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pinキネマ霊園pin第52回カンヌ映画祭・結果pin掲示板

 BOYs DOn'T CRy 「ボーイズ・ドント・クライ」の画像です

 1999年作品。アメリカ映画。119分。配給=20世紀フォックス。監督=キンバリー・ピアース(Kimberly Peirce)。脚本=キンバリー・ピアース、アンディ・ビーネン。製作=ジェフリー・シャープ、ジョン・ハート、エバ・コロドナー、クリスティーン・ウァッション。製作総指揮=パメラ・コブラー、ジョナサン・セリング、キャロライン・カプラン、ジョン・スロス。共同製作=モートン・スウィンスキー。製作補=ブラツドフォード・シンプソン。撮影=ジム・デノールト。編集=リー・パーシー、A.C.E.、トレイシー・グレンジャー。プ□タクション・デザイナー=マイケル・ショウ。衣裳デザイナー=ピクトリア・ファレル。音楽スーパーバイザー=ランドール・ポスター。音楽=ネーサン・ラーソン。ライン・プロデューサー=ジル・フットリック。キャスティング=ビリー・ホプキンス、スザンヌ・スミス、ケリー・バーデン、ジェニファー・マクナマラ。ブランドン・ティーナ=ヒラリー・スワンク(Hilary Swank)、ラナ=クロエ・セヴィニー(Chloe Sevigny)、ジョン=ヒーター・サーズカード、トム=プレンタン・セクストン三世、ケイト=アリソン・フォーランド、キャンディス=アリシア・ゴランソン、ロニー=マット・マクグラス、ブライアン=ロプ・キャンベルー、ラナの母親=ジャネッタ・アーネット


 ネプラスカ州フォールズ・シティで、1993年に殺害された性同一性障害(心の性と身体の性が不一致)のティーナ・ブランドンの生きざまを追った作品。女性監督キンバリー・ピアースの初めての劇場用長編映画。ピアース監督の熱意と抑制が伝わってくる佳作だ。自分の女性としての身体を嫌悪し苦悩するブランドンの内面を追求するのではなく、欲望に忠実に生きたために死ななければならなかった前向きな人間として描いている点が特徴。ヒラリー・スワンクの渾身の演技は、アカデミー賞主演女優賞にふさわしく、この難しい作品に痛いほどのリアリティを与えている。

 性同一性障害。昔から存在したはずの障害について、近年になってやっと存在があきらかにされてきた。映画の中では、心と身体の不一致がもたらす心理的な葛藤はさりげなく示されている。このため、同性愛と混同している解説が散見されるのは残念だ。同性愛は障害ではないが、性同一性障害は治療が必要な患者。性的な指向は、異性愛、同性愛という二分法で区分できるほど単純ではない。私は、その事実をまず認めることから始めるしかない。たとえば、少年と少女の身体が入れ代わる大林宣彦監督の「転校生」は、どのように感じるのだろう。こんな疑問こそ、的外れかも知れない。

 ブランドンが女性の身体と知っても、自然に受け入れたラナを演じたクロエ・セヴィニーのさりげなく演技も印象深い。自由に生きているように見えたラナの母親が、ブランドンを「化け物」とののしった姿勢と、あまりに対照的だった。ラナの柔らかな感性と周囲の無理解という構図についても、考えさせられた。


  山村浩二、中村景子の 

 アニメ世界 

「水棲」の画像です

 札幌のまるバ会館で、動きの快楽!!アニメ祭りがあった。 山村浩二氏の9作品と、中村景子氏の5作品。メジャーなアニメ作品ばかり観ていた目には、はなはだ新鮮だった。凝縮されたアイデアが短い時間に次々と登場し、得した気分になった。

