π(パイ) |
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1998年作品。アメリカ映画。85分間。 配給=アーティストハウス、ギャガ・コミュニケーションズ、アップリンク。監督・脚本=ダーレン・アロノフスキー(Darren Aronofsky)。プロデューサー=エリック・ワトソン。撮影監督=マシュー・リバティック。編集=オレン・サーチ。美術監督=マシュー・マラッフィー。作曲=クリント・マンセル。音楽監督=スーZ。マックス・コーエン=ショーン・ガレット(Sean Gullette)、ソル=マーク・マーゴリス、ラビ・コーエン=スティーブン・パールマン、レニ−・マイヤー=ベン・シェンクマン、デヴィ=サミア・ショアイブ、ファロック=アジャイ・ナイデゥ
何という緊迫感のある映像なのだろう。数学とユダヤ教のトーラー(モーセ五書)と株予想を結び付けるアイデアも骨太だ。製作費60,000ドルという驚異的な低予算で完成。1998年サンダンス映画祭で「デヴィッド・リンチとキューブリックの世界を合わせもつ」と絶賛され、最優秀監督賞を受賞した。製作のキッカケは、塚本晋也監督の激烈な『TOKYO FIST/東京フィスト』。その勇気に刺激されたという。影響しあいながら、新しい作品が生まれていくというのはとても嬉しい。
数学者のマックス・コーエンの持病を、当初の不眠症から偏頭痛に変えたのは大正解だった。偏頭痛といえば、ニーチェを連想する。偏頭痛は日常の表面を引き剥がす。激しい痛みと恐怖がダイレクトに伝わってくるサウンドが素晴らしい。偏頭痛、失神、妄想を繰り返す主人公は、やがて世界のカギを解く数式をみつける。それをつかもうとする証券会社とカバラ主義者たち。しかし、爆走してきた物語は主人公が頭にドリルを突き刺してふいに終る。知らない方が良い真理があるとでも言いたげに。シャープで暴力的な展開と韜晦したかのようなエレガントな結末。いつまでも気になる作品だ。
オサムの朝 |
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1998年作品。日本映画。106分。配給=シネカノン。監督=梶間俊一。製作=映画「オサムの朝」製作委員。企画=奥山和由、坂上順。原作=森詠「オサムの朝(あした)」(集英社刊)。脚本=田部俊行。プロデューサー=小島吉弘、小松護、進藤淳一。撮影=阪本善尚。美術=桑名忠之。音楽=SYSミュージシャンズ。音楽プロデューサー=石川光。製作プロデューサー=榊田茂樹。美術=桑名忠之。助監督=金佑彦。キャスティング=福岡康裕。照明=椎原教貴。録晋=今井善孝。編集=西東清明。城山修=中村雅俊、文子=手塚理美、金村=原田龍二、少年オサム=森脇史登、直樹=西谷有統、勉=五十畑迅人、テツオ=小林元樹、セイジ=木林正憲、庄=佐々木朝、一郎=原川綾乃、武内=内山眞人、クキ=東恵美子、弥生=石橋ケイ、武内院長=並樹史朗、丸眼鏡=大河内浩、鳥打ち帽=町田政則、園子=宮崎小枝子、レンタカーの店員=佐藤光利、朋子=原日出子、マチ子=春風ひとみ、武田弐三郎=平田満、ゆり子先生=石田ひかり、卜伝先生=石橋蓮司、行雄=榎木孝明
貧しいが、人と人、人間と自然が深く交流していた時代を少年の視点で描いた。人々の素朴さ、自然の美しさがまぶしい。映画は、過去の出来事に閉じてしまわないように、家庭で孤立している少年と出会った中年技術者が自分の過去を話す形式を取っている。二人の出会い方がややわざとらしい以外は、物語には多彩な人々が登場し、めりはりがあって引き込まれる。ベテラン俳優が顔をそろえているが、中でも少年時代のオサム役の森脇史登が、実に清清しい。
人間の温かさを思い返させると言う文部省推薦のような側面もあるが、物語は優等生的な枠を越えていく。「皆死んじまえ」と叫ぶオサムの悲しみの深さ、そして感動的なのは子供たちの反乱である。参観日を前に質問と答えの予行演習をする担任に、子供たちは不信感を持っている。当日、家を出ていった母親が教室に顔を出したのを見たオサムは、先生の質問に「分かりません」と答える。他の子供たちも口々に「分かりません」と答え、皆で学校から出ていく。学校や両親への抗いのシーン。驚くほどたくさん涙が出た。
学校の怪談4 |
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1999年作品。日本映画。99分。配給=東宝。監督=平山秀幸。製作=藤峰貞利、高井英幸。原作=常光徹 (講談社KK文庫刊)、日本民話の会(ポプラ社刊)。脚本=奥寺佐渡子。撮影=柴崎幸三。美術=中澤克巳。編集=川島章正。音楽=宇崎竜童。 安西弥恵=豊田眞唯、 安西恒=広瀬斗史輝、老人(関川幸一)=笑福亭松之助、あゆむ=皆川優紀、あゆむの母=原田美枝子
