Apt Pupil |
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1998年度作品。アメリカ映画。112分。配給=松竹富士。監督=ブライアン・シンガー(Bryan Singer)。 製作=ジェーン・ハンシャー、ドン・マーフィー、ブライアン・シンガー。原作=スティーヴン・キング(Stephen King)。音楽.=ジョン・オットマン。編集=ジョン・オットマン。美術=リチャード・フーヴァー。撮影=.ニュートン・トーマス・シーゲル。衣装=ルイス・ミンゲンバック。共同製作=トーマス・デサント。製作総指揮=ティム・ハーバート。脚本=ブランドン・ボイス。トッド・ボーデン=ブラッド・レンフロ(Brad Renfro)、カート・ドゥサンダー/アーサー・デンカー=イアン・マッケラン、リチャード・ボーデン=ブルース・デイヴィソン、エドワード・フレンチ=デヴィッド・シュワイマー、アーキー=エリアス・コーティアス
「ユージュアル・サスペクツ」で、禁じ手すれすれの騙しのサスペンスを見せてくれたブライアン・シンガー監督の新作。予想に反し、随分とオーソドックスだ。映像的なほころびはないものの、唸らせるようなシーンもない。悪が老人から青年に引き継がれていくラストは、容易に予想がついた。
隠れて生きてきたナチの戦争犯罪人が、青年に虐殺の様子を話していくうちに、過去の邪悪な感情が蘇ってくる。制服を着て次第に行進に力がみなぎる場面は、唯一緊迫した瞬間だった。イアン・マッケランの名演技は評価していい。しかし、ナチの虐殺を個人的な感情の問題に矮小化してしまう危険もある。
菊次郎の夏 |
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1999年作品。日本映画。121分。配給=日本ヘラルド映画・オフィス北野。監督・脚本・編集=北野武。製作=森昌行、吉田多喜男。撮影=柳島克己。美術=磯田典宏。音楽=久石譲。菊次郎=ビートたけし、正男=関口雄介、菊次郎の妻=岸本加世子、おばあちゃん=吉行和子、お姉さん=細川ふみえ、怖いおじさん=麿赤兒
北野武監督が、ビートたけし流のギャグを随所に盛り込んだロードムービー。「HANA-BI」の緊張から解放されるように、のんびりとしたストーリー展開で、気さくに遊びながら、温かいまなざしで菊次郎と正男の交流を見つめている。水準はそれほど高くないが、新しい挑戦を忘れない姿勢は支持したい。
ずいぶんとハチャメチャなシーンもあるが、終ってみれば映画としてのまとまりを感じさせる。以前のような「やり逃げ」の逸脱はない。技術的に腕を上げてきた証だ。どんな映画を撮っても、まぎれもなく北野作品としての強烈な個性を発散している。そして、CGの発達ではない映画の可能性を果敢に切り開いている。
TANGO |
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1998年作品。スペイン・アルゼンチン合作。116分。配給=日本ヘラルド映画。監督・脚本=カルロス・サウラ(Carlos Saura)。製作=ルイス・A・スカレージャ、カルロス・A・メンタスティ、フアン・C・コダシ。撮影=ビットリオ・ストラーロ。美術=エミリオ・バサルドゥア。衣装=ベアトリス・ディ・ベネデット。音楽=ラロ・シフリン。音楽監修=オスカル・カルドソ・オカンポ。振り付け=フアン・カルロス・コペス、アナ・マリア・ステッケルマン、カルロス・リバローラ。マリオ・スアレス=ミゲル・アンヘル・ソラ、ラウラ・フエンテス=セシリア・ナロバ、エリーナ・フローレス=ミア・マエストロ(Mia Maestro)、フリオ・ボッカ=フリオ・ボッカ、カルロス・ネビア=フアン・カルロス・コペス、エルネスト・ランディ=カルロス・リバローラ、マリア・エルマン=サンドラ・バジェステーロス
1998年第51回カンヌ国際映画祭高等技術委員会技術グランプリを受賞。カルロス・サウラ監督がアルゼンチンの歴史やタンゴに込めた思いは理解できるが、提示しただけで物語としては深まりを見せていかないように思う。男女の関係も中途半端なまま終る。ラストシーンは、アッと脅かしておいて意外なほどのハッピーエンド。「物足りない」と感じた後、「ひょっとしたら、今後の予兆か」とも考えた。監督の罠かもしれない。
一流のダンサーをそろえた踊りは本当に見ごたえがある。陰影を生かしたライティングも見事。ラロ・シフリンの音楽は現代的なセンスで聞き惚れる出来映え。そして移民の集団が舞台に現れ、タンゴを踊るシーンの美しさには息を飲んだ。中でも、ミア・マエストロの魅力は、魔術のように映像を輝かせていく。マリオ・スアレスでなくても、溺れてしまいそう。
鉄道員 ぽっぽや |
