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pinキネマ霊園pin第72回アカデミー賞・結果pin掲示板

 eXistenZ 「イグジステンズ」の画像です

1999年作品。カナダ=イギリス合作。97分。配給=ギャガ・ヒューマックス共同。監督・脚本=デビッド・クローネンバーグ。製作=ロバート・ラントス、アンドラス・ハモリ、デビッド・クローネンバーグ。撮影=ピーター・サスキツキー。プロダクション・デザイナー=キャロル・スピア。編集=ロナルド・サンダース。音楽=ハワード・ショア。ビジュアル・エフェクツ・スーパーバイザー=ジム・イサック。衣装=デニス・クローネンバーグ。共同製作=デイモン・ブライアン、ブラッドリー・アダムス。共同製作=マイケル・マクドナルド。アソシエイト・プロデューサー=サンドラ・タッカー。キャスティング=デイドレ・ボウエン。アレグラ・ゲラー=ジェニファー・ジェイソン・リー、テッド・ピケル=ジュード・ロウ、キリ・ヴィノカー=イアン・ホルム、イフゲニー・ノーリッシュ=ドン・マッケラー、ヒューゴ・カーロウ=カラム・キース・レネエ、メルル=サラ・ポーリー、ウィトルド・レヴィ=クリストファー・エクルストン、ガス=ウィレム・デフォー


 両生類の有精卵からつくられた生体ポッドが脊髄を直撃する魅惑の仮想体感ゲーム。十年ぶりのオリジナル脚本だが、近未来のゲームを取り上げているが、アイデアの新しさは乏しい。今さら現実と仮想の壁が壊れるシーンを描いても陳腐なだけだ。どんでん返しの結末も予想できてしまう。少なくても、かつてのようなまったりとした複雑な触感を残すラストシーンではなかった(どちらにもとれる微妙な終わり方が好きだったのだが)。前作「クラッシュ」のひりひりするような反社会性に比べると、バーチャルリアリティ・ゲームの危険性を示して教科書的ですらある。

 動物の骨で組み立て人の歯を弾丸とするグリッスル・ガンの秀抜なデザインにはニヤリとしたが、身体に空けられた穴につばをつけてポッドを差し込むシーンには閉口した。いかにもクローネンバークらしいが、後者はあまりにもあからさまだ。身体の変容を追求してきたクローネンバーグ監督なので、仮想世界で思いっきり暴れまくるのかと楽しみにしていたが、グロテスクでいかがわしい小道具や過剰な血を見せるだけで、小さくまとめてしまった。公開をわくわくしながら待っていただけに、失望感に近い物足りなさを味わった。


 The Personals 「ザ・パーソナルズThe Personals: Improvisations on Romance in the Golden Years」の画像です

1998年作品。アメリカ映画。37分。監督・製作・ロケーション音楽=伊比恵子。撮影監督=グレッグ・パク。編集=Milton Ginsberg 、伊比恵子。Executive Producer=Shelia Nevins。Supervising Producers= Jackie Glover & John Hoffman。Original Music and Arrangements=John Califra。Additional Music=Brave Combo。Additional Photography=Gideon Shmorak。Additional Sound=Amy Veltman。キャスト=Gloria Bobrofsky、Abram Calderon、Deborah Ehrlich、Seth Glassman、Harold Gordon、Harold Krinsky、Ruth Krinsky、Moe Kronberg、Fred Schecter、Rose Straub、Shirley Tavel、Selma Wernick


 ニューヨーク大大学院の卒業制作として仕上げた作品が、いきなり1999年アメリカ・アカデミー賞のドキュメンタリー映画賞短編部門でオスカーを獲得した。ニューヨークでアマチュア劇団をつくるユダヤ系米国人の70歳、80歳を取材。新聞に「交際希望」の広告を出す高齢者をテーマにした公演を準備するサークルのメンバーに。性体験など率直な質問が繰り返され、それぞれの個性と孤独が浮き彫りになっていく。「お年寄りたちのユーモアと率直さのおかげで映画ができた。出会えて幸運だったと思っている」と伊比監督は話している。

