家族シネマ |
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1998年作品。韓国映画。103分。監督=パク・チョルス。製作=ユン・クォンジン。原作=柳美里。脚本=ウ・ビョンギル。撮影=イ・ウンギル。撮影=イ・テッキュ。音楽=ピョン・ソンニョン。 梁石日、伊佐山ひろ子、柳愛里、中島忍、松田いちほ、キム・スジン、海野けい子、パク・ヨンノク、益富信孝
制作は韓国人スタッフで全編日本ロケ、日本語。柳美里の小説「家族シネマ」をほぼ忠実に映画化した。日本と韓国の文化的な交流としては、画期的な作品。崩壊した日本家族の喜悲劇を、まだ家族の結束が強い韓国の監督が見事にすくいあげていることも特筆すべき点だ。
バラバラになっている家族が、ドキュメンタリータッチの映画に出ることをきっかけに再会し、父親は映画を機に家族の再生を願うが、結局は修復できないことを実感するという苦いコメディ。母親役の伊佐山ひろ子が、とにかくうまい。必死で生きようとしている中年女性のしたたかさと淋しさが全身からにじみ出ている。切実であればあるほど、笑わずにはいられない。父親を演じた梁石日の身勝手さと不器用さもリアリティがあった。
黒猫・白猫 |
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1998年作品。フランス・ドイツ・ユーゴスラビア合作映画。130分。配給=フランス映画社。監督=エミール・クストリッツア(Emir Kusturica)。脚本=ゴルダン・ミヒッチ。撮影=ティエリー・アルボガスト。美術=ミレンコ・イェレミッチ。衣装=ネボイシャ・リパノヴィッチ。音楽=ドクトル・ネレ・カライリチ、ヴォイスラフ・アラリカ、デーシャン・スパラヴァロ。演奏=NO SMOKING。編集&サウンド・デザイン=スヴェトリク・ミカザイッチ。マトゥコ・デスタノフ=バイラム・セヴェルジャン、ダダン=スルジャン・トドロヴィッチ、イダ=ブランカ・カティチ、ザーレ・デスタノフ=フロリアン・アイディーニ、シューイカ=リユビッツア・アジョヴィッチ、グルガ・ピテッチ=サブリー・スレイマーニ
前作「アンダーグラウンド」が、あまりにも政治的に扱われたことに嫌気がさし一時は引退宣言までしたエミール・クストリッツア監督の新作。全編、ロマ民族(ジプシー)の生き生きとした振る舞い、歌声が満ちた陽気なカーニバルのようなラブコメディ。最後には死者が蘇り、悪者は糞尿まみれになり、愛する者は結ばれるハッピーエンドが待っている。
クストリッツア監督は「映画に戻れるのが嬉しくて、人生のありとあらゆるものに対する自分の熱狂や愛情を表したいという思いに駆られた」と話している。豚が自動車を食べ、現代が神話と出会う、お祭りのようなクストリッツア作品にジャンルはない。登場する人々のエネルギーに圧倒されながら、映画を愛する思いを共有して心が弾む。幸せな体験だ。
踊れトスカーナ! |
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1996年作品。イタリア映画。93分。配給=ブエナビスタ・インターナショナル。監督=レオナルド・ピエラッチョーニ(Leonardo Pieraccioni)。脚本=ジョヴァンニ・ヴェロネージ、レオナルド・ピエラッチョーニ。撮影=ロベルト・フォルツァ。衣装=ニコレッタ・エルコーレ。音楽=クラウディオ・グイディッティ。編集=ミルコ・ガッローネ。レベンテ=レオナルド・ピエラッチョーニ、カテリーナ=ロレーナ・フォルテーザ(Lorena Forteza)、セルバジャ=バルバラ・エンリーキ、リーベロ=マッシモ・チェッケリーニ、オズヴァルド=セルジオ・フォルコーニ、ナルドーネ=アレッサンドロ・アーベル、ピッポ=バオロ・エンデル、カルリーナ=トスカ・ダクイーノ、ペネロペ=ナタリア・エストラーダ、フランカ=パトリツィア・コルティ、イザベラ=ベネデッタ・マッツィーニ
レオナルド・ピエラッチョーニ監督の日本初公開作。イタリアの小さな町トスカーナで、それぞれ個性的だが平凡な毎日を過ごしていた会計士レベンテの家族。ある日道路標識が壊れていたので、レベンテたちの家をホテルと勘違いして訪れたスペインのフラメンコ・ダンサーの一行が現れ、レベンテはダンサーの一人に一目惚れ、生活は一変する。最後はハッピーエンドで終る、いかにもイタリア映画らしい陽気なストーリー。しかし、イタリア映画で中心になりがちな母親をあえて不在にし、さまざまなひねった仕掛けをちりばめている。そして、抑制の効いた映像。もう少し観たいと思わせて場面転換するセンスは心憎いばかりだ。オチもばっちり決まった。
