キネマ点心のロゴです

pinキネマ霊園pin キネマフォーラム pin掲示板

 


 トリック劇場版  「トリック劇場版」の画像です

 2002年作品。日本映画。119分。配給=東宝。監督=堤幸彦。製作統括=高井英幸、早河洋。製作=木村純一、風野健治。プロデューサー=桑田潔、島袋憲一郎、蒔田光治、山内章弘。ラインプロデューサー=渡邊範雄。脚本=蒔田光治。音楽=辻陽 。撮影=斑目重友 。美術=稲垣尚夫 。VE=中村寿昌 。照明=池田ゆき子 。録音=中村徳幸 。編集=伊藤伸行 。山田奈緒子=仲間由紀恵、上田次郎=阿部寛、矢部謙三=生瀬勝久、山田里見=野際陽子、長曾我部為吉=伊武雅人、神001番=竹中直人、神002番=ベンガル、神003番=石橋蓮司、神崎明夫=山下真司、南川悦子=芳本美代子、石原達也=前原一輝、菊姫=根岸季衣


 人気TV番組の、まさに劇場版。TVをあまり良く観ていない私としては、十分に楽しめなかったのかもしれない。ギャグもストーリーもおざなりで、寒い。こういうのを最近は、小ネタの効いたゆるい作品というらしいが、「盛り上がりに欠けてつまらない」と表現した方がぴったりくるのではないか。登場人物のカリカチュアぶりも、とほほなレベルだ。

 風変わりな映像は、独創的でも美的でもなく、単に構成力、編集力が欠けているのではないか。センスのなさに、観ていてイライラする。わざとダサダサにしているようには、どうしても思えない。仲間由紀恵が芸域を広げたという点だけが救い。「お前らのやっていることは、全部すべてまるッとどこまでも、お見通しだっ!」のセリフは、一番の収穫だ。ただ、こんなレベルに安住しないでほしい。


 シャーロット・グレイ  「シャーロット・グレイ」の画像です

 2002年作品。イギリス・オーストラリア合作。121分。配給=UIP映画。監督=ジリアン・アームストロング。プロデューサー=サラ・カーティス&ダグラス・レイ。原作=セバスチャン・フォークス。脚色=ジェレミー・ブロック。作曲=スティーブン・ウォーベック。撮影=ディオン・ビーブ。衣裳=ジャンティ・イエーツ。キャスティング=キャスリーン・マッキー。編集=ニコラス・ボーマン。シャーロット・グレイ=ケイト・ブランシェット、ジュリアン=ビリー・クラダップ、ジュリアンの父=マイケル・ガンボン、ピーター=ルパート・ペンリー・ジョーンズ、ルネック=アントン・レッサー、リチャード・カナリー=ジェームス・フリート


 第二次世界大戦中、ドイツ占領下のフランスでレジスタンス運動に身を投じた女性を描いた作品。シャーロット・グレイは、諜報活動の過酷な現実を通じて、新たな愛に目覚めていく。しかし、恋人がフランスで行方不明になっているので、フランスにわたり危険な任務につくという展開に説得力がない。それほどに愛しているという情熱が伝わってこないばかりか、任務中の恋人探しはほかの諜報員に危険が及びかねない。戦争の悲劇ではなく、女性の自立を描くのなら、なおさらそこが肝心ではないか。

 最初の任務で会った諜報員がつかまって殺される。その場では難を逃れたものの、敵に顔を知られてしまう。この時点で、諜報員としては失格だろう。何故、その後も活動を続けられるのかが不思議。レジスタンス運動に参加している仲間たちも、信じられないほど無防備で慎重さに欠けている。隠れていたユダヤ人の子供たちをすばやく見つける優秀なドイツ軍やその協力者たちが、何故彼等を捕まえられないのか不思議でしょうがなかった。


 アイリス  「アイリス」の画像です

 2001年作品。イギリス映画。91分。配給=松竹。監督・脚本=リチャード・エア(Richard Eyre)。原作=ジョン・ベイリー。脚本=チャールズ・ウッド。プロデューサー=ロバート・フォックス、スコット・ルーディン。製作総指揮=アンソニー・ミンゲラ、シドニー・ポラック。製作=ガイ・イースト、デヴィッド・M・トンプソン、トム・ヘドレー、ハーヴェイ・ウェインスタイン。撮影=ロジャー・プラット。美術=ジェマ・ジャクソン。衣装=ルース・マイヤーズ。編集=マーティン・ウォルシュ。音楽=ジェームズ・ホーナー。ヴァイオリン演奏=ジョシュア・ベル。アイリス・マードック=ジュディ・デンチ(Judi Dench)、ジョン・ベイリー=ジム・ブロードベント(Jim Broadbent)、若き日のアイリス=ケイト・ウィンスレット(Kate Winslet)、若き日のジョン==ヒュー・ボナヴィル(Hugh Bonneville)、ジャネット・ストーン=ペネロープ・ウィルトン、若き日のモーリス=サミュエル・ウェスト、モーリス=ティモシー・ウェスト、サマヴィル校校長=エレノア・ブロン