  山村浩二氏は1964年、愛知県生まれ。「水棲」(1987年)は粘土を使った不思議な感覚のアニメ。ぎこちなさは残るが、めくるめくようなメタモルフォーゼが繰り返される。「ひゃっかずかん」(1989年)は、日本語と英語のしりとりを並行して進めていく。技法もアイデアも、かなり高度。感心した。「遠近法の箱」(1989年)は、過剰なコラージュの嵐。うまい。NKHKで放送された「カロとピヨブプト」(1993年)シリーズ「おうち」「サンドイッチ」「あめのひ」は、丁寧な連作。きらりとアイデアが光る。「キッズキャッスル」(1995年)は、子供とともにイマジネーションの世界に遊んでいる。軽いタッチで変幻自在。ボイス・パフォーマンスで統一した音も、楽しさを倍加させている。「バベルの本」(1996年)は、ボルへスの「幻獣辞典」にインスパイアされた作品。子供の目線に立ったタッチが印象的。「どっちにする」(1999年)は、子供たちとのワークショップでつくりあげた。こういう創作方法もあるのだ。ヤマムラアニメーションの広がりを味わうことができた。

  中村景子氏は1966年、東京生まれ。寺山修司などの自主映画に関心を持って8ミリ作品を撮る。アニメーションは1992年から始めた。自主映画ではあまりお目にかかれないセンス。「トムとジェリー」的なテンポとファッショナブルな造形、そして毒を含んだエロティシズムを、おおいに楽しんだ。まず「狼と3匹の子豚」(1997年)に圧倒された。わずか1分半の作品だが、彼女の魅力が凝縮された傑作。「コヨーテの首飾り」」(1993年)「まよいの森」」(1994年)「ベティとペイニーペンギン」」(1995年)は、それぞれ面白さを探っている作者のしぐさが感じられる。「おまけ・地獄的天使予告」」(2000年)は、本当におまけのノリ。


  john john in the sky 「ジョン・ジョン・イン・ザ・スカイ」の画像です

 1999年作品。アメリカ映画。105分。製作総指揮/エグゼクティブ・プロデューサー=時盛裕行。プロデューサー=宮国訪香子。監督=ジェファソン・デイビス。脚本=ジェファソン・ディビス、カリ・スコグランド。撮影監督=ジョエル・ダビード。キャスティング=ダン・シェイナー、マイケル・テスタ。音楽=クリストファー・ワード。衣裳=ヘザー・ベイン。傷集=ブライアン・アプバーグ。美術=C・J・パイル。ジョン・ジョン=クリスチャン・クラフト、ビリー・ジョー=ランディー・ドラヴィス、ジョン=マット・レッシャー、セオラ=ラスティ・シュイマー、サンドラ=ロミー・ローズモント、アーリーン=アシジェヌー・エリス、ウインス=ベンジャミン・オーランスキー、トット=レズリー・ジョーダン、ハンター=ジェミニ・バーネット、ミセス・ケントリックス=ハッダ・ブルックス、ミスター・シー=ジョン・ビーズリー、フランシス=アーマ・P・ホール


 映画情報番組「シネマ通信」で、レポーターを担当しているジェファソン・デイビスが、自分の少年時代を振り返り、故郷ミシシッピーを舞台に、アメリカ南部の人々の自然な姿を描いた。父親が家族を抑圧する保守的な風土の下で、妻はヒッピーの自由を夢見、少年は空へのあこがれを募らせていく。豊かな田園風景の中で生きている人を慈しむ監督の思いは伝わってくるが、作品としては芸がなさ過ぎる。構図は見えてくるが、人々の思いがいきいきと伝わってこない。

 主人公のジョン・ジョンと知的障害者セオラが、喧嘩しながら苦労して飛行機をつくる過程は、もっともっとユーモラスに表現できたはず。登場するそれぞれの人物に多面性や屈折があれば、物語の味わいも豊かになったと思う。少年時代をノスタルジックに回顧するだけでなく、自分や時代を批評する厳しいまなざしがほしかった。


