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2005.9

 NANA 「NANA」の画像です

2005年作品。日本映画。114 分。配給=東宝。監督=大谷健太郎。製作=近藤邦勝。プロデューサー=中沢敏明、久保田修。企画=濱名一哉。原作=矢沢あい『NANA』(Cookie/集英社刊)。脚本=浅野妙子、大谷健太郎。撮影=鈴木一博。美術=磯田典宏。編集=掛須秀一。音楽=上田禎。共同プロデューサー=川崎隆。照明=上妻敏厚。装飾=西渕浩祐。録音=横野一氏工。大崎ナナ=中島美嘉、小松奈々(ハチ)=宮崎あおい、寺島伸夫(ノブ)=成宮寛貴、岡崎真一(シン)=松山ケンイチ、遠藤章司=平岡祐太、川村幸子=サエコ、レイラ=伊藤由奈、藤枝直樹(ナオキ)=水谷百輔、早乙女淳子=能世あんな、高倉京介=高山猛久、高木泰士(ヤス)=丸山智己、一ノ瀬巧(タクミ)=玉山鉄二、本城蓮(レン)=松田龍平


 原作は読んでいない。純粋に映画の「NANA」の世界を楽しんだ。まっすぐで、せつなくて、最後はすごく気持ち良い!!。中島美嘉が演じた大崎ナナは、生き方が無茶無茶かっこいい!!。宮崎あおいが演じた小松奈々は、わがままだけれど性格がかわゆい!!。男たちは、彼女たちの盛りたて役。いいなあ。女性の友情ものは。

 


 メゾン・ド・ヒミコ 「メゾン・ド・ヒミコ」の画像です

 2005年作品。日本映画。131分。配給=アスミック・エース。監督=犬童一心。プロデューサー=久保田修。製作=小川真司。脚本=渡辺あや。撮影=蔦井孝洋。美術=磯田典宏。衣装=北村道子。編集=阿部亙英。音楽=細野晴臣。音楽プロデューサー=安井輝。照明=疋田ヨシタケ。春彦=オダギリジョー、沙織=柴咲コウ、卑弥呼=田中泯、細川専務=西島秀俊、ルビイ=歌澤寅右衛門、山崎=青山吉良、政木=柳澤愼一、高尾=井上博一、木嶋=森山潤久、キクエ=洋ちゃん、チャービー=村上大樹、半田=高橋昌也、ダンスホールの中年男=大河内浩、ダンスホールの若い男=中村靖日、エリナ=村石千春、昌子=久保麻衣子、淳也=田辺季正


 犬童一心監督の作品は、観ている間も面白いが、観終わった後には作品の世界がじわじわとしみ込み、心をいっぱいにしてしまう。「メゾン・ド・ヒミコ」もそうだ。ゲイのための老人ホームが舞台。末期癌のゲイの父親・卑弥呼、その恋人、家族を捨てた父を嫌悪している娘を中心に、ホームにいるゲイたちが魅力的に描かれる。犬童作品では、人物はストーリーに奉仕するためだけに存在しない。だれもが屈折した思いを抱えた複雑な人物として登場する。なかでも卑弥呼役・田中泯の存在感は圧倒的。登場すると空気が緊張する。恋人役・オダギリジョーは、いつにも増して美しい。そして娘役・柴咲コウが、膨れっ面から泣き顔までをチャーミングに見せる。かわいい。3人とも素晴らしく華がある。

 辛い話しだが、後味は悪くない。笑える場面がちりばめられ、深いけれど重くない。今回は、驚きのあまり涙ぐむ場面が3回もあった。「また逢う日まで」の夢のようなダンスシーン、オダギリジョーと柴咲コウのぎこちないラブシーンで柴咲が「触りたいとこ、ないんでしょ」とつぶやくシーン、そして病床の田中泯が責める柴咲に「あなたが好きよ」と語るシーン。最後のシーンは柴咲がその言葉を全身で受け止め、たじろぐ場面で終わる。「ジョゼと虎と魚たち」とは別のベクトルで、これまでの人間ドラマの地平を一歩超えた傑作だ。