 「哲学者であり、26冊の本を書いた文学者」であり「イギリスで最も素晴らしい女性」と評されているアイリス・マードックと、その夫で作家、文芸評論家・ジョン・ベイリーとの40年間のラブストーリー。手堅いつくりで、ジュディ・デンチの演技も超一流。ケイト・ウィンスレットも奔放な若きアイリスをすがすがしく演じている。水準以上の作品であることは分かる。しかし、彼女の文学者としての魅力が伝わってこない。アイリス・マードックの著作に暗い私には、彼女の仕事の素晴らしさが分からない。文学者同士の夫婦の会話も、あまり機知に富んでいるとは感じられない。

  冒頭、スピーチでアイリスが「精神の自由こそ何よりも大切な宝物」と語り、アイルランド民謡の「ラーク・イン・ザ・クリア・エア」を歌うシーンは、わくわくする場面だった。ただ、その後が続かない。若い日々と現在を交差して描いているのは分かるが、肝心の文学者としての苦労が描かれないので、アルツハイマーで言葉を失う悲痛さが際立たない。施設に入ると、すぐに死んでしまう。二人の変わらない愛がテーマなのだが、少しきれいごと過ぎないだろうか。納得できなかった。


 群青の夜の羽毛布  「群青の夜の羽毛布」の画像です

 2001年作品。日本映画。101分。配給=ギャガ・コミュニケーションズ Kシネマグループ。監督=磯村一路(いそむら・いつみち)。プロデュース=溝上潔、亀田裕子。脚本=相良敦子。原作=山本文緒(やまもと・ふみお)「群青の夜の羽毛布」(幻冬舎文庫)。音楽=羽毛田丈史。美術=小澤秀高。編集=菊池純一。撮影=長田勇市。照明=松隈信一。メインテーマ=鬼束ちひろ(おにつか・ちひろ)(アルバム『This Armor』より「茨の海」)さとる=本上まなみ(ほんじょう・まなみ)、鉄男=玉木宏(たまき・ひろし)、母=藤真理子(ふじ・まりこ)、妹=野波麻帆(のなみ・まほ)、父=小日向文世(こひなた・ふみよ)、図書館職員=山本文緒


 記念碑的な青春映画「がんばっていきまっしょい」の磯村一路監督の新作と聞けば、期待が高まる。母親と娘の葛藤を描いた「群青の夜の羽毛布」という不思議な題名も素敵だ。本上まなみの初主演にも興味津々。出だしは、ややだるい。アイドル・本上まなみのプロモーションビデオのような力のないシーンが続く。少女の不安でムンクというのも、直接的すぎる。鉄男役の玉木宏も健康的だけがとりえのような青年で面白みに欠ける。

 しかし、鉄男が家に泊まる場面から、映画は盛り上がりを見せ始め、驚くべきテンションで泥沼のような愛憎劇が展開する。秘密も一つひとつ明らかにされ、それが新たな謎を呼ぶ。本上まなみが「くそばばあ!」と叫ぶクライマックスシーンが鮮烈。前半の静かなシーンは、ここでの効果を計算していたのかと納得した。道徳的なようで計算高い母を藤真理子が熱演。相変わらず怖いくらいの存在感がある。そして、妹役・野波麻帆の俳優としてのセンスの良さにも感心した。アイドル映画ではない苛烈な傑作。


 ピーピー兄弟  「ピーピー兄弟」の画像です

 2002年作品。日本映画。102分。配給=シネカノン。監督・脚本=藤田芳康。製作=井出秋人、船津晶子。撮影=清家正信。照明=内野泰宏。美術=平田逸郎。音楽=大井秀紀、藤田芳康、吉良知彦。衣装=宮本まさ江。タツオ=剣太郎セガール、イクオ=ぜんじろう、文江=みれいゆ、有沢=香川照之、両親=田中裕子 、岸部一徳


