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 GO 「GO」の画像です

 2001年作品。日本映画。122分。配給=東映。監督=行定勲(YUKISADA ISAO)。 脚本=宮藤官九郎(KUDO KANKURO)。原作=金城一紀。撮影=柳島克己。美術=和田洋。編集=今井剛。音楽=めいなCo.。主題歌=KaleidoScope。杉原=窪塚洋介、桜井=柴咲コウ、道子=大竹しのぶ、秀吉=山崎努、タワケ=山本太郎、元秀(ウォンス)=新井浩文、加藤=村田充、正一(ジョンイル)=細山田隆人、ナオミ=キムミン、大使館員=ミョンケナム、タクシー運転手=大杉漣、金先生=塩見三省、巡査=萩原聖人


 豪快にして繊細。深刻にして軽快。シリアスにしてギャグ満載。その振幅を存分に楽しむことができる屈指の傑作。在日韓国・朝鮮人の問題を軸にしながら、アイデンティティ探しと、友情、家族、恋愛などが描かれていく。行定勲監督は、長く岩井俊二監督の下で助監督をしてきたが、映像センスの良さは抜群だ。「リリイ・シュシュのすべて」も「GO」も痛みを感じる青春映画だが、「リリイ・シュシュのすべて」が剃刀なら、「GO」は素手で思いきり殴られた痛みだ。差別の問題をこれほど正面から、しかもポップに突き付けられると、在日日本人という自分の社会的な位置を問い返さないわけにはいかない。そして苦しみ抜いた後に訪れるハッピーエンドに、勇気づけられる。

 直木賞を受賞した原作の良さは当然として、それを映画として構成し直し、独自の味を加えた宮藤官九郎の脚本が素晴らしい。まず「スーパー・グレート・チキン・レース」というアクションシーンのテンションの高さで、一気に引き込まれた。そして主人公・杉原役窪塚洋介の冴え渡った幅の広い演技。山崎努や大竹しのぶと互角に勝負できる逸材だ。恋人役の柴咲コウも期待通り。ますます魅力的になった。そのほか、この作品ではたくさんのおいしいシーンが楽しめる。とりわけ、暴力団組長の息子・加藤の誕生日に開かれたクラブで流れる指つめや花札のVJは拍手ものだ。ヤクザ映画からサンプリングした佐和田惠監督助手の作品だ。


 リリイ・シュシュのすべて 「リリイ・シュシュのすべて」の画像です

 2001年作品。日本映画。146分。配給=ロックウェルアイズ。監督・脚本=岩井俊二。撮影=篠田昇。音楽=小林武史。蓮見雄一=市原隼人、星野修介=忍成修吾、久野陽子=伊藤歩、津田詩織=蒼井優、高尾旅人=大沢たかお、星野いずみ=稲森いずみ、島袋=市川実和子


 インターネット小説から始まった岩井俊二監督待望の新作。せつなさが辛さに変わっていく。登場する少年少女たちの無謀な振る舞いを観続けながら、青春の生き難さ、閉塞感を思い返していた。生の理不尽さや痛みから巧みに身をかわすフットワークを軽蔑していた時代。音楽にのめり込むことで、かろうじて日常性を保っていたあのころ。たしかに楽しいこともあったが、どうしようもなく不安定なあの時代に戻りたいと、私はけっして思わない。古い傷口が少し開いた。

 目の覚めるような鮮烈な構図。いじめや犯罪の呵責ない描写。リリイ・シュシュの歌とドビュッシーの音楽。美しさとやりきれなさに揺れ続ける映像。作品としてのまとまりを拒絶した展開と結末。それは、青春の手触りを大切にするために、意図された手法だろう。居心地の悪い、ばらばらな感覚こそ、14歳のリアルに近い。全体の圧倒的な暗さに まぎれそうな、監督の「お遊び」も大切な隠し味。岩井監督は、映画のフィールドを広げ、豊かにし続けている。


