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真夏のスペイン旅行

 1995.8.16.〜8.23.

2015.09.21. 掲載
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目次
はじめに
マドリード周辺
ラマンチャ地方
アンダルシア地方
バルセロナ
まとめ


はじめに

20年前、2回目の海外旅行先にスペインを選んだ。旅行の記録はビデオで行い、写真はわずかしかなく、文章による記録はビデオのシナリオだけである。

ビデオはDVD化してあるが、写真入りのWeb記事の方が簡単に情報に接することができる上、情報量も多い。 そこで、1995年のスペイン旅行の記録を記事として残すことにした。

ビデオは、シングルエイトカメラで撮影したアナログテープをデジタル変換して作ったAVIファイルを中心としたが、アナログテープを編集して作品を作り、それをデジタル変換して作ったAVIファイルも活用した。

これらのファイルを PlayMemories Home に読込み、その中の場面を画像として切り出し保存した。

写真もわずかであるが保管していたので、これはイメージスキャナーで取り込んだ。

その上で、ビデオ作品「真夏のスペイン」のシナリオを参考にしながら、旅の思い出を記事にまとめた。

このスペイン旅行はマドリードからはじまり、バルセロナで終わった。



図1.真夏のスペイン旅行の訪問先(日本→ マドリード・・・・バルセロナ→ 日本) Google Map より


マドリード周辺

マドリードは1561年よりスペインの首都である。スペインには、マドリッドのほかに、セビリアとバルセロナにもスペイン広場がある。イタリアにもスペイン広場があり、それぞれが個性的である。

◆マドリード


図2.イベリア航空の色は私の好きな色、交野で暮らしていた頃の我が家の水回りの色である



図3.ここはスペイン広場。セルバンテスがドン・キホーテとサンチョ・パンサを見下ろしている



図4.愛馬ロシナンテにまたがり、槍を手にしたドン・キホーテにサンチョ・パンサが従っている



図5.フェリペ5世が建てたこの宮殿はその美しさと規模において世界でも指折りの建物である
  一辺が140mの四角い建物で、部屋数は2800もあり、1764年に完成した。わが国の皇居に当たる



図6.世界の三大美術館の一つプラド美術館。ゴヤの黒い絵シリーズには衝撃を受けた


◆トレド

ここトレドはマドリードの南70kmのところにある。150年近く西ゴート族の首都であり、その後400年にわたり、イスラム教徒に占領され、それからマドリードに遷都するまで、500年近くの間、スペインの首都、文化の中心であった。ここにはスペインの歴史が凝縮されている。


図7.この光景を見たとき、中世の都市が忽然と目の前に現れたと思った。四角い建物はアルカサール王宮



図8.トレドは三方をタホ川に囲まれ、サン・マルチーン橋を介して周辺と通じる



図9.タホ川、サン・マルチーン橋、トレドをバックに




図10.左に見える尖塔はカテドラル(大寺院)の鐘楼、右の建物はアルカサール(王宮)



図11.トレドを背景に



図12.トレドを背景に2ショット



図13.トレドを背景に



図14.シエスタの時間のためか、街全体が眠ったように静まりかえっていた



図15.このフランス・ゴシック様式のカテドラルは1227年から256年の歳月をかけて1493年に完成



図16.このトレドのカテドラルにはスペイン大司教の座が置かれ、スペインで最も格式の高い大寺院である



図17.カテドラルの中に入るための回廊



図18.狭い石畳の道が続き、道の両側にギッシリと古い建物が並んでいる。鐘楼が目印になる


◆アランフェス

アランフェスは、マドリードの南50kmのところにある、タホ川沿いの緑の美しい王家の保養地である。16世紀に建設が始まり、18世紀後半に完成した。

盲目のロドリーゴが作曲したギターのための協奏曲、アランフェス協奏曲によって、この町の名は世界中に知られるようになった。

中でも、その第2楽章は、「恋のアランフェス」という名前で、ポピュラーとしても多くの人々に愛唱されている。

この「アランフェス協奏曲」は、1940年11月に、バルセロナで、この曲をロドリーゴから献呈されたサインス・デ・ラ・マーサのギターによって初演され、この甘味なメロディは世界中に響き渡った。



図19.アランフェス王宮



図20.アランフェス王宮をバックに



図21.アランフェス王宮をバックに



図22.アランフェス王宮をバックに


ラマンチャ地方

ラマンチャ地方はスペインの中部にある中央台地の一部で、セルバンテスの名作「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」の主人公ドン・キホーテが行う、数々の冒険の舞台となった果てしない荒野。ラマンチャとはアラビア語で「乾燥した土地」を指す。

この地方は冬の寒さが厳しく、また夏は非常に暑く、降雨もまれで、寒暖の差が激しく、非常に乾燥している。


◆エル・トポソ

「ドゥルシネア姫の家」というドン・キホーテ物語の架空のお姫さまが住んでいたという小さな建物がある村。


図23.のどかなエル・トポソの通り



図24.このご婦人、一生懸命早口ことばでしゃべりまくってくれるが、チンプンカンプン!



