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2007.5

 パッチギ!LOVE&PEACE 「パッチギ!LOVE&PEACE」の画像です

 戦争美化、国家主義的な傾向に対して、家族の愛と平和を対置しようとした、井筒和幸(イヅツ・カズユキ)監督の新作。その意図は理解できるが、この作品は地に足がついていない。散漫な印象が残る。リアリティのない戦争シーンも、かなしい。さまざまな要素を持ち込んでいるが、本当の敵と闘うのではなく、遠回しに示しているだけだ。その意味では、ちゃんとパッチギしているとはいえない。自己満足に終わっている面もある。芸能界の「裏」を描くよりも、危険な傾向を強める日本映画界の現在を、もっと直接的にえぐるべきだったのではないか。

 前作「パッチギ」は、おおらかで暴力的な熱血青春映画で、とにかく面白かった。そして、しっかりとした歴史観に支えられていた。何よりも、熱量が大きかった。「在日」という問題が、在日日本人である自分の存在を問う力を持っていた。


 眉山 「眉山」の画像です

 「金髪の草原」「ジョゼと虎と魚たち」「死に花」「メゾン・ド・ヒミコ」と、シャープで繊細な作品を見せてくれた犬童一心監督。いつも、その果敢さに驚かされる私の大好きな監督だ。さだまさし原作の「眉山」は、母と娘の葛藤と和解を描く。母親・龍子を演じた宮本信子は、10年ぶりの映画出演。気丈で凛とした演技に、思わず引き込まれた。魅力的。さすがだ。娘・咲子役の松嶋菜々子は、好演しているのだろうが、物足りない。医師の寺澤役大沢たかおは、手慣れた演技だが、軽すぎる。

 母親と娘の関係を描くだけでなく、献体というテーマを絡ませたのは、犬童監督らしいが、今ひとつ深みがない。はっとさせられるような、いつもの鋭さがない。阿波踊りのシーンは、無駄が多く、映像にムラがあり、まるで徳島観光映画みたいだった。咲子が阿波踊りの中に入ったまま立ち尽くす場面は非現実的過ぎる。犬童監督は、多作になって、流されているのではないか。とても、心配だ。


 13/ザメッティ 「13/ザメッティ」の画像です

 13人による集団ロシアンルーレット賭博というアイデアだけに頼った、モノクロの低予算フランス映画のようにも見えるが、白黒映画の持つ濃厚な緊張感を、うまく醸し出していると思う。登場人物の背景は、説明されないが、顔つきや仕草で、おおよその察しはつく。屋根の修理で得るわずかな収入で家族を養っていた移民のセバスチャンは、偶然に金持ちたちの危険なゲームに巻き込まれる。いや、自ら飛び込んでいく。そこで行われる集団ロシアンルーレット。それは、格差社会の隠喩である。主演のギオルギ・バブルアニと監督ゲラ・バブルアニは、グルジア出身の兄弟。グルジア語で13の意味を持つ「ザメッティ」という題名に、込められた意味は明らかだ。

 ハリウッドがリメイク権を獲得。ブラッド・ピットやディカプリオなど、トップスターが出演する予定だ。単純なストーリーは、ひねりの利いたものに替えられ、娯楽サスペンス映画になるかもしれない。しかし、この作品の絶望的で、切なく、やるせない質感は、きっと失われるだろう。


 スパイダーマン3 「スパイダーマン3」の画像です

 「スパイダーマン2」は、続編のジンクスを打ち破る快作だった。内容も、感動も、アクションも、ぎゅっと詰まっていた。スパイダーマンは私生活とヒーローの間で悩み、それでも市民とともに、時には市民に助けられて戦っていた。「スパイダーマン3」(サム・ライミ監督)は、さらに内容をギュウギュウ詰めにしている。めくるめくアクションの派手さも倍加した。しかし、あまりにも詰め込みすぎて、展開が速過ぎ、感動は薄まってしまった。復讐と「許し」という、現代に突きつける大きなテーマが、胸に響いてこない。

