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「秘密」の画像です

 秘 密 

1999年作品。日本映画。119分。配給=東宝。監督=滝田洋二郎。原作=東野圭吾(文藝春秋刊)。脚本=斉藤ひろし。製作=児玉守弘。企画=原田俊明。エグゼクティブ・プロデューサー=間瀬泰宏。プロデューサー=田上節朗、進藤淳一。撮影=栢野直樹。照明=長田達也。美術=金田克美。録音=林大輔。音楽=宇崎竜童。編集=冨田功。杉田藻奈美・直子= 広末涼子、杉田平介=小林薫、杉田直子=岸本加世子、橋本多恵子=石田ゆり子、梶川文也=金子賢、相馬春樹=伊藤英明、木村邦子=篠原ともえ、梶川幸広=大杉漣、吉本和子=柴田理恵、三郎=山谷初男、容子=橘雪子、富雄=冷泉公裕、好美=塩崎沙織、好美の弟=山田誠、藤崎=國村隼、小田島=内山信二、友紀=浅見れいな、里香=生田いづみ、亀田=広岡百合子、医師=並樹史朗、 真美=金井良子、報道記者=柴田秀一、看護婦=成瀬文枝

 「お受験」に続く滝田洋二郎監督の新作。深刻なテーマをユーモラスに描く才能が十二分に発揮され、傑作が誕生した。斉藤ひろしの脚本も良くできている。何度か涙をしぼり取られ、最後は「やられたな」と苦笑した。妻と娘が乗っていたバスが谷底に転落し、妻の肉体は死ぬが意識は娘に乗り移る。過酷な現実を受け止めようとする不器用な夫を小林薫が熟練の芸で演じてみせた。

 広末涼子はなんでこんなにうまくなったのだろう。「鉄道員 ぽっぽや」(降旗康男監督)でも、爽やかな演技をしていたが、まだアイドルの領域だった。今回は娘の藻奈美と妻の直子の二役(?)を 演じ分けなければならなかったが、本当に岸本加世子が乗り移ったような芝居をしていた。今年「大化け」した俳優の一人だろう。今度は汚れ役に挑戦し、個性派俳優として成長してほしいものだ。


「アンダー・ザ・スキン」の画像です

 UNDER THE SKIN 

1997年作品。イギリス映画。82分。配給=ケイブルホ−グ。監督・脚本=カーリン・アドラー(Carine Adler)。製作=ケイト・オグボーン。撮影=バリー・アクロイド。編集=イヴァ・J・リンド。美術=ジョン=ポール・ケリ−。音楽=イオナ・セカッツ。衣装=フランシス・テンペスト。アイリス=サマンサ・モートン(Samantha Morton)、ローズ=クレア・ラッシュブルック、ママ=リタ・トゥシンハム、トム=スチュアート・タウンゼンド、ヴロン=クリスティーン・トレマルコ、ゲアリー=マシュー・デラメェア、フランク=マーク・ウォ−マック、エレナ=クレア・フランシス

 トロント映画祭批評家賞、エディンバラ映画祭イギリス映画最優秀作品賞を受賞。私はあまり女性監督だと言うことを強調したくないが、イギリス映画でも女性の監督は少ないので、まずは新しい才能の開花を喜びたい。イギリス映画のシニカルさを持ちながら、愛する人を失った時の言葉にできないほどの痛みや辛さを表現する手腕に独自性がある。日常の細部を丁寧に描きつつ、孤独と性の問題にも力強く踏み込む。そして、安直ではない希望を残していく。

 アイリス役のサマンサ・モートンは、まさに体当たりの演技。悲しみの深さに耐えきれず、自堕落になっていく切実さを全身で表している。その身体が孤独に泣いている。決してうまくはない「アローン・アゲイン」の歌声に込められた思いに胸が詰まる。ラストの「花は大好き。名前を覚えよう」というアイリスの前向きな言葉にほっとした。ローズ役のクレア・ラッシュブルックは、母親を失った孤独や不安を飼いならしながら日々を過ごす姉の生きざまを、嫌味なく演じた。これはこれで難しい役柄だ。


 ワイド・スクリーン 

 フランス映像の今日 

北海道立近代美術館で映像フェスティバル99「ワイド・スクリーン フランス映像の今日」が、23、24の両日行われた。今回は「パサージュ:フランスの新しい美術」展に連動して企画したもの。インデペンデント・キュレータ−であるジェローム・サンスが9作品をセレクトした。フランスは、1920年代からシュールレアリズムの作家たちが前衛的な映画を制作するという先駆的な歴史を持っているが、今回の作品を見る限り新しい地平を切り開いているようには思えなかった。