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1999年作品。日本映画。112分。配給=東映。監督=降旗康男。製作=高岩淡。企画=坂上順。原作=浅田次郎。脚本=岩間芳樹、降旗康男。撮影=木村大作。録音=紅谷愃一。照明=渡辺三雄。美術=福澤勝広。編集=西東清明。音楽=国吉良一。主題歌=「鉄道員」作詞= 奥田民生。 作曲・編曲= 坂本龍一。歌=坂本美雨(ワーナーミュージックジャパン)。 佐藤乙松=高倉健、佐藤静枝= 大竹しのぶ、雪子=広末涼子、杉浦仙次=小林稔侍、吉岡敏行=安藤政信、吉岡肇=志村けん、加藤ムネ=奈良岡朋子、杉浦明子=田中好子、杉浦秀男=吉岡秀隆
「ぽっほや」としての職業倫理を貫き、娘が死んだ時も妻が死んだ時も駅に立ち続けた男の物語。頑固一徹で周りに煙たがられているかといえば、そんなことはない。皆に愛され、定年後の心配をされている。高倉健でなければ、こんな男の味は出せないが、定年間近というのは68歳の「健さん」には、ちょっと辛いかな。北海道は一年中冬みたいなのも、何だかなあ。
観る前から観客は泣こうと身構えていた。そして、笑顔のまぶしい広末涼子との対面は自然に涙を誘う。私も少し泣いた。だが、周囲に嫌われ顧みられないみすぼらしい男であったなら、もっと胸に染みたことだろう。この作品では、志村けんが不器用な男の悲哀を漂わせていた。こういう男の最後に、死んだ娘が成長して現れ「おとうさん、ありがとう」なんて言うと、大泣きしたに違いない。「健さん」はかっこ良すぎる。
MIA EONIOTITA KE MIA MERA |
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1998年作品。ギリシャ・仏・伊合作。134分。配給=フランス映画社。監督・脚本=テオ・アンゲロプロス(Theo Angelopoulos)。製作=テオ・アンゲロプロス、エリック・ユーマン、ジョルジオ・シルヴァーニ、アメデオ・パガーニ。撮影=ヨルゴス・アルヴァニティス、アンドレアス・シナノス。編集=ヤニス・ツィツォプロス。美術=ヨルゴス・パッツァス。衣装=ヨルゴス・ジアカス、コスタス・ディミトリアディス。音楽=エレニ・カラインドルー。アレクサンドレ=ブルーノ・ガンツ、妻アンナ=イザベル・ルノー、少年=アキレアス・スケヴィス、母=デスピナ・ベベデリ、娘カテリーナ=イリス・ハジアントニウ、ウラニス=エレニ・ゲラシミドゥ、娘婿=ヴァシリス・シメニス、詩人ソロモス=ファブリツィオ・ベンティヴォリオ
1998年カンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞。ギリシャの港町テサロニキを舞台に、死を意識した老作家とアルバニア難民の子供との1日の交流を描いている。連日ユーゴ空爆のニュースに接していたので、難民の問題が生々しく迫ってくる。まず不治の病に冒され、あす入院する老作家アレクサンドレが家政婦に「つらく考えるのはよそう。終りはいつもこんな風だよ」と話すシーンで、ぐっと来た。「私は何一つ完成していない。言葉を散らかしただけだ」という痛苦な言葉も胸にしみる。しかし、その後の深まりが乏しい。
全身をがっしりとつかまえる力強さがない。恍惚とさせる美しい映像美もない。耐えられないほど重い問題を提示し、ともに悩み考えることを促してきた沈黙の深さも感じられない。過去の眩い光と現在の物悲しい雰囲気が静かに対比されるだけだ。隠喩的なシーンにも心が揺さぶられない。過去の作品のように全力投球の押し付けがましさがなく、自然に受け入れられる軽さが評価されたのかもしれないが、テオ・アンゲロプロス監督の集大成などではけっしてない。
THE RED VIOLIN |
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1998年作品。カナダ・イタリア映画。131分。配給=ギャガ・コミュニケーションズ。監督・共同脚本=フランソワ・ジラール。製作=ニブ・フィッチマン。共同脚本=ドン・マッケラー(エヴァン・ウィリアムズ)。撮影監督=アラン・ドスティ。美術監督=フランソワ・セガン。衣装デザイナー=レニー・エイプリル。ラインプロデューサー=バーバラ・シュリール。音楽=ジョン・コリリアーノ。バイオリン演奏=ジョシュア・ベル。演奏指揮=エサ=ペッカ・サロネン。オーケストラ=フィルハーモニア管弦楽団。サミュエル・L.ジャクソン、カルロ・セッチ、イレーネ・グラツィオーリ、クリストフ・コンツェ、ジャン=リュック・ビドー、クロティルド・モレット、グレタ・スカッキ、ジェイソン・フレミング、シルヴィア・チャン、コーム・フィオール、ドン・マッケラー、モニク・メルキュール
イタリアのクレモナで、1681年名匠ニコロ・ブソッティによって作成されたバイオリンは、4世紀にわたり5つの国を旅しながら、魅力的な音色と形によって、人々を翻弄していく。オーストリア修道院の孤児カスパー・ヴァイスの不幸な死が最も痛々しい。中国文化大革命時の「レッド・バイオリン」の運命が最もはらはらさせられるが、考えてみればロマ民族によって運ばれていく事自体が幸運のの積み重ねだと思う。さまざまな地域、時代を経ていくスケール感は、手ごたえがある。