 ことしの夕張映画祭で南俊子賞を受賞している「ピーピー兄弟」を年末に観ることができた。予想以上の深い内容に感激。「ほんま、ええ話しやなあ」と感じる温かな物語。2002年のうちに観て良かった。何といっても脚本がいい。葬儀屋と漫才師という組み合わせが絶妙。ストーリーも人物造形も良く練られている。前半のテレビ批判から後半の人情話に移っていく切り替えがややもたついていたものの、全体としては高い水準にある。放送禁止用語だらけで、現状のテレビでは、まず放映できないというのが楽しいね。

 そして、俳優たちが素晴らしい。みな味わい深い。田中裕子、岸部一徳、香川照之の上手さに、あらためて感心。ヒロイン文江役のみれいゆは、最後は主人公になってしまうほど魅力的。そしてスティーブン・セガールの息子、剣太郎セガールが大阪弁を駆使して巨根ネタの下品なお笑いに挑戦したという点も注目していい。なかなかの存在感だ。イクオ役のぜんじろうも、頑固さと弱さを合わせ持つ兄貴像をリアルにみせている。


 ギャング・オブ・ニューヨーク  「ギャング・オブ・ニューヨーク」の画像です

 2002年作品。アメリカ映画。168分。配給=松竹。監督=マーティン・スコセッシ。製作=アルベルト・グリマルディ、マーティン・スコセッシ。製作総指揮=ハーヴェイ・ワインスタイン、グラハム・キング。脚本=ジェイ・コックス、スティーブン・ザイリアン、ケネス・ロナガンホセイン・アミニ。撮影監督=ミヒャエル・バルハウス。美術=ダンテ・フェレッティ。衣裳=サンディ・パウエル。編集=セルマ・スクーンメーカー。音楽=エルマ・バーンスタイン 。アムステルダム=レオナルド・ディカプリオ、ジェニー=キャメロン・ディアス、ビル=ダニエル・ディ=ルイス、ヴァロン神父=リーアム・ニーソン、ジョニー=ヘンリー・トーマス、モンク・マクギン=ブレンダン・グリーソン、ウィリアム・トゥイード=ジム・ブロードベント、ハッピー・ジャック=ジョン・C・ライリー、マグロイン=ゲイリー・ルイス


 マーティン・スコセッシ監督が描く渾身の歴史絵巻。19世紀のニューヨークの町並みを実際に再現し、その迫力はやはりCGとは桁外れ。圧倒される。3時間近い作品ながら、さらっとした感触だ。しかしながら、じつに複雑な要素を盛り込んでいる。人間のドラマというよりは、ニューヨークの歴史的な記憶を描いたと言う方がいいのかもしれない。映画の中心にあった男たちの熱い思い、肉弾戦が、大砲によってあっけなく吹き飛ばされるシーンが、それを象徴しているように思う。

 時間が経つにつれて、さまざまな場面が思い返される。じっくりと心にしみ込み、長い年月忘れることのない作品、いろいろと欠点はあるが、「ギャング・オブ・ニューヨーク」は、そんな作品かもしれない。やがて、アメリカの同時多発テロとその後の状況とともに語られることになるだろう。そう考えると、この作品がアメリカやニューヨークを歴史的にとらえ返すという力を持っていることに気づく。エンドロールとともに流れるU2の歌が示唆的だ。


 ウェイキング・ライフ  「ウェイキング・ライフ」の画像です

 2001年作品。アメリカ映画。101分。配給=20世紀フォックス映画。監督・脚本・撮影=リチャード・リンクレイター。美術監督=ボブ・サピストン。編集=サンドラ・アデアー。製作=トミー・パロッタ、アン・ウォーカー・マクベイ、パルマー・ウエスト、ジョナ・スミス。音楽=トスカ・タンゴ・オーケストラ。俳優=ワイリー・ウィンギス、イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー、ローレライ・リンクレイター、トレバー・ジャック・ブルックス、ロバート・C・ソロモン、エディス・マニックス、スピード・レヴィッチ、ニック・カット、チャールズ・ガニング、スティーブン・ソダーバーグ


 実写映像にデジタル・ペインティングで加工するという手法による実験的な作品なのだが、たえず揺れている浮遊感のある処理が、夢と現実をテーマにした哲学的な内容と響き合い、不思議な魅力を生み出している。ただしローリング・ストーン誌が「『2001年宇宙の旅』以来のアタマぶっとび映画」と論評するほど斬新な手法とは思わない。

