kinematopiaの3Dロゴです

kinematopia97.01


  「井坂聡監督の『[Focus]』は、斬新にして面白く、しかも毒がある。見事な脚本に、計算された映像。映画とテレビの狭間を手探りしながら紡ぎ出された映像によって、現代の核心に迫る傑作が誕生したね。またしても、浅野忠信はその類稀なる演技で作品を輝かせている」「物語は、盗聴マニアの青年にテレビ局が取材するシーンから始まる。いかにもぎこちなく、しきりにカメラを気にする青年。最初は気になったテレビカメラを通じた視線が、やがて自然に感じられる。そして、マスコミのいやらしさを体現するディレクターの言動に思わず笑ってしまった」「車の中で偶然銃のやみ取り引きの電話を盗聴したことで、ストーリーは急に緊張し始める。先回りして銃を手に入れ、急きょスクープに仕上げようとするディレクター。金村に銃を持たせて感想を聞こうとしたときに、不良グループに絡まれ、車を傷つけられた金村が不良少年を射殺、物語は意外な展開をみせた」

 「朝日を観て油断した金村の銃を、容子が奪おうとして金村を殺すシーンで映画は終る。最後はカメラのバッテリーが切り、エンドマークも出ない。金村が起き上がって監督に文句をつけるというラストも検討されたそうだが、こちらのほうがすっきりしている。入れ子構造の映画はいくらもあるのだから」「テレビの報道姿勢を問題にした作品では、『ありふれた事件』(レミー・ベルボー、ブノワ・ポールブールド、アンドレ・ボンセン監督)が連想される。しかし『[Focus]』の方がはるかに切れ味が良かった」

 「同時上映の『月とキャベツ』(篠原哲雄監督)は、大甘のラブ・ファンタジー。意外な展開をみせるのかと期待していたが、予想通りの凡庸な終り方だった。曲を作れなくなり、キャベツをつくっているシンガーソングライターの所にファンの少女がやって来て、その影響で創作意欲が回復する。しかしその少女はすでに事故で死んでいた」

 「70年代なら許せるが、90年代では脳天気すぎる」「一面のキャベツ畑で『このキャベツが皆飛び立ったらすごい』という会話があるが、ここでもしCGを使ったらさぞかし楽しい作品になったのにと惜しまれる」

 「『大統領のクリスマスツリー』(奥山和由監督)は、ウディ・アレンの『マンハッタン』や自由の女神の背中なんていう、ちょっといい話も出てくるけれど、肝心の三姉妹の目指している仕事の部分が浮いている」「どうしても観光映画風になってしまうのも気になったね」

 「『ジャイアント・ピーチ』(ヘンリー・セリック監督)は、『ナイト・メア・ビフォア・クリスマス』のスタッフが再結集して創造した人形アニメ・ファンタジー。憧れの街がニューヨークというのは原作の古さによるものだが、ストーリー自体も全体に甘すぎる。ただし、実写部分のわざとらしさが、アニメでは微塵もみられない。何度観ても飽きないほど自然で楽しいアイデアがぎっしりとつまっている」「とりわけ素晴しいのは機械じかけの鮫との戦いのシーンだ。さまざまな映像を取り込みながら、なんというリアルさを生み出していることか。星空をバックにしたミュージカルシーンも忘れ難い。うっとりするほど見事なテンポだ」「同時上映のバートン初監督作品『ヴィンセント』(1984年)にも触れておこう。6分間の短編アニメ。7歳のエドカー・アラン・ポー好きな男の子の怪奇な空想の世界は、毒のある展開で『ジャイアント・ピーチ』の甘さと対照的だった。長編と短編の絶妙なハーモニーという点では、『耳をすませば』『オン・ユア・マーク』を連想させる」「こういう企画はうれしいね」

『リチャードを探して』(アル・パチーノ監督)は、最初に『king  richard』と出て、それが『looking for richard』に変わるところから、アル・パチーノの遊び心がいっぱい。しかし、基本はシェークスピアの良さをいかにして多くの人たちに理解してもらえるかという生真面目なスタンスだ」「同じくシェークスピアを扱いながら、大胆に換骨奪胎し絢爛たる幻の世界を築いた『プロスペローの本』のピーター・グリーナウェイ監督、『世にも憂鬱なハムレットたち』で俳優たちの生きざまをコメディに仕上げたケネス・ブラナー監督の手練に比べ、なんというストレートな姿勢だろう」

 「現地訪問や著名人、市民へのインタビューをはさみながら、練習風景、議論、そして劇中劇へと進んでいく。アル・パチーノのシェークスピア劇への熱い思いが、映像からあふれ出す。しかし、圧巻は演劇の迫力だ。画面がピーンと緊張する。この熱演を観るだけで、人々は『リチャード三世』を実際に観たいと思うだろう」「メーキングの手法を大胆に取り入れることで、シェークスピア劇の魅力を伝えることに成功している」

 「『クラッシュ』(デビッド・クローネンバーグ監督)の 、全体を包む冷え切った質感がたまらない。金属的なタイトルと音楽。突き離しながらも、人間に寄り添っていく映像。狂おしい情念を秘めた人たちが淡々と出会い、そして散り散りに消えていく。通常の映画の文法を静かに、しかし決定的に超える自在な展開で、クローネンバークは90年代を代表する傑作を生み出した」「ジェームズ・バラードは、交通事故を起こすが、その時の興奮が忘れられない。衝突した相手の車に乗っていた女性によって、自動車事故による性的興奮を求める人たちの存在を知らされていく。彼等の無表情の奥に燃える欲動。ホリー・ハンターがめちゃくちゃにうまい」

 「1955年9月30日のジェームズ・ディーンの死亡事故を再現するヴォーンの衝突シーンが異様なまでにリアルだ。今日も世界のどこかで交通事故死した有名人の事故再現ショーが繰り返されているような気がする」「振り返ってみると、私たちも交通事故死にある特別な感情を抱いている事が分かる。ベルトリッチ監督が言っているように、この映画は極めて宗教的な深みを持った作品だ」

 「『楽園の瑕』(ウオン・カーウァイ監督)は、斬新な映像で描いた12世紀中国の恋愛劇」「アジア的なスケールでスピード感ある活劇をみせてくれた。ただ脚本が大味なので、映像のインパクトしか残らない」

