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飛鳥U世界一周2007航海記

9.アラスカ


2007.08.31. 掲載
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6月26日:インサイド・パッセージ、Bella Bella
6月27日:洋上、ミスティー・フィヨルド、ケチカン
6月28日:洋上、Point Adolphus で鯨ウォチング
6月29日:ジュノー、メンデンホール氷河、鯨ウォチング
6月30日:スキャグウェイ、ゴールドラッシュ
7月 1日:ハバード氷河
7月 2日:プリンス・ウイリアム湾にある氷河
7月 3日:スワード、エグジット氷河、キャンピングカー
7月 4日:カッコイイ84歳の男性との夕食
7月 5日:100泊記念の機関長招待夕食会
7月 7日:ふれあい発表会にコーラス同好会として出演
    
写真の多い「 写真集9.アラスカ 」に移動する


6月26日:インサイド・パッセージ、Bella Bella

バンクーバーを出て、アラスカに向けて航行中である。バンクーバーから、アラスカのスキャグウェイまで、氷河が織り成す約1600kmにわたる複雑な水路を、インサイド・パッセージ(Inside Pasasge)と呼ぶ。氷河で削り取られた沿岸部は、美しいフィヨルドの海岸線を描く。ここではネイティブ・アメリカンの文化が、今なお息づいている。

14:00ころ、カナディアン・ネイティブの村「Bella Bella 」を左舷に見ながら通過した。その粗末な家を眺めながら、先住民の歴史や現在の生活を思った。彼らは、私たち日本人と同じ黄色人種で、幼児は殿部に蒙古班を持つ。

アラスカで買った、カナディアン・ネイティブの描いた絵「オルカ」


6月27日:洋上、ミスティー・フィヨルド、ケチカン

ミスティー・フィヨルド(Misty Fjord)と言う峡湾内で、9:00〜11:00まで、霞んだ中の美しい景色を楽しんだ。海面は鏡のようで波一つ無く、山並みが海面に影を落としている。あいにくの曇天だったが、これが快晴であれば、どれほど美しいだろうかと想像した。

15:00ごろ、アラスカのケチカン(Ketchikan)市を右舷に見ながら、航行していると、白頭鷲(bald eagle)が1羽、天空を飛翔した。デジカメを構えていたので、何とかその姿を収めることができた。この鳥は1782年から米国の国鳥であるが、米国本土では滅多に見ることができない貴重な鳥となってしまった。しかし、アラスカには多く生息しているとのことだ。白頭鷲は、一度つがいになると生涯同じペアで過ごし、毎年同じ巣に戻ってくると言われている。

海面は鏡のようで波一つ無く、山並みが海面に影を落としている。


6月28日:洋上、Point Adolphus で鯨ウォチング

ジュノーの少し手前の Point Adolphus で10:00〜14:00まで、鯨ウォチング(Whale Watching)のために船を止め、キャプテンの船内放送の度に、乗船客は右往左往した。鯨に100m以上近づくことは禁止されているので、かなり遠くで見ることになるが、潮吹きや尾びれを出して水中に潜る姿を何度か目にすることができた。

氷河が後退したあとにできたフィヨルド地帯は、オキアミなどの発生にともない、ニシンやイワシが群生し、それを狙ってクジラやイルカなどが集まってくる。ジュノー付近はホエール・ウォッチングの絶好のスポットになっているそうだ。

鯨は高く潮を吹き上げた。

鯨は尾を立てた。


6月29日:ジュノー、メンデンホール氷河、鯨ウォチング

バンクーバーからジュノー、スキャグウェイまでの航路(衛星写真)

ジュノー(衛星写真)

アメリカ合衆国国旗

カナダのバンクーバーを出てからアラスカ沿岸を航行し、ジュノー、スキャグウエイ、スワードに寄港した。アラスカについては、地図で知っている北米大陸の最北最西の地域という貧弱な知識しかなかったが、今回のクルーズで、もう少しだけ詳しくなった。この航海記を、最後の寄港地アラスカで終えたいと思う。長い間、お読みいただき、たくさんのコメントやメールでご感想を下さり、心から感謝申上げる。帰国してからは、この航海記に画像をふんだん加えたものを、Webサイトに掲載したいと思っている。

ジュノー(Juneau)はアラスカ州の州都である。ジュノーという名は、この地の川で最初に金を発見した鉱山師の名前からつけられたという。坂が多い美しい町なので、リトゥル・サンフランシスコ(little San Francisco)と呼ばれると聞くが、それはちょっと過大評価だろう。

