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ケルン・オランダ・ベルギーへの旅

 2015.5.5.〜5.15.

2015.05.24. 掲載
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目次
1.はじめに
2.ボンとケルン
  2-1.ボン
  2-2.ケルン
3.オランダ
  3-1.アムステルダム
  3-2.キューケンホフ
  3-3.キンデルダイク
4.ベルギー
  4-1.ブルージュ
  4-2.アントワープ
  4-3.ブリュッセル
5.美術館めぐり
  5-1.クレラー・ミュラー美術館
  5-2.アムステルダム国立美術館
  5-3.ファン・ゴッホ美術館
  5-4.マウリッツハイス美術館
  5-5.ルーベンスの家
  5-6.アントワープ・ノートルダム大聖堂
  5-7.ベルギー王立美術館
6.まとめ



1.はじめに

昨年から老化(特に聴力)が急に進んだので、行ける間に海外旅行をしようと考え、JTBの「ケルン・オランダ・ベルギーへの旅」に参加した。このツアーのテーマは「名画と世界遺産をめぐる」で、3カ国、7美術館を訪れる。天候に恵まれ、予想していた以上に良い写真が得られた。

膨大なデータとなったこの旅行の記録をどのようにまとめるかを考え、私にとっての記録 に書いたように、自分や妻に役立つものとすることにした。私にとって印象に残らない場所は省いた。

その記録の構造が分かりやすいように整理し、リンクを十分に張ることで、必要な情報に到達し易くしたいと思っている。

旅行の行程の概略地図を以下に載せておく。


ドイツ・オランダ(Ne)・ベルギー(Be) 水色の範囲は国際連合の分類による西ヨーロッパ



旅行コース:ドイツ(ボン・ケルン)→オランダ→ベルギー
宿泊地:ケルン→アルンヘム→アムステルダム→ブルージュ→ブリュッセル
アルンヘムを除いて他の4都市は連泊


2.ボンとケルン


2-1.ボン

2015年5月6日(水)2日目

ボンは、第2次大戦後1949年から1991年まで西ドイツの首都だった。人口30万人。1818年に設立されたボン大学は、ハイネ、ニーチェ、マルクスも学んだ。ベートーヴェンはこの街で生まれ、22歳までこの地で過ごした。

ベートーヴェンの家を訪れると、ボン時代やウイーン時代の遺品や資料が展示されていた。彼が愛用したグランドピアノの鍵盤は深く凹んでいる。通常1つの鍵盤に弦は2つであるのに、4つの弦を張らせたそうだ。そのピアノの音を聞くために、ピアノに押し当てた漏斗のような器具が置かれていた。黄ばんだ「ハイリゲンシュタットの遺書」は、老化による難聴に困惑している私の胸に響く。そして、高校生のころ書いた作文「私の尊敬する人 ベートゥベン」を思い出していた。



図1.ボン地図



図2.ボン大学とその前にひろがる緑の芝生ホーフガルテン



図3.ベートーヴェンの家の前で2ショット



図4.ベートーヴェンの家の中庭に立つベートーヴェンの胸像



図5.マルクト広場にあるボン市庁舎 18世紀中ごろに建築された美しいロココ様式の建物



図6.ミュンスター広場に立つベートーヴェン像 うしろは中央郵便局



図7.ミュンスター広場に建つミュンスター寺院 11〜13世紀に建立



図8.ミュンスター寺院の中に入ると、見たことのない不思議なステンドグラスに目を奪われた



図9.ミュンスター寺院の回廊 ロマネスク様式



図10.ミュンスター寺院の美しい回廊



図11.ボン市内の繁華街「ボン通り」はなかなか良い雰囲気だ



図12.私たち夫婦が好きなブランドの一つ AIGNER の店を見つけた 大阪から撤退して久しい



2-2.ケルン

2015年5月6日(水)2日目

ケルンは人口100万人、ドイツで4番目に大きい都市である。第二次世界大戦中、ドイツの都市の中で最も多くの空襲を受けた都市のひとつ。市内の9割の建造物が破壊されたが、ケルン大聖堂だけは奇跡的にも完全には崩壊せず、復興の希望となった。この大聖堂は13世紀に建設開始し、16世紀に中断、19世紀に再開して完成した。