  MONDAY 「MONDAY」の画像です

 1999年作品。日本映画。100分。配給=シネカノン。原案・脚本・監督=SABU。製作=李鳳宇、斎藤晃、香山哲。プロデューサー=室岡信明、石原仁美、荒川礼子、樫野孝人。ラインプロデューサー=木村博人。撮影=佐藤和人(J.S.C.)。照明=大坂章夫。美術=丸尾知行。録音=山方浩。音楽=渋谷慶一郎。編集=小永組雄。助監督=井原眞治。制作担当=斎藤健志。アソシエイトプロデューサー=寺迫健、小林誠一郎。スチール=平野晋子。主題歌=キャプテンファンク“Twist&Shout”。高木光一=堤真一、 霧島優子=松雪泰子、近藤光男=安藤政信、近藤理恵=大河内奈々子、町田由紀=西田尚美、 村井良夫=大杉漣、アキコ=小島聖、浮浪者&悪魔=麿赤兒、大島大介=塩見三省、神山伸吾=野田秀樹


 奇抜なストーリー展開で、映画的な面白さを追求し続けるSABU監督。その姿勢は徹底している。遺体のペースメーカーの線を間違えて切ったために死体が爆発するコントから、ダンスフロアでの爆裂踊りまで、しっかり笑わせておいてショットガンによる連続射殺へとテンションを上げていく。遺書を書くシーンのギャグはシャープにして巧み。主人公に「この世に必要なのは銃なんかじゃない。ほんの少しの優しさと愛だ」と叫ばせて、警察だけでなくヤクザも銃を捨ててしまうクライマックスに抱腹絶倒した。これは銃社会への批判ではなく、単純なお遊びとして存分に楽しめば良い。

SABU作品で主役を続けている堤真一の演技は、今回もあっぱれと言うほかない。松雪泰子が妖艶な女を演じて魅力的。「アナザヘヴン」(飯田譲治監督)でも、凄みを見せていて将来有望だ。つかみどころのないおかしさを醸し出す野田秀樹にも感心した。さすがだ。配役に文句はないが、ただひとつ暗黒舞踏の取り上げ方が気になった。ファンキーな悪魔のメタファーに使うのは、外国を意識し過ぎているように思う。


  Freeze me 「フリーズ・ミー」の画像です

2000年作品。日本映画。101分。配給=日活。製作=仁平幸男、豊忠雄。企画=原田宗一郎。プロデューサー=永江信昭、新津岳人、石井隆。脚本・監督=石井隆。撮影=佐々木原保志(J.S.C.)。照明=安河内史之。美術=山崎輝。音楽=安川午朗。録音=宮本久幸。編集=川島章正。スクリプター=田中小鈴。衣装=小野今朝義。メイキャップ=金森恵。山崎ちひろ=井上晴美、小島篤=鶴見辰吾、広河昇=北村一輝、野上裕介=松岡俊介、馬場実=竹中直人


 東北のある街で、3人組にレイプされた山崎ちひろは、悪夢から逃れるため都会でOL生活を始め、結婚を前提にした恋人と幸せな日々を過ごしていた。しかし、突然3人組が次々と現れ、恋人に過去をばらし、彼女を凌辱する。彼女は男たちを殺し、冷凍庫の中に死体をコレクションする。だが暑さの中で死体は次第に腐り、死臭を放ち始める。

 ブチッ。久しぶりに堪忍袋の緒が切れた。石井隆お馴染みの薄幸な女シリーズだが、ストーリーがお座なりで、悲劇性が伝わっていない。だいたい、山崎ちひろ役の井上晴美は、スタイルは良いものの薄幸を耐えるというタイプではない。演技以前のミス・キャストだ。一方、暴力的な男たちは、あまりにも誇張されていてリアリティがない。「鮫肌男と桃尻女」(石井克人監督)のように、思い切ってマンガチックに徹すれば、まだ救いはあるが、情緒的な悲劇性と効果が相殺されている。最初から最後まで気に入らず、フリーズしていた(このオチもかなりお寒い)。