 注目すべき俳優たちが顔をそろえている(とはいっても、実写は見えない)。虚実の中間を漂う映像が催眠的な狙いなのかもしれないが、ペインティング処理がもっと多様な展開をしていると、さらにイメージ豊かなものになったはずだ。思い切って実写に近付く場面と、大胆に改編する場面があってもいい。微妙にセンスの違うアニメーターが、着かず離れず寄せ集まった印象を受ける。もっと奔放であったなら、夢中になったかもしれない。


 8人の女たち  「8人の女たち」の画像です

 2002年作品。フランス映画。111分。配給=ギャガコミュニケーションズ。監督・脚本=フランソワ・オゾン。共同脚本=マリナ・デ・ヴァン。原案=ロベール・トマ。撮影監督=ジャンヌ・ラボワリー。音響=ピエール・ガメ。編集=ローランス・バヴァダー。美術=アルノー・ド・モレロン。衣裳=パスカリーヌ・シャヴァンヌ。振付=セバスチャン・シャルル。製作=オリヴィエ・デルボスク、マルク・ミソニエ。ギャビー=カトリーヌ・ドヌーヴ、ピレット=ファニー・アルダン、ルイーズ=エマニュエル・ベアール、オーギュスティーヌ=イザベル・ユベール、スゾン=ヴィルジニー・ルドワイヤン、カトリーヌ=リュディヴィーヌ・サニエ、マミー=ダニエル・ダリュー、マダム・シャネル=フィルミーヌ・リシャール


 最近のフランス映画には、斬新な力がある。宣伝コピーではなく、この作品は本当に一つの事件だ。フランソワ・オゾン監督は、一気にファン層を広げるだろう。カトリーヌ・ドヌーヴ、エマニュエル・ベアール、イザベル・ユペール、ファニー・アルダン、ヴィルジニー・ドワイヨン、リュディヴィーヌ・サニエ、ダニエル・ダリュー、フィルミーヌ・リシャールが共演し、一人ずつ歌を披露、踊りも踊るというだけではない。なんとカトリーヌ・ドヌーヴとファニー・アルダンが濃厚なラブシーンを演じるのだ。空前絶後の映画に出会うことができる。2002年ベルリン国際映画祭の8人全員の最優秀芸術貢献賞もうなずける。

 物語はコミカルな殺人ミステリーなのだが、謎解きは重要ではない。ただし、ネタばらしをすると美味しい作品の持ち味を損なうので、結末には触れないことにする。ドールハウスのような家の中で、華麗な衣装に身を包んだ女たちが、椅子から転げ落ちそうな驚嘆すべき真実を告白しあうという筋書き。名画のシーンを引用しながら進む映像には、フランソワ・オゾン一流の美しい毒が充満している。女優たちは、艶やかさを競う。華やかさを失わないカトリーヌ・ドヌーヴの貫禄は、さすがだが、イザベル・ユペールが「ピアニスト」に続いて怪演している。その豹変ぶりが素晴らしい。


 ダスト  「ダスト」の画像です

 2001年作品。イギリス=ドイツ=イタリア=マケドニア合作。124分。配給=松竹。監督・脚本=ミルチョ・マンチェフスキー。製作=クリス・アウティ、ベスナ・ヨハノスカ、ドメニコ・プロカッチ。撮影監督=バリー・アクロイド。編集=ニック・ガスター。プロダクション・デザイナー=デヴィッド・マンズ。音楽=キリル・ツァイコフスキー。サウンド・スーパーバイザー=ピーター・バルドック。録音=ルビー・グベール。衣装=アン・イェンドリツコ、アン・クラブトリー、メタ・セベール。イライジャ=ジョセフ・ファインズ、ルーク=デヴィッド・ウェンハム、エッジ=エイドリアン・レスター、リリス=アンヌ・ブロシェ、ネダ=ニコリーナ・クジャカ、アンジェラ=ローズマリー・マーフイー、教師=ウラード・ヨハノフスキ、少佐=サラエティン・ビラール、エイミー=ヴェラ・ファミーガ、スティッチ=マシュー・ロス、ボーン=メグ・ギブソン、ケマル=タメール・イブラヒム、アンジェラ(1945年)=ルイーズ・グッダール、スペイス=ウラディミール・ヨセフ、エンベール=ウラディミール・ジョルジョスキ、マスリーナ=ゾーラ・ゲオルギーバ、イオルゴ=ヨルダン・シモノフ、司祭=ヨシフ・ヨシフォフスキ、教会の鐘係=ジョー・モッソ、看護婦=サンドラ・マクレーン


