クルシメさん(−ニューヴァージョン−) |
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1997年作品。日本映画。56分。配給=のぼるプロ。監督・撮影・脚本=井口昇。演出補=中優子、伊藤嘉朗。音楽=YUJI&BERA。キャスト=新井亜樹、唯野未歩子、松梨智子、雨谷由香
1998年にゆうばり国際映画祭ファンタスティック・オフシアター・コンペティション部門で激励賞を受賞した作品のニューヴァージョン。札幌のまるバ会館で上映された。好きになった人の一番嫌いなことをしてしまうという癖を持つ女性と、舌の先が大きく割れている女性の出会いの物語。人と関わること、他人の視線に怯えながらも、人とのつながりを切望する二人。それを追う監督のまなざしの繊細さが印象的だ。
新井亜樹、唯野未歩子の演技は素晴らしい。特に新井亜樹のおどおどした態度は切なくなるほどだ。唯野未歩子はそこにいるだけで存在感があるといういつもの役柄ではなく、新鮮だった。身につまされるような叙情とほのかなユーモアに包まれるが、最後はコミック・ホラーになってしまう。私としては、別な終わり方を期待したが、これは監督の一種の「照れ」なのだとも思う。
THE STRAIGHT STORT |
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1999年作品。アメリカ映画。111分。配給=コムストック。監督=デビィッド・リンチ(David Lynch)。製作=メアリー・スウィーニー。脚本=ジョン・ローチ、メアリー・スウィーニー。撮影=フレディ・フランシス。編集=メアリー・スウィーニー。美術=ジャック・フィスク。音楽=アンジェロ・バダラメンティ。衣装=パトリシア・ノリス。アルヴィンストレイト=リチャード・ファーンズワース(Richard Farnsworth)、ローズ=シシー・スベイセク、ライル= ハリー・ディーン・スタントン
忘れがたい老境映画の誕生。デビィッド・リンチが監督したことを驚く必要はない。もともと確かな技量と美的センスを持った監督なのだから。いつもの作品から暴力とセックスと錯乱を除くと、「ストレイト・ストーリー」になる。鹿をめぐる印象的なシーンや燃え上がる家、カウンターをこすり続ける客など、よく見ているとリンチ・ワールドの片鱗は隠されている。今回は暴走していないだけだ。こんな映画をつくっておいて、次回は再び理解不能な映像を叩き付けるのが、リンチ流なのだろう。安心はできない。
第72回アカデミー賞主演男優賞は逃したものの、リチャード・ファーンズワースの味わい深い演技は、誰もが賞賛することだろう。現在79歳で、「最後の作品」と語っているようだが、まだまだ多くの作品に出演してもらいたいものだ。アメリカの大地に根ざした生きざまを、無理なく演じられる数少ない名優なのだから。
ケイゾク/映画 |
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2000年作品。日本映画。119分。配給=東宝。監督=堤幸彦。プロデュース=植田博樹。脚本=西荻弓絵。音楽=見岳章。撮影=唐沢悟。美術=佐々木尚。編集=上野聡一。音楽プロデュース=志田博英。柴田純=中谷美紀、真山徹=渡部篤郎、木戸彩=鈴木里奈、遠山金太郎=生瀬勝久、近藤昭男=徳井優、野々村光太郎=竜雷太、壷坂邦男=泉谷しげる、斑目重友=村井克行、朝倉裕人=高木将大、霧島七海=小雪
テレビ番組やインターネットのホームページなどを連動させながら、映画につないでいくという手法は、「踊る大捜査線」(本広克行監督)と同じ路線。しかし、「ケイゾク/映画」の方がテレビを観ていないと映画が理解しにくい。「ツイン・ピークス」「エヴァンゲリオン」などなど、先行するさまざまなイメージを取り込み、変形しながら、ギャグとシリアスのサラダという流行りのテースト仕上げだ。それが単なる寄せ集めか、一つの世界を作り上げているかのが作品評価の分かれ目になる。
何がリアルに感じられるかという好みの問題になるのだろうが、私には手の込んだ積み木細工に感じられた。ギャグのばかばかしさは白々しい。生死への問いは見せ掛けばかりで紋切り型だ。派手だがセンスは良くないCGが場面をつないでいく。複雑なようで空しいストーリー展開。しかし、それは私たちの日常と似ている。「ケイゾク」というプロジェクトは、私たちの閉塞した観念世界をあぶり出しているのかもしれない。
