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98画像の変遷(改訂版)

 1986年〜1992年

2002.01.06. 掲載
2015.06.15. 改訂
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目次
改訂版の説明
あらまし
8色画像
16色画像
フルカラー画像
CG展出品画像
フレームからノーフレームへ


改訂版の説明

Windows95機が登場するまでは、日本のパソコンの大半をNECのPC9801機が占め、国民機と呼ばれていた。2002年に、私が経験したPC9801機時代の画像を「98画像の変遷」のタイトルでまとめて掲載した。 これを、当時注目されはじめていたフレームスタイルでまとめたが、あとで読んでみると、読みにくく、分かり辛い。

そこで、今回これをフレームスタイルから、通常のノーフレームに改訂することにした。構成を調べてみると、18個のHTMLファイルで成り立っている。これを1本化するのはかなり面倒な作業だったが、結果は予想したよりも良く、PC98時代に熱中した対象の記録ができたと思う。

そこで、旧フレーム版を削除し、このノーフレーム版を新しくUPする。画像は旧版のままだが、小さなサムネイル画像から選択して大きい画像を表示する方法は止め、すべての画像を直接大きいサイズで表示した。説明文の内容は旧版のままだが、配置と文体を変えた。



あらまし

PC9801というDOSマシーンがパソコンの代名詞だった1986年から1991年頃までの画像を「98画像」という名前でまとめ、時系列で並べた。当時作った代表的な作品の中から、Windowsに復活できた189個の画像を眺めながら、技術の驚くべき進歩とともに、画像に夢中になっていた当時を思い出している。

8色画像:1986.8〜1988.10

1986年8月に、民生用スキャナ第1号の「GT-3000」が発売され、これを使用して、約300枚の医用画像を作成した。これらは主に診療中の患者さんへの説明に使ったほか、講演などでは、これをスライドにして活用した。その当時の状況は「医用画像独習記」に詳述している。

今、これらを眺めると稚拙な画像と感じるが、当時の医療関係の世界では、このようなものでさえ、誰も作っていなかった。

8色画像のファイル形式はいろいろあったが、最後は「GRAファイル」に落ち着いた。今回、Windowsで画像を表示できるようにGRAファイルをJPGファイルに変換した。

16色画像:1988.11〜

1988年11月にパソコン通信を始め、Nifty Serve のFQLDという画像関係のフォーラムで16色画像を学んだ。この頃「16色ボード」が発売され、これをPC9801機に装着すると16色表示が可能になった。その結果、16色は8色とくらべて格段に細かい表現ができることに驚いた。この頃 Mac は未だ9インチのモノクロモニターだった。その頃の状況は「実用画像通信」に詳述している。

16色については、スキャナの取り込みソフトのほか、関連ソフトはすべてフリーウエアのものしかなく、その大部分が、FQLDのシスオペ「魔女」さんとそのグループの作品だった。その代表的ファイル形式である「Q4ファイル」を、今回、Windowsで画像表示できるようにJPGファイルに変換した。

このほかに「WCGIファイル」という佐渡の WAI-WAI NET で作られた独創的な画像形式があり、画像ローダーを内蔵しているので、98ユーザーであれば、画像の知識が全くなくても、ファイル名を入力するだけで瞬時に画像を表示できた。

私はこれが気に入り、16色画像の大半をこの形式に変換していたが、Windows上でこれを直接JPEGに変換する方法がなく、DOSマシーンを廃棄処分してしまった現在、WCGIファイルの画像の復活はできなかった。

256色 → フルカラー画像:1989.11〜

1989年に「Hyper Flame Plus」 というフレームバッファー(ビデオ用メモリー)が発売され、PC9801にこれを装着すると、フルカラー画像を表示できるようになった。緞帳が降りてくるように、数秒をかけてゆっくりモニターにフルカラー画像が表示されるのを見ながら、このようなことがパソコンで可能になったことに感激し、その先端にいることを喜んだ。

Mac も1987年に Machintosh II が米国で発売され、1989年頃から日本でも普及し始めた。新しい Mac はこれまでの白黒2色から256色、フルカラーに飛躍し、優れた多くの周辺機器やソフトを持ち、一気にPC9801を追い越した。

私はフルカラー画像について、Niftyの FPICS という画像関連のフォーラムで学んだ。フルカラー画像で使うソフトは、FPICSのシスオペの「マジック」さんとそのグループの作品がほとんどで、全面的にDOSマシーンからWindows機に移行するまで、これらのソフトを使ってきた。いずれも無料で使用できる公開ソフトで、当時は PDS(Public Domain Soft)と呼ばれ、現在は「フリーウエア」と言い換えられている種類のものだ。

