見るということはしない。これも昔からの習慣で、私の頭の中にはいくつかのテーマ、キーワードがあり、待ち時間を潰すために本屋に入ったとしても、そのテーマに関係しているところへ自ずと向かっている。
最近、老年痴呆の兆候が増えて来た。その一つが、本の二重買いで、良い本を見つけたと足取り軽く家に持ち帰り、同じ本があるのを知って、「また、やった〜!」と歯軋りをする回数がとみに増えている。
しかも、それを素直に認めず、「最近は買いためらっていると、次に買う気で探しても二度と手にすることができないから、あまりよく考えずに買ってしまうのだ」と言ってみたり、「本なんか安いものだ、そのくらいの無駄は致し方ない」と失敗を合理化してしまう。
けれども、本当のところは物忘れがひどくなってきただけだと、客観的に診断されるだろう。周りにそんな人がたくさん居るというのに、自分のことになるとそれを認めようとしない愚かさも、老年痴呆の表れかもしれない。
私は妻と週に1回は梅田に出かける。4年前に義母が脳梗塞で倒れるまでは、週2回の方が多かった。車で梅田に着くと、妻と別れてそれぞれが自分の行きたい所へ行く。そして、夕食を一緒に摂り、それから帰宅するのだ。妻と別れてからの私の行く先は、本屋、パソコンショップ、映像関連の店、レコード店など。妻はウィンドウ・ショッピングをしているようだ。
夕食は、ビアレストランか居酒屋で摂るが、最近は、ほとんど3店に偏ってきている。ここで生ビールを飲み、肴をつまみ、お客の観察をしながら妻ととりとめのない話をする。この夕食は、家で食べるのとは違って騒々しいが、その分活気があり、これもまた楽しい。この梅田行きを、私は「命の洗濯」と呼んでいる。これがなければ、私は拘禁ノイローゼになるに違いなく、仕事を継続するために必要な息抜きだと思っている。
修正
05年9月に医業を息子に引継ぎ、大阪市内のマンションに転居してきた。それ以来、毎日のように梅田に出かけている。そのため、この「週に1回、命の洗濯」は、自然消滅してしまった。(2008.11.11.)
小学生のころから、本や新聞を読むのが好きだった。今、ここで本について書きながら、読書好きはこどもの頃から変わることなく続いてきたことを、改めて思い知った。もう、読書は私の生活の一部と言って良いようだ。朝日、読売新聞の日曜版に載る書評欄は、読みたい本を探す手段として重宝している。
ここで「受動的欲求」と分類したのは、例えば、TV、CD、LD、DVDなどの鑑賞、映画鑑賞、コンサート、美術館めぐり、講演会などのように自分で創るのではなく、鑑賞することを指している。
現役の間は「しなければならないこと」に時間をとられ、「したいこと」をする時間が限られているので、その中でも一番したい「能動的な欲求」を満たすことに、以前からエネルギーを注いできた。そして「受動的欲求」は現役を退いた老後に楽しむこととし、「鑑賞は老後の楽しみ」と考えてきた。今年66歳となり、もうれっきとした老後の年齢に入っているが、事情があって、あと3年間は現役を続けなければならないので、「受動的欲求」を満たすのは少し先の話になる。
私にはコレクターの趣味はないが、将来楽しむために集めているものはある。その一つは映像関係で、映画を中心にLDのメディアに収まったものが多く、それに、わずかのVHSやDVDが加わる。現在はDVDの時代に入った。だから、将来鑑賞する時にはDVDが中心になると思われるので、LDをDVDにダビングすることになるだろう。老後にホームシアターでこれらを鑑賞するのを楽しみにしている。
LDの所持数は104枚で、クラシック音楽:18、ポピュラー音楽:31、ウエスタン:8、女優:17、その他:6、ヨーロッパ:10、美術:14である。
将来楽しむために集めているものの第二は、音楽関係である。こちらはほとんどがCDだが、分類をせず山積み状態なのが現状で、ざっと数えて300枚はありそうだ。このほかに、昔集めたLPやドーナツ版、カセットテープ、8トラック、オープンリールもかなり残している。これらは、将来MDにダビングして鑑賞することになるだろう。
第三は楽譜で、これは歌のデータベース1000曲を書くために集めたほか、将来譜面を見て唄う時のためにも集めてきた。