 Tea With Mussolini 「ムッソリーニとお茶を」の画像です

1998年作品。アメリカ映画。116分。配給=UIP。監督=フランコ・ゼフィレッリ(Franco Zeffirelli)。製作=リカルド・トッツィ、ショバネッラ・ザノーニ、クライブ・パーソンズ。音楽=アレッシオ・プラド、ステファーノ・アルナルディ。脚本=フランコ・ゼフィレッリ、ジョン・モーティマー。撮影=デビッド・ワトキン。衣裳=ジェニー・ビーバン。エルサ=シェール(Cher)、アラベラ=ジュディ・デンチ(Judi Dench)、メアリー=ジョーン・プローライト(Joan Plowright)、レディ・ヘクター=マギー・スミス(Maggie Smith)、ジョージー=リリー・トムリン(Lily Tomlin)、ルカ=ベアード・ウォレス(Baird Wallace)、チャーリー・ルーカス(子供、Chrlie Lucas)


 ファシズムに染めあげられていく1935年以降のイタリアのフィレンツェを舞台に、国が対立し合う戦時下でもフィレンツェを愛し、自分に正直に生きる5人の女性たちと、親の愛情に接することのできない少年の触れ合いを気品にあふれる映像で描いた佳作。過酷な状況にありながら、けっして重くならず優雅さをたたえている。無邪気なほどに素直な人の横断的なつながりこそ、戦争を超える。ゼフィレッリ監督に、これほど芯のあるユーモアのセンスがあるとは、正直驚きだ。今回は、いつもの豪華さの押し売りがなく、イギリスとイタリアをともに愛する監督の心情が素直に投影されている。

 大女優たちが、個性的にして貫禄のある演技を披露しているのが話題だが、シェールの輝きはやはり別格だろう。自由奔放にして、優しさに満ちたアメリカ人を演じ、圧倒的な魅力を放っていた。前衛的なドレスを着こなし、華麗に踊る。50歳を超えているとは、にわかに信じがたい。孤独な少年ルカ役の新人・ベアード・ウォレスは、大ベテランに囲まれながら、爽やかな演技を見せる。


 THE HURRICANE 「ザ・ハリケーン」の画像です

1999年作品。アメリカ映画。145分。配給=ギャガ・ヒューマックス、東宝東和。監督=ノーマン・ジュイソン(Norman Jewison)。脚本=アーミアン・バーンズタイン、ダン・ゴードン。原作=「ザ・シックスティーンス・ラウンド」=ルーピン“ハリケーン”カーター。「ザ・ハリケーン」=サム・チェイトン、テリー・スウェイントン。製作=アーミン・バーンスタイン、ジョン・ケッチャム、ノーマン・ジュイソン。製作総指揮=アーヴィング・アゾフ、トム・ローゼンバーグ、ルディ・ラングレス、トーマス・A・ブリス、マーク・エイブラ八ム、ウィリアム・テトラー。撮影=ロジャー・ディーキンズ、ASC、BSC。美術=フィリップ・ローゼンバーグ。編集=ステファン・リヴキン、A.C.E.。共同製作=スーザン・エリス、マイケル・ジェイソン、ジョン・ジャズニ。衣裳=アギー・ジェラルド・ロジャース。音楽=クリストファー・ヤング。ルービン・カーター=デンゼル・ワシントン(Denzel Washington)、レズラ=ヴィゼラス・レオン・シャノン、リサ=デボラ・カーラ・アンガー、デリー=ジョン・ハンナ、デラ・ベスカ=ダン・ヘダヤ、メイ・セルマ=デビ・モーガン、マイロン・ベルドック=デヴィッド・ヘイマー、レオン・フリードマン=ハリス・ユーリン、サキロン刑事=ロッド・スタイガー


