ホーム > サイトマップ > 音楽 > コーラス・コンサート > コーラスを退団


コーラスを退団

2016.05.31. 掲載
2016.11.17. 追加
このページの最後へ

目次
1.はじめに
2.入団から退団まで
3.退団
4.ハートリー合唱団の意義
5.ミュージカル
6.五代文吾先生
7.おわりに
ハートリー合唱団関連記事一覧


1.はじめに

このたび、9年間在籍したコーラスを退団した。今までの80年の人生で、一つのサークルに3年以上所属したのはこのコーラスだけであり、そこを退団するのは、私にとって非常に大きなできごとである。

年齢とともに、記憶力低下が加速度的に増す中で、いま記録しておかなければ、生きるよろこびを満喫したこのコーラスと、それを離れようと決めるまでの心の過程の記憶までも失せてしまう。

そう思って、このハートリー合唱団と関わりのあることをまとめ、記事とすることにした。幸い、これまでの8回のコンサートや、演奏旅行、親善旅行などの記録の記事を載せている。また、レッスンやコンサートなどで歌った楽譜があり、会計担当の中島亜子氏が作られた多くの資料もある。これらを参考にして、私個人としてふり返った退団総括記事にしようと思う。


2.入団から退団まで

●入団のいきさつ

2007年、71歳の年に、神谷先生からハートリー合唱団入団のお誘いを受けた。私はしたいことに専念したくて開業医を止めたばかりで、コーラスなどに入る気持ちは全くなかったが、年長のドクターの顔を立て、練習を見学して、そのあとでお断りするつもりでいた。

ところが、練習を見学して30分も経たない間に、ここへ入れていただこうと思ってしまった。なぜ、私が参加したいと思ったかというと、新森美加先生の魅力だった。この先生は楽しい雰囲気でレッスンをされ、歌うことが楽しい気持にしてくださる。最初の30分間で数回笑ってしまった。その上、おだて上手で、自信を持たせてくれる。大声を張り上げても、むしろそれを奨励されるのだ。

それだけではなく、指導のレベルは非常に高い。発声法も、身振り手振りでご自身が手本を見せ、聴かせてくださる。私はこの先生から発声法を学べるかもしれないと思った。発声練習では、通常の半音づつ上昇、下降するだけではなく、次々とアトランダムなキーでも行なう。これは始めての経験だったが、間違わず対応できる団員の音感の良さもスゴイと思った。

●入団後の9年間

旅行とか特別な理由がなければ、ほぼ皆勤に近い出席率で、さしずめ精勤賞に相当するだろう。月2回のレッスンに気持ちよく通い、気がついたら9年目に入っていたというのが正直な感想である。おそらく、多くの団員が同じ気持ではなかろうか?

皆とレッスンを受けている間が楽しく、笑いの途切れることは少なかった。それは、生きていることを楽しむ時間、エンジョイする時間であった。

私はこれまで3年以上同じサークルにいたことはないと書いたが、それはマンネリ化して群れることが嫌な性格によると思う。この合唱団にはそれがなく、常に新鮮な気分でいることができた。


3.退団

このように生きるよろこびを楽しむ時間であったコーラスを、2週間ばかり前に退団した。

●退団の理由

合唱団に問題があったわけでは全くなく、問題は私自身にあった。その最も大きな問題は私の聴力低下である。

加齢による聴力低下は個人差が大きく、40代で補聴器が必要になる人もいれば、80代を超えてもほとんど聴力が低下しない人もいる。 ハートリー合唱団団員の平均年齢は80歳前後であるが、私のような難聴の人はいないようだ。

●退団を思い始めた時期

聴力低下から退団を思い始めた時期は、2年前の2014年8月に石巻へ演奏旅行したころからだった。自分の歌っている声が弱く聴こえ、昔の声と違って好ましくない音色である。また、若者の歌う知らない曲を聴くと、音程が違っているように聴こえて、ついていけない感じがする。会話も聴き取り難く、会話に入るのが難しい。