 焼け石に水 「Gouttes d'eau sur pierres brulantes/焼け石に水」の画像です

 2000年作品。フランス映画。90分。配給=ユーロスペース。監督・脚本=フランソワ・オゾン(Francois Ozon)。原作=ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー。プロデューサー=オリヴィエ・デルボスク、マルク・ミソニエ、アラン・サルド、クリスチーヌ・ゴズラン。製作会社=フィデリテ・プロダクション(フランス)、レ・フィルム・アラン・サルド(フランス)。共同製作=ユーロスペース(日本)、ストゥディオ・イマージュ6(フランス)。撮影=ジェーン・ラポイール。録音=エリック・ドゥブルドゥール。編集=ローレンス・ボーディン。美術=アルノー・ド・モレロン。衣裳=パスカリーヌ・シャヴァンヌ。音楽=「夢」フランソワーズ・アルディ、「交響曲第4番ト長調」グスタフ・マーラー、「アンセム祭司ザドクHYVU.258」ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル、「ぼくとサンバを踊ろう」トニー・ホリディ。レオポルド=ベルナール・ジロドー、フランツ=マリック・ジディ、アナ=リュディヴィーヌ・サニエ、ヴェラ=アンナ・トムソン


 ニュー・ジャーマン・シネマの代表的な映画監督ファスビンダーが19才で書いた未発表の戯曲が原作。オゾン監督は、1970年代のドイツの雰囲気を生かし、冷え冷えとしたファスビンダーの手触りに、独自のコミカルさを加えている。ゲイ・テイストを基本にしながら男女4人のねじれた愛憎を、毒に満ちた4幕の室内劇に仕立てた。

 残酷なストーリーに似つかわしくない音楽とクライマックスでの突然のタンゴ。辛らつな物語に強引に笑いの要素を持ち込むことで中途半端になったとみるか。悲劇がさらに深まったとみるか。いや、オゾン監督の作品の魅力は、両方の見方に激しく揺れ動く、その振幅にあるといえるだろう。いつもながら、オゾンは底意地が悪い。


 ドラキュリア「ドラキュリア」の画像です

 2000年作品。アメリカ映画。98分。配給=アスミック・エース。監督=パトリック・ルシエ。製作・脚本=ジョエル・ソアソン。製作=W・K・ボーダー。製作総指揮=ウェス・クレイブン、マリアンヌ・マッダレーナ。撮影;ピーター・パウ。衣装=デニース・クローネンバーグ。音楽=マルコ・デルトラーミ。メイクアップEFX=ガート・J・タニクリフ。ヴィジュアル・エフェクツ=エリック・ヘンリー。ドラキュリア=ジェラード・バトラー、アブラハム・ヴァン・ヘルシング=クリストファー・ブラマー、サイモン・シェパード=ジョニー・リー・ミラー、マリー・ヘラー=ジャスティーン・ワデル、ルーシー=コリーン・アン・フィッツパトリック(ビタミンC)、ソリーナ=ジェニファー・エスポジト、マーカス=オマー・エプス、トリック=ショーン・パトリック・トーマス、ナイトシェイド=ダニー・マスターソン、エディ=ロシリン・ムンロ、ダックス=ティグ・フォング、ヴァレリー・シャープ=ジェリー・ライアン


 ゴシック・ホラーの重厚な映像から、パンク・ホラーの派手な演出まで、1970年代から現代までのドラキュラ映画のおいしいところを詰め込んだような作品。物語の展開は早く、アクションシーや幻想シーンが、ちりばめられて飽きさせない。音楽はヘビーメタルを基調に、うるさいほど映像を盛り上げている。しかし、ヘルシング教授を演じたクリストファー・ブラマー以外は、登場人物に存在感がない。ドラキュラ役のジェラード・バトラーは、長い年月を生きてきたとは思えない軽いノリでロッカーのようだった。

 この作品の特徴は、十字架、聖書、銀などを恐れるドラキュラの正体を明らかにするというユニークさにある。キリストの最後をからめた種明かしは、なかなか鋭いもので、確かに独創的である。しかし、キリスト教とは異質な文化から生まれ、たえずキリスト文化を脅かす存在であったドラキュラを、キリスト教の体系の中に封じ込めるという最悪のアイデアでもあると思う。御都合主義のストーリーよりも、私にとってはこの点が許しがたい。常に外部であり続けるドラキュラの存在意義自体を抹殺する、銀のクイよりも致命的なアイデアだ。


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