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夕方のウォーキング

2010.12.28. 掲載
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ウォーキングをはじめたわけ

今年は始めてから3年が過ぎた習慣が二つある。その一つはコーラス、もう一つは妻との散歩である。コーラスについては、何度か記事を載せたが、妻との散歩のことは書いていないので、この機会にまとめておくことにする。午後4時半から5時ごろから出かけるので、少し気取って「アフターファイブ・ウォーキング」とか、「アフターファイブ・カップル」と称している。

「石の上にも三年」ということわざがある。辛くても、耐えていれば、やがて報われるということを教えることばのようだ。私たちの場合、このウォーキングは、別に辛い苦行ではなく、むしろ楽しいものなので、3年は一区切りと考えるべきだろう。

「健康に良いから何かをする」と言うのが嫌いな私が、ウォーキングを始めたきっかけは、妻の大落雷だった。07年10月15日のことである。世界1周クルーズから帰国してまる3ヶ月間、私はトイレと食事以外はほとんどPCに向かって、そのまとめなどに没頭していた。その上、高校のクラス会の幹事の仕事もあり、それらが終わったと思ったら、また別の仕事を思いついて始めた。

それまでは仕方ないとあきらめ、辛抱していたのが、また始めたと思って妻は切れてしまったのだろう。落雷の瞬間、私はその意味をはっきり理解し、キッパリPCから離れた。それ以来まったくPCを触ろうとしないことに不安を抱いたのか、妻はPCを使うのは良いが、その代わり、1日1回は歩こうと提案してきた。

前の年に受話器握って失神し、尿が出なくなって入院し、その年の初めに前立腺肥大の手術を受け、クルーズ中には体重が減り死亡想定年齢を過ぎてオマケの人生に入ったと、何度も繰り返して唱えて、外へ出ることをしないのだから、私の健康が心配でたまらなかったのだろう。

開業していた頃、運動が健康に非常に効果があることを診療中の患者さんに話しているのを、妻は傍で聞いてきたから、歩かなければならないと思ったのに違いない。

私も、歩かなくなって、歩行困難になった老人男性を何人も知っている。歩けなくなるのは困るので、歩くことに抵抗はなかった。健康のためだけで歩くのは嫌だが、家庭平和のためならそれも致し方ない。それに、やってみれば、歩くことが楽しくなるかもしれないし、楽しくなるようにしようとも考えた。


コース

コースの目的地は梅田の阪急百貨店と阪神百貨店で、これのオプションとして、例えばヨドバシカメラ、紀伊國屋梅田店、阪急イングス、ヒルトンプラザ、ハービスエントなどがある。また、帰り道で南森町のスーパー光洋に寄ることが多い。

最短コースは図1で、片道1.6km、往復3.2kmである。


図1.最短コース


通常は図2のように、帰りにスーパーに寄るので、3.6kmになる。


図2.標準コース


時には、梅田に出るコースを変える。その代表的なのが図3で、一番距離が長いのは、渡辺橋経由で四橋筋を通ると片道2.4kmになる。図3には、オプションで行く場所へのコースも付けている。


図3.いろいろなコース


梅田に出ると通常約1時間は散策とショッピングをする。その間約1km〜2kmは歩くので、通常トータルで5km程度を、2時間〜3時間歩いていることになる。万歩計で7000歩〜8000歩になる。

距離の計算は Google Maps を利用した。梅田までの1.6kmを約25分で達するので、私たちのウォーキングは分速64m程度になる。標準として分速70mとか80mとして計算しているようだが、高齢者の私たちはこんなところで良いのだろう。

この機会に、私たちの歩幅も計ってみた。955cmを私は14歩、妻は18歩なので、それぞれ68cm、53cmとなる。歩幅の目安として、身長−100cmが使われているようだが、私たちの場合の実測値はそれに近い。


妻との違い

梅田には陸橋と地下街があり階段昇降を避けて通るのは不便だ。妻は平地で長く歩くのは得意だが、階段を登る時は、いつもかなり遅れ、しんどいと言う。ところが、降りるのは逆で、私よりもかなり速い。高所恐怖症の私はそれができないので癪だ。そこで「女は年をとったら、骨粗鬆症で骨が折れやすい。転んで大腿骨頸部骨折で寝たきりになるぞ」と脅してきた効果があったのか、近頃は私のペースに合わせるようになってきた。

