ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海 |
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2002年作品。ドイツ映画。45分。配給=東京テアトル、エスピーオー。製作・監督・編集=レニ・リーフェンシュタール(Leni Riefenstahl)。撮影=レニ・リーフェンシュタール、ホルスト・ケットナー(Horst Kettnerl)。音楽=ジョルジオ・モロダー(Giorgio Moroder)。
海の生き物たちは、多彩で鮮やかで、美しい形と動きをみせる。食物連鎖は描かれず、共生関係がさりげなく示される。きれいごとの世界、あえていえば表面的な美の世界だ。だから深い感動はない。ただ、サンゴ礁を保護しなければという彼女の主張には共感できる。しかし、かつて彼女が美しいと感じ撮影したナチスの理想もヌバ族の文化も、ともに失われてしまった。サンゴ礁は、生き残るだろうか。
同時上映された「アフリカへの想い」(2000年/ドイツ/60分、レイ・ミュラー監督)は、30年ぶりにヌバに再会するためスーダンに向かったレニを追ったドキュメンタリー。レイ・ミュラー監督は、3時間におよぶドキュメンタリー「レニ」を1993年に発表している。内戦の危険な状況の中で、彼女はヌバ族と再会するが、多くの人が虐殺され、残ったヌバたちも部族としての文化を失っていた。それでも、わがままなほど前向きな姿勢を崩さないレニ。監督が彼女に向ける質問は、なかなか辛らつだ。
昭和歌謡大全集 |
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2002年作品。日本映画。112分。配給=シネカノン。監督=篠原哲雄。脚本=大森寿美男。原作=村上龍「昭和歌謡大全集」。企画・製作=鈴木光。プロデューサー=藤田義則、原田文宏、渡辺正子。撮影=高瀬比呂志。照明=赤津淳一。美術=小澤秀高。録音=田中靖志。装飾=松本良二。視覚効果=橋本満明。編集深野俊英。スクリプター=皆川悦子。キャスティング=名須川伸吾。音楽=池頼広。音楽プロデューサー=裕木陽。イシハラ=松田龍平、ノブエ=池内博之、ヤノ=斉藤陽一郎、スギヤマ=村田充、カトウ=近藤公園、スギオカ=安藤政信、スズキミドリ=樋口可奈子、ヘンミミドリ=岸本加世子、タケウチミドリ=森尾由美、トミヤマミドリ=細川ふみえ、イワタミドリ=鈴木砂羽、ヤナギモトミドリ=内田春菊、金物屋の店主=原田芳雄、スガコ=市川美和子、サカグチ=古田新太、ヘリコプター操縦士=津田寛治
少年グループもおばさんグループも、抜群の配役だった。こんなに個性的な俳優がそろうとは。樋口可南子、岸本加世子、森尾由美、細川ふみえ、鈴木砂羽、内田春菊というおばさんたちは、すごいパワーをみせつける。とりわけ、岸本加世子のおばさんぶりが見事だった。松田龍平、池内博之、斉藤陽一郎、村田充、近藤公園、安藤政信という少年たちも若さを爆発させている。原田芳雄と市川美和子が、美味しい役を個性的にこなしていた。
ブルース・オールマイティ |
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2003年作品。アメリカ映画。101分。配給=UIP。監督=トム・シャドヤック。製作総指揮=ゲイリー・バーバー、ロジャー・バーンバウム、スティーブ・オーデカーク。原作・脚本=スティーブ・コーレン、マーク・オキーフ。撮影=ディーン・セムラー。編集=スコット・ヒル。音楽=ジョン・デブニー。プロダクション・デザイン=リンダ・デシーナ。衣装デザイン=ジュディ・ラスキン・ハウエル。特殊効果=デヴィッド・ケルシー。ブルース・ノーラン=ジム・キャリー(Jim Carrey)、God=モーガン・フリーマン(Morgan Freeman)、グレース=ジェニファー・アニストン(Jennifer Aniston)、ジャック・ケラー=フィリップ・ベイカー・ホール、デビー=リサ・アン・ウォルター