  「『I SHOT ANDY WARHOL』(ドリス・ドリー監督)は、ウォーホールの時代の雰囲気を写し取った作品」「生物学的な観点による女性優位主義・男性抹殺を主張する女性と、性転換を行う男性の関係がとても興味深かった」「『バード・ケージ』(マイク・ニコルズ監督)は、面白い設定。娘と息子が結婚したいと言い出したので、ゲイ・カップルの親と保守系議員の親が会うことになった。本来なら深刻な展開になるテーマだが、軽いノリで切り抜けてしまう粋な作品だ」「そう、こういう機知は意外と大切だよね」

 「レズビアン&ゲイ・フィルムフェスティバルinさっぽろも、今年で3年目。キム・ロンジリット、ジャノ・ウィリアムズ監督の『新宿ホーイズ』『ドリームガールズ』はドキュメンタリー・タッチの作品。『新宿ホーイズ』は『おなべ』の肉声が新鮮だった。気張らずに生きる姿勢、淡々とした語りが印象的。ただ、母親との電話のやり取りはやらせくさい。一方『ドリームガールズ』は、宝塚のメンバーとファンの姿を追ったものだが、上滑りの感は否めない。異性愛に封じ込められない、微妙なセックスファンタジーに踏み込んでほしかった」

 「『大阪ストーリー』(中田統一監督)は、在日韓国人の父を持つ同性愛者の監督が、家族にストレートなカメラを向けた作品。交錯した現実をそのままフィルムに定着させようとしたのか、ほとんど未整理のままに映画は終る。むしろ、最も矛盾が集中し苦しみ抜いた母親の死を中心に構成したほうが良かったのではないかと感じた」「『ジェフリー!』(クリストファー・アシュリー監督)は、臆病なゲイが主人公のラブコメディ。最初はややギクシャクしているが、後半のノリは快感だ」「ピカード船長のイメージが強いパトリック・スチュワートの、おしゃれで毅然としたゲイぶりに感心した」

 「『ザ・クラフト』(アンドルー・フレミング監督)は、タイトルへの誘いがシャープ。4人の思春期の少女たちの屈折感を折り込んだ前半の展開は、なかなかいいね」「後半に向かって急速にホラー色を強め、結末は拍子抜け。ただ、蛇や虫が嫌いな人には勧められないほど、気持ち悪い特撮は見事だね」「うじゃうじゃ。うじゃうじゃ。記憶に長く残りそう」


 

kinematopia97.02


  「ゆうばり国際冒険・ファンタスティック映画祭97に行って、ヤング・ファンタスティッ ク・グランプリ候補のうち、3作品を観た。『LITTLE SISTER』(ロバート・ヤン・ウエ ストダイク監督)は、ビデオ映像を巧みに使いながら兄弟の危険な愛を突き詰めていく。 そのスリリングさは、たまらない魅力だ。作品自体を名もない無数のプライベートビデオ の中に位置付けようとするラストシーンには、冷静な距離感とともに監督の作品に対する 揺るぎない自信を感じた。『LOVE AND OTER CATASTROPHES』(エマ・ケイト・クローガン 監督)は、心地よいテンポで若者たちの日常を追う。全編に映画への愛がつまった作品だ が、ややテクニックに走り過ぎた。『インデペンデントの精神を忘れずに作品をつくりた い』という監督の今後に期待したい」

 「『KILLER TONGUE』(アルベルト・シアマ監督) は、独創的なアイデアではあるが、コミック・スプラッターの枠にはまりすぎている。エロス、耽美、ポップ、パンク、クイアなどが溶け合うハイブリッドな感性を、図式で整理しすぎたのではないか。安易な結末などにとらわれず、もっと奔放であってほしい。この監督なら可能なはずだ」

 「『誘惑のアフロディーテ』は、ウディ・アレンの監督26作目。久しぶりに自らが主演し 、しかも新しい顔ぶれ。最近の作品はシリアスなまま終ったり、じめじめしていてウディ ・アレンの迷いが表われていた。しかし、今回は自分の養子騒動を逆手に取った養子と里 親をテーマに、完全に突き抜けた新しいコメディの世界を開いている」「ミラ・ソルヴィ ーノの起用は見事に当たった。彼女の演じるリンダのキュートさとコケテッシュな魅力が 、ウディ・アレン扮する中年レニーの頼りなさと出会い、絶妙な雰囲気を醸し出す。 苦 いハッピーエンドも、なかなかに意味深だった」「ギリシャ悲劇のコロスにジャズナンバ ーを歌わせる自在さも特筆すべき点だ。『ウディ・アレンのバナナ』のような圧倒的なパ ワーで、人類の文化すべてをウディ・アレン風にアレンジし、未踏の境地を突き進んでほ しいものだ」

 「『ある貴婦人の肖像』(ジェーン・カンピオン監督)は、30億円を投じたヘンリー・ジ ェームスの文芸大作。19世紀の英国貴族社会をベースに、自由と抑圧、愛と憎しみのドラ マが展開される。『ピアノ・レッスン』までのマイナー 志向ではないが、随所にカンピオンらしいねっとりとした情念が顔をのぞかせている」「 多くの求婚を拒絶しながら、イザヘルが簡単にオズモンドと結婚した理由が分からなけれ ば、この作品は心にしみてこないだろう。突出した自由を求めることが過度の服従に結び 付くという皮肉は、個人的にも歴史的にも繰り返されてきたことだ。世間から孤絶してい る魅力的な耽美家が、しばしば極めて独善的であるという事実も。自分と似た傾向を持つ 人を不幸に陥れようとする不幸な人の屈折した悪意も。この映画は一筋縄では解けない深 みを、華麗な映像で覆っている」  

 「死にまつわる短編と死体の腐乱過程を記録したユング・ブットゲライト監督の『死の王』が、やっと公開されたね」「ただひたすらに死を取り上げている。ストーリーの方は作為が目立つけれど、腐乱過程は感慨深かった。仏教的なシーンだね」「九相図ですか。なるほど。ただ、腐乱死体とのセックスを執拗に描いた『ネクロマンティック』のコミカルなまでの情熱はないね 」「あれはドイツ映画の特筆すべき傑作だよ」