そのことをコーラスの仲間たちに話すと、難聴の苦痛が分からないためだろうが、ベートーヴェンを引き合いに出して慰めてくれた。しかし、耳の遠くなった人間がコーラスを続けるのはマンガだと思い、そろそろ辞めるときだと自覚するようになった。

●難聴の苦痛

総合病院の耳鼻科の補聴器外来で1年以上かけて補聴器の調節をしてもらい、音は充分大きく聴こえるようになったが、雑音がひどく、音色が悪い。若者たちが歌う知らない曲を聴くと、音程がずれているように感じて、ついていけない。

会話でも、音量は大きく、何かを話していることは分かるが、何を話しているのか内容が分からない。だから、満足に受け答えができない。それが苦痛で、そのような機会を避けたくなる。

●退団を決めた時期

今年に入って難聴の程度がますます進んできた。歌の発声について調べていると、「聴力低下により、聴覚フィードバックがうまく行かなくなると、発声の音程が不安定になりやすい」と言うことを知った。若者が歌う、知らない曲の音程についていけないというのは、この一つの表れかもしれない。

昔から音程に自信はあったが、このままコーラスを続ければ、音程が外れていることが分からない状態で、歌うようになるかもしれない。しかし、それでは余りにもみじめだ。

それよりは、楽しかった記憶に傷をつけず、生きるよろこびを存分に楽しんだ9年間の思い出を、きれいなままで残したいと思う。

私は、終りを大切に思う性分である。それに、80歳は節目の年、これまで節目に何か記念を残すようにしてきたので、その点からも退団の時期であると思った。

●退団の申し出

退団を決めることにためらいはなかったが、どのように申し出るかについては、なかなか決められなかった。5月の最初のレッスンのあと、お誕生会があり、私も誕生日を祝っていただけることが分かったとき、この日に申し出ることに決めた。

コーラス団員の親睦を深めるひとつとして、年数回開かれるお誕生会がある。多くの人が参加できる日で、個室がとれ、落ち着ける雰囲気があり、美味しい料理の店が選ばれる。

お誕生会では、該当者が簡単なスピーチをすることになっているので、この機会に退会を申し出ようと考えた。そして、その時までは、まったく触れないことにした。

当日、レッスンの始まる前に、3月に催された第8回コンサートの写真アルバムを、団員全員に差し上げ、サイトに「歌の発声」というタイトルで載せた記事の印刷物を、新森先生と、このコーラスに誘って下さった神谷先生に謹呈したので、あるいは退団を予想された方もいらっしゃったかもしれない。

退団の申し出に対して、先生はじめ団員の皆様は驚かれたが、難聴の苦痛を伝え、楽しかった9年間のコーラスの思い出を、きれいなままで記憶に残したいと申し上げると、私の願いを認めてくださった。ただ、秋の親善旅行には参加するようにとの条件を課せられ、参加を約束した。団員の皆様のお気持ちが心に沁みた。

お誕生会が終わったあと、近くのカフェに場所を変え、退団に関する雑談に耽ったのち、散会した。退団を受け入れていただき安堵したが、そのあと、疲労感に襲われた。感無量だった。


●退団式

翌日、新森先生から、次のレッスン日に退団式をするが、出席できるかとメールで尋ねられた。はて退団式?と、聞いたことのない名前に戸惑ったが、「ご厚情に感謝し、喜んで出席させて頂きます」と返信した。

退団式とは新森先生の作られた造語で、入団式があるのだから退団式があっても良いではないかという発想から生まれたそうだ。造語だから決まりはない。これが初回の退団式である。何か楽しい気分になる。

退団式は、レッスンを30分短縮して始まった。最初は、新森先生の説明とスピーチ、次は、退団する人(私)、続いて、合唱団への入団を勧めて下さった神谷先生、そのあと、合唱団の諸記録を整理・保管している中島会計担当、最後が準団員の若者の一人、内倉君のスピーチだった。