旅行や散策を受動的欲求に分類するのは不適当かも分からないが、自分で創るというよりも鑑賞の意味合いが強いので、こちらに入れた。現在も旅行や散策を少しはしているが、将来は積極的に、時間をかけて行いたいと思っている。
私の「したいこと」のうちで、「基本的欲求」は現状で充分満たされているため、それ以上を求めることはあまりない。また「受動的欲求」については、時間ができれば楽しみたいという話で、もしも、時間がなければ、致し方ないと諦めることができる。そういうわけで、私の現在「したいこと」というのは「能動的欲求」とほぼ同じである。
「能動的欲求」とは何かというと、それは自分で創ること、何かを書いたり、作ったりすることのほかにも、計画をする、まとめる、整理する、編集する、発表する、公開する、情報を発信するなどもこれに含める。
現在のいちばん「したいこと」は、この「心に生きることば」を書き上げること、その次は「野村医院30年史」を含めた診療30年をまとめることである。そのあとも、25くらいテーマはあるが、この二つをやり終えたなら、「したいこと」の50%くらいは済ませた気持になれそうだ。
創る楽しみを少し掘り下げてみると、それを果たすまでの過程が「したいこと」で、いったん完成すると、そのテーマに対する情熱も関心も速やかに失せていく。だから、完成した時の充足感を味わうことが本当に「したいこと」なのかも分からない。
修正
創る楽しみは、創り終えたときの充足感と思ってきたが、リタイヤ後3年間の経験では、創る楽しみは、進行途中が一番楽しいということを発見して驚いている。(2008.11.11.)
自然界にある現象はアナログ・データである。これをデジタル化することにより、データの処理、編集、加工、保存がアナログとは比較にならぬほど容易になる。文書データのデジタル化はワープロから、音声データのデジタル化はCDから、映像データのデジタル化はデジタル・ビデオカメラから始まったと考えて良いだろう。その処理技術は、10年ばかり前から一般向けに普及し始め、ここ数年で急速に発展し、大衆化してきた。
私が10年早く生まれていたら、これらのデジタル・データを使ったデータ処理をすることができなかったことを思うと、良い時代に生きることができた幸運を思わざるを得ない。
「男の美学 立原正秋」という本が、81年に角川書店から出版された。その2年前に、読売新聞に連載された「その年の冬」を読んで、立原正秋を知り、なぜか、妙にこの作家が好きになった。彼は食道癌の末期状態でこれを書き、第一部完結という未完のかたちで、この小説を終えた。少なくともその頃から「美学」ということばが好きになっていた。
この項目を、最初は 10<私の美学>とした。それは、私の美意識、つまり何を美しいと思うか、何をかっこがよいと思うかを気取って言っただけのことで、美の本質やかたちを研究する学問という本来の意味で使ったのではない。しかし、「美学」ということばは、このところ粗製乱造気味で、ずいぶん手垢がついてしまった。
手垢がついたことばを使うのは、「私の美学」に反する。それに「美学」ということばには、良いという価値判断が感じられる。自分の美意識を良いと言うのも、「私の美学」ではない。そこで、素直に「美学」を「美意識」とか「好み」に変更した。「生き方」、「こだわり」と言い換えてもよいのかもしれない。
スマートとは、かっこよさとは何かと問われれば、「スマートはスマート、かっこよさはかっこよさ」ということになり、答えにならない。とにかく、主観的なものであることだけは間違いがない。
私たちは、快感を求めて生きているという面がある。それは根源的なことがらであり、当然の行動である。しかし、快感をとめどなく求めるとなると、醜悪に変わる。それは、私の美意識に反する行為だ。
例えば、先にも書いたが、私の夕食はビールと食事で腹十二分目にするのが常である。この後で横になれば、たまらなく気持が良いことは分かっている。しかし、その誘惑を断固退け、診察室に向かい、1日の集計、日計表の打ち出し、その他の診療に関するその日のまとめを済ませる。それから、パソコンを使っていろいろの作業を行う。快感の後はストイックになるべきだ、というのが私の美意識である。
補足
腹十二分目の個所で、夕食は腹十二分目だが、朝食と昼食は腹六分目で、間食を摂らないと修正を加えた。これも、「快感をとめどなく求めるは醜悪」という、私の美意識が関係していると思う。(2008.11.11.)