 「『エキゾチカ』(アトム・エゴイアン監督)は、ストリップを売り物にしているナイトクラブが舞台。きわもの的になりやすいテーマだが、ミア・カーシュナーの魅力が、全体を上品に染めている」「場面転換のシャープさは気持ちいいね」

 「『ミュリエルの結婚』(P・J・ホーガン監督)は、アバの『ダンシング・クイーン』に乗って軽快に進むシニカルでコミカルな少女の成長物語。自分を役立たずだと思い込み、結婚によって変身しようとするミュリエル。しかし、さまざまな経験を通して自立していく」「結構痛いところを突いている映画だと思うけれど、女の子たちは楽しんで笑っていた」「確かに、こういう作品の方が元気になる」

 「『パラサイト・イヴ』(落合正幸監督)は、予想通り残念な作品となった。小説の『パラ サイト・イヴ』は、映画化を挑発する場面に満ちている。ハリウッドなら、実現できるだ けの予算と時間が可能だが、日本の場合は現状でははなはだ困難だ」「三上博史、葉月里 緒菜、別所哲也、中島朋子といった配役は悪くない。ミトコンドリアの言葉を話す中島朋 子は超絶していたし、葉月里緒菜は難しい2役をよくこなしていた。映像のテンポ、色彩 感覚、音楽との調和も水準以上だ。しかし、見せ場はなんといってもミトコンドリアの培 養液から生まれたEVEのメタモルファーゼのはずだ。最初に再生するシーンは本当に素晴 しい。『アビス』(ジェームス・キャメロン監督)の水のテクノロジーのシーンよりも数段美しかった。しかし、限られた予算と2か月半という 時間では、このシーンしか製作できないだろう。映画では、原作のスリリングな展開が切 り捨てられ、湿っぽい安直な結末が用意された」  

 「矢口史靖監督の『裸足のピクニック』は、不運に不運が重なり不幸のどん底につき落 とされていく女子高生の姿を、既存のセオリーなど蹴散らし、スラプスティックな感覚で 追い続けた傑作だった。しかし、『ひみつの花園』には、あのハチャメチャなパワーが不 足している」

 「お金を数えるのがなによりも好きな主人公が、銀行強盗の人質となり ながら奇蹟の生還を遂げた後、デレーッとした姿で過ごす日常シーンは、とても新鮮だっ た。樹海に沈んだ5億円を見つけ出すために地質学の勉強から車の運転、スキューバダイ ビング、ロッククライミングと目的のために次々とマスターしていく姿もいい。しかし、 賞金目当てで参加した水泳大会やロッククライミングコンペに次々と優勝するという展開 は、あまりにも調子が良すぎる。最初のいかがわしさが、徐々に消えてしまった」「ラストに至っては、お金への執着からも解放されてしまうなんて。こんな良い子の映画にしては、元も子もない。ただ、西田尚美は予想以上の熱演で、この映画の意図した嘘っぽさを際立たせていた」

 「『ラストマン・スタンディング』(ウオルター・ヒル監督)は、黒澤明監督『用心棒』の西部劇版リメイク。本家ほどの切れはないし、まとまりも悪い」「でも、ブルース・ウィリスの飄々としたキャラクターは、三船敏郎に似ていなくもないね」


kinematopia97.03

 「マイク・リー監督の前作『ネイキッド』(93年)は、登場人物が皆焦り、いらつき、焦燥感に襲われていた。なかなか魅力的な人物造形ではあったが、誇張と作為がやや鼻についた。新作『秘密と嘘』はシニカルではあるが、構成がより熟成し、人物の描き方も柔らかくなっている。あえて具体的な脚本を書かず、俳優の生の驚きを引き出す技法は巧みだ」「養女が母親の死をきっかけに、実の母親を探すというストーリーを基本にしながら、登場するさまざまな人たちの傷に満ちた生きざまと屈折した人間関係が、さりげなく、しかし的確に描かれる。さらに、写真家モーリスが撮影する多くの人々の表情としぐさからも、多彩な人生を感じ取ることができる。数秒間の凝縮されたショットの連続は、見事というほかない」「一人ひとりが絶品の演技をみせているが、シンシア・パーリー役ブレンダ・ブレッシンの熱演は、群を抜いていた。実の子供と初めて会ったコーヒーショップでの9分間は、名場面として記憶されていくだろう」「何もかもが丸くおさまるハッピーエンドーは許せるとしても、シンシアが庭で2人の娘を前にしていう言葉『人生って、いいわね』は、何とかならなかったものか。せめて『風が気持ちいいわ』くらいにしてほしかった」

 「『トレインスポッティング』(ダニー・ボイル監督)は、スコットランドの若きジャンキーたちのメチャクチャな生活ぶりを、確かな技術に裏打ちされた自在な映像と繊細な選曲で描いた傑作。端正さと破壊性、巧みさと切実さが、これほど見事に溶け合った作品は、ざらにはない」「観終った後のえも言われぬ快感は、実際に観てもらわなければ伝えようがない。スピーディなのにデリケートなカット割りの心地よさ、リアルとシュールの優れたバランス感覚。音楽のじゃれ合いの新鮮さ。切れた登場人物の生々しい魅力。どれをとっても、長々と評価することが可能だ。しかし、本当に素晴しいのは、それらが全体として新しい青春映画になっていることだ」

 「『クロッシング・ガード』(ショーン・ペン監督)は、私たちに問いをつきつける。いや、ともに考えようとしている。娘の死後立ち直れずに、加害者殺害に生きる意味をつなぎ自堕落な生活を送る父親。出所後も罪の意識から逃れられない青年。アクション映画さながらの、はらはらさせる展開の後、ふたりは娘の墓の前で静かに和解し互いの痛みを分かち合う。墓地の清明な空気とロサンゼルスの夜明けの風景が、辛うじて甘い結末を和らげている」「ジャック・ニコルソンでなければ、ここまでの手応えは生まれなかっただろう。アンジェリカ・ヒューストンとのやり取りも映画にリアルさを加えている。久々に渋いニコルソンを味わった」