1862年、徳川幕府は外交使節団を日本史上初めてヨーロッパに派遣した。その30数名の二本差しの侍使節団がケルンを訪れ、ケルン大聖堂に昇り、市民とオランダ語で会話を交わしたそうだ。

以来ここの市民は日本贔屓で、ケルン放送交響楽団は東日本大震災の15日後に、佐渡裕にベートーベンの第九の指揮を要請し、大震災被災者支援のチャリティー公演を行った。



図13.ケルン地図



図14.ライン川越しに眺めたケルン大聖堂 右に見えるのは、ホーエンツォレルン橋



図15.ケルン大聖堂正面 ゴシック様式の建築物としては世界最大



図16.ケルン大聖堂の内部



図17.ケルン大聖堂の美しいステンドグラス



図18.ケルン大聖堂の美しいステンドグラス



図19.ケルン大聖堂の美しいステンドグラス(中央部分を拡大)



図20.ケルン大聖堂の美しいステンドグラス



図21.ケルン大聖堂の美しいステンドグラス



図22.ケルン大聖堂の美しいステンドグラス



図23.これほど美しいステンドグラスをこれまで見たことがない



図24.最初の宿泊は古城を改装した アルトホフ グランドホテル シュロス ベンスベルグ



図25.早朝、ホテルの部屋の窓からの眺め、通常のホテルと雰囲気が違う


3.オランダ


3-1.アムステルダム

2015年5月9日(土)5日目

アムステルダムはオランダの首都。アムステル川に築かれたダム(堤防)という名前の通り、160本以上の運河と1500以上の橋を持つ(図26)。17世紀には世界貿易の中心として栄え、その面影が残っている。

ここでは大型の天井ガラス張りのボートで運河めぐりを楽しんだ。下から仰ぎ見るかたちで運河沿いの建造物や、水上生活者の船を眺めた。

アムステルダムには多くの美術館や博物館があり、今回はアムステルダム国立美術館ファン・ゴッフォ美術館を訪れた。

ファン・ゴッフォ美術館は午後からの自由行動の時間に、アムステルダム中央駅付近からトラムに乗り、ファン・ゴッホ美術館を訪問、そのあと、トラムでホテルに戻ったが、慣れぬことでいささか戸惑た。

以前アムステルダムに来た時もオランダ人の背が高いのに驚いたが、同じように、自転車王国であることも再確認した。



図26.アムステルダム地図 多数の運河が環状に取り囲んでいる



図27.シンゲル運河地区での運河めぐり うしろに見えるのはアムステルダム中央駅



図28.ガラス張り天井のクルーズ船



図29.ここの運河は幅が広い



図30.運河沿いにオランダらしい建物群が続く



図31.水上生活者の船もたくさん停泊している 電気・水道・トイレも完備していると聞く



図32.クルーズの出発点のアムステルダム中央駅前に戻ってきた



3-2.キューケンホフ

2015年5月8日(金)4日目

アムステルダムに入る前日に立ち寄ったのが花の公園「キューケンホフ」である。ここの開園期間は3〜5月のみ。32万uの敷地にはチューリップを中心に700万株以上の植物が植えられ、春には色とりどりの花が咲く。

チューリップはオランダの国花だが、原産国はトルコ。17世紀にはチューリップ・バブルが起きて崩壊し、多くの人々が破産し、破たんしたと聞く。レンブラントの家の値段がチューリップの球根1個と同じだったとは信じられない。

このキューケンホフ公園は花の配置が素晴らしく、園内の15kmの遊歩道を2時間半かけて散歩しても、見飽きることがなかった。花を愛でることの少ない私を知る人には想像もできないことだろう。



図33.キューケンホフ公園の入口



図34.キューケンホフ公園 四角い色の区画



図35.次のチューリップの名前は「ヴィンセント・ファン・ゴッホ」ですよ!