世の中には、〜だからできなかったなどと言い訳をよくする人がいる。それがたとえ間違ってはいないとしても、言い訳をするのは、私の好みではない。だから、できるだけ言い訳をしないように心がけている。
「アングルのバイオリン」という言葉がある。高校か大学教養の頃に読んだ書物にあったと思い、手持ちの書物をかなり調べてみたが、見つからなかった。だから、あるいは私が自分で作ったことばかも分からないが、私の心の中で生き続けて成長し、自分の生き方の理想となっている。それは、フランスの新古典派と云われたアングルが、職業である画家としての評価よりも、趣味であるバイオリンで評価されることに、より重きを置いていたという話である。
私も、職業である医師として評価されるのは当然のことであり、いい加減な評価ではむしろ不快になるかも分からない。しかし、余技の上での評価(これはほとんど自己満足と同じ意味)を大切に思って来た。
この「アングルのバイオリン」を次のように言い替えることもできる。「しなければならないこと」は生きて行く上での義務、あるいは当然支払わなければならない代価として、精一杯これに努めるが、生きる目標は「したいこと」をすることにあり、この自己満足こそが生きがいである。
こちらは、人に役立つとか立たないとかは関係なく、自分が「したいこと」をすることが大切だ、と思う生き方である。あまり有害では困るが、無益で結構、もし、少しでも有益であれば、それに越したことはない、という生き方である。
私は、ものごとの終わりを何よりも大切に思う。引き際の美しさが好きだ。「好きな女性は去り際が良い」と先にまとめたのも、それを表している。なにごとにも別れはあるが、未練たらしくそれに執着し、取り乱すのは、みっとも悪い。
別れの最大のものは「死」である。この人生の終わりの時に当たって、悔い少なく死にたいというのが、私の生き方だとまとめることができる。医師になってしばらく過ぎたころから、そうに思うようになった。だから、かれこれ40年近く、そのように思って生きてきたことになる。
私は自分を個人主義者だと思う。集団の論理に組み入れられるのが嫌いで、自分なりの好み、考え方を大事にし、自分がしたいことをすることに価値を感じ、自分の物差しで行動しようとしてきた。もちろん、集団の中で生きているので、集団の論理に必要最小限は従うが、集団の論理を押し付けられるのには抵抗がある。
自分流が大切で、人からどう思われるか、どう見られるかは問題でない。自分のほかは、ごく一部の人に評価されるだけで充分だ、と思う生き方だ。
個人主義は利己主義ではないし、もちろん利他主義でもない。自分の生き方に干渉されることがなければ、他人の生き方を尊重し、自分と異なるいろいろな生き方があることを認め、喜ぶのが個人主義だと思う。
個人主義者は、いつの場合にも、最後に頼れるのは自分だけという気持があり、他人を当てにすることをしない。もちろん、他人に助けられることがあれば、それに対して強く感謝をするが、自分からはそれを望まない。
他人から求められれば、それが自分のできることであれば、それに応えることは嫌いではない。むしろ、それを喜ぶ場合の方が多いかもしれない。頼られてそれに応えるのは、「したいこと」になる場合が多い。しかし、他人にあれこれとお節介を焼くのは、最も嫌いなことである。
個人主義者は都会的、寂しいがスマートだと思う。
インテリア、エクステリア、道具、ファッション、プレゼンテーション、文章など、自分の好みのデザインについてまとめてみた。
頭が単純なせいだと思うが、複雑なことが苦手で、なにごとも単純化してしまう傾向がある。私の好きなデザインは単純なものが多い。なお、Simple is best でも、間違いではないようだ。
たしかに、私は単純なデザインを好むが、しかし、味も素っ気もないシンプルなものとか、効率優先でまったく無駄のないデザインというものは、ちょっと困る。遊びが入っていなければ面白くないし、少しの無駄は、私にとってなくてはならないものだ。
色は暖色系を好む。赤、橙、黄、茶、それに白や黒を組合せたデザインが多い。紫は古来高貴な色とされているようだが、私はあまり好きではない。澄みきった青い空、コバルトブルーの海、新緑の山並み、食卓に並んだ緑の野菜、どれも美しいと感じ、好きではあるが、デザインとしては、これらの色はあまり好みではない。
