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 札幌デジタル映画祭1999 

 札幌デジタル映画祭1999が、11月25日から開かれ、12作品を公開した。全体に盛況だったが、作品によってかなりのばらつきがあった。最大の成果は「コリン・マッケンジ−/もうひとりのグリフィス」だが、その他の作品も高い水準だった。ワークショップとして製作された「R」(早川渉監督、35分)は、全編デジタルハイビジョンとノンリニア編集で完成。ピルの屋上に閉じ込められた大学生のPHSに偶然かかってきた女性との会話が中心で、ほとんど主演の巻口直哉の独り芝居に近い。軽いノリで ほんわかと終るが、青年の開かれた閉塞感とコミュニケーションの質が描かれていて、悪くない。

 「ブレア・ウィッチの呪い」(エドゥアルド・サンチェス、ダニエル・マイリック監督、44分)は、近々公開の「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の仕掛け役となったアメリカテレビ放映の作品。なかなか良くできた特番もの。この作品だけでも、かなり怖い。その映像的なリアルさと編集の妙は、「コリン・マッケンジ−/もうひとりのグリフィス」に迫るかもしれない。

 「うつしみ」(園子温監督)は、舞踏家・麿赤児の振り付け、写真家・荒木経惟の撮影、荒川真一郎のパリ・コレ準備と、園監督の「息をつめて走りぬけろ!」のリハーサルという4つのパートを組み合わせている。麿赤児の振り付けシーンが、もっとも密度が濃い。執拗にカメラが肉体を追い詰め、この部分だけでハイレベルのドキュメンタリーになるほど。荒木経惟と荒川真一郎に対しては、やや遠慮が感じられる。「息をつめて走りぬけろ!」の部分は中途半端。物語がおちゃらけているので、全体のトーンに合わない。身体へのこだわりという意味でも、異質なものを感じた。


「コリン・マッケンジ−」の画像です

 コリン・マッケンジ− 
 もうひとりのグリフィス 

1996年作品。ニュージーランド映画。一部カラ−。53分。配給=パンドラ。後援=ニュージ−ランド大使館、ニュージ−ランド政府観光局。監督=ピーター・ ジャクソン、コスタ・ボーテス。出演=サム・ニール、ハーヴェイ・ワインスタイン

 「ブレイン・デッド」「乙女の祈り」の監督・ピーター・ ジャクソンは、近所に住んでいたハナというおばあさんに夫が昔撮ったフイルムの処分を頼まれる。それは、幻の映画監督コリン・マッケンジ−のほぼ全部のフイルムだった。彼は世界初のトーキー、世界初のカラ−映画を発明し、劇場公開していた。密林の中に巨大なセットを築き、一万人以上のエキストラを使って撮影された「サロメ」のフイルムも見つかり、修復の上公開される。スペインでは、彼がカメラマンとして従軍し射殺されたシーンのフイルムまで発見された。映画史を塗り替える新事実!!、何というドラマチックな人生!。映画に対するコリン・マッケンジ−の情熱が詰まったドキュメンタリー作品に心が震えた。

 「サロメ」のセットが発見されたり、道具室の奥でフイルムを見つけたりするシーンはともかく、コリン・マッケンジ−の天才的な業績は事実だと確信した。あれだけのセットとエキストラはねつ造とは思えない。ニュージ−ランド大使館が後援しているわけだし。しかし、巷では「完全なフィクション」という映画評が幅を利かせている。パンドラ発行の「コリン・マッケンジ−物語」という本は、なかなかの曲者だが、すべてがデタラメとは信じがたい。何が真実なのかは、今もあいまいのままだ。しかし、事実と虚偽はそう簡単に分けられるものではないだろう。その間に真実が隠されていることもある。私は作品に出会い興奮し、久しぶりにわくわくした。たとえすべてが嘘でも、素敵な作品だったことに変わりはない。映画への愛に満ちた創作なのだから。


「皆月」の画像です

 皆月 

1999年作品。日本映画。114分。配給=日活。監督=望月六郎。製作総指揮=中村雅哉。企画=吉田達。プロデューサー=角田豊、半沢浩。ラインプロデューサー=新津岳人。企画協力=植木実。原作=花村萬月(吉川英治文学新人賞「皆月」講談社刊)。脚本=荒井晴彦。撮影=石井浩一。照明=櫻井雅章。録音=西岡正巳。美術=山崎輝。編集=島村泰司。音楽=遠藤浩二。スクリプター=長坂由起子。キャスティング=窪田昭子。テーマ曲=「早く抱いて」。作詞・作曲=下田逸郎。歌=山崎ハコ。演奏=下田逸郎と内田勘太郎。諏訪憲雄=奥田瑛二、アキラ=北村一輝、由美=吉本多香美、我孫子=柳ユーレイ、荻原=斉藤暁、高岡=篠原さとし、沙夜子=荻野目慶子