 「ウェット・ドリーム」(ディディエ・ベイ監督)は、1994年に発表後、何度もバージョンを変えている。囁くようなナレーションに乗ってアメリカで撮影した写真を次々に映していく。単純な構成。それでも眠くならないのは、視点の多様性があるからだろう。「堕ちた天使」(マルクス・ハンセン監督、1997年)は、わずか45秒の作品。内容よりも、CMの間に紛れ込ませるとうアイデアが命だろう。「白雪姫リュシー」(ピエール・ユイグ監督、1997年)は、白雪姫の声優が裁判をおこして勝利する明快な作品。内容は字幕で説明し、映し出されるのは声優のハミングだけ。

 「物の上を歩く」(マリー・ルグロ監督、1997年)は、ハイヒールが大写しになって、床に下りずにイスやソファなどを渡り歩くだけ。しかし、会場で爆笑が起きる。別の視点で家具や生活を問い返す、ハイヒールの暴力性を引き出すと言うよりもドリフターズのギャグか。「マルコ」(ライナー・オルデンドルフ監督、1992-1997年)は、ファスビンダ−監督の「第三世代」を下敷きに、さまざまな言語が絡み、物語は交錯を深めていく。しかし、色調が統一されているので意外性は乏しい。「隣人」(フィリップ・パレノ監督、1995年)は、三人の男性のとりとめのない会話。さんざ話した後「世界を変えるのは遊びを楽しむ心だ」で終わる。つまりは無駄話の勧め。

 「私が手を青く塗ろうと決めた日 1997年8月」(ジョルジュ・トニー・ストール監督)は、手を青く塗って身ぶりする作品。こんなパフォーマンスは60年代、70年代の作品で飽きるほど見てきた。今どきこんなの見せられても。「美しき島」(アンジュ・レッチア&ドミニク・ゴンザレス=フォースター監督、1996年)は、コルシカ島から日本への旅を断片的な映像で構成しもの。前半はありきたりなロードムービーだったが、中盤から独自性が発揮され始める。北野武や宮沢りえの映像を取り入れているのはさすがだ。「Riyo」(ドミニク・ゴンザレス=フォースター監督、1999年)は、一番心に染み込んだ作品。京都鴨川に沿ってカメラは移動する。高校生の男の子に旅先でナンパした横浜に住む女の子から携帯電話がかかってくる。話しがはずみ、また会うことを約束して電話は切れる。二人の姿は見えない。会話がとてもリアルで面白い。明るい話題の中から二人の孤独が伝わってくる。電話が切れた後の街の様子が、切ない気持ちに追い討ちをかける。企画の勝利だ。


「スカートの翼ひろげて」の画像です

 The Land Girls 

1998年作品。イギリス映画。112分。 ギャガ・東京テアトル共同配給。監督=デビッド・リーランド。脚本=デビッド・リーランド、キース・デューハースト。原作=アンジェラ・ヒュース“THE LAND GIRLS”。プロデューサー=サイモン・レイフ。製作総指揮=ルース・ジャクソン。撮影監督=ヘンリー・ブラーム。美術=キャロライン・エイミーズ。衣裳=シャーナ・ハーウッド。編集=ニック・ムーア。音楽=ブライアン・ロック。ステラ=キャサリン・マコーマック(Catherine McCormack)、アグ=レイチェル・ワイズ(Rachel Weisz)、プルー=アンナ・フリエル(Anna Friel)、ジョー・ローレンス=スティーブン・マッキントッシュ、ローレンス=トム・ジョージスン、ローレンス夫人=モーリン・オブライエン

 第2次世界大戦下のイギリスでは、男たちが農地を離れて戦場に駆り出されたため、さまざまな階層の女性たちが男性の代わりに農家で働くことになり「ランド・アーミー」と呼ばれた。偶然一緒になった3人の女性、ステラ、アグ、プルーは、農場の 一人息子ジョーに特別な感情を抱くようになる。苛酷の状況の下での人々の出会いと別れ。いくらでも観客を泣かせる感動的ドラマに仕立てることができるテーマだが、デビッド・リーランド監督は紋切り型のクライマックスを避けて、一人ひとりの感情のデリケートな変化を静かに描いていく。その姿勢を高く評価したい。「スカートの翼ひろげて」という邦題も秀作。

