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受話器握って失神

2006.03.10. 掲載
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中之島に移ったころから、助手席に乗っている妻は、前の車のナンバープレートが良く読めないようだった。気になって試してみると、たしかに、視力が落ちてきている。そういう訳で、近くの病院の眼科へ紹介し、先月末に3泊4日の入院で白内障の手術を受けた。今なら日帰りでもできるという手術だから、耳の手術のときほど大層ではなかったが、心配しいの妻だから、それなりにいろいろあることはあった。

耳の手術では痛い思いをしたのにうまくいかず、がっかりしていたが、今回は痛みもなく、目が良く見えるようになったので、喜んで3月2日に退院してきた。

ところが、すんなりいかないのが、我が家の奥さんのさだめ。就眠前に入浴し、そのあとで鏡を見て、手術した右の目が充血していると言いだした。私が見たところ、左右差はほとんどない。「泣いても目は赤くなる。手術したんやから、そのくらいなら何も心配ない」、と言って私は眠ってしまった。いつもと同じ午前1時ころだったと思う。

午前4時だった。泣きそうな声で揺り起こされると、たしかに目が充血しているから見てくれと言う。何ともないと言っても納得せず、目薬を点眼させられたり、心配を並べ立てられたりで、朝までよく寝かせてくれなかった。

そして、夜が明けるなり、「今日は金曜日、土日は病院が休みだから、今日診てもらってくる」と言う。次の受診日は5日後になっているのだが、たしかに、金土日がこの状態では、こちらが参ってしまう。Webで調べると、診療受付時間は午前8時30分からとなっているので、8時10分くらいに家を出て、車で病院へ送り届けた。車で10分以内のところに病院があるからすごく便利だ。

家に着いた途端に電話があり、受付番号は2番だったが、全部予約になっているので、予約のない飛び入りは11時半以後になると言われたという。それだけ長くは待って居れないから、迎えに来るようにとのたまうのだ。泣く子と嫁さんには勝てないので、とんぼ返りをして、お迎えに上がり、11時過ぎに、もう一度お送りさせていただいた。

昼食は自分で作らなければならないだろうと思って、今一番気に入っているインスタント蕎麦を食べることにした。というのは、ここへ転居してきたころ体重が1〜2ヶ月で7kg近くやせたことがあり、それについて息子は、「オッサンはオバハンが居なければ何もできない、一人では食事も作れない」と妻に言ったらしい。それを聞いて「何を言うか、炊飯器、電気掃除機、電気洗濯機の使い方、雑煮の作り方もみんな私が教えた、しないだけで、やれば私はできるんだぞ」と、このごろは一人の時でも、自分で手抜きの美味いものを作るようにしている。

インスタント蕎麦に熱湯を注ごうとしているところへ、妻が帰ってきた。予想していたよりずいぶん早く診てもらえたらしい。執刀医は手術中で、診察していただいたのは他の医師だったようだが、目に異常はない、目の充血は退院の時からすでにあったのではないかと言われたらしい。そう言われたので安心して、こんどは地下鉄で帰って来た。とは言っても、20分もあれば帰って来れるところに住んでいるのだが、、、帰り道でスーパーに立ち寄り、自分の昼食のほかに、私のためのチャーハンを買ってきていた。

これまで私は、朝食、昼食を軽く摂り、夕食は時間をかけて腹十二分目に食べる生活を、何十年と続けてきた。だから、普通ならインスタント蕎麦だけで済ませるのだが、せっかく買ってきてくれたのを、食べないでおくのももったいないから、これも食べた。

そのあと、コーヒーを飲むのに、こんどはおかきを一緒に持ってきたので、それも食べたたら満腹で苦しくなってしまった。妻は、菓子を食べながらコーヒーを飲むのが好きだ。自分だけ菓子を食べるのは悪いと思うのか、間食が好きでない私に、おやつをよく出してくる。いつもはほとんど食べないのだが、おかきは好きなので、つい手が出てしまった。

そのせいか、夕方になっても満腹感がとれない。体内残留物を排除しても効果がないので、腹減らしに梅田まで歩いて行くことにした。旭屋本店まで1800歩、紀伊国屋梅田店まで2400歩くらいだから、近頃は梅田へ出かけるのは徒歩が多い。この日は、ほかに阪急ブックファーストへも回り、気に入った10冊の本を買うことがができて、幸せ気分一杯で歩いて帰ってきた。帰宅してからも、良い本がたくさん見つかって、今日は良い日だったと何度もくり返し妻に話していたのを覚えている。

