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 オーディション 「オーディション/AUDITION」の画像です

  1999年作品。日本映画。115分。配給=アートポート。監督=三池崇史。企画・製作=オメガ・プロジェクト。企画協力=フィルムフェイス。エクゼクティブ・プロデューサー=横浜豊行。企画=進藤淳一。プロデューサー=福島聡司、陶山明美。原作=村上龍。脚本=天願大介。撮影=山本英夫。美術=尾関龍生。照明=小野晃。録音=中村淳。編集=島村泰司。サウンド・エフェクト=柴崎憲治。助監督=加藤文明。製作担当=鈴木剛。青山重治=石橋凌、山崎麻実=椎名英姫、青山重彦=沢木哲、吉川泰久=國村隼、青山良子=松田美由紀、柳田美千代=広岡由里子、高木美鈴=中村美里、車椅子の老人=石橋蓮司、酒場のマスター=斉木しげる、リエ=根岸季衣、ディレクター=光石研、柴田=大杉漣


 美術は現代的だが、女性の男性への「怨み」というホラーの古典を踏まえた作品。村上龍の小説もかなり怖かったが、三池崇史は映画の技法を最大限に生かして極上のサイコホラーを生み出した。小手先のこけおどしではない。「キリキリ、キリキリ」。怖い上に「痛み」を感じさせる表現が貴重だ。「ヘルレイザー」とはまた違った種類の痛覚を刺激された。切れの良い、勢いのある編集で、たっぷりと恐怖を堪能できる。

 身勝手な中年男性・青山重治を演じた石橋凌が良い味を出している。息子の青山重彦役沢木哲は、なかなかすがすがしい。舌と足首を切られて飼育されている柴田役の大杉漣にも拍手。そして「言葉なんか嘘だけど、痛みだけは信じられる」「うんと辛い目に合ったときだけ、自分の心の形がわかる」と言いながら、嬉しそうに注射を打ち、針を刺し、足首を切り落とす美女。幼児虐待の深いトラウマを抱えている山崎麻実を演じ切った椎名英姫こそ、高く評価されなければならない。


 カリスマ/Charisma 「カリスマ/Charisma」の画像です

 1999年作品。日本映画。103分。監督・脚本=黒沢清。製作総指揮=中村雅哉、池口頌夫。企画=吉田達、鵜野新一、有吉司。プロディーサー=神野智、下田淳行。アシスタントプロデューサー=山内拓哉、盛夏子。撮影=林淳一郎。照明=豊見山明長。美術=丸尾知行録音=井家眞紀夫。音楽=ゲイリー芦屋。編集=菊池純。薮池五郎=役所広司桐山直人=池内博之中曾根敏=大杉漣神保千鶴=洞口依子神保美津子=風吹ジュン


 黒沢清監督が、「CURE キュア」をさらに深化させてつくりあげた独自の映像世界。登場人物の輪郭も物語の因果関係もつかめないが、底知れぬ不安な緊張が持続する。生々しさと神秘性が拮抗する真似のできない境地。世界の最高水準に立つ掛け値なしの傑作。救済も魂もせつなさも奪われてしまった後のタルコフスキーの映画ようだ。

 自らが生きるために毒素を出し、周りの木々を枯らしている「カリスマ」と呼ばれる木。森の生態系を守るために「カリスマ」を排除すべきか、「カリスマ」も自然の一部として受け入れるのか。「カリスマ」も森も一度絶滅させるべきなのか。周りに悪影響を与える個性的な個人と社会の関係のメタファーであることは、容易に理解できる。しかし、この作品の魅力は、そのテーマ性にはない。そのテーマの下で動き回る人間たちの、不吉で不気味なリアリティこそが卓越している。


 オール・アバウト・マイ・マザー 「オール・アバウト・マイ・マザー」の画像です

 1999年作品。スペイン映画。101分。配給=ギャガ・東京テアトル。監督・脚本=ぺトロ・アルモドバル(Pedro Almodovar)。製作担当=エステル・ガルシア。製作総指揮=アグスティン・アルモドバル。撮影監督=アフォンソ・ベアト。音楽=アルベルト・イグレシアス。編集=ホセ・サルセド。美術=アンチョン・ゴメス。音響=ミゲル・レッハス。マヌエラ=セシリア・ロス(Cecilia Roth)、ウマ・ロッホ=マリサ・パレデス(Marisa Paredes)、シスター・ロサ=ペネロペ・クルス(Penelope Cruz)、ニナ=カンデラ・ペニャ、アダラート=アントニア・サン・フアン、シスター・ロサの母親=ロサ・マリア・サルダ


