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pinキネマ霊園pin第52回カンヌ映画祭・結果pin掲示板

  宮崎淳作品集 「宮崎淳作品集」の画像です

 まるバ会館で宮崎淳作品集が公開された。「真空氷」(1990年8ミリ映画・24分)「BORDER LAND」(1999年16ミリ映画・15分)「FLIP LIGHT CRUISER」(1998年16ミリ映画・10分)「RAPID FIRE」(1996年ビデオ・10分)「PRASTIC TEAR」(1995年ビデオ・5分)「DESIER」「MOTION PHOTOGRAFFITI」(2000年)。 宮崎淳氏は1988年の卒業製作が第2回イメージフォーラムフェスティバルで大賞を受賞した。現在、東京造形大学非常勤講師。フィルムで試みた多重のイメージを組み合わせる先駆的な映像手法は、今日デジタルフィルムによる標準的なスタイルとして定着している。

 「真空氷」は、炎をモチーフにした作品。イメージフォーラムフェスティバル1991の"エクスペリメンタル・イマジネーション賞"を受賞している。今見ると、丁寧ではあるが、きらめくような才能は伝わってこない。「BORDER LAND」は、時間軸を持った写真という感じ。冷たい映像は確かに綺麗だが、音楽がないので観続けるのがしんどい。「FLIP LIGHT CRUISER」は、都市と女性を描いてとても魅力的。ファッショナブルな映像のつながりに力がある。「RAPID FIRE」も速度に乗った映像のきらめきが美しい。「PRASTIC TEAR」は、危険な香りの短編。唇と有刺鉄線が刺激的だ。「DESIER」はプロモーション・ビデオ。宮崎淳らしいのだが、一般のビデオクリップとしてみても違和感はない。それほど、彼の手法が浸透しているということだろう。「MOTION PHOTOGRAFFITI」は、日記的な写真のコラージュ。手馴れているが、何故か物足りない。満ち足りているからか。


  BLISTER! 「ブリスター!」の画像です

 1999年作品。日本映画。108分。配給=スローラーナー。監督=須賀大観。製作代表=大塚康高、宮川鑛一、星野康二。製作監修=安永義郎、石川博、長澤一史。製作補=福田一平、岸本光司。プロデューサー=藤巻直哉。制作プロデューサー=小椋悟。キャスティングディレクター=石山武彦。ラインプロデューサー=齋藤寛朗。脚本=猪爪慎一。撮影=西久保維宏。照明=赤津淳一。録音・整音=中村淳。音響効果=柴崎憲治(アルカブース)。美術=野尻郁子。キャラクターデザイン監修=小口達也。ヘルバンカー&ヘルポンパー・デザイン=原健一郎。ヘルバンカー・イラスト カラーリング=小川真。クラッシュオブトラッシュ&ジュラシックパンク・デザイン吉沢成友、松村岳男。キウイ・デザイン=大庭晋一朗。フィギュア制作監修=慶田明稔(REDS,INC.)。ユウジ=伊藤英明、麻美=真田麻里美、ハサモド=山崎裕太、キム=櫻田宗久、クミポ=つじしんめい、イルマ=関川陽子、アキオ=大岩サチヲ、レン=PAUL RAUDKEPP、バーのオーナー=今村明宏、H.R.スーン博士=PATRICK MARTIN、ジーン・カルポーナン=MATTHEW MEERSBERGEN、フリーボーン=鮎貝健、フィンク=DENNIS GUN、カンダーク=PATRICK HARLAN、アトレイデス=CLAIRE TANNER、スケクシス=岩永ヒカル、テラダ=大塚明夫


 今年の夕張映画祭で見逃してから、ずっと気になっていた作品。期待を裏切らないハイテンションの映画だった。幻のフィギュア「ヘルバンカー」を探す熱烈なフィギュアフリーク・ユウジとその恋人麻美、そして二人を取り巻くフリークたちの物語。フリークたちの生態をリアルに再現するかのように見せて、実はSFコミックの嘘くさい世界に引き込んでいく。その虚実の揺れがなんとも面白い。フリークの映画だけに細部をとても大切にしながら、大きな虚構を楽しもうという監督の意気込みが、ビシビシ伝わってきた。