図36.これが、ヴィンセント・ファン・ゴッホという名前のチューリップ



図37.2015年はファン・ゴッホ没後125年という記念の年。ここではゴッホの顔が花で表される



図38.下絵通り、ファン・ゴッホの顔が完成、お見事!



図39.木々の緑に囲まれ、整然とアトランダムに配置された色とりどりの花が美しい



図40.ゴッホのアルルの吊り橋を模した橋が運河に掛けられている。オシャレだ。



図41.これはまた豪華な水路。アルハンブラ宮殿にこれに似た庭があり、噴水が飛び交っていた



図42.どっしりしたこのオブジェ、様になっていますね!



図43.この変わったチューリップ一種類だけで魅力的な図柄を構成している



図44.美しい胡蝶蘭の青に目が釘づけとなる!



図45.花に囲まれ2ショット



図46.赤のチューリップを引き立たせる憎い演出



図47.5人の外人の服装、スタイルがこの情景にマッチしている



図48.これも楽しい!



図49.太い幹がどっしり構えた落ち着きのある景色、花群がそれを少し華やいで見せる



図50.白鳥が静かに泳いでいる。優雅です



図51.公園で唯一噴水のある池



図52.池の周りの遊歩道、その間に配されたオレンジと赤の花群が緑の中で良いアクセントとなっている



図53.池の周りの面白い花群の配置 日本人には思いつかないのではなかろうか?



図54.赤がキレイ!!



図55.同じ池なのにいろいろ変化します



図56.また噴水が現れました。日本人好みの風景です



図57.オランダ色が加わりました



図58.絢爛華麗!



図59.豪華絢爛!



3-3.キンデルダイク

2015年5月10日(日)6日目

ハーグのマウリッツハウス王立美術館を訪問したのち、風車の村キンデルダイクを訪れた。オランダに来て「世界は神が創ったが、オランダの国土はオランダ人自らが創った」ということばをよく耳にした。

国土の4分の1が海抜0m以下のオランダ、海抜下の土地は干拓地を造らなければならず、その際に活躍したのが風車だった。一時は全土に9000基あったと言われるが、現在は10分の1に激減している。

キンデルダイク村には、1740年前後に作られ、1950年まで実際に使われていた風車が19基残っているとガイドブックに書いてあるが、現地で数えてみると18基だった。



図60.キンデルダイク地区の風車配置地図



図61.回転していて内部見学ができる風車 傍に立つと迫力があり少し怖い



図62.風車



図63.18基の風車が点在



図64.風車群をバックに2ショット


4.ベルギー


4-1.ブルージュ

2015年5月10日(日)6日目

「水の都」「北のヴェネツィア」「天井のない美術館」など、数々の異名をとるベルギーの古都ブルージュ。中世ヨーロッパのかわいらしい街並みが堪能できる世界遺産「ブルージュ歴史地区」。

ブルージュは、13世紀からハンザ同盟の主要都市としてヨーロッパの商業と金融の中心として繁栄したが、15世紀に入ると、北海へと通じる水路が沈泥のため浅くなり、港の機能はアントワープに移って町の成長は止まってしまった。その結果、繁栄していた中世の町並みが、当時のまま損なわれずに残っている。

ここへ到着した日、革なめし職人広場にあるこじんまりした店で、ムール貝料理とベルギー地ビールでプライベートディナーを楽しんだのちホテルに戻った。夜遅く旧市街の中心マルクト広場に出かけてみると、いままで見たことのない美しい夜景に遭遇した。

翌朝、運河クルーズに参加し、運河上から両岸に続く中世の世界を楽しんだ。陸に上がってからは、地ビール醸造所、オードリー主演の尼僧物語のロケ地となったベギン会修道院、ミケランジェロ作「聖母子像」のある聖母教会、マルクト広場などを散策した。



