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私の美術歴

 訪問した美術館を中心に

2012.11.25. 掲載
2015.12.25. 追加
このページの最後へ

目次
1.はじめに
2.美術書
3.展覧会
4.美術館
5.好きな画家、嫌いな画家
6.まとめ


1.はじめに

このところ、私の動画歴私の画像歴など、現在にまで続く私の趣味的なまとめを掲載してきた。12年前に書き上げた歌と思い出も、生まれてから還暦までの期間の歌歴と一緒に自分史をまとめたものなので、その類に属するだろう。

ところが、美術歴をまとめるという発想はこれまでまったくなかった。その理由として、したいことを、基本的欲求、受動的欲求、能動的欲求に分けた場合、私は何かを作りたい、構築したいという能動的欲求が飛び抜けて大きいことが関係しているからではないかと思う。

衣食住、酒歌女本などの基本的欲求は満たされていて、それ以上を望む気持ちはない。見たい、知りたい、学びたい、鑑賞したいなどの受動的欲求は、少年期や青年期には強かった気もするが、中年期以降は生存時間を意識するためか、あまり求めなくなり、専ら能動的欲求に従って行動してきた。鑑賞などは、構築ができなくなった時のための予備的存在であった。

美術については鑑賞がほとんどで、自分が作った美術作品は皆無に近い。だから、美術について、まとめて置きたいという気持ちが起こらなかったのは当然のことかもしれない。

それでは、なぜ気持ちが変わったかと言えば、中学生のころよく眺めていた岩波書店の少年美術館全12巻を、ほとんど無傷の状態で入手できたからである。私は自分が影響を受けた書籍の7〜8割は所持しているが、この少年美術館は大部であり、府営アパートではじめた新婚生活に、この書籍を置く場所はなく、実家に置いてきたようだ。

多感で悩み多かった中学生時代の私の大切な書籍が「デミアン」と、この「少年美術館」である。これを手にして、自分の美術の出発点がこの少年美術館であったことを知った。それと同時に、自分の美術歴をまとめたくなったというわけである。

これからまとめようとする私の美術歴は、海外の美術館を中心にしようと考えている。結婚25年の記念として、はじめて海外旅行をする時、選んだのはためらうことなくイタリアだった。フィレンツェには、少年美術館で見た絵画や彫刻がたくさんあった。そこで、フィレンツェでは憑かれたように6個所の美術館を巡り歩いた。これが最初の美術館巡りで、それから何度か海外旅行をして、これまでに43の美術館を巡っている。


2.美術書


●少年美術館 全12巻 岩波書店 1950年〜1952年刊

私が最初に手にした美術書は、岩波書店の「少年美術館」12巻で、中学2年から中学3年にかけての頃だった。発売されると父はこれを購入して持ち帰ってきた。いま数えてみると、1巻17枚の写真が12巻なので、12巻合せて204枚になる。その内で、この画集で知ったと思われる絵画や彫刻は30点以上あった。これらの写真を毎日のように眺めていた。

この中には、ボッティチェッリの「ビーナスの誕生」もあり、思春期の少年の心を魅惑したが、一番好きだったのは、ドナテッロのダビデ像だった。ミケランジェロの青年ダビデ像よりも、ドナテッロの少年ダビデ像の方が好ましかった。この画集には、他の美術書には載っていないロッピアの「少年の胸像」もあり、これも私のお気に入りだった。

少年の彫像を好んだのは、身体がどんどん大人になって行こうとしているとき、それに反発して、無邪気だったころを大切に思いたかったのかも分からない。


図1.少年美術館 第1巻表紙 岩波書店 1950年  2012年スキャナ取込み


図2.少年美術館 第1巻 目次写真  2012年スキャナ取込み


図3.ミケランジェロ ダビデ像 少年美術館 第2巻  2012年スキャナ取込み


図4.ドナテッロ ダビデ像 少年美術館 第3巻  2012年スキャナ取込み


図5.ロッピア 少年の胸像 少年美術館 第1巻  2012年スキャナ取込み


●西洋美術 創元社 1952年刊

この本は高校1年の美術の教科書で、モノクロ64ページの小冊子であるが、少年美術館と違って系統的で簡略にまとめられている。

美術の時間に、素焼きの湯呑み茶碗に絵を描いて、それを窯で焼いて湯呑みを制作する授業があった。その時、この教科書にあるエジプトの壁画を模写して、湯呑みに描いたのだった。その茶碗は、今も私の本棚を飾り、私にとっては思い出の宝物の一つとなっている。

ニューヨークのメトロポリタン美術館で、その壁画に対面した。私が古代エジプト文明を嗜好する原点となった壁画をここで見つけて感激したことを思い出す。


図6.西洋美術 創元社 1952年刊 裏表紙 ミロのヴィーナス像が載っている  2012年スキャナ取込み


図7.西洋美術にあるエジプト壁画を模写して、湯飲み茶碗に絵を描いた  2012年スキャナ取込み


図8.色づけをして湯飲み茶碗に描いたエジプト壁画 1  2007年撮影


図9.色づけをして湯飲み茶碗に描いたエジプト壁画 2  2007年撮影


図10.色づけをして湯飲み茶碗に描いたエジプト壁画 3  2007年撮影


図11.メトロポリタン美術館で対面したオリジナル壁画  2007年撮影

私が作った美術品は、上記の湯飲み茶碗のほかは、1枚のデッサンが残っているだけで、これも美術の授業中に行ったものである。


図12.高校1年の美術の授業で行ったデッサン  2012年スキャナ取込み

●世界美術全集 全36巻 平凡社 1928年〜1930年

高校1年から高校2年は、私にとって一番暗く、悩んだ時期であった。この頃、昼休みになると校内の図書館に行き、平凡社の世界美術全集 全36巻を眺めることを日課にしていた。この全集は、図書館の本棚1列を全部占めるほどの大部だったのを覚えている。他に、エコールドパリの美術書も、この頃から眺めはじめた。

この平凡社の世界美術全集の内容については、Webで調べても詳しいことは分からない。

大学に入ってから、美術書もかなり購入したが、それらから大きな影響を受けたものはなく、エピソードもないので、以下省略する。


3.展覧会

●高松三越百貨店 戦争画展 1943年ごろ

幼稚園と国民学校2年1学期までは、父の転勤で高松にいた。そのころ、高松の三越百貨店で戦争絵画展があり、その中の鶴田吾郎の「神兵パレンバンに降下す」という絵が欲しくて、母に頼んでその複製を買ってもらった。これが、私が欲しいと思った最初の絵である。


図13.鶴田吾郎 神兵パレンバンに降下す


●ピカソ展 京都 1956年

大学に入った翌年だったと思う。京都でピカソ展が開かれたので、親友の故野中君と見に行った。岡崎公園にある会場だった記憶はあるが、その場所が何処だったのか覚えていない。

そのピカソ展に、彼の若い頃のデッサンが2〜300点展示されていた。それは衝撃だった。あのわけの分からない絵を描くピカソが、これほどすごいデッサン力を幼少の頃から身につけていたとは、信じられなかった。