 ユウジ役の伊藤英明は、はまり役。『クロスファイア』(金子修介監督)より、ずっといい。コミック「ヘルバンカー」をはじめ、登場するフィギュアは皆オリジナル作品。その力の入れように驚く。エネルギッシュな音楽もメジャーデビュー前の新人たちが参加している。それぞれの分野の若い才能が結集し、ほとんど「おたく」的なこだわりで制作されただけに、その熱気は映像の隅々にまで行き渡り、心地よい感動を運んでくる。掘り出し物のフィギュアをみつけた時のような気持ち。長く記憶されることになる作品だろう。


 HOLLOW MAN  「インビジブル」の画像です

 2000年作品。アメリカ映画。112分。配給=ソニー・ピクチャーズエンタテインメント。製作総指揮=マリオン・ローゼンバーグ。共同製作=ステイシー・ランブレーザー。製作=ダグラス・ウィック、アラン・マーシャル。監督=ポール・バーホーベン(Paul Verhoeven)。脚本=アンドリュー・W・マーロウ。ストーリー=ゲーリー・スコット・トンプソン、アンドリュー・W・マーロウ。音楽=ジェリー・ゴールドスミス。編集=マーク・ゴールドブラットA.C.E.。プロダクション・デザイン=アラン・キャメロン。撮影=ジョスト・バカーノA.S.C.。キャスティング=ハワード・フューアー。衣装=エレン・ミロジェニック。シニア・ビジュアルエフェクツ・スーパーバイザー=スコット・E・アンダーソン。リンダ・マッケイ=エリザベス・シュー(Elisabeth Shue)、セバスチャン・ケイン=ケビン・ベーコン(Kevin Bacon)、マシュー・ケンジントン=ジョシュ・ブローリン、サラ・ケネディ=キム・ディケンズ、カーター・アビー=グレッグ・グランバーグ、フランク・チェイス=ジョーイ・スロトニック、ジャニス・ウォルトン=メアリー・ランドル、クレイマー博士=ウィリアム・ディベイン、隣人女性=ロナ・ミトラ


 前作「スターシップ・トゥルーパーズ」のいかがわしさについては、批判的な批評を書いたが、その毒の強さは認めた。新作「インビジブル」は、最新のCGを駆使した透明人間への変化の映像に寄り掛かった駄作。コメディ化しがちな透明人間ものに恐怖を持ち込もうという狙いは、見事に外れた。最初のこけおどしのシーンからして志が低い。透明人間になることで、潜在的な暴力が目覚めるという設定もリアリティが薄い。さらに、性的描写が意外に控えめ。最後は、ハリウッドお決まりのアクションシーンで、めでたしめでたし。どこにポール・バーホーベンらしい悪意があるのか。「ショーガール」のラズベリー賞には異義があったが、今回は文句なく推薦したい。ただし、ジェリー・ゴールドスミスの音楽はかなり気合いが入っている。

 見せ場は、透明化したゴリラの可視化、そしてケビン・ベーコン扮するセバスチャン・ケインの透明化と、可視化の失敗。皮膚が消え、うごめく内臓がむき出しになり、やかて骨だけになる。10年前なら驚いただろうCGも、今では迫力不足。「ハムナプトラ」(スティーブン・ソマーズ監督)のミイラの復活シーンの方が、まだ印象的だった。考えてみると、内臓から透明化して皮膚は最後に透明化するはず。皮膚から順に透明化するというシーンは、見せ物小屋の発想だ。ただ、恋人同士だったセバスチャンとリンダが、心の葛藤もなく殺し合うのを見て、バーホーベン監督の病んだ心が透けて見える気がした。