図65.ブルージュの地図 卵型になっている マルクト広場が街の中心



図66.高さ80mのマルクト広場の鐘楼 1300年ごろに建造された 街のどこからでも見える



図67.ベルギー最古の市庁舎



図68.マルクト広場 正面はギルドハウス、右は市庁舎



図69.市庁舎



図70.通用門を通り抜ける



図71.運河を渡り



図72.革なめし職人広場にあるディナーの店に入る。スイングドア越しに外の景色が見える



図73.ムール貝の白ワイン蒸し、プロバンス風蒸しに無我夢中。ビールは地酒のピエロ



図74.満足してプライベートディナーを終え外に出る



図75.運河を越え



図76.通用門を通り抜け、ホテルに戻った



図77.夜遅く10時過ぎにホテルを出て、マルクト広場へ向かった。遠くに鐘楼が見える



図78.濃紺の夜空に鐘楼は金色に輝いている



図79.市庁舎も金色



図80.マルクト広場の銅像にも光が当たっている



図81.旧ギルドハウス群が美しい



図82.素晴らしい!こんなに夜空に映える景色を今まで見たことがない!



図83.ホテルに戻ると、デュークパレスの名に恥じない建物が待っていた 15世紀ブルゴーニュ公の館を改装


2015年5月11日(月)7日目


図84.翌朝は運河クルーズから始まった。中世のままの姿を残す街並みを下から眺める



図85.さあ出発



図86.反対方向からクルーザーがやって来た。笑顔のグループは同朋のようだ



図87.対岸に白鳥の群れ、優雅である



図88.なんとも趣がある



図89.前方に低い橋が見えると思わず頭を垂れる



図90.いかにも中世の建物だ



図91.この建物の底の一部が橋になっている!



図92.こんどは、本物の橋の上に家が建っている!



図93.遠く鐘楼が見える。美しい建物群



図94.このくらいなら、軽く頭を下げるだけで良かろうという余裕が生まれた



図95.次々と両岸の景色は変わるが、どれも落ち着いた色調と形に、飽きることがない



図96.左手に切り妻屋根の建物が現れた



図97.右手に白亜の建物が美しい。遠くに聖母教会の塔が見える



図98.聖母教会の塔が近づいてきた



図99.左手にも白亜の建物



図100.切り妻屋根の建物に目を奪われる。昔のギルドハウスらしい



図101.この建物のデザインも楽しい



図102.クルーズもそろそろお終りに近づいた



図103.このような古い木造の建物も残っている 中で生活している姿が見える



図104.クルーズはこのように運河の両端でUターンする



図105.陸に上がってまず訪れたのは地元のビール醸造所



図106.この会社の名前が De Halve Maan(半月) 創業1856年、マークも半月、日本なら花王のマーク



図107.半月の彫刻がお出迎え



図108.昨夜飲んだ地ビール「ピエロ」は、ここのビールだったのだ!



図109.次は、ベギン会修道院。オードリーの主演した「尼僧物語」のロケ地となった



図110.樹の枝に取り付けられた木箱は野鳥のためではなく、今年の創作オブジェとのこと



図111.クレーン車が、この箱を樹に取り付けているのを先日見た、と現地ガイドは話した



図112.続いて「聖母教会」を訪問。内部にミケランジェロの「聖母子像」がある



図113.「ピエタ」とほぼ同じ時期にミケランジェロが作ったとされるが、「ピエタ」の感動は少ない



図114.教会内ではパイプオルガンが演奏されていた



図115.最後に「聖血礼拝堂」を訪問



図116.第1回十字軍が持ち帰ったキリストの聖血を収めていると言う教会 なにか胡散臭い



4-2.アントワープ

2015年5月12日(火)8日目

アントウェルペン(Antwerpen 英語: Antwerp)はベルギー第2の都市。スヘルデ川 の右岸に位置し、北海につながっている。15世紀、商業の中心から脱落したブルージュに変わったのがここアントワープ。

