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心に生きることば

−BOWの人生哲学−

付録:80点主義

2002.11.11. 掲載
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目次
はじめに
1.努力対効果比が良い
2.総合点を増やすことができる
3.重大な失敗の確率が低くなる
4.ストレスが少なくて済む
5.他人の失敗に対して寛容になる
6.失敗を恐れない
7.人生を肯定的に生きることができる
おわりに

はじめに

私はどういうわけか、一部の人に完全主義者と思われ、それを知って驚愕することがある。しかし、実際は、その全く逆の人間であり、不完全をモットーに生きて来た。80点主義、99点主義こそが、小学校時代からの私の生きる知恵のようなものだった。昔から100点を取れない、いつも、どこかケアレス・ミステークをしている人間だった。

そういうことがくり重なったからだろう、逆に99点で良い、その代わりに他のことでも99点をとろう、という風な努力をするようになった。少なくとも、中学生の頃からは、はっきりそれを意識してきたと思っている。

この99点主義、一般には80点主義、例えば大学入試のような難しいものでは60点主義は、非常に効率がよく、またストレスを少なくする効果がある。力の無い者がそこそこの成績を出す、あるいはそこそこに人生を楽しむには、恐らく最良の方法ではないかと思っている。

そこで、もう少し詳しく80点主義のメリットをご紹介する。


1.努力対効果比が良い

難易度にもよるが、例えば合格点が90点の課題に対して、99点を取るのには、それほどの努力は必要ではないかもしれない。そこそこに努力をし、あるいは点検をすれば良い場合も多いだろう。しかし、100点を取ろうと完璧を目指すなら、それには、比較にならぬ努力と時間が必要で、点検を繰り返し、何度も見直しをしなければならないだろう。

99点を取るのに必要な努力を仮に100とした場合、100点を取るのに要する努力は150とか200になる場合があると思う。その場合の努力対効果比は、99点の場合99÷100=99だが、100点の場合100÷150=67、100÷200=50となり、払った努力に対する効果から言って、非効率的である。

この、100点満点を獲得するよりもはるかに少ない努力で、合格点を上回る結果が得られるということが、この80点主義の第一のメリットである。

成果は、あるところまでは払った努力に比例する傾向にあるが、それを過ぎると、努力に対して成果はなかなか上がらなくなって行くのが通例である。そこで、完璧を目指さず、あるところで妥協するのが、結局は効率的であるというわけである。

80点主義をもう少し正確に言うと、合格点を上回れば良い、それ以上は、与えられた状況下で効率良く達成できる点数に満足するという生き方で、それを分かりやすく80点としただけのこと、80に特別な意味はない。


2.総合点を増やすことができる

上に書いたメリットは、もちろんそれだけでも十分に価値があると思うが、それだけで終らせるのはもったいない。むしろ、次に挙げることがらにつなぐことで、何倍ものメリットが生まれる。

世の中には一つの問題だけが存在することは少なく、同時に多くの問題が待ち構えている。大学入試を例にとると、私たちの時代は7〜8教科のテストを受けることになっていた。そのような場合に、完全を目指すと、よほどの秀才でなければ、ある教科で成功しても、残りは散々な成績に終る可能性が大きいであろう。100点1個に対して60点未満が数個という場合も充分考えられる。その結果として、平均点も60点未満となり、不合格となる可能性が高くなる。

しかし、80点主義では、合格点を上回ることが目標なので、努力の分散を効率的に行うことができ、そのために、総合点(平均点)が合格点を越えやすいというメリットがある。

とりたてて才能があるわけではない私が、これまでの受験をなんとか無事通過することができたのは、この80点主義のお陰だと信じて疑わない。


3.重大な失敗の確率が低くなる

80点主義のもう一つのメリットは、合格点をクリアすることが目標なので、完全を求める場合と比べて、精神的時間的に余裕があり、ものごとを広い目で、総合的に見ることができやすいことだと思う。