 ゴダールの映画史 「ジャン=リュック・ゴダールの映画史」の画像です

 1988年-1998年作品。フランス映画。全8章、268分。第1章=1A「すべての歴史」 (51分)、第2章=1B「ただ一つの歴史」 (42分) 、第3章=2A「映画だけが」 (27分) 、第4章=2B「命がけの美」(29分)、第5章=3A「絶対の貨幣」(27分)、第6章=3B「新たな波」 (27分)、第7章=4A「宇宙のコントロール」 (28分)、第8章=4B「徴(しるし)は至る所に」 (37分)。配給=フランス映画社、バウ・シリーズ作品。

 監督・編集=ジャン=リュック・ゴダール。日本語字幕<映画史翻訳集団2000>松岡葉子、武田潔、堀潤之、橋 本一径、ベルナール・エイゼンシッツ、アンドリュー・リトヴァク、蓮 實重彦、浅田彰、山田宏一、奥村昭夫、小沼純一、藤原えりみ、細川 晋、野谷文昭、桜井美奈、金谷重朗、吉岡芳子、冨田三起子、高水美佐、竹内紀子、川喜多和子、柴田駿。 出演・声=ゴダール、ジュリー・デルピー、サビーヌ・アゼマ、アラン・キュニー、ジュリエット・ビノーシュ、セルジュ・ダネー、ジャン= ピエール・ゴス、アンヌ=マリー・ミエヴィル、アンドレ・マルロー、パウル・ツェラン、エズラ・パウンド


 ゴダールが20年の歳月を注ぎ込んだライフワーク。蓮實重彦氏が「20世紀が後世に誇れる何かがあるとしたら、とりあえずはゴダールの『映 画 史』しかないと自信をもって言える時が必ず来ると思う」とまで言っていた作品。大きな期待とともに不安も感じていた。第1章。「何も変えるな、すべてが変わるために」というブレッソンの言葉と「戻るは大事業、大難事」という詩人ウェリギリウスの言葉が浮かぶ。そしてヒッチコック「裏窓」のジェームズ・スチュワートが望遠鏡をのぞきこむシーンのクローズアップが続き、おびただしい映像が次々と重なる。音楽が、言葉が土砂降りのように降り注ぐ。とても、ついていけない。断片から断片へとつながる意味を考える間もなく変化する映像に打ちのめされた。

 しかし、第1章、第2章の苦行を通過すると、展開はかなり分りやすくなる。ジュリー・デルピーがボードレールを読むシーンでほっとする。そして、意味を言語化するのではなく、映像の変化に無心で身をまかせる面白さを知り始める。性と死をテーマとする映像の連鎖、サラエボの悲劇を批判する声から「無防備都市」などのイタリア映画へ、ヒッチコックへの率直なオマージュ。見なれたシーンの間にいかがわしい映像が紛れ込み、唐突に政治と映画がシンクロする快楽。思わぬ切り口から映画の歴史が示される。それは、通常の映像による歴史記述ではなく、映像的に編集された歴史、映像的な思考への誘いでもある。そう考えると、かえって言葉に頼り過ぎるゴダールが気になり始める。視野の狭さという限界も見えてくる。

 ゴダールが切り開こうとした映画史の可能性を、さらに広げられるのではないかという気持ちになる。誰もが映像を編集することが可能な時代になったのだから。映画の裾野はもっと広く、編集の仕方はもっと深い。ゴダールがたえず自分に引き付けて映画を語ったように、誰もが映像とともに自分を表すことができる。 そんな思考へと駆り立てる力が、この作品には充満している。浅田彰氏が言っているように「それを体験し、そこからどれだけ生産的な反響を引き出させるかが、われわれに問われている」のだろう。