いわゆるアンティーク風なデザインは好きでない。ニューヨーク・モダンは好きだが、少し機能的過ぎる感じがして、遊びが少ないと思う。北欧調のシンプルな家具は好きだが、全体としては、イタリア・モダンが一番好きだ。我が家のリビングの椅子、机、照明はすべてイタリア製である。
車のデザインにも好みが強く、今まで乗ってきたのは、すべて2ドアのホワイトである。この機会にそれをまとめてみた。新車として購入したのは71年からで、これまでに9台、6車種に乗ってきたが、ご覧の通り、すべて白の2ドア、スポーツタイプである。
メーカーは最初の日産が16年、次いでホンダが14年である。私はホンダのレジェンドが好きで、引き続きこれに乗りたかったが、2ドア車は製造中止となり、仕方なく最後の車を7年間乗り続けた。その後の車を探すのに苦労をしたが、老人の私が乗ってもおかしくない2ドア車で、私が好きなタイプの車は国産車にはなく、結局は、英国車に乗ることになってしまった。これがおそらく、私の乗る最後の車となるだろう。
1)ローレル2ドアハードトップ 1台(2000 '71)日産:4年
2)グロリア2ドアハードトップ 2台(2800 '75、'77)日産:5年
3)レパード2ドアハードトップ 2台(2800 '80、3000'84)日産:7年
4)レジェンド2ドアハードトップ1台(2700 '87)ホンダ:4年
5)レジェンド2ドアクーペ 2台(3200 '91、'94)ホンダ:10年
6)ジャガー2ドアクーペ 1台(4000 '01)ジャガー:1年
このように車一つを取り上げても、好みが強く、それをいつまでも変えようとしない私は、相当な頑固者と言われても仕方がないだろう。
私は神戸で生まれ、神戸で育った。31歳で結婚してからは大阪に住み、はや35年が過ぎたので、大阪の生活の方が長いのだが、心のふるさと神戸には、今も郷愁と憧れが残っている。私の生き方、考え方、好みのいずれをとっても、神戸の街からの影響を大きく受けていると思う。私にとって神戸を一言でいえば、「ハイカラで個人主義の街」である。
車の整理をしたのに倣って、神戸出身の有名人をまとめてみた。やはり神戸出身らしい人物が多い。
作家:田宮虎彦、野坂昭如、遠藤周作、佐藤愛子、小松左京、灰谷健次郎
画家:小磯良平
詩人:竹中 郁
音楽:浜口庫之助、アイ・ジョージ、杉良太郎、桑名正博、アン・ルイス、もんた よしのり、南野陽子
女優:鳳蘭、岸ユキ、寿美花代、浅野ゆう子、伊藤榮子、藤原紀香
男優:山村聰、高島忠夫
医師:日野原重雄、三宅廉
学者:矢内原忠雄、吉川幸次郎
ほか:賀川豊彦、佐伯達夫、井深大、白州次郎、淀川長治、内橋克人
この中で、田宮虎彦、小松左京、山村聰、高島忠夫、三宅廉、矢内原忠雄、吉川幸次郎、井深大、白州次郎は高校(旧制中学)の先輩である。
健康志向を趣味のジャンルに含めるのはどうかとも思う。しかし、「健康志向」という世の中の風潮に、私は抵抗を感じているので、私の趣味でないものとして取り上げた。「医者ともあろうものが、何たることを書くのか」とお叱りを受けるだろうが、それを承知で少し書いておきたい。
「なにか健康に良いことをしていますか?」は、飽きるほど聞かされるキーフレーズだ。ところが、私は健康に良いといわれていることを、積極的には何もしていない。昔はヘビー・スモーカーだった。スポーツも歩くことも、食養生も、アルコール制限も、健康食品やサプリメントの摂取も、「健康に良いと言われることを何一つしていない」のである。
それでも、開業して29年目になるが、病気で休診をしたことはなく、ほとんど毎日、午前7時45分には診察机の前に座り、2〜3日に1度は8時15分から胃の透視などの検査を行い、9時からは毎日診療をしている。
医者だから検査を受けて早い目に治療をしているのではないか、と思われるかもしれないが、決して、そのようなことはない。未だかって、胃の検査、糞便検査、CTやMRI、エコー検査を受けたことがない。血圧は、待合室に置いてある自動血圧計の、ペーパー切れの交換をする時に、テストで調べるくらい。胸部のレントゲン写真も、フイルムや撮影条件、現像条件のチェックで撮るのが、ほとんどである。血液検査は年に1回くらい、何かで心配になった妻に、無理やり採血されるくらいのものだ。
私は少なくともここ10年以上にわたり、毎晩腹十二分目の量を食べて飲んできた。このことについては先に書いた。
修正
確かに夕食は今でも腹十二分目であるが、朝食と昼食は腹六分目で、1日平均すると腹八分目であることに気がつき、このことも、先のところで修正を加えている。(2008.11.11.)
