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 ラヴァーズ・キス  「ラヴァーズ・キス」の画像です

 2002年作品。日本映画。114分。配給=東北新社。製作=植田文郎、藤原正道。企画=山下暇人、斎春雄、原田宗一郎。プロデューサー=山川恵一、村田祐一、岡田和則。原作=吉田秋生(よしだ・あきみ)小学館「フラワーコミックス」。監督=及川中。脚本=後藤法子、及川中。撮影=長谷川元吉。照明=高坂俊秀。美術=尾関龍生。編集=阿部亙英。録音=鶴巻仁。里伽子=平山綾、依里子=宮崎あおい、高尾=石垣佑磨、朋章=成宮寛貴、篤志=阿部進之介、美樹=市川実日子、美佐子=西田尚美、朋章の母=青山知可子


 吉田秋生の漫画が映画化された。鎌倉を舞台に6人の高校生の交錯した恋愛を描いた作品。高校生という微妙な時期のひりひりする一途な思いと心の揺らぎをすくいとっている。同性愛や性的なトラウマという深刻なテーマが流れているものの、最後は晴れ晴れとした印象を残す。たおやかな青春映画だ。

 難しい役を演じなければならなかった主役の平山綾、成宮寛貴には堅さが目立ち、やや荷が重すぎた。それでも、今後の成長に期待が持てる。温かな目で見ていよう。宮崎あおいは、役を的確に把握する才能を発揮している。市川実日子の成長がめざましい。西田尚美も、余裕の演技をみせる。


 アカルイミライ  「アカルイミライ」の画像です

 2002年作品。日本映画。115分。配給=アップリンク。監督・脚本・編集=黒沢清。製作=浅井隆、小田原雅文、酒匂暢彦/高原建二。撮影=柴主高秀(J.S.C.)。美術=原田恭明。衣装=北村道子。ビジュアルエフェクト=浅野秀二。仁村雄二=オダギリジョー、有田守=浅野忠信、有田真一郎=藤竜也、弁護士=りょう、藤原=笹野高史 、藤原の妻=白石マル美


 幅広い映像的な試みを楽しめた点は評価するが、黒沢清監督の作品としては、どうにも分かりやすすぎる。いつも、人間の得体のしれなさを描き、その状況に置き去りにされるラストに衝撃を受けてきたが、今回は妙に明るく終わっている。増殖するクラゲの暗喩も直接的だ。北村道子の衣装は独創的だったが、最後の高校生たちが着ているチェ・ゲバラのTシャツは、ぶち壊しだった。ゲバラを反抗のシンポルにしようという安易な選択。すっかり古い構図に作品を押し込めてしまった。

 有田守が全共闘世代と思われる藤原夫妻を惨殺する展開は、いつもながらの黒沢作品。しかし、分かりやすいメッセージを残して有田守が自殺、父親が登場し、仁村雄二と親密になる物語の流れは、とても浮ついている。特に監督の願いが託されているはずの父親に、リアリティがない。藤竜也には、もっと暴れまわってほしかった。世代間の憎悪は悲しいことだが、それが時代を変えるバネになるのも現実。物わかりの良すぎる大人は、かえって気持ちが悪い。


 黄泉がえり  「黄泉がえり」の画像です

 2002年作品。日本映画。126分。配給=東宝。監督=塩田明彦。脚本=犬童一心(いぬどういつしん)、斉藤ひろし、塩田明彦。原作=梶尾真治(「黄泉がえり」新潮社刊)。監督=塩田明彦。製作=児玉守弘。企画=漢名一哉/神野智。プ□デューサー=平野隆。アソシエイトプロデューサー=下田淳行、久保田修。音楽=千住明。撮影=喜久村徳章。照明=金沢正夫。美術=新田隆之。録音=細井正次。VFXプロデューサー=浅野秀二。編集=菊池純一。川田平太(かわたへいた)=草なぎ剛、橘葵(たちばなあおい)=竹内結子、玲子=石田ゆり子、周平=哀川翔、中島英也=山本圭壱(極楽とんぼ)、中島優一=東新良和、山田克典=市原隼人、森下直美=長澤まさみ、齊藤医師=田中邦衛、齊藤医師の妻=忍足亜希子、幸子=伊東美咲、RUI=柴咲コウ、SAKU=村井克行、内藤サキ=北林谷栄、医師=田辺誠一