 「アラン・パーカー監督の『エビータ』は、アルゼンチンの聖母として今も崇められているエバ・ペロンの33年の短い生涯を描いたミュージカルの映画化。これほどまでにスタッフに恵まれた力強いミュージカル映画に出会えるとは思わなかった。荘厳な冒頭のシーンから、アラン・パーカー監督の執念が伝わってきた」「まず驚いたのはアルゼンチンの労働者を代表しながら、ペロンを見つめ続けるチェ役のアントニオ・バンデラスだ。歌がうまいのは知っていたが、この表現力は並みの訓練では発揮できない。マドンナは柔軟な歌唱力に加え、的確な表現力を身に着けた。ようやく俳優としての代表作に巡り会ったと言えるだろう」「さまざまなアイデアを巧みに取り入れながらしっかりとした構成で仕上げた力作。しかし、アルゼンチン民衆の描き方がやや手薄になったのは残念だ。そのため集会やデモのシーンが、過酷な生活の反映というよりもペロンの生涯を盛り上げるためのようにみえてしまった」

 「『マーズ・アタック!』(ティム・バートン監督)は、B級SF映画をハリウッドのオールキャストと最新のSFXで完成させた作品。もうやりたい放題の展開だ」「パチパチパチと、手を叩きたいところだが、少し悲しい気もする。屈折した暗さが微塵もなくなっているからだ。『シザーハンズ』『バッドマン』などを染めていた独特なほの暗さがない。どこまでも明るく残酷なばかばかしさ。バートンの今後が気になる作品でもある」「人形アニメのような動きをする火星人は、ジャック・ニコルソンに負けないあくの強さを見せる。邪悪だが、憎めないヒップなキャラクター。しかし、さらに圧倒的なキャラクターはリサ・マリー演じる火星美女だ。くねくね歩きをはじめ、最高に飛んでいる。登場時間はとても短いが、忘れ難い存在感がある」「『インデペンデンスディ』への強烈な批判になっているが、別に意識したわけではないだろう。バートンは、もっと自由に楽しんでいる。スリム・ホイットマンの歌声で火星人が全滅するのも『未知との遭遇』への皮肉ではなく、『アタック・オブ・キラー・トマト』(ジョン・デ・ベロ監督)へのオマージュだ」

  「癌にかかり、味覚を失いつつあるシェフが閉店を決意、親しい人たちを集めて最後の晩餐会を開く。『パリのレストラン』(ローラン・ベネギ監督)は、切ないけれど押し付けがましくない味わいだ」「人間模様が、程よいスパイスで料理されていた。鋭い文明批評にもなっていた『バベットの晩餐会』に出ていたステファーヌ・オードランが、シェフの妻を演じている」

 「『フィーリング・ミネソタ』(スティーブン・ベイグルマン監督)は、キアヌ・リーブス、ビンセント・ドノフリオ、キャメロン・ディアスが共演。兄貴サムの嫁さんフレディに一目惚れしたジャックは、二人で逃げるが、その先には殺人事件が。お決まりのコースだね」「いやいや、コメディも加味したイカシタお話しだよ。飛んじゃってるけど」

 「『弾丸ランナー』(サブ監督)は、スラプスティックなティストのランニング・ハイの物語。予想通りの展開ながら、ここまで痛快だと許せる」「観ている方もハイになっていく。傑作と言っていいだろう。ラストがめちゃめちゃかっこいいし」

 「遅ればせながら、岩井俊二監督の『毛ぼうし』を観た。小津安二郎監督の構図を真似たお遊びの作品といったレベルだ」「よく観ると結構シュールなんだけれども、この程度の水準で観客に媚びないでほしいね」

kinematopia97.04

 


『死んでしまったら私のことなんか誰も話さない』(アグスティン・ディアス・ヤネス監督)という邦題は、いちはやく原発下請け労働者の被曝やアジアの出稼ぎ労働者の問題に焦点を当てた佳作『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(森崎東監督)に次ぐ、久々に長い題名だ。しかし『党宣言』が差別されて生きる者のバイタリティをうまく表現していたのに比べ、『誰も話さない』からは映画の強靭なメッセージ性が響いてこない」「達者なビクトリア・アブリルが、さらに幅を広げた熱演をみせているが、その他の出演者も皆いい味を出している。とりわけ、義理の母親ドニャ・フリア役のビラル・バルデムは、いぶし銀とでも表現したくなる名演技だった。スペイン共産党員としてフランコ独裁政権と闘い、拷問にも耐えてきた女性が最後に自分の意思で自殺するという困難な役を、見事にこなした」「『心の自由』を核にした女性の自立。その志は、ドニャからグロリアへと、確かに伝わった。それは、言葉ではなく日常の具体的な生き様を示すことにある。 『大地と自由』(ケン・ローチ監督)での、父親から娘へのきれいごと過ぎた歴史の伝達に比べ、はるかに手応えがあった。この作品に盛り込んださまざまなテーマを、監督が今後どう展開していくかが、楽しみだ」

 「『シャイン』(スコット・ヒックス監督)が終わり、感動に浸っている自分を発見した。批評を忘れて物語に心を奪われた。スコット・ヒックス監督の初作品は、さわやかさと情熱に満ちた傑作」「実在のピアニスト・デイヴィッド・ヘルフゴットの自伝的なストーリー。本人が生きている場合、どうしても切り込みが甘くなりがちだが、この作品は一人の人間の生きざまを描くためにけっして手をゆるめない。かといって、大げさな演出をするわけでもない。それぞれの人間を描く目線が実に的確だ」「ピアノ曲はデイヴィッド・ヘルフゴット自身の演奏なんだよね。どれも素晴しいが、繰り返し挿入されるラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は、とりわけ忘れ難い。真正直なまでにストーリーと一致した選曲が清々しい」

 「『フィオナの海』(ジョン・セイルズ監督)は、ロザリー・K・フライ原作のアザラシ伝説の映画化。アイルランドに伝わるケルトの妖精セルキーの伝説をモチーフにしている。ジョン・セイルズ監督は、『希望の街』など社会問題を扱った作品が多いが、この作品ではイギリス人に抑圧されてきたアイルランド人の歴史は背景に置かれ、人間とアザラシの交接という神話的な世界が繰り広げられる」「ストーリーも映像も美しいが、予想通りの展開で面白みがない。1957年の原作に忠実なあまり、現代に対する切り込みが弱い。フィオナ役のジェニー・コートニーは、凛とした少女を演じ切ったが、あまりにも聡明で迷いも怖れも知らず、人間離れしたキャラクターになってしまった」