それと同時に、あの抽象画が、このような比類ないデッサン力に裏付けられていることを知った。この時から、ピカソと抽象画に対して好意的になり、少しづつ理解できるように変わって行った。

翌57年に映画「ピカソー天才の秘密ー」が公開された。この映画は、ピカソが白いスクリーンにマジック・インクでデッサンし、絵画を完成させて行く様子を、その裏側からカメラで写し取る方法で撮影されている。これによって彼の絵画の制作過程を、リアルタイムで、つぶさに見ることができた。そして、やはりピカソが天才であることを納得した。

ピカソの若い頃のデッサンと、この映画によって、私はピカソの抽象画が理解できるようになった。それでも、ピカソの絵で一番好きなのは、その頃から今も変わらず、「恋人たち」という具象画である。


図14.ピカソ 恋人たち

●ゴッホ展 京都市美術館 1958年

この展覧会も故野中君と一緒だった。私は一般に評価の高い、糸杉やひまわりなどは好みでなく、「アルルの跳ね橋」「夜のカフェテラス」などの穏やかな絵の方が好きだ。


図15.ゴッホ アルルの跳ね橋


●エル・グレコ展 国立国際美術館 2012年

社会人となってから、国内の展覧会に行く機会は増えたが、雑踏する観客の中で鑑賞するのはあまり好みではなく、印象に残る展覧会も少なかった。しかし、エル・グレコ展では、51点のすばらしい作品が展示され、訪れた時間が良かったのか、じっくり鑑賞することができた。

その中の圧巻は、高さ3メートルを超す「無原罪のお宿り」だが、「聖アンナのいる聖家族」の美しいマリアにしばし見とれてしまった。


図16.エル・グレコ 無原罪のお宿り


図17.エル・グレコ 聖アンナのいる聖家族


●クレオパトラとエジプトの王妃展 国立国際美術館 2015年

私は高校生の頃から、なぜかエジプト美術に魅かれ、国内で催された展覧会や海外の美術館をかなり見て来た。しかし、クレオパトラとエジプトの王妃をテーマとしたものを見た記憶がなく、国立国際美術館で開催されたこの展覧会を興味津々で訪れた次第。


図18.クレオパトラの像 絶世の美女というより可愛いチャーミングな女性と思った


図19.クレオパトラの像 この像はエリザベス・テイラーに似ている。やはり美人なのだと思った



4.美術館

美術館は海外を中心に記載する方針だが、大原美術館と大塚国際美術館は、例外として加える。ここに載せた写真は、自分が撮影したものを中心としたが、禁止されて撮影できなかったものは、主にWikipediaの写真を使った。

また、ここに掲載した写真は、私にとって印象深かったものを最少数選んだが、このサイトに掲載している他のタイトルの中で載せた写真も参照できるよう、リンクを付けておいた。

美術館目次
1.大原美術館 2.大塚国際美術館 3.ドゥカーレ宮殿 4.ウフィッチ美術館 5.バルジェロ美術館
6.アカデミア美術館  7.サンマルコ美術館  8.サンロレンツォ教会新聖器堂  9.ドゥオーモ付属美術館
10.サン・フランチェスコ大聖堂上堂  11.サン・ピエトロ大聖堂  12.バチカン美術館
13.ボルゲーゼ美術館  14.サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会
15.サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会コンタレッリ礼拝堂  16.スフォルツェスコ城美術館
17.レオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館  18.サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
19.ナポリ国立考古学博物館  20.秘儀荘  21.聖ヨハネ大聖堂  22.プラド美術館  22b.ソフィア王妃芸術センター  23.ミロ公園とミロ美術館  24.ピカソ美術館(バルセロナ)  25.カタルーニャ美術館
26.ルーブル美術館  27.大英博物館  28.ウイーン美術史美術館  29.ベルギー王立美術館
30.オスロ国立美術館  31.ヴィーゲラン彫刻公園  32.アテネ国立考古学博物館  33.デルフィ博物館
34.イラクリオン考古学博物館  35.エジプト考古学博物館  36.メトロポリタン美術館
37.エルミタージュ美術館  38.トレチャコフ美術館  39.クレラー・ミュラー美術館 
40.アムステルダム国立美術館  41.ファン・ゴッホ美術館  42.マウリッツハイス美術館 
43.ルーベンスの家  44.アントワープ・ノートルダム大聖堂  45.ブルージュ聖母教会



倉敷

●1.大原美術館

1956年、2002年、2003年の3回訪問
本格的な美術館を訪れたのは、ここ大原美術館が最初である。1956年大学2年目の夏、阪大男声合唱団の演奏旅行を終えての帰り道に、ここへ立ち寄った。


図20.阪大男声合唱団の仲間と訪れた倉敷美術館    1956年撮影

玄関に立つロダンの「カレーの市民像」、エル・グレコの「受胎告知」、モローの「雅歌」などに魅せられてしまったことを覚えている。私がエル・グレコやモローを好むのは、この時の感動が続いているからだと思う。

10年ばかり前にこの美術館を2度訪れたが、ここには西洋名画のエッセンスが集まっていると感じた。


図21.ロダン カレーの市民    2002年撮影


図22.エル・グレコ 受胎告知


図23.モロー 雅歌


鳴門

●2.大塚国際美術館

2000年、2002年の2回訪問
1998年に開館した大塚国際美術館は、西洋名画1,000点以上が、原寸大で陶板に焼き付けられ、系統的に展示されている。そのほか、システィーナ礼拝堂のように、その絵のある環境空間まで再現した展示や、生と死などの人間にとって根源的で普遍的なテーマを、画家たちはどのように描いたかテーマ別に集めた展示もされている。1300℃で焼き付けられたこの陶板名画は、2000年3000年後までも変色しないとされている。

ここで見た絵を、海外の美術館の本物と比べるという鑑賞法もあるが、海外で見た本物を、ここで再確認するという鑑賞法もあろう。「システィーナ礼拝堂」のように入場者が充満し、ゆっくり鑑賞できる環境でないところなど、むしろ、こちらの美術館で見る方が望ましく思える。

アングルの「泉」を最初に知ったのは、高校1年の美術の教科書「西洋美術」だった。気品のある端正なこの女性像に魅せられた。また、この「西洋美術」の裏表紙には「ミロのヴィーナス」が載っていた。

美しい女性の身体の規範は、私の場合、この二つである。「ミロのヴィーナス」の実物はルーブル美術館で見たが、アングルの「泉」のあるオルセー美術館には未だ行けていない。


図24.大塚国際美術館にある「システィーナ礼拝堂」


図25.大塚国際美術館にあるアングルの「泉」  2002年撮影


図26.高校の美術の教科書「西洋美術」に載っていたアングルの「泉」  2012年スキャナ取込み


ヴェネチア(イタリア)

初めての海外旅行で最初に訪れた地が、ここヴェネチアだった。夜、午後10時ころ、ヴェネツィア・テッセラ空港に着陸したが、その直前に機上からみたヴェネチアの夜景に息を飲んだ。これほど美しい夜景をあとさき見たことがない。