梅田では、夕食などの食料品、玩具などの孫のものは一緒に付き合うが、その他は分かれて自由行動をとる。これは交野にいた頃から変わらぬパターンで、当時は週1〜2回「命の洗濯」と称して梅田に出かけ、着くなり自由行動をとり、その後合流して飲んで食べて帰っていた。

妻は服飾などのウィンドウショッピングをしていると思うが、私はヨドバシか本屋(旭屋、ブックファースト、紀伊國屋、ジュンク堂など)を巡っている。待ち合わせ場所も3カ所くらいに落ち着いてきている。携帯電話を携行するのは自由行動に必須の条件である。

夕食のおかずはそれぞれ好みが違い、一緒になることはほとんどない。また、妻はいろいろ迷って選ぶが、私は簡単に決める。夕食の米飯は同じだが、朝の主食は妻が食パン、私はうどんかそば、というのは結婚以来続いている習慣である。その食パンは阪神の「ドンク」、めん類は阪神の「めんどころ」で買う。妻もこれはあまり迷わない。


出会い

ウォーキングを始めてから、思いがけない人と出会うようになった。長く会っていなかった親戚、友人、元患者、高校同級生などがいる。NHK生活笑百科元顧問弁護士の三瀬顕さんも2回ばかり見かけた。その中で、印象に残っているのは、堀口博信画伯だ。老松通りを歩いている時に、ある画廊を出て行く人の後ろ姿が似ているので声をかけたら、やはりそうだった。この画廊で作品展が催されていて、閉めかけていたところだったが、堀口さんが頼んでくださり、作品を鑑賞させていただいた。

息子の話では「おお先生がヨドバシカメラを元気そうに歩いてはりましたよ」と患者さんが教えてくれるそうだ。こちらは気がつかないだけで、案外多くの人に見られているのかもしれない。

交野から「命の洗濯」で梅田に来ていた頃は服装にも気を付けていたはずだが、毎日のウォーキングとなると、服装を構うことも少なくなっている。だから、かなり年寄り臭く見えていることだろう。


店舗の観察

人との出会いは偶発的なもので、ウォーキングでこれを楽しんでいるわけではない。ウォーキングで一番楽しいのは、ウォーキングの途中で見る店舗の状況ではないかと言う気がする。

その中でも飲食店は数も多く、興味津々である。居酒屋では、非常に繁盛している店とそうでない店、一時的に滅茶苦茶に客が殺到してしていたのに、すぐ閑古鳥が鳴いて戻らない店、似たような構造でありながら、流行る店と流行らない店が並んでいたり、曜日によって客の数が違っていて、「今日は花金なのかと」思ったり。

横を通っている時には、それほどとは感じなかったピザハウスが、道路を渡って見ると、オシャレで高級感があってカッコイイと思ったり、開店してから一度も流行らず、2年足らずで消えてしまったスペイン料理店とか、飲食店の観察は面白い。

いつも吹き出すのは、あるうどん屋の看板で、梅田本店の看板は出ているが、本店の中を覗くと、カウンター席が8席くらい。支店はどんなやねん?

「タベルナ・キンタ TAVERNA KUINTA 」の看板が出ているイタリアンレストランの横を通ると、思わず頬が緩んでしまう。キンタとくれば自動的に「マ」が付く。それを「食べるな」とはなんだ!「食べろ」と言われても断固拒否するぞ!

それを妻にいうのだが、「何が面白いの?全然面白くない」と相手にしてくれない。私がお下劣なのか、妻がユーモアを解さない石頭なのか?

ある割烹料理店の不思議は、そこの女将さんとおぼしき人物が、店の外に出てきて携帯電話で応対していることだ。どうも、お得意さんを勧誘しているようなのだが、どうして店の電話を使わないのだろう?この店は結構流行っているので、その理由が良く分からない。

ある鰻料理店、普通は暇そうで、料理長(店主?)は仕事着のまま外に出てきて、店の周りをぶらぶらしている。しかし、時々大集団がタクシーで乗り付けて、その店に入る姿を目撃する。このような客商売も成り立つようだ。

街の小さな小さな文房具店の方が、阪急・阪神の文房具売り場よりも、文房具の種類の手持ちが多いことを知った。妻の小難しい注文に合致するノートを、一見乱雑に陳列している物の中から選び出してくれたのには感動した。ノート以外でも同じ思いをしたことがある。