 「『マルセリーノ・パーネヴィーノ』は、 75歳の名匠ルイジ・コメンチーニ監督が『汚れなき悪戯』(1955年、ラディスラオ・バホダ監督)をリメイクした作品。修道院で育った孤児がキリスト像とともに昇天したという民間伝承『マルセリーノ・パーネヴィーノ』は、14世紀のイタリア・ウンブリア地方で起こったと言われている。映画では舞台を17世紀に移した」「いずれの時代でも、戦時下の修道院はシェルターとして利用され、多くの孤児たちがそこで育てられたという時代背景があればこそ、孤児の昇天という奇蹟がリアリティを持つ。でも、映画では冒頭で戦火を描いているものの、その後戦争の悲惨さはほとんど登場しない。マルセリーノを見つけ、育てる修道士たちの優しい姿を中心に描かれる」「マルセリーノ役ニコロ・パオルッチ少年は、本当に愛くるしいね。さわやかな笑顔に哀しげな瞳が印象的だ」「ただ、厳しい戦争の時代と修道院の中の平和、大人の狡猾さと子供の無垢さという対比が十分に生かされず、甘いファンタジーに仕上がっているのが物足りない」「老境を迎えたルイジ・コメンチーニ監督が、自らの癒しを込めて美しい映画を撮ったと考えれば、納得がいくよ」

 「『ロミオ&ジュリエット』(バズ・ラーマン監督)は、ど肝を抜く、パンクでコメディなタッチ。シェークスピアの隠喩に満ち持って回った台詞とのミスマッチを、どう評価するかだな」「リメイクに次ぐリメイクの名作に対する果敢な挑戦だとは思う。もっと換骨奪胎してほしかったね」「お決まりのラストシーンも、あっと驚くような独創的な工夫が欲しかった」


kinematopia97.05


 「『イングリッシュ・ペイシェント』(アンソニー・ミンゲラ監督)は、ラストで題名の重みを、ずしりと感じさせる巧みな展開。謎をはらみながら、さまざまな要素が繊細に組み合わされ、やがて全体が見渡せるようになるジグソーパズルのような快感。交される会話も映像も音楽も、実に端正に仕上げられている」「物語は第2次世界大戦を背景にアルマシーとキャサリンの苛烈な恋に焦点を合わせてはいるものの、砂漠の古代壁画『泳ぐ人』やヘロドトス、地図を配することで、文明論的な奥行きを醸し出すことに成功している」「『自分をすきになる人は皆死んでしまう』という看護婦としては絶望的な思いを胸に生き続けるハナとインド人キップの心のふれあいに、手放しで感動した。わざとらしいと感じる人もいるかもしれないが」

 「一部に『人間のかおりが薄いので感銘が浅い』という評価があるけれど、過酷な現実に翻弄される姿を、べたべたせずに乾いたタッチで描いたところに、むしろ品性を感じ取るべきではないか」「大変なブームの『失楽園』(森田芳光監督)のやりきれない空虚さに比べ、ここには少なくとも歴史と向き合う人間がいる」「『失楽園』は男の勝手なメルヘンでしょう。だいたい映画では心中する必然性がないでしょう。新しく二人で生きればいいのに、何故か死んでしまう」「森田監督の切れ味が全く感じられない。ばからしいから、取り上げるのやめよう」

 「『カーマ・スートラ』(ミラ・ナイール監督)は、ストリート・チルドレンの世界を描いた『サラーム・ボンベイ』で注目された女性監督の新作。16世紀のインド宮廷を舞台に、女性の自立を描いている。インド的な官能に満ちあふれた展開。女性の視点でこれほどセックスを正面から描いたインド映画は珍しいのではないか。主人公インディラ・ヴァルマの凛とした美しさが、映像を輝かせている」「カーマ・スートラの技法は、王への復讐のために使われる。しかし、むしろ男女が対等になり、身体的に豊かになるための生の技法として、読み替えるべきではないか。映画では、その技法が復讐の手段の域を脱していなかったのが残念だった」「ストーリー展開には、随所に荒さが見える。人物造形も部分的に無理がある。なかでも王によって恋人を象に踏みつぶされながら、それをすぐに受け入れて『心は青空のように澄みきっている』 は、いくら何でもひどすぎないかい」

 「『カーマ・スートラ』は性愛の技法を使って、男女間の支配関係を逆転させていく物語だけれど、5月11日に自主上映された『戦士の刻印』(プラティバ・パーマー監督)は、家父長制維持のために女性を生殖の道具と位置付ける習慣『女性性器切除』を取り上げたドキュメンタリー。拷問と呼ぶにふさわしい慣習だが、今も世界的に続いているという。その『信じられない』実態から、女性の置かれている現実が見えてくる」「家父長制の問題は、けっして他人事ではないと思う」

 「パトリス・ルコント監督は、エスプリに浸らない。新作『リディキュール』は貴族界の華やかさとエスプリ、権謀術策を巧みに描くとみせて、実はその世界の限界を鮮やかに示す佳作。それは、コスチューム劇に見とれていた観客への、毒に満ちたユーモアでもある」「地方貴族のポンスリュドンと中央に君臨するヴィルクール神父。貴族界で権謀術策をめぐらせる屈折したブラヤック伯爵夫人と自然を探究する実直なマチルド。人物対比がとてもいいね。そしてベルガルド侯爵がトリック・スターとして活躍する」「当時の貴族界が競争と緊張に満ちた世界であることを丹念に描きながら、 閉ざされた空間での話術を絶対視する世界の危うさを示すことも忘れない。それが、聴覚障害者の手話の豊かさであり、過酷な自然の存在だ。ラスト近くでブラヤック伯爵夫人が示す虚ろな表情に、貴族界の脆さが象徴されている。とはいえ、ルコントの描く宮廷はぞくぞくするほど魅力的だった」