16色でもそうだったが、フルカラーのスキャナ取り込みソフトもPDSしかなく、一般が使える最先端の技術はパソコン通信でしか得られなかった。この状況は、1996年7月に堺市で起きたO-157事件の際に、知りたい医療情報が、本や雑誌、パソコン通信からではなく、インターネットでしか得られなかったこととよく似ている。

DOSのフルカラーの「ベタファイル」形式であるFALファイルを、Windowsのベタファイルの形式であるBMPファイルに変換した。それをJPEG形式に圧縮したファイルで表示する。

フルカラーの圧縮画像:1990.1〜

1989年末に高岳製作所から「Image Engine」という圧縮ボードが発売され、90年早々にこれを購入した。これによってフルカラー画像のサイズが20分の1から30分の1に圧縮可能になった。もう革命的だと思った。このファイルは拡張子が.npg で、「NPGファイル」と呼んだ。未だ世の中にはJPEGが無く、フルカラー画像はすべてNPG画像にして患者さんの説明などに使い、Niftyへもこの形式でUPしている。

Macユーザーが余りにMacの画像関係の優秀性を誇示するので、ついこの間までは白黒しか扱えなかったくせに何だと言う気持もあって、「BOWの98画像初心者用講座」を発表した。PC9801は圧縮画像も使うことができるのだと、8色画像からフルカラー画像までのPC98画像をまとめたものだ。しかし、画像面でのMacとPC98との差は歴然としてきていて、Macへの転向を本気で考え始めていた。

JPEG圧縮画像:1991.6〜

1991年に入ると、「JPEG」というフルカラー画像のための統一された圧縮方式が、通信の世界でも話題になり始めたが、それに対応するソフトは我が国にはなく、米国の「Image Alchemy」だけが知られていた。そこで、これを購入するために、はじめてVISAカードを作り、当時パソコン通信の最大手だった米国のCompu Serveに接続し、このソフトを購入した。1991年6月のことである。

「JPEG」画像は圧縮率や画質では「NPG」画像と変わりはなかったが、世界統一方式であることから、互換性に問題のないことが最大の長所で、NPG画像からJPEG画像に全部切り替えて行った。

1991年10月になると、カノープスから「Super CVI」というビデオキャプチャもできるJPEG圧縮ボードが発売され、これを使ってビデオ画面からの画像を取り込み、JPEG画像で保存することも始めた。

「98画像の変遷」を今回まとめてみて、1986年から1991年までの6年間は、「GT3000」「16色ボード」「Hyper Flame Plus」「Image Engine」「Image Alchemy」「Super CVI」という画像の分野での最先端のハードやソフトをいち早く取り込み使い込んだ期間、私が一番画像に熱中していた時代だったのだと改めて思う。

CG展出品:1989.9、1990.2.

神戸にあるTWIN-NETというCG専門のパソコン通信局に入会し、このネットが主催する第1回CG作品展に4点出品した。89年9月22日から30日までの間、神戸異人館「ラインの館」を借り切り展示し、折から、CGがブームになりかけていたせいか訪問者が多く、会員一同大満足だった。

これに気を良くして、第2回CG展を90年2月18〜23日まで、大阪市北区西天満のギャラリー「クォーレ」で開き、私は1点のみ出品した。その後この通信局を離れたが、ここでCGのプロから大学生までの広い範囲の人たちと交流できた1年ばかりの経験は私にとって貴重である。



8色画像

章内目次
 ●血圧 ●動脈硬化  ●心電図 ●心臓病 ●狭心症心筋梗塞 ●口腔内の病気 ●腹部の解剖
 ●胃十二指腸潰瘍 ●肝臓病 ●糖尿病 ●顔面 目耳鼻 ●皮膚病など ●アレルギー病 

PC9801F2の発売されたのが1983年10月、アップルはその年にLISAというパソコンを発売した。これはマスコミや専門家に高く評価されたが、値段が高くて売れ行きが悪く、代わりに翌84年1月に登場したのが Machintosh(MAC)である。私がパソコンを始めた85年には、Machintosh 512が発売されたが、モノクロ2色画像しか表示できず、それに対してPC9801は8色表示が可能だった。

1986年8月に民生用の最初のスキャナである「GT3000」がエプソンから発売されるまでは、画像作成は「お絵かきソフト」で手書きするより方法がなく、このスキャナーの発売は画像の世界にとって革命的だった。私は発売の情報を得ると同時に予約し、真っ先に購入した。