この日はかなり歩いたが、その割には効果が少なく、満腹感は残っていた。しかし、一旦食べ始めると、不思議に食べられ、夕食をいつも通り食べた。夕食中に見ていたTVが面白くないので、BS2に切り替えたら、不思議な男のモノローグが始まっていて釘付けとなり、そのまま引き込まれて最後まで観てしまった。題名は「フォレスト・ガンプ 一期一会」。面白いTVを観ていると、ビールの量が増えるのは毎度のことで、4缶を開けても、まだもう1缶は飲みたい。しかし、満腹で入る余地はなかった。

なぜ、この映画の冒頭のシーンがきっかけで、この映画を見続けたくなったのかというと、その日の午前中に、「アスペルガー症候群」という優れた才能や能力を持った自閉症の人ための学校のことが、NHKで放映され、私がかって診療した何人かの自閉症の患者さんのことを思ったりして、心に残っていたからだった。このフォレスト・ガンプも、直感的にアスペルガー症候群だと思った。

見終わっても満腹感は強くなるばかりで、たまらなくなって、ソファーに横になると、そのまま眠ってしまった。11時ごろ、息子から電話があり、起こされて電話に出てみると、レセプトの編綴のことでの質問だった。寝起きで頭がはっきりしていないのに、ややこしい質問なので面倒くさく思いながら、しばらく話しているうちに気分が悪くなり、気がついた時は、受話器を右手に握って、食堂の床に倒れていた。

どれくらい意識がなかったのか、おそらく数秒ではないかと思う。台所にいた妻が、何か音がしたと思って 来て見たら、私が床に寝ているので、最初はふざけて倒れたふりをしていると思ったらしい。しかし、受話器を握ったままで、何もしゃべらないので、おかしいと気づき、それからは大騒ぎとなってしまった。

そのころには、私の意識も戻っていて、救急車を呼ぶというのを「脳貧血や、大丈夫、わしに恥をかかすな!」と止め、息子に来てもらうというのを「いらない、連絡するな!」と怒鳴るのに構わず、息子に電話をかけてしまっていた。電話に出た息子に、「脳貧血やから心配ない、来てくれなくていい」と言うと、もうそちらに向かっていると、車の中から返事があった。

11時30分ころ、息子と嫁が来てくれた。妻はしきりに礼を言っている。私は、今日の一部始終のあらましを話し、これは脳貧血で、中学か高校の頃に朝礼で一度倒れたときと同じ状態だったことを話した。私が電話の途中で話さなくなったので、息子も脳卒中かもしれないと思ってあわてたらしい。妻と息子が今後のこととか、いろいろ話しているのを聞いて、大丈夫だからと横になっていたソファーから起きて、立って話している内に、また倒れる前の不快感に襲われ、今にも倒れそうに思ったので、横になったら治まった。

息子夫婦が帰った後、妻に「これから、わたしはどうしたら良い?」と尋ねられ、「あと1年ばかりしか時間は残っていない、その間は、私がしたいことをするのに協力して欲しい」と答えた。前から何度も私の想定死亡時期を話しているのに、妻も息子も本気で受け取ろうとしない。こんどの騒動で心配をかけ、気の毒な目に遭わせたけれども、二人にとってはこれが良い薬になり、私の時間を大切にしてくれるようになれば嬉しいのだが、と思った。

以上が「受話器握って失神」の顛末である。以前、大学の教養過程時代の友人と年に1回、日曜に歌う会を持っていた。そのメンバーの一人のT君が、電話の途中で受話器を握ったまま倒れているのを、いつもの長電話にしてはおかしいと訝った奥さんが発見した。ただちに、脳外科病院に救急入院して、現在リハビリ中である。そのことを知らされ、すぐに彼を見舞ったが、脳梗塞による右半身不随状態で、元気なころの面影はなく、見るのがつらかった。その時、妻も一緒だったので、今回私が受話器を持って倒れているのを見て、直ぐそのことを思い出したという。幸い、私は彼と違って脳貧血で、何の痕跡も残っていない。ありがたいことだ。

最後に「脳貧血、脳貧血」と何度も書いたが、現在このことばはあまり使われていないことを知った。それに相当するのが「神経調節性失神」(neurally mediated syncope;NMS)で、神経反射により引き起こされた一過性の血圧低下による失神をいう。これは、立位、食後、脱水、塩分制限、精神身体的ストレス、暑い環境下での運動時などに発症することが多く、排尿、排便、採血などの状況下で起こることもある。海外旅行の時差による睡眠不足、アルコール摂取も誘因となり、利尿薬や血管拡張薬の服用でも誘発される。その過半数の症例で、失神発作の前駆症状として発汗、冷や汗、悪心を含む消化器症状、めまい感、眼前暗黒感や視野異常が認められると医学書には書かれている。

立位、食後、精神身体的ストレス、睡眠不足、アルコール摂取、失神発作の前駆症状として悪心を含む消化器症状、眼前暗黒感、など当てはまるところが多い。


<2006.3.10.>

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