インディアナポリスの夏 |
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1997年作品。アメリカ映画。103分。配給=アミューズ。原作・脚本=ダン・ウェイクフィールド(Dan Wakefield)。監督=マーク・ペリントン(Mark Pellington)。製作=トム・ゴレイ、シギュルジョン・シグパッゾン。製作総指揮=トム・ローゼンバーグ、テッド・タンネバウム、マイケル・メンデルゾーン。撮影=ボニー・ブコウスキー。プロダクション・デザイナー=テレーズ・デプレ。衣裳=アリアンヌ・フィリップ。音楽=トマンダディ。ソニー=ジェレミー・デイヴィス(Jeremy Davies)、ガナー= ベン・アフレック(Ben Affleck)、マーティ・ピルチャー=レイチェル・ワイズ(Rachel Weisz)、ゲイル・タイヤー=ローズ・マクガワン、バディ・ポーター=エイミー・ロケイン、アルマ・バーンズ=ジル・クレイバーグ、ニーナ・カッセルマン=レスリー・アン・ウォーレン
「隣人は静かに笑う」の切れの良いどんでん返しが記憶に新しいマーク・ペリントン監督のデビュー作。サンダンス映画祭で審査委員特別賞に輝いた。1954年、朝鮮戦争で兵役してきた対照的な性格の二人の青年が故郷インディアナポリスに帰る汽車の中で出会い、友情で結ばれる。戦争と抑圧の時代、子離れしない母親の時代に、自分らしい生き方を求めて迷い続ける青年を、ときにユーモラスに、ときにシリアスに描いていく。
「隣人は静かに笑う」とは、かなり違う舞台だが、シャープな映像感覚は、この作品でも何度か見ることができた。懐かしいオールデイズに乗せて、ジェレミー・デイヴィス、ベン・アフレックとも50年代の雰囲気を醸し出している。周囲の女性たちも、なかなか個性的で、彼女たちになら悩まされるのもうなずけた。母親役のレスリー・アン・ウォーレンがとびきりの怪演だ。
ザ・メーカー |
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1997年作品。アメリカ映画。100分。配給=アミューズ。監督=ティム・ハンター(Tim Hunter)。脚本=ランド・ラヴィッチ。撮影=ヒュベール・タクザノウスキー。音楽=ポール・バックマスター。編集=スコット・チェストナット。衣装=ロザンナ・ノートン。ジョシュ=ジョナサン・リース・マイヤーズ(Jonathan Rhys-Myers)、ウォルター=マシュー・モディーン(Matthew Modine)、エミリー・ペック警官=メアリー・ルイーズ・パーカー、スカニー=マイケル・マドセン
「ベルベット・ゴールドマイン」(トッド・ヘインズ監督)で、一躍注目を集めたジョナサン・リース・マイヤーズの「幻の初主演作」。自分がつかめずにいるジョシュの前に10年前に家出した兄が現れ、悪の道に連れ込まれる。しかし、その後が良く分からない展開になる。ジョシュが見る夢のシーンがスタイリッシュ。これはミステリーかと思っていると、あっけない謎解きで、終ってしまう。
作品の質はともかく、ジョナサン・リース・マイヤーズの存在感はたいしたもの。ノーメークでも十分やっていける。ティム・ハンター監督は、これまでも「テックス」でマット・ディロンを、「リバース・エッジ」でキアヌ・リーヴスを主演につけ、注目を集めた。作品はダメでも、こういう才能にたけた監督がいるのだ。
母の眠り |
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1998年作品。アメリカ映画。128分。 配給=UIP。監督=カール・フランクリン(Carl Franklin)。脚本=カレン・クローナー。原作=アナ・クィンドレン『母の眠り』(新潮社刊)。製作=ハリー・アフランド、ジェシ・ビートン。製作総指揮=ウィリアム・W・ウィルソンIII、レスリー・モーガン。撮影=デクラン・クイン。プロダクション・デザイナー=ポール・ピータース。編集=キャロル・クラベッツ。音楽=クリフ・エイデルマン。主題歌=ベット・ミドラー「マイ・ワン・トゥルー・フレンド」アルバム『バスハウス・ベティ』(ワーナーミュージック)より。ケイト・グールデン=メリル・ストリープ、エレン・グールデン=レニー・ゼルウィガー、ジョージ・グールデン=ウィリアム・ハート、ブライアン・グールデン=トム・エベレット・スコット、ジョーダン=ニッキー・カット、ジュールズ=ローレン・グラハム、地方検事=ジェイムズ・エクハウス
国民文学賞を受賞した優れた文学者の父の影響を受け、専業主婦の母の生き方に反発して新聞記者となってニューヨークで特ダネを追っていた娘エレン。父の誕生パーティのために久しぶりに帰郷した彼女は、母親が末期ガンであると知らされ、父親から母親の世話をするために戻って来いと言われる。母の強さや父の弱さに触れて家族を、そしてこれまでの自分の仕事をとらえ返しながら、死を迎えようとしている母親の介護を続ける。誰もが直面している問題を静かに提示しているが、あえてミステリー仕立てにしなければならないのがハリウッド映画の悲しさだ。