図1. 退団の理由と退団を認めていただいたお礼を述べる私 部屋はレッスンルーム




図2. レッスンルームで退団式に臨んでくださったハートリー合唱団守口教室の皆様

スピーチのあと、内倉・山本両君からの記念品の贈呈があった。それが何と、うどんの食品サンプルで、ネギがたっぷり入ったキツネうどんのセットだったのに一同大爆笑。彼らは、私が結婚以来、うどんが朝食であることを知って、これを選んでくれたようだ。若者しか思い浮かばないであろう発想に、感心した団員は多かったように感じた。

私はこれを、作業場「BOW工房」のパソコンの間に置いたが、汁がこぼれることもなく、仕事の合間のやすらぎに、効験あらたかだろうと想像できる。このプレゼントには、ふたり連名の心のこもった手紙が添えられていて、涙がにじんだ。若者たちよ、ありがとう。


図3. 私の仕事場「BOW工房」のパソコンの間に置いた うどんセット




図4. 内倉・山本両君からの手紙

退団式が終わったあと、新森先生が予約してくださったランチを摂りながら、内倉・山本両君と先生と私の4人で、いろいろ話しを交わした。若者たちは先日のお誕生会が欠席だったので、彼らに退団を告げることなくコーラスを離れることが、私の一番の心残りだった。それが、新森先生の思いがけないご発案で、ゆっくり気の済むまで語り合うことができてありがたかった。



図5. 近くのステーキハウスで、ビールを飲み、ランチを楽しみながら、会話が弾んだ

新森先生は、ご夫君故五代文吾先生の生き方から、私のこの度のコーラス退団をご理解くださり、快く退団を許してくださった。五代先生の生き方として、「始めより終わり」「引き際が大事」「男の美学」のことばを新森先生からお聞きすると、不思議なほど自分と似ていることに驚き、同時に嬉しく思った。

●退団後の予定

コーラスを退団したあとのことについては、私にはしたいことがたくさんあり、それらを飽きることなく続けるのではないかと思う。面白いことに、したいことは、これまでのところ、次々と湧き出てくるので、死ぬまでしたいことをしている可能性がある。

人との会話が減るのは致し方ないが、3〜4人の少人数での会話は何とかできるのと、もともと無口で、しゃべるよりは聴く方が好きな性質なので、会話が減ることを気にしていない。

おしゃべりで、元気者の孫3人のお守りは、しなければならぬことだが、したいことでもある。そのあとで疲労困憊気味になるのだが、それでも、たまらなく楽しくて、次が待ち遠しいのだから面白い。

私は自分の死亡想定年齢を70歳とし、それ以上の命があれば「オマケの人生」と考えてきた。その「オマケ」が予想以上に長く、10年もいただいたのには驚いている。

その間に、予想していなかった生きる喜びを経験できた。その一つがハートリー合唱団であり、他は3人の孫である。長いオマケ、コーラス、3人の孫、このいずれもが思いもしなかったできごとである。ありがたい。


4.ハートリー合唱団の意義

ここで、私にとってのハートリー合唱団の意義をまとめておきたい。

それは、歌を心から楽しむ時間、生きることを存分に楽しむ時間であったと総括できる。生きることを存分に楽しむということは、私にとってこれ以上のものはない最高の意義である。

副次的な意義も多くあった。それを箇条書きしてみる。

音楽関係
 音楽の本質は、楽しむことか技術向上か、の考察
 絶対音感がある人と相対音感がある人の比較
 曲の覚え方について、聴いて覚える方法と楽譜を視聴する方法の比較
 楽譜の読み方(音名読み、階名読み、リズム中心メロディーアバウト読み)の比較
 このコーラスがマンネリを感じさせない理由の考察
 時代を越えて歌い継がれる歌の考察
 団員の発声が飛躍的に良くなった時期にめぐり合えた感動
 発声がある時から飛躍的に向上するメカニズムの考察
 暗譜の利点と方法
 階名読みに便利な数字譜の活用法
 リズム感覚をよくする方法
 ライブ録音とCD制作
 ライブ録画とDVD・BD制作
 コーラスイベントのサイト記録の記事制作