 「『カップルズ』(エドワード・ヤン監督)は、ヤン監督らしい切り口で台北の若者を小気味良く描いた作品。ビルジニー・ルドワイヤンが、とても魅力的。男たちがほんろうされるのもうなずける」「同じくエドワード・ヤン監督の『恐怖分子』の映像は、『カップルズ』以上にセンスが良い。偶然にほんろうされる登場人物の切実な感情が伝わってくる」

 「『ファウスト』(ヤン・シュワンクマイエル監督)は民間伝説を踏まえ、これまでの『ファウスト』解釈にも目を配りながら、監督らしい巧みな換骨奪胎によって、ファウストの欲望が日常性と陸続きになっている」「実写を基本にしつつ、粘土人形、コマ撮り特撮など、随所にこれまでの作品でみせた技術が生かされているので、集大成との評価もあるね。確かに緻密な仕上がりだ」「ただし、短編のようなドキリとする鋭さはない。『あやつる者とあやつられる者の相互転換』というメッセージはあるものの、私には現代に対する生々しい批評、毒のある笑いが、それほど感じられなかった」「今回公開された短編『フード』『肉片の恋』『フローラ』や以前上映された『対話の可能性』『男のゲーム』などの濃厚なブラックユーモアこそ、この監督の魅力的な持ち味だと思う」

 「せっかくだから短編も紹介しよう。『フード』は1992年の作品。食にまつわる3つの短編で構成している。どれも辛辣なユーモアだが、第1話が最も切れ味がいい。『肉片の恋』は1分で肉に命を吹き込み無常に奪い去った佳作。『フローラ』はわずか24秒。野菜でできた身体が腐り始め蛆がわく。腐乱死体を直視したユング・ブットゲライト監督の『死の王』ほど痛烈ではない半面、一杯のコップの水が切実な寓意を引き出している」

 「『石のゲーム』は、67年の名作『自然の歴史』へと続く初期の作品。皮肉な視線が感じられる。『ワイズマンとのピクニック』も程よい悪意がにじむメルヘン。『アナザー・カインド・オブ・ラブ』は、ヒュー・コーンウェルのビデオクリップ。遠慮したのか粘土のお遊びのレベル。『スターリン主義の死』は、ストレートな政治的メッセージが全編を包む。切実さは分かるが、この監督らしいひねりがほしかった」「26分で巧みにまとめ上げた『プラハからのものがたり』(ジェイムス・マーシュ監督)は、BBC製作のヤン・シュワンクマイエル紹介作品。監督は驚くほど率直にインタビューに答えている」


kinematopia97.06


 「『ブコバルに手紙は届かない』(ボーロ・ドラシュコヴィッチ監督)には、気迫を感じた。クロアチアのブコバルは、91年から92年の戦争で多くの死傷者を出し、建物の98%が破壊された。この映画は、93年、まだ戦闘が続いているブコバル現地でロケを敢行、生々 しい戦争の悲劇をフイルムに刻み込んでいる」「クロアチア、セルビア両勢力から距離を 置きつつ、理不尽な戦争を告発する冷静な姿勢は、高く評価されていい。愛し合う二人の 戦争による別離という、最も身に詰まされるストーリーを柱に、昨日まで共存してきた両 民族が敵対していく日常的な変化を丹念に積み重ねている」

 「主人公アナ役のミリヤーナ ・ヨコヴィッチは現地でのロケを『この人たちの痛みを蒸し返していると思うと、辛い気 持ちになった』と話していた。その緊張感が、見事な演技に結実した。愛にあふれた表情 が、怯えと焦燥に変わり、やがて凍り付いていく過程。ラストの夫トーマとの再会でも無 表情に見つめているだけだ。 『アンダーグラウンド』の演技よりも、数段素晴しい」

 「この映画の視点がぶれないのは、常に受け身を強いられる人々に焦点を合わせてい るからだろう。その象徴がアナが産む子供だ。クロアチア人とセルビア人の間にできた子 供。過酷な未来が待っているとともに、その存在は一つの希望である」「モーツアルトの 音楽を多用したことも、政治色を排するのに効果を上げている。その透明な響きが、やり きれない現実をより歳立たせる。無残な廃虚、死体シーンに被せられる『レクイエム』は、私たちをいやおうなくブコバルの地に連れていき、硝煙をか がせる」

 「同時上映の『しあわせはどこに』(1995年、エチエンヌ・シャテイリエー ズ監督)は、フランス映画のエッセンスがつまった、なかなかにエスプリが効いた佳作。 くたびれた初老の孤独な男性が、運命のいたずらで二人の妻に愛されるようになるという ストーリー。初老の男性にとっては、たまらなくうらやましい、それだけにうますぎる話 だが、ミシェル・セローらの名優たちが、嫌味のない愛すべき映画に仕上げている」

 「『クルーシブル』(ニコラス・ハイトナー監督)は、中世の魔女裁判を描いたアーサー・ミラーの戯曲の映画化。あの凄惨な歴史を前にして、批評することはたやすいが、私達はまだあの構造から自由にはなっていない」「ウイノナ・ライダーが、救いのない悪女を熱演していた。命よりも誇りを選んで死んでいった主人公たちよりも、ぬけぬけと生き延びた彼女に共感する」

 「道立近代美術館の映像フェスティバル1997『英国世紀末の鬼才・ピーター・グリーナウェイの世界』では、初期の実験的な短編を観ることができた。短編ゆえにストーリー性は乏しいが、なかなかに毒の効いた映像だった」「『窓』(1974年)では、ハープシコードの宗教的な音楽に自宅の窓から見た日常の生活を映しながら、窓から転落して死んだ人たちのナレーションが流れる。すでに個性を感じさせる。『親愛なる電話』(1976年)は、書き損じの手記と電話ボックスを中心に構成。電話への執着をテーマとしている。しつこさがすでに表われている。『ハウスのH』(1976年)は、グリーナウェイらしい映像感覚が読み取れる」「『水辺の騒ぎ』(1976年)は、変幻自在な水の表情を切り取りながら、知的な遊戯を行なっている。『Hを通り過ぎて』(1978年)は閉塞的で皮肉な作品。息がつまる。『垂直風景リメイク』(1978年)も、悪意に満ちた反復が前面に出過ぎるきらいがあった」