各エピソードを、タロット占いの5つの予言によってつなげているが、やや堅苦しい。歴史をつなぐのは、バイオリンだけで十分ではないか。そこに産死したアンナの霊を塗り込める必要もない。何故赤いのかという種明かしは意外性ゼロ。モントリオールでのオークションにたえず帰ってくる構成も、繰り返されつづけると野暮ったくなる。楽器鑑定家が、複製とすり替えるという結末は映画の品を落としているように感じた。ただ、ジョン・コリリアーノの音楽、ジョシュア・ベルのバイオリン演奏は絶品。音楽を聴くだけで満ち足りた気持ちになれる。
富江 |
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1999年作品。日本映画。95分。配給=大映。製作=土川勉、松下順一、平田樹彦。企画=武内健、加藤東司。プロデューサー=清水俊、尾西要一郎、東康彦。原作=伊藤潤ニ(朝日ソノラマ刊)。監督・脚本=及川中(おいかわ・あたる)。撮影=鈴木一博。照明=上妻敏厚。特殊メイク=ピエール須田。美術=大庭勇人、十時かの子。編集=宮島竜治。音楽=二見裕志、木村敏宏。エンディングテーマ=YUKARI FRESH。製作=大映、アートポート。製作協力=パノラマ・コミュニケーションズ、ボノボ。川上富江=菅野美穂、泉沢月子=中村麻美、細野辰子=洞口依子、原田省ニ=田口トモロヲ、斉賀祐一=草野康太、吉成佳織=留美、山本武史=水橋研ニ
漫画「富江」は、伊藤潤ニの代表作というだけでなく、日本のモダンホラーの高い水準を示す傑作といえる。彼の並外れた画力は、奔放な奇想を見事に現実化する。「富江」の映画化は待ち望んでいたものの、日本の映画では再生や変身の大掛かりなCG化は望むべくもなく、無惨な結果になることを恐れてもいた。しかし及川中監督は、原作のおどろおどろしさを残しつつも特撮を多用せず、思春期の少女たちの愛と憎しみに焦点を当てて、荒削りながらまずまずのレベルでまとめあげた。ラストシーンは「リング2」よりうまい。
富江の友人・泉沢月子役中村麻美は、「ファザー・ファッカー」から俳優として予想以上に成長していた。ときに緊張が薄れるが、ヒロインにふさわしい存在感がある。富江役の菅野美穂は、伊藤潤ニの希望だそう。振幅の大きな演技はさすがだが、18歳にしてはやや年を取った。「エコエコアザラク」のころなら、うってつけだった。洞口依子ら脇を固める配役は納得のいく人選。鑑識役で伊藤潤ニ本人が出演しているのも嬉しい。最後に音楽のセンスの良さも付け加えておこう。
フェアリーテイルfairy tale a true story |
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1997年作品。イギリス映画。98分。配給=パイオニアLDC。監督=チャールズ・スターリッジ(Charles Sturridge)。製作=ウェンディ・ファイナーマン、ブルース・ディヴィー。製作総指揮=ポール・タッカー。脚本=アーニー・コントレラス。撮影=マイケル・コールター。衣装デザイン=シャーリー・ラッセル。特殊効果スーパーバイザー=ティム・ウェーバー。音楽=ズビグニエフ・プレイスネル(Zbigniew Preisner)。エルシー・ライト=フロレンス・ハース(Florence Hoath)、フランシス・グリフィス=エリザベス・アール(Elizabeth Earl)、コナン・ドイル=ピーター・オトゥール(Peter O'Toole)、ハリー・フーディーニ=ハーヴェイ・カイテル(Harvey Keitel)、アーサー・ライト=ポール・マッギャン、ポリー・ライト=フィービー・ニコルズ、アーサー・ライト=ポール・マッギャン、E.L.ガードナー=ビル・ナイティ、ジョン・フェレット=ティム・マキナーニー
こんなにもたくさんの妖精たちが登場し、美しい風景とともに少女たちが輝き、心温まる結末を迎えるとは。浄化されていくような幸せな気持ち。この作品に癒されている自分を感じる。原案のコティングリー妖精事件は、第1次世界大戦によって、無慈悲な大量死に直面した多くの傷付いた人々を慰めたに違いない。心の危機は神秘を引き寄せる。今もまた、そういう時代なのかもしれない。
エリザベス・アールがとても魅力的。彼女の可憐な美しさが妖精を呼び集めるほど。コナン・ドイル役のピーター・オトゥールら、愛するものを失ってうちひしがれている大人たちの姿も切ない。物語は妖精の存在をめぐる子供と大人の対立から、マスコミの報道による大量の見学者の殺到、妖精たちの退避へと進む。しかし、物語は、意外なほどのハッピーエンドを用意している。癒し系の佳作だ。
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