同時に、あまり小さなことがらにとらわれないで、大切なところを押さえておけば良いとする生活習慣が身についてくる。

これは、常に次善の策を考えながら行動しなければならない外科医や臨床医にとって、大切なことがらで、小さな失敗はあっても、重大な失敗をし難くする効用がある。


4.ストレスが少なくて済む

「合格点を上回ればよい、それ以上はできる程度に努力する」という生き方をすると、完璧を求める場合と比較にならないほど、ストレスが少なくなるのはお分かりいただけると思う。自分は間違うことがないというポーズを貫くのには、大変なエネルギーが必要であり、同時に、強烈なストレスを受けることになる。これに対して、自分が小さな失敗をよくすることを自覚し、ありのままの自分を見せることは、心の平安につながる。

そして、小さな失敗はするが、重大な失敗はあまりしない、一つ一つのことでは劣っていても、総合点では捨てたものではないという思いは、生きる上での強い自信につながる。今は亡き曲直部壽夫先生から私が学んだ一番大きなことは、自然体で生きるということだったが、この80点主義に通じるところがあると思っている。


5.他人の失敗に対して寛容になる

自分が失敗しやすいことを自覚すると、次には人間は間違うものだという認識になり、さらには、神でさえ間違うことがあるのではないかという考えにまで発展する。そうなると、他人の小さな失敗に目くじらをたてることも少なく、他人に寛容になり、思想や宗教に対してさえも寛容になる。

世の中には、他人の失敗や欠点を指摘することに喜びを感じているかのように見える人もいる。しかし、80点主義が身につけば、そのような人に誤りを指摘されたとしても、腹を立てるよりは、むしろ、その人の生き方を哀れと思い、寛容になってくるものだ。


6.失敗を恐れない

自分が失敗しやすいことを自覚しているので、ある程度の失敗は、始めから覚悟をしており、新しいこと、困難な問題に挑戦することに臆病でなくなる。これは「あかんでもともと、うまく行ったらもうけ」いわゆる「ダメモト」主義につながると思う。完璧な成功を求めず、小成功で良い、中成功ならなお良い、大成功なら大満足と思考回路が自然に働くのだ。


7.人生を肯定的に生きることができる

人生の大きな喜びの一つは、自分で目標を立て、これを達成することにある。少なくとも私はそうだ。この達成についても、80点主義では、自分が思う合格点を少しでも上回れば、それで満足する。時には、目標を上回る成果が得られることもある。そのようなときは、まさに ブラボー! 大満足である。

日常のことがら、例えば食べ物、飲み物などについても、80点主義が身についていると、ある水準以上の味であれば満足し、それを越えれば越えるほど満足度は増すが、より美味いものを追い求めるということはしなくなる。

80点主義は、食べ物に限らず、持ち物についても、より良いものを追い求めるということをせず、自分が思う合格点を越えていれば、それで良しとし、関心を他に向け、欲求不満を減らす効用がある。もちろん、この80点主義は、結婚、家庭、仕事、趣味など、生きること全てに当てはめている。

私の生きる目標は、死に際に後悔しないように生きる、つまり「悔いなき人生」であるが、正確には「悔い少ない人生」で、ここにも80点主義が生きている。

このような生き方は、芸術家、求道の士、グルメ、ドンファンといった、現状に満足せず、絶えず向上を目指す生き方の対極にあると言えよう。そのような人たちにとって、80点主義などは侮蔑の対象以外の何ものでもあるまい。

また、私もそのような生き方を否定するのではなく、むしろ尊敬し、羨ましく思う。しかし、自分のような能力・才能のない人間が、その形だけを真似るなら、それは喜劇、いや悲劇になるのが必定であろう。


おわりに

以上7つに分けて80点主義の効用を述べてきた。以前「腹十二分目でも健康」のタイトルでご紹介した食生活と同様、この80点主義も、ずいぶん昔から行ってきた私の生活スタイルである。

これをご紹介するに当たって、このような意味付けもできると考えてみた。しかし、このような「へ理屈」が付けられるから、80点主義を信奉してきたのではなく、満点をとれないところから、開き直ってこのスタイルを選ぶことになったというのが真実である。

これには、あるいは性格や育った環境も関係しているのかも分からない。というのは、30年以上ともに生きてきた配偶者に、その気配が全く見られないからである。

補記:この「80点主義」は1999年1月1日発刊の雑誌「黎明」3号に投稿した文章である。 今回「心に生きることば」に、この「80点主義」を付録として掲載するに当たり、文体を統一するため、「です、ます調」を「だ、である調」に変更した。


<2002.11.11.>

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