飛鳥Uが着岸したすぐ右手に、ロバーツ山トラムウエイ(Mount Roberts Tramway)の地上駅があり、ロバーツ山の山頂まで60人乗りロープウエイで登った。ここからは小さなジュノーの街が眼下に一望できる。ここで小屋に入れられた白頭鷲を見た。首から上が真っ白で、威厳があり、気品が感じられ、米国の国鳥にふさわしいと思った。

午後から、ツアー「氷河とホエールウォチング」に参加した。メンデンホール氷河(Mendenhall Glacier)はジュノーの北21kmにあり、市街地に近く、氷河活動を間近に見ることができる。氷河の押し出すスピードは1日2mに及ぶこともあるそうだ。全長19km、幅2.4kmあり、ジュノーの顔と呼ばれている。

最初に見る氷河だが、思っていたほどの感動はなかった。もっと美しいはずが、土の茶色の混じった部分が目につき、うす汚れた感じがするのだ。それは、かなり離れたところから眺望するので、汚れた部分を見ないで済ますことができないことも関係しているのだろう。しかし、氷河の流れ込む大きなメンデンホール湖、湖に浮かぶアイス・ブルーの氷塊には魅せられてしまった。

昨日、Point Adolphus で船上から鯨ウォチングをしたが、この日はツアーで、アウク湾(Auke Bay)のホエールウォチング・クルーズに参加した。この地でよく見られるクジラは、ザトウクジラ(Humpback whale)で、これはヒゲクジラの中のナガスクジラに属するという。冬の間は、ハワイやメキシコの海で過ごし、春になると食物を求めてアラスカの海にやってくる。ここで1日約2トンもの魚やオキアミを食べるそうだ。

絶滅の危機にあるからと捕鯨が禁止されているが、そのためにクジラが繁殖し過ぎて、クジラにたくさんの小魚を食べられるため、魚が減り、現在問題になっているとガイドは話していた。クジラの骨を使った置物が土産物店でたくさん売られているが、ワシントン条約により、日本に持ち帰れない。私はここでロンダニーニのピエタのイメージのあるクジラの置物を見つけ、購入したかったが、持ち帰れないのであきらめた。

この湾はクジラが多いらしく、何ヶ所かでクジラが背中を出して泳いでいる姿や、潮を吹くのを見ることができた。中でも親子のクジラが、2頭背を並べて遊泳するのを何度も見た。しかし、如何せん、遠い! 目の前でクジラを見ることができるかもしれないという期待ははずれてしまった。

船長は猛スピードでクジラの居そうな場所へ、次々と約3時間かけて移動してくれる。シャッターチャンスが難しいので、デジカメは止め、専らビデオカメラによる撮影を行なったが、それとて、満足な映像は得られていない。むしろ、昨日の飛鳥U船上からのクジラ・ウォチングの方が成果があったように思える。

その代わり、トド(steller sea lion)の群れを近くで見ることができた。世界中のトドの70%がアラスカに生息しているといわれる。岩の上に重なり合うようにしているトドの群れがいる。そこから少し離れたところに、だらしなく寝ている巨大な1匹が雄で、残り10数頭は雌だという。ここはハーレムなのだ。トドとかオットセイをかわいいと女こどもは喜ぶようだが、私の好みではない。

湾の中にある島の樹木に、10数羽止まっている白頭鷲(bald eagle)が見えた。それが舞い上がり、ゆうゆうと飛翔するさまは美しく気品がある。一度つがいになると一生を共にするという、このノーブルな生物に比べて、ハーレムで子孫を残そうとするトドという生物を、私は好きになれない。

<メール>

◆MH | Jul 2007 17:01:27

*ジュノー
余り聞いた事がないこの地名は州都だったのですね。アメリカの州都はなぜか大きい街とは限りません。NY州はマンハッタンのNY市ではなく遥か北方のオーバニーだし、カリフォルニア州はロスでもサンフランシスコでもなく、小さなサクラメントですね。何か理由があるでしょうね。氷河は一日に2米もうごくのですか。驚きました。土で汚れているのは土を削って動くからでしょうか。高校の人文地理で氷河が動いた結果、U字谷が出来ると習いました。まさにその通りですね。

*鯨ウォッチング
欧米人にとっての鯨は観るだけのものでしょうか。対して我ら日本人には食べ物です。おでんの具、水菜で鍋物など余すところなく食べます。日本に調査捕鯨も許さないIWCは何か変ですね。一般に国際団体にはおかしなのが多いです。サマランチ時代のIOCなど典型です。

また国連関係に変なのが多いですね。援助を食い物にする輩です。ユニセフが言い寄ってきますが、年末は救世軍に寄付すると決めています。救世軍の決算報告はそりゃ立派なものです。