メリル・ストリープ、ウィリアム・ハート。この二人の味わい深い演技によって、物語の中に引き込まれていく。
メリル・ストリープが一見平凡な主婦の存在感を示して見事。ウィリアム・ハートは、努力家だが家庭を軽んじている中年男性をバランス良くみせた。憔悴しても最後までぷっくら顔でちょっと首をかしげたが、レニー・ゼルウィガーの率直なヘレン役も悪くない。
聖なる嘘つき |
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1999年作品。アメリカ映画。120分。配給=ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント。監督=ピーター・カソヴィッツ(Peter Kassovitz)。脚色=ピーター・カソヴィッツ&ディディア・ディコン。原作=ユーレク・ベッカー『ほらふきヤーコブ』(同学社)。製作=マーシャ・ガーセス・ウィリアムズ&スティーブン・ハフト。製作総指揮=ロビン・ウィリアムズ。撮影=エルマー・ラガリ。美術=ルチアナ・アリギ。編集=クレア・シンプソン。衣装=ウィスワラ・スタルスカ。音楽=エドワード・シャムール。共同製作=ニック・ギロット。ジェイコブ・ハイエム=ロビン・ウィリアムズ、リーナ=ハンナ・テイラー・ゴードン、マックス=アラン・アーキン、コワルスキー=ボブ・バラバン、アヴァロン= マイケル・ジェター、キルシュバウム=アーミン・ミューラー・スタール、ミーシャ=リービ・シュライバー、ローザ=ニーナ・シーマスコ、ハーシェル=マチュー・カソヴィッツ
最近珍しい「ひどい邦題」で、ちょっと観るのをためらっていたが、やはり観て良かった。佳作である。いわゆるユダヤ人収容所、ゲットーの物語だが、軽妙さを貫くことで悲しみを引き出した「ライフ・イズ・ビューティフル」(ロベルト・ベニーニ監督)とは別の方法で、ユーモアを生かしている。ヒトラーを取り上げたブラックジョークを持ってきて「冗談を言うことが我々を支えている。他はドイツ人に奪われた」とジェイコブに語らせる導入部がうまい。
極限状態の中で生きる人々を、それぞれ生き生きと個性的に描き分ける見事さ。ベテラン俳優たちがそろっている。主人公ジェイコブ役のほかに製作総指揮も務めたロビン・ウィリアムズの演技は、とりわけ素晴らしい。このところの軽めの大袈裟さが微塵もない絶妙な表現力。嘘をついても真実を話しても、結局人を死なせてしまう立場に置かれたジェイコブの苦悩と悲しみがひしひしと伝わってくる。だから、少女とのつかの間のダンスの場面で涙が出た。
シュウシュウの季節 |
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1998年作品。アメリカ映画。99分。配給=エ一ス・ピクチャーズ。監督・脚色=ジョアン・チェン。原作・脚色=ヤン・ゲリン『シュウシュウの季節』(短編集・角川文庫)。撮影=リュウ・ユエ。音楽=ジョニー・チェン(サントラ盤=ロックレコード)。プロダクション・デザイナー=ライ・パン。編集・製作補=ルビー・ヤン。製作総指揮=アリソン・リュウ、ジョアン・チェン、セシル・シャア・ツェイ。製作=アリス・チャン、ジョアン・チェン。シュウシュウ=ルー・ルー、ラオジン=ロプサン、母=ガオ・ジエ、リー・チュアンベイ=シャン・チェン、主任=リー・チチェン、仲買人=ガオ・シャン、オートバイの男=シン・ウェンヤン、松葉杖の男=カオ・ジョン、父=リュウ・ユエ
女優ジョアン・チェンの監督デビュー作。広大なチベットの自然の中で、中国の文化大革命に翻弄された少女の物語。革命を信じた純粋な少女が、故郷に帰るために共産党官僚に進んで身をまかせるようになる姿は、正視できないほど残酷だ。中国政府の許可を得ずに撮影を強行し、作品を完成させた執念は、「ポーラX」(レオス・カラックス監督)に匹敵するものがある。
なんといってもシュウシュウ役のルー・ルーの可憐さが忘れがたい。前半、あまりにも可憐なので、後半の変化がとてつもなく痛々しい。自然の変化と小道具をうまく使いながら、寡黙に簡潔に描かれた悲恋。それにしても、去勢されたラオジン以外の男性たちは、獣のように描かれている。共産党批判と男性批判が重なっているのが、結構こたえた。
ジャンヌ・ダルク |
