ホーム > サイトマップ > 旅行 > ヨーロッパ > ケルン・オランダ・ベルギーへの旅 |
2015.05.24. 掲載
このページの最後へ |
目次
1.はじめに
2.ボンとケルン
2-1.ボン
2-2.ケルン
3.オランダ
3-1.アムステルダム
3-2.キューケンホフ
3-3.キンデルダイク
4.ベルギー
4-1.ブルージュ
4-2.アントワープ
4-3.ブリュッセル
5.美術館めぐり
5-1.クレラー・ミュラー美術館
5-2.アムステルダム国立美術館
5-3.ファン・ゴッホ美術館
5-4.マウリッツハイス美術館
5-5.ルーベンスの家
5-6.アントワープ・ノートルダム大聖堂
5-7.ベルギー王立美術館
6.まとめ
昨年から老化(特に聴力)が急に進んだので、行ける間に海外旅行をしようと考え、JTBの「ケルン・オランダ・ベルギーへの旅」に参加した。このツアーのテーマは「名画と世界遺産をめぐる」で、3カ国、7美術館を訪れる。天候に恵まれ、予想していた以上に良い写真が得られた。
膨大なデータとなったこの旅行の記録をどのようにまとめるかを考え、私にとっての記録 に書いたように、自分や妻に役立つものとすることにした。私にとって印象に残らない場所は省いた。
その記録の構造が分かりやすいように整理し、リンクを十分に張ることで、必要な情報に到達し易くしたいと思っている。
旅行の行程の概略地図を以下に載せておく。
2015年5月6日(水)2日目
ボンは、第2次大戦後1949年から1991年まで西ドイツの首都だった。人口30万人。1818年に設立されたボン大学は、ハイネ、ニーチェ、マルクスも学んだ。ベートーヴェンはこの街で生まれ、22歳までこの地で過ごした。
ベートーヴェンの家を訪れると、ボン時代やウイーン時代の遺品や資料が展示されていた。彼が愛用したグランドピアノの鍵盤は深く凹んでいる。通常1つの鍵盤に弦は2つであるのに、4つの弦を張らせたそうだ。そのピアノの音を聞くために、ピアノに押し当てた漏斗のような器具が置かれていた。黄ばんだ「ハイリゲンシュタットの遺書」は、老化による難聴に困惑している私の胸に響く。そして、高校生のころ書いた作文「私の尊敬する人 ベートゥベン」を思い出していた。
2015年5月6日(水)2日目
ケルンは人口100万人、ドイツで4番目に大きい都市である。第二次世界大戦中、ドイツの都市の中で最も多くの空襲を受けた都市のひとつ。市内の9割の建造物が破壊されたが、ケルン大聖堂だけは奇跡的にも完全には崩壊せず、復興の希望となった。この大聖堂は13世紀に建設開始し、16世紀に中断、19世紀に再開して完成した。
1862年、徳川幕府は外交使節団を日本史上初めてヨーロッパに派遣した。その30数名の二本差しの侍使節団がケルンを訪れ、ケルン大聖堂に昇り、市民とオランダ語で会話を交わしたそうだ。
以来ここの市民は日本贔屓で、ケルン放送交響楽団は東日本大震災の15日後に、佐渡裕にベートーベンの第九の指揮を要請し、大震災被災者支援のチャリティー公演を行った。
2015年5月9日(土)5日目
アムステルダムはオランダの首都。アムステル川に築かれたダム(堤防)という名前の通り、160本以上の運河と1500以上の橋を持つ(図26)。17世紀には世界貿易の中心として栄え、その面影が残っている。
ここでは大型の天井ガラス張りのボートで運河めぐりを楽しんだ。下から仰ぎ見るかたちで運河沿いの建造物や、水上生活者の船を眺めた。
アムステルダムには多くの美術館や博物館があり、今回はアムステルダム国立美術館とファン・ゴッフォ美術館を訪れた。
ファン・ゴッフォ美術館は午後からの自由行動の時間に、アムステルダム中央駅付近からトラムに乗り、ファン・ゴッホ美術館を訪問、そのあと、トラムでホテルに戻ったが、慣れぬことでいささか戸惑た。
以前アムステルダムに来た時もオランダ人の背が高いのに驚いたが、同じように、自転車王国であることも再確認した。
2015年5月8日(金)4日目
アムステルダムに入る前日に立ち寄ったのが花の公園「キューケンホフ」である。ここの開園期間は3〜5月のみ。32万uの敷地にはチューリップを中心に700万株以上の植物が植えられ、春には色とりどりの花が咲く。
チューリップはオランダの国花だが、原産国はトルコ。17世紀にはチューリップ・バブルが起きて崩壊し、多くの人々が破産し、破たんしたと聞く。レンブラントの家の値段がチューリップの球根1個と同じだったとは信じられない。
このキューケンホフ公園は花の配置が素晴らしく、園内の15kmの遊歩道を2時間半かけて散歩しても、見飽きることがなかった。花を愛でることの少ない私を知る人には想像もできないことだろう。
2015年5月10日(日)6日目
ハーグのマウリッツハウス王立美術館を訪問したのち、風車の村キンデルダイクを訪れた。オランダに来て「世界は神が創ったが、オランダの国土はオランダ人自らが創った」ということばをよく耳にした。