さて鯨です。ガイドさんが言う通り自然界で特定の種を保護するには充分な根拠が必要で、人間が大した理由もないのに手を入れるとバランスを壊します。山火事をほうっておくのはまさに正解です。

トドに対する大兄のご意見に大賛成。横目でこちらを見るトドの目は面従腹背そのものです。大体ハーレムを作る動物は知恵が足りないと思います。主人たるオスに遺伝上の欠陥があればその群れは全滅です。北海道のトドは魚を食い荒らし、網を破り可愛いなどとんでもない。

やっぱり2頭の鯨だった! 親子鯨だという。(ビデオスナップショット)

アメリカの国鳥 白頭鷲。首から上が真っ白で、威厳と気品がある。

天高く飛翔する白頭鷲

岩山に白頭鷲の群が見える。


6月30日:スキャグウェイ、ゴールドラッシュ

ジュノーからスキャグウェイまでの航路(衛星写真)

スキャグウエイ(Skagway)はゴールドラッシュで生まれた町で、カナダと国境を接している。1896年には人口はわずか10人だったのが、翌1897年、ゴールドラッシュの始まった年には20000人に増えた。ゴールドラッシュは間もなく去り、現在の人口は800人である。しかし、昨年観光でこの町を訪れたのは、120万人だという。

スキャグウェイ港に入港した船は、岸壁横にある岩山に、その船名を落書きする習慣がある。前の飛鳥の小田船長の時のものがあり、今回の飛鳥Uの末長船長の落書きも岩肌に記されていた。

午前中は、ツアー「ホワイトパス鉄道の旅」に参加した。ホワイトパス・ユーコン鉄道はゴールドラッシュが始まってすぐに建設が始まり、1900年に開通して、金鉱発見を夢見た開拓者を運んだ。しかし、ゴールドラッシュのブームは間もなく去り、この鉄道は主に鉱石運搬に使われてきた。現在はスキャグウェイ観光のハイライトとして使われている。海抜0mのスキャグウエイから、873mのホワイトパスまで走行し、北米でも最も傾斜のある路線といわれている。

この鉄道に乗り、嶮しい山道を走る列車から見る景観は素晴しかった。しかし、曲がりくねった厳しい絶壁に、へばりつくようにして走る列車の通る道を、かっては、金を求めて馬で、それができない者は歩いて、登って行ったと聞くと、胸が苦しくなる。途中「死馬の谷(Dead Horse Gulch)」という場所を通り過ぎる時に、栄養失調や過労で死んでいった3000頭の荷馬を悼んで名付けられた谷だとの説明を受けた。人間の欲望はなんとすさまじいのだろう。米国人は、1849年のカリフォルニアのゴールドラッシュを経験しているので、アラスカのゴールドラッシュは誇大宣伝され、フィーバーの度合いが大きかったのかもしれないと思った。

午後は、ツアー「スキャグウェイ半日観光」に参加した。小さな街だから、見るものはゴールドラッシュに関係したものが中心になるのは致し方ない。ゴールドラッシュ時代の賭博場を改造した建物の中で、ゴールドラッシュ当時の映像を約20分間見ることができた。米国のイーストマンが1884年にロールフィルムを発明しているので、ゴールドラッシュの1897年には、写真はもうかなり実用化されていたのだろう。このゴールドラッシュにとりつかれた人間を記録に残そうとする人がいて、その貴重な映像をビデオにに編集して映写してくれたのだった。

驚いたことに、わずか10秒くらいだったが、その中にはムービーも含まれていた。調べてみると、フランスのリュミエール兄弟がシネマトグラフを完成したのは1895年だから、2年後にはその最先端の技術は充分に実用可能となっていて、それを使ってゴールドラッシュという異常事態を記録したいと思う人がいたということになる。

私はこの画面を全部ビデオカメラで撮影し、複写することができた。そして、ビデオカメラを携帯していて良かったとつくづく思った。

もう一つ、ゴールドラッシュに関係するものとして、ゴールドラッシュ墓地を見た。これは、ゴールドラッシュ時代に亡くなった人たちの墓地である。そこにはたくさんの墓に混じって、とびきり大きい立派な墓と、みすぼらしい墓があった。当時、札付きの詐欺師スミス氏がいた。彼は人をだまし、詐欺をし、住民は困惑していた。しかし、町の有力者を懐柔していて、有力者に訴えても、「スミスさんは良い人だ」と言って取り上げてくれない。困った住人は、リード氏という人に頼んで、彼と決闘をしてもらった。決闘では、一撃でスミス氏の心臓を打ち抜いたが、リード氏も重傷を負い、それが原因で亡くなってしまった。