ヒューマン・ウォッチング
 同時並列処理可能人間(聖徳太子型人間)の観察と分析
 老年期の生き方とコーラスとの関係


5.ミュージカル

2010年9月、ミュージカル「らくだのダンス」に、主人公の祖父役で出演した。プロの役者や歌手、ダンサー、オーディションを合格した人たちに混じって、ずぶの素人がただ一人、ミュージカルに参加するというのは非常に珍しいことだと思う。

そのチャンスを与えて下さったのが、ミュージカルの歌唱指導担当の新森先生だった。コーラスに在籍していたお蔭で、この幸運にめぐり合えたわけである。その詳細はミュージカル物語に掲載した。

このミュージカル出演で一番嬉しかったのは、2歳足らずの孫娘が非常に喜んだことで、幾つもの曲を覚えて、歌い踊り、私が歌った「美しき国・美しき人」まで歌うのには呆れてしまった。

ミュージカルで歌ったこの「美しき国・美しき人」を、定期コンサートやその他のコンサートで独唱させていただくことが多く、またかと思われることを覚悟で、先生の指示をお受けしてきた。


6.五代文吾先生

ミュージカル「らくだのダンス」の稽古の段階から、このミュージカルの原作者で、曲目の作詞作曲をされた五代文悟先生とメールを交わしたが、公演が終わったあとも、先生が書かれた小説に関してご相談を受け、感想申し上げたことがあり、先生から「メル友」と呼んでいただき、親しくメール交換を続けた。

もし、ご存命なら、楽しいお話を交わせると思うが、どちらも、終わりを大切に思う生き方の人間で、私は在りし日の思い出にひたるとき、先生と良い時間を過ごせた幸運に感謝する。

コーラスに入団していなければ、このようなことはあり得なかったので、ハートリー合唱団は私にとって大切な存在である。


7.おわりに

コーラス退団を申し出てから、ハートリー合唱団12年のあゆみをまとめ、Webサイトに掲載し、その印刷物を団員の皆様に謹呈した。これには私的な感情をできるだけ避け、公的な記録にしようと努めた。

それに対して、今回の記事は、退団に関係する私的、情緒的な記事であり、興味のない方には、それに目を通すのも時間の無駄と思われるかもしれない内容である。

しかし、それを承知で、私が9年間在籍したハートリー合唱団を退団する理由を記録にまとめた。その間、絶えずパソコンに向かうのだが、遅遅としか進まないまとめであった。

聴力低下の程度が最近急速に増してきた。在団を続けると、ハートリー合唱団の楽しい思い出に傷をつけることになると予想できる。

それを避け、美しいままで残して置きたいのが私の願いである。それを暖かく受け入れて下さった新森先生と団員の皆様に心からお礼を申し上げる。


ハートリー合唱団関連記事一覧


  コンサート 50年ぶりのコーラス発表会<2008.02.03.>
  ・2回目のコーラス・コンサート<2009.03.29.>
    歌とコーラス 第3回コンサートを終えて<2010.03.30.>
    第4回コーラス・コンサート<2012.02.11.>
    メモリアル チャリティー コンサート in 大阪2013<2013.01.14.>
    男声カルテット GNT4 デビュー<14.01.31.><2014.02.09>
    第6回コンサート<2014.03.31.>
    ハートリー合唱団 石巻演奏旅行<2014.08.21.>
    第7回コンサート<2015.03.11.>
    内倉和真・山本真輔 デビュー ライブ<2015.08.09.>
    第8回コンサート<2016.03.11.>
    ハートリー合唱団12年のあゆみ<2016.05.23.>
     
  親睦旅行 冬の伊勢志摩旅行<2012.02.20.>
  冬の出雲・松江旅行 <2013.12.22.>
  晩秋の鳴門旅行 <2016.11.17.>
     


<2016.5.31.>
<2016.11.17.>追加

ホーム > サイトマップ > 音楽 > コーラス・コンサート > コーラスを退団  このページのトップへ