 X-MEN 「X-MEN」の画像です

 2000年度作品/アメリカ映画。104分。配給=20世紀フォックス。監督=ブライアン・シンガー(Bryan Singer)。製作=ローレン・シュラー・ドナー、ラルフ・ウィンター。ストーリー=トム・デサント、ブライアン・シンガー。脚本=デイビッド・ハイター。製作総指揮=アヴィ・アラド、スタン・リー、リチャード・ドナー 、トム・デサント。撮影=ニュートン・トーマス・シーゲル。プロダクションデザイナー=ジョン・マイヤー。編集=スティーブン・ローゼンブラム、ケビン・スティット、ジョン・ライト、A.C.E.。共同製作=ジョエル・サイモン、ウィリアム・S・トッドマン、JR.。視覚効果スーパーバイザー=マイケル・フィンク。特殊メーキャップ・デザイン=ゴードン・スミス。音楽=マイケル・ケイメン。衣裳デザイナー=ルイース・ミンゲンバック。ローガン/ウルヴァリン=ヒュー・ジャックマン、エグゼビア=パトリック・スチュワート、アグニートー=イアン・マッケラン、ジーン・グレイ=ファムケ・ヤンセン、サイクロップス=ジェームズ・マーズデン、ストーム=ハル・ベリー、ローグ=アンナ・パキン、セイバートゥース=タイラー・メイン、トード=レイ・パーク、ミスティーク=レベッカ・ローミン=ステイモス(Rebecca Romijn-Stamos)、ケリー上院議員=ブルース・デイビソン、ヘンリー・ガイリッチ=マシュー・シャープ、アグニートーの少年時代=ブレット・モリス、マグニートーの母親=ロナ・シェクター、マグニートーの父親=ケネス・マクグレガー、ローグのボーイフレンド=シャーン・ロバーツ、ローグの母親=ドナ・グッドハンド、ローグの父親=ジョン・E・ネルズ、トラッカー=ジョージ・ブザ


 ベストセラー・コミックの映画化。ブライアン・シンガー監督は、冒頭で差別・隔離・抹殺の象徴であるアウシュビッツの場面を置くことで、ミュータントと人間の共存についての思索を促そうとしているかのようだ。ミュータント集団が人類との主戦派と共存派に分かれて闘うという悲劇的な枠組みよりも、触れた人の生命力や能力を奪う「力」に悩むローグの姿が痛々しい。他者と関係をもつ事を恐れる思春期の怯えともつながり、その苦しみが伝わってくる。社会派的な展開に続いて戦闘が始まるが、ハリウッドの大袈裟なアクションシーンを見なれた目には、やや地味に見えた。ただ、さりげない場面での心憎いCGには、にやりとさせられた。

 キャスティングは、めりはりがあって面白い。パトリック・スチュワートとイアン・マッケランの老練な演技とともに、アンナ・パキン、ファムケ・ヤンセン、ヒュー・ジャックマンらが魅力的に演じている。ミュータントたち、それぞれの個性も自然に描き分けられているが、レベッカ・ローミン=ステイモスが演じたミスティークだけは、冷徹さ以外の性格がそぎ落とされている。見事なプロポーションは印象に残るものの、人物像は空虚だった。


 五条霊戦記 「五条霊戦記」の画像です

 2000年作品。日本映画。137分。配給=東宝。 プロデューサー=仙頭武則。監督=石井聰亙。脚本=中島吾郎、石井聰亙。撮影監督=渡部眞。美術監督=磯見俊裕。音楽=小野川浩幸。ラインプロデューサー=小野川浩幸。助監督=藤江義正。ロケーション統括=中村哲也。ガファー=和田雄二。録音=小原善哉。衣裳=二宮義夫。殺陣=中瀬博文。編集=掛須秀一(J.S.E.)。ビジュアルエフェクトスーパーバイザー=古賀信明。ポストプロ・レコーディングミキサー=松本能紀。サウンドエフェクトデザイン=今野康之。遮那王=浅野忠信、鉄吉=永瀬正敏、武蔵坊弁慶=隆大介、平忠則=岸部一徳、朱雀法眼=國村隼、湛塊=船木誠勝、阿闍梨=勅使河原三郎、少進坊=鄭義信、剛人=成田浬、芥子丸=細山田隆人、聖=光石研、朝霧=粟田麗