 聡明なステラ役のキャサリン・マコーマック、世間知らずなアグ役のレイチェル・ワイズ、奔放なプルー役のアンナ・フリエル。それぞれに個性的で魅力的。ジョーをめぐって互いにいがみ合うのではなく、分かち合うしなやかさが素敵だ。中でも婚約者とジョーへの愛に揺れたキャサリン・マコーマックの、激しい情念を押さえ込んだ寡黙な演技が印象的。もっとも慎重なはずの彼女が、もっとも大胆な選択を行ったのには驚いた。「ブレイブハート」(メル・ギブソン監督)での演技以上に心に染みた。


「金融腐蝕列島 呪縛」の画像です

 金融腐蝕列島 呪縛 

1999年作品。日本映画。115分。配給=東映。 監督=原田眞人。 原作=高杉良。脚本=高杉良、鈴木智、木下麦太。撮影=阪本善尚。美術=部谷京子。編集=川島章正。音楽=川崎真弘。企画本部副部長・北野=役所広司、佐々木英明相談役=仲代達矢、北野の妻・今日子=風吹ジュン、渉外グループ長・片山昭雄=椎名桔平、アンカーウーマン・和田美豊=若村麻由美、一条弁護士=もたいまさこ、佐藤弘子秘書=黒木瞳、評論家=佐高信、青木伸枝=多岐川裕美、中山公平=根津甚八、久山隆=佐藤慶

 最近の不正融資問題を取り上げ、企業再生に努力する「ミドル世代」の誇り回復を描いた「BUSINESS PANIC」ムービー。個性派俳優が80人顔をそろえる、最近珍しい邦画で、少し得した気分になる。そして力強くシャープな映像は、ハリウッドで経験を積んだ原田眞人監督ならではの世界だ。細部の取材を積み重ねただけあって、銀行内部の様子や株主総会の雰囲気にリアリティがある。

 が、しかし。肝心の会社再生の過程のリアリティは乏しい。自己犠牲の少数のヒーローたちによって立ち直るほど、この社会は甘くない。「ミドル世代」の葛藤といやらしさも不足している。そして、事件の渦に巻き込まれた人たちが描けていない。北野の妻はもっとぼろぼろになるはずでは。この種のテーマで2時間以下の長さでは、苦悩する人間を表現するのは難しい。70年代の社会派ドラマのように、じっくり掘り下げてほしかった。


「エントラップメント」の画像です

  ENTRAPMENT 

1999年作品。アメリカ映画。113分。配給=東宝。監督=ジョン・アミエル(Jon Amiel)。製作=ショーン・コネリー、マイケル・ハーツバーグ、ロンダ・トーレフソン。脚本=ロン・バス、ウィリアム・ブロイルズ。ストーリー=ロン・バス、マイケル・ハーツバーグ。 撮影=フィル・メヒュー,B.S.C。編集=テリー・ローリングス,A.C.E。マック(ロバート・マクドゥーガル)=ショーン・コネリー(Sean Connery)、ジン=キャサリン・ゼタ=ジョーンズ(Catherrine Zeta-Jones)、ティボドー=ビング・レイムス、クルーズ=ウィル・パットン、コンラッド・グリーン=モーリー・チェイキン、ハ−ス=ケビン・マクナリ−、クイン=テリー・オニ−ル

 「マスク・オブ・ゾロ」(マーティン・キャンベル監督)で、気品に満ちたゴージャスな雰囲気が注目されたキャサリン・ゼタ=ジョーンズが、ショーン・コネリーと互角にわたりあったアクション・ラブストーリー。出だしから、マックがレンブラントの絵画を盗み出す斬新なアイデアで期待が高まる。そしてジン役の美しきキャサリン・ゼタ=ジョーンズが登場し、マックとのかけ引きが始まる。中国の秘宝・黄金のマスク強奪、そしてコンピューターの2000年問題を利用した銀行預金の操作という大掛かりな仕事へと物語は進んでいく。

 ストーリーも配役もなかなかいい。しかし、盛り上がらない。ジンが赤外線を避けるしなやかな動きは、もっとセクシーに写せたはず。マレーシアのツインタワーでのアクションシーンは、手に汗握る展開にできたはず。そして、ラストの大どんでん返しは、会話による伏線はあったものの、登場人物の動きを振り返ると疑問が残り、すっきりしない。 「隣人は静かに笑う」(マーク・ペリントン監督)を見習ってもらいたいものだ。さらに、どうしようもなくダサいオチをラストに持ってきてしまったセンスのなさ。それでも、古典的な味わいがあり、懐かしい恋愛映画を観たような感触が残った。