 「萬月」が「皆月」を書き「望月」が 映画化した。仕事ひとすじの中年男性・諏訪の妻が、ある日「みんな月でした。がまんの限界です。さようなら。」という手紙を残して失踪する。諏訪は、ヤクザな義弟、知り合ったソープランド嬢とともに、妻を捜す旅に出る。それぞれの弱さと淋しさを抱えながら。やや中年男性好みの展開だが、 かつての良質な日活映画のような深い味わいのある傑作だ。同性愛者の描き方はいただけないが。

 冴えない諏訪役の奥田瑛二は、ベテランらしい余裕の演技。ソープ嬢・由美を果敢に演じた吉本多香美からは、若い熱気が伝わってくる。そして、作品を引っ張っていたのはヤクザ・アキラ役の北村一輝。暴力性と優しさを合わせ持つとらえどころのない存在だが、ラストで意外な愛の形を見せる。思わずうなった。そして、線が細いようで太々しさを隠している妻・沙夜子役の荻野目慶子は、少ない出番ながら独特の存在感を放っていた。実にバランスのいい配役だ。


「ホーンティング」の画像です

 HAUNTING 

1999年作品。アメリカ映画。113分。配給=UIP。監督=ヤン・デ・ボン(Jan De Bont)。脚色=デヴィッド・セルフ。製作=スーザン・アーノルド、ドナ・アーコフ・ロス、コリン・ウィルソン。撮影=カール・ウォルター・リンデンローブ,ASC。プロダクションテザイナー=ユージニオ・ザネッティ。編集=マイケル・カーン,A.C.E.。視覚効果=フィル・ティペット、クレイグ・ヘイズ。作曲・指揮=ジェリー・ゴールドスミス。衣裳=エレン・ミロジェニック。製作総指揮=ヤン・デ・ボン。原作=シャーリー・ジャクソン。デビッド・マロー=リーアム・ニ一ソン、テオ=キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、ルーク=オーウェン・ウィルソン、ネル=リリ・テイラー、ダドリー夫人=マリアン・セルデス、ダドリー=ブルース・ダーン

 呪われた洋館「ヒル・ハウス」に実験と称して学者と被験者が集まり、恐怖の体験をする。 「ツイスター」など、ジェットコースター・ムービーを得意とするヤン・デ・ボン監督の新作。しかし、今回は思いっきり外してしまった。最新のCGを使い、いかに派手な演出をしても、室内空間では迫力に限界がある。予測通りの展開と結末。人物造形の甘さという欠点だけが浮き彫りになった。

 いかがわしい学者マローに、実直そうなリーアム・ニ一ソンを配したのは、監督の計算だろうか。そうなら、最初から種明かしをしない方がいいだろう。被験者のうち、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ演じるテオだけが浮いている。こういうホラー作品にゴージャスで艶やかな美女は不釣り合いだと思う。その点、ダドリー夫妻はいかにも一癖ありそうで雰囲気にぴったりだった。肝心の主人公ネルは、さんざんいたぶれるのに最後まで影が薄い。


 伊藤隆介作品集 

札幌のまるバ会館で「コラージュ作家」伊藤隆介氏の映像作品が上映された。伊藤氏は、1963年札幌生まれ。シカゴ美術館付属大学修士課程で映像、現代美術を学んだ。「視る虫」(1988年、22分)「猫のいた世界」(1989-90年、24分)「SENTINEL」(1991-93年、18分)という「日記映画3部作」のほか、ビデオ作品の「ONE DAY」(1988年、13分)「大人になる」(1998年、3分)、16ミリ映画の「演習」(1991年、3分)「版♯2、♯1、及び♯3」(1999年、4分)「版♯7、♯5、及び♯8」(1999年、6分)。知識に裏打ちされた実験はシャープな仕上がりだが、心に届かない作品もあった。感心するのと感動するのは違う。