 源氏の再興を目指して育てられた遮那王(しゃなおう)こと源義経は、山にこもり日々武術、妖術の鍛錬を続け、五条大橋で平家武者を次々と切り「鬼」と恐れられていた。影武者・芥子丸(けしまる)と護衛僧兵・剛人(ごうじん)を連れ、殺戮を繰り返した。修業を続けていた弁慶は「鬼を退治せよ」という啓示を受け、義経を討つために京に戻る。対決を阿闍梨に邪魔されるが、源義経は断食行によって「一切の神仏は無用」と悟り阿闍梨を斬殺、弁慶との闘いに臨む。義経と弁慶の物語を、血なまぐさい濃密なアクション作品に仕上げるという果敢な試み。最後には、力対力のテンションの高い決闘が待っている。

 過剰な暴力を描かせたら、右に出る者がなかった石井聰亙監督。強度に満ちた映像は、ぞくぞくする興奮をもたらした。新作は、たしかに力強いが、かつてのような途方もない逸脱を用意している訳ではない。激しくはあるが、呆れ返るほどのスピードや破壊はない。最後に赤子が出てくるが、石井聰亙らしからぬ平凡さだった。ただ、浅野忠信の氷のように冷え冷えとした鋭さが、隆大介の熱い重さと対照的で、不思議な魅力となっていた。鉄吉役の永瀬正敏も、相変わらずうまい。


 新しい神様 「新しい神様」の画像です

  1999年作品。日本映画。99分。 配給=アップリンク、VlDEO ACT。監督・脚本・録音・編集=土屋豊。撮影=雨宮処凛、伊藤秀人、土屋豊。出演=雨宮処凛、伊藤秀人、土屋豊、木村三浩、塩見孝也、若林盛亮


 民族派パンクバンド「維新赤誠塾」のメンバー雨宮処凛と伊藤秀人を追った反天皇主義の土屋豊監督の作品。元赤軍派議長・塩見孝也の誘いで北朝鮮を訪問し、「よど号」事件のメンバーに出会うなど、貴重な映像があるものの、この作品は右翼、左翼をめぐるドキュメンタリーとはいえない。雨宮処凛に個人的な関心を持った監督が、彼女にカメラを渡し、彼女がレンズを通して監督の向けて真情を告白する映像が大半を占め、やがて彼女も監督に好意を抱き始める。最後に監督自身が彼女への愛を表明する。映画制作を通じて急接近する二人の関係を記録した恋愛作品といった方が、いいだろう。

 「天皇陛下、万歳!」と叫ぶパンクバンド、北朝鮮の映像記録、一水会の会合、雨宮処凛、伊藤秀人、土屋豊による宴会(?)とさまざまな映像で構成されているが、圧倒的に面白いのは雨宮処凛のユーモラスなほどに率直な告白だ。酷いいじめに会い、自己嫌悪から自殺未遂を繰り返していた彼女は、鮮やかな生き方を示す民族派に出会い、救われる。切実な選択をした自分を巧みに相対化しながら、そのときどきの気持ちを語りかける彼女の表情が魅力的。ただ、それが監督個人に向けたものであることに気がつくと複雑な思いにとらわれる。

 彼女は、カメラに語りかけながら、民族派の思想から、少しずつ自律し始めているように感じる。しかし監督との恋愛が代替しているのかもしれない。彼女が求めていたのは、依存だからだ。だが彼女は依存から抜け出そうという欲望も持っている。この辺の微妙な揺れが、この作品を貴重なものにしている。いずれにしても、彼女以外の映像を大胆に刈り込むことで、ポップな作品になった。その点を物足りなく感じる人はいるだろうが。