 ヴェラ・ドレイク 「ヴェラ・ドレイク」の画像です

 2004年作品。イギリス・フランス・ニュージーランド合作。125 分。配給=東京テアトル。監督=マイク・リー(Mike Leigh)。製作=サイモン・チャニング=ウィリアムズ。製作総指揮=ゲイル・イーガン、ロバート・ジョーンズ、ダンカン・リード、アラン・サルド。脚本=マイク・リー。撮影=ディック・ポープ。美術=イヴ・スチュワート。衣装=ジャクリーン・デュラン。編集=ジム・クラーク。音楽=アンドリュー・ディクソン。ヴェラ・ドレイク=イメルダ・スタウントン(Imelda Staunton)、スタン=フィル・デイヴィス(Phil Davis)、ウェブスター警部=ピーター・ワイト(Peter Wight)、フランク=エイドリアン・スカーボロー(Adrian Scarborough)、ジョイス=ヘザー・クラニー(Heather Craney)、シド=ダニエル・メイズ(Daniel Mays)、エセル=アレックス・ケリー(Alex Kelly)、スーザン=サリー・ホーキンス(Sally Hawkins)、レジー=エディ・マーサン(Eddie Marsan)、リリー=ルース・シーン(Ruth Sheen)、ベスト婦警=ヘレン・コーカー(Helen Coker)、ビッカーズ刑事=マーティン・サヴェッジ(Martin Savage)、精神科医=アラン・コーデュナー(Allan Corduner)、ジェシー・バーンズ=レスリー・シャープ(Lesley Sharp)、裁判長=ジム・ブロードベント(Jim Broadbent)


 マイク・リー監督の新作「ヴェラ・ドレイク」。2004年ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞と女優賞(イメルダ・スタウントン)を受賞した。事前に台本を用意せず、即興的なリハーサルの積み重ねで演技を固めていくマイク・リー監督独特の演出方法が生かされている。俳優は、全体のストーリーが分からないので、場面転換では本当に驚いている。1950年のイギリスを舞台に、望まない妊娠をした貧しい女性のために、秘かに中絶を手助けしてきた1人の主婦ヴェラ・ドレイクの運命と家族の絆を描く。堕胎という地平から社会の矛盾が浮き彫りにされる。そしてヴェラ・ドレイクの行いの正否を静かに観客の私たち1人1人に問いかける。

 裕福な人たちは合法的に中絶できるが、貧しい人たちはそうすることができず、非合法な堕胎を選択せざるを得ない。困っている人がいると進んで身の回りの世話をするヴェラ・ドレイクは、中絶を商売にしている友人にだまされ、無償で中絶を行い続ける。娘の体調が急変し病院に運ばれたことで、ヴェラ・ドレイクの行いが警察に知られ、娘の婚約祝いの日に警察に連行される。警察が訪れた時のヴェラ・ドレイクの表情、夫に事実を打ち明けるシーンなど、あまりにもリアルな演技に息を飲んだ。イメルダ・スタウントンは、本当に素晴らしい。そして人々の心を和ませる明るい笑顔が忘れられない。ただ、マザー・テレサと比較するなど、聖人化しすぎるのは間違いだろう。ヴェラ・ドレイクは過去に救われた経験があるのではないか。

 家族の許し、絆の物語に収れんすべきではない。非合法な堕胎を選択せざるを得ない無数の女性たちこそ、この作品の主人公のはずだ。


 チャーリーとチョコレート工場 「チャーリーとチョコレート工場」の画像です

 2005年作品。アメリカ・イギリス合作。115 分。配給=ワーナー。監督=ティム・バートン(Tim Burton)。製作=ブラッド・グレイ、リチャード・D・ザナック、マイケル・シーゲル、ブルース・バーマン、グレアム・バーク、フェリシティ・ダール、パトリック・マコーミック。原作=ロアルド・ダール(Roald Dahl)「チョコレート工場の秘密」。脚本=ジョン・オーガスト。撮影=フィリップ・ルースロ。美術=アレックス・マクダウェル。衣装=ガブリエラ・ペスクッチ。編集=クリス・レベンゾン。音楽=ダニー・エルフマン。ナレーション=ジェフリー・ホールダー。ウィリー・ウォンカ= ジョニー・デップ(Johnny Depp)。チャーリー・バケット=フレディ・ハイモア(Freddie Highmore)。ジョーじいちゃん=デヴィッド・ケリー(David Kelly)。バケット夫人=ヘレナ・ボナム=カーター(Helena Bonham Carter)。バケット氏=ノア・テイラー(Noah Taylor)。 ボーレカード夫人=ミッシー・パイル(Missi Pyle)。 ソルト氏=ジェームズ・フォックス(James Fox)。ウンパ・ルンパ=ディープ・ロイ(Deep Roy)。ドクター・ウォンカ=クリストファー・リー(Christopher Lee)。


 ロアルド・ダールの児童書「チョコレート工場の秘密」を、1971年のジーン・ワイルダー主演「夢のチョコレート工場」に続いて映画化。監督・主演は、ティム・バートン監督と主演ジョニー・デップのコンビは4度目だ。ロアルド・ダールの原作は、以前「おばけ桃の冒険」を監督ヘンリー・セリックと製作ティム・バートンのコンビで「ジャイアント・ピーチ」として映画化している。