●3.ドゥカーレ宮殿

1992年に訪問
この宮殿には、世界最大の油絵といわれる、ティントレットの「天国」がある。この絵は天国でマリアが戴冠する様子を描いたものである。


図27.ティントレット 天国


フィレンツェ(イタリア)

●4.ウフィッチ美術館

1992年、2003年の2回訪問
海外で最初に訪れた美術館は、ここウフィッチ美術館である。入館して最初に感嘆したのは、青と赤の色鮮やかなミケランジェロの「聖家族」だった。美術書で良く知っていたボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」の実物に圧倒されたが、それよりも「プリマヴェーラ」に魅せられてしまった。

端正なレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」、フィリッポ・リッピの美しい「聖母子と二天使」などは、この美術館ではじめて知った好きな絵である。


図28.ミケランジェロ 聖家族


図29.ボッティチェッリ プリマヴェーラ


図30.レオナルド・ダ・ヴィンチ 受胎告知

●5.バルジェロ美術館

1992年に訪問
少年美術館に載っている美術品のうちで、一番好きだったのが、ドナテッロのダビデ像だった。旅行の自由時間では、真っ先にバルジェロ美術館に駆けつけた。そして、ダビデ像を何度も周り、存分にその姿をHi8ビデオに収めた。今回そのビデオから静止画を切り出し、ここに載せている。中学生のころ憧れたダビデ像に会えて大満足だった。


図31.ドナテッロ ダビデ  1992年撮影のアナログHi8動画より切り出し


図32.ドナテッロ ダビデ  1992年撮影のアナログHi8動画より切り出し


図33.ドナテッロ ダビデ  1992年撮影のアナログHi8動画より切り出し


図34.ドナテッロ ダビデ  1992年撮影のアナログHi8動画より切り出し


図35.ドナテッロ ダビデ  1992年撮影のアナログHi8動画より切り出し


図36.ドナテッロ ダビデ  1992年撮影のアナログHi8動画より切り出し

●6.アカデミア美術館

1992年と2003年の2回訪問
ミケランジェロのダビデ像は、ここアカデミア美術館にある。そのレプリカは、フィレンツェでは、シニョリーア広場のヴェッキオ宮殿の前と、ミケランジェロ広場に立っている。

ルネッサンスやフィレンツェを代表する美術品と言える「ミケランジェロのダヴィデ像」の実物も見たくて、バルジェロ美術館を出ると、アカデミア美術館に直行した。

ここでも、Hi8ビデオカメラで、思う存分いろいろの角度から撮影した。11年後に訪れた時には、工事と多数の入館者のため、このような贅沢な撮影は不可能だった。

その2回目の訪問で、ダビデ像を見るため、ミケランジェロが80歳で着手した3番目のピエタ像(パレストリーナのピエタ)の前で順番待ちをしていたときに、親友森隆君の死去の知らせを受けた。前日、ミラノのスフォルツェスコ城美術館で、ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」に感動したばかりだった。そのことについては、喜びと悲しみというタイトルの追悼文をこのサイトに掲載している。


図37.ミケランジェロ ダビデ  1992年撮影のアナログHi8動画より切り出し


図38.ミケランジェロ ダビデ  1992年撮影のアナログHi8動画より切り出し


図39.ミケランジェロ ダビデ  1992年撮影のアナログHi8動画より切り出し


図40.ミケランジェロ ダビデ  1992年撮影のアナログHi8動画より切り出し


図41.ミケランジェロ ダビデ  1992年撮影のアナログHi8動画より切り出し


図42.ミケランジェロ ダビデ  1992年撮影のアナログHi8動画より切り出し


図43.ミケランジェロ パレストリーナのピエタ  1992年撮影のアナログHi8動画より切り出し

●7.サンマルコ美術館

1992年に訪問
サンマルコ美術館にはフラ・アンジェリコの絵画が数多く展示されている。その中で、僧坊へ続く階段を登った正面にある壁画「受胎告知」が一番印象に残っている。シンプルで清純な絵だと思った。


図44.フラ・アンジェリコ 受胎告知 階段を上がるとこの壁画が現れた  1992年撮影の動画より切り出し


図45.フラ・アンジェリコ  受胎告知 1992年撮影のアナログHi8動画より切り出し

●8.サン・ロレンツォ教会新聖器堂

1992年に訪問
メディチ家ジュリアーノの棺の上に「昼と夜」の彫像がある。ジュリアーノ像の右下の男性像は「昼」の象徴、左下の女性像は「夜」の象徴である。


図46.ミケランジェロ 昼と夜(右が昼)  1992年撮影のアナログHi8動画より切り出し

メディチ家ロレンツォ2世の棺の上に「曙と黄昏」の彫像がある。ロレンツォ2世像の右下の女性像は「曙」の象徴、左下の男性像は「黄昏」の象徴である。


図47.ミケランジェロ 曙と黄昏(右が曙)  1992年撮影のアナログHi8動画より切り出し

●9.ドゥオーモ付属美術館

1992年と2003年の2回訪問
フィレンツェにあるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、ドゥオーモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成される。

ドゥオーモには付属美術館があり、かつてドゥオーモ内部や外部に安置されていた彫刻などが保存されている。その中で良く知られているのは、ミケランジェロが75歳で創作に着手した2番目のピエタ「ドゥオーモのピエタ」で、完成されたように見えるが未完である。


図48.ミケランジェロ ドゥオーモのピエタ  2003年撮影


アッシジ(イタリア)

●10.サン・フランチェスコ大聖堂上堂

1992年に訪問
アッシジにあるサン・フランチェスコ大聖堂は上下二段の上堂と下堂からなっている。上堂内部には、ルネサンス初期の画家ジョットが描いた、聖フランチェスコの生涯28場面のフレスコ画がある。下堂には聖フランチェスコの遺体が安置されている。

最初の海外旅行で最も宗教的感動を覚えたのは、この大聖堂下堂だった。宗教とはこのようであるべきだと思ったことを覚えている。


図49.ジョット 聖フランチェスコの生涯 小鳥への説教

ローマ(イタリア)

●11.サン・ピエトロ大聖堂

1992年、2003年の2回訪問
20年前、サン・ピエトロ大聖堂の入口で「ピエタ」を見たとき、感動で涙がこぼれた。ミケランジェロが23歳で制作をはじめ、25歳で完成させたこのピエタは完璧だった。26歳で着手し、29歳で完成させたダビデ像といい、この人はまこと天才である。

ところが、その11年後に再びこのピエタに接したとき、あれほどの感動はなく、それは妻も同じだった。このことは、私たちが老年期に入ったこととも関係しているのかもしれない。


図50.ミケランジェロ サン・ピエトロのピエタ  2003年撮影

●12.バチカン美術館

2003年に訪問
バチカン美術館は、歴代ローマ教皇の収集品を収蔵展示する世界最大級の美術館である。このバチカン美術館は、多くの美術館群で構成されている。ミケランジェロの天井画「創世記」と祭壇壁画「最後の審判」で知られるシスティーナ礼拝堂や、ラファエロの「アテナイの学堂」で知られるラファエロの間は、その一部に過ぎない。