そこで住人は英雄リード氏には立派な墓を建てて感謝を表し、悪者スミス氏には貧弱な墓を建てたという。まるで西部劇の世界だが、違うのは英雄も死ぬというところで、これが現実というものだろう。

スキャグウェイを出港すると、飛鳥Uの右舷側を、沿岸警備隊(coast guard)のボートが併走してくる。船首には兵士が立ち、機関銃を正面に向けている。それが45分間も続いた。フォーシーズンズで夕食を摂りながら、あの機関銃がこちらに向けられ、ダダダダダダと打ち込まれたら大変だな、などと冗談を言って見送りの歓送を楽しんだ。

ゴールドラッシュが興った4年後の1900年に開通し、黄金の夢を求める
山師たちを運んだ「ホワイト・パス鉄道」に、開通107年後乗ってみた。

ゴールドラッシュ時代の賭博場を改造した建物の中、当時使われていた物が展示されていた。


7月 1日:ハバード氷河

この日は、ヤクタット湾内にあるハバード氷河(Hubbard Glacier)のそば近くまで、飛鳥Uは接近したが、流氷群が進路を遮り、氷山も流出していた。氷山は水面に出ている部分が全体の10%くらいあるといい、水面下にはその10倍の体積がある。この2つの理由で、キャプテンは予定していたところまで接近することを断念し、近づける至近距離で船を止め、11:00〜12:00にわたって、ハッバード氷河を眺望した。

少し距離はあるが、アイスブルーに輝く氷河が海に流れ込もうとする姿にいささか感動した。そして、流氷が張りつめ、氷山が浮遊し、接近できないという状況も、それはそれで良いものだという気がしてきた。その時、頭に浮かんだのは、南極観測が始まった頃、日本の南極観測船宗谷が氷に閉ざされ、ソ連の大型砕氷船オビ号に救出されている映像だった。

<メール>

◆MH | Jul 2007 17:01:27
*ハバード氷河
海に流れ込む氷河を一度見たいものです。TVで時々出ますが本当に綺麗なものですね。土を削った部分は下の方なので見えないこともあるでしょう。流れ込む周辺は氷山だらけでしょうね。

流氷群が進路を遮り、氷山も流出しているので、これより奥へは近づけない。
アイスブルーに輝く氷河が海に流れ込もうとする姿にいささか感動した。

アラスカ洋上の夕陽


7月 2日:プリンス・ウイリアム湾にある氷河

今日は、プリンス・ウイリアム湾(Prince William Sound)にある、カレッジ・フィヨルド(College Fjord)に飛鳥Uは進入した。ここには、大学の名前のつく氷河が集まっている。その中心になるのが、ハーバード氷河(Harvard Glacier)で、その右側にはエール氷河 (Yale Glacier)があり、左側にはバリー氷河(Barry Glacier)、コックス氷河(Coxe Glacier)がある。これらの名前は、この地の科学調査を行なった際に、その時無名だった氷河に対して、主だった調査隊員の出身大学の名前をつけたことに由来する。

このカレッジ・フィヨルドには、かなり奥深くまで飛鳥Uは進入し、9:00〜10:00まで停泊して、それぞれの氷河を観察した。氷河が崩れ落ちたとキャプテンは2回アナウンスしたが、残念ながら、その瞬間を目にすることはできなかった。カレッジ・フィヨルドにある氷河の中でも、ハーバード氷河は一番大きく変化に富み、美しい。その手前には、天橋立のような低い陸地が横切っている。

ヘリコプターの音が聞こえてきたと思ったら、写真家中村カメラマンによる空撮だった。中村氏はカメラを構え、私たちに手を振って応えてくれる。今回の空撮で私たちが写っている写真は7枚もあり、うち5枚はバックに氷河が入っている。良い記念写真ができたので嬉しい。

そのあと、13:00〜14:00まで、ブラックストーン氷河(Blackstone Glacier)の前で停泊し、氷山を観測した。今日洋上から観察した氷河は、どれも迫力があり素晴しく、自然の不思議を感ずることができた。

カレッジ・フィヨルドの奥深くへ飛鳥Uは進んだ。中央左がハーバード氷河、右がエール氷河

ハーバード氷河

エール氷河

ダウナー氷河

バリー氷河

コックス氷河

中村カメラマンがヘリコプターで飛来、こちらを撮影している顔が見える。

中村カメラマンによる空撮写真

ブラックストーン氷河


7月 3日:スワード、エグジット氷河、キャンピングカー

ジュノースキャグウェイ→スワードまでの航路(衛星写真)

スワード(衛星写真)

