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ピカソとデッサンと絵画

2005.01.07. 掲載
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戦後、西洋文化が怒涛のごとく日本に押し寄せてきた。私たちは、それを優れたものと感じ、積極的に受け入れようとした。また、敗戦で価値観を180度変えることを余儀なくされた。私たちは、それに戸惑いを感じたが、世の多くの文化人は、いとも簡単に頭の切換えを行い、過去を否定し、デモクラシー、実存主義、社会主義と、節操なくそれに追随して行った。こども心にも、私はそれを腹立たしく思っていた。

絵画についても、抽象絵画がもてはやされ、絵画は写真ではないのだから、対象を写実的に描く必要はないと強調され、進歩的文化人を気取る人たちは、「デッサン不要論」を口にしていた。私の父もその一人で、小学生の弟が絵を習いはじめたころに、スケッチを軽んじ、思った通りに描けば良いとよく言っていた。

権威ある進歩的知識人のことばに頼り、それを鵜呑みにして、矛盾する考えを並存させ、自分で考えることをしない父親を、私は小学6年のころから批判し、反抗を続けてきたが、この「デッサン不要論」もその一つだった。見た通りのことを描く技量がなくて、思った通りの絵を描けるわけがない、もし、うまく行ったとしてもそれは偶然に過ぎないではないか!

アブストラクト絵画の代表はもちろんピカソである。彼の抽象画は印象に強く残るが、その良さが私には分からなかった。大学に入った翌年だったと思う。京都でピカソ展が開かれたので、親友の故野中君と見に行った。岡崎公園にある会場だった記憶はあるが、その場所が何処だったのか覚えていない。京都国立近代美術館は、当時存在せず、京都市美術館か京都市勧業館だったのではないかという気がする。

そのピカソ展に、彼の若い頃のデッサンが2〜300点展示されていた。それは衝撃だった。あのわけの分からない絵を描くピカソが、これほどすごいデッサン力を幼少の頃から身につけていたとは、信じられなかった。それと同時に、抽象画が、このような比類ないデッサン力に裏付けられていることを知った。この時から、ピカソと抽象画に対して好意的になり、少しづつ理解できるように変わって行った。

翌57年に映画「ピカソー天才の秘密ー」が公開された。この映画は、ピカソが白いスクリーンにマジック・インクでデッサンし、絵画を完成させて行く様子を、その裏側からカメラで写し取る方法で撮影されている。これによって彼の絵画の制作過程を、リアルタイムで、つぶさに見ることができた。そして、やはりピカソは天才なのだということを納得した。

ピカソの若い頃のデッサンと、この映画によって、私はピカソの抽象画が理解できるようになった。それでも、ピカソの絵で一番好きなのは、その頃から今も変わらず、「恋人たち」という具象画である。ちなみに、私が好きな画家は、ミロ、ルオー、ボナールなど、嫌いな画家はダリ、シャガールなどだが、そのダリもまたデッサン力の優れた画家の一人とされている。

そのことから、絵とデッサンについて考えてみた。デッサンが絵の基本であることは分かる。デッサン力が貧弱では、人に感動を与える絵を描くことはできないだろう。つまり、デッサン力は良い絵を制作するための必要条件である。しかし、デッサン力が優れていても、必ずしも良い絵を創造できるわけではない。つまり、デッサン力は良い絵を制作する十分条件ではない。

デッサンは本来は下絵であり、それ自体が鑑賞の対象になることは少ないのだろうが、私はなぜかデッサンも好きで、勢いのある伸びやかな軌線で構成された図形に、魅せられてしまうことが多い。そのようなデッサンを見ると、「ピカソみたい」と口走ってしまう。

先日ある個展で、流れるような生き生きとした曲線の素晴らしい30点以上のパステル画を見た。そして、この作者は、デッサン力のすごい人だと直感的に思った。その日は個展の最終日だった。終了間際の、10分ばかりの時間で、作者とことばを交わすことができた。

私が、「貴方のデッサン力は素晴らしい。昔、京都で見たピカソのデッサンを思い出す」と話すと、問わず語りに、いろいろ話してくれた。それをまとめてみると、以下の様だったと思う。

1.デッサン力のある人は戻ることができるが、デッサン力のない人は、巡礼に出たら、行きっぱなしになってしまう。

これは、デッサン力がある人は、いろいろなジャンルに挑戦して行くことができるが、それを持たない人はそれができないという意味に解釈した。ピカソの絵画歴をみると、絶えざる改革、破壊、創造をくり返している。

この画家の絵を10年ばかり前に見たことがあり、強く印象に残って名前を覚えたのだが、その時の絵は、光沢と透明感のあるアクリル樹脂を感じさせ、オシャレで精巧な作品だった。今回はそれとまったく異なる作風のパステル画である。この人もまた、いろんなジャンルに挑戦して来たのだろうと思った。


2.対象を見ると、そのイメージが頭にできる。それを描くのであって、写生するわけではない。

デッサンとは、被写体をあるがままに写し取る技法だと思ってきたが、考えてみると、デッサンをする人の目を通して、その人の大脳に写された映像を写し取るのであり、カメラのような客観性は望むべくもない。その映像は、単に見えているというものではなく、その人が被写体から見つけ出したものであり、見る人の観察力、ものの本質を見抜く眼力が関係してくるだろう。