 繊細にして大胆な映像表現で、見る者の心をわしづかみにする気鋭の監督のアイドル映画。その過酷な条件の下で、見事に監督の持ち味を発揮している。ストーリーを単純化せず、ラブストーリーと群集劇の中間を狙う野心的な試み。ひとつ一つの短い限られたシーンは良く考えられている。主人公たちは最後まで手を握ることもせず、触れ合いは殴り合っただけというのもすごい。

 意表をついた多彩なキャスティングがとても楽しい。山本圭壱のはまりには、だれしも驚く。草なぎ剛は、とても厚生労働省のエリートには見えないし演技も堅いが、屈折した性格の川田平太としては適役かも。ボーカリストRUI役の柴咲コウは、全く話さないが、その歌声がすべてを表現している。うまい。柴咲コウは俳優としてだけでなく歌手としての才能も十分ある。


 デュラス 愛の最終章  「デュラス 愛の最終章」の画像です

 2001年作品。フランス映画。100分。配給=コムストック。監督・脚本=ジョゼ・ダヤン。製作=アラン・サルドゥ。撮影=キャロリーヌ・シャンプティエ。美術=シルヴィ・フェネック。衣裳デザイナー=ミミ・レンピカ。製作総指揮=クリスティーヌ・ゴズラン 。原作= ヤン・アンドレア。脚本= ジョゼ・ダヤン、ジル・トーラン。撮影= カロリーヌ・シャンプティエ。音楽= アンジェロ・バダラメンティ。  マルグリット・デュラス(Marguerite Duras)=ジャンヌ・モロー(Jeanne Moreau)、ヤン・アンドレア=エーメリック・ドゥマリニー(Aymeric Demarigny)、病室職員=クリスティーヌ・ロラート、看護婦=ソフィー・ミルロン、事務員=ジュスティーヌ・レヴィ、ボーイ=ディディエ・ルスール、大使婦人=タニア・ロペール


 ジャンヌ・モロー久々の主演作が、友人であったマルグリット・デュラスの晩年を描いた作品とは。デュラスとモロー。確固たる意志に支えられた存在感のある二人。この作品は、私にとって特別な意味を持っている。デュラスは66歳、アンドレアは28歳。1980年に二人は出会い、16年間生活を共にする。しかし、映画は、16年間を一夏の思い出のようにさらりとみせる。そしてデュラスは「一人で死なせて」とさらりと死んでいく。

 長い一人暮らしが続き、アルコール依存症に苦しんでいたデュラスにとって、青年との暮らしは奇跡のようであり、それだけに破局を恐れて感情的になり取り乱したりする。しかしヤンはデュラスを支え、晩年の豊かな創作活動を可能にした。モローが話すとデュラスの鋭利な言葉も人間的に響く。表情豊かな熟練のモローに対してエーメリック・ドゥマリニーは自然体で優しさを表現している。シャンソンの名曲が心地よい。


 アレックス  「アレックス」の画像です

 2002年作品。フランス映画。98分。配給=コムストック。監督・脚本・撮影・編集:ギャスパー・ノエ。製作=クリストフ・ロシニョン、リシャール・グランピエール。音楽=トーマ・バンガルター。照明=プノワ・ドゥビー。録音=ジャン=リュック・オディ。美術=アラン・ジョトー。アレックス=モニカ・ベルッチ(Monica Bellucci)、マルキュス=ヴァンサン・カッセル、ピエール=アルベール・デュポンテル、テニア=ジョー・プレスティア、元肉屋=フィリップ・ナオン


 復讐殺人、強姦、パーティ、ラブシーンと、時間が逆回転する展開。「メメント」ほど複雑ではないが、観終わると心にしみる巧みな構成であることが実感できる。始まりの物々しさは、ギャスパー・ノエらしい。人違いの復讐殺人で顔をぐちゃぐちゃになるまで消火器で殴るシーンは、すさまじい強姦後でアレックスの顔がぐちゃぐちゃにされたことと対応していることが分かる。後半に移るとモニカ・ベルッチの美しさが強調される。そのため、ノエお得意のむせ返るような生々しい映像は、控えめになる。