スワード(Seward)という名は、米国がロシアからアラスカを買い取った当時の国務長官の名前からつけられた。このクルーズ最後の寄港地では、午前中はツアー「エグジット氷河とスワード半日観光」に参加した。ここで見たエグジット氷河(Exit Glacier)は、これまでいろいろ見てきた氷河の中で、飛びぬけて素晴しかった。それは、ただ壮大とか、美しいとか、自然の驚異を感じるだけで終わらなかった。氷河の後退の実際と、後退したあとの削られた岩床に植物が生育して行き、森林になるまでの過程を、この目で確かめることができたのだ。

スワードから高速道路を通って、この氷河近くの駐車場で下車し、ネイチャー・トレール(nature trail)を約5km登っていくと、この氷河のすぐそばにまで行ける。氷河との距離は10数mしか離れていない。そこには人の身長の10数倍はあると思われる氷河が聳え立っている。ただ感嘆あるのみで、あちこちから嘆声が聴こえてくる。白い氷にアイスブルーの部分が混在して美しく、土色の班が線状に入っている部分は汚れて見える。

ここへ来るまでのネイチャー・トレール(氷河が作った山道)の道端に、氷河が存在した年を示す標識が立てられている。それは、1961年、1951年、1926年、1917年だった。この標識によって、この年にはここまで氷河があったということを簡明に教えてくれる。1917年の地点から現在の氷河まで3km以上あるのではないかと思われる。氷河の後退には色々のことが関係しているだろうが、地球の温暖化はその大きな要因だろう。

この標識はまた、氷河が後退してできた岩床に植物が生育し、森になるまでの過程を教えてくれた。動物に「弱肉強食」があるように、植物にも「優勝劣敗」があるというガイドの説明を聞き、なるほどと納得した。

ガイドは「自然保護」についても、私たちが思ってもいなかったことを話してくれた。自然保護というのは、自然に手を加えないことで、この森林が山火事になったとしても、消火をせず自然に任せるというのだ。消火を行なうのは、人家に類焼する危険がある場合に限るというのだから、徹底している。この氷河から流れた水が大きな川になっている。その川原には無数の枯れた木が転がっている。これなども、もちろんそのままで放置しているとのことだ。

スワードはアンカレッジから約200km南にある人口3000人の小さな港町である。着岸している客船は飛鳥U1隻であるのに、街の中は多くの外人が歩いている。どこから、これらの人たちが来たのか不思議に思っていたら、キャンピングカーが1000台以上も停車しているのを見て仰天してしまった。現地ガイドによると、アメリカ人はロスアンゼルスあたりからでも、カナダを貫通する高速道路を通って、キャンピングカーでアラスカに来るのが一つの夢だという。キャンピングカーといっても半端なものでなく、移動する住宅である。この話を聞いて、アメリカ人と日本人の違いを痛感した。

外人がこの街に多いもう一つの理由は、明日が建国記念日であるためだと言う。そういえば各戸、各建物には星条旗がはためいている。アメリカ人は建国記念日を町中で盛大に祝うのだそうだ。

<コメント>

◆投稿 SACHI | 2007年7月 4日 (水) 12時53分
ガイドブックではなかなか知り得ない いろんな情報を 本当に沢山ありがとうございました。 今まで旅行に出ても ふわーっと楽しむだけで 下調べをしたり、記録に留めたりすることがなかったので。。。生活(気持ち?)に余裕が出来たら 頭を活性化させて 少しは「学ぶ旅」をと 少々反省です (~o~) 

このブログとも そろそろ。。。と思うと 日本にいる私でも寂しいのだから 飛鳥の皆さんは。・。・。・

全く知らない方と若者のようにブログでの出会い、書ききれない数々の暖かさを ありがとうございました。心から感謝しています。

元気なお二人に横浜港でお目にかかれること楽しみにしています。そして 数々の写真のアップ 心待ちにしています。そうそう 飛鳥のフォトエッセイ 7月1日のお姿は ひょっとしたら BOWさんですか?

◆投稿 BOW | 2007年7月 5日 (木) 03時30分
SACHI さん、コメントありがとうございます。

>ガイドブックではなかなか知り得ない いろんな情報
自分のためのまとめですが、お役に立てば嬉しいです。

>このブログとも そろそろ。。。
そうですね、はるけくも来つるものかな!という感慨もありますが、それよりも、やっぱり我が家が恋しいという気持ちもあります。

>元気なお二人に横浜港でお目にかかれること
横浜入港は9時になったとたった今船長の放送がありました。入国手続きを早く済ませることができるようにとの配慮からのようです。アントワープと違って今度はハプニングではないですね(笑)