「健康志向」に水を注すようなことを書いた真意は、「健康志向」ブームに乗せられて、それに振り回されるのは、時間の無駄ではないか、時間と金銭の損失ではないかと思うからである。日替わりメニューのような健康情報を、テレビから、週刊誌から、新聞から、薬局の店頭から仕入れてきて、それにとらわれて、時間と金銭を消費しているのをもったいないと思う。
もちろん、健康に良いと言われていることを試すのが楽しみで生きがいであるという人は、それを楽しまれたら良い。しかし、そのような人がそれほど居るとは思われない。
一回かぎりの人生を、思いっきり充実して生きて行くために、人は健康を願うのではないのだろうか? まさか、健康が目的、健康を続けることが生きがい、というわけではないだろう? ところが、いつの間にか手段が目的に変わってしまい、それに気がつかず、手段を目的として、懸命に追い求めているのではないだろうか? もしそうだとしたら、いろいろと健康法を試すのを止め、くよくよせずに、今を楽しむようにしてはどうか、というのが私の提案であり、アドバイスである。
もし、タバコを吸っている人であれば、健康に良いことをいろいろ試みるよりも、タバコを止めることの方が比較にならぬほど効果がある。そのことは、医学的に証明されている。ところが、世の中に流布している健康情報は、これほど明らかなタバコの害について強調することをせず、ほかの怪しげな健康法を勧め、人々を惑わせている。
また、早期発見早期治療の効用を強調して、絶えず検査を受けなければならない気持に駆り立てるのも間違っていると私は思う。受けた検査データのわずかな変動に一喜一憂し、検査を受けなければ知らずに済んだ軽い病気までも、見つけてもらうことが良いことなのかは疑問である。
中年を過ぎれば、どこかに調子の悪い部分が出てきて当然であり、重大な病気でなければ、それにとらわれることはないと思う。詳しく細かく検査をすればするほど健康は減り、病気が増えるのも当たり前のこと、その上どんなに努力をしてみても、人は必ず死ぬものである。何のための健康か、何のために生きるのか、いまいちど考えてみるのも悪いことではないだろう。
私は、こどもの頃からよく風邪をひき、中年からは喘息持ちで、短命の家系に生まれた。その私は、検査をほとんど受けず、健康に良いことを何もせず、むしろ健康に悪いことをしてきた。それでも、少なくとも今日までは、病気で休むことなく仕事を続け、私なりに人生を楽しむことできた。このような場合もありうるのだから、健康情報に振り回されず、その時間を、限りある命の充実に向けなければ、口惜しいのではないかと思うのだが、余計なお世話と言われるのだろうか?
追加フレーズ
昨年11月から、雨の日を除いてほとんど毎日妻と歩いて、梅田まで往復している。ほぼ7〜8000歩、2時間前後になるが、結構楽しい。
こちらへ転居してきてから、私はほとんど書斎に閉じこもり、主にPCに向ってきた。妻はしばらくの間は、なんとか我慢していたようだが、昨年10月15日にこらえきれずに、大落雷となった。その瞬間、その意味を悟り、キッパリPCから離れた。しばらくは、それを喜んでいた妻も、それが長く続くと、不安になったのだろう、PCへの復帰を促すようになった。
そこで考えた対応が、毎夕雨でなければ、梅田まで歩いて出かけるということで、歩くことが健康に良いと信じている妻には、一番嬉しいことだったようである。私自身も、歩かなくなって、廃陽性萎縮のために、歩けなくなった患者さんをたくさん見てきたので、歩くことに抵抗はなかった。都会の広い道路を歩くのは、楽しいことが多く、退屈しない。そういうわけで、健康に良いということを今は少し行なっている。(2008.11.11.)
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