これを使って作った画像を見て、これまで積極的に画像に取り組んで来られた大阪府医師会マイコンクラブのある先生は「竹槍とじゅうたん爆撃の違い」と感嘆されたのを思い出す。

しかし、このスキャナに付属したソフトは単純この上なしの粗末な物で、ファイルも「GTI」という非圧縮のベタファイルだった。そこから「IMG」という圧縮ファイルを見つけ、自分で医用画像を300枚以上作り、同時にこれを作成するシステム「画像システムディスク」を考案し、1988年6月30日に医用CGシステムの構築作業を終了した。

この日はパソコン購入3周年、CG開始2周年目に当った。この日に間に合わせようと、がむしゃらに突進したのを覚えている。この独学で画像を学んだ状況は「医用画像独習記」に詳述している。

その「医用CGライブラリー」のいくつかを、次に紹介する。PC9801で作った画像の60%以上を復元できたことは、半ば諦めかけていたものなので懐かしく、SPレコードで楽しんだ曲をCD化できた喜びに近い気持だ。作成から15年以上が経過したこれらの画像を今見ると、たしかに稚拙だが、当時このようなCGライブラリーを作っていた医師はなく、医療関係の業者が作った画像はもっとお粗末だった。


●血圧

病気のテーマをしぼって職員や患者さんと一緒に勉強をする「土曜勉強会」行っていた時期がある。野村医院の診察室で、パンフレットやビデオ、パソコンをフルに活用した。15インチと21インチのモニターを2台並べ、同時にパソコンの画面やビデオ画面を表示したが、10名程度の勉強会に適していた。

87年6月27日に行った第1回土曜勉強会のテーマは「高血圧の食事療法」で、その時に作ったCGがこの「血圧」と次の「動脈硬化」である。これらは、その後も患者さんへの説明とか、講演会のスライド作りに使ってきた。


図1.血圧の理論数式(電圧=電流×抵抗 と対比して)



図2.血圧と血液循環の模式図



図3.心拍出量と末梢抵抗の模式図



図4.血圧測定法



図5.最高血圧と最低血圧



図6.血圧測定の原理



図7.血圧測定の実際(1)



図8.血圧測定の実際(2)



図9.境界域高血圧



●動脈硬化

これも前の「血圧」と同じように、第1回土曜勉強会のために作成したもので、その後も、診察中の説明や講演会のスライド作りに使ってきた。


図10.脂質の種類



図11.コレステロールの値が高い時



図12.トリグリセライド(中性脂肪)の値が高い時



図13.トリグリセライドの代謝模式図



図14.HDLコレステロールとLDLコレステロールの役割



図15.LDLコレステロールとトリグリセライドの関係



図16.動脈硬化と食品のコレステロール



図17.血管壁と脂質の関係模式図


●心電図

「成人の心臓病」というテーマで、87年8月29日に第2回土曜勉強会を行い、また、同じテーマで87年10月14日に市民健康講座で講演をした。その時のために作ったのが、この「心電図」と次の「心臓病」、「狭心症と心筋梗塞」である。かって心臓外科を専攻し、現在循環器科を標榜しているのだから、最先端の心臓病の知識を分かりやすく画像で説明しようと苦心した。


図18.正常心電図



図19.いろいろな心電図



図20.急性心筋梗塞の心電図



図21.不整脈の心電図



図22.ホルター心電計(当院使用分)



図23.ペースメーカーの装着図


●心臓病

「成人の心臓病」というテーマで、87年8月29日に第2回土曜勉強会を行い、また、同じテーマで87年10月14日に市民健康講座で講演をした。その時のために作ったのが、この「心臓病」、次の「狭心症と心筋梗塞」、前の「心電図」である。その後も診療中の説明に使った。


図24.心臓病の種類



図25.心臓病の症状



図26.心臓病の重症度(NYHAの分類)



図27.心臓病の診断



図28.高血圧性心疾患



図29.リューマチ性心疾患



図30.心肥大(右室肥大と左室肥大)



図31.右心不全のメカニズム図解



図32.肺性心(肺梗塞や慢性の肺疾患が原因で起きる右心不全)



図33.左心不全のメカニズム図解



図34.心不全と解剖



図35.心不全の患者の姿勢


●狭心症・心筋梗塞

「成人の心臓病」というテーマで、87年8月29日に第2回土曜勉強会を行い、また、同じテーマで87年10月14日に市民健康講座で講演をした。その時のために作ったのが、この「狭心症・心筋梗塞」、前の「心臓病」、「心電図」である。その後も診療中の説明に使った。