 記録者と当事者。両者の信頼感と距離感の絶妙なバランスが、素晴らしいドキュメンタリー作品を生み出した。高齢者たちは、なんとも率直に、ときにユーモラスに性体験や人生の悩みを語る。密度の濃いテーマを可能な限り凝縮しながら、息苦しさを感じさせない編集のセンスも高く評価したい。そして、高齢者の肉声をすくい上げるだけでなく、終盤では、劇団への公的な援助が突然カットされるという社会政策の問題点も静かに指摘している。人生と社会を同時に考えさせる心憎いばかりの配慮だ。


 マーシャル・ロー 「マーシャル・ロー THE SIEGE」の画像です

1998年作品。アメリカ映画。117分。配給=20世紀フォックス映画。監督=エドワード・ズウィック(Edward Zwick)。脚本=ローレンス・ライト、メノウ・メイエス(Menno Meyjes)、エドワード・ズウィック。ストーリー=ローレンス・ライト。製作=リンダ・オブスト、エドワード・ズウィック。製作総指揮=ピーター・シントラー。撮影=ロジャー・ディーキンズ、A.S.C.、B.S.C.。プロダクション・デザイナー=リリー・ギルバート。編集=スティーブン・ローゼンフラム。音楽=グレアム・レベル。衣裳=アン・ロス。スタンド・コーディネーター=ジョエル・J・クレーマー。アンソニー・ハパード=デンゼル・ワシントン(Denzel Washington)、エリース・クラフト/シャロン・フリッカー=アネット・ベニング(Annette Bening)、ウィリアム・ダヴロー将軍=ブルース・ウィリス(Bruce Willis)、フランク・ハダッド=卜ニー・シャルボウブ、サミール・ナジデ=サミ・ポージラ、シーク・アーメッド・ビン・タラル=アーメッド・ベン・ラービ、ムージン=モスレ・モハメッド、ティナ・オス=リアナ・パイ、マイク・ヨハンセン=マーク・バレー、フレッド・ダリウス=ジャック・グワルトニー、ダニー・サスマン=デイビッド・プローバル、フロイド・ローズ=ランス・レディック、アニタ=エレン・ベゼア


 98年、ケニアの首都ナイロビのアメリカ大使館に隣接するビルが、テロリストによって爆破されるという事件があり、完成前に類似点が指摘されて公開が延び延びになっていた作品。テロリストによるニューヨークの連続爆破事件によって、FBI、CIA、陸軍が対立する中で、ついに戒厳令が敷かれアラブ系市民への弾圧が始まる-。エキストラを駆使した迫力は認めるが、大掛かりな仕掛けが裏目に出た社会派映画の失敗作。物語も登場人物も全然かみ合っていない。ハイジャックされたバスから高齢者が解放されかけた瞬間にバスが爆破されるシーンの衝撃力とFBI、CIA、陸軍のすれ違いをさらりと見せた序盤の期待は、この後見事に吹き飛ばされてしまった。

 だいたい、戒厳令を命令した大統領が最後まで登場しないのは何故なのだろうか。CIAのエリースは、かつて自分が訓練した青年たちが次々にテロを起こしていることに薄々気付きながら、何をしていたのか。最後のお涙ちょうだいはしらけるだけだ。陸軍がアラブ人に拷問したとしてFBIがダヴロー将軍を逮捕するが、それで戒厳令が解かれるのは理解できない。誰がテロリストが壊滅したと判断したのか。そして、アラブ=テロリストではないのなら、アラブとアメリカの歴史的関係や世界観の違いなどにも、少しは触れるべきではないか。


 ハーモニーベイの夜明け 「ハーモニーベイの夜明けINSTINCT」の画像です

1999年作品。アメリカ映画。124分。提供=東宝東和。監督=ジョン・タートルトープ(Jon Turteltaub)。ストーリー及び脚本=ジェラルド・ディペーゴ。原案・小説『イシュマル』=ダニエル・クイン。製作=マイカエル・テイラー、バーバラ・ボイル。製作総指揮=ウォルフガング・ペーターゼン、ゲイル・カッツ。撮影監督=フィリップ・ルスロ,A.F.C.。美術=ギャレス・ストーバー。編集=リチャード・フランシス=ブルース,A.C.E.。製作補=リチャード・ラナー、ブライアン・ダブルディ。クリスティーナ・スタインバーグ。スペシャル・キャラクター・エフェクト=スタン・ウィンストン。音楽=ダニー・エルフマン。衣裳=ジル・オハンネン。イーサン・パウエル=アンソニー・ホプキンス(Anthony Hopkins)、テオ・コールダー=キューバ・グッティング,Jr.、ベン・ヒラード=ドナルド・サザーランド、Dr.ジョン・マレー=ジョージ・ズンザ、看守ダックス=ジョン・アシュトン、キーファ刑務所長=ジョン・アイルワード、囚人ピート=トーマス・Q・モリス、囚人ニコ=ドグ・スピヌザ