 「視る虫」「猫のいた世界」は、嫌いな虫に触れるという冒険をしながら、生活をモンタージュしている。センスの良いカット、美しい映像が続くが、感情の像を結ばない。あえて結ばないようにしている。しかし、「猫のいた世界」のサイレントはつらい。「視る虫」にはNICOの音楽が使われていて救われた。「SENTINEL」は、知的な操作が複雑化し、皮肉な仕掛けが目立つ。アメリカ・ブラックマライア映画祭で「Director's Choice」賞を受賞。

 「ONE DAY」は、ハンディカムを使って、自分の顔を一日中撮影し続け、13分間に編集したもの。もっとも入り込みやすい作品。デートでの恋人との喧嘩などは実にリアルだ。「大人になる」は詩人の宮田裕之氏の作品に影響を受けて制作しが、3分ではあまりにも短い。「演習」は光学合成の練習フイルム。それ以上ではない。変化する版画を目指した「版♯2、♯1、及び♯3」「版♯7、♯5、及び♯8」は、発想は面白いが、何かを訴えかけている訳ではない。その点が独創的なアイデアでは共通する山崎幹夫監督のVMシリーズとの決定的な違いだ。


「豚の報い」の画像です

 豚の報い 

1999年作品。日本映画。118分。配給=ビターズ・エンド、サンセントシネマワー。監督=崔洋一。プロデューサー=仙頭武則。協力プロデューサー=甲斐真樹。原作=又吉栄喜『豚の報い』(文春文庫)。脚本=鄭義信、崔洋一。撮影=佐々木原保志,J.S.C.。照明=金沢正夫。録音=細井正次。美術=磯見俊裕。編集=掛須秀一,J.S.E.。音楽=大熊亘。正吉=小澤征悦、和歌子=早坂好恵、ミヨ=あめくみちこ、暢子=上田真弓、医者=岸部一徳、宿の女将カメ=吉田妙子、宿の主人=平良進

 沖縄を舞台にした暴力的でない崔洋一作品が誕生した。生活の中に宗教が溶け込んている沖縄の文化をユーモラスに寓話的に描き、アジアへとつながる糸口を静かに示している。前作「犬、走る」のアクの強さから、一転して明るく淡々とした表現に変わった。そのため、強烈なインパクトはないが、アジアの中の日本を描こうとする監督の幅の広がりを感じさせる仕上がりだ。

 豚小屋で生まれた大学生の正吉を、小澤征悦がひょうひょうと演じている。それに対し、スナック「月の浜」のネーネーたち、ミヨ(あめくみちこ)、暢子(上田真弓)、和歌子(早坂好恵)は、パワフルだ。それぞれに辛い過去を背負いながらも、どん欲に食べて飲んで騒ぎまくり、欲望のままに正吉を誘惑する。そのたくましさは気持ちいい。特にあめくみちこの演技が印象的だった。


「娼婦ベロニカ」の画像です

 娼婦ベロニカ 

1998年作品。アメリカ映画。111分。配給=東宝。監督=マーシャル・ハースコビッツ(Marshall Herskovitz) 。製作=マーシャル・ハースコビッツ、エドワード・ズウィック、アーノン・ミルチャン、サラ・キャプラン。脚本=ジェニーン・ドミニー。原作=マーガレット・ローゼンタール(自伝「The Honest Courtesan」)。製作総指揮=マイケル・ナサンソン、ステファン・ランドール 。撮影=ボージャン・バゼリ 。編集=スティーブン・ローゼンブラム、アーサー・コバーン。 音楽=ジョージ・フェントン。衣装=ガブリエラ・ペスクッチ。ベロニカ・フランコ=キャサリーン・マコーマック(Catherine McCormack) 、マルコ・ベニエ=ルーファス・シーウェル 、マフィオ・ベニエ=オリバー・ブラット 、ベアトリーチェ・ベニエ=モイラ・ケリー 、ジュリア・デ・レッゼ=ナオミ・ワッツ 、ドメニコ・ベニエ=フレッド・ウォード 、パオラ・フランコ=ジャクリーン・ビセット 、ピエトロ・ベニエ=ジェローン・クラッペ 、ロウラ・ベニエ=ジョアンナ・キャシディ 、リビア=メリーナ・カナカレデス 、セラフィーノ・フランコ=ダニエル・ラペーン 、エレナ・フランコ=ジャスティン・ミセリ 、アンリ王=ジェーク・ウェバー 、ランベルティ大臣=サイモン・ダットン 、総督=ピーター・アイアー