「死んだ人の魂は怖くない」というメッセージを持つ作品。最近のホラーへのアンチテーゼだろうが、怪談としては邪道である。連れ去られた子供たちが無事に帰ってくるのはまだ許せるとしても、学校を飲み込んだ大津波さえなかったかのような結末は、いくらなんでもお行儀が良すぎないか。郷愁あふれるストーリーは良くできているので周囲の評価は高いが、私には物足りない。怪談は、怨みや呪いが映像に染み付いた「東海道四谷怪談」(中川信夫監督)のように、めっぽう怖くなくては。
大勢の子供たちが活躍。6,000人の中からオーディションで選ばれた小学3年生の豊田眞唯が、主人公の弥恵を演じる。とても可愛い上に、賢くて強い。彼女が物語を引っ張っていくのは事実だが、あまりにもしっかりし過ぎていて不自然な感じも残る。「フィオナの海」(ジョン・セイルズ監督)の少女が迷いも恐れもなく人間離れしていたのを思い出した。少女は、半分向こうの世界に住んでいるからなのだろうか。
アドレナリンドライブ |
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1999年作品。監督・脚本・編集=矢口史靖。音楽=山本精一&羅針盤。撮影=浜田毅。照明=渡邊孝一。美術=山田好男。佐藤静子=石田ひかり、鈴木悟=安藤政信、ちんぴら=ジョビジョバ、婦長=角替和枝、看護婦・智子= 真野きりな、黒岩= 松重豊、荒川組長=上田耕一
強引さに物語を引っ張っていく有無を言わせぬパワーが魅力の矢口史靖監督。1993年「裸足のピクニック」、1997年「ひみつの花園」に続く、待望の新作だ。しかし、作風は幾分変化している。以前の無茶苦茶さ、不自然をものともしなかったガムシャラさが影をひそめ、ストーリーは予想がつかないものの、ペースはかなりゆったりとしている。そして、気のきいたギャグをうまく盛り込み、楽しませてくれる。パワーは落ちたものの、それなりに面白い。海外でも人気があるのは理解できる。
優柔不断な主人公を安藤政信、石田ひかりが好演。ただし、2億円を手に入れてからの石田ひかりは一気に加速する。女性が頑張る矢口テーストだ。お笑いユニット6人組ジョビジョバが演じたちんぴらは、やることなすこといい加減で滅茶苦茶。かつての矢口に登場したキャラクターを思わせる。そして、看護婦役で個性的なコミカル演技を見せた真野きりなに、役者魂を感じた。ますます今後が楽しみな逸材だ。
Lock Stock & |
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1998年作品。イギリス映画。108分。配給=ソニーピクチャーズエンタテインメント。監督・脚本=ガイ・リッチー(Guy Ritchie)。製作=マシュー・ボーン。撮影=ティム・モーリス・ジョーンズ。編集=ニーヴン・ハウイ。美術=イブ・マブラキス。 衣装=ステファニー・コリー。エディ=ニック・モーラン、ソープ=デクスター・フレッチャー、トム=ジェイソン・フレミング、ベーコン=ジェイソン・ステイサム、ハチェット・ハリー=P・H・モリアーティ、ウィンストン=スティーブ・マッキントッシュ、ヴィニー=ヴィニー・ジョーンズ、JD=スティング、ドッグ=フランク・ハーパー、プランク=スティーブ・スウィーニー
「めちゃくちゃ面白い映画を観た」と、感慨にふけった。ミュージック・ビデオやコマーシャルで活躍してきたガイ・リッチー監督のデビュー作。スタイリッシュでコミカル。29才の才能豊かな新人監督の誕生だ。ロンドンの下町で一攫千金を夢見る若者4人。しかしカードで負け、莫大な借金をしてしまう。残された時間は1週間。隣に住む悪党たちのドラッグと金の強奪計画を聞き付け、それを奪おうとする。さまざまな階層の人たちが登場し、スラングと訛りが飛び交い、物語は意地悪く転がっていく。そのズレとハマリ感覚の絶妙さ。
どたばた劇の末、コミカルに死体の山が出来上がる感覚はタランティーノを連想させるが、ガイ・リッチー監督は、もう数枚悪意のカードを多く持っている。多様な人々がひしめき合う猥雑な下町の犯罪世界に、ユーモアを粧った知的な悪意をしのばせる新しい感覚。ストーリーの見事さに映像のシャープさ、配役、音楽の巧みさが加わり、傑作が生み出された。若い監督によるイギリス映画の活気を象徴する作品だ。
キャメロット・ガーデンの少女