システィーナ礼拝堂は、あまりにも入場者が多く、落ち着いて眺めることができなかった。これなどは、大塚国際美術館の方が鑑賞に適していると思う。それだけでなく、ミケランジェロの力強い画風が、私にはもうしんどく感じられた。

それに対して、ラファエロの「アテナイの学堂」は、画集で想像していたよりも壮大で、色使いも明るく、知性が感じられ、すっかり気に入ってしまった。これまでの美しい聖母の絵の作者というイメージが吹き飛んでしまった。


図51.ミケランジェロ システィーナ礼拝堂天井画と壁画


図52.ラファエロ アテナイの学堂

●13.ボルゲーゼ美術館

2003年に訪問
ボルゲーゼ美術館にはベルニーニの「アポロンとダフネ」や「プロセルピーナの略奪」などのほか、カラヴァッジオの「果物籠を持つ少年」などもある。

ここで私が一番見たかったのは、カラヴァッジオの「ゴリアテの首を持つダビデ」だった。ドナテッロのダビデミケランジェロのダビデとテーマは同じである。この絵に描かれたダビデは、先の二つの彫像と違って陰鬱だ。カラヴァッジオはこの絵を描いた翌年亡くなっているが、死因は不明とされている。

なお、この美術館では、カメラはもちろんビデオカメラの持ち込みも禁止で、全部預けさせられた。このような厳しい処置を受けたのは、記憶にある限りでは、エジプト考古学博物館くらいだったと思う。


図53.カラヴァッジオ ゴリアテの首を持つダビデ

●14.サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会

2003年に訪問
この教会には、16世紀のスペインに実在した聖女テレジアが神と出会い、その喜びに満たされる奇跡の場面を表した「聖女テレジアの法悦」の彫像がある。


図54.ベルニーニ 聖女テレジアの法悦  2003年撮影


図55.ベルニーニ 聖女テレジアの法悦 全体像  2003年撮影

●15.サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会コンタレッリ礼拝堂

2003年に訪問
ここには、出現した天使から、聖マタイがスコラ哲学を教えられる場面を描いた、カラヴァッジオの「聖マタイと天使」の絵がある。


図56.カラヴァッジオ 聖マタイと天使  2003年撮影


ミラノ(イタリア)

●16.スフォルツェスコ城美術館

2003年に訪問
サン・ピエトロ大聖堂で「ピエタ」を見た翌々日、スフォルツェスコ城美術館でロンダニーニのピエタを見た。ミケランジェロが死の間際まで、のみをふるい、手直しを続けたと伝えられている未完成の遺作で、サン・ピエトロ大聖堂の「ピエタ」とは対極にある彫刻である。

この「ピエタ」を見たとき、11年前に見た「サン・ピエトロのピエタ」以上に、心の深いところからこみ上げてくる感動に胸がつまった。それは妻も同じだった。

完璧な「ピエタ」よりも、一見稚拙とも見えるこの未完成の彫刻に魅せられ、感動したのはなぜなのだろうか? ミケランジェロが、死ぬ数日前まで彫り続けていた作品であるという予備知識だけで、この感動を説明することはできない。

人は完全な美しいものに感動するが、必死で自分の望むものを創り上げようとしている、完成途上の作品に対して、より一層、胸を打たれるのかもしれない。あるいは、サン・ピエトロ大聖堂で思ったように、私たちが、もう人生の終わりに近づいているためかもしれないし、 展示の場所、方法の違いが大きく関係している可能性もある。


図57.ミケランジェロ ロンダニーニのピエタ  2003年撮影

●17.レオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館

2003年に訪問
レオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館は、1953年に彼の生誕500周年を記念して創設された。元修道院を改装したもので、当時の雰囲気を残している。そこには、彼の設計図を元にして作られた、木製の飛行機械や織機、軍事器具がずらりと展示されている。レオナルドが、広い分野でその才能を発揮した天才であったことに驚嘆し、尊敬する。

私は、巨人ミケランジェロよりも、多才で緻密なレオナルドの方がよほど好きだ。絵画でもそれは同じで、ウフィツィ美術館で「受胎告知」、ヴェロッキオと共作の「キリストの洗礼」、バチカン美術館で「聖ヒエロニムス」、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会で「最後の晩餐」、ルーブル美術館で「モナ・リザ」「岩窟の聖母」「洗礼者ヨハネ」などを見たが、好きな良い絵だと思う。


図58.レオナルド・ダ・ヴィンチ 「人体は円と正方形に内接する」  2003年撮影

●18.サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

2003年に訪問
この教会の食堂にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、1977年から20年以上をかけて修復作業が行われた。それは洗浄作業のみで、表面に付着した汚れなどの除去と、レオナルドの時代以降に行なわれた修復による顔料の除去が行なわれたということだ。


図59.レオナルド・ダ・ヴィンチ 最後の晩餐(修復前)


図60.レオナルド・ダ・ヴィンチ 最後の晩餐(修復後)


ナポリ(イタリア)

●19.ナポリ国立考古学博物館

2011年に訪問
1972年の最初の海外旅行でポンペイ遺跡を訪れ、大きなショックを受けた。そして、人間は2000年程度の時間では全く進化しないという仮説を得た。2000年前に、一夜にして火山灰に埋もれてしまった地方都市が、発掘されてみると、現在の私たちとほぼ同じ生活をしていて、非常に高度の文明、文化を当時持っていたのだ。

ここ「ナポリ国立考古学博物館」には、ポンペイ遺跡からの出土品が保存展示されている。その詳細は古代ローマの遺跡を巡るに記載している。


図61.アレクサンドロ大王の戦い モザイク画  2011年撮影


図62.アレクサンドロ大王の戦い モザイク画 拡大図  2011年撮影


ポンペイ(イタリア)

●20.秘儀荘

2011年に訪問
ポンペイ遺跡にある秘儀荘には、ディオニュソス秘儀という神秘的な信仰を描いたフレスコ壁画がある。その詳細は、古代ローマの遺跡を巡るに記載している。


図63.ポンペイの秘儀荘の秘儀の間北面と東面壁画 ポンペイ赤で有名  2011年撮影


ヴァレッタ(マルタ)

●21.聖ヨハネ大聖堂

2007年に訪問
地中海中央部の島国、マルタ共和国の首都バレッタにある聖ヨハネ大聖堂には、カラヴァッジオの「聖ヨハネの斬首」の絵がある。バレッタの写真は、飛鳥U世界一周写真集に多数掲載している。、


図64.カラヴァッジオ 聖ヨハネの斬首 この完成数ヶ月後、本作の前で画家自身が斬首刑を言い渡された


マドリード(スペイン)

2回目の海外旅行の行く先も、ためらうことなく、スペインを選んだ。この国もイタリアと同様、音楽と美術の両方で、私にはたまらなく好きな国である。

●22.プラド美術館

1995年と2015年に訪問
このプラド美術館には、エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤの絵が多数ある。その中で、一番印象が深かったのはゴヤの晩年の絵だった。

ゴヤの「裸のマハ」「着衣のマハ」などは良く知っていたが、「黒い絵」と通称される一連の絵には圧倒された。光量を極限に落として展示された絵は不気味とさえ感じた。スペイン独立戦争の動乱時に描かれた「マドリード、1808年5月3日」も私のイメージにない絵だった。


