WILD THINGS |
---|
1998年。コロンビア映画。108分。配給=ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント。監督ジョン・マクノートン(John Mcnaughton)。脚本スティーブン・ピーターズ。製作ロドニー・リバー、スティーブン・A・ジョーンズ。 製作総指揮ケビン・ベーコン。撮影ジェフリー・L・キン、 ボール、A.S.C.。音楽ジョージ・S・クリントン。美術エドワード・T・マッカブォイ。衣装デザイン=キンバリー・ A・テイルマン。レイ・デュケ=ケビン・ベーコン(Kevin Bacon)、サム・ロンバード=マット・ディロン(Matt Dillon)、スージー・トーラー=ネーヴ・キャンベル(Neve Campbell)、サントラ・バン・ライアン=テレサ・ラッセル、ケリー・バン・ライアン=デニース・リチャーズ(Denise Richards)、グロリア・ペレーズ=ダフネ・ルービン=ベガ、トム・バクスター=ロバート・ワグナー、ケン・ボウデン=ビル・マーレー
くすんだ質感の殺人映画「ヘンリー」を監督したジョン・マクノートンらしからぬ作品のトーン。ハリウッドスタイルの色彩感覚だ。しかし、セクシーな展開の裏に乾いた悪趣味をたっぷりと盛り込んでいる。ストーリーは、学園の風景から徐々に加速し、裁判へ、相次ぐ殺人へと進んでいく。しかし、「数えきれないどんでん返しに、あなたはついてこられるか?」と予告編で宣言されていたので、かなりの深読みをしながら映像を追った。テンポは早いがサスペンスものの基本を押さえているので、予想外の驚きは少なかった。ただし、絶対に途中でトイレに行ってはいけない。エンドクレジットで立ち上がってもいけない。
マッド・ディロンがいい味を出している。最近は「In & Out」、「メリーに首ったけ」と、個性的な役をこなし、なかなかの性格俳優ぶりだ。演技の下手なデニース・リチャーズも、今回はその下手さが物語を助けている。「スクリーム」などで真直ぐな役が多かったネーヴ・キャンベルは見事にイメージ・チェンジした。考えてみると、この3人をキャスティングしたこと自体が観客への罠だった。
生きたい |
---|
1999年。日本映画。119分。配給=日本ヘラルド映画。原作・脚本・監督=新藤兼人。製作=新藤次郎。プロデューサー=平形則安。撮影=三宅義行。美術=重田重盛。音楽=林光。照明=山下博。 録音=武進。編集=渡辺行夫。安吉=三國連太郎、徳子=大竹しのぶ、オコマ=吉田日出子、クマ=塩野谷正幸、ウシ=羽村英、オキチ=中里博美、烏丸長者=津川雅彦、側近の女=渡辺とく子、ママさん=大谷直子、長太郎医師=榎本明、 院長=観世榮夫、看護婦=水野あや、姨捨駅長=馬場当、トモコ=宮崎淑子、幸子=広岡由里子、輝男=草薙仁、島津あけみ=都山逢、老人ホーム所長=麿赤兒、病院の賄婦=絵沢萌子、気取った男=高橋長英、坊主頭の男=六平直政、大学生=大森南朋、高校生=菊池百合子、作業所の美青年=村治学、作業所の指導者=前沢保美、作業所の女=中島陽子、可愛いおばさん=原ひさ子、スーパーの男店員=正名僕蔵、スーパーの女店員=曽我部あきよ、宅配便の男=渡辺徹、マッサージの女=夏目玲
「午後の遺言状」に続き、80代の新藤監督が自らの経験を通して「老い」の問題に取り組んだ。ボケ始め失禁もする老人を三國連太郎が、辛らつな言葉を放つ躁鬱病の娘を大竹しのぶが演じ、火花を散らす。大竹のハマリにはいつもながら舌を巻く。状況があまりに深刻なので、親子の会話が醸し出す笑いは、時に観ている者を辛くする。その笑いは「カンゾー先生」などの今村昌平作品に近い。ただ、世代間の意識のすれ違いを強調しながら、最後は親子の愛に希望を託さざるをえなかったところが新藤監督らしい。
現代の老人問題と過去の「姥捨て」の話を組み合わせているが、効果的な対比が生み出されていない。捨てられる老婆役の吉田日出子がふけ切れていないのが残念。何度もカラスを死の象徴として登場させているが、あまりにも直接的で面白味に欠ける。ラストシーンも死と立ち向かう姿勢を表したものだろうが、かえって浮いた感じになった。
たどんとちくわ |
---|