 プロ・ボクサーのルービン・カーターが、警察の人種差別と証拠のねつ造によって殺人犯にでっち上げられ、22年かけて無罪を勝ち取るまでの感動作。2時間半近い長篇だが、ストーリーの運びは淀みがない。ボブ・ディランの「ハリケーン」で有名なように、実話である。アメリカは、今もずさんさな裁判によって、無実の人が何百人も死刑になり続けている国だ。無実にもかかわらず、犯人として死刑を執行される人間の気持ちを想像すると、身震いするほど恐ろしい。それが「人権の国」アメリカの実態。

 ルービン・カーターも、検察の求刑通り「死刑判決」が出ていたら、世界に真実を知らせる前に殺されていたかも知れない。彼は、プロ・ボクサーとして有名だったので、本を出版でき社会の注目を集めたが、多くの人たちには、真実を広める手段さえない。アメリカだけの話ではない。日本でも、部落差別を利用してとらえられ、証拠のねつ造によって有罪にされた石川一雄さんの「狭山事件」が、有名だ。どういうわけか、再審はことごとく棄却され、石川さんは犯人のままだ。これは、氷山の一角だろう。日本には何百人も冤罪に苦しんでいる人がいるはずだ。

 ルービン・カーターを演じるのは、デンゼル・ワシントン。みずから役をかって出ただけに、いつも以上に熱がこもっていた。特訓したとはいえ、ボクシング・シーンの迫力には驚かされる。カーターの本を読んで感動し、カナダ人たちの救援を実現するきつかけとなる青年レズラ役のヴィゼラス・レオン・シャノンも印象的だが、デンゼル・ワシントンの気迫の前では、影が薄くなる。でっちあげを行った警察、真実をさぐり無罪判決に導くカナダ人たち、その双方の掘り下げが不足しているので、いやでもカーターだけが全面に出てしまっている。


 サイダーハウス・ルール 「サイダーハウス・ルール」の画像です

1999年作品。アメリカ映画。131分。 配給:アスミック・エース エンタテインメント。監督=ラッセ・ハルストレム(Lasse Hallstrom)。製作=リチャード・N・クラッドスタイン。原作・脚色=ジョン・アーヴィング。製作総指揮=ボブ・ワインスタイン、ハーヴィ・ワインスタイン、ボビー・コーエン、メリル・ポスター。共同製作=アラン・C・プロンクィスト、レスリー・ホールラン。撮影監督=オリヴァー・スナイプルトン、B.S.C.。プロダクション・デザイナー=デイヴィッド・グロップマン。編集=リサ・ゼノ・チャージン。衣装デザイナー=レネー・エールリッヒ・カルフュス。音楽=レイチェル・ポートマン。キャスティング=ビリー・ホプキンス、スザンヌ・スミス、ケリー・バーデン。ホーマー・ウェルズ=ドビー・マグワイア(Tobey Maguire)、キャンディ・ケンドール=シャーリーズ・セロン(Charlize Theron)、ミスター・ローズ=デルロイ・リンド、ウォリー・ワージントン=ポール・ラッド、ウィルバー・ラーチ医師=マイケル・ケイン(Michael Caine)、看護婦エドナ=ジェーン・アレキサンダー、看護婦アンジェラ=キャシー・ベイカー、ローズ・ローズ=エリカ・バドゥ、パスター=キーラン・カルキン、オリーヴ・ワージントン=ケイト・ネリガン、ビーチズ=ヘヴイ・D、マディ=K・トッド・フリーマン、メアリ・アグネス=パ・ドゥ・ラ・ユエルタ、レイ・ケンドール=J・K・シモンズ、ジャック=イヴァン・デクスター・バーク、ヴァーノン=ジミー・フリン、ヒーロー=ロニー・R・ファーマー、ファジー=エリク・パー・サリヴァン、カーリー=スペンサー・ダイアモンド、カパーフィールド=ショーン・アンドリュー、ステイアフォース=ジョン・アルバノ、ヘイセル=スカイ・マッコール・パータシアク、クララ=クレア・ダリー、ウィンズロー少佐=コリン・アーヴィング