図36.狭心痛



図37.狭心痛の表現



図38.狭心痛と舌下錠



図39.心筋梗塞の狭心痛



図40.動脈硬化の程度 模式図



図41.副血行路の形成 模式図



図42.虚血性心疾患(狭心症、心筋梗塞)模式図



図43.虚血性心疾患の手術 模式図



図44.虚血性心疾患



図45.急性前下壁梗塞



図46.急性後下壁梗塞



図47.心筋梗塞(急性、陳旧性)



図48.急性心筋梗塞(前壁、後壁)



図49.左冠状動脈



図50.CAG



図51.CAG



図52.異型狭心症のCAG



図53.PTCA(経皮的冠動脈形成術) 模式図



図54.PTCR(冠動脈内血栓溶解術) 模式図



図55.IABP(バルーンパンピング) 模式図



図56.ハートバイパス(ACバイパス)



図57.虚血性心疾患の危険因子


●口腔内の病気

88年2月27日に行った第5回土曜勉強会のテーマは「かぜとかぜに似た病気」だった。そのために作ったCGの一部である。呼吸器の病気のCGも作ったが、残念ながら消失させてしまったようだ。


図58.口腔の解剖(1)



図59.口腔の解剖(2)



図60.扁桃炎(1)



図61.扁桃炎(2)



図62.溶連菌感染症の苺舌



図63.溶連菌感染症 模式図


●腹部の解剖

これは87年12月19日に行った第4回土曜勉強会「胃十二指腸潰瘍」のため、次の「胃十二指腸潰瘍」とともに作ったCGで、その後も診察時の説明によく使った。


図64.前から見た腹部内臓



図65.後から見た腹部内臓



図66.胃、十二指腸、肝臓、胆嚢



図67.胃、十二指腸、肝臓、胆嚢



図68.胃(外層)



図69.胃(筋層)



図70.胃(粘膜層)



図71.過緊張胃、正常緊張胃



図72.低緊張胃、無緊張胃



図73.十二指腸周辺の解剖 昭和天皇の病気の解説で良く使用した


●胃十二指腸潰瘍

これも87年12月19日に行った第4回土曜勉強会「胃十二指腸潰瘍」のために、前の「腹部の解剖」と一緒に作ったCGで、その後も診察時の説明によく使った。


図74.胃潰瘍、十二指腸潰瘍の症状



図75.攻撃因子と防御因子



図76.深さによる潰瘍の分類



図77.ストレス潰瘍 びらん



図78.ストレス潰瘍 浅い潰瘍



図79.ストレス潰瘍 出血



図80.ストレス潰瘍 混在



図81.潰瘍の治療サイクル



図82.胃潰瘍の治癒過程



図83.亜急性胃潰瘍



図84.慢性胃潰瘍



図85.噴門部潰瘍



図86.穿孔性胃潰瘍



図87.十二指腸潰瘍と糜爛



図88.十二指腸潰瘍による偽憩室形成



図89.接吻潰瘍(多発性潰瘍)



図90.十二指腸潰瘍による通過障害



図91.穿孔性十二指腸潰瘍



図92.水浸ストレス(実験方法)



図93.水浸ストレスによる胃粘膜変化


●肝臓病

この肝臓病のCGは土曜勉強会のためではなく、診察時の患者さんへの説明用に作った。この中の「肝硬変(腹水貯留)と(食道静脈瘤)」は訴える効果が強く、デモ用に良く使った。(腹水貯留)の写真はフルカラーで作り直して加工し、TWIN-NET の第1回CG作品展にも出品した。


図94.A型肝炎の経過



図95.B型肝炎の経過



図96.肝臓病の症状(1)



図97.肝臓病の症状(2)



図98.肝硬変(出血傾向)



図99.肝硬変(腹水貯留)



図100.肝硬変(食道静脈瘤)



図101.肝硬変(門脈圧亢進)



図102.門脈圧亢進症の手術



●糖尿病

87年10月31日の土曜勉強会のテーマは「糖尿病」だった。これはそのために作ったCGで、ほかに BASIC で標準体重、肥満度、必要カロリーを算出するプログラムを作った。また、表計算ソフトを使って摂取食事のカロリー計算をするフォームも作成し、毎日の食事を記入してもらってカロリー計算を行った。その後も診療中の説明に活用した。


図103.糖尿病と腎性糖尿 模式図



図104.インスリンのはたらき



図105.糖尿病の診断



図106.目標カロリーの決定



図107.食品交換表



図108.1600kcalの朝食例



図109.1600kcalの昼食例



図110.1600kcalの夕食例



図111.ご飯1杯相当の食品(1)