>数々の写真のアップ 心待ちにしています
膨大な数をどのように処理するか、今から楽しみにしています。

>飛鳥のフォトエッセイ 7月1日のお姿
飛鳥のフォトエッセイ をほとんど読んでいないので、図書室に行って見てみましたら、ご指摘とおり私でした。懸命にビデオ撮影をしているところを撮られていたのですね。ビデオは約15時間あるのではと思います。

◆投稿 T-baba | 2007年7月 6日 (金) 12時21分
氷河撮影中のBOW師匠を発見!と喜んでいたら、既に見つけておられる方があって、BOW人気の高さを再確認させられました。豪華客船飛鳥デッキから生の氷河を目の前にされて、カメラを真剣に操作されている小さな写真からは、撮影にかける気迫まで伝わってくるようでした(笑)膨大な画像に期待は膨らむ一方です。

30年くらい前にアラスカはマッキンリーからエスキモーの拠点、ポイントバーローまで行きました。青い海に氷山のかけらが浮かんでおりました。氷河はアラスカでもカナダでも驚くほど小さくなってしまいました。雪上車でなければ行けなかったところが今や黒い土でどこまでも歩けてしまうので哀しくなります。

またまた荷造りで大変な思いをされていることでしょう、あと一息、お元気で頑張って下さい。

◆投稿 BOW | 2007年7月 7日 (土) 17時26分
T-baba さん、コメントありがとうございます。

>撮影にかける気迫まで伝わってくるようでした
見抜かれましたか(笑)

>膨大な画像に期待は膨らむ一方です
乞う、ご期待と書きたいところですが、ちょっと時間を頂くことになるかも分かりません。

>30年くらい前にアラスカはマッキンリーからエスキモーの拠点、ポイントバーローまで行きました
何でも、先輩ですね。

>荷造りで大変な思いをされていることでしょう
今日、今日までの航海記を書き上げ、終了しました。このあと、一休みして帰り支度にかかります。

◆投稿 musi | 2007年7月 7日 (土) 23時36分
見っけた!と飛んで訪れたら、皆様お早い!(^^)
荷作り…お忘れ物のないようにお気を付けくださ〜い。残り一週間を切りました、お元気でお帰り下さいますように!

◆投稿 BOW | 2007年7月 8日 (日) 08時23分
musiさん コメントありがとうございます。

今朝から帰り支度に入りました。忘れ物しないように気をつけます。今日も家内は、レセプションで忘れ物を受け取りに行っていました(笑)

アラスカのキャラクターとして人気者のパッフィン(Horned Puffin)はウミツバメの仲間、
アイヌ語ではエト・ピリカ(美しいくちばし)という。

エグジット氷河とその前面の平野

エグジット氷河

エグジット氷河

大人の10倍近い高さがある。

自然保護のため、流木などはそのまま放置し、自然に任せる。


7月 4日:カッコイイ84歳の男性との夕食

飛鳥Uに乗船してすぐの頃から、一人の男性乗船客が気になっていた。その方は80歳は充分越えていらっしゃると思われるのだが、いつも背筋を伸ばし、頭を垂直にして、正面を向き、やや大股で歩いて行かれる。カッコイイ人だな、自分がその年になって、あの方のようにカッコよく行動できるだろうかと思っていた。

その方と、5月19日のアントワープでのビアカフェめぐりでご一緒する機会があり、トイレで並んで立ち話をしながら、カッコイイ方だと思ってきたことを申上げたら、この方も私たち夫婦に好感を持って見てくださっていたことを知った。それからは、一緒のテーブルで楽しく陽気にベルギー・ビールを楽しんだのだが、2時間ばかりの間に500mlくらいのジョッキで6杯も飲んでしまっていた。この方も同じだけ飲まれたのだから、相当な酒豪だと思う。

そのことがあって、一度夕食をご一緒しようと前から約束をしていたのが、今夕実現したのだった。私よりも14歳年長だが、お話をしていて感心することばかり、そして好みの似ているところが非常に多く、驚いてしまった。楽しい夕食だった。そして、自分の直感力が、まんざら捨てたものでもないことを知り、嬉しくなった。


7月 5日:100泊記念の機関長招待夕食会

今夕は飛鳥100泊記念の機関長招待夕食会があった。この航海中に100泊に達する人と言えば、乗客のほとんどではないかと思ったら、そうではなく、99泊なので、該当しないことが分かった。私たちは、昨年末のクリスマス・クルーズの3泊が加算されるから100泊になったのである。


7月 7日:ふれあい発表会にコーラス同好会として出演

スワードから横浜までの航路(衛星写真)