図25.ドゥルシネア姫の銅像をバックに



図26.ドゥルシネア姫が住んでいたという家



図27.土産物店の中庭の壁に吊るされた道具類、いかにもスペイン的な飾りだ



図28.何か絵になる光景


◆カンポ・デ・クリプターナ

ドン・キホーテが「逃げるな、臆病者め!」と叫びながら、槍を片手に、愛馬ロシナンテまたがり突進した風車とされる風車のある村。ドルシネア姫の家がある「エルトポソ」からは20kmほどの距離にある。


図29.風車をバックに



図30.風車をバックに



図31.風車をバックに



図32.乾ききった大地をバックに



図33.風車



図33.風車



図34.風車の番をしている老人が風車の歴史や構造を説明してくれた。木材の巨大な歯車には驚いた


◆プエルト・ラピセ

ここはセルバンテスがよく泊まったという旅籠のあった場所で、今はレストランになっている


図35.レストランの中庭の奥に槍を持ったドン・キホーテの銅像が立っている



図36.ドン・キホーテと背比べ



図37.ドン・キホーテと並んで



図38.レストランを出ると丘の上に風車が見えた


◆アルマグロ

アルマグロにあるパラドール・デ・アルマグロという国営ホテルに泊まった。近くには東西に長く伸びたマヨール広場があり、ここを散策した。

その時、自転車に乗った数名の中学生らしい女の子に「エスパニョーラ?」と尋ねられた。「ノー」と答えると「ハポネス?」と聞いてくる。「シーシー」と答えると、ニコニコ顔で手を振って離れて行った。

私たち夫婦はこの会話ですっかり気分を良くした。エスパニョーラはスペイン人(女性)、エスパニョールはスペイン人(男性)である。私たちをスペイン人かと尋ねてくれたのは、どこかその雰囲気があるのだろうと解釈したからだ。

ホテルは昔の修道院を改装した建物で、ここに入ると、まるで中世の世界にタイムスリップした気分になる。廊下階段には宗教画が飾られ、家具や調度品も修道院で使われていたものがそのまま使われていた。



図39.マヨール広場(北側)



図40.マヨール広場(南側)



図41.西側から眺めたマヨール広場



図42.白壁の建物が美しい



図43.パラドール・デ・アルマグロの入口



図44.パラドール・デ・アルマグロの入口



図45.パラドール・デ・アルマグロの裏手



図46.パラドール・デ・アルマグロの客室内部、



図47.十字架や壁画が置かれていたと思われる窪みに冷蔵庫が入っていて驚いた



図48.朝のパラドールの中庭



図49.中庭のベンチで


アンダルシア地方

アンダルシア地方はスペインの最南部に位置し、ジブラルタル海峡を挟んでアフリカ大陸と向き合う。8世紀から800年近くイスラム教国の支配が続き、イスラム文化の影響が色濃く残っている地域である。


◆アルハンブラ宮殿

アルハンブラはスペイン語では赤いお城という意味だそうで、イスラム王国最後の城である。


図50.アラヤネスの中庭。水、空気、植物が建物と美しく調和している。向いはコマレスの塔



図51.アラヤネスの中庭。両脇にアラヤネス(天人花)の植え込みがある。向いは王宮



図52.アラヤネスの中庭のコマレスの塔側で



図53.アーチに刻まれたアラビア模様



図54.精巧で美しい



図55.壁面にも美しいアラビア模様



図56.アラビア模様をバックに



図57.斬新なアラビア模様をバックに



図58.大使の間の天井。星の輝く天空を表現している



図59.ズームアップしてみると、その精巧な技術に感嘆する



図60.二姉妹の間の天井はモカラベと呼ばれる鍾乳石状の複雑な装飾で飾られている



図61.ズームアップしてみると、何と複雑な構造で作られていることか!