図112.ご飯1杯相当の食品(2)



●顔面・目・耳・鼻

この顔の周りの病気のCGは診療の説明用に作った。どれも画像を示して説明するとよく納得していただけ、不安も解消されるようだった。


図113.強膜下出血 脳出血の前兆ではと不安がる人が多いが、まったく関係はない



図114.鼻出血の好発部位 原因と処置の説明に役立った



図115.反復性耳下腺炎 普通は片側性だが、これは両側性の珍しい症例



図116.なめかん 唾液によるかぶれ CG展出品の素材の一つ



図117.クインケ浮腫(1) CG展出品の素材の一つ



図118.クインケ浮腫(2) お岩の幽霊タイプ



図119.リンゴ病(伝染性紅斑)



図120.耳鼻咽喉の解剖(1)



図121.耳鼻咽喉の解剖(2)



図122.耳鼻咽喉の解剖(3)


●皮膚病など

これも診察の説明用に作ったもので、外科的疾患の画像8枚が消失しているため、痛風をこちらに掲載した。メラノームはCG展出品の素材の一つ。


図123.多形滲出性紅斑



図124.接触性皮膚炎(かぶれ)



図125.痛風の痛みの表現 鼠にかじられているような痛み



図126.痛風の好発部位 足の親指の付け根



図127.薬物アレルギ―(PC疹)



図128.薬物アレルギ―(PC疹)



図129.頑癬(たむし)



図130.メラノーマ(悪性黒色腫) CG展出品の素材の一つ


●アレルギー病

88年4月23日の野村医院第6回土曜勉強会のテーマ「アレルギー(花粉症と喘息を中心に)」で使用するために作ったCG。


図131.アレルギ―とは



図132.抗原抗体反応とは



図133.アレルギー反応(図解)



図134.アレルゲンとは



図135.アレルゲンの季節変動



図136.ダニ(ヤケヒョウダニ)



図137.スギ花粉



図138.カモガヤ花粉



図139.カビ(アルテルナリア)



図140.食物アレルゲン



図141.代表的なアレルギー性の病気



図142.アレルギー性鼻炎



図143.花粉症



図144.花粉症の患者特有の症状



図145.じんましん



図146.人工じんましん(鉛筆で擦った皮膚が盛り上がる)



図147.抗アレルギー薬剤のはたらき


16色画像

1988年11月から、高橋 徳先生に勧められて NIFTY Serve に入会し、本格的にパソコン通信を始めた。その頃「16色ボード」が発売され、これをPCに装着すると16色画像を表示できるようになった。しかし、これに対応するソフトをメーカーは提供できず、使えるソフトはPC-VANのQLD-SIGという画像関係のフォーラムのシスオペ「魔女」さんとそのグループの人たちが作ったソフトが大部分だった。その一つである「Q4ファイル」は16色画像の標準となった。

もう一つの16色を扱うグループとして佐渡のWAI-WAI NET があり、ここで「WCGIファイル」という独創的な画像ファイルが作られていた。これは画像ローダーを内蔵し、PC9801であれば、ファイル名を開くだけで瞬時に画像を表示できる優れものだった。

私はこれが気に入り、医師会のマイコンクラブや Nifty Serve などでこのソフトの使い方などを解説したりして、積極的PRを行った。大阪府医師会マイコンクラブの星 喬先生は、これを使って毎週、大阪府下の感染症情報をグラフ表示でマイコンクラブのBBSに投稿を続けて下さり、ずい分診療に役立った。

私の16色画像の大半はこの形式に変換していたが、Windows上でこれを直接JPEG に変換する方法がなく、DPC9801を廃棄処分してしまった現在、WCGI ファイルの画像の復活は残念ながら諦めざるを得ない。

そうは言っても、この16色画像というのはフルカラー画像へ移行するまでの一時期に咲いたあだ花だったような気もする。8色から16色に移って一番難解だったのはパレットという概念で、16色で絵を描く時にどの絵の具を16色に選ぶかということに例えられた。これは256色でも同じだった。ところが、フルカラーになるとパレットはもう要らなくなった。

ここで、Windowsの場でも復活できた数少ない16色画像をご紹介する。

最初の4枚はFQLDというフォーラムが Nifty Serve に誕生した時、お祝いとしてUPした画像である。その素材として、「過換気症候群」という病気の女性の手を、ためらわずに選んだ。一度見れば忘れることのできない手、そこに患者の不安が象徴されていると感じた。1989年7月10日に、Nifty Serve の FQLD にアップロードした。そのときの補足説明文が残っているので、これも添付しておく。