図65.ベラスケス「ラス・メニーナス」 Wikipediaより



図66.ゴヤ「カルロス4世の家族」 Wikipediaより



図67.ムリーリョ「無原罪の御宿り」 Wikipediaより



図68.ゴヤ マドリード、1808年5月3日


図69.ゴヤ 我が子を食らうサトゥルヌス

ソフィア王妃芸術センター

2015年に訪問


図70.ピカソ「ゲルニカ」 Wikipediaより

1937年4月26日、スペインの北部人口6000人の小さな町ゲルニカはドイツ軍機に無差別爆撃をされた。この爆撃によって壊滅状態になったゲルニカの悲報を聞いて、ピカソは滞在中のパリで、構想から完成までわずか1ヶ月という早さで、この作品を仕上げたという。


バルセロナ(スペイン)

●23.ミロ公園とミロ美術館

1995年と2007年の2回訪問
1995年に訪問した時は、残念ながら休館中だった。仕方がないので、ミロ公園を訪れ、高さ22メートルの巨大彫刻「女性と鳥」を撮影してきた。

2007年は念願が叶い、ミロ美術館に入館できた。ここで買ったミロの赤のスカーフと橙いろのスカーフは、孫娘の遊び道具として重宝している。ミロ美術館についての詳細は、世界の写真6.美術と音楽に記載している。


図71.ミロ公園に立つ「女性と鳥」  1995年撮影のデジタルDV動画より切り出し


図72.ミロ美術館の室外  2007年撮影

●24.ピカソ美術館

2007年に訪問
ここにあるピカソの「女官たち」は、プラド美術館にあるヴェラスケスの女官たちを題材としている。ここで見たピカソ制作の陶器類が印象に残っている。

また、これまで医学関係の絵画によく紹介されてきた「科学と慈悲」というピカソ16歳の絵や、「画家の母、マリア・ピカソ・ロペスの肖像」という15歳で描いた作品を見ると、美術学校の絵の教師だった父親が、息子に教えることは何もないことを悟り、絵筆を捨てた気持がよく分かった。


図73.ピカソ 女官たち

●25.カタルーニャ美術館

1995年に訪問
ここでは、中世から20世紀までのカタルーニャ美術を中心としたコレクションが多数展示されていたが、良く知られた作品はなかった。


図74.スペイン広場から眺めた国立カタルーニャ美術館  1995年撮影のデジタルDV動画から切り出し


パリ(フランス)

●26.ルーブル美術館

2000年と2007年の2回訪問
ルーブル美術館には、古今東西の有名な絵画、彫刻が数えきれぬほどあり、美術館の中でも別格である。しかし、日本国内の展覧会のような雑踏は少ない。

最初に訪れた時、ダ・ヴィンチの「モナリザ」が意外と小さかったり、逆にダヴィッドの「ナポレオンの戴冠」が、想像していた以上にサイズが大きくて驚いたりした。アングルの「オダリスク」では、強調された豊かな臀部に不思議な魅力を感じた。

2回目に訪れた時には、ミロのヴィーナスに鑑賞の重点を置いた。高校1年の美術の教科書の裏表紙に載っていた「ミロのヴィーナス」と、同じ教科書に載っていたアングルの「泉」を見て以来、今にいたるまで、女性美の規範をこの二つに求めている。

第1回目にも、もちろんミロのヴィーナスを撮影したが、2回目は、ドナテッロミケランジェロのダビデ像と同じように、1周して撮影した。この彫像を正面から撮影した写真は数多くあるが、側面や背面からのものは、ほとんど公開されていないようだ。

最初に訪れた時に撮影した写真は、ロン・パリやぶにらみ道中記に多数掲載している。また、2回目に訪れた時に撮影した写真は、世界の写真6.美術と音楽に多数掲載している。


図75.ダ・ヴィンチ モナリザ  2000年撮影のデジタルDV動画より切り出し


図76.ダ・ヴィンチ モナリザ  2000年撮影のデジタルDV動画より切り出し


図77.アングル オダリスク  2000年撮影のデジタルDV動画より切り出し


図78.ミロのヴィーナス  2000年撮影のデジタルDV動画より切り出し


図79.ミロのヴィーナス正面  2007年撮影


図80.ミロのヴィーナス左側面  2007年撮影


図81.ミロのヴィーナス左背側面 2007年撮影


図82.ミロのヴィーナス背面  2007年撮影


図83.ミロのヴィーナス右背側面  2007年撮影


ロンドン(イギリス)

●27.大英博物館

2000年 2007年の2回訪問
大英博物館を最初に訪れた時には、「海賊分捕り品陳列会場」ではないかと思った。それが2回目に訪れた時には、このような人類の文化遺産を、丁重に保存管理し、それを見事に展示しながら、訪れる者すべてに無料で見学を許し、写真やビデオ撮影まで許すという方針に共感した。そのことが、海賊分捕り品の展示という前回の印象を変えてしまったのではないかと思う。

分捕り品には間違いないとして、それを元の場所に置くよりも、世界の多くの人に広く見てもらえて、保存管理が行き届いているなら、それも致し方ないかも知れないと考えが変わってきた。どちらが人類にとって有用であるかが問題であろう。

それは、10日ばかり前に訪れた、カイロの考古学博物館の保管状態、展示方法を体験したことが大きく影響している。国力と歴史が関わっていることは認めるが、人類共通の遺産としては、現状では、大英博物館での保存、展示を望ましく思う。

最初に大英博物館を訪れた時の写真はロン・パリやぶにらみ道中記に6枚掲載している。また、2回目に訪れた時に撮影した写真は、世界の写真6.美術と音楽に40枚掲載しているが、39枚が古代エジプト美術品である。時間が限られた中では、自分が一番関心のあるものに集中するというのが、私の行動パターンである。


図84.ファラオ胸像正面  2007年撮影


図85.ファラオ胸像左側面  2007年撮影


図86.王妃胸像正面  2007年撮影


図87.王妃右側面  2007年撮影


図88.古代エジプト壁画  2007年撮影


図89.パピュルス「死者の書」 右はミイラを支えるトキの姿のトト神  2007年撮影


ウイーン(オーストリア)

●28.ウイーン美術史美術館

2008年に訪問
ウイーンには3回旅行したが、その内の2回はオペラ座での観劇だった。私の一番好きな作曲家シューベルトが、生まれ育った都市である。

ウイーンについては、ウィーン・ベルリン音楽の旅オペラ鑑賞の旅に詳述している。


図90.ブリューゲル 農家の婚礼


図91.ヴェラスケス 青いドレスのマルガリータ王女


ブリュッセル(ベルギー)