 国立公園のレンジャー部隊2人を殺した人類学者・動物学者のイーサン・パウエルは、共同生活をしていたマウンテン・ゴリラが惨殺されたことに怒り、「奪う者」としての現代人から決別するために沈黙していた。西洋の「自由の幻想」の指摘といい、すべてを言語化しようとする精神分析医との対峙といい、文明論的、哲学的な骨組みを持っている。珍しい硬派のハリウッド作品だ。しかし、最も映画化しづらいテーマを無理して映画化したという感じも受けた。

 アンソニー・ホプキンスが知能指数の高い凶暴な「精神障害者」を演じている。思わず、近く続編の撮影に入る「羊たちの沈黙」(ジョナサン・デミ監督)のハンニバル・レクターを連想したが、趣きはだいぶ違う。こちらは「奪う者」を導いてしまった自分の責任を感じての理性による「沈黙」の選択であり、結局は再び言葉によって出世主義の精神分析医の目を覚まさせる。最後にパウエルは、やすやすと脱獄してしまうが、精神病棟の待遇などさまざまな問題は宙づりにされたまま残った。この投げ出された感じは監督が意図したものなのだろうか。


 THE BEACH 「ザ・ビーチ」の画像です

2000年作品。アメリカ映画。119分。配給=20世紀フォックス映画。監督=ダニー・ボイル(Danny Boyle)。製作=アンドリュー・マクドナルド。脚本=ジョン・ホッジ。原作=アレックス・ガーランド。プロダクション・デザイナー=アンドリュー・マカルパイン。撮影=ダリアス・コンジ。編集=マサヒロ・ヒラクボ。衣裳デザイナー=レイチェル・フレミング。音楽=アンジェロ・バタラメソティ。共同製作=ギャラム・マクドゥーガル。リチャード=レオナルド・デュカプリオ(Leonardo Dicaprio)、サル=ティルダ・スウィントン(Tilda Swinton)、フランソワーズ=ヴィルジニー・ルドワイアン(Virginie Ledoyen)、エチエンヌ=ギョーム・カネ、ダフィ=ロバート・カーライル、キーティ=パターソン・ジョセフ、バッグス=ラース・アレンツ=ハンセン


 何か違う世界を求めて旅を続けているバックパッカーのリチャード。安ホテルでドラッグ漬けのダフィから 秘密の楽園の地図をもらい、隣に泊まっていたエチエンヌとフランソワーズを誘ってその島を目指す。たどり着いた楽園は、美しい自然に包まれた少人数のコミューン。しかし、夢のような生活は長くは続かなかった-。前半の明るさ、美しさと後半の暗さ、陰惨さがとても対照的だ。鮫に食われた傷の生々しさが、象徴的に前後を分けている。

 閉鎖的な小集団の危険性については、1970年代に嫌というほど見せつけられた。しかし、今も理想の共同生活への希求は繰り返されている。この作品は、あらためて理想の暮らしを求める小集団の危うさを示したものだ。しかし、けっして説教くさくなるわけではない。最後に、インターネットの開かれた共同性をさりげなく提示しているところが、いかにもボイルらしい。

 大胆な手法でイギリスの閉塞を描いた「トレインスポッティング」で高い評価を得たダニー・ボイル監督が、レオナルド・デュカプリオを迎えて描いた新作。お金はかけているだろうが、大作というよりは理想と現実の断層を見据えた青春映画だ。デュカプリオは、狂気に振れかける危うい感情表現で持ち前の演技力を発揮し「タイタニック」(ジェームズ・キャメロン監督)の重しを見事にはね除けてる。ティルダ・スウィントンの存在感はさすが。一方、ヒロイン役のヴィルジニー・ルドワイアンは、あまり陰影がなく持ち前の魅力を発揮していない。