 驚くべきスケールと完成度を備えた初監督作品「ビフォア・ザ・レイン」から7年。待ちに待った新作が完成した。今回は、現在のニューヨークと100年前のマケドニアを、「語り」というユニークな方法で交錯して描いている。壮大な物語ではあるが、それは虚実を交えた等身大の個人の「物語」として展開されていく。強盗に入った青年に老女が銃をつきつけながら話しはじめるのだ。なんという大胆な設定。ただ、アメリカのカウボーイが、賞金稼ぎのために戦乱のバルカン半島に渡るというストーリーは、荒唐無稽のように見えて、なかなか歴史的な理にかなっている。

 100年前のどこか神話的な兄弟の物語も、現代の老婆と青年の関係も、最初はちくはぐな感じで違和感を覚える。しかし時間がたつにつれて、時空の自由さと不思議なつながりに、引き込まれていく。この別々な出来事が、どこかでつながっているという感触こそ、前作の持ち味でもあった。現実には、こんな形で「語り」が引き継がれることは少ないだろう。そこに監督の切実な祈りのようなものを感じた。さらに、さまざまな映像的実験が、この作品をオリジナリティ性を高めている。日本のパンフが面白い。紙マッチのデザイン。にわかに意味が分からない。


 チョムスキー 9・11
 Power and Terror 
 
「チョムスキー 9・11Power and Terror」の画像です

 2002年作品。日本映画。71分。配給=シグロ。企画・製作=山上徹二郎。監督=ジャン・ユンカーマン。撮影=大津幸四郎。整音=弦巻裕。編集=ジャン・ユンカーマン、秦岳志。アソシエイト・プロデューサー=小川真由。音楽=忌野清志郎。協力=リトル・モア、ベイビィズ、テレシスインターショナル、日本ヘラルド映画、東映化学、日本シネアーツ、Mulberry Studio、多々良陽子、柴田敦子、家本清美、鶴見俊輔、Anthony Arnove。撮影協力=Bev Stohl、Linda Hoaglund、Genene Salman、Students for Justice in Palestine、Barbara Lubin、Penny Rosenwasser、Middle East Children's Alliance、Paul George、Peninsula Peace and Justice Center、Omar Antar、AECOM Muslim Students Association、Wasa Bishara、Committee for Azmi Bishara and the Minorities in Israel。特別協力=ノーム・チョムスキー、キャロル・チョムスキー。


 同時多発テロについて語るノーム・チョムスキーの講演やインタビューで構成したドキュメンタリー。彼は、マサチューセッツ工科大学教授として研究を続ける世界的な言語学者であるとともに、ベトナム戦争以来の反戦活動家である。彼はさまざまな歴史的な事実を示しながら、冷静に謙虚にアメリカの外交政策を批判する。反抗者というよりも、明晰なリベラリストであることが分かる。彼が少数者であることこそ、問題なのだ。

 「アメリカの定義に従えば、アメリカは過去に数々のテロを行ってきた」「誰だってテロをやめさせたいと思っている。簡単なこと。参加するのをやめればいい」。極めて分かりやすい主張だ。そして、アメリカの強権的な政策に危機感を覚えながらも、現状はベトナム戦争の時よりも良くなっていると話す前向きな姿勢が印象的。この良い意味での楽観主義がなければ、活動を続けてくることはできなかったかもしれない。

 ノーム・チョムスキーの主張に対して、長期的には有効でも、差し迫ったテロの危険には無力ではないかという批判がある。一見、もっともに聞こえるこの意見は、大切なことを忘れている。長い間アメリカがテロ的な攻撃をしてきた国の人々は、報復の手段すらなかったということだ。報復の連鎖は起こらなかった。だから問題にされなかった。今回、初めてアメリカの中枢が狙われ大規模な犠牲が出た。世界中を巻き込んで報復の連鎖が始まっている。テロの問題は、今に始まったことではない。テロを根本的に防止するには、アメリカが高圧的な政策をあらため、世界から貧困をなくし平和を確立するという、長期的な取り組みしかないのだ。日本の行うべきことは明らかだろう。

 