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1997年作品。イギリス・アメリカ合作映画。101分。配給=アミューズ。プロデューサー=ダンカン・ケンワーシー。監督=ジョン・ダイガン(John Duigan)。キャスティング=ロナ・クレス。音楽=トレヴァー・ジョーンズ。衣装=ジョン・ダン。美術=ジョン・マイアー。編集=ハンフリー・ディグソン。撮影=エリオット・デイヴィス。エグゼクティブ・プロデューサー=ロン・ダニエル。ライン・プロデューサー=エイミー・カウフマン。共同プロデューサー=デヴィッド・ルビン。脚本=ナオミ・ウォレス。デヴォン(主人公の少女)=ミーシャ・バートン(Mischa Barton)、トレント(芝刈りで暮らす青年)=サム・ロックウェル (Sam Rockwell) 、クレア(デヴォンの母親)=キャスリーン・クィンラン(Kathleen Quinlan) 、モートン(デヴォンの父親)=クリストファー・マクドナルド、ナッシュ(警官)=ブルース・マクギル、ショーン(トレントの元クラスメート)=エリック・メイビウス、ブレット(ショーンの友人)=デイヴィッド・バリー・グレイ、 パム(トレントの恋人)=アンジー・ハーモン
第16回ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭のグランプリ作品。アメリカ・ルイズヴィルの郊外にある高級住宅地「キャメロット・ガーデン」が舞台。心臓を病んでいる空想好きの10歳の少女は、ガーデンの芝刈りをして生活するアウトローの22歳の青年と出会い、心を通わせていく。しかし、周囲は二人の関係を理解しようとしない。社会派的な要素を盛り込み、皮肉な視線、軽めの毒をちりばめた純愛作品と呼べば良いのだろうか。
さまざまなエピソードが次々と描かれていくが、その意味は示されない。美しい構図を見せるためだけではないかという場面もある。しかし、すべては多感な少女のまなざしに沿って流れていく。ラストの不用ともいえるCGを含め、少女のための物語なのだ。そして少女をこれ以上は望めないほどに生き生きと演じたミーシャ・バートンに拍手を送ろう。この作品のリアリティは、結局彼女の存在に支えられている。
海をみる |
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サマードレス |
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x2000 |
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「海をみる」1997年作品。フランス映画。52分。監督・脚本=フランソワ・オゾン。撮影=ヨリック・ルソー。サーシャ=サーシャ・ヘイルズ、タチアナ=マリナ・ド・ヴァン「サマードレス」1996年作品。フランス映画。15分。監督・脚本=フランソワ・オゾン。撮影=ヨリック・ルソー、ギヨーム・バラン。ミック=フレデリック・マンジュノ、ルシア=ルシア・サンチェス、リュック=セバスチャン・シャルル「x2000」1998年作品。フランス映画。8分。監督・脚本=フランソワ・オゾン。撮影=ピエール・ストウベール。中年女性=ドニーズ・シュロプフェル・アロン、男=フリュノ・スラグミュルデーン
ぶっ飛びパンク・ブラック・コメディ「ホームドラマ」で注目を集めているフランソワ・オゾン中短編作品。「海をみる」は、母親と子供の日常を描きながら、観る者をハラハラさせ続けるサスペンスの秀作。マリナ・ド・ヴァンがとびきり怖い。そしてしばらくは歯を磨く時にこの作品を思い出すだろう。おえっ。
「サマードレス」は、同性愛と異性愛に揺れながら自分のセクシャリティに目覚めていく青年を描いた明るい作品。その屈託のないセックスシーンは特筆に値する。挿入歌の「バンバン」が耳から離れない。「x2000」は、とびきり短い。何事もないようで、どこかおかしな2000年の朝の風景。かすかな変調の予兆が示される。映像的な遊びに徹した作品だ。
7/25 |
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1998年作品。日本映画。67分。監督=早川渉。製作=波多野ゆかり。脚本=荒木田真穂。撮影=国松正義。照明=石川和明。美術=中原芳雄。音楽プロデュース=高井美一。音楽=渡辺祟。チェロ演奏=竹本利郎。照屋扶三久=日向勇、鳥海メイ子=梅津美星子、はづき=中野準也、さざなみ=宮永里佐
1999年カンヌ映画祭国際批評家週間正式出品。絶滅寸前のホシジマカエデを研究している植物学者、チエロ職人、若い探偵、毎月25日に100円ショップで万引きする女性。この4人が別々の場所で出会い、関係を持ち始める。魅力あるストーリーだ。場面設定と研ぎすまされた会話が素晴らしい。そして、人と人、人と植物が交感する。