 ヒマラヤ杉に降る雪 「ヒマラヤ杉に降る雪」の画像です

1998年作品。アメリカ映画。128分。配給=UIP。監督・脚本=スコット・ヒックス(Scott Hicks)。脚本・プロデューサー=ロン・バス。原作=デビッド・グターソン。製作=ハリー・J・アフランド、キャスリーン・ケネディ、フランク・マーシャル。撮影監督=ロバート・リチャードソン,A.S.C。美術=ジニーン・オプウォール。編集=ハンク・コーウィン。音楽=ジェームズ・ニュートン・ハワード。イシュマル・チェンバース=イーサン・ホーク(Ethan Hawke)、ハツエ・ミヤモト=工藤夕貴、フィールディング判事=ジェームズ・クロムウェル、ネルス・ガドマンドソン弁護士=マックス・フォン・シドー、アーサー・チェンバース=サム・シェパード、カズオ・ミヤモト=リック・ユーン、少女時代のハツエ・ミヤモト=鈴木杏、少年時代のイシュマル・チェンバース=リーブ・カーニィー


 「シャイン」のスコット・ヒックス監督が、太平洋戦争勃発時のアメリカを舞台に、戦争、法廷劇、そして悲恋が絡み合う物語を、雪に包みながら寡黙に描いた傑作。回想シーンの編集がなんとも素晴らしい。現実の場面にイシュマルの思い出が交錯しながら、狂おしく美しく重なりあうフラッシュバック。意識の流れをこれほど自然に再現した映像を私は知らない。

 俳優たちは、イーサン・ホークをはじめ皆手堅いが、日系移民ハツエ役の工藤夕貴がとりわけ印象に残る。陪審員に向けた弁護士の演説を聞き、張りつめた無表情から一瞬にして泣き崩れる0.5秒間の劇的な演技は、長く記憶されることだろう。少女時代のハツエを演じた鈴木杏の天真爛漫な表情も可愛い。だからこそ、大人になったハツエの意志的で終始緊張した表情が生きてくる。


 GREEN MILE 「グリーンマイル」の画像です

1999年作品。アメリカ映画。188分。配給=ギャガ=ヒューマックス共同配給。脚本・監督=フランク・ダラボン(Frank Darabont)。 製作=デヴィッド・ヴァルデス、フランク・ダラボン。原作=スティーヴン・キング(Stephen King)。音楽=トーマス・ニューマン。衣装デザイン=キャリン・ワグナー。編集=リチャード・フランシーブルース。美術=テレンス・マーシュ。撮影監督=デヴィッド・タッターソル。ポール・エッジコム=トム・ハンクス(Tom Hanks)、ブルータス“ブルータル”ハウエル=デヴィッド・モース、ジャン・エッジコム=ボニー・ハント、ジョン・コーフィ=マイケル・クラーク・ダンカン(Michael Clarke Duncan)、ハル・アームズ=ジェームズ・クロムウェル、エデュアール“デル”ドラクロア=マイケル・ジェッター、アーレン・ビターバック=グラハム・グリーン、パーシー・ウェットモア=ダグ・ハッチンソン、ウィリアム“ワイルド・ビル”ウォートン=サム・ロックウェル、ディーン・スタントン=バリー・ペッパー、ハリー・ターウィルガー=ジェフリー・デマン、メリンダ・ムアーズ=パトリシア・クラーソン、トゥート・トゥート=ハリー・ディーン・スタントン


 被害者の少女を救おうとした黒人が殺人犯として処刑される。死刑の意味を問い返すという点では、「デッドマン・ウォーキング」(ティム・ロビンス監督)以上にインパクトがある。しかし、物語が次第に寓話化されていくので、差別や死刑問題という重いテーマからは離れていく。病気を直し死んだネズミを生き返らせる力を持つジョン・コーフィは、その力を誇ることなく、世界中に悪意に満ちた犯罪がまん延してることに心を痛め、生きることを断念し死刑になることを願う。彼が電気いすで処刑されるシーンを涙なしで見ることのできる人は少ないだろう。目をそむけてきた現実を突き付けられ、心の深いところが揺さぶられる。