スヘルデ川の川岸の城に住む巨人ドルオン・アンティゴーンは、城付近を通り過ぎる船に通行料を求め、それに応じない者に対しては、その手を切り落として河へ放り捨てていたそうだ。

しかし、ローマの戦士ブラボーが、アンティゴーンの息の根を止め、手を切り落として河へ投げ捨てた。Antwerpen はこの出来事 handwerpen(hand 手 + werpen 投げる)に由来するという。市庁舎前には、この伝説を主題とする記念碑「ブラボーの噴水」がある。

この都市にはノートルダム大聖堂があり、ルーベンスの傑作「キリスト昇架」(1610)「キリストの復活」(1612)「キリストの降架」(1614)「マリア被昇天」(1626)の計4枚が飾られている。

この街はルーベンスをこよなく愛し、ルーベンスもまたこの街を愛し、ここに住居を建てて死ぬまで暮らした。その邸宅がルーベンスの家として残っている。

2007年の飛鳥2ワールドクルーズでこの地に上陸、ビヤカフェ巡りが最高に楽しかったことを思い出す。



図117.アントワープ地図



図118.アントワープ市庁舎



図119.アントワープマルクト広場 中央にブラボーの噴水



図120.マルクト広場



図121.マルクト広場のギルドハウス群



図122.マルクト広場のギルドハウス群



図123.マルクト広場 中央にブラボーの泉 後ろにノートルダム大聖堂の鐘楼が見える



図124.ノートルダム大聖堂の正面 123mの北塔のみで南塔はなし



図125.ノートルダム大聖堂の正面



図126.ノートルダム大聖堂の内部



図127.スヘルデ川近くのクルーズターミナル付近から望むノートルダム大聖堂の鐘楼



図128.クルーズターミナル 2007年のワールドクルーズで飛鳥2はここに停泊した



図129.クルーズ船の乗客はこの通路を登って上陸した



図130.クルーズターミナル



4-3.ブリュッセル

2015年5月13日(水)9日目

フランス、ドイツ、オランダに囲まれたベルギーは、面積が日本の12分の1の小国だが、首都ブリュッセルにはEUの本部が置かれ、コスモポリタンな街である。

ブリュッセルには世界で最も美しい広場のひとつと見なされている「グランプラス」があり、その周辺には、ヨーロッパ最古の高級ショッピングアーケード「ギャルリー・サンチュベール」、ベルギーのマスコット「小便小僧」が立っている。

ブリュッセルでは「ベルギー王立古典美術館」を訪れたが、記事は5.美術館巡りのところに収めた。

2007年の飛鳥2ワールドクルーズで、ここブルージュを訪れ、ムール貝の白ワイン蒸しを歓声をあげてガツガツ食べたことを思い出す。



図131.ブリュッセルの地図



図132.グランプラス 中央は市庁舎(昼)



図133.グランプラス 中央は市庁舎(夜)



図134.ギャルリー・サンチュベール(昼) ヨーロッパ最古のギャルリー



図135.ギャルリー・サンチュベール(夜) アールヌーボー建築が美しい



図136.新進のベルギーチョコの店ピエール・マルコリーニ(昼)



図137.新進のベルギーチョコの店ピエール・マルコリーニ(夜)



図138.老舗のベルギーチョコの店ノイハウス(昼)



図139.老舗のベルギーチョコの店ノイハウス(夜)



図140.有名なベルギーチョコの店ゴディバがギャルリー・サンチュベールにも開店していた



図141.小便小僧の前で2ショット



図142.ブリュッセル最後の夜をホテルのドアボーイさんたちと一緒に記念撮影


5.美術館めぐり


5-1.クレラー・ミュラー美術館

2015年5月8日(金)4日目

オランダのデ・ホーヘ・フェルウェ国立公園内にある美術館である。フィンセント・ファン・ゴッホに関するコレクションで知られ、その絵画87点におよぶ規模はアムステルダムのファン・ゴッホ美術館とならび、2大ゴッホ美術館と称される。