 モニカ・ベルッチの美貌とセクシーな肢体なしには、成立しない作品。恋人と愛し合い、幸せに浸るモニカ・ベルッチの表情が、この物語に切ない余韻を持たせている。それにしても、前作「マレーネ」に続いて容赦なく暴行されるシーンを見せつけられると、役者魂と言うよりも、そういう役を意図的に選んでしまっているようにさえ見えてしまう。だが、こういう役が、見事なインパクトを与えるほどに素晴らしく美しいということなのだろう。


 レッドドラゴン  「レッドドラゴン」の画像です

 2002年作品。アメリカ映画。125分。配給=UIP映画。監督=ブレット・ラトナー。脚色=テッド・タリー。原作=トマス・ハリス。製作=ディノ・デ・ラウレンティス、マーサ・デ・ラウレンティス。製作総指揮=アンドリュー・Z・デイヴィス。撮影=ダンテ・スビノッティ,A.S.C,A.I.C.。プロダクション・デザイナー=クリスティ・ゼア。編集=マーク・ヘルフリッチ,A.C,E.。衣裳=ベッツィ・ヘイマン。音楽=ダニー・エルフマン。ハンニバル・レクター=アンソニー・ホプキンス、ウィル・グレアム=エドワード・ノートン、フランシス・ダラハイド=レイフ・ファインズ、ジャック・クロフォード=ハーヴェイ・カイテル、リーバ・マクレーン=エミリー・ワトソン、モリー・グレアム=メアリ=ルイーズ・パーカー、フレディ・ラウンズ=フィリップ・シーモア・ホフマン、チルトン博士=アンソニー・ヒールド、ロイド・ボウマン=ケン・リュン、バーニー=フランキー・フェイソン、ジョシュ・グレアム=タイラー・パトリック・ジョーンズ


 最初に捜査官ウィル・グレアムとハンニバル・レクターとの対決を持ってきて、大きな山場をみせる。それからの展開は、適度の緊張をはらみながらよどみなく進む。猟奇的な事件とその捜査だが、映像に品があり、キワモノ的なシーンは排除されている。フランシス・ダラハイドは、少年期の虐待によるトラウマがもとで殺人を犯していく。しかし、トラウマと儀式的な連続殺人の間の関係は見えにくい。観客が何となく分かったような気になるだけだ。「羊たちの沈黙」につながるラストシーンは粋。

 エドワード・ノートン、レイフ・ファインズ、エミリー・ワトソン、ハーヴェイ・カイテル、アンソニー・ホプキンスと、個性派の名優たちが顔をそろえる。ドラマに厚みが出るのは当然だろう。レクターから自分と似たところがあると言われる捜査官グレアムを演じたエドワード・ノートンに、もう少し自分と向き合う怯えがほしかった。


 裸足の1500マイル  「裸足の1500マイル」の画像です

 2001年作品。オーストラリア映画。94分。配給=ギャガ・コミュニケーションズ。監督・製作=フィリップ・ノイス。原作=ドリス・ピルギングトン。脚本・製作=クリスティン・オルセン。製作総指揮=ジェレミー・トーマス。撮影監督=クリストファー・ドイル。音楽=ピーター・ガブリエル。モリー=エヴァーリン・サンピ、グレイシー=ローラ・モナガン、デイジー=ティアナ・サンズベリー、ネビル=ケネス・ブラナー、ムードゥ=デビッド・ガルピリル


 「今そこにある危機」「ボーン・コレクター」というハリウッドのヒット作品を手掛けたフィリップ・ノイス監督が、生まれ故郷のオーストラリアに帰り、先住民アボリジニの同化政策という歴史に向き合った作品。強制的に隔離された寄宿舎から母のもとに歩いて戻る少女たちの2400キロの旅。なんと稚内から那覇までの距離だ。

 感動作にありがちな派手な演出を避け、アボリジニの少女3人が故郷へ向かう姿を、淡々と追う。大きな出来事はないが、実話をもとにしているだけに、説得力がある。ただ食べ物を得る苦労があまり描かれないので、90日間、どうやって生き抜いたのかという点でのリアリティがやや弱い。日々の暮らしで得た知恵が生かされたのだと思うが。

 アボリジニの血を引く少女3人の表情の素晴らしさが、この作品全体に希望を与えている。とりわけモリー役のエヴァーリン・サンピの意志的な瞳が印象的。大地とともに生きる人間の尊厳をうたいあげたピーター・ガブリエルの曲が見事だ。電子メールに添付したMP3のファイルを何度も監督と交換しながら生まれたというのも感慨深い。


 
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