 第72回アカデミー賞の外国語映画賞ほか、30を超える映画賞に輝いた。心に深い傷を持つ人々、セクシャル・マイノリティの人々が織り成す人間賛歌。荒唐無稽とも思える強引なストーリー展開だが、屈折した歴史を背負った登場人物それぞれの個性がぶつかり合い、不思議な感動を呼び覚ます。過酷な状況でも繰り出されるユーモア溢れる会話と下品になるすれすれの奇抜な色彩感覚も健在。そして今回は、映画、文学などへのオマージュも詰まっている。

 「神経衰弱ぎりぎりの女たち」「キカ」のように世間の常識を打ち破る過激な展開は、少ない。しかし、醸し出される雰囲気はぺトロ・アルモドバルの世界だ。人々のつくりだす絆が、より多面的に描かれている点に成熟を感じる。たぶん、「女性映画」と呼ばれるのだろうが、私は「男性映画」との単純な比較に関心がない。そうした既存の性差を軽やかに超えたところに、この作品は花開いているのだと思う。


 発狂する唇 「発狂する唇」の画像です

 1999年作品。日本映画。82分。提供=オメガ・プロジェクト。制作=オメガ・プロジェクト、AFDF KOREA。製作協力=オズ。エグゼクティブ・プロデューサー=横浜豊行。プロデューサー=一瀬隆重、石原真、熊澤尚人。脚本=高橋洋。監督=佐々木浩久。撮影=喜久村徳章。美術=鈴木清倫。音楽=ゲイリー芦屋。編集=大永昌弘。録音=岩倉雅弘。アクション監督=熊欣欣。倉橋里美=三輪ひとみ、倉橋かおり=夏川ひじり、聞宮瑛子=由良宜子、倉橋瑛子=吉行由美、ルーシー=粟林知美、当麻平造=下元史朗、成本=阿部覧、大佐=大杉漣、倉橋美智夫=鈴木一真


 内容が決まる前に決定していたという「発狂する唇」という題名からして、かなりいかがわしい。全編通じてとんでもなく無責任なエロ・グロ・ナンセンス映画。神経を逆撫でするようなシーンが畳み掛けるように続く。父が死刑になり、兄も女子高生連続殺人事件の容疑者として追われている家族。マスコミ、近隣住民、 刑事から嫌がらせを受けている。なんともシリアスな設定。しかし突然三輪ひとみが歌謡曲を歌い、霊能力者が家に現われたあたりから、すべてが狂い始める。刺激的で面白ければそれでいいという佐々木浩久監督の信念が貫かれている。ただ、ストーリーは猛烈に過激だが、興行的な配慮などから過剰な表現は巧みに避けている。その冷静さが、この作品からカルト的なパワーを奪っているのは否定できない。監督自らが「60点の出来。小さくまとめ過ぎた」と語っているので、次回作に期待したい。

 この作品の前半は美少女アイドルいたぶりである。その点、三輪ひとみは格好の対象だろう。手から血を流して包帯するシーン、家族の悲劇に苦悩するシーン、母親や姉に押さえられて死体に犯されるシーン、なかなかのサービス精神である。そして後半、彼女が連続殺人事件の真犯人であることが明かされる。追ってきた遺族たちをカンフー・アクションで倒しながら、愛しあっていた兄とともに殺される。この大どんでん返しには空いた口がふさがなかった。それにしても、演技は下手でも三輪ひとみのひたむきな姿勢は魅力的だった。阿部覧、大杉漣らの怪演も華を添えている。


 アナザヘヴン 「アナザヘヴン」の画像です

 2000年作品。日本映画。131分。配給=松竹株式会社。原作=飯田譲治+梓河人「アナザヘヴン」(角川書店刊)。監督・脚本=飯田譲治。プロデューサー=河井真也。共同プロデューサー=石原真。ライン・プロデューサー=田口聖。撮影=高瀬比呂志。美術=斎藤岩男。照明=小野晃。音楽=岩代太郎。録音=岩倉雅之。サウンド・デザイナー=柿澤潔。サウンド・エフェクト=柴崎憲治。編集=阿部浩英。ビジュアル・エフェクト・スーパーバイザー=松本肇。早瀬マナブ=江口洋介、大庭朝子=市川実和子、飛鷹健一郎=原田芳雄、木村敦=柏原崇、柏木千鶴=岡元夕紀子、幕田ユウジ=加藤晴彦、坂木警部=六平直政、両角刑事=井田州彦、熊倉刑事=康喜弼、池上検死医=塩屋俊、笹本美奈=松雪泰子、赤城幸造=柄本明