 「『奇跡の海』(ラース・フォン・トリアー監督)は、一筋縄では扱えない。辛辣な知的遊戯と粘性の高い悪意に染まっていた 『ヨーロッパ』に比べ、『奇跡の海』はいっけん愛と犠牲を描いたセンチメンタルな 物語に見える。しかし、随所にトリアーらしい企みが見え隠れしている」「無垢な善行を テーマにしたこの作品のほうが、グリーナウェイらの知的な悪意より、始末に終えないか もしれない。『ノスタルジア』に代表されるタルコフスキー の切実な祈りとも、似て非なるものだ」

「しかし、映画の醍醐味に触れる2時間38分だった。激しい展開に打ちのめされ、バッハの『シチリアーナ』で気持ち を落ち着かせた。信仰と性愛、献身と奇跡という宗教的テーマが、リアルな感触で捉えら れている」「手ブレや焦点ボケ、荒い粒子という記録映像的な手法を取り入れた配慮も成 功といえる。しかしデジタル処理された章ごとの冷えた映像によって管理されている点が 、くせものだ。監督は、巻き込みつつ距離感を演出する」

「エミリー・ワトソンが演 じるベスのすばらしさに感動しながらも、トリアーに感情を弄ばれているような感触がつ きまとった。あまりにもお膳立てが整いすぎていながら、どこか不自然だ。映画に揺さぶ られる観客を見つめる監督のまなざしを感じる。ラストの鐘の映像は自分の映画への皮肉 ではないか」 

 「『レリック』(ピーター・ハイアムズ監督)は、重量感のある怪獣が登場する、しかし軽薄な内容の映画。B級映画の古くさいストーリーに、 数々のSF映画の真似事で味付けし、巨費を投じ最新のSFX技術で描いたという点では、『インデペンデンス・デイ』と同じ手法だ」

 「『Xファイル』をベースに『エイリアン』『ザ・フライ』という名作を彷彿とさせるシーンを盛り込 んではいるが、肝心のウイルスによる遺伝子の水平移動というアイデアがまったく生かさ れていない。進化の理論として注目されているこの学説は、ハイブリッドな生物が変身し ていく、めくるめくような傑作映画を生み出すことも可能な理論なのだが」

 「コソガ と呼ばれる怪獣は、サイやライオンを思わせる雰囲気。全然新しくない。いや、これ自体 が過去のSF映画に登場したクリーチャーの形態を混ぜ合わせたものなのかもしれない。な どと、余計なことを考えてしまうくらい、怖くない」「マーゴ・グリーンが超人的な活躍で 生き残ったのは、アメリカ映画の伝統的な脳天気さか。なるほど。東洋人が差別的に描か れていたのもうなずける」

   「『うなぎ』は、今村昌平監督2度目のカンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品。重いテ ーマを、ユーモアを交えて軽やかに描いた悲喜劇。その柔軟で繊細な手さばきは、十分受 賞に値する。若手を脚本に加えた狙いも当たった」

 「妻の浮気を目撃し包丁で刺し殺 す役所広司の熱演は、誰もが評価するところだろう。妻役・寺田千穂の無言のまなざしも 忘れ難い。そして、自殺未遂がきっかけで主人公と出逢う服部桂子役の清水美砂の見事な 演技。確信犯とも言える主人公に対し、彼女の置かれた境遇ははるかに過酷だ。清潔な印 象が、かえって幾重にも屈折した心理を暗示する」

 「最も心をゆさぶられたのは、桂子が宴会の余興でフラメンコを踊るシーンだ。その 前に、心を病んでいる母親がフラメンコを踊る場面を繰り返し見せられ、桂子が『あの母 の血をひいていると思うと怖くって』と言っていただけに、その境遇からのふっきりとし て、これほど象徴的なシーンはないだろう。今村映画に共通する力強い女性像だ」

『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』(篠田正浩監督)は、戦後の過酷な混乱を描きながらも、少年の目線による巧みなユーモアが全体を包んでいる。現在へのまなざしを忘れない一方で懐かしい映画へのオマージュも折り込み、バランスの良い作品になった」「篠田正浩監督の奥行きを感じさせる。恩田幸吉役の長塚京三は、愚直な父親像を見事に表現。岩下志麻もこれまでにない抑えた演技で妻の役をこなした。少年・恩田光司を演じた鳥羽潤の素朴さも捨て難い。高田純次は気迫のこもった芸をみせた。そして何よりも歴史を超越したような美少女を演じた吉川ひなのの輝き。予想外の収穫だと思う」

 「恩田幸吉が即席の木刀でチンピラを打ちのめすシーンで、恩田光司が『板妻だ!』と叫んだ時は、久しぶりに気持ち良く笑った。しかし、映画のラストで阪神大震災の現地を訪れた恩田光司が、チャンバラのまねをするシーンはどう考えても蛇足だと思う。歯ブラシの絵日記が秀抜だっただけに惜しい」

 「『誘拐』(大河原孝夫監督)は、まず森下直の見事な脚本を評価したい。そして109分間の淀みない映像にも力がある。前半のマスコミを引き連れた派手な身代金の受け渡し劇から、後半の社会派的な人間ドラマへの展開と、最近珍しい骨太な名作だ」「渡哲也が抜群にうまく、永瀬正敏も持ち味を発揮している。題名を工夫すればヒットしたかもしれない」


kinematopia97.07


 「『ナッシング・パーソナル』(サディアス・オサリヴァン監督)は、宗教的、文化的な違いによる北アイルランドの不毛な戦いを、距離を保ちつつ当事者の心情にも切り込みながら描いている」「焦燥感と不毛感の共存が映像化されている点は評価していい。ただ、無垢な少女の死という形で終らせたことは疑問だ」「『フィオナの海』のジェニ・コートニーは、ここでも怖れを知らない、自由な美少女を演じている。妖精的な存在にしても、周囲からあまりに浮き上がっていてリアリティが乏しかった」

 「『ロストハイウェイ』を、ハリウッド映画の悪女ものを換骨奪胎したデヴィッド・リンチ監督お得意のデタラメな作品として受け入れることのできた人は幸せだ。私は見終った後、激しい不安に襲われ、世界と自分への違和感が3日間続いた。久々に危険な映画を体験したことになる」「緊密なバランスに支えられ陰影に満ちた映像、フェイドアウトとハレーションの多用、きしむ音楽の波、凍りついた表情ととろけるように甘美な身体。さまざまな映像的なテクニックを駆使しながら、官能的なおびえた世界が形づくられている」