 1583年、ベネチア。通常の女性に自由はなかった。身分違いを理由に貴族マルコと結婚できなかったベロニカ・フランコは、男たちと対等の自由を得るため、コーティザン(高級娼婦)になる決心をする。母親に性の技法を学び、詩の才能と美貌を合わせ持つベロニカは、たちまち男たちの注目を集める。ベロニカ役のキャサリーン・マコーマックは、目も眩むという表現がぴったり。しっかりとした演技とあでやかさに魅せられる。「スカートの翼ひろげて」(デビッド・リーランド監督)以上に華やかだ。

 物語はベテランのスタッフによって手堅く進められていく。「恋におちたシェークスピア」(ジョン・マッデン監督)のような巧みさはないが、豪華さの点ではこちらの方が上だ。クライマックスはベロニカの魔女裁判だろう。誇りを捨てないベロニカがまぶしい。彼女を愛した男たちが、土壇場で命を賭けて次々と彼女に味方するシーンは、ベネチアの開放性を印象付ける。史実でなければ、ややハッピーエンド過ぎるけれど。


「HOLE」の画像です

 洞 

1998年作品。台湾・フランス合作。93分。配給=プレノンアッシュ。監督=ツァイ・ミンリャン(蔡明亮)。脚本=ツァイ・ミンリャン、ヤン・ピーイン(楊璧瑩)。製作=ペギー・チャオ、キャロル・スコッタ、キャロリーヌ・ベンジョ。製作総指揮=チェン・スーミン、チウ・スンチン、ピエール・シュバリエ。撮影=リャオ・ペンロン(寥本榕)。編集=シャオ・ユークァン。録音=ヤン・チンアン。下階の女=ヤン・クイメイ(楊貴媚)、上階の男=リー・カンション(李康生)、買い物客=ミャオ・ティエン(苗天)、配管工=トン・シャンチュ、隣人=リン・フイチン、子供=リン・クンフェイ。

 「河」で父親と息子の近親相姦を描いたツァイ・ミンリャン監督の注目の新作だ。その自在さは、テーマだけではなく映像構成にまで広がった。2000年まで後7日。奇病が流行り始めた街。古びたアパートに住む上の階の男と下の階の女。絶えまなく降り続く雨に悩まされながら、孤独でつまらない生活を送っている。しかし、配管業者の空けた穴から、二人の交流が始まり、意外なラストを迎える。第51回カンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞した。

 かったるい日常生活に突然挿入されるミュージカルシーンに驚かされる。華麗な踊り、1950、60年代のグレース・チャンのチャーミングな曲が、かえって薄汚ないアパート空間の悲しみを際立たせている。奇病にかかった女性に、男性が一杯の水を手渡す。そして、高みへと連れていく。なんという美しい結末だろう。この荒唐無稽すれすれのハッピーエンドは、深い閉塞感の裏返しでもある。絶望を希望に変えるミンリャン・マジックに酔った。


「スウィーニー・トッド」の画像です

 SWEENEY TODD 

1997年作品。アメリカ映画。92分。配給=アルバトロス・フィルム。監督=ジョン・シュレシンジャー(John Schlesinger)。製作=テッド・スワンソン。製作総指揮=ロバート・ハルミ・ジュニア、ピーター・ショウ、ケイリー・ダートナル。音楽=リチャード・ロドニー・ベネット。脚本=ピーター・バックマン。編集=マーク・デイ。美術監督=スティーヴン・シモンズ。撮影監督=マーティン・ファラー。衣装=ジョアン・バージン。スウィーニー・トッド=ベン・キングズレー(Ben Kingsley)、ラベット夫人=ジョアンナ・ラムリー、ベン・カーライル=キャンベル・スコット、セリーナ・ボヤック、デイヴィッド・ウィルモット、ショーン・オ・フラナガン、キャサリン・シュレシンジャー

 18世紀末ロンドン。温厚そうに見える理髪店のトッドは、裕福そうな客の喉を切り裂き、金品を奪い、地下でつながるパイ屋に死体を卸していた。さまざまな動物の肉に人肉が混ざったミートパイは独特の味で人気を拍する。いかにもありそうな都会のミステリー。ジョン・シュレシンジャー監督は、当時の風俗を忠実に再現しながら重厚に物語を進めていく。