珍しく長々とあらすじを書いたのは、全然楽しめなかったから。楽しむどころか不快だった。メイン・キャスターになれなかったくらいで神に悪態をつくごう慢さも気にくわないが、そんな人間にパワーを与える神のいいかげんさも気にくわない。パワーを乱用して地球環境が悪化し、暴動が起こるが、ラブストーリーのお膳立てに過ぎない。改心して善人になるというラストも気に入らない。自己中心的なのは、ブルースではなく、アメリカそのものだということが、ずっと頭から離れなかった。
「北海道映像の新世代」 シンポジウム |
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「北海道映像の新世代」シンポジウムが、11月15日にEDiTで行われた。パネラーは島田英二、アラキマサヒト、長沼里奈、菊池玄摩、柏尾和直、村田雄一、河原大の7監督。まず島田英二、アラキマサヒトの両監督が、MAX CORE ROOM PROJECTなどでの豊富な製作経験を話した。長沼里奈監督は最小限の人数で制作していた世界から「丹青な庭」で大勢での制作を体験し、両者を比較して「両極端だった。友人と二人で撮っていたので、それまでは脚本もなかった。『丹青な庭』では絵コンテを書き、ちゃんと説明しなければならなかった。ギャップがあった」と感想を話した。
菊池玄摩、柏尾和直両監督は、ともに学生。美術の分野で映像表現をしている。菊池玄摩監督は「音楽と映像が対等の空間をつくる。フイルムの映像の歴史を継承しながら、デジタルの新しい可能性を開きたい。今までに見たことのない音と映像、より美しいものに関心がある。まだ未開拓の分野がある」と挑戦的に説明。一方、柏尾和直監督は「技術的なすごさではなく、コンセプト、テーマをどう伝えていくかが重要」と、順当な解説。
村田雄一監督は友人のドキュメンタリーを撮影した感想を、河原大監督は個人でアニメーションを制作できるようになった環境の変化を説明した。パネラーは、一様に今回の企画(北海道にゆかりのある49人の新進作家と15人のベテラン作家の作品の連続上映)を評価。来年以降も継続することを求めていた。今回は、横断的な連携による企画の斬新さから、プログラムによっては入れない人が出るほど多くの人が集まった。しかし、各プログラムがあまりにもふぞろいで、一部の進行がもたつき、今後に課題を残した。
死ぬまでにしたい10のこと |
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2002年作品。スペイン・カナダ合作。106分。配給=松竹。監督・脚本=イザベル・コヘット。原案=“Pretending the Bed is a Raft”(Nanci Kincaid 著)。エグゼクティブ・プロデューサー=ペドロ・アルモドバル、アウグスティン・アルモドバル、オグデン・ガヴァンスキ。プロデューサー=エステル・ガルシア、ゴードン・マクレナン。U.S.キャスティング=ハイディ・レヴィット、モニカ・ミッケルセン。撮影=ジャン・クロード・ラリュー。編集=リサ・ジェーン・ロビンソン。音楽=アルフォンソ・デ・ヴィラロンガ。美術=キャロル・ラヴァレー。衣裳デザイン=カティア・スタノ。アン=サラ・ポーリー、リー=マーク・ラファロ、ドン=スコット・スピードマン、隣のアン=レオノール・ワトリング、アンの母=デボラ・ハリー、ローリー=アマンダ・プラマー、美容師=マリア・デ・メディロス、アンの父=アルフレッド・モリーナ、トンプソン医師=ジュリアン・リチングズ、ペニー=ジェシカ・アムリー、パッツィー=ケーニャ・ジョー・ケネディ
10のリストの内容が、なかなか考えさせる。
●死ぬまでにしたい10のこと
1.娘たちに毎日「愛してる」と言う。
2.娘たちの気に入る新しいママを見つける。
3.娘たちが18歳になるまで毎年贈る誕生日のメッセージを録音する。
4.家族でビーチへ行く。
5.好きなだけお酒とタバコを楽しむ。
6.思っていることを話す。
7.夫以外の男の人とつきあってみる。