1998年。日本映画。102分。配給=ギャガ・コミュニケーションズ。 監督=市川準。原作=椎名誠『中国の鳥人』。製作=山地浩。企画=中沢敏明。プロデューサー=板谷健一、川崎隆。脚本=市川準、佐藤信介(たどん)、NAKA雅MARU(ちくわ)。撮影=小林達比古。スチル撮影=北島元朗。美術=間野重雄。録音=橋本泰夫。照明=中須岳士。音楽=板倉文。音楽制作=小暮隆生。編集=三條和生。キャスティング=田辺博之。木田= 役所広司、浅見=真田広之、安西=根津甚八、富山=田口トモロヲ、ぬいぐるみの女=桃井かおり(友情出演)、おでん屋の親父=小鹿番、君島=安部聡子、茜=弘中麻紀、タクシーの客=太田光・田中祐二(爆笑問題)
日常の風景を淡々と描きながら情感を高めていく市川準監督が、新しい世界を模索し始めた。サイコ・アクション・コメディ・ファンタジーとでも名付ければいいのだろうか。タクシー運転手、作家という孤独な中年男性二人を主人公に、物語は暴走していく。タクシー運転手の「たどん」は、まだ市川準ファンがついていけそうな展開だが、作家の「ちくわ」はシュールな惨劇へと雪崩れ込み、観ているものを驚愕させる。ただ、最後は綺麗にまとめてしまうところが、市川流だ。もっとスパッと終っても良かった。
「たどん」のタクシーの客たちの会話も面白いが、小粒な笑いだ。私は断然「ちくわ」を評価する。作家がつぶやく「世の中なんて始めっから、みっともないおとぎ話なんだから」「自分を裏切らなければ」という言葉に、監督の本音がのぞく。思いっきり世界を壊したいという欲望がみなぎっていた。真田広之の狂気は凄みがある。眼がすごい。「D坂の殺人事件」を上回る切れの良さだ。
まひるのほし |
---|
1998年。日本映画。93分。シグロ作品。 制作=山上徹二郎、庄幸四郎。監督=佐藤真。撮影監督 =田島征三。 撮影=大津幸四郎。 録音=久保田幸雄。助監督=飯塚聡。撮影助手=藤江潔、須原秀晃、山田武典、谷中重樹。 録音助手=清家利文。録音応援=菊池信之。出演=舛次崇、西尾繁、伊藤喜彦、竹村幸恵、富塚純光、川村紀子、松本孝夫
この作品は知的障害者の創作活動をとらえたドキュメンタリーだが、障害者の現状を訴えた社会派の映画でない。独創的なアートが生み出される過程をカメラにおさめた作品だ。その意味では、一面「美しき諍い女」につながると言ってもいい。ただし、アートの特権性を無化するとともに、自己実現、コミュニケーションの手段としての創作活動という原点があらわになる点が大きく異なる。映像はけっして重くない。笑いを誘うエンターテインメントでもある。井上陽水の曲が、映像と実によく響き合って心地良い。
それぞれのアートは力強い。監督に映画を撮る決意をさせた西尾繁氏の作品は、もっともポップ。青春の滑稽さと切なさが胸にしみる。川村 紀子さんの作品はまねのできないような独自の配色が光る。人間への愛憎を塗り込めた伊藤喜彦氏の焼き物「人間独特の顔」もインパクトがある。中でも舛次崇氏の「幸福な植物たち」は、対象の生命力をダイレクトにつかみ感動的だ。彼等を障害者という枠にとらわれないで紹介するつもりなら、「シュウちゃん」「シゲちゃん」というただし書きは不要だったのではないか。
LOVE & DEATH |
---|
1997年作品。イギリス映画。93分。 配給エース・ピクチャーズ。監督・脚本リチャード・クウィートニオスキー(Richard Kwietniowski)。製作スティーブ・クラーク=ホール、クリストファー・ジマー。 原作ギルバート・アデア(Gilbert Adair)『ラブ&デス』。撮影オリヴァー・カーティス。編集スーザン・シップトン。音楽ジ・インセクツ&リチャード・グラスビー=ルイス。美術デヴィッド・マクヘンリー。 衣装アンドレア・ゲイラー。脚本監修マギー・トーマス。ジャイルズ・デアス=ジョン・ハート(John Hurt)、ロニー・ボストック=ジェイソン・プリーストリー(Jason Priestley)、オードリー=フィオナ・ロウイ(Fiona Loewi)、ミセス・バーカー=シーラ・ハンコック、アーヴィング・バックマラー=モーリー・チェイキン、ヘンリー=ゴーン・グレインジャー
クウィートニオスキー監督長篇第1作。慎ましやかで、ほのぼのとしたラブ・コメディでありながら、根底にアメリカ、イギリス両文化への鋭い批評を含んでいる。「美少年と老芸術家」という共通点でビスコンティ監督の「ベニスに死す」と比較する評論が目立つが、両者の味わいは全く違う。死が漂う退廃的な耽美ではなく、知的だが滑稽でもある切なさが、この作品の持ち味だ。