TOY STORY2 |
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1999年作品。アメリカ映画。92分。配給=ブエナビスタインターナショナル(ジャパン)。監督=ジョン・ラセター(John Lasseter)。共同監督=リー・アンクリッチ、アッシュ・ブラノン。製作=ヘレン・プロトキン、カレン・ロバート・ジャクソン。製作総指揮=サラ・マッカーサー。原案=ジョン・ラセター、ピート・ドクター、アッシュ・ブラノン、アンドリュー・スタントン。脚本=アンドリュー・スタントン、リタ・シヤオ、ダグ・チャンバリン&クリス・ウェッブ。音楽=ランディ・ニューマン。編集=エディ・ブレイマン、デビッド・イアン・ソルター、リー・アンクリッチ。スーパーハイジング・テクニカル・ディレクター=ギャリン・サスマン。撮影監督=シャロン・カラハン。プロダクション・デザイン=ウィリアム・コーン、ジム・ピアソン。ストーリー監修=ダン・ジュープ、ジョー・ランフト。スーパーハイジング・アニメーター=グレン・マックィーン。レイアウト監修=リッキー・クリーランド=フラ、ユーウィン・ジョンソン。セット装飾監修=デビッド・アイゼンマン。テクニカル・ディレクター補佐=オーレン・ジェイコブ、ラリー・オーパール。モデリング監修=イーブン・オストビー。シェーディング監修=ブラッド・ウェスト。ライディング監修=ジャン=クロード・カラシュ。レンダリング監修=ドン・シュリーター。音響デザイン=ケイリー・リドストロム。音楽製作総指揮=クリス・モンタン。ウッデイ=トム・ハンクス=唐沢寿明、バス・ライトイヤー=ティム・アレン=所ジョージ、ジェシー=ジョーン・キューザック=日下由美、プロスペクター=ケルシー・グラマー=小林修、ミスター・ポテトヘッド=ドン・リックルズ=名古屋章、スリンキー・ドッグ=ジム・バーニー=永井一郎、レックス=ウォーレス・ショーン=三ッ矢雄二、ハム=ジョン・ラッツェンバーガー=大塚周夫、ボー・ピープ=アニー・ポッツ=戸田恵子、アル・マクウィギン=ウェイン・ナイト=樋浦勉、アンデイ=ジョン・モリス=北尾亘、アンディのママ=ローリー・メトカーフ=小宮和枝、ミセス・ポテトヘッド=エステル・ハリス=楠トシエ、軍曹=R・リー・アーメイ=谷口節、ガイド・ハービー=ジョディ・ベンソン=高橋理恵子、修理屋=ジョナサン・ハリス=佐々木梅治、ウィージー=ジョー・ランフト=佐古正人、ザーク=アンドリュー・スタントン=佐々木梅治、エイリアン=ジェフ・ピジョン=桜井敏治
しっぽの先まで美味しいあんこが詰まった鯛焼きです。96年の「トイ・ストーリー」を技術的にもストーリー的にも上回る出来映え。子供たちに触れられ愛されながらやがて捨てられるか、プレミア・トイとして博物館のガラスケースの中で永遠の命を得るか。おもちゃの「究極の選択」がテーマだが、堅苦しさは微塵もない。登場する個性的なキャラクターを楽しむだけでも1時間30分があっという間に過ぎる。
吹き替え版で観たが、作品全体を丁寧に日本語化していて、違和感がなかった。「バグズ・ライフ」に続いてラストクレジットに用意されているNG集は、抱腹絶倒もの。さらにギャグに磨きがかかった。本編がNG集のためにあるといっても過言ではないほど。そうそう、上映前にハイライトシーンが公開された、今年暮れ公開予定のCG作品「ダイナソー」の壮大な自在さに驚いたことも報告しておこう。ディズニー映画の果敢な冒険は続く。
la fille sur le pont |
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1999年作品。フランス映画。90分。配給=シネマパリジャン。監督=パトリス・ルコント(Patrice Leconte)。脚本・台詞=セルジュ・フリードマン。撮影=ジャン=マリー・ドルージュ。写真=カトリーヌ・カブロル。衣装=アニー・ペリエ。美術=イヴァン・モシオン。編集=ジョエル・アッシュ。ガボール=ダニエル・オートゥイユ(Daniel Auteuil)、アデル=ヴァネッサ・パラディ(Vanessa Paradis)、自殺未遂の男=クロード・オフォール、TGVの男=ファルック・ベルムガ、キュザック=ベルティ・コルテズ、アクロバット芸人=フレデリック・フリューガー