 この猟奇事件の背景に戦争による大量死、戦場における人肉食があると、社会風刺劇に仕立てたのはひとつの見識だろう。しかし、作品的には成功していない。この企画は当初ティム・バートンが監督するはずだったもの。彼なら、ミュージカル仕立ての強烈なブラック・ユーモアにまとめたことだろう。監督の資質によって、映画のトーンががらりと変わる好例だ。


「シックス・センス」の画像です

 The Sixth Sense 

1999年作品。アメリカ映画。107分。配給=東宝。製作総指揮=サム・マーサー。製作=フランク・マーシャル、キャスリーン・ケネディ、バリー・メンデル。脚本・監督=M. ナイト・シャラマン(M.Night Shyamalan)。撮影監督= タク・フジモト、A.S.C.。プロダクションデザイナー=ラリー・フルトン。編集=アンドリュー・モンデシェーン。音楽=ジェイムス・ニュートン・ハワード。衣装=ジョアンナ・ジョンストン。特殊メイク効果デザイン&製作=スタン・ウィンストン・スタジオ。視覚効果=ドリーム・クエスト・イメージズ。マルコム・クロウ=ブルース・ウィリス、コール・シアー=ハーレイ・ジョエル・オスメント(Haley Joel Osment)、リン・シアー=トニ・コレット、アンナ・クロウ=オリビア・ウィリアムス、トミー・タミシーモ=トレーバー・モーガン、ビンセント・グレイ=ドニ−・ウォルバーグ

 すごい監督が登場した。29歳、そして自ら考えた脚本を映画化した。最近のハリウッドでは稀なケースだろう。ストーリーも素晴らしいが、映像にも品と風格がある。最近の映画はコンピューターによる特殊効果や派手なアクションシーンばかりだが、この作品は違う。俳優たちの演技がすべてと言っていい。ホラー映画であるとともに、上質の人間ドラマでもある。まだ観ていない人にも、とっておきの驚きを体験させてあげたくなるので、ネタばらしをする気にはならない。「隣人は静かに笑う」(マーク・ペリントン監督)に迫る大どんでん返し、そして古典的な味わいを残す見事な結末だ。

 何と言ってもコール・シアー役のハーレイ・ジョエル・オスメントがうまい。逸材という言葉がぴったりの少年だ。 「死者が見える」能力を持つ恐怖と諦念が全身から感じられる。ブルース・ウィリスが「これまで共演した中で最高の俳優」と語ったことに嘘はない。そしてブルース・ウィリスも渋い演技をみせた。彼が主役の近年の作品は、どれもいただけなかったが、今回ばかりは賛辞を送りたい。


「プレイバック」の画像です

 Play Back 

1997年作品。フランス映画。106分。配給=アートキャップ。監督=ジェラール・クラウジック。脚本=ジェラール・クラウジック、アラン・レイラック。原作=ディディエ・デナンクス(フランス・ミステリー批評家大賞受賞作品)。撮影=ローラン・ディアラン。音楽=マイディ・ロス、ローラン・アルヴァレーズ。編集=リュック・バルニエ。ジョアンナ=ヴィルジニー・ルドワイヤン(Virginie Ledoyen)、ジャンヌ=マイディ・ロス、リュック=マルク・デュレ、JP=サイード・タグマウイ、ジャンヌの母=マリー・ラフォレ、モンゴルフェ=セルジュ・レジアニ

 ヴィルジニー・ルドワイヤンが輝いている。「カップルズ」(エドワード・ヤン監督)の美少女が、振幅の激しい役に挑んだ。レオナルド・ディカプリオ主演で近々公開予定の「ザ・ビーチ」(ダニー・ボイル監督)では、フランソワーズ役で出演。ハリウッドのメジャー作品初出演でメイン級の役柄を獲得した。「ザ・ビーチ」が公開されたら、ちょっとしたルドワイヤン・ブームが起こるはずだ。

 実際のシンガーソングライターのマイディ・ロスが、もうひとりのヒロイン・ジャンヌ役。艶のある歌声に聞き惚れてしまう。繊細な容姿も悪くない。ルドワイヤン演じるジョアンナが彼女の吹き替えをバックに歌手としてデビューする。単純なストーリーだが、歌手を目指す二人の切実さ、人気が出た後での反目、そして和解の過程は納得できた。ラストのデュエットは見事なまでに様になっていた。魅力的な二人だったが、監督のセンスが悪いためにまとまりのない作品になった。とても残念。


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