個性派ぞろいの中で、とりわけ輝いていたのはカテリーナ役のロレーナ・フォルテーザ。テーブルの上で、そして庭でフラメンコを踊るシーンは、魅力いっぱいだ。主人公レベンテを演じたピエラッチョーニ監督も、真面目な半面とぼけた味で憎めない。ただ、「踊れトスカーナ!」という邦題は、野暮ったい。佳作だけに、残念だ。 原題は嵐の意味の「IL CICLONE」。「6月のフラメンコ」とでもした方が、まだ良かったのでは。
お受験 |
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1999年作品。日本映画。114分。配給=松竹。プロデューサー=榎望、渡井俊久。監督=滝田洋二郎。原案・脚本=一色伸幸。音楽=左橋俊彦。撮影=栢野直樹。美術=部谷京子。編集=冨田功。富樫真澄=矢沢永吉、富樫利恵=田中裕子、富樫真結美=大平奈津美、塾長=西村雅彦、中村橋夫=鈴木一真、富樫の秘書=藤扇里、聖園小学校校長=岸部一徳、千秋みどり=余貴美子、古本監督=大杉漣
矢沢永吉の映画初主演作。有名私立小学校への入学を目指す「お受験」と、リストラされた実業団マラソンランナーという構図で、人々の滑稽なまでの一生懸命さを描いている。滝田洋二郎監督お得意の設定だが、 注がれるまなざしは、意外に温かい。いつもなら見られる過激なシーンを意図的に外している。もはや虚妄でしかない「お受験」と企業の広告塔になった実業団マラソンを皮肉りながらも、最後に家族愛を持ってくる辺りは、しっかり受けを狙った。それも「虚妄」なのだが。
「永ちゃん」は、スポーツに賭けながら会社に裏切られる中年男性の悲しみと頑張りを身体全体で表現していて、ハマリ役。子供役の大平奈津美は、だんだん可愛らしく、愛しくなっていく。母親を演じた田中裕子は、マンガチックでおおげさな芝居が最後まで鼻についた。ラストでは、廃部となって市民参加したかつての実業団マラソンランナーへの配慮も忘れていない。マラソンも受験も結末をあいまいなままにしているが、余韻は明るい。
54 フィフティ・フォー |
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1998年作品。アメリカ映画。101分。配給=アスミック。監督・脚本=マーク・クリストファー(Mark Christopher)。プロデューサー=アイラ・ドゥッチマン、リチャード・N・グラッドスタイン、ドリー・ホール。撮影=アレキサンダー・グルズィンスキ。編集=リー・パーシー。プロダクション・デザイン=ケヴィン・トンプソン。衣装=エレン・ラター。音楽=マルコ・ベルトラミ。音楽監修=スーザン・ジェイコブズ、コーティ・マンディ。シェーン・オシア=ライアン・フィリップ(Ryan Phillippe)、ジュリー・ブラック=ネーヴ・キャンベル、スティーヴ・ルベル=マイク・マイヤーズ(Mike Myers)、アニタ=サルマ・ハエック(Salma Hayek)、グレッグ=ブレッキン・メイヤー、ビリー・オースター=セラ・ウォード、ヴィヴ= シェリー・ストリングフィールド
マーク・クリストファー監督の長編映画デビュー作。1977年4月26日、ニューヨーク西54丁目にオープンしたディスコスタジオ54。アーティストたちが集まりスキャンダラスな芸術の情報発信源となった。退屈な日々を送ってシェーンは、オーナーのスティーヴ・ルベルの目に留まって入場を許され、やがてバーテンダーに昇格、アイドル的存在に昇りつめる。そして、欲望や夢とその空しさを味わっていく。当時の様子を再現したセットや映像にマッチした懐かしい音楽は心地よいが、ルベル逮捕後の展開は悲しすぎる。確かに派手な「パーティは終った」が、自由な場は形を変えて生み出され続けている。