●29.ベルギー王立美術館

2007年に訪問、2015年再訪
ベルギー王立美術館のうちの古典美術館で、ピーテル・ブリューゲルやルーベンスなど、フランドル派画家の絵をたくさん見た。


図92.ベルギー王立美術館  2007年撮影


図93.ルーベンス 三賢王の礼拝  2007年撮影


図94.ヒエロニムス・ボス「聖アントニウスの誘惑」 2015年撮影



図95.ハンス・メムリンク「聖セバスティアンの殉教」 2015年撮影



図96.ルーカス・クラナハ「シャイリング博士の肖像画」 2015年撮影



図97.ピーテル・ブリューゲル(父)「ベツレヘムの人口調査」 2015年撮影



図98.ピーテル・ブリューゲル(長男)「謝肉祭の争いと四旬節」 2015年撮影



図99.ピーテル・ブリューゲル(父)「イカロスの墜落」 2015年撮影



図100.ピーテル・ブリューゲル(父)「堕天使の墜落」 2015年撮影



図101.ヤコブ・ヨルダンス「王様が飲む」 2015年撮影



図102.レンブラント「ニコラース・ファン・バンベークの肖像」 2015年撮影



図103.ルーベンス「聖母被昇天」 2015年撮影



図104.ルーベンス「聖母マリアの戴冠」 2015年撮影



図105.ルーベンス「東方三博士礼拝」 2015年撮影



図106.ルーベンス「ゴルゴダの丘行き」 2015年撮影



図107.ヨース・ドゥ・モンペル2世「バベルの塔」 2015年撮影



オスロ(ノルウエー)

●30.オスロ国立美術館

2009年に訪問
オスロ国立美術館にはエドヴァルド・ムンクの絵がたくさんが展示されている。その詳細は北欧4国への旅に記載している。


図108.ムンク 思春期


図109.ムンク マドンナ

●31.ヴィーゲラン彫刻公園

2009年に訪問
ヴィーゲラン彫刻公園には、ノルウェーの彫刻家 アドルフ・グスタフ・ヴィーゲランが制作した193体の彫刻が展示されている。彼は人間の一生を彫刻で表現し、そのすべての作品をこの公園に寄贈した。ノールウェーが誇る文化遺産の一つである。その詳細は北欧4国への旅 に記載している。


図110.ヴィーゲラン 母と子  2009年撮影


図111.ヴィーゲラン 祖父と孫  2009年撮影


アテネ(ギリシャ)

●32.アテネ国立考古学博物館

2001年に訪問
アテネ国立考古学博物館には、クレタ島を除くギリシャ各地の遺跡からの出土品が収めれている。詳細はエーゲ海クルーズ アテネ2に記載している。


図112.古代ギリシャ 馬に乗る少年像  2001年撮影


デルフィ(ギリシャ)

●33.デルフィ博物館

2007年に訪問
デルフィはアテネの北西180kmにある。古代ギリシャ人が、アポロの神託(神のお告げ)を求めて、各地から集まり賑わった聖地で、背後に嶮しい山、眼下に深い谷、遠くにコリント湾が見え、聖地の雰囲気が感じられる。

ここデルフィ博物館では、デルフィ遺跡出土品が展示されている。その詳細は世界の写真6.美術と音楽に記載している。


図113.古代ギリシャ 黄金のアルテミス像  2007年撮影


クレタ(ギリシャ)

●34.イラクリオン考古学博物館

2001年に訪問
今から5000年から3000年前にかけて、クレタ島を中心にミノア文明が栄えた。その最盛期に建てられたクノッソス宮殿は、1900年に英国の考古学者サー・アーサー・エヴァンズによって発掘された。1870年に、ドイツ人実業家シュリーマンによって発掘されたトロイ遺跡と言い、ロマンのある話だ。

クノッソス宮殿からの出土品は、大部分がイラクリオン市内にある考古学博物館に保存されている。クノッソス宮殿については、エーゲ海クルーズ クレタ島の中で、また、イラクリオン考古学博物館についても、エーゲ海クルーズ クレタ島の中で詳述している。

クレタ人は「古代における最大の絵画民族」と呼ばれるだけあって、特に壁画(フレスコ)が豊富だ。宮殿に数多く見られる壁画の題材は自由奔放でカラフル。人々の姿勢は様々で、動植物も多く描かれ、静止するものはない。これはオリエントやエジプトのそれとは異なる。また、ミノア文明の後に来るギリシアの文化にもこれほどの壁画は現れない。


図114.3500年前のミノア文明 「パリジェンヌ」と呼ばれるフレスコ壁画  2001年撮影


図115.3500年前のミノア文明 「牛の上のアクロバット」と呼ばれるフレスコ壁画  2001年撮影


カイロ(エジプト)

●35.エジプト考古学博物館

2007年に訪問
エジプト考古学博物館は、客船飛鳥Uの貸切で、現地ガイドの説明を受けながら、1時間半をかけて全館を見て回った。

有名なツタンカーメンの黄金のマスクはすばらしかった。若くして急死した無名の王の副葬品ですら、これほど立派なものばかりだとすると、ラムセス2世のように長命なファラオの副葬品は、どれほどのものだったのか想像もできない。

それにしても、ほとんどの副葬品が盗掘されているところから、盗みもまた古代から続く人間の性である事実を認めざるを得ないのは皮肉である。

ここのエジプト美術品の保管状態、展示方法、カメラとビデオカメラの持ち込み禁止などを経験すると、大英博物館のエジプト美術品がたとえ略奪品であるとしても、保管展示するには、ここよりより望ましいと思ってしまう。


図116.ツタンカーメン王の黄金のマスク


図117.ツタンカーメン王の黄金のマスク


ニューヨーク(アメリカ)

●36.メトロポリタン美術館

2007年に訪問
ニューヨークの市内観光で真っ先に訪れたのが、ここメトロポリタン美術館だった。膨大な展示物を短時間で見ることは不可能なので、ギリシャ・ローマ美術を観た残りの時間を、エジプト美術の鑑賞に費やした。

ギリシャ・ローマ美術では、古代ギリシャの壷がこれまで訪問したどの美術館よりも数多く展示され、それが素晴しくて興奮した。

エジプト美術では、これまで訪問した美術館にあった大きな彫像は見られなかった。その代わり、精巧な、あるいは華麗な展示物が多く、特に、エジプト壁画の数はここが断然多く、また上質で、思わず美しいと何度も嘆声をあげた。

全体として、贅を尽くして蒐集した美しいものを、美しく分かりやすく繊細に展示しているという印象である。一度全部を見終ってから、特に気に入ったものの写真撮影を行った。

先に、美術書のところで書いたように、私がエジプト美術に魅せらるようになった原点となる壁画をここで発見し、ここにあったのかと感激に震え、幸運に感謝した。

メトロポリタン美術館で撮影した14枚の写真は、世界の写真 6.美術と音楽に掲載している。


図118.古代ギリシャの壺  2007年撮影


図119.古代エジプトの猫の彫像  2007年撮影


図120.古代エジプトのレリーフ  2007年撮影


図121.古代エジプトのレリーフ  2007年撮影


図122.古代エジプトの壁画  2007年撮影


図123.古代エジプトの壁画  2007年撮影


図124.古代エジプトの壁画  2007年撮影

以上のこれまでに訪問した美術館を数えてみると、合計13ヶ国、22都市、36館である。また、この記事に載せた写真数は105枚で、そのうちWikipediaなどからの借用は31枚、残り74枚(70%)は私のオリジナルである。(撮影:42、動画より切り出し:22、スキャナ取込み:10)