 物語は緊密で、俳優も演技派ぞろい。ただ、善人と悪人が整然と分けられ、悪人は滅んでいくというのは安易すぎないだろうか。卑劣きわまりない看守パーシー・ウェットモア、良心のカケラもない犯罪者ウィリアム“ワイルド・ビル”ウォートン。この二人ほど救いようのない悪人は近年珍しい。世界にまん延する悪の問題に切り込みながら、単純に人を区分してしまったことで、テーマが紋切り型になったのは否めない。その方が楽なのは分かるが。そして最後に示された秘密は、私には付け足しにしか思えなかった。トム・ハンクスは確かにうまいが、真の主役はマイケル・クラーク・ダンカンだ。あの涙に満ちた瞳が切ない。


 SCREAM 3 「スクリーム3」の画像です

 2000年作品。アメリカ映画。116分。配給=アスミック・エースエンタテインメント。監督=ウエス・クレイヴン(Wes Craven)。脚本=アーレン・クルーガー。原キャラクター=ケヴィン・ウィリアムスン。撮影=ピーター・デミング。音楽=マルコ・ベルトラミ。音楽監修=エド・ジェラード。プロダクション・デザイン=ブルース・アラン・ミラー。編集=パトリック・ラッシャ。衣装=アビゲイル・マレイ。キャステイング・ディレクター=リサ・ビーチ。共同製作総指揮=スチュアート・M・ベッサー。共同製作=ディクシー・J・カップ、ジェリー・プレク。製作総指揮=ボブ・ワインスタイン、ハーヴィ・ワインスタイン、ケアリー・グレイナット、アンドリュー・ローナ。製作=キャシイ・コンラッド、ケヴィン・ウィリアムスン、マリアンヌ・マツダレーナ。デューイ・ライリー=デイヴィッド・アークェット(David Arquette)、シドニー・プレスコット=ネーヴ・キャンベル(Neve Cambell)、ゲイル・ウェザーズ=コートニー・コックス・アークェット(Courteney Cox Arquette)、マーク・キシケイド刑事=パトリック・デンプシー、「スタブ3」の監督/ロマン・ブリジャー=スコット・フォリィ、ジョン・ミルトン=ランス・ヘンリクセン、「スタブ3」のデューイ/トム・プリンス=マシュー・キースラー、「スタブ3」の出演女優/サラ・ダーリング=ジェニー・マッカーシー、「スタブ3」のシドニー/アンジェリーナ・タイラー=エミリー・モーティマー、「スタブ3」のゲイル/ジェニファー・ジョリー=パーカー・ポージー、「スタブ3」のランディ/タイスン・フォックス=ディオン・リッチモンド、スティーヴ・ストーン=パトリック・ウォーバニトン、コットン・ウェアリー=リーヴ・シュライバー、クリスティン=ケリー・ラザフォード、電話の声=ロジャー・L・シャクスン、シドニーの母=リン・マタレェ、スタジオ・エグゼクティヴ=ロジャー・ゴーマン、ウォレス刑事=ジョシュ・ペス、シトニーの父=ローレンス・ヘクト、サイレント・ボブ=ケヴィン・スミス、ジェイ=ジェースン・ミューズ、ランディの妹=ヘザー・マタラッツォ、ランディ=ジェイミー・ケネディ、ビアンカ=キャリー・フィッシャー


 とんとんとテンポ良く劇場公開された「スクリーム」シリーズの完結編。ホラー映画のパロディとしてスタートした「スクリーム」は、「スクリーム2」ではそれが重層化して、蘊蓄の度合いも進んだ。「3」では、さらに3層構造に進化し、味わいも深まった。予想に反して「2」で殺されてしまったランディが、今回は遺言ビデオで登場し、三部作のスーパー・ルールという蘊蓄をたれるシーンには、思わず拍手した。やはり「スクリーム」にランディの蘊蓄は欠かせない。

 脚本は「隣人は静かに笑う」のアーレン・クルーガーが担当。さすがにうまい。「スクリーム」の基本を押さえながら、緊密でスリリングな展開になった。ユーモアと恐怖のスピード感は絶妙だ。そして、今回特筆すべきなのは、この作品が人間ドラマとしてもしっかりとしているということだ。主人公シドニー・プレスコットが立ち直っていく姿が見事に描かれている。過去の記憶に怯え幾重にも戸締まりしていた彼女が、最後に何かが起こることを密かに期待する私たちを見すかすように、ドアを空けたままにする静かなラストシーンは感動的。


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