 ロード・トゥ・パーディション  「ロード・トゥ・パーディション」の画像です

 2002年作品。アメリカ映画。119分。配給=20世紀フォックス映画。監督=サム・メンデス(Sam Mendes)。製作=サム・メンデス(Sam Mendes)、ディーン・ザナック(Dean Zanuck)、リチャード・D・ザナック(Richard D. Zanuck) 。製作総指揮=ジョーン・ブラッドショー(Joan Bradshaw)。原作=マックス・アラン・コリンズ(Max Allan Collins)。脚本=デヴィッド・セルフ(David Self)。撮影=コンラッド・L・ホール(Conrad L. Hall)。音楽=トーマス・ニューマン(Thomas Newman)。マイケル・サリヴァン=トム・ハンクス(Tom Hanks)、ジョン・ルーニー=ポール・ニューマン(Paul Newman)、マイケル・サリヴァン・ジュニア=タイラー・ホークリン(Tyler Hoechlin)、ハーレン・マグワイア=ジュード・ロウ(Jude Law) 、コナー・ルーニー=ダニエル・クレイグ(Daniel Craig)、フランク・ニッティ=スタンリー・トゥッチ(Stanley Tucci) 、アニー・サリヴァン=ジェニファー・ジェイソン・リー、アレキサンダー・ランス=ディラン・ベイカー、フィン・マックガヴァン=シアラン・ハインズ、ピーター・サリヴァン=リーアム・エイケン、伯母サラ=ダイアン・ドーシー


 「アメリカン・ビューティー」で傑出した手腕をみせたサム・メンデス監督の新作。1930年代のアメリカ・イリノイ州を舞台にした渋いギャングもの。カチッとした構図の映像で父と子の愛憎ドラマが骨太に、ときに繊細に描かれる。トム・ハンクス、ポール・ニューマン、ジュード・ロウの共演。感動された方も多いでしょう。私は、最初からつまずきました。ギャングの殺し屋を長年務め、生き抜いてきたはずのマイケル・サリヴァンが、あまりにも無神経だったから。私なら現場を目撃した息子を射殺するか、すぐに家族全員で逃げる。

 妻と子供一人を殺されてから、あわてて息子マイケルと復讐のための逃避行。ただ、あまり緊迫感がない。殺しの場面のリアリティにも首をかしげたくなる。殺し屋マグワイアの表仕事は、死体写真家。ジュード・ロウは、このとんでもない殺し屋を嬉々として演じている。ラストシーンは、サリヴァンもマグワイアも、ともに不用心すぎる。マイケルの最後の言葉もくさすぎる。「アメリカン・ビューティー」の激しい毒気が、すっかり影を潜めてしまったのはどういうわけだ。


 マイノリティ・リポート  「マイノリティ・リポート」の画像です

 2002年作品。アメリカ映画。145分。配給=20世紀フォックス。監督=スティーブン・スピルバーグ。脚本=スコット・フランク、ジョン・コーエン。原作=フィリップ・K・ディック。製作=ウォルター・F・バークス 、ヤン・デ・ボン。撮影監督=ヤヌス・カミンスキー,ASC。音楽=ジョン・ウィリアムズ 。ジョン・アンダートン=トム・クルーズ、ダニー・ウィットワー=コリン・ファレル、アガサ=サマンサ・モートン、ラマー・バージェス=マックス・フォン・シドー、ララ・クラーク=キャサリン・モリス、エディ・ソロモン医師=ピーター・ストーメア、アイリス・ハイネマン博士=ロイス・スミス、アン・ライブリー=ジェシカ・ハーパー


 主演のトム・クルーズが映画化を持ちかけ、スピルバーグが監督した近未来サスペンス。原作がフィリップ・K・ディックと聞くと期待も高まる。予告編も新しい近未来像を見せてくれるのではないかと予感させる。確かに飽きさせはしない。未来社会のイメージも手堅く映像化している。

 しかしながら、未来像としてはどうもしっくりとこない。これまでの作品のイメージを発展させた継ぎはぎだらけの印象が残る。行政や市場による個人の管理ばかりが目立ち、個人の生活が快適になっていない。物語もすっきりしない。複雑なのは良いとして、未来は予測できるのかというテーマが深まっていかない。安易で平凡な結末に満足している。

 スピルバーグは論理的な思考に弱いが、今回も哲学的なテーマの映像化から逃げている。かといって、かつての手に汗握るアクションシーンの切れもない。個々のアイデアや映像は面白いが、全体としてのインパクトは乏しかった。あらためて「ブレードランナー最終版」(リドリー・スコット監督)の素晴らしさを思い返した。俳優ではプリコグ(予知能力者)・アガサを演じたサマンサ・モートンが上手かった。マックス・フォン・シドーの演技が上滑りだったのには驚いた。

 


 
やむちゃ・バックナンバー
1996年       4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
1997年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
1998年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
1999年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2000年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2001年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2002年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月

点です バーのカウンター(HOME)へ

 Visitorssince2002.12.08