神戸を出港してから、時刻改正のため時間を1時間遅らせる日が7月4日までに18回あり、その度に1時間長く眠れると喜んできた。7月6日は日付変更線を通過するので、7月6日という日は消滅し、7月5日の次は7月7日である。1時間づつ得をしてきたのが一挙に1日盗られてしまった気持だ。このクルーズは100泊と思っていたのが99泊だったのは、この1日消滅によるものだったのである。おまけに、7月5日には、日本より18時間遅れていたのが、今日から4時間早くなるのだから面白い。

今朝から、2007年ワールドクルーズ ふれあい発表会が開かれた。これは、このクルーズで生まれた同好会の発表会で、私はコーラス同好会の一員として出演した。男声の人数が少ないということで妻が引き受けてきたのだったが、参加してみると、テナーが居ないので、私に割り当てられてしまった。52年前に2年間だけ大学の男声合唱団にいたことがあるが、常にバリトンであり、テナーを歌ったことはなかった。しかし、断るわけにもいかず、これも引き受けた。本日は「花」混声2部、「知床旅情」混声4部の2曲を歌った。

これで以て、船上で私のしなければならないことはすべて終り、あとは帰り支度に入る。本日までの航海記をお読み下さった皆様に、心からお礼を申上げる。ありがとうございました。(2007年7月7日、アッツ島を左舷に見ながら)

<コメント>

◆投稿 Ikeda | 2007年7月 9日 (月) 20時25分
遅ればせながら、7月1日からイギリスへ行って湖水地方とコッツウオルズを廻って8日に帰って来ました。飛鳥IIの寄港も遅れたようですが、たまたま6月末にロンドンやグラスゴーでテロの未遂事件があったためのようですが、成田出発が2時間遅れでした。ロンドンからマンチェスターへの乗り継ぎが出来ないと困ると思っていたら、その便も2時間遅れて十分間に合ったのが皮肉です。

翌日、湖水地方へバスで向かう途中で今度は高速道路沿いの化学工場で火事があり、また2時間遅れてしまいました。我々の場合はウインダミア湖のほとりでの泊まりでしたから問題はあまりありませんでしたが、その火事のあった場所がリバプールからの場合も通過するプレストンでしたから、日帰りのツアーでこのような事が重なったら、殆ど湖水地方の観光はできなかったのではないかと思いました。

最後にロンドンへ1泊したので夜、テームス川でも見ようとタクシーでトラファルガー広場まで行きましたが、丁度ツール・ド・フランスの前夜祭とかで、道路の横断が殆ど出来なくて帰って来てしまいました。それは仕方ないとして、イギリスでは7月1日から公共施設での喫煙を禁止する法令が発布されていました。ヘビー・スモーカーの私が来ることをイギリスの環境庁かどこかが察知したためではないと思いますが、意地悪するなと言いたくなりました。

バンクーバーへは行った事はありませんが、
> 緯度は北緯49度で、樺太の南3分の1あたり
で思い出すことがあります。昔から「いろはカルタ」は地方によって色々あったようですが、戦争中は「犬棒かるた」ではなく「愛国いろはカルタ」でした。「ほ」の札は「骨折り損・・」ではなく「北緯50度、くにざかい」つまり樺太の南半分は日本領土であることを強調した言葉です。領土問題については話がややこしくなるので止めますが、これだけは地理に関係ある具体的事実なので記憶に残っています。今でも日本各地の緯度など全然解りませんが、北の方の緯度に関しては、かなり見当がつきます。

今回の寄航地と関係ない話で恐縮ですが、私はカナダやアラスカには行ったことはありませんが、アンカレッジ空港には寄ったことがあります。私が初めてヨーロッパへ行ったのが1979年ですが、当時は北廻りといってもソ連の上空は飛べないので、アンカレッジ経由でした。その時、アンカレッジの空港の待合室に白熊の剥製が飾ってあった事を覚えています。これが非常に大きくて、前にお話した「ベルクマンの法則」で引き合いに出している白熊、黒熊の良い例だったと後で知りました。

あと僅かで帰国されますが、「帰朝歓迎奉祝大会」に備えて十分休養をとってください

◆投稿 BOW | 2007年7月10日 (火) 15時10分
Ikeda 様 お帰り早々のコメントありがとうございます。事故事件続発で大変だったのですね、しかし、それをうまく乗り切られたのはラッキーでしたね!