8.誰かが私と恋に落ちるよう誘惑する。
9.刑務所にいるパパに会いに行く。
10.爪とヘアスタイルを変える。
「夫以外の男の人とつきあってみる」「誰かが私と恋に落ちるよう誘惑する」「好きなだけお酒とタバコを楽しむ」といった刹那主義的な自己中心的な欲望のほか、父親や娘や夫に対する配慮もある。女であり、母であり妻であり、子である多面的な感情がにじみ出ている。
主人公は、自分が末期の病気であることを悟られることなく、一つひとつを淡々と実行していく。そして、目的は確実に達成され、周りの人たちに思い出を残す。アンの一生は見事に締めくくられる。なかなか、こう上手くはいかないだろう。その意味では、人生の最後の理想を描いたファンタジーだといえる。「My Life Without Me」。 アンが死の恐怖に泣き叫ぶシーンやアンの死を悲しむ家族や恋人のシーンがないのは、そのせいなのだろう。
マトリックス レボリューションズ |
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2003年作品。アメリカ映画。129分。配給=ワーナー・ブラザーズ映画。製作=ジョエル・シルバー 。脚本・監督・製作総指揮=ウォシャウスキー兄弟 (Andy Wachowski&Larry Wachowski)。製作総指揮=グラント・ヒル、ブルース・バーマン 。撮影=ビル・ポープ, A.S.C. 。美術=オーウィン・パタソン 。編集=ザック・ステインバーグ, A.C.E. 。音楽・指揮=ドン・デイビス 。視覚効果監修=ジョン・ゲイター 。衣装=キム・バリット 。ファイト・コレオグラファー=ユアン・ウーピン 。音響・サウンド・エディター監修=デーン・A・デイビス, MPSE。ネオ=キアヌ・リーブス(Keanu Reeves) 、モーフィアス=ローレンス・フィッシュバーン 、トリニティー=キャリー=アン・モス(Carrie-Anne Moss) 、エージェント・スミス=ヒューゴ・ウィービング 、ナイオビ=ジャダ・ピンケット・スミス 、パーセフォニー=モニカ・ベルッチ (Monica Bellucci)、セラフ=コリン・チャウ 、ジー=ノーナ・ゲイ 、ロック司令官=ハリー・レニックス 、リンク=ハロルド・ペリノー 、メロビンジアン=ランバート・ウィルソン 、ゴースト=アンソニー・ウォン 、ラマ=バーナード・ホワイト 、ベイン=イアン・ブリス 、サティー=タンビーア・アトウォル 、トレインマン=ブルース・スペンス 、予言者(オラクル)=メアリー・アリス 、ミフネ=ナサニエル・リーズ 、キッド=クレイトン・ワトソン
3部作のうちで、最も制作費を注ぎ込んだと思うが、最も魅力に乏しい出来だった。「始まりが あるものには すべて 終わりがある」という宣伝文句が、やけにうつろに響く。複雑に絡まった謎は、何も明かされていない。龍頭蛇尾という言葉は、このシリーズのためにある言葉だ。すべての謎は、今後発売されるゲームへと持ち越されるのだろうか。
“アイデンティティー” |
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2003年作品。アメリカ映画。90分。配給=ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント。監督=ジェームズ・マンゴールド。製作=キャシー・コンラッド。製作総指揮=スチュアート・ベッサー。撮影監督=フェドン・パラマイケルASC。映像編集=デビッド・ブレナーA.C.E.。衣装デザイナー=エイリアン・フィリップス。作曲家=アラン・シルヴェストリ。脚本家=マイケル・クーニー。美術監督=マーク・フリードバーグ。エド=ジョン・キューザック、ローズ=レイ・リオッタ、キャロライン・スザンヌ=レベッカ・デモーネ、パリス=アマンダ・ビート、ラリー=ジョン・ホークス、医師=アルフレッド・モリーナ、ジニー=クレア・デュヴァル、ルー=ウィリアム・スコット、マルコム・リバース=プルイット・テイラー・ヴィンス、ジョージ=ジョン・マッギンリー、ロバート=ジェイク・ビュシー