巧者パトリス・ルコント監督の新作。今回はモノクロ映像。銀幕の官能性をあらためて感じた。「イヴォンヌの香り」では、匂い立つようなエロティシズムを漂わせていたが、「橋の上の娘」は触れあうことがないままに愛を交わす、ナイフ投げの芸人と的モデルの屈折したエロスを焼きつけている。ナイフが刺さる時の鋭い音と的の吐息のなんという官能。しびれるような快感が伝わってくる。ウイットに富んだ会話と無言の交感の対比が絶妙だ。
こんなに美しく、こんなに演技のうまいヴァネッサ・パラディに出会えるとは。断わることができず、どんな男ともすぐに関係を持ってしまうが、いつも孤独な少女を自然体で演じている。そして禁欲的な芸人にダニエル・オートゥイユがなり切っている。鷹のような意志的な眼が印象的だ。その他の脇役も皆一癖あり、いかにもルコントらしい。
BUENA VISTA SOCIAL CLUB |
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1999年作品。ドイツ・アメリカ・フランス・キューバ合作。105分。配給=日活。監督=ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)。製作=ライ・クーダー(Ry Cooder)。製作総指揮=ニック・ゴールド。製作=ジェリー・ボーイズ。A&Rコンサルタント=ファン・デ・マルコス・ゴンザレス。プロダクション・サウンド=マルティン・ミュラー。編集=ブライアン・ジョンソン。撮影・ステディカム監督=イェルク・ヴィトマー(ハバナ)、ロビー・ミュラー(アムステルダム)、リサ・リンズラー(ニューヨーク)。アソシエイト・プロデューサー=ローザ・ボッシュ。製作総指揮=ウルリヒ・フェルスバーク。製作=ウィルヒ・フェルスバーグ、デイーバク・ネイヤー。コンパイ・セグント、テリアデス・オチョア、ライ・クーダー、ヨアキム・クーダー、イブライム・フェレール、オマーラ・ボルトゥオンド、ルベーン・ゴンザレス、オルラド“カチャイート”ロベス、アマディート・バルデス、マヌエル“エル・グアヒーロ”ミラバール、バルバリート・トーレス、ビオ・レイバ、マヌエル“プンティタージ”リセア、ファン・デ・マルコス・ゴンザレス
キューバ音楽の素晴らしさに感動したヴィム・ヴェンダースとライ・クーダーによって企画された至福の音楽ドキュメンタリー。演奏者の生き生きとした表情と人生の年輪が刻み込まれた明るい音楽に包まれて、幸せな気分になれる。作為を感じさせない落ち着いた構成ながら、ニューヨーク・カーネギーホールでの歴史的なコンサートが実現する過程を追ううちに、アメリカとキューバの複雑な歴史的関係が静かに浮かび上がる。脳天気なようで、意外に深い作品だ。
自分の人生を語り、楽しそうに演奏する往年のミュージシャンたち。忘れられた人たちが集まり、再び脚光をあびる。一人ひとりが輝いている。最初に登場する90歳を超えたギタリスト、コンパイ・セグントのダンディーさ、天性のシンガーであるイブライム・フェレールの人なつっこさ、ピアニストのルービン・ゴンサレスの華麗なテクニックと繊細な感性。その音楽は本当に心地よいが、過酷なキューバの歴史が生み出したものであることも忘れてはならない。
HILARY AND JACKIE |
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1998年。イギリス映画。121分。配給=日本ヘラルド映画。製作総指揮=ガイ・イースト、ナイジェル・シンクレア、ルース・ジャクソン。製作=ニコラス・ケント、アンドリュー・ペーターソン。監督=アナンド・タッカー(Anand Tucker)。撮影=デビッド・ジョンソン。脚本=フランク・コトレル・ボイス。編集=マーティン・ウォルシュ。美術=アリス・ノーミントン。音楽=バリントン・フェロング。キャスティング=シモーヌ・アイルランド、ヴァネッサ・ペレイラ。録音技術=デビッド・クローガー。衣装=サンディ・パウエル。