国土の4分の1が海抜0m以下のオランダ、海抜下の土地は干拓地を造らなければならず、その際に活躍したのが風車だった。一時は全土に9000基あったと言われるが、現在は10分の1に激減している。
キンデルダイク村には、1740年前後に作られ、1950年まで実際に使われていた風車が19基残っているとガイドブックに書いてあるが、現地で数えてみると18基だった。
2015年5月10日(日)6日目
「水の都」「北のヴェネツィア」「天井のない美術館」など、数々の異名をとるベルギーの古都ブルージュ。中世ヨーロッパのかわいらしい街並みが堪能できる世界遺産「ブルージュ歴史地区」。
ブルージュは、13世紀からハンザ同盟の主要都市としてヨーロッパの商業と金融の中心として繁栄したが、15世紀に入ると、北海へと通じる水路が沈泥のため浅くなり、港の機能はアントワープに移って町の成長は止まってしまった。その結果、繁栄していた中世の町並みが、当時のまま損なわれずに残っている。
ここへ到着した日、革なめし職人広場にあるこじんまりした店で、ムール貝料理とベルギー地ビールでプライベートディナーを楽しんだのちホテルに戻った。夜遅く旧市街の中心マルクト広場に出かけてみると、いままで見たことのない美しい夜景に遭遇した。
翌朝、運河クルーズに参加し、運河上から両岸に続く中世の世界を楽しんだ。陸に上がってからは、地ビール醸造所、オードリー主演の尼僧物語のロケ地となったベギン会修道院、ミケランジェロ作「聖母子像」のある聖母教会、マルクト広場などを散策した。
2015年5月11日(月)7日目
2015年5月12日(火)8日目
アントウェルペン(Antwerpen 英語: Antwerp)はベルギー第2の都市。スヘルデ川 の右岸に位置し、北海につながっている。15世紀、商業の中心から脱落したブルージュに変わったのがここアントワープ。
スヘルデ川の川岸の城に住む巨人ドルオン・アンティゴーンは、城付近を通り過ぎる船に通行料を求め、それに応じない者に対しては、その手を切り落として河へ放り捨てていたそうだ。
しかし、ローマの戦士ブラボーが、アンティゴーンの息の根を止め、手を切り落として河へ投げ捨てた。Antwerpen はこの出来事 handwerpen(hand 手 + werpen 投げる)に由来するという。市庁舎前には、この伝説を主題とする記念碑「ブラボーの噴水」がある。
この都市にはノートルダム大聖堂があり、ルーベンスの傑作「キリスト昇架」(1610)「キリストの復活」(1612)「キリストの降架」(1614)「マリア被昇天」(1626)の計4枚が飾られている。
この街はルーベンスをこよなく愛し、ルーベンスもまたこの街を愛し、ここに住居を建てて死ぬまで暮らした。その邸宅がルーベンスの家として残っている。
2007年の飛鳥2ワールドクルーズでこの地に上陸、ビヤカフェ巡りが最高に楽しかったことを思い出す。
2015年5月13日(水)9日目
フランス、ドイツ、オランダに囲まれたベルギーは、面積が日本の12分の1の小国だが、首都ブリュッセルにはEUの本部が置かれ、コスモポリタンな街である。
ブリュッセルには世界で最も美しい広場のひとつと見なされている「グランプラス」があり、その周辺には、ヨーロッパ最古の高級ショッピングアーケード「ギャルリー・サンチュベール」、ベルギーのマスコット「小便小僧」が立っている。
ブリュッセルでは「ベルギー王立古典美術館」を訪れたが、記事は5.美術館巡りのところに収めた。
2007年の飛鳥2ワールドクルーズで、ここブルージュを訪れ、ムール貝の白ワイン蒸しを歓声をあげてガツガツ食べたことを思い出す。
2015年5月8日(金)4日目
オランダのデ・ホーヘ・フェルウェ国立公園内にある美術館である。フィンセント・ファン・ゴッホに関するコレクションで知られ、その絵画87点におよぶ規模はアムステルダムのファン・ゴッホ美術館とならび、2大ゴッホ美術館と称される。
2015年5月9日(土)5日目
オランダの首都アムステルダムにあるアムステルダム国立美術館(Rijksmuseum Amsterdam)は「ライクス・ミュージアム」と呼ばれている。レンブラントやフェルメールなど17世紀オランダ絵画が充実している。
2015年5月9日(土)5日目
アムステルダム市内のミュージアム広場 (Museumplein) に面しており、近くにアムステルダム国立美術館がある。このファン・ゴッホ美術館は、クレラー・ミュラー美術館とともに、2大ゴッホ美術館と称される。
オランダで生まれたヴィンセント・ファン・ゴッホは、19世紀のポスト印象派の画家。彼の作品は20世紀の芸術に多大な影響を与えた。しかし、生前はほとんど認められることはなく、売れた作品もたった一点だった。
今回の旅行で訪問した美術館の内、このファン・ゴッホ美術館だけが写真撮影禁止だった。日本語のイヤホンガイドもあり、鑑賞するにはこれだけでも十分であったが、入場者が他の美術館よりも圧倒的に多く、撮影規制は致し方ないという気持ちになった。