ウォーキングで通る老松通りには、画廊のほかに骨董品店(古美術店)がたくさんある。ある店の陳列台に、腰のかなり曲がった翁がちょこんと座って、骨董品を動かす姿をよく見かけた。齢は90を過ぎているだろう。その姿が陳列台から消えて何ヶ月かが過ぎ、「あのお爺さん、きっと入院しはったんや」と話していたら、その店から中折れ帽を被り、背広を着こなした件の人が腰を90度近く曲げて出てきた。


景観

3年間で建築改造ラッシュは激しかった。大きな高層ビルが次々に建てられ、その工法は素人目にも、より合理的になり、立ち止まって、それをしばし眺めたこともある。梅田地区では、ブリーゼタワー、梅田阪急ビルオフィスタワー、そして現在建設中の大阪駅北地区の高層建築で、景観はずいぶん変わった。

建築も多いが、ビルの取り壊しも多かった。1週間から1ヶ月くらいで完全に更地となるのだから目を見張ってしまう。その多くは駐車場になっている。取り壊された跡をを見て、こんなに広かったと思う場合と、こんなに狭かったのかと思う両極端の場合があるのが面白い。前者は低い建物、後者は高い建物に多いような気がする。

老松通りの古美術店や飲食店では、改装によって見違えるほどハイセンスになった店を幾つか見てきた。

新しく作られた都心を貫く広い道路の傍に、壊れかけたトタン屋根のバラックが見える。道路に似合わないのだが、これが現実だと教えてくれる。そのバラックもいずれは取り壊され、ビルと変わるのだろう。

新しく建てられたが、1年経ってもまったく使われていないように見えるビルも梅新近くで幾つかある。この不況を予想せずに計画されたためなのかも分からない。

ウォーキング途中で、好きなビルが美しく見える場所は非常に限られている。いつか午前中にカメラを持って撮影に来ようと思いながら、未だ実現していない。

ウォーキングをしていて青空が見えると気分が爽快になる。大阪では長く見ることができなかった美しい青空が、最近かなり見られるようになった。こどもの頃に見た青空、北海道や青森で見た青空、外国で見た青空、そこまで青くはないのだが、交野にいた5年前でも滅多に見ることができなっかった青空を時々見ることができる。澄み切った青空に真っ白の雲、美しい。


交通

都心の広い道路をウォーキングしているので、交通に関係したことが目につく。その中で、毎年増え続け、整備の進んでいるのがコインパーキングだ。建物を取り壊して更地にしたところの多くがこれになっている。その一番の理由は、道路交通法の改正で駐車監視員による駐車違反の取締りが行われるようになったことだろう。お陰で違法駐車は目に付かなくなった。

その代わりなのか、自転車がところ構わずたくさん置かれ、歩道を絶え間なく通り過ぎて行くようになった。ベルを鳴らすのが禁止されているのか、あるいは運転が上手なのか、音もなく人混みを通り抜けていくのには驚く。右耳の聞こえない妻、両耳が遠くなった私はウォーキング中、自転車に気を付けなければ危険だ。これだけ自転車人口が増えて来たのだから、自転車専用道路や駐輪場を整備する必要があるのではなかろうか?

ウォーキングをするようになって、道路には優先道路があることが良く理解できるようになった。梅新を境とする国道1号線、2号線の、少なくともこの付近1kmでは、国道は絶対的優先道路で、これと交わる御堂筋には絶えず赤信号が点く。歩いて1号線を横断できる時間は、普通人で丁度、障害者や老人では渡り終えることができないほど短い時間だ。逆に、1号線に直交する道路を横断する場合は、その何倍も長い間渡ることができる。

また、同じ道路でも優先区間があり、例えば天神橋筋は南森町から堺筋と合流するところまでは優先区間ではなく、頻繁に赤信号が点灯するが、合流点を過ぎるとたちまち優先道路になる。

このようなことは、車に乗っていた頃にはよく分かっていなかった。この知識を活用すると、余裕を持って、安全に、待ち時間を少なく横断歩道を渡ることができる。

横断歩道の横にある歩行者用ボタンの中には効果抜群のものがある。信号が赤に変わった直後では、1〜2分かかるが、そうでなければ、2〜30秒後に青になる。これを知らない人はボタンを押さず、信号が変るまで待つことになる。