 スパイダーマンへの憎悪を燃やす敵が3人登場する。ピーターの伯父ベンを殺害した犯人「サンドマン」、死んだ父の復讐に燃え「ニュー・ゴブリン」と化したハリー、ピーターへの激しいライバル心から黒い生命体に支配され「ヴェノム」となるカメラマンのエディ。さらに恋人MJとのすれ違い。これでは、3時間あっても足りない。どれもが、中途半端な展開で終わる。そして、すっかりヒーローになってしまい、市民たちは拍手するばかりで、ともに戦わなくなっている。つまらない。ただ、オープニングタイトルは、シリーズの中で一番好きだ。


 クイーン 「クイーン」の画像です

 1997年8月31日に交通事故で死亡したダイアナ元妃をめぐり揺れ動く英国王室の内実を明らかにしたドラマ「クイーン」(スティーヴン・フリアーズ監督)。ダイアナを称える国民の声は次第に高まり、民間人となっていたダイアナの死にコメントを控えたエリザベス女王に、国民の非難が集まる。ブレア首相は、国民と王室が離れることに危機をいだき、和解に力を注ぐ。人生を捧げてきた国民から怒りをぶつけられた女王の苦悩、葛藤、決断を描く。

 威厳に満ちた英国王室は遠い存在だが、出だしのユーモアあふれる女王の会話で、すっと距離が縮まる。なかなか、うまい演出だ。等身大の女王の心の揺れが伝わってくる。美しい鹿に出会うシーンの涙に、ジンと来た。ヘレン・ミレンの演技を超えた演技は誰もが高く評価するだろう。とりわけ、あの気品は見事だ。

 一方、就任間もない若きブレア首相は、国民との距離を縮めるため、頻繁に女王に進言する。そして、女王の魅力に引き込まれていく。一見、善人のように見えるが、政治家としての計算があることは間違いない。その辺を、もっと匂わせてほしかった。そして、ブレア夫人に「マザコン」と皮肉られたように、母親のような存在になったのかもしれない。

 王室の古さ、政治家の大衆迎合、そして感情的な国民。この作品は、どれからも、しっかりと距離を置いている。しかも、優しさとユーモアがある。それにしても、女王が一人で自分で車を運転し、車が故障し川に取り残されるシーンには驚いた。日本とは警護のレベルが、けた違いだ。そして、この映画を公開できるという点も、日本とは大きな違いだろう。


 バベル 「バベル」の画像です

 監督=アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。製作=スティーヴ・ゴリン、ジョン・キリク、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。脚本=ギジェルモ・アリアガ。撮影=ロドリゴ・プリエト。編集=ダグラス・クライズ、スティーヴン・ミリオン。音楽=グスターボ・サンタオラヤ。リチャード=ブラッド・ピット、スーザン=ケイト・ブランシェット、サンチャゴ=ガエル・ガルシア・ベルナル、ヤスジロー=役所広司、チエコ=菊地凛子、ケンジ=二階堂智、アメリア=アドリアナ・バラーザ、デビー=エル・ファニング、マイク=ネイサン・ギャンブル

 コミュニケーションの壁をテーマにしたアレハンドロ・ゴンザレス監督の「バベル」。時間軸をずらせたスリリングな構成は、完璧とも言える。しかし、あまりに緊密で息苦しくなる。モロッコ、アメリカ、メキシコ、日本、それぞれの場所での不幸な出来事が、交互に描かれながら、やがて関係が見えてくる巧みな展開だ。国、文化、言葉、男女、親子など、さまざまな障害、壁の存在を痛感させられるが、しかし私は監督との間の壁を強く感じていた。それぞれの人、文化は違っている。違っていて対立しているが、しかし確かにつながっている。そう言いたいのだろう。色彩的にも、明確に描き分けられていた。監督の言いたいことは頭では理解できるのだが、映画としては、とても、もどかしい。物語の展開も、腑に落ちない。

 演技が高く評価された菊地凛子。確かに尖った個性、存在感はあるが、演技は直接的すぎてうまいとは思えない。正直、こんな演技で評価されてもという気持ちだ。日本の描き方も、不自然すぎる。ほかの3地域の物語には濃厚な生活感があるが、日本では希薄だ。うつろな都会の群衆、浮ついた遊びが、強調されている。監督には、そう見えるのだろう。ある意味で、鋭い指摘だが、極端な感じは否めない。


 
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