次々に緊張を強いる展開。片時も気が抜けない。終始重苦しい。やがて現実の出来事にしてはおかしな点が目立ち始める。しかし緊張の糸は切れない。ラストに明るさが見えた時が、注意。悪意のある結末が届けられる。意図的にヒントを散りばめ、細部の種明かしをするかに見せて、大きな謎を隠す見事な技だ。だまされてみてほしい。
マグダレンの祈り |
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2002年作品。イギリス・アイルランド合作。118分。配給=アミューズピクチャーズ。監督・脚本=ピーター・ミュラン。製作=フランシス・ヒグソン。共同プロデューサー=アラン・J・ウィリー・ワンズ。エグゼクティブ・プロデューサー=エド・ギニー、ポール・トリビッツ。撮影=ナイジェル・ウィロウビー。美術=マーク・リーズ。編集=コリン・モニー。音楽(作曲・指揮・編曲)=クレイグ・アームストロング。衣装=トリシャ・ビガー。キャスティング・ディレクター=レニー・ミュラン。バーナデット=ノーラ=ジェーン・ヌーン、マーガレット=アンヌ=マリー・ダフ、ローズ(パトリシア)=ドロシー・ダフィ、シスター・ブリジット=ジェラルディン・マクイーワン、クリスピーナ=アイリーン・ウォルシュ、シスター・ジュード=フランシス・ヒーリー、シスター・クレメンタイン=エイシン・マクギネス、シスター・オーガスタ=フィリス・マクマホン、ウーナ=メアリー・ミューレイ、ケーティ=ブリッタ・スミス、イーモン=イーモン・オーウェンズ、子ども時代のイーモン=カラン・オーウェンズ、ブレンダン=クリス・シンプソン、フィッツロイ神父=ダニエル・コステロ、ケヴィン=ショーン・マクドナー
レイプの被害者や未婚の母が、堕落したとしてマグダレン修道院に連れてこられた。その酷い実態を知らされていなかったとは言え、世間体ばかりを気にする家族の冷たさが何ともやりきれない。物語は自分を見失わなかった3人の少女を中心に描かれる。
半面クリスピーナは、神父にもてあそばれた末、精神病院に強制入院させられ、拒食症で死亡する。その悲惨な境遇を、アイリーン・ウォルシュが熱演している。脱出に成功した少女たちに希望を見るとともに、多くの悲劇がクリスピーナの姿に象徴され、いたたまれない気持ちになった。加害者の修道女の内面を探っていれば、より見ごたえのある作品に仕上がっただろう。
福耳−FUKUMIMI− |
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2003年作品。日本映画。110分。配給=アルゴ・ピクチャーズ+シネマ・クロッキオ。プロデューサー=岡田裕(アルゴ・ピクチャーズ)、高橋洋(エックスヴィン)。監督=瀧川治水(たきがわ・ちすい)。脚本=冨川元文。撮影=栢野直樹。照明=矢部一男。録音=山田均。美術=山崎輝。編集=上野聡一。視覚効果=松本肇。音楽=大谷幸。里中高志=宮藤官九郎、藤原富士郎=田中邦衛、信長珪=高野志穂、神崎千鳥=司葉子、緑川貫太郎=坂上二郎、小林嘉孝=谷啓、大島良子=横山通乃、小林敦子=弓恵子、藤掛幸治=多々良純、赤津茜=千石規子、井上五郎=宝田明
シニア向け高級マンションに住む高齢者たちを描いているが、各人の設定は、かなり嘘くさい。しかし、司葉子、坂上二郎、谷啓、多々良純、千石規子、宝田明といった超ベテラン俳優が演じると、それが楽しさに転じるのには感心した。悪人が一人も登場しない絵空事のコメディなのだが、観終わってすがすがしい気持ちになれる。それは、青年と高齢者の目指すべき関係を照れずに示しているからだと思う。その願いには、切実なリアリティがある。
1996年 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | |||
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