図148.NIFTY Serve にFQLDが開設された案内の画像



図149.FQLDの開設のお祝いに、過換気症候群の手を選び



図150.その画像に処理を加えてみたが



図151.斜め方向の構図が効果的だと気づき、



図152.それを加工してFQLDに送った16色画像

補足説明
【作    者】 ボウ MGG02232
【登  録  名】 「不安」
【登録ファィル 名】  ANXIETY.COM
【データ 形 式】  16色
【圧 縮 形 式】   Q4、LHARC
【ファイル内容】  ANXIETY.Q4 ANXIETY.RGB
【必要 プログラム】  XLD4.EXE
【コ メ ン ト 】
これは強い緊張と不安に襲われているある若い女性の手です。いろいろのストレスが引金となって、発作的に呼吸をし過ぎた結果炭酸ガスが過剰に肺から排出され、そのために血液が急激にアルカリ性に傾き、この絵のように手足が硬く痙攣して曲げることができず、呼吸困難と死の恐怖感を抱いて担ぎ込まれて来られた患者さんです。過剰換気症候群(Hyperventilation Syndrome)という病気で、何故か10歳から25歳くらいの女性に多いのです。

私は画像を医療用に限って作ってきました。FQLD の新設にあたり、日頃 QLD 関連のトゥールを使わせて頂いている感謝の気持ちを捧げたく、この題材を選びました。16色画像の作品第1号をUPできるのを光栄に思っています。

GT3000Vを使い、GT4HP.EXEで写真から画像を取り込み、KID98 で修正を加えました。デフォルトのパレットでは肌の暗部が濃緑に表現されるので、別にパレットを作り、Q4ファイルに組み込みましたが、GRA ファイルに変換される場合に便利なように、RGB ファイルも一緒に梱包しておきます。自動解凍になっています。


この頃はハンドルネームを「ボウ」としていたようだ。気になって調べてみると、1989年12月3日22時00分に送信したメールまでは「ボウ」、その59分後からは「BOW」に変わっていて現在に続いている。
突然理由も書かずに「BOW」に変更しているが、「ボウ」ではちょっと野暮ったい、「BOW」の方がハイカラと思ったのだろう(笑)。

このシスオペの「魔女」さんには、Nifty Serve のFQLDのフォーラムでも、また個人メールでも大変お世話になった。素晴らしいソフトを次々創作して提供し、周りには多くの画像を愛する人々が満ち溢れていた。色々なジャンルのCG作品も豊かにあった。

その魔女さん、本名北川 裕さんが、1990年6月2日に交通事故で突然この世を去られた。それを知った時の衝撃は、1971年12月に突然この世を去った友人野中清也君の時と同じだった。FQLDの「お悔やみの間」に書き込まれた弔文のLOGを大切に残してある。それは 90/06/03 03:06 から始まり、90/06/10 18:46までの「349通」の弔文で、行数は「5100行」に及んでいる。

あれから10年以上が過ぎた今、それを読み返していて、その中に私が親しくお付き合いいただいた方のお名前を見つけた。マジックさん(海老原一之さん、FPICSのシスオペで、フルカラー画像をこの人に学んだ)、RAYさん(高橋 徳先生、私を通信の世界に導いてくれた恩人)、練馬のワトソンさん(楜沢 順さん、芸大出の画家で FPICS で活躍中のCG画家)、奈良のOGさん(小川浩史先生)、二世健康法師さん(故川合日出雄先生)、はりま人さん(柴田四郎先生)である。

以下は、亡くなられたことを知って即刻送信した私の弔文である。


058/058 MGG02232 BOW  魔女さん さようなら (10) 90/06/03 10:01

   魔女さん
   貴方はもうこの世を去られたのですね
   誇り高い貴方のあのメッセージを もう読めなくなったのですね
   貴方の論理的で 感情的で 力強くて 繊細な文章がとても好きでした
   それにも増して CGについて数え切れぬほどの恵みをいただきました
   悲しい 寂しい 惜しい
   北川 裕 の名でいただいたメールを取り出し 読み返しています
   ありがとうございました
   さようなら                            6/3 BOW


残りの4枚は、89年10月28日に、大阪科学技術センターで行なわれた「医療におけるパソコン通信シンポジウム」で私が講演した「実用画像通信」の中で使ったスライド原図の一部である。Q4ファイルでも残していたので、Windows用に変換することができた。

最初は画像通信に使う画像作成のツールを紹介したもので、タブレット、マウス、スキャナ旧型、新型を診察机に置いて撮影したもの、次はそれを加工して説明用の文字入れを行ったものである。