図62.ライオンの中庭。周りを124本の大理石の柱が取り囲んでいる



図63.ズームアップしてみると、愛らしいライオンたちである。



図64.グラナダ王の夏の離宮、ヘネラリーフェ。14世紀はじめに作られた



図65.ヘネラリーフェの奥にあるアセキアの中庭。アセキアとは水路のこと、庭の中央に水路がある



図66.水路の両脇から、等間隔で、噴水が絶えず降り注ぎ、その高さは揃っている



図66.水のある景観をこよなく愛した砂漠の民イスラム人の心情が伝わってくる



図67.ヘネラリーフェに隣接した野外劇場である糸杉劇場。収用人員は2400名を超える



図68.夏の音楽祭は、バレー、オペラ、フラメンコの華麗な催し会場となる


◆サクラモンテの丘


図69.アルハンブラ宮殿の大使の間の窓から、白い家が立ち並ぶアルバイシン地区が見える



図70.アルバイシン地区の右後ろに、ジプシーが住むサクロモンテの丘がある



図71.ズームアップすると、洞穴がたくさん見える。クエバという洞窟住居である



図72.さらにズームアップするとより詳細が見えてくる



図73.洞窟住居の中でフラメンコまがいの踊りを観光客に見せている



図74.この貫禄ある老婦人は、踊りも態度も、これぞジプシーのフラメンコだと教えてくれた



図75.凄い迫力に圧倒される



図76.サクロモンテの丘から眺めたアルハンブラ宮殿の夜景



図77.ライトアップされたアルハンブラ宮殿は幻想的で美しい


◆グラナダ

レコンキスタ(国土回復運動)によってキリスト教徒に追い詰められたイスラム教徒の最後の王国がグラナダだった。

1492年イサベル女王によりアルハンブラ宮殿アルハンブラは陥落、同年コロンブスは女王の援助のもと、新大陸を発見した。

イスラム文化が色濃く残っている都市である。


図78.宿泊したホテル グラナダ・センターの朝



図79.ホテルの入口で



図80.ホテルのエレベーター



図81.グラナダ大学の学生バンドがラテン系の歌を歌ってくれた。私も飛び入りで2曲ばかり歌った


◆セビリア

セビリアはアンダルシア地方随一の都会で、コロンブスの新大陸発見以来、セビリアはアメリカ大陸の貿易港として繁栄を極めた。

ビゼーの「カルメン」、モーツアルトの「ドン・ジョバンニ」、ロッシーニの「セビリアの理髪師」の町でもある。


図82.グラナダからセビリアに向かう途中、見渡す限りの大平原の中にあったスーパーの駐車場



図83.セビリアのスペイン広場。たくさんの白い鳩が集まっている



図84.鳩に囲まれて



図85.ビデオカメラを斜めにぶら下げ、海外旅行お決まりのパターン



図86.ああ驚いた!



図87.この広場は1929年の「イベロ・アメリカ博」の会場。マドリードのスペイン広場より広い



図89.歩道に沿ってスペイン各都市の歴史に関わる絵タイルが並んでいる。これは「トレド」



図90.辻馬車でセビリアの町を観光した。すれ違った辻馬車の御者が手を振ってこちらに挨拶



図91.これはアルカサール(王宮)への入口、ライオンの門。



図92.アルカサールはムハデル式の美しい建物で、支倉常長一行23名がここに1週間滞在したと聞く
一行の随員の中には、この地に留まった者もいて、その子孫が「ハポン」姓を名乗っていると聞いた



図93.アルカサール



図94.アルカサールの向かいに、鐘楼ヒラルダの塔とカテドラルが見える



図95.鐘楼の先端にヒラルダ(風見)の女性像があるので、ヒラルダの塔と呼ばれている



図96.風見の女性像、塔の高さは98mある



図97.ゆるいスロープを登ると高さ70mの展望台に達する。カテドラルの向うにはセビリア市街



図98.セビリア市街がはるか遠くまで一望できる



図99.昼食に食べたパエリアは見た目ほど美味しくはなかった


バルセロナ

バルセロナはスペイン第2の大都市であり、カタルーニャ地方の首都である。カタルーニャ地方独特の文化を持ちながら、スペインの中で最も西欧文化の香りがする地域でもある。