ライアン・フィリップは確かに魅力的だが、「ベルベット・ゴールドマイン」(トッド・ヘインズ監督)のジョナサン・リース・マイヤーズほどではない。むしろ、スタジオ54のオーナーとして巨万の富みと名声を得ながら満たされない思いを持ち続けるスティーヴ・ルベル役のマイク・マイヤーズの、つかみどころのない演技が印象に残った。「オースティン・パワーズ」(ジェイ・ローチ監督)とは全く違う側面を見せてくれた。ひたむきに歌手を目指すアニタを演じたサルマ・ハエックも美貌とセクシーさに磨きがかかっていた。
ハムナプトラ |
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1999年作品。アメリカ映画。125分。配給=UIP。監督=スティーブン・ソマーズ(Stephen Sommers)。製作=ジム・ジャックス&ショーン・ダニエル。撮影=エイドリアン・ビドル。プロダクション・デザイナー=アラン・キャメロン。スタント・コーディネーター=サイモン・クレーン。衣装デザイナー=ジョン・ブルームフィールド。編集=ボブ・ダクセイ。音楽=ジェリー・ゴールドスミス。リック・オコーネル=ブレイダン・フレイザー、エヴリン=レイチェル・ワイズ、ジョナサン=ジョン・ハナ、イムホテップ=アーノルド・ボスルー、ベニ=ケビン・J・オコーナー、刑務所長=オミッド・ジャリリ、博物館長=エリック・アヴァリ、エジプト学者=ジョナサン・ハイド
古代エジプトの秘宝を巡る冒険アドベンチャー。モロッコの砂漠に死者の都の巨大セットを建設し、高度なCGを駆使しているのは分かるが、2時間以上あるのに観終った後の充実感が乏しい。登場人物に魅力がないことと、古いストーリーを新しく蘇らせることに成功していない。しかし、内臓までCGでつくりこまれたミイラ男は、見事に蘇り実際の人間たちよりも存在感があった。
見ごたえがあったのは、最初の場面。3000年前のエジプトのセットは、まさに「イントレランス」だ。許されぬ恋、王の怒り、死者の蘇りの儀式、そして恐ろしい刑罰と、畳み掛けるように進む。セットとともに十分楽しませてもらった。近代への切り替えシーンもさり気ないが手がこんでいる。それだけに、近代に移った後は、テンションが上がらず、どたばたしたまま平凡な結末を迎えたのが残念だ。
あの、夏の日 |
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1999年度作品。日本映画。123分。配給=東映。企画・製作=芥川保志、大林恭子。 監督=大林宣彦。 脚本=石森史郎、大林宣彦。 原作=山中恒「とんでろ・じいちゃん」(旺文社刊)。音楽=學草太郎、山下康介。撮影=坂本典隆。美術=竹内公一。編集=大林宣彦。大井由太=厚木拓郎、大井賢司郎(おじいちゃん)=小林桂樹、大井亀乃(おばあちゃん)=菅井きん、大井昌文(父)=嶋田久作、大井香里(母)=松田美由紀、椎名真弓先生=石田ひかり、大井ミカリ=勝野雅奈恵、小林玉=宮崎あおい、大井エリカ=佐野奈波
昨年公開された「SADA」は大林色が濃厚なものの下品なまま終った失敗作、そして前作「風の歌が聴きたい」は、作品としての質は高かったが大林監督の個性が希薄で物足りなかった。しかし新・尾道三部作の完結作「あの、夏の日」は、「あした」をしのぐほどの出来映え。明るくてちょっぴり切ない大林ワールドをつくりあげている。還暦を迎えた監督が初心に帰った愛すべき傑作だ。
主人公の少年「ボケタ」・大井由太役の厚木拓郎は、とぼけたキャラクターで「ヒェー」なんて叫んでいて、けっして演技はうまくないが、物語が進むうちに抱き締めたいほど魅力的になる。おじいちゃん役の小林桂樹は驚くほど軽妙、おばあちゃん役の菅井きんも尾道に根ざした見事な演技を見せる。さまざまなメッセージを静かに示しながら、懐かしいファンタジーが綴られていく。
「マキマキマキマキマキマショウ マキマキマイタラユメンナカ マキマキマキマキマキマショウ マキマキマイタラヤクソクネ」。不思議な呪文が、いつまでも心に残り、思い出すと今でも涙が出そうになる。
催眠 |
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1999年作品。日本映画。108分。配給=東宝。製作=柴田徹、原田俊明。監督=落合正幸。脚本=落合正幸、福田靖。原作=松岡圭祐(「催眠」)。撮影=藤石修。美術=清水剛。編集=深沢佳文。嵯峨敏也=稲垣吾郎、入絵由香=菅野美穂、櫻井刑事=宇津井健、実相寺則之=升毅、三井恵子=渡辺由紀、倉石勝正=小木茂光、井手利一=左戸井けん太、下元=白井晃、朝生俊之=中丸忠雄、牟田悦司=大杉漣