図143.クレラー・ミュラー美術館の入口



図144.ファン・ゴッホ「自画像」



図145.ファン・ゴッホ「アルルの跳ね橋」



図146.ファン・ゴッホ「囲われた麦畑に昇る太陽」



図147.ファン・ゴッホ「刈り取られた麦畑と太陽」



図148.ファン・ゴッホ「刈り取られた麦と昇る月のある風景」



図149.ファン・ゴッホ「種まく人」



図150.ファン・ゴッホ「ジャガイモを食べる人たち」



図151.ファン・ゴッホ「白い帽子を被った女の頭部」



図152.ファン・ゴッホ「悲しむ老人」



図153.ファン・ゴッホ「マダムローリンの肖像画」



図154.ファン・ゴッホ「夜のカフェテラス」



図155.ファン・ゴッホ「ジョセフ・ローリンの肖像画」



図156.ファン・ゴッホ「マダム・ジノーの肖像画」



図157.ファン・ゴッホ「男の肖像画」



図158.ファン・ゴッホ「玉ネギの皿のある静物画」



図159.ファン・ゴッホ「ピンクの桃の木」



図160.ファン・ゴッホ「糸杉と星の見える道」



5-2.アムステルダム国立美術館

2015年5月9日(土)5日目

オランダの首都アムステルダムにあるアムステルダム国立美術館(Rijksmuseum Amsterdam)は「ライクス・ミュージアム」と呼ばれている。レンブラントやフェルメールなど17世紀オランダ絵画が充実している。



図161.アムステルダム国立美術館(ライクスミュージアム)



図162.アムステルダム国立美術館(ライクスミュージアム)



図163.アーフェルカンプ「冬景色」



図164.ピーテル・デ・ホーホ「配膳室に居る女と子供」



図165.ヨハネス・フェルメール「牛乳を注ぐ女」



図166.ヨハネス・フェルメール「小路」



図167.ヨハネス・フェルメール「恋文」



図168.レンブラント「トビトと仔山羊を抱えるアンナ」



図169.レンブラント「音楽を奏でる人々」



図170.レンブラント「若き日の自画像」



図171.レンブラント「老女(レンブラントの母)」



図172.レンブラント「女の肖像画(サスキア)」



図173.レンブラント「女性(マリア・トリップ)の肖像画」



図174.レンブラント「夜警」



図175.レンブラント「夜警」



図176.レンブラント「夜警」



5-3.ファン・ゴッホ美術館

2015年5月9日(土)5日目

アムステルダム市内のミュージアム広場 (Museumplein) に面しており、近くにアムステルダム国立美術館がある。このファン・ゴッホ美術館は、クレラー・ミュラー美術館とともに、2大ゴッホ美術館と称される。

オランダで生まれたヴィンセント・ファン・ゴッホは、19世紀のポスト印象派の画家。彼の作品は20世紀の芸術に多大な影響を与えた。しかし、生前はほとんど認められることはなく、売れた作品もたった一点だった。

今回の旅行で訪問した美術館の内、このファン・ゴッホ美術館だけが写真撮影禁止だった。日本語のイヤホンガイドもあり、鑑賞するにはこれだけでも十分であったが、入場者が他の美術館よりも圧倒的に多く、撮影規制は致し方ないという気持ちになった。

2015年、オランダでは、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの文化遺産に関連する、数えきれないほど多くの「没後125周年記念活動」が企画されている。オランダ人がどれほどファン・ゴッフォを愛しているかが分かったという思いだ。



図177.ファン・ゴッホ美術館



図178.ファン・ゴッホ「ファンゴッホの寝室」



図179.ファン・ゴッホ「黄色い家」



図180.ファン・ゴッホ「自画像」



図181.ファン・ゴッホ「ひまわり」



図182.ファン・ゴッホ「ジャガイモを食べる人々」



図183.ファン・ゴッホ「種をまく人」



図184.ファン・ゴッホ「カラスのいる麦畑」



図185.ファン・ゴッホ「ラ・クロの収穫」



5-4.マウリッツハイス美術館

2015年5月10日(日)6日目

マウリッツハイス美術館は事実上のオランダの首都デン・ハーグ(ハーグ)にある。デン・ハーグには国会議事堂のほかに、王室の宮殿、中央官庁、各国の大使館などが置かれており、ほぼすべての首都機能を担う政治の中心都市である。