その次は、当院の胆石症の患者の腹部エコー像である。モノクロ16階調ではかなり細かいニュアンスまでが表示できることを見ていただいた。最後は、同じ画像のパレットを変えるとこのような奇怪な画像に変わることを供覧し、16色ではパレットファイルが本体と同じほど重要であることを強調した。



図153.画像作成に必要なハードの一覧



図154.上記を加工して説明用の文字入れを行った



図155.胆石症の患者の腹部エコー像 モノクロ16階調



図156.上記の画像のパレットファイルを変えた場合の変化


フルカラー画像

1989年後半から、NIFTY Serve のFPICSという画像のフォーラムでフルカラー画像を学び、作った画像ファイルをNIFTY Serve にUPしてきた。フルカラーをそのままパソコン通信で送信するには膨大な時間を要するため、最初は256色GIFで、90年からはNPGという圧縮ファイル形式で、そして91年からJPG画像で送信した。

今回はGIF、NPGファイルをJPGファイルに変換してある。NIFTYにUPした画像を中心に、1991年までのフルカラー画像の代表作を選んだ。

1991年3月、Nifty Serve のFSKY2に「BOWの98画像初心者用講座」を発表した。8色画像からフルカラー画像まで、NPG圧縮画像も含めてPC98画像をまとめたものである。この後しばらくして、JPGという世界統一規格の圧縮画像ファイルが登場し、現在に至っている。


図157.肝硬変による腹水 89/12/08 NIFTY FSKY2
8色画像の肝臓病とCG展出品作品でも使用



図158.左胸部帯状ヘルペス 89/12/08 NIFTY FSKY2にUP
CG展出品作品でもこれを加工して使用



図159.診察室の机の上の風景
12年前と今もほとんど変わっていない(笑)



図160.上の画像に説明の文字を入れた 90/01/12 NIFTY Serve のFSKY2にUP



図161.89年の野村医院忘年会 於 石亭 90/01/15 NIFTY Serve のFSKY2にUP



図162.大阪近辺で医用画像に取り組む男たち その1



図163.大阪近辺で医用画像に取り組む男たち その2 BOWが入った



図164.上の画像に説明の文字を入れた 90/04/29 NIFTY Serve のFSKY2にUP

少し説明を加えると、これは、1990年2月25日にパソコン通信で親しく交信している大阪近辺の医師にお越しいただいた時の記念写真である。その日のスケジュールが下記の通り残っていた。ここで医用画像の勉強会を開いている。「教えてもらうのは嫌い、教えるのは好き」な性分に苦笑している。

メンバーは左から、
  「TOKU」さん:高槻で開業の高橋 徳先生は私を通信の世界に導いてくれた恩人
  「SATORU」さん:府立羽曳野病院アレルギー小児科部長の土居 悟先生
  「OG」さん:奈良で小児科開業の小川浩史先生
  「二世健康法師」さん:寝屋川で開業されていた故川合日出雄先生
  「はりま人」さん:姫路で耳鼻科開業の柴田四郎先生

90年2月25日のスケジュール
       〜10.30:集合
  10.30〜12.30:作品披露(野村、柴田、小川、土居、高橋、川合)
  12.30〜13.30:昼食
  13.30〜18.00:CGの勉強、途中でコーヒーブレーク
               ハイパーフレーム+、FSCAN、GIF画像
               ハイパービジョン、圧縮画像の紹介とデモ
               KID98、WCGI画像の実習
               彩子、ハイパー彩子の紹介
               ベクトルエース、FDラベル印刷などの実技
               その他
  18:00〜20:00:夕食と懇親
  20:00      :散会



図165.新築完成した高橋医院 90/07/22  NIFTY Serve のFCASEにUP



図166.フィルター効果の実験 90/09/21 NIFTY Serve のFSKY2にUP



図167.Hi8ビデオカメラで撮影、SuperCVIでキャプチャーした画像



図168.上記に画像作成条件を付け 91/10/28 NIFTY Serve のFSKY2にUP



図169.スライドをFOTOVIXでビデオ信号に変換、SuperCVIで保存



図170.上記に作成条件の説明を文字入れ



図171.SuperCVIとHyperflame+との切り替え用自作装置



図172.柴田四郎先生の誕生日のお祝い 90/04/23 電子メール
        ベクトルフォントのきれいな文字をPRしました



図173.高橋 徳先生の誕生日のお祝い 90/08/27 電子メール
         きれいな文字と画像組込みはかなり高度なテクニックでした



図174.患者さん説明用フルカラー画像のメニュー
        サムネイル画像の上にある番号の入力で画像が表示されます



図175.胃潰瘍のX線像 1



図176.胃潰瘍のX線像 2



図177.十二指腸潰瘍のX線像



図178.胃癌のX線像 1



図179.胃癌のX線像 2



図180.無散瞳カメラによる眼底写真



図181.市民講座の講演で使ったスライド原図



CG展出品画像

神戸にあるTWIN-NETというCG専門のパソコン通信局に入会し、このネットが主催する第1回CG作品展に4点出品した。1989年9月22日から30日まで、神戸異人館「ラインの館」を借り切り展示したところ、訪問者が多くて会員一同大満足だった。