「葡萄酒色の人生ロートレック」の画像です

  Lautrec 

1998年作品。フランス・スペイン合作映画。128分。配給=日本ヘラルド映画。監督=ロジェ・プランション(Roger Planchon)。製作=マルガレート・メネゴズ。脚本・台詞=ロジェ・プランション。美術=ジャック・ルクセル。撮影=ジェラール・シモンAFC。メイク=ジャック・メストル。衣装=ピエール=ジャン・ラロック。音声=ジャン・ミノンド。結髪=アニー・マランダン。音編集=ジャン=ピエール・アルブヴァシュ。編集=イザベル・ドヴァンク。音楽=ジャン=ピエール・フケイ。トゥールーズ=ロートレック=レジス・ロワイエ(Regis Royer)、シュザンヌ・ヴァラドン=エルザ・ジルベルシュタイン(Elsa Zylbersten)、ロートレックの母=アネモーヌ、ロートレックの父=クロード・リッシュ、ラ・グリュ=エレーヌ・パビュ、エレーヌ=クレール・ボロトラ(Claire Borotra)、王妃シャルロット=アレクサンドラ・バンデフ、ミレイユ=アマンダ・ルビンシュタイン、ローザ=フロランス・ヴィアラ、ガブリエル=ミシャ・レスコー、マリー・シャルレ=ヴァネッサ・ゲジ、レオンティーヌ=ナタリー・クレプス、画家ルノワール=フィリップ・クレイ、ブールジュ=イヴォン・バック、ドガ=ヴィクトール・ガリヴィエ、エミール・ベルナール=ニコラ・モロー、コルモン=フィリップ・モリエ=ジュヌー、老役者=ロジェ・プランション、ヴァン・ゴッホ=カレル・ヴァンジェールオエー、ヴィオー=バンジャマン・ラトー

 1999年のセザール賞・最優秀衣裳賞・美術賞を受賞しているだけに、「ムーラン・ルージュ」など19世紀末の風俗が見事に蘇っている。ルノワール、ドガ、ゴッホら著名な画家が登場し、古い絵画との闘いが描かれる。大変に贅沢な作品のはずなのだが、手応えが残らない。ジョン・ヒューストン監督の「赤い風車」の暗いロートレックに対して、明るく優しいロートレックを表現しているからではない。陽気なモーツアルトを描いたミロス・フォアマン監督の傑作「アマデウス」のようにじっくりと腰が座っていないからだ。

 ロートレックとシュザンヌ・ヴァラドンの恋愛を中心に据えているはずだが、周囲の喧噪にまぎれて葛藤が伝わってこない。印象派の画家たちとの交友も駆け足過ぎて印象に残らない。娼婦たちを愛したロートレックの心情も、言葉以上には響いてこない。張りつめた美しさが忘れがたいエレーヌの解剖シーンの意味が理解できない。豪華なつくりなのだが、ストーリーに芯が通っていないのでロートレックがあっけなく死に、中途半端なまま終ってしまった感じだ。


「ファザーレス」の画像です

  ファザーレス 

1998年作品。日本映画。78分。制作・配給=万福寺シネマ。 監督=茂野良弥。製作=山谷哲夫。プロデューサー=久保啓史郎、寺田靖範。企画・出演=村石雅也。撮影=斎藤大樹・村石雅也。録音=久保啓史郎。美術=金井美樹。編集=斎藤大樹。音楽・音響=柞山智宏。

 日本映画学校ドキュメンタリーゼミによる卒業製作として、茂野良弥と村石雅也が企画、ニューヨーク大学国際学生映画祭をきっかけに海外映画祭から続々と招待を受け、98・マンハイム・ハイデルベルグ国際映画祭ドキュメンタリー部門グランプリ&国際批評家連盟賞受賞などに輝いている。村石氏は、家族を捨てた実の父親と被差別部落出身の義理の父親に本音をぶつけ、対決する。母親にも心情を吐露する。ドキュメンタリーを製作するという動機によって。自分の切実な問題に向き合っていく。「ゆきゆきて神軍」(原一男監督)とは、別の意味で記録映画の作成が現実に関与していくスリリングな展開だった。

 何といっても焦点は義理の父親の歴史から浮かび上がる部落差別の問題だろう。差別をきっかけに小学1年から一人で生活してきたというすごい過去を持つ義父が、村石氏に衝撃を与える。傷の深さにたじろき、同じ傷を持つ者として急速に接近する。バイセクシャルの問題は、告白としての意味は重いが、あまり深められてない。母親の言葉によって「淋しさ」のせいにされたようで、納得いかなかった。甘過ぎる結末などストーリーには欠点もある、撮影技術にも未熟さが目立つ、しかしそれを補って余りある人間と人間の真摯な出会いが描かれている。そのリアリティに感動する。