また、国際司法裁判所や旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷、国際刑事裁判所等の重要な国際機関が複数置かれている。

一般に首都とされているアムステルダムは、憲法において首都と規定され、かつ、王宮も存在する(ただし実質的には離宮)ものの、歴史的に首都機能はハーグが担ってきている。

マウリッツハイス美術館には、フェルメール「真珠の耳飾りの少女」、レンブラント「テュルプ博士の解剖学講義」が所蔵されていることでよく知られている。



図186.開館前のマウリッツハイス美術館



図187.フェルメール「真珠の耳飾の少女」



図188.フェルメール「デルフトの眺望」



図189.フェルメール「ディアナとニンフたち」



図190.ルーベンス「聖母被昇天(下絵)」



図191.ルーベンス「蝋燭を手にした老女と少年」



図192.ヤン・ブリューゲル(父)とルーベンス「楽園のアダムとイブ」



図193.パウルス・ポッテル「雄牛」



図194.フランス・ハルス「笑う少年」



図195.レンブラント「テュルプ博士の解剖学講義」



図196.レンブラント「ホメロス」



図197.レンブラント「二人のムーア人」



5-6.ルーベンスの家

2015年5月12日(火)8日目

ルーベンスは、アントワープの中心部に自身がデザインした新居を設け、工房も併設し、弟子とともに幾多の絵画作品を制作する場所とし、同時に、当時のアントワープで最高級の私的美術品収蔵場所、最高級の蔵書を誇る私的図書室とした。彼は死ぬまで30年間をここで過ごした。現在この家は、博物館「ルーベンスの家」として使われている。

ルーベンスの工房出身者でもっとも有名な芸術家になったのは、後年イングランドの宮廷画家となる若き日のアンソニー・ヴァン・ダイクである。

ルーベンスの家に展示されているルーベンス作品の絵画名は、資料が入手できず、その大部分を記載することができなかったことを残念に思っている。

この「ルーベンスの家」に保存されているルーベンスの作品を鑑賞し、次のアントワープ・ノートルダム大聖堂のルーベンスの作品を鑑賞すると、アントワープの市民がルーベンスを誇りに思い、大切に守ってきたことが良く分かった。

オランダ人がファン・ゴッフォを熱狂的に愛しているのは分かったが、彼の生前に売れた絵は1枚だけだった。それとは対照的に、ルーベンスは生前からもてはやされ、注文が殺到し、さらには外交官として政治的にも活躍した人であった。この違いを面白く思う。



図198.ルーベンスの家の入口



図199.ルーベンスの家の中庭



図200.中庭から見たルーベンスの家



図201.「自画像」



図202.ルーベンス作



図203.ルーベンス作



図204.ルーベンス作



図205.ルーベンス作



図206.ルーベンス作



図207.ルーベンス作



図208.ルーベンス作



図209.ルーベンス作



図210.ルーベンス作



図211.ルーベンス「自画像」



図212.ルーベンス作



図213.ルーベンス作



図214.ルーベンス「自画像」



図215.ルーベンス作



図216.ルーベンス作



図217.ルーベンス作



図218.ルーベンス「アントーン・ヴァン・ダイクの肖像画」



図219.二階から見下ろしたところ



5-6.アントワープ・ノートルダム大聖堂

2015年5月12日(火)8日目

アントワープの町の守護聖人である聖母マリアに捧げられたゴチック様式の大聖堂。高さ123メートルの優美な塔は町のランドマーク的存在である。

堂内にはルーベンスの傑作4枚がある。『フランダースの犬』の中で、主人公のネロが見たがっていたアントワープ大聖堂の絵画「キリスト昇架」と「キリスト降架」、ネロが祈りを捧げていた「聖母被昇天」がここにある。