 殺人後、脳を取り出してシチューやカルボナーラなどに料理する猟奇的な事件が続発する。首が折られていたことから大男の犯行とみられたが、料理やその他の証拠は女性の犯行を予想させた。そして、失踪していた女子大生がセクシーに男たちを誘惑し、「悪意」が男に乗り移る。刑事は失踪した場所・美術館の頭が欠けたアポロの像の前で推理する。ここまでは、なかなか緊張感のある展開だった。しかし、前作「らせん」と同じように、後半に入ると失速していく。観念的な説明が強くなると魅力が半減する。

 時間をさかのぼって「天」から降りてきた「悪意」なのに、脳が拒否反応を起こした腫瘍を作るのか。何故水の形態を取って、わざわざ耳から入り込むのか。そんな存在なら宇宙生物にした方が、まだスッキリするだろう。善良な人間の犠牲的な行為により「悪意」は滅びるという結末もありきたり。とりわけラストの早瀬マナブの演説は、噴飯ものだ。高尚なことを喋らせたくなる飯田譲治監督の悪い癖だろう。岡元夕紀子、松雪泰子、市川実和子の熱演に水をさす結果になった。


 MIFUNE 「MIFUNE」の画像です

1999年作品。デンマーク映画。98分。 配給=KUZUIエンタープライズ。監督=ソーレン・クラウ・ヤコブセン(Soren Kragh-Jacobsen)。製作=ビアギテ・ハルド、モーテン・カウフマン。脚本=ソーレン・クラウ・ヤコブセン、アンナ・トーマス・イエンセン。撮影=アンソニー・ドット・マントル。音楽=モーテン・ダインボル、ハンス・メラー。クレステン=アナス・ベアテルセン、リーバ=イーベン・ヤイレ、ルード=イエスパー・アスホルト、クレア=ソフィエ・グロベル、ビアーケ=エミル・ターディング、ゲルナ=アナス・ホーベ、ベアニレ=パプリカ・スティーン、ニナ=メテ・ブラトラン、ハンネ=スサネ・ストーム、リッケ=エレン・ヒリングソー、ビビー=シセ・バベット・クヌーセン


 1999年ベルリン映画祭銀熊賞受賞 。「MIFUME」とは三船敏郎のこと。「七人の侍」で菊千代役を演じた三船敏郎とクレステンをだぶらせている。菊千代は農民であることを隠して侍になっていたが、クレステンは田舎育ちを隠してコペンハーゲンで仕事をし社長令嬢と結婚する幸運をつかんだ。知的障害者の兄ルードは、クレステンを「とても強くて諦めない七人目の侍」と思っている。やや強引だが、デンマークで三船敏郎がこれほど浸透しているとは嬉しいことだ。

 もうひとつ、この作品は「ドグマ95」の3番目の作品として製作された。映画をハリウッド的なテクニカル重視の傾向から解放しようとする狙いがあると思うが、その約束は極端に言えばドキュメンタリーのように映画をつくれという制約の多い内容で、虚構や飛躍が基本の映画の精神とは相容れないように思う。ただ、ソーレン・クラウ・ヤコブセンは「ドグマ95」を絶対視するのではなく、「ダイエット」と称してその制約を楽しんでいるようだった。

 成功したクレステンに、兄と暮らしていた父親の死亡の知らせが来る。天涯孤独と言っていた嘘が妻にバレ、仕事と家庭を失う。しかしクレステンは重荷を降ろしたように気楽になり、兄と暮らし始める。嫌がらせ電話から逃れるためにメイドとしてやってきたコールガールのリーバに恋し、その弟で退学になったビアーケとも新しい生活を始める。知的障害者のルードが、屈折した思いを抱えながら生きている3人を解放していくという基本線は、よくあるといえばよくあるパターンともいえる。しかし、素朴な映像によって彼等のひたむきな情感が自然に伝わってくる。「身の丈」という言葉を久しぶりに思い出した。