 MIX2000ムービーショーケース 

 クリエイティブ・カンファレンス 

「MIX2000ムービーショーケース&クリエイティブ・カンファレンス」の画像です

  MIX2000ムービーショーケース&クリエイティブ・カンファレンスが、10月5、6の両日、札幌のジャスマックプラザ・ガイアで開かれた。

5日のムービーショーケースは、「第3回インディーズ・ムービーフェスティバル」の短編入選作18作品を一挙公開。クリエイティブ・カンファレンスでは、セッション1「日本映画、21世紀の戦略(若手監督、映画制作会社に聞く)」と題してBUGの佐々木邦俊氏がモデレーターを務め、 早川 渉(映画監督)、佐々木昭雄(カルチャー・コーディネーター)、 橋本申ニ(スタイリスト、インディーズムービーフェスティバル・ディレクター)の3氏がパネラーとして、意見を述べた。セッション2「ショート&インディーズが変える新しい映像スタイルと新市場」では、久保俊哉氏(マーヴェリック・クリエイディブ・ワークス代表)がモデレーター、西村秀雄(インディーズ・ムービープロジェクト実行委員会代表)、高橋敬子(アメリカンショートショート実行委員プロデューサー)、アンドリュー・トーマス(映像ディレクター)の3氏がパネラーとして参加、今後の可能性について意見交換した。


「第3回インディーズ・ムービーフェスティバル短編入選作」
  【Part1】「e-st@rt」(15分、新井 澄司監督)は、近未来アンドロイドもの。手作りで未来のせつなさを表現しようと努力しているが、少し無理が目立つ。「Syo SyoN 〜ショション〜」(11分、野口 康一監督)は、銃への志向が露な17歳の生々しい感性が、お笑いすれすれの映像を切実なものにしている。「駒奴―コマンド―」(12分、西田 啓太監督)は、だじゃれ的なアイデアを最大限に膨らませた力強い怪作。将棋ギャグで笑いをとる才能は貴重だ。一押し。「BOX」(13分、元川 達也監督)は、観覧車の中に大金があったらという設定。時間差攻撃が生きていない。

 【 Part2】「いずれ得る光」(15分、後藤 紀幸監督)は、とても力が入っている。ここにも銃弾が出てくる。見えない敵との闘い。しかし、緊迫感が伝わっていない。「Quiet Landing」(12分、大西 悟監督)の自分探しの映像はリリカルで気持ちが良い。やや一本調子ではあるが、静止画を取り込んだ映像センスは高く評価できる。「オ・ハ・ヨ」(13分、岩松 顯監督)の心象風景はストレートに響いてくる。孤独、ギャグ、暴力、空騒ぎ。現代を描く一つの手法だろう。

 【Part3】「あの向こう側へ」(18分、谷 大将監督)は、野菜に目とまゆをつけただけのあまりにも素朴なアニメ。しかし、哲学的な領域にまで踏み込んでいく脚本力はあなどれない。どんな展開になるのかと引き込まれた。切れの良いオチを期待したが、ラストは弱い。「手と卵」(15分、那賀島 康晃監督)は、とぼけた味わいの粘土アニメーション。男性の鬱屈感を表現しようとしたのだろうが、構成力のレベルが低すぎる。「摩訶不思議」(10分、坂本 サク監督)は、貪欲に表現可能性を探ったCGアニメーション。華やかさがある。やや統一感に欠けるが、小さくまとまっていない点に、むしろ将来性を感じる。

 【Part4】「逢いたくて」(13分、五藤 利弘監督)は、ストーリーが臭すぎて好きになれない。「ころし日和」(19分、山口 雄大監督)は、見る者を引き付けるコツを身に着けている。ブラックなユーモアの連続技は一段抜きん出ている。「夢みるユカタン」(8分、細野 牧郎監督)は、インディーズのパワーはあるものの悪いところにはまってしまった。何故入選したのか疑問。「無限の力 〜INFINITE POWER〜」(10分、小久保 美乃亜監督)は、中学校の文化祭のために製作したもの。しかし驚くほど良く出来ている。ストーリーのオリジナリティは置くとしても、カメラアングルの的確さには舌を巻く。

 【Part5】「匂う女」(15分、奥村 悠気監督)は、着眼点は良かったし、男優の熱演は認めるが、アイデアを生かし切る前に終ってしまった。「PORTRAIT」(13分、小山 寛史監督)は、心中を試みたものの女性が生き残り、死んだ男性の写真が「早く死ね」と迫る。ラストも含めて良くある話。「海底の雫」(10分、後藤 紀幸監督)は、美しい題名には似つかわしくない駄作。「にこにこ女」(10分、岡本 泰之監督)は、題名からは想像できない世界へと飛躍する。小気味のいいブラック・コメディ。CGの出来も及第点だ。