画像仲間の柴田四郎先生(はりま人)が姫路から、小川浩史先生(OG)が奈良から会場に来て下さり感激したことを思い出す。お二人は「フルカラー画像」のところの「大阪近辺で医用画像に取り組む男たち その2」に出ている。また、このCG展のビデオが「感性の歓声」というタイトルで残っている。

使用ハードウェア: PC-9801RA21、GT4000、Hyperflame_plus
使用ソフトウェア: FSCAN、LDIMG、HyperSayco


図182.第一回TWIN-NETCG展出品作品一覧



図183.ANXIETY 不安(過換気症候群)
不安から身体が硬直して動けなくなり、担ぎ込まれて来た女性の手



図184.SURPRISE 驚き(クインケ浮腫)
下くちびるが突然腫れて、驚いて駆け込んで来た女の子の口もと



図185.DANGER 危険(メラノーマ)
ガンの中でも一番悪性である悪性黒色腫という皮膚ガン



図186.SHAME 羞恥(なめかん)
舌で口の周りをなめる癖がある子供に特有の顔



図187.TROUBLE 苦悩(肝硬変)
人生の終を迎えようとしている中年男性のお腹



図188.PAIN 激痛(帯状ヘルペス)
激しい肋間神経痛の痛みに耐えかねている中年女性の胸部



図189.TWIN-NETのオフライン・パーティー
CGのプロから学生までバラエティーに富んだメンバーだった



フレームからノーフレームへ

2002年に掲載した「98画像の変遷」を最近読み返したところ、書いた本人にも良く分からない、面白くない、読み続ける気がなくなると言った感想を持ってしまった。私が7年間熱中した対象の記録がこれでは気落ちがしてしまう。

そこで、なぜこんなに面白くないのかの理由を考えてみた。そして、ほかのページと違ってフレーム形式であることと、画像の表示をまずサムネイル画像で行い、大きい画像で見るには、サムネイル画像をクリックする2段構えにしていることの二つが、その大きな要因だと判断した。

2002年ごろはフレーム形式のサイト記事が流行りはじめ、私もいくつかのページをこの形式で作ったが、今残しているのはこれだけだった。

フレーム形式のページは、訪問者に見たい項目がいくつもあり、それぞれを自分で選ぶ場合には便利だとは思う。辞書で単語を調べるような場合は最適かもしれない。

しかし、物語性の強い記事の場合には、ストーリーが分かり難いという欠点がある。この欠点の意味は大きい。それに加えて、サムネイル画像から、大きな画像を表示するということも、その操作のために見ている時間を中断させ、ストーリーを分かりにくくしてしまう。

そう考えたので、フレームをノーフレームに変更し、画像は直接表示するように改訂した。改訂作業を始めてみると、すぐに難作業であることが分かった。それを箇条書きで書いてみる。

1.2002年からあと、フレームページを作っていないので、その構造を理解するのに時間がかかった。
2.「98画像の変遷」は18個ものHTMLファイルから構成されていた。
3.これを一つのHTMLファイルに統合するには、個々のHTMLファイルの内容を調べる必要がある。
4.個々のHTMLファイルを単純につなぎ合わせば良いと言う代物ではない。配置に工夫が必要となる。
5.個々のHTMLファイルは参考とするため、改訂の最後まで必要で、改訂後も必要になるかもしれない。

改訂作業を終えて、改めて読んでみると、ストーリーが良く分かるようになり、読み続けたいという気持ちになった。画像そのものは今から見れば幼稚であるが、1986年以前には、このような画像は一般大衆の世界には存在しなかった。そして、わずか7年足らずで、現在の豊潤な画像の世界が大衆の手の届くところとなった。その記録としての価値はあるのではないかと思う。少なくとも、私にとっては、大切な思い出深い記録である。

1986年は私が50歳となった年である。その10年前、40歳から節目を意識して生きるようにようになり、節目節目で何らかの記録を残してきたように思う。


<2002.1.6.>
<2015.6.15.>改訂

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