 AMERICAN BEAUTY 「アメリカン・ビューティー」の画像です

1999年作品。アメリカ映画。122分。配給=UIP。監督=サム・メンデス(Sam Mendes)。脚本=アラン・ボール。製作=ブルース・コーエン、ダン・ジンクス。撮影=コンラッド・L・ホール,A.S.C.。プロダクションーデザイナー=ナオミ・ショーハン。編集=タリク・アンウォー、クリストファー・グリーンバリー。衣裳デザイン=ジュリー・ウェイス。音楽=トーマス・ニューマン(Thomas Newman)。音楽スーパーバイザー=クリス・ダーリダス。レスター・バーナム=ケビン・スペイシー(Kevin Spacey)、キャロリン・バーナム=アネット・ベニング、ジェーン・バーナム=ゾーラ・パーチ、リッキー・フィッツ=ウエス・ベントレー、アンジェラ・ヘイズ=ミーナ・スバーリ、バディ・ケイン=ピーター・ギャラガー、バーバラ・フィッツ=アリソン・ジャーニー、フィッツ大佐=クリス・クーパー


 イギリス演劇界で高く評価されているサム・メンデスの初監督作品。第72回アカデミー賞で作品賞など5部門を受賞した。乾いた皮肉と温かいまなざしが交差する佳作。郊外の新興住宅地に住む42歳の中年男性が、空虚な家庭生活、不毛な仕事に激しい倦怠感を覚え、娘の同級生に恋をする。仕事をやめてアルバイトを始め、好きなものを買いまくり家族の崩壊に拍車がかかるが、周囲の目をよそに彼は生きがいを感じている。妻の浮気、娘の恋などを加えて緊密な展開になっているが、この作品のすごさは、それに深刻な同性愛の問題を絡ませている点だ。自分の同性愛指向を抑圧して厳粛な父親を演じ、銃やナチの食器を収集する屈折した元軍人が登場する。彼が影の主役だ。

 倦怠感にさいなまれる中年男性に感情移入しかけた自分を、途中からは自笑しながら観ていた。登場人物の会話や行動を笑いながら観ていたが、元軍人の人生を想像したとき、今度は笑っている自分を恥じることになった。コミカルでシニカル。この表現がこれほどぴったりくる映画は少ない。ケビン・スペイシーは主演男優賞を取ったが、元軍人役のクリス・クーパーの苦悩に満ちた演技に撃たれた。妻役のアネット・ベニングは、「マーシャル・ロー」よりも数段熱演していた。中年男性を狂わすアンジェラ・ヘイズ役のミーナ・スバーリは、妖しい瞳と唇が印象的。今後が楽しみな女優だ。


 STILL CRAZY 「スティル・クレイジー」の画像です

1998年作品。コロンビア映画。95分。配給=ソニー・ピクチャーズエンターテインメント。監督=ブライアン・ギブソン(Brian Gibson)。脚本・製作総指揮=ディック・クレメント、イアン・ラ・フレネ。撮影=アシュリー・ロー。美術=マックス・ゴットリーブ。編集=ピーター・ボイル。衣装=キャロライン・ハリス。レイ=ビル・ナイ、レス=ジミー・ネイル、ビーノ=ティモシー・スポール、ルーク=ハンス・マシソン、トニー=スティーブン・レイ、ヒューイ=ビリー・コノリー、カレン=ジュリエット・オーブリー、アストリッド=ヘレナ・ベルクストローム、ブライアン=ブルース・ロビンソン


 「これがロック版フルモンティだ!」という宣伝文句が気に入らなかった。それでも巧みな配役につられて観てしまった。予想通り、イギリスの深刻な失業問題を背景にした辛らつなコメディの「フル・モンティ」とはかなり違う作品だったが、メンバーが個性的で意外に面白かった。1977年、ウィズベックの野外ロック・コンサートで解散したストレンジ・フルーツのバラバラになったメンバーが集まり、バンドを再結成するという実際にも良くある話なのだが、反目しながらまとまっていく過程が、軽妙な会話で巧みに盛り上げられる。そしてお決まりの結末に感動した。

 期待していないと、妙に点が甘くなりがちだが、平均点は超えていると思う。個性的だが社会性に乏しい中年男たちを、女性のカレンが引っ張っていくという設定が、「ロック=男性」となりがちなこの種の作品を豊かにしている。懐かしい70年風の曲がオリジナルだというのもうれしい。吹き替えなしの歌も迫力があった。そして、最初は死んだと思わせられたブライアンは、後半さっそうと登場し美味しいところをさらってしまった。さすがブルース・ロビンソンである。


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