こけおどしと御都合主義のストーリー。画面全体に渦巻きをつくって「催眠」ですか。いやはや困ったものである。「パラサイト・イヴ」で、それなりに才能のきらめきを見せていた落合正幸監督が、こんな卑しい志の低い作品をつくるとは。催眠で嫌な記憶を消し去ることが「良い治療」などという過った主張も気に触った。しかし、それでも「睡眠」せずに最後まで見せるだけの配慮はしている。一過性ではあるが「リング2」(中田秀夫監督)よりも怖かった。ただ、最後のシーンの馬鹿馬鹿しさで、さらに10点減点。
収穫と言えば、入絵由香役の菅野美穂をおいて他にはない。怯え切っている演技から、多重人格者としての幅のある演技。そして「エクソシスト」並みのオカルト・シーン。完全にホラーの世界に入ってしまった。「エコエコアザラク」(佐藤嗣麻子監督)、『富江』(及川中監督)と続いてきた豹変演技は、一つの頂点を極めたと言えるだろう。「黒い家」を映画化するなら、犯人役は彼女以外に考えられない。
Star Wars Episode I |
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1999年作品。アメリカ映画。133分。配給=20世紀フォックス映画。監督・脚本・製作総指揮=ジョージ・ルーカス。製作=リック・マッカラム。コンセプト・デザイン監督=ダグ・チャン。衣裳デザイナー=トリシャ・ビッガー。プロダクション・デザイン=ギャビン・ボケット。プロダクション・スーパーパイザー=デイビツド・ブラウン。クリーチャー・イフェクツ・スーパーバイザー=ニック・ダッドマン。編集=ポール・マーチン・スミス。撮影監督=デイビッド・タッターソル。音楽=ジョン・ウィリアムズ。視覚効果スーパーバイザー=デニス・ミューレン。視覚効果スーパーバイザー=ジョン・ノール。視覚効果スーパーバイザー=スコット・スクワイヤーズ。クワイ=ガン・ジン=リーアム・ニーソン、オビ=ワン・ケノービ=ユアン・マクレガー、クイーン・アミダラ=ナタリー・ポートマン、アナキン・スカイウォーカー=ジェイク・ロイド、パルパティーン元老院議員=イアン・マクダーミド、シミ・スカイウォーカー=ペルニラ・アウグスト、シオ・ビブル=オリバー・フォード・デイビス、バローラム大法官=テレンス・スタンプ、ジヤー・ジャー・ビンクス=アーメド・ベスト、ヨーダ=フランク・オズ、メイス・ウィンドゥ=サミュエル・L・ジャクソン、ベイル・オーガナ=エイドリアン・ダンパー、パナカ大尉=ヒュー・クオーシー、ウオルド=ワーウィック・デイビス、C-3PO=アンソニー・ダニエルス、R2-D2=ケニー・ベイカー
映画会社ではなく、ジョージ・ルーカスが自らの資金で作り上げた神話的叙事詩のオープニング。そのビジョンは壮大だ。独創性がある訳ではないが、確固とした世界観に貫かれた物語を描いていく姿勢は感動もの。最新のCGによる特殊効果は小賢しさがなく、堂々としている。遠くから俯瞰するシーンは、大スクリーンで観ても、細かすぎて目が追いつけない。巨大なセットと膨大なエキストラを使ったD・W・グリフィス監督の「イントレランス」を思い出した。情報量の多さに戸惑ったのは「プロスペローの本」(ピーター・グリーナウェイ監督)以来の体験だった。そして、アナキン・スカイウォーカーが出場した手に汗握るポッド・レースは、「ベンハー」ばりの醍醐味だ。
クイーン・アミダラ役のナタリー・ポートマンの凛とした美しさに、あらためてうたれた。何度も着替える衣装も中国風で凝りに凝っている。アミダラの影武者のアイデアは最初からバレバレだったが、ポートマンに免じて許そう。気に触るキャラクターのジャー・ジャー・ビンクスは、最初は浮いていたが、やがてナブーとグンガン族を結ぶ重要な役目を果たす。黒澤明監督「七人の侍」の菊千代をちょっと連想させる。菊千代よりも百倍気に触るが。しかし、こういう異質性を意識的に取り入れているところが、ルーカスの懐の深さだ。珍妙な登場人物、動物たちが満載で100種類以上、ダーク・モールの黒赤刺青もすごいが、ルーカス・テイストとしておおいに楽しんだ。
早く「エピソード2」が観たい。"The Saga Continues..."
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