天候

雨の日は南森町から地下鉄で梅田に出る。梅田のよく行く場所は地下街でつながっているため雨の影響はない。

風については面白いことを見つけた。ウォーキングで強い風が吹くところが何カ所かある。夏は涼しくて良いが、冬は冷たくてできれば避けたい場所だ。風が強く吹くところの特徴は、1)高いビルに挟まれた、2)南北方向で、3)広い道路である。低い建物に挟まれた道路、東西方向の道路、狭い道路ではそれほど風は強くない。寒くて風が冷たいときはこの知識を活用することがある。


ヒューマン・ウォッチング

ウォーキングの楽しさの一つにヒューマン・ウォッチングがある。昔から景色よりも人間の方に関心が向く性分だった。私は男だから、この年になっても女性が気になる。妻は女だから、やはり女性に関心が向くようだ。共通の話題があることは良いことだ。おまけに、なぜか感想がよく一致する。

まず、背の高い女性が目立つほど多くなった。身長が169cmの私を超す女性がいくらでもいる感じだ。背高女性は決まって高い靴を履いている。10cmくらいあるのではないかと思われるヒールの人が多い。歩かなければカッコイイのだが、颯爽と歩く姿はあまり見られない。身長が2〜3cm縮んだと悲観している妻は、背の高い女性を羨望しているようだ。

それに比べて男性の方は、それほど高くなったようには見えない。なぜだろう?発育盛りの頃から、男性にはストレスが多いせいだろうか?

この背の高い女性と背の低い男性のカップルをよく目にするようになった。重い荷物を持ったり、こどもを抱いているのは背の低い方のことが多い。理解に苦しむ現象であるが、当事者がそれで満足しているのなら、疑義を挟む筋合いではない。

梅田で美人を見かけることが多くなった。妻も同意見だ。TVで見る女優よりもきれいでチャーミングな女性がたくさんいる。お化粧が上手になったせいなのか?不思議だ。

見た目が美しいのは良いことだが、歩くときに発する音には閉口する。カタカタ、パカパカ、ゴツゴツ、カッカッと蹄の音よろしく歩いてくれる。階段を降りるときなど、耳をふさぎたくなるほどだ。女性の優しさというイメージはかけらもない。これはどういうことなのだろう?

新型インフルエンザが流行し始めた昨年5月下旬、余りに白マスクをつけた人が多いので、カウンターを購入して数えてみたことがあった。その結果一番多い時で40%の人が着用していた。マスクでインフルエンザが予防できると思っている人がこれほど多いのは問題であろう。

私たちがウォーキングを始めたころから、梅田地下に立ち続ける一人の中年男がいる。場所は阪神百貨店の地階東出口周辺で、自分の周りに小分けしたたくさんのビニール袋を並べて、ただひたすら立ち続けているのだ。カールした黒く長い髪と静かな容貌はイエス・キリストを連想させる。

今年の夏の猛暑の頃からこの人を見かけなくなった。きっと暑さでダウンしてどこかへ入院しているのだろうと思っていた。ところが、先日またこの人を以前とは少し離れた場所で見かけた。この寒さでも耐えられるとはよほど頑強な身体と心を持っているのだろう。それにしても、なぜ立ち続けているのだろう?

今年は格別暑かった。熱中症で倒れる老人が続出しているとマスコミが報じた頃のことである。夕食のおかずをよく買う馴染みの店の店員が、妻に「ご主人はご病気ですか?」と尋ねたそうだ。いつも二人で立ち寄るので、てっきり暑さでやられたと思ったのだろう。

その頃ミュージカルの稽古が追い込みに入っていて、私は夕方からそれに参加していた。だから、ウォーキングができなかった。妻はその店員に「主人は元気です。歌のレッスンに行っています」と答えたそうだ。ミュージカルの公演が終わってから、妻はミュージカルのチラシをその人に手渡した。私はそのそばで笑って会釈をした。


ウォーキングで変わったこと

夕方のウォーキングを始めて一番変わった生活習慣は、外で飲食をすることがほとんどなくなったことだ。デパ地下で買った夕食のおかずを肴に、大画面TVを見ながら妻と飲食すると、私たち夫婦は一番落ち着いて食事を楽しむことができる。最近ではその時、孫娘の話題でもちきりとなる。しみじみと幸せを感じるのは、この夕食どきであ。

外食をすれば夕食をその分作らなくて良いので、よく外食外飲をしてきたが、デパ地下でそれぞれが自分の好きな物を買ってくれば、ご飯は炊飯器が炊いてくれるので、手間はあまり増えない。


<2010.12.28.>

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