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PiCNiC

1995年作品。68分。配給:日本ヘラルド映画、エース・ピクチャーズ。 製作:フジテレビジョン、ポニーキャニオン。監督・脚本:岩井俊二。製作:堀口寿一、田中迪。撮影:篠田昇。照明:隅田浩行。美術:細石照美。音楽:REMEDIOS。出演ツムジ=浅野忠信、ココ=Chara、サトル=橋爪こういち

 『PiCNiC』は、94年の夏に撮られながらオウム真理教の一連 の事件の影響で上映が延期され、しかも一部シーンを削除した上で、やっと劇場公開された。大友克洋監督の『MEMORIES』も同じく公開が延期されたが、怒りよりも情けない気持ちになる。『PiCNiC』はまぎれもない傑作である。『ラブレター』は洗練された幸せな青春映画だったが、『PiCNiC』には岩井監督の屈折した危 機感が赤裸々に出ている。その切実な思いをいつもながら卓越したセンスで作品化している。ここまで人間の暗部を描く監督とは思わなかった。うれしい誤算だ。殺された教師が亡霊として登場するが、その姿はクローネンバーグの『裸のランチ』のクリーチャーを思わせる。ラストのココの自殺も甘い叙情にみえて、実は叙情を超える力強い美しさがある。

同時上映の『フライド・ドラゴンフィッシュ』(岩井俊二監督)も完成度が高い。高級熱帯魚ブームを背景に、さまざまな要素を巧みなコメディに仕上げた。あれだけの話しを急いだ印象もなく50分にまとめるとは、まさに驚異だ。浅野忠信の存在感は特筆もの。魚を巡る哲学的な考察も浅野忠信の存在があればこそ生きてくる。ラストの魚を食べるシーンが、オチとしてあれほど生かされた映画は見当たらない。拍手。


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ユージュアル・サスペクツ

1995年作品。106分。配給:アスミック。監督ブライアン・シンガー。脚本クリストファー・マックァリー。撮影ニュートン・トーマス・サイゲル。音楽・編集ジョン・オットマン。美術ハワード・カミングス。マイケル・マクマナス=スティーヴン・ボールドウィン、ディーン・キートン=ガブリエル・バーン、デヴィッド・クイヤン=チャズ・パルミンテリ、トッド・ホックリー=ケヴィン・ポラック、コバヤシ=ピート・ポスルスウェイト、ヴァーバル・キント=ケヴィン・スペイシー、イーディ・フィネラン=スージー・エイミス、フレッド・フェンスター=ベニチオ・デル・トロ

 96年アカデミー賞オリジナル脚本賞などを受賞した話題作。確かに観客を煙に巻くことには成功したが、映画としてはかなりきわどい技といえる。映像編集は実にシャープで雄弁だが、ストーリーの基本が尋問されたヴァーバル・キントの作り話だったというオチは、賭けに近い。個性的な俳優をそろえて現実感を醸し出し、しかも火傷した船員の証言という動かし難い事実を置くことで、絶妙なバランスを保っている。

タランティーノの監督は露骨に映画への熱い思いを映像に表わすが、ブライアン・シンガー監督は、直接的な感情を抑制し、冷静に計算しながら映画を構築していく。時に、それが息苦しく感じることもあるが、映像の底に流れる独自のユーモアが映画を救っている。肌の合う作風ではないが、今後が期待できる監督だ。


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1996年作品。100分。製作:大映・日本テレビ、博報堂、富士通、日本出版販売。監督:金子修介。脚本:伊藤和典。音楽:大谷幸。撮影:戸沢潤一。美術:及川一。出演:渡良瀬祐介=永島敏行、穂波碧=水野美紀、花谷=石橋保、帯津=吹越満

 今度のガメラは、 前回の『ガメラ 大怪獣空中決戦』に比べてかなりハンサムになった。集合体レギオンというアイデアも悪くない。CGの活用で特撮も邦画としては高い水準にある。札幌が最初の対決の場になったのもうれしい。しかし見終わって、どうも釈然としない。

 さまざまなアイデアが、うまく生かされていない。金子監督は戦争状態での人間ドラマを強調していたが、参考にしたという『戦争と人間』の片鱗さえない。ただただ自衛隊が、前面に登場していただけではないか。レギオンの生態は、ひねりを利かせればかなり面白いものになったはずだが、『エイリアン2』を連想させるだけにとどまった。草体の美術は、群生レギオンの不気味さに比べると見劣りした。

「怪獣映画」の枠を超えると豪語していた割には、子ども向けの配慮が目立ちすぎる。最後にガメラが孫悟空ばりの「元気玉」を使うのには、閉口した。生態系への配慮を呼びかけるラストのカットも蛇足だ。

ガメラが人間の味方ではなく、地球の生態系の守護神だという解説はいかにも嘘臭い。生態系の守護神というのは、『風の谷のナウシカ』のオウムのように厳しいもののはずだ。ガメラは、人間がこれほどまでに生態系を破壊し続けるにもかかわらず、理由なく人間の味方なのだ。最近の怪獣映画は、かつてのいかがわしさを失い、『ゴジラVSモスラ』のモスラといい、今回のガメラといい、妙な教育映画になってしまっている。

点ですガメラのホームページへ飛びます。


12 MONKEYSの画像です12 MONKEYS12 MONKEYSの画像です

1995年作品。アメリカ映画。130分。配給:松竹富士。監督テリー・ギリアム。製作チャールズ・ロヴェン。脚本デヴィッド・ピープルズ、ジャネット・ピープルズ。原案「ラ・ジュテ」クリス・マルケル。製作総指揮ロバート・キャヴァロ。撮影監督ロジャー・プラット。編集ミック・オーズレー。音楽ポール・バックマスター。ジェームス・コール=ブルース・ウィリス、キャサリン・ライリー=マデリーン・ストウ、ジェフリー・ゴインズ=ブラッド・ピット

テリー・ギリアム監督の4年ぶりの新作。20世紀末にウィルスで人類のほとんどが死滅した後の21世紀初頭が舞台。その原因を探ろうとタイムトラベルが行なわれる。「未来世紀ブラジル」(85年)を思い出させる屈折したSF映画だが、ストーリーも映像も小さくまとめていて物足りない。

「未来世紀ブラジル」は「ブレード・ランナー」(リドリー・スコット監督)ほどのシャープな新しさはないものの、独特のブラック・ユーモアで管理された未来を皮肉たっぷりに描いて見せた。興行的には失敗したものの、ほら男爵の冒険「バロン」(89年)の奔放な想像力はもっと評価されていい。「フィッシャー・キング」(91年)は美しい佳品だが、ギリアム監督でなければという作品ではない。「12モンキーズ」も、随所に監督らしさはあるものの十分独自性を発揮できていない。

だいたい、タイムトラベルものは難しい。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のようにお遊びでめちゃくちゃにするのでなければ、どこかに矛盾が出てしまう。歴史の改造の可否という時、多くの人は歴史的な事件を想定しているが、そもそもタイムトラベルをすること自体が歴史の改造ではないか。だから「12モンキーズ」の基底にある歴史の改造不可能性という考えは矛盾している。

ブラッド・ピットの切れた演技とブルース・ウィリスの無念さをかみしめた最後だけは、収穫だった。


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