原作=ヒラリー・デュプレ&ピエール・デュプレ共著『風のジャクリーヌ』(ショパン社刊)。ジャクリーヌ・デュ・プレ=エミリー・ワトソン(Emily Watson)、ヒラリー・デュ・プレ=レイチェル・グリフィス(Rachel Griffiths)、ダニエル・バレンボイム=ジェイムズ・フレイン(James Frain)、キーファ・ファインジ=デビッド・モリシー、デレク・デュ・プレ=チャールズ・ダンス、アイリス・デュ・プレ=セリア・イムリー、ピエール・デュ・プレ=ルペルト・ベニー・ジョーンズ、ウィリアム・フリーズ=ビル・ペーターソン、ヤング・ジャクリーヌ=オーリオル・エヴァンス、ヤング・ヒラリー=キーリー・フランダース、ダイム・マーゴット・フォンテーン=ニール・ボーン・ポーター
イギリス最高の天才チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレと姉のヒラリー・デュ・プレの愛と確執を描いた迫力あるドラマ。「シャイン」(スコット・ヒックス監督)に並ぶ佳作だ。ジャクリーヌは28歳の頂点の時に難病の多発性硬化症に冒されてステージを降り、42歳で1987年に亡くなっている。「ほんとうの・・・」という邦題は、伝説化され神格化されている天才の実像に迫ろうという姿勢を示しているが、それを知らないと奇異な感じを受ける。欧州では抗議のデモがあったという。
前半はそっけないほど淡々と流れていくが、後半に入って前半の場面が眩く活きてくる。予想はしていたものの、エルガーのチェロ協奏曲の鬼気迫るような音色に圧倒された。この音に出会えただけでも収穫だった。自分の才能と人生に戸惑い苦悩するジャクリーヌをエミリー・ワトソンが渾身の力で演んじた。印象深い「奇跡の海」(ラース・フォン・トリアー監督)以上にリアルだと思う。ヒラリー役はやや美化されている気もするが、レイチェル・グリフィスの演技に嫌味はない。
Sleepy Hollow |
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1999年作品。アメリカ映画。106分。配給=日本ヘラルド映画。監督=ティム・バートン(Tim Burton)。原作=ワシントン・アーヴィング『スリーピー・ホローの伝説』。脚本=アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー。プロダクショ ン・デザイナー=リック・ヘインリックス。衣裳=コリーン・アトウッド。編集=クリス・リーベンゾン。音楽=ダニー・エルフマン。撮影=エマニュエル・ルベツキー。特殊効果=ケヴィン・イエーガー。イカボッド・クレーン=ジョニー・デップ、カトリーナ・ヴァン・タッセル=クリスティーナ・リッチ、ニューヨーク市長=クリストファー・リー、ヴァン・タッセル夫人=ミランダ・リチャードソン、ブロム・ヴァン・ブラント=キャスパー・ヴァン・ディーン、バルタス・ヴァン・タッセル=マイケル・ガンボン、スティーンウィック牧師=ジェフリー・ジョーンズ、レディー・クレーン(イカボッドの母)=リサ・マリー、ヘシアン・ホースマン=クリストファー・ウォーケン
すべてがバートンにコントロースされた映像美に見とれた。自分のテイストを守りながら、有名なワシントン・アーヴィングの原作『スリーピー・ホローの伝説』をもとにホラー娯楽作をつくってしまうティム・バートン。確かに血みどろであり、首がぽんぽん切られていくが、ハメを外すほどのおふざけはない。今回は「マーズ・アタック!」以上に、そつなくまとまっている。深いトラウマを抱えながら、ハッピーエンドを描けるようになった監督の幸せを、批判するつもりはない。
「エド・ウッド」のジョニー・デップと「アダムス・ファミリー」(バリー・ソンネンフェルド監督)のクリスティーナ・リッチの共演というバートンらしい取り合わせとともに、尖った歯をむき出しにしたクリストファー・ウォーケンの怪演が嬉しい。そして、バートン最愛のリサ・マリーは、天使のような母親役で登場。最後は「鉄の処女」に入れられて全身串刺しになる。何という壮絶な美しさだろう。ヴアンパイア役で名高いクリストファー・リーの起用も忘れてはいけないポイントだ。
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