そう考えると、デッサンには、自分の大脳に写された映像を正確に描くことのほかに、被写体をどのように自分の大脳に取り込むかという洞察力が、それ以上に大切な要素であることが分かる。デッサン力の優れた人というのは、この2点において優れていると考えて間違いあるまい。

自分の頭にできたイメージは、その人の洞察力を表し、これが貧弱であれば、そのイメージをどれほど正確に描いたとしても、結果は貧弱なものになるのは当然である。逆に、洞察力に優れ、自分の頭に浮かんだイメージが見事なものであったとしても、それを正確に描き出す能力がなければ、いたずらに、試行錯誤をくり返し、あげくの果ては、疲労困憊か挫折感が待っていることになるだろう。そんな風に、この画家のことばを理解した。

3.1日に5〜6枚描く。その中にはサインを入れられないものもある。

デッサン、クロッキーなども含めるのだろうが、1日5〜6枚も描くとは、イメージが横溢するだけでなく、描くスピードが速いということを表しているのだと思う。確かに、個展で見た作品はどれもスピード感に満ちたタッチで描かれていて、それが私にはたまらない魅力だった。

これまであまり意識することのなかったサインだが、人前に出せる作品として自分が認知できるものという大切な意味を持っていることを再認識した。

4.絵を画くと肩凝りも取れる。

1日5〜6枚ものペースで絵を描くと疲れるのは、ノルマとして与えられた場合であって、自分がしたいことであれば疲れることは少ない、むしろ、心身がリラックスするということはよく理解できる。

5.絵を画くことが好きで、10歳くらいから、絶えず絵を画いていた。

やはり、この画家は幼い頃から絵を書くことが無性に好きだったということを知った。それは、天性のものかもしれない。

6.美大の同窓生の中で、絵を続けているのは、男では自分一人になった。

この人は美大卒業後、母の営んでいた居酒屋を継ぎ、商売が軌道に乗りはじめた7年後から、絵を再開したと新聞記事に出ていた。店が休みの日曜と客が少ない土曜日に、筆を持ったとのことである。「生活のために居酒屋をやっているが、二人の自分がいるみたいで充実している」と話している。しなければならないことをしながら、したいことをするというのは、私の生き方と同じである。

この個展を開いた画家の名は堀口博信さんという。10年ばかり前に、金澤美大の同窓生の合同展があり、明石先生の奥様の瞳様が出展されていて、鑑賞させていただいた。その時の出品群の中の、光沢と透明感のあるアクリル画に魅せられ、作者の名前を覚えたのが、この堀口さんだった。

10月20日の読売の夕刊に、個展の紹介記事が載っていたのを見て、すぐにあの時の堀口さんであることが分かった。今夏、ルーブル美術館で開かれた「美の革命展」でグランプリを受賞、その「凱旋個展」が天満の松坂屋で、21日まで開催されているというのだ。やはり、あの人はタダモノではなかったのだと知って嬉しかった。

10月21日、個展最終日の終了30分ばかり前に会場に入り、30数点の絵を鑑賞した。前回の絵とはまったく違ったタイプのパステル画で、グランプリ受賞作はもちろん、ほかの作品も素晴らしかった。私の好きな絵画のタイプはこれだったのだということを、この時はじめて覚った。

その記念として、長年漠然と思ってきた「ピカソとデッサンと絵画」についてまとめたのがこの小文である。あの日からちょうど1週間が過ぎた。私の手許には、あの時いちばん気に入った彼の絵がある。幸せだ。 (2003年10月28日)

<追記>

その堀口博信さんから、昨日郵便物が届きました。開いてみると、堀口博信 作品集 PASTEL CROQUI 2004 というカラー写真集でした。同封されていた平成十七年元旦の年賀状に、「インターネットの文 何度か読みました。後押しになりました。ありがとうございます。」と書かれていました。素人が書いたデッサン論を、何度かお読みいただいたとは、そして、それが私の好きなこの画家の後押しになるとは、思ってもいなかったので嬉しくなりました。

この作品集に、南野佳代子という堀口さんの知人の書かれた 〜ヒロノブ・ホリグチ物語〜 とい紹介文が入っていました。その中で、一番好きな画家は誰か?と問うと「ピカソだ」と答え、「ピカソは自分の思うがままに生きて、変化を恐れへんかった。青の時代、赤の時代から立体派、超現実派、抽象派、表現派と目まぐるしく変貌し、常に新しい境地を拓いていった。人の何倍も激しく生きながら、晩年、『まるで呼吸するように私は描く』て言うたらしいけど、ボクもそうありたい」と話したそうです。いかにもこの人らしいと思いました。

頂いた作品集は19枚の写真からなり、躍動感溢れるパステル画で、なんとも魅力的な作品でした。いつか、堀口さんの許可を得て、その内の私のお気に入り数葉をこのサイトで紹介させていただけないものかと思っています。

その前に、我が家のリビングの中央に掲げてある堀口博信の作品をご披露します。上記の個展で手に入れた、私のお気に入りです。

(2004年12月17日追加登録)

堀口博信さんの承諾が得られましたので、本日、 堀口博信のパステル画 のタイトルで、このサイトに掲載しました。この画家の絵がどれほど素晴らしいか、是非ご一見下さい。


<2005.1.7.>

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