映像文化を理解していなかった堅物の作家が、ひょんなことからB級映画のアイドルに一目ぼれし、雑誌を買い漁って彼の写真を切り抜いたり、初めてビデオデッキを買って作品をレンタル、さらに「追っかけ」までする変身ぶりが笑える。重たい役が多かった知性派ジョン・ハートが、軽妙なコメディを演じている。うまいものだ。代表作の一つと言えるだろう。ジェイソン・プリーストリーも悪くない。ひょっとしたら、この作品の結末のように俳優として飛躍するかもしれない。
リング 2 |
---|
1999年作品。日本映画。95分。 配給=東宝。監督=中田秀夫。エグゼクティブ・プロデューサー=原正人。プロデューサー=一瀬隆重、石原真。原作=鈴木光司。脚本=高橋洋。撮影=山本英夫。美術=斉藤岩男。照明=小野晃。音楽=川井憲次。ビジュアル・エフェクト・スーパーバイザー=松本肇。スペシャル・メイクアップ・スパーバイザー=和田卓也。編集=高橋信之。 高野舞=中谷美紀、倉橋雅美=佐藤仁美、沢口香苗=深田恭子、川尻医師=小日向文世、大牟田刑事=石丸謙二郎、岡崎=柳ユーレイ、浅川陽一=大高力也、山村敬=沼田曜一、浅川玲子=松嶋莱々子(特別出演)、高山竜司=真田広之(特別出演)
失敗作。恐がらせてやろうというこけおどしばかりで、「リング」のような、じわじわと染み込んでくる怖さがない。中田監督は「細部にこだわり、くせになるホラー映画を目指した」と言っているが、怖くなければすべてが水の泡だ。前作の思い切りの良さが失われてしまった。
ストーリーも行った来たりして、核心に迫る緊張感が乏しい。登場人物各人の恐怖は描かれるが、それだけにとどまっている。貞子が核として存在しなければ、恐怖は広がらない。川尻医師のキャラクターも薄っぺらだ。深田恭子の大口開けた死に顔が話題だが、彼女は案外ホラー向きの女優かもしれない。本当は貞子なんかが適役ではないか。
死国 |
---|
1999年作品。日本映画。100分。 配給=東宝。監督=長崎俊一。エグゼクティブ・プロデューサー=原正人。 プロデューサー=柘植靖司、永井正夫。原作=坂東眞砂子。脚本=万田邦実、仙頭武則。 撮影=篠田昇。美術=種田陽平。照明=中村裕樹。音楽=門倉聡。音楽プロデューサー=浅沼一郎。録音=山田均。 編集=奥原好幸。明神比奈子=夏川結衣、秋沢文也=筒井道隆、日浦莎代里=栗山千明、日浦照子=根岸季衣、日浦康鷹=大杉漣、仙頭直朗=佐藤允
まったり系の恐怖映画を狙ったのだろうが、もう少しどろどろとしたけれん味がほしい。この種の物語は濃密な愛憎が背後にあってこそ、いきてくる。日浦照子役の根岸季衣だけが、濃い演技をしていたが、周りがついこない。明神比奈子を演じた夏川結衣は、表情に「GONIN2」のようなハリがない。もっと喜怒哀楽を表面に出すべきだ。
恐怖を育てていくと言う意味では、「リング2」よりは基本に忠実。日浦莎代里が生き返り、池から這い出てくるシーンはべたべたしていて期待させたが、後が続かない。結局力のない結末へと進んでしまった。長崎俊一監督らしい切れが感じられない。
ヴアンパイア最期の聖戦 |
---|
1998年作品。アメリカ映画。106分。 配給日本ヘラルド。 監督ジョン・カーペンター(John Carpenter)。脚本ドン・ジャコビィ。原作ジョン・スティークレー『ヴァンパイア・バスターズ』。製作サンディ・キング。製作総指揮バー・B・ポッター。撮影監督ゲイリー・B・キッブ。美術トマス・A・ウォルシュ。特殊メイク効果KNBエフェクツ・グループ。音楽ジョン・カーペンター。ジャック・クロウ=ジェームズ・ウッズ(James Woods)、トニー・モントヤ=ダニエル・ボールドウィン、カトリーナ=シェリル・リー、魔鬼ヴァレックト=トーマス・イアン・グリフィス、アダム神父=ティム・グィニー、アルバ枢機卿=マクシミリアン・シェル
西部劇スタイルの吸血鬼もの。魔鬼はむちゃくちゃ強いが、あとのヴアンパイアは弱い。武装した人間たちに丸腰でどんどん殺されていく。すべての設定は、お遊びのために用意されている。CG多用の時代に、あえて古典的なスタイルにこだわったのもジョン・カーペンター監督らしい。最後まで後味の悪いB級テーストを残していた。
96年 | 4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
97年 | 1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
98年 | 1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
99年 | 1月 |