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1999年作品。アメリカ映画。157分。配給=ソニー・ピクチャーズ エンタテイメント。監督=リュック・ベッソン(Luc Besson)。製作=パトリス・ルドゥー。脚本=アンドリュー・パーキン。撮影監督=ティエリー・アルボガスト。プロダクション・デザイナー=ユーグ・ティサンディエ。編集=シルビー・ランドラ。衣装=カトリーヌ・レトリエ。作曲=エリック・セラ。ジャンヌ・ダルク=ミラ・ジョヴォヴィッチ、ジャンヌの良心=ダスティン・ホフマン、シャルル7世=ジョン・マルコヴィッチ、ヨランド・ダラゴン=フェイ・ダナウェイ、アランソン公=パスカル・グレゴリー、ジル・ド・レ=ヴァンサン・カッセル
ミラ・ジョヴォヴィッチへの惚れ込みから誕生した作品だが、歴史に翻弄されるジャンヌ・ダルクを執拗に追い続けるリュック・ベッソン監督の映像は力強い。時に勢い余って空回りする場面も見受けられたが、100億円の駄菓子「フィフス・エレメント」よりは、はるかに見ごたえがあった。
いかにもベッソンといった鋭く構図の美しいシーンと戦場の猥雑で血なまぐさいシーンの振幅の大きさに感心した。通常の歴史劇に比べ、数歩対象に近づいて撮っている。血を浴び火に焼かれているベッソン監督を想像した。入れこみようは大変なものだろう。エリック・セラの音楽も、これまでに増して堂々としている。
GHOST DOG |
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1999年作品。米・日・仏・独合作 。116分。 配給=フランス映画社 。監督・脚本=ジム・ジャームッシュ(Jim Jarmusch)。撮影=ロビー・ミュラー。 音楽=RZA 。編集=ジョイ・ラビノヴィッツ。美術=テッド・バーナー。衣装=ジョン・ダン。ゴースト・ドッグ =フォレスト・ウィテカー(Forest Whitaker)、ルーイ=ジョン・トーメイ、ソニー・ヴァレリオ=クリフ・ゴーマン、ボス、レイ・ヴァーゴ=ヘンリー・シルヴァ、アイスクリーム屋のレイモン=イザーク・ド・バンコレ、 ルイーズ・ヴァーゴ=トリシア・ヴェッセイ、 ヴィニー=ヴィクター・アーゴ、ヴァーゴ・ファミリーの長老=ジーン・ルフィーニ、“ハンサム”・フランク=リチャード・ポートナウ、少女パーリーン =カミール・ウィンブッシュ、迷彩服の男=RZA
鳩とハイテク、武士道とヒップポップ、言葉が通じない友情、古いものと新しいもの、純粋なものと猥雑なもの、さまざまな異質なものが独特のスタイルで混在している。ジム・ジャームッシュの世界は、いつもユニークで、しかも不思議にリアルだ。考えてみると、殺し屋に「葉隠」の美学は実にぴったりくる。 殺し、殺されることを中心に生き方を純化しているからだ。単純な振る舞いに還元するスタイルは魅力的だが、代わりに複雑な世界の豊かさをばっさりと切り落としてしまう。もちろん映画は多様性を失ってはいない。
少女ルイーズ・ヴァーゴが「葉隠」の本をゴースト・ドッグ に渡し、最後に少女パーリーンに本が引き継がれる。最初と最後に聡明な少女を配したところが、いかにもジム・ジャームッシュ。老人マフィアの見事な死に様と対照的だ。そして、残酷なアニメがストーリーと連動していく趣向も心憎い。ハイセンスなギャグとシリアスのブレンド。
WILD SMOKERS |
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1998年作品。アメリカ映画。101分。配給=東北新社。監督・脚本=スティーブン・ギレンホール(Stephen Gyllenhaal)。脚本=ニコラス・カザン。製作=ジェイソン・クラーク。製作総指揮=ナオミ・フォーナー、トム・ローゼンバーグ、シガージョン・サイバトソン、テッド・タネンバウム。撮影監督=グレッグ・ガーディナー。編集=マイケル・ジャウロウ。音楽=トレヴァー・レビン。ジャック・マセドン=ビリー・ボブ・ソーントン、ハーラン=ライアン・フィリップ、カーター=ハンク・アザリア、ルーシー=ケリー・リンチ、ダニー=ジョン・ボン・ジョヴィ、シェラ・カーン=ジェイミー・リー・カーティス、マルコム/ロバート=ジョン・リスゴー
マリファナをめぐる血なまぐさい殺人事件から始まるが、物語はちぐはぐなコメディタッチで進んでいく。どこか「飛んじゃってる」主人公たちが繰り広げるドタバタ劇を追いながら、マフィアと地域コミュニティの対立というマジなテーマが浮かび上がる仕掛けだ。でも深刻ぶらずに終始なごんだ香りが包む。マリファナ文化に詳しくなくても十分に楽しめるが、知っていればもっと笑えるはず。
ヒップな作品だが、キャストも「極上」。個性派俳優が次から次へと登場する。ビリー・ボブ・ソーントン、ライアン・フィリップ、ハンク・アザリアにケリー・リンチが絡むのだから嬉しくなってしまう。そしてジョン・ボン・ジョヴィも良い味出している。皆楽しんで演じているのが伝わってくる。1981年に構想した脚本は、多くの出会いに支えられて、最高にハッピーな映画に仕上がった。そのこと自体、かなり幸運なことだ。
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