2015年、オランダでは、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの文化遺産に関連する、数えきれないほど多くの「没後125周年記念活動」が企画されている。オランダ人がどれほどファン・ゴッフォを愛しているかが分かったという思いだ。
2015年5月10日(日)6日目
マウリッツハイス美術館は事実上のオランダの首都デン・ハーグ(ハーグ)にある。デン・ハーグには国会議事堂のほかに、王室の宮殿、中央官庁、各国の大使館などが置かれており、ほぼすべての首都機能を担う政治の中心都市である。
また、国際司法裁判所や旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷、国際刑事裁判所等の重要な国際機関が複数置かれている。
一般に首都とされているアムステルダムは、憲法において首都と規定され、かつ、王宮も存在する(ただし実質的には離宮)ものの、歴史的に首都機能はハーグが担ってきている。
マウリッツハイス美術館には、フェルメール「真珠の耳飾りの少女」、レンブラント「テュルプ博士の解剖学講義」が所蔵されていることでよく知られている。
2015年5月12日(火)8日目
ルーベンスは、アントワープの中心部に自身がデザインした新居を設け、工房も併設し、弟子とともに幾多の絵画作品を制作する場所とし、同時に、当時のアントワープで最高級の私的美術品収蔵場所、最高級の蔵書を誇る私的図書室とした。彼は死ぬまで30年間をここで過ごした。現在この家は、博物館「ルーベンスの家」として使われている。
ルーベンスの工房出身者でもっとも有名な芸術家になったのは、後年イングランドの宮廷画家となる若き日のアンソニー・ヴァン・ダイクである。
ルーベンスの家に展示されているルーベンス作品の絵画名は、資料が入手できず、その大部分を記載することができなかったことを残念に思っている。
この「ルーベンスの家」に保存されているルーベンスの作品を鑑賞し、次のアントワープ・ノートルダム大聖堂のルーベンスの作品を鑑賞すると、アントワープの市民がルーベンスを誇りに思い、大切に守ってきたことが良く分かった。
オランダ人がファン・ゴッフォを熱狂的に愛しているのは分かったが、彼の生前に売れた絵は1枚だけだった。それとは対照的に、ルーベンスは生前からもてはやされ、注文が殺到し、さらには外交官として政治的にも活躍した人であった。この違いを面白く思う。
2015年5月12日(火)8日目
アントワープの町の守護聖人である聖母マリアに捧げられたゴチック様式の大聖堂。高さ123メートルの優美な塔は町のランドマーク的存在である。
堂内にはルーベンスの傑作4枚がある。『フランダースの犬』の中で、主人公のネロが見たがっていたアントワープ大聖堂の絵画「キリスト昇架」と「キリスト降架」、ネロが祈りを捧げていた「聖母被昇天」がここにある。
なお、ノートルダム(Notre-Dame)はフランス語で「我らの貴婦人」という意味で、イエス・キリストの母である聖母マリアを指す。また、ノートルダムに献堂されたカテドラル(大聖堂)として、パリのノートルダム大聖堂がよく知られている。
2015年5月13日(水)9日目
ベルギー王立美術館はベルギーの首都ブリュッセルにある美術館である。200年以上の歴史を誇り、4つの部分から成り立っている。メインは15世紀から18世紀までの作品を収めた古典美術館で、特にフランドルの画家達の作品が充実している。
なお、フランドルというのはベルギー北部の地域で、ブルージュ、アントワープ、ブリュッセルなどの都市が含まれる。フランダース(Flanders)は英語由来の呼び方で、フランドルと同じ。
1)11日間(実質9日間)で3カ国、8地区、7美術館を訪れたのだから、中身の豊富な旅だった。
2)天気予報がすべて外れ、ほとんどが快晴に恵まれたので、良い写真を多く記録することができた。
3)著名な美術館を7箇所も巡ることができたこと、ゴッホ美術館を除いては、ゆったりと鑑賞ができて、
写真撮影も許された幸運を痛感している。
4)旅行前の予想がまったく違っていた素晴らしい景観が3個所あった。1つは、ケルン大聖堂のステンド
グラス、もう一つは花のキューケンホフ公園、最後は中世の街ブルージュである。
5)海抜0m以下の干拓地が国土の4分の1を占めるオランダから、人類の知恵の凄さをまた一つ知った。
「世界は神が創ったが、オランダはオランダ人が創った」ということばが納得できる。
6)旅行で得られた膨大なデータを、効率的に整理し表示することに、これまで以上の苦労をした。
7)今回の旅行の中だけでなく、過去に訪れた同じ場所にもリンクを張り、理解参照をしやすくした。
8)この旅行で大きな失敗はなかったが、海外旅行の際の心がけを整理して置く必要があると思った。
9)23年前の最初の海外旅行で使ったスーツケースの傷みが目立ってきたので、廃棄することにした。
ホーム > サイトマップ > 旅行 > ヨーロッパ > ケルン・オランダ・ベルギーへの旅 このページのトップへ |