>ヘビー・スモーカーの私が
ヘビー・ドリンカーは存じていましたが、ヘビー・スモーカーでしたか! 私も昔は1日50本は吸っていましたが、きっぱり止めました。

>「北緯50度、くにざかい」
これは良い! 緯度記憶にもってこいです。当時の記憶が残っている世代には、、、

>「ベルクマンの法則」で引き合いに出している白熊、黒熊
体表面積を少なくして熱の放散を減らすためという説でしたね、ご教示ありがとうございました。

>「帰朝歓迎奉祝大会」
おどかさないで下さい、そんな大層なことされたら困ります(笑)

◆投稿 シブチンスキー | 2007年7月 9日 (月) 22時12分
いやはや本当にご苦労さまでした。読むだけでも目をパチクリしながらがんばっているのですから、これだけ内容のある紀行記をモノされるのは大変なことです。以前から感心していたことですが、今回の場合は旅行中に時間を見つけての書き込みですから本当に大変なご努力だったと思います。

氷河の話のところで山火事をそのまま放置するという部分を読み、同じ話をオーストラリアでも聞いたのを思い出しました。それにしても火事のあとに植物のタネが残って樹木になるというのも不思議なチカラですね。

ご帰国後の写真入りのフル旅行記を楽しみにします。100日間、いろいろと楽しみをありがとうございました。また会う日まで、会えるときまでーーーーー。

◆投稿 BOW | 2007年7月10日 (火) 15時15分
シブチンスキー さん、こんにちは
>読むだけでも目をパチクリしながらがんばっている
申し訳なかったです。書いてる本人は楽しんでいました(笑)

>写真入りのフル旅行記を楽しみにします
ありがとうございます。たっぷり写真を入れますね!

>また会う日まで、会えるときまでーーーーー
この歌を歌うときには、カニポーズをします(笑)

◆投稿 yakky | 2007年7月10日 (火) 14時53分
お帰りになったら観て下さい。
毎日放送  4チャンネル   放映    

4月3日、豪華客船・飛鳥Uで日本を発った橋田壽賀子に泉ピン子がイスタンブールで合流し、今回の旅が始まる。

7月14日(土)の番組表 [地上波/ 15.54〜17.00>  ピン子と寿賀子の世界遺産ふたり旅・前編

7月15日(日)の番組表 [地上波/ 16.00〜17.00>  ピン子と寿賀子の世界遺産ふたり旅・後編

関西でも放映されます。

◆投稿 BOW | 2007年7月10日 (火) 15時18分
yakky さん、ご教示ありがとうございます。
いずれも船内TVで見ました。今日は橋田先生の講演がありました。メチャ面白かったです。自由に好きなことを話して居られました。

◆投稿 有本大作 | 2007年7月13日 (金) 23時36分
BOWさま
突然のコメント失礼致します。地中海で中国料理を作りました有本です。本日神戸にお着きになったと思います。長い船旅お疲れ様でした。そしてエッセーありがとうございました。長い間楽しませていただきました。これからのご活躍、ご健康をお祈りしています。

◆投稿 BOW | 2007年7月14日 (土) 23時50分
有本大作様 コメントありがとうございました。
地中海で頂いた中華料理の美味、豪華だったこと、今も思い出します。あの大きなフカひれの姿煮を740名の乗船客全員が嬉々として、歓声をあげていただきましたね。拍手大喝采でした。美味しい料理、ありがとうございました。この航海記をお読み頂いていたと知って、ものすごく嬉しいです。

◆投稿 Muチャ子 | 2007年7月16日 (月) 15時56分
ずーーと拝読していました!が、皆さんの的確なコメントについて行けず(自慢したくなるほどアホなんですわ(^g^))

帰国されいかがでしょう??やはり我が家が一番!ではと…お感じでいらっしゃる!かな。すばらしい体験をされたのですね、ブログでそれが伝わってきました!Muチャ子もあ〜楽しかった!

◆投稿 BOW | 2007年7月16日 (月) 18時43分
Muチャ子さん、お久し振りです!
ずーーと読んで下さっていたのですか、ありがとうございます。とても嬉しいです。やはり、日本、大阪、我が家が一番です!!

<メール>

◆MH | Jul 2007 17:01:27
明日はもう横浜入港ですか。そして13日には懐かしの神戸ですね。私の方も飛鳥Uとの交信はこれでお仕舞いになります。大兄ご夫妻にくっついて世界を回らせてもらいました。本当に有難うございます。大いに楽しみました。ご帰宅の頃に届きますようマスカットを手配しました。今年は殊のほか出来がよろしいようです。ご笑納ください。

*時差のこと
日本から欧州への出張は時差分だけ得をしたように思います。夜更かしに朝寝坊とロシアでさえ初日は一日が30時間使えます。さて用事が済んで帰れば時差が丸々なくなります。一日が18時間です。欧州は時差8時間(サマータイムで7時間)ですから帰国した日など日が替わった頃には事務所についていなくてはならない計算です。もう眠くて眠くて。但し船は飛行機と違って時間が穏やかに替わるのでいいですね。

ふれあい発表会にコーラス同好会として出演


<2007.8.31.>

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