芸術家も非常に個性的で、私の好きなミロはここに生まれ、ピカソはここを踏み台にしてパリに出て行った、私の嫌いなダリ、ガウディもここで生まれた。



図100.バルセロナのホテルに着く直前に、この噴水が歓迎してくれた



図101.この日バルセロナのスペイン広場で噴水ショーがあると聞いて見物に来た



図102.カタルーニャ美術館の屋上からレーザー光線が放たれている



図103.マジック噴水(Font Magica)と呼ばれるこの噴水ショーは呆れるほど素晴らしい



図104.カルメン前奏曲に合わせて噴水はリズミカルに形を変え、色彩を変える



図105.今までこんな噴水ショーを見たことがない



図106.中央が吹き上がる



図107.周りから1本づつで注水。注水の根元はピンクとうす紫が交互に並ぶ



図108.中央が筒状に吹き上がる。周りは交互に赤とうす緑



図109.周りは全部うす緑、中央は真っ白の低い輪



図110.周りが全部ピンクに変わった



図111.中央が吹き上がり、周りはうす緑に変わった



図112.周りが全部ピンクに変わった。中央の輪の下の部分は黄緑色



図113.中央が大きく吹き上がり、周りは水色とピンクが交互に並んだ



図114.中央の吹き上がりの高さが減り、周りがうす緑と無色が交互に現れた



図115.中央が多数の柱状に噴き上げ、周りも全部真っ白に変わった



図116.中央が黄色の低いテントに変わり、周りはうす青色と無色が交互に並んだ



図117.いよいよフィナーレ、中央も周りも真っ白、観客の一人が手を挙げて踊り出した



図121.翌朝、カタルーニャ美術館まで登り、昨夜の噴水ショーのあったスペイン広場を望んだ



図118.モンジュイックの丘の麓にあるカタルーニャ美術館。この地方の美術工芸品が展示されている



図119.カタルーニャ美術館のそばで



図120.カタルーニャ美術館のそばで



図121.モンジュイックの丘にあるオリンピック・スタジアムの聖火台、予行失敗、本番成功だったとか



図122.この階段を上がると1992年バルセロナ・オリンピックのメインスタジアムに着く



図123.バルセロナ・オリンピックのメインスタジアムのそばで



図124.バルセロナ・オリンピックのメインスタジアム



図125.モンジュイックの丘展望台から、遠くにサグラダ・ファミリアの4本の塔が見える



図126.同じく展望台からコロンブスの記念像のある塔が見える。右はバルセロナの港



図127.モンジュイックの丘にあるミロ美術館



図128.ミロ美術館は残念ながら本日休館日!!



図129.サグラダ・ファミリアの東側、生誕のファサード



図130.サグラダ・ファミリアの東側、生誕のファサード



図131.生誕のファサードにはキリストの生誕に関わる彫刻が飾られている



図132.生誕のファサードをバックに



図133.内側から見たサグラダ・ファミリア教会



図134.サグラダ・ファミリア教会の内部で



図135.サグラダ・ファミリア教会の西側、受難のファサード。ガウディ―の没後建てられた



図136.受難のファサードを飾る彫刻はすべてジュゼップ・マリア・スビラックスの作品



図137.受難のファサード入口に立つ「捕らわれたイエス」像の顔面をズームアップ



図138.使徒のリーダー「ペテロ像」



図139.サグラダ・ファミリア教会の西側、受難のファサードで



図140.ガウディ―の作ったグエル公園で



図141.バルセロナのカテドラル。13世紀末から150年の歳月をかけて建設された



図142.カテドラルの中はローソクの赤い火が揺れ、東洋的な雰囲気を感じた



図143.カテドラルの中央祭壇



図144.中央祭壇の天井部分



図145.キリストの磔像が鉄格子の内にあり、生々しい



図146.スペイン広場の周辺



図147.スペイン広場の周辺、遠く中央に見えるのはカタルーニャ美術館



図148.カタルーニャ美術館



図149.ミロ公園



図150.ミロ公園をバックに



図151.コルドベスというタブラオでフラメンコ・ショーを見た
ジプシーのフラメンコとは比較にならぬ洗練されたもので魅了された



図152.フラメンコでは歌が非常に重要な位置を占めることがよく分かり、歌を中心にまとめた



図153.激情、哀愁、怒り、悲しみ、喜び、苦しみを声だけでなく全身を使って表現する



図154.手を叩き



図155.拳を振り上げ、絶唱する



図156.踊り手も声を張り上げる



図157.踊りの最中に大声で歌う



図158.フラメンコの踊り



図159.フラメンコの踊り



図160.フラメンコの踊り



図161.関空に到着、やはり日本が、我が家が良い。アディオス エスパーニャ!


まとめ

1.20年前の旅行を、その時に撮影したビデオとそのビデオを編集したときのシナリオを基に、静止画を中心とした旅行記録にまとめた。

2.167枚の静止画のうち、スナップ写真は24枚、Google Map 1枚、ビデオから切り出したものは142枚(85%)だった。

3.海外旅行の最初は1992年のイタリアだった。3回目1997年のドイツ・オーストリアまでは、旅行記録はビデオで行うことに決めていた。

4.しかし、1996年に自分のサイト(ホームページ)を開設してからは、静止画を含んだサイトの記事として旅行を記録に残すことに変更した。

5.ビデオしか記録のない海外旅行を、サイトの記事としたのは、これが最初である。私としては、この程度で良しとしなければならないと思っている。

6.あとは、最初のイタリア、3回目のドイツ・オーストリアを記事としてまとめておきたい。


<2015.9.21.>

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