写真撮影、動画撮影を禁止している美術館は少なくない。しかし、ルーブル美術館、大英博物館、メトロポリタン美術館で掲示した写真は、すべて私が撮影したものである。有名コレクションの多いこれら三つの美術館は、発光させないという条件付きで、撮影を許している。これには、そのための設備や要員に費用をかけることができるか否かという問題が関係しているのかもしれない。


サンクトペテルブルグ(ロシア)

●37.エルミタージュ美術館

世界の美術館をかなり訪問したが、ここには、2014年に漸く訪れることができた。三大美術館に値する名実ともに世界トップクラスの美術館だと思った。その詳細は、エルミタージュ美術館に記載した。



図125.レオナルド・ダ・ヴィンチ 「聖母ブノワ」 2014年撮影



図126.レオナルド・ダ・ヴィンチ「リッタの聖母」 2014年撮影



図127.ラファエロ 「コネスタビレの聖母」 2014年撮影



図128.ラファエロ 「聖家族」 2014年撮影



図129.ティツィアーノ「ダナエ」、図118にレンブラントの作品がある 2014年撮影



図130.ティツィアーノ 「懺悔するマグダラのマリア」 2014年撮影



図131.カラヴァッジオ 「リュートを弾く若者」 2014年撮影



図132.エル・グレコ 「使徒ペトロとパウロ」、温和なペトロと教養あるパウロを描き分けている 2014年撮影



図133.ゴヤ「アントニア・サラテの肖像」、早逝した女優の唯一の存在の証しとなる肖像画 2014年撮影



図134.ルーベンス「ローマの自愛」、牢獄で衰弱し切った父親に自分の乳を飲ませる娘 2014年撮影



図135.ルーベンス「バッコス」、酒嫌いのルーベンは酒飲みの末路を描いた 2014年撮影



図136.レンブラント「ダナエ」、図110にティツィアーノの作品がある 2014年撮影



図137.レンブラント「フローラに扮したサスキア」 サスキアはレンブラントの愛妻 2014年撮影



図138.レンブラント「放蕩息子の帰還」、父親は泣き続けて目が見えなくなっていた 2014年撮影



図139.モネ「庭の女」 2014年撮影



図140.ドンゲン「黒い帽子の女」 2014年撮影



図141.ゴーギャン「果実を持つ女」 2014年撮影



図142.ゴッホ 「アルルの女たち」 2014年撮影



図143.ルノワール 「ジャンヌ・サマリーの肖像」 2014年撮影



図144.ルノワール 「扇子を持つ女」 2014年撮影



図145.ルノワール 「むちを持った子供」 2014年撮影



図146.セザンヌ「ピアノを弾く少女」 2014年撮影



図147.セザンヌ「煙草を吸う男」 2014年撮影



図148.セザンヌ「サント・ヴィクトワール山」 2014年撮影



図149.セザンヌ 「カーテンのある静物」 2014年撮影



図150.ピカソ「ヴェールの踊り」 2014年撮影



図151.ピカソ「扇子を持つ女性」 2014年撮影



図152.ピカソ「友情」 2014年撮影



図153.ピカソ「裸婦」 2014年撮影



図154.マティス 「画家の家族」 2014年撮影



図155.マティス 「音楽」 2014年撮影



図156.マティス「ダンス」 2014年撮影



図157.マティス「赤い部屋」 2014年撮影



図158.マティス 「会話」 2014年撮影


モスクワ(ロシア)

●38.トレチャコフ美術館

モスクワにあるロシアの古美術と18世紀以降の絵画が専門のロシア美術最大の美術館。2014年訪問。



図159.ボロヴィスコフスキー 1757〜1825年 「ロプヒナの肖像」



図160.キプレンスキー 1782〜1836年 「詩人 プーシキンの肖像」



図161.イワーノフ 1837〜1857年 「民衆に現れたキリスト(メシアの出現)」



図162.クラムスコイ 1837〜1887年 「忘れえぬ人」

デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園(オランダ)

●39.クレラー・ミュラー美術館

オランダのデ・ホーヘ・フェルウェ国立公園内にある美術館である。フィンセント・ファン・ゴッホに関するコレクションで知られている。2015年訪問。



図163.クレラー・ミュラー美術館の入口 2015年撮影



図164.ファン・ゴッホ「自画像」 2015年撮影



図165.ファン・ゴッホ「アルルの跳ね橋」 2015年撮影



図166.ファン・ゴッホ「囲われた麦畑に昇る太陽」 2015年撮影



図167.ファン・ゴッホ「刈り取られた麦畑と太陽」 2015年撮影



図168.ファン・ゴッホ「刈り取られた麦と昇る月のある風景」 2015年撮影



図169.ファン・ゴッホ「種まく人」 2015年撮影



図170.ファン・ゴッホ「ジャガイモを食べる人たち」 2015年撮影



図171.ファン・ゴッホ「白い帽子を被った女の頭部」 2015年撮影



図172.ファン・ゴッホ「悲しむ老人」 2015年撮影



図173.ファン・ゴッホ「マダムローリンの肖像画」 2015年撮影



図174.ファン・ゴッホ「夜のカフェテラス」 2015年撮影



図175.ファン・ゴッホ「ジョセフ・ローリンの肖像画」 2015年撮影



図176.ファン・ゴッホ「マダム・ジノーの肖像画」 2015年撮影



図177.ファン・ゴッホ「男の肖像画」 2015年撮影



図178.ファン・ゴッホ「玉ネギの皿のある静物画」 2015年撮影



図179.ファン・ゴッホ「ピンクの桃の木」 2015年撮影



図180.ファン・ゴッホ「糸杉と星の見える道」 2015年撮影


アムステルダム(オランダ)

●40.アムステルダム国立美術館

オランダの首都アムステルダムにあるアムステルダム国立美術館(Rijksmuseum Amsterdam)は「ライクス・ミュージアム」と呼ばれている。レンブラントやフェルメールなど17世紀オランダ絵画が充実している。2015年訪問。



図181.アムステルダム国立美術館(ライクスミュージアム) 2015年撮影



図182.アムステルダム国立美術館(ライクスミュージアム) 2015年撮影



図183.アーフェルカンプ「冬景色」 2015年撮影



図184.ピーテル・デ・ホーホ「配膳室に居る女と子供」 2015年撮影



図185.ヨハネス・フェルメール「牛乳を注ぐ女」 2015年撮影



図186.ヨハネス・フェルメール「小路」 2015年撮影



図187.ヨハネス・フェルメール「恋文」 2015年撮影



図188.レンブラント「トビトと仔山羊を抱えるアンナ」 2015年撮影



図189.レンブラント「音楽を奏でる人々」 2015年撮影



図190.レンブラント「若き日の自画像」 2015年撮影



図191.レンブラント「老女(レンブラントの母)」 2015年撮影



図192.レンブラント「女の肖像画(サスキア)」 2015年撮影



図193.レンブラント「女性(マリア・トリップ)の肖像画」 2015年撮影



図194.レンブラント「夜警」 2015年撮影



図195.レンブラント「夜警」 2015年撮影



図196.レンブラント「夜警」 2015年撮影


アムステルダム(オランダ)