 「カープの世界」「ホテル・ニューハンプシャー」など独特の視点で世界を描き出す巨匠ジョン・アーヴィング自身が脚色、珠玉の「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」「ギルバート・グレイプ」のラッセ・ハルストレム監督と聞けば、期待しない方が嘘だろう。その期待は裏切られなかった。いつもながらのきめの細やかな演出、絵画のような映像が、心に染みてくる。孤児の分娩や堕胎を行う孤児院という、社会の矛盾が凝縮された場所を舞台にしながら、けっして暗くならず、ときに爽やかな風すら感じさせるバランス感覚は、ちょっと真似ができない。お決まりの成長物語だが、これだけ丁寧につくられると批判できない。

 登場人物は多くを語らないが、その思いは伝わってくる。ウィルバー・ラーチ医師役のマイケル・ケインは、屈折した思いを抱きながら淡々と孤児たちの世話に人生を捧げている。ドビー・マグワイアは、過酷な運命にも関わらず純真さを失っていない主人公ホーマー・ウェルズを演じている。さりげない笑顔が魅力。そして、好きなタイプではなかったシャーリーズ・セロンも、飾り立てしない等身大の女性キャンディ・ケンドールになりきり、好感が持てた。そして何といっても、笑い、悲しむ孤児たちの表情が胸を打つ。最後の嬉しそうな寝顔が忘れがたい。


 GLADIATOR 「グラディエーター」の画像です

  2000年作品。アメリカ映画。155分。 配給=UIP。監督=リドリー・スコット(Ridley Scott)。脚本=デビッド・フランゾーニ、ジョン・ローガン、ウィリアム・ニコルソン。原案=デビッド・フランゾーニ。製作=ダグラス・ウィック、デビッド・フランゾーニ、ブランコ・ラスティグ。製作総指揮=ウォルター・F・パークス、ローリー・マクドナルド。撮影=ジョン・マシソン。プロダクション・デザイン=アーサー・マックス。編集=ピエトロ・スカリア。衣装=ジャンティ・イェーツ。視覚効果=ジョン・ネルソン。音楽=ハンス・ジマー、リサ・ジェラート。マキシマス=ラッセル・クロウ(Russell Crowe)、コモドゥス=ホアキン・フェニックス(Joaquin Phoenix)、ルッシラ=コニー・ニールセン(Connie Nielsen)、プロキシモ=オリバー・リード、マルクス・アウレリウス=リチャード・ハリス、グラッカス=デレク・ジャコビ、ジュバ=ジャイモン・ハンスゥ


 「ベン・ハー」を思い起こさせるような、久々のスペクタクル大作の誕生かと、期待を膨らませていたが、舞台の大きさに人間ドラマがついてこない空しさが残る失敗作だった。リドリー・スコット復活ならず。彼の最高傑作なんて誉めていた人は、本当に作品を観たのだろうか。「スターウォーズ エピソード1」(ジョージ・ルーカス監督)の目も眩むばかりのスケール感と比較するのは酷かも知れないが、CGを駆使して再現した古代ローマの遠景や壮大なコロシアムが生かされていない。肉弾戦は見ごたえがあるものの、ストーリー展開は荒削りすぎる。特にラストの対決は笑止千万だ。

 主人公マキシマス役のラッセル・クロウは、現代では難しい英雄的な人物を演じているが、人物像があまりにも表面的すぎる。 父マルクス・アウレリウスを殺して皇帝の座を手に入れるコモドゥス役のホアキン・フェニックスの方が、まだ造形に厚味があった。ホアキン・フェニックスは、リバー・フェニックスの弟だが、着実に力をつけている。ルッシラを演じたコニー・ニールセンは、もっと大胆な演技ができる女優のはず。抑制し過ぎて魅力が半減した。


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 Visitorssince2000.07.03