なお、ノートルダム(Notre-Dame)はフランス語で「我らの貴婦人」という意味で、イエス・キリストの母である聖母マリアを指す。また、ノートルダムに献堂されたカテドラル(大聖堂)として、パリのノートルダム大聖堂がよく知られている。



図220.ルーベンス「マリア被昇天」 ネロ少年がまだ見ぬ母の面影を重ね、祈りを捧げた聖母マリア




図221.ルーベンス「キリスト昇架」 ネロとパトラッシュが死ぬ前に見た絵



図222.ルーベンス「キリストの降架」 ネロとパトラッシュがこの絵の許で息絶えた



図223.ルーベンス「キリストの復活」



5-7.ベルギー王立美術館

2015年5月13日(水)9日目

ベルギー王立美術館はベルギーの首都ブリュッセルにある美術館である。200年以上の歴史を誇り、4つの部分から成り立っている。メインは15世紀から18世紀までの作品を収めた古典美術館で、特にフランドルの画家達の作品が充実している。

なお、フランドルというのはベルギー北部の地域で、ブルージュ、アントワープ、ブリュッセルなどの都市が含まれる。フランダース(Flanders)は英語由来の呼び方で、フランドルと同じ。



図224.ベルギー王立美術館一階エントランス 中央に初代国王レオポルド1世像



図225.この男女のブロンズ像に震える感動を覚え、写真撮影をしたが、作者は不詳



図226.ベルギー王立古典美術館 二階より俯瞰



図227.ディルク・ボウツス「皇帝オットーの裁判 無実の伯爵の処刑」「火の試練」



図228.ヒエロニムス・ボス「聖アントニウスの誘惑」



図229.



図230.ハンス・メムリンク「聖セバスティアンの殉教」



図231.ルーカス・クラナハ「シャイリング博士の肖像画」



図232.ピーテル・ブリューゲル(父)「ベツレヘムの人口調査」



図233.ピーテル・ブリューゲル(長男)「謝肉祭の争いと四旬節」



図234.ピーテル・ブリューゲル(父)「イカロスの墜落」



図235.ピーテル・ブリューゲル(父)「堕天使の墜落」



図236.ヤコブ・ヨルダンス「王様が飲む」



図237.



図238.レンブラント「ニコラース・ファン・バンベークの肖像」



図239.ルーベンス「聖母被昇天」



図240.ルーベンス「聖母マリアの戴冠」



図241.ルーベンス「東方三博士礼拝」



図242.ルーベンス「ゴルゴダの丘行き」



図243.ヨース・ドゥ・モンペル2世「バベルの塔」


7.まとめ

1)11日間(実質9日間)で3カ国、8地区、7美術館を訪れたのだから、中身の豊富な旅だった。

2)天気予報がすべて外れ、ほとんどが快晴に恵まれたので、良い写真を多く記録することができた。

3)著名な美術館を7箇所も巡ることができたこと、ゴッホ美術館を除いては、ゆったりと鑑賞ができて、
  写真撮影も許された幸運を痛感している。

4)旅行前の予想がまったく違っていた素晴らしい景観が3個所あった。1つは、ケルン大聖堂のステンド
  グラス、もう一つは花のキューケンホフ公園、最後は中世の街ブルージュである。

5)海抜0m以下の干拓地が国土の4分の1を占めるオランダから、人類の知恵の凄さをまた一つ知った。
  「世界は神が創ったが、オランダはオランダ人が創った」ということばが納得できる。

6)旅行で得られた膨大なデータを、効率的に整理し表示することに、これまで以上の苦労をした。

7)今回の旅行の中だけでなく、過去に訪れた同じ場所にもリンクを張り、理解参照をしやすくした。

8)この旅行で大きな失敗はなかったが、海外旅行の際の心がけを整理して置く必要があると思った。

9)23年前の最初の海外旅行で使ったスーツケースの傷みが目立ってきたので、廃棄することにした。

<2015.5.24.>掲載


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