6日のショーケース-「Onedotzero」など
  6日のショーケースは多彩。まず「サッポロ・インディーズ・ムービー」と 東京の 「インディーズ・ショート」を対比する面白い試み。「Moment」(関原裕司監督)はお馴染み。ピコグラフ作品集は「都市生活者」「のるかそるか」「TIGHTROPE」「家裁くん」の4作。「都市生活者」のセンスが傑出している。「並木道」(小野寺圭介監督 )は、照れずに叙情に徹する姿勢が清清しい。「砂」(長沼里奈監督)。冷たく落ち着かない、もどかしい作品。その他「アルバイト北海道」のCM作品が紹介された。

 東京からは個性的な4作品を紹介。「爆弾娘の憂鬱〜恋の放射能〜」(小林エリカ監督)は、核爆弾の少女が主人公。もっとも否定されている存在を主人公し、彼女が恋するという展開。しかし、普通の生き物は放射能ですぐに死んでしまう。ブラックで可愛らしくて不気味なミュージカル・アニメーション。丈和の音楽も効果的。「抜く女」(フカサワカズヒロ監督)は、わざと汚く撮っている。あえて下品さを狙ったギャグ。「モロヘイヤWAR予告編」(蔭山 周監督)は、戦闘シーンが続くものの、監督は内向きな気がする。「サッポロ」(清水史郎監督)は、考えるだけでなく実践した勇気は認めるが下品なだけの悪ふざけ。札幌は仮想されたリリシズムに傾き、東京は痛々しいギャグにのめり込んでいる。共通の孤独を抱えながら、やがて出会うことになるのだろうか。

 「CGアニメーション」は、4パーツ。「しょんべん公園」(塩畑泰男監督)は、ほんのお披露目程度。完成が待たれる。プロダクションI.G.制作の「DIGITALS」、「Little Terra」(Wilson Tang監督 )に続いて「ill」(gooddy監督)が上映された。センスの良い質感のCG。男性の動きがうまい。血の表現も秀抜。女性にもっと表情があると、さらに完成度が増しただろう。

  注目の 『Onedotzero - "Wow & Flutter" program』(約80分)は、日本初公開。1「B-Creatures extract」(Butler Bros監督)、2「Hell for Leather」(Andy Martin監督)、3「Two Squares 」(Dylan Kendle監督)、4「3space」(Alex Rutterford監督)、5「Most Photos」(Robert Le Merle , Kate Rodgers監督)、6「Music for 18 Musicians / Steve Reich」(Jeremy Hollister監督)、7「 Salaryman」(Jake Knight監督)、8「Snack & Drink」( Sabiston & Pallotta監督)、9「Tourist 」(Spin監督)、10「Slammer」(D-Fuse監督)、11「Untitled 」(Crooked監督)、12 「Consumer cultures / Tongue 」(Stephen Wolstenholme監督)、13「July + My Chocolate Bar」(Nick@tomato監督)、14 「Tokyo Fish Market 」(John Warwicker@tomato監督)、15「Thumbnail Express」(The Light Surgeons監督)、16「Virgin Conference films 」(Why Not Associates監督)、17 「Giovanni and Dusty + Tel Aviv City Symphony」(Grant Gee監督)、18「I Never Said It Was For Ever」(Honey Brothers監督)、19 「Jubilee Line」(Tim Hope監督)と、いずれも個性があるが、「Tokyo Fish Market 」と「Jubilee Line」が、とりわけ印象に残った。

  『アメリカンショートショート』は傑作セレクト。「The Light of Darkness」(Michael Cargile監督)、「More」(Mark Osborne監督)、「Elevator World」(Mitchel Rose監督)の3作はすでに見ていた。「Herd」(Mike Mitchell監督)は、へたうま風のSF。ちょっと「マーズ・アタック!」(ティム・バートン監督)を連想させる悪ふざけ、いじわるさだった。


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