「リトル・ヴォイス」の画像です

  リトル・ヴォイス 

1998年作品。イギリス映画。99分。 配給=アスミック。監督・脚本=マーク・ハーマン。製作総指揮=ニック・パウエル、スティーヴン・ウーリー。製作=エリザベス・カールセン。共同製作=ローリー・ボーグ。撮影監督=アンディ・コリンズ。編集=マイケル・エリス。音楽=ジョン・アルトマン。衣装デザイン=リンディ・ヘミング。エルヴィ LV(ローラ)=ジェイン・ホロックス、ビリー=ユアン・マクレガー、マリー=ブレンダ・ブレシン、レイ・セイ=マイケル・ケイン、ミスター・ブー=ジム・ブロードベント、セイディー=アネット・バッドランド、ジョージ=フィリップ・ジャクソン

 「ブラス!」で注目を集めたマーク・ハーマン監督の新作。今回も音楽ものだが、結末はシニカルだ。主人公のエルヴィは、愛する父親を失い口うるさい母親を嫌って自閉的になっている。唯一の慰めは父親が残したレコード。繰り返し聴くうちにジュディ・ガーランドやマリリン・モンローそっくりに歌えるようになっている。母親とつきあっていた芸能プロモーターが偶然この歌を聞き、ショーを開くことで一躍注目を集めるが、それは一夜の出来事だった。しかし、エルヴィはそれをきっかけに自立する。

 それまでおどおどしていたエルヴィが舞台で生き生きと歌い始めるシーンが涙が出るほど素晴らしい。吹き替えなしで歌ったジェイン・ホロックスの歌唱力には驚かされた。ものまねに多少の出来不出来があるのは致し方ないだろう。「ブラス!」のように有名にならず、一度限りの出来事にした点はほろ苦い。母親マリー役のブレンダ・ブレシンの滅茶苦茶に濃い演技と死んだ父親が現れてエルヴィを支援するファンタステックな展開の混在に、ハーマン監督の個性が発揮されている。


  山崎幹夫作品集 

 札幌のまるバ会館で山崎幹夫監督の8ミリを中心とした7作品が上映された。Aプログラムは「夢のライオン」(1996年、14分)「VMの漂流」(1990年、9分)「100年後」(1994年、56分)、Bプログラムは「8ミリの女神さま」(1994年、4分)「夜にチャチャチャ」(1999年、12分)「VMの夢想」(1989年、8分)「グータリプトラ」(1999年、56分)。8ミリの驚くべき可能性と山崎幹夫監督の比類のない力量に打ちのめされた。最終日の10月3日には監督が来札し、作品を解説した。監督は、自分の中にある破滅願望と作品を作る妄想力の大切さを強調していた。 山崎幹夫監督は、1959年東京生まれだが、北大在学時代に「映像通り魔」を結成。これまでに60本以上の作品を発表している。

 「夢のライオン」は、ほんわかとした雰囲気で、オチが決まった。「VMの漂流」のたゆたう映像に驚く。その揺らぎの驚くような心地よさ。暗闇の中で未使用のフイルムの上に現像済みのフイルムをラフに乗せてペンライトを揺らせて光を当て、フイルムをしまいこんで製作した。「徹底したローテク」と監督は言っていたが、デジタルで同じ効果を出すためには非常に複雑な作業が必要だろう。「100年後」は撮りためたフイルムを編集したもの。さまざまなジャンルの作品が入っている。多方面に挑戦し続けた監督の歴史が手に取るように分った。20年しか経っていないのに、記録されている映像は随分と古く感じる。時代の変化の早さを実感した。

 「8ミリの女神さま」は監督のほのぼのとしたユーモアが良く出た短編。「夜にチャチャチャ」はレンズを外して像を結ばない映像にナレーションを付けている。「言葉をおろそかにしていたと思ったので何も映ってない映像にした」そうだが、ちょっと実験映画っぽい。「VMの夢想」は「VMの漂流」と同じ技法で撮られた。いつまでも眺めていたい懐かしさに満ちている。そして「グータリプトラ」。言葉を失うほど素晴らしい。四畳半的な世界を描きながら、それを一気に開放するような清清しさがある。さまざまなアイデアに加え、コマ撮り、多重撮影などで8ミリの可能性を最大限に引き出している。監督は「当て所なく撮影したが、自分と飼い猫しか出ない、物語や会話をなくすと決めていた。昔の映画を上映して言葉の青さが恥ずかしかったので、ナレーションだけにした。風流な作品にまとめた」と解説していたが、私が今年観た邦画のベストワンかもしれない。


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