●41.ファン・ゴッホ美術館

アムステルダム市内のミュージアム広場 に面しており、近くにアムステルダム国立美術館がある。このファン・ゴッホ美術館は、クレラー・ミュラー美術館とともに、2大ゴッホ美術館と称される。2015年訪問。




図197.ファン・ゴッホ美術館



図198.ファン・ゴッホ「ファンゴッホの寝室」



図199.ファン・ゴッホ「黄色い家」



図200.ファン・ゴッホ「自画像」



図201.ファン・ゴッホ「ひまわり」



図202.ファン・ゴッホ「ジャガイモを食べる人々」



図203.ファン・ゴッホ「種をまく人」



図204.ファン・ゴッホ「カラスのいる麦畑」



図205.ファン・ゴッホ「ラ・クロの収穫」


デン・ハーグ(オランダ)

●42.マウリッツハイス美術館

マウリッツハイス美術館は、フェルメール「真珠の耳飾りの少女」、レンブラント「テュルプ博士の解剖学講義」が所蔵されていることでよく知られている。2015年訪問。




図206.開館前のマウリッツハイス美術館 2015年撮影



図207.フェルメール「真珠の耳飾の少女」 2015年撮影



図208.フェルメール「デルフトの眺望」 2015年撮影



図209.フェルメール「ディアナとニンフたち」 2015年撮影



図210.ルーベンス「聖母被昇天(下絵)」 2015年撮影



図211.ルーベンス「蝋燭を手にした老女と少年」 2015年撮影



図212.ヤン・ブリューゲル(父)とルーベンス「楽園のアダムとイブ」 2015年撮影



図213.パウルス・ポッテル「雄牛」 2015年撮影



図214.フランス・ハルス「笑う少年」 2015年撮影



図215.レンブラント「テュルプ博士の解剖学講義」 2015年撮影



図216.レンブラント「ホメロス」 2015年撮影



図217.レンブラント「二人のムーア人」 2015年撮影


アントワープ(ベルギー)

●43.ルーベンスの家

ルーベンスは、アントワープの中心部に自身がデザインした新居を設け、工房も併設し、弟子とともに幾多の絵画作品を制作する場所とし、同時に、当時のアントワープで最高級の私的美術品収蔵場所、最高級の蔵書を誇る私的図書室とした。彼は死ぬまで30年間をここで過ごした。現在この家は、博物館「ルーベンスの家」として使われている。2015年訪問。




図218.ルーベンスの家の入口 2015年撮影



図219.ルーベンスの家の中庭 2015年撮影



図220.中庭から見たルーベンスの家 2015年撮影



図221.「自画像」 2015年撮影



図222.ルーベンス作 2015年撮影



図223.ルーベンス作 2015年撮影



図224.ルーベンス作 2015年撮影



図225.ルーベンス作 2015年撮影



図226.ルーベンス作 2015年撮影



図227.ルーベンス作 2015年撮影



図228.ルーベンス作 2015年撮影



図229.ルーベンス作 2015年撮影



図230.ルーベンス作 2015年撮影



図231.ルーベンス「自画像」 2015年撮影



図232.ルーベンス作 2015年撮影



図233.ルーベンス作 2015年撮影



図234.ルーベンス「自画像」 2015年撮影



図235.ルーベンス作 2015年撮影



図236.ルーベンス作 2015年撮影



図237.ルーベンス作 2015年撮影



図238.ルーベンス「アントーン・ヴァン・ダイクの肖像画」 2015年撮影



図239.二階から見下ろしたところ 2015年撮影


アントワープ(ベルギー)

●44.アントワープ・ノートルダム大聖堂

ノートルダム大聖堂は、アントワープの町の守護聖人である聖母マリアに捧げられたゴチック様式の大聖堂。高さ123メートルの優美な塔は町のランドマーク的存在である。堂内にはルーベンスの傑作4枚がある。2015年訪問。




図240.ルーベンス「マリア被昇天」 2015年撮影




図241.ルーベンス「キリスト昇架」 2015年撮影



図242.ルーベンス「キリストの降架」 2015年撮影



図243.ルーベンス「キリストの復活」 2015年撮影


ブルージュ(ベルギー)

●45.ブルージュ聖母教会

ブルージュにある聖母教会の中に、ミケランジェロが、「ピエタ」とほぼ同じ時期に作った「聖母子像」がある。この作品には「ピエタ」を初めて観たときの感動はなかった。2015年訪問。




図244.ブルージュの聖母教会 2015年撮影



図245.ミケランジェロ「聖母子像」 2015年撮影



5.好きな画家、嫌いな画家

私にとって美術は、音楽のような基本的欲求であるとまでは言えないが、生きて行く上で、こころを休め、気持ちを良くさせてくれるものである。一般的にはそうなのだが、好きな絵も嫌な絵もある。それは専ら自分の好み、感性によっており、他人の意見によることはない。変わったところが多い私の場合、他の人と違うところが恐らく多いことだろう。

どの作品というのではなく、印象として好きな画家を挙げていくと、ミロ、ルオー、モロー、ボナール、ピカソ、スーラ、グレコ、小磯良平などの名が浮かび、他にも、まだまだたくさんある。

反対に、嫌いな画家は、これも印象として、シャガール、ダリ、ルソー、クリムト、梅原龍三郎などだ。しかし、嫌いな美術家はこれくらいしか思い浮かばない。

好きな美術家にスペイン人が3名、嫌いな美術家にスペイン人が1名入っているのを面白く思う。


6.まとめ

中学生のころよく眺めていた岩波書店の少年美術館全12巻を、ほとんど無傷の状態で入手できたことから、自分の美術歴をまとめる気持ちになった。

これまで、多くの海外美術館を訪問しているので、その内容は美術館を中心とすることにした。写真はできるだけ、自分が撮影したものを使いたく、該当する写真を探したが、これにはかなり手間がかかった。

動画しかない場合は、動画から静止画を切り出したが、これが予想以上に鮮明だった。アナログHi8動画からの分では少し苦しいが、デジタルDV動画からでは十分実用的である。

一旦まとめる作業をはじめると、いつもの構築をする楽しみに夢中となり、作業に没頭してしまった。その間、久しぶりに手持ちの美術書の多くを眺めることとなったが、これもまた楽しい時間であった。

これをまとめる作業をしていて、思春期のころの好みが、それ以降も変わることなく続いていることを知った。ダビデ像、古代エジプト美術、女性の身体美の規範がそれである。

ここに載せた36の美術館はすべて妻と訪れた。最初の海外旅行が銀婚だったから、これは20年間の海外旅行のサマリーと言えないこともない。私たち夫婦は正反対の性格であるが、絵などの好き嫌いでは似ているところが多く、これを嵯峨野・仁和寺・北野天満宮の紅葉とともに、結婚45周年の記念としたい。金婚はとうてい無理と思われるので、これが最後の結婚記念記事となるだろう。


<2012.11.25.>
<2015.12.25.>追加

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