現代的でありながら、古典的な味わい。たぶん人間や自然への信頼が根底にあるからなのだろう。「今のところ新しい芽が出たという報告はない」と言いながら、カエデの若葉をとらえるライトシーンも、アニメ版「風の谷のナウシカ」のように希望を提示している。ハイセンスにまとめているが、役者が素人っぽいのがやや気になった。
ホーホケキョ
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1999年作品。日本映画。104分。配給=松竹・スタジオジブリ。制作=スタジオジブリ。製作担当=奥田誠治、藤巻直哉、星野康二。製作総指揮徳間康快。監督・脚本=高畑勲。原作=いしいひさいち(朝日新聞連載)。プロデューサー=鈴木敏夫。絵コンテ=田辺修、百瀬義行。作画監督=小西賢一。美術監督=田中直哉、武重洋二。彩画監督=保田道世。撮影監督=奥井敦。動画監督=斎藤昌哉、野仁美。演出=田辺修、瀬義行。音楽=矢野顕子。まつ子=朝丘雪路、たかし=益岡徹、しげ=荒木雅子、のぼる=五十畑迅人、のの子=宇野なおみ、藤原先生=矢野顕子、ナレーション=柳屋小三治、ジブリ応援団=富田靖子、古田新太、斉藤 暁
スタジオジブリの新作は、いしいひさいちの4コマ漫画が原作。フルデジタルによる淡い水彩画でほのぼのとした味わいを表現し、またアニメーションの新しい地平を切り開いた。肩の力を抜いて気楽に見れば、飽きずに楽しめる。相変わらず声優の妙に感心した。とりわけ、まつ子役の朝丘雪路がいい雰囲気を醸し出しいる。
テーマは「適当」。山田家の日常生活を描きながら、高い目標など持たずに気楽に生きようと呼び掛ける。重たいテーマをぎりぎりと突きつけてきた前作「もののけ姫」(宮崎駿監督)と、あまりにも対照的。むしろ、意識して正反対の世界を提示したのだろう。
何故「ホーホケキョ」と付いているのかを知って笑った。「火垂るの墓」、「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」と、これまでヒットした作品には、皆「ほ」の字が入っていたので、今回も付けたとか。何かいいな。
Eyes Wide Shut |
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1999年作品。アメリカ映画。159分。配給=ワーナー・ブラザース。製作会社=ワーナー・ブラザース。製作総指揮=ヤン・ハーラン。監督=スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)。脚本=スタンリー・キューブリック、フレデリック・ラファエル。原作=アーサー・シュニッツラー『トローム・ノヴェル』。撮影=ラリー・スミス。特殊効果=ガース・インス。美術=レス・トムキンズ、ロイ・ウォーカー。編集=ナイジェル・ゴルト。ビル・ハーフォード=トム・クルーズ(Tom Cruise)、アリス・ハーフォード=ニコール・キッドマン(Nicole Kidman)、パーティのホスト=シドニー・ポラック、ジャズ・ミュージシャン=トッド・フィールド、マリー・リチャードソン、アラン・カミング、マディソン・エジントン、ソーマス・ギブソン
スタンリー・キューブリック監督の12年ぶりの新作。そして遺作。日本では成人指定での公開となった。結婚9年目で幸せだがささやかな倦怠期を迎えつつある夫婦。二人はそれぞれに性的な妄想をいだき、嫉妬する。ニコール・キッドマン扮するアリス・ハーフォードは、旅行先で一瞬だけ視線を交わした海軍士官との情交を夢みる。ビル・ハーフォード役のトム・クルーズは、性的好奇心で街をさまよい、著名人たちの秘密の乱交パーティに紛れ込み危うく難を逃れる。「お互いほどほどの冒険で良かったわね、セックスしましょう」でおしまい。夢と現実が混濁する迷宮も謎もショッキングな映像もなかった。まして異常性欲など描かれてはいない。
豪華でセンスの良いセット、的確なカメラワーク、心憎い音楽の使い方は、確かにキューブリックらしい。ダンスシーンのたゆたうキッドマンはまぶしい。しかし、息を飲むようなシーンには出会えなかった。「博士の異常な愛情」「2001年宇宙の旅」「時計仕掛けのオレンジ」「シャィニング」と歴史的な傑作を生み出した監督の遺作を観た感慨は深いが、キューブリックの「最高傑作」ではけっしてない。映画化を構想した70年代に公開されていたとしても、代表作にはならなかっただろう。
96年 | 4月 |
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97年 | 1月 |
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98年 | 1月 |
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