 ジョニー・デップのチョコレート映画といえば「ショコラ」(2000年、ラッセ・ハルストレム監督)を思い出す。ほのかな官能的の香りがただよう、とろけるようなファンタジーだった。ミュージシャンだったジョニー・デップが、映画では初めてギターを弾いていた。今回の作品は、甘い甘い香りに包まれた子どものお菓子箱のよう。チョコレート工場の奇想天外な原色の世界を楽しめる。CGを極力排し、できるかぎり実際の演技とセットを生かした。リスがナッツを選別する場面は、本物のリスを訓練したというからすごい。ウンパ・ルンパ族のミュージカルシーンも、ディープ・ロイが実際に踊ったシーンを何十にも合成したものだ。やはり手づくり感が伝わってくる。

 少し毒のあるギャグがちりばめられ、「2001年宇宙の旅」「サイコ」などへのオマージュも盛り込んでいるが、基本的にはお行儀の良い作品だ。貧しくとも家族思いのチャーリーにハッピーエンドが訪れる、べたべたの家族愛で締めくくられる。貧しさによる家族のいさかいがないという点が物足りない。ウィリー・ウォンカが「家族は、やりたいことの邪魔をする」と主張し、チャーリーが「心配しているんだよ」と反論する場面に、家族愛に目覚めた近年のバートンの思いがにじむ。ひきこもりだったバートンは、幸せになったのだ。ただ、両親よりも、じいさん、ばあさんへの愛が強く感じられるのが、バートンらしい。

 また、甘いものを食べ続ける肥満児オーガスタス・グループ、とてもわがままな少女ベルーカ・サルト、勝つことばかりを目指す少女バイオレット・ボールガード、ゲーム中毒のマイク・テービーを登場させ、親のあり方を鋭く問う教育映画でもある。父親バートンの姿勢にも通じるのだろう。それにしても、子役たちは素晴らしい 個性を発揮していた。チャーリーだけは、良い子過ぎる。


 七人の弔(とむらい) 「七人の弔(とむらい)」の画像です

 2004年作品。日本映画。107 分。配給=オフィス北野=東京テアトル。監督=ダンカン。プロデューサー=森昌行、吉田多喜男。脚本=ダンカン。撮影=村埜茂樹。美術=稲村正人。編集=太田義則。音楽=松谷卓。照明=舘野秀樹。録音=白取貢。垣内仁=ダンカン、河原功一=渡辺いっけい、中尾君代=高橋ひとみ、橋本染子=いしのようこ、柳岡秀男=山崎一、横山春樹=温水洋一、西山政彦=保積ぺぺ、前田憲夫=有薗芳記、住田昇=山田能龍、西山美千代=水木薫、河原潤平=中村友也、中尾晴美=川原真琴、西山翔子=柳生みゆ、前田正一=石原圭人、横山一樹=波田野秀斗、柳岡三郎=戸島俊季、橋本慎一=松川真之介


 ダンカンが、映画監督に初挑戦したブラックなコメディ。黒澤明監督の名作「七人の侍」のパロディではない。子どもの臓器売買を実の親が行うという重いテーマの作品だ。子供に虐待を繰り返す親たちが多額の報酬と引き替えに子供の臓器を売るために7組の親子が参加し集団キャンプを行う。しかし親たちのよそよそしい態度に、子供たちは違和感を覚え始める。

 児童虐待と臓器売買を結び付けるというアイデアは評価しよう。しかし、脚本としては、ほころびが目立つ。そもそも老人の代用臓器として子どもの臓器が適しているのか、大きな組織がバックにあるのなら日本で行うよりも東南アジアで子どもを誘拐するのではないか、こんな愚かな親たちとキャンプすれば子どもは簡単に異変に気づくはず、組織が周囲を監視し極秘のはずのキャンプ場に強盗が簡単に侵入しているのはおかしい、などなど、すぐに浮かぶ数々の疑問に答えていない。だいたい、いくら大きな組織が事後処理しても、虐待が知られている親の子どもがいなくなれば、簡単には親の疑いは晴れないだろう。

 と、欠点を指摘したものの、駄作と断定できない魅力がある。身勝手ではあるが人間くさい親たちの性格が、ギャグの中で浮き彫りになる。子どもたちひとり一人の個性も丁寧に描かれている。そして殴られたような感動はラストにやってくる。帰りのバスの中で、子どもたちが歌う「まんが日本昔ばなし」のエンディング曲「にんげんっていいな」に、全身鳥肌が立った。そして絶望の街へとバスは下っていく。

「いいな いいな 人間っていいな
おいしい おやつに ほかほかごはん
子どもの帰りを 待ってるだろな
ぼくも帰ろ おうちへ帰ろ
でんでん でんぐりがえって
バイ バイ バイ!」

 


 
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