 「心が崩れたフレッド・マディソン役を健全派のビル・プルマンが演じるキャスティングの妙。アイドル的だったパトリシア・アークエットの肢体の崩れ。そして、ミステリー・マン役ロバート・ブレイクの不気味な優雅さ」「ここに描かれているのは謎めいた物語ではない。謎として現われてくる私たちのしわくちゃに歪んだ存在そのものだ」

  「劇作家と新人女優、二人の関係を嫉妬する妻、そこに現われたハンサムな映画スター。『妻の恋人、夫の愛人』(ジョン・ダイガン監督)は、おなじみの恋愛劇だが、劇中劇と絡み合い、それなりの厚みを醸し出している」「夫の不倫に苦しむ妻は、作家としての才能が認められ映画スターと結ばれて幸せになる。一方劇作家と結婚した女優は、単調な生活に孤独を感じる。終始、妻の立場に肩入れした展開はそれなりに新鮮だったが、結末はもう一捻りほしい」

  「実質的に物語をリードするロビン・グランジ役のジョン・ボン・ジョヴィは、めりはりのある演技をみせた。俳優としても十分才能に恵まれている。サイコ・スリラー的な凄みが意外に似合ったエレナ・ウェブ役のアンナ・ガリエナは、振幅のある妻を演じ切った。繊細だが腑甲斐ない劇作家フィリックス・ウェブを演じたランベール・ウィルソンもはまり役だった。3人に比べると新人女優役ダンディ・ニュートンは、やや魅力に乏しい」「しかし、それも妻の視点のなせる業かもしれないよ」

 「『ユメノ銀河』。石井聰互監督のモノトーンの新作は、大人になりかけた少女たちの情念が反射する硬質な空間を開く。そして、大いなる間に支えられた明晰な映像が、人間の『えたいのしれなさ』を鮮明にする。何という清潔な謎だろう」「小嶺麗奈が時に浅野忠信を喰っていたのが驚きだった。友を殺したと確信している男に復讐しようとしながら、次第に男を愛していく自分に対する毅然とした姿がまぶしい。二人が初めて結ばれるシーンの緊張に満ちた静けさは、圧倒的な自然描写の密度と拮抗する」

 「よほど映像が張つめていなくては、ストーリーはリアリティを失ってしまう。この作品はそれを持続した。終始ハイテンションを保てる石井監督ならではの力業だ。それだけに、ラストの妊娠の告白が悔やまれる。それまでの寡黙な緊張が破れてしまった」

 「日本の室町時代を舞台にした『もののけ姫』は、宮崎駿監督の切実な思いが全編から伝わってくる大作だ。豊かな構想力ときめ細かな人間描写、確かなアニメーション技術に裏打ちされた世界は、他の追従を許さない水準にある。とりわけシシ神の池の美しさは、筆舌に尽くし難い」「『アシタカは好きだ。でも人間を許すことはできない』『それでもイイ。サンは森で私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう』。この会話に監督のメッセージが集約されている。構造的に対立し合う人々が、友愛を結ぶためのスタンスは、これ以外にないだろう。それが構造を変えていく可能性もあるが、友愛自体美しく、私たちを勇気づける」

 「にもかかわらず重苦しさが付きまとうのは、おなじみの飛翔シーンが登場しないからだろう。あの開放感はたまらない魅力の一つだった。タタラ場の女性たちはふくよかで快活だったが、とぼけた味のキャラクターは少なかった。笑える場面が乏しく、凄惨な戦闘シーンばかりが印象に残った。多くの変化球を持つ宮崎監督が、直球勝負に出たということか」「そんな中で森の精霊・コダマの可愛らしさは救いだった。それまで劇場でつまらなそうにしていた小さな子供たちが、コダマの登場ではしゃぎ始めた。小さく不思議な存在を描く監督のまなざしは、一転して柔らかくなる」「『もののけ姫』で懸案のテーマにやや強引ながらも一応の決着をつけた。今後はコダマ的な生き物を描く方向に進むのではないか」


kinematopia97.08


  「『エヴァンゲリオン完結編』(庵野秀明監督)は、『伝説巨神イデオン』のように、劇場版でTV版の決着をつけようとした。そもそも、それが間違いだった。確かに時間をかけた分、アニメとしての仕上がりは格段に素晴しいが、作品としては力のないものになったのではないか。性的妄想が肥大化した劇場版の人類補完計画よりも、不気味なシーンで終るTV版の破綻した内容の方が、切実感があった。『エヴァ』は暴走しすぎた」

 「でも、『もののけ姫』と並び、作家性を全面に打ち出したアニメが立て続けに劇場公開されたという意義は大きい。一人の人間のぎりぎりの問いかけこそが、作品を生きたものにできる。ただし、徹底的に差異を解消しようという庵野秀明の願いは、明確に批判しておく必要がある。劇場版では、精神の危機が呼び込む神話、神秘主義の危険性への配慮も失われている。この点、差異を認め合い、歴史に学ぼうとする宮崎駿の視野は広い」「 過去のアニメの記憶をまぜあわせ、それに思春期の妄想を接ぎ木した庵野秀明は、自己を相対化できず真情を吐露できずにいた若者たちの得難い『依代』となったとはいえるだろう」

 「『20世紀ノスタルジア』(原将人監督)のビデオを生かした初々しくて清清しい映像はどうだろう。確かな技術に裏打ちされた軽やかな流れは、新しい青春映画の1ページを刻んだ」「甘酸っぱい感傷が湧いてきた。もう少しストーリーに芯があると傑作になったと思う」

 「切れの良い映像に感心したのは、最初の5分。バットマンは深い心の傷を持つ者の戦いから、派手なコスチューム合戦に変質した。だいたいジョージ・クルーニーに、深刻なトラウマがあるとは思えない。トラウマ・バトルから信頼、そして敵との友愛へ。『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』(ジョエル・シューマッカー監督)は、なんともお行儀の良い娯楽大作になった。後は着せかえと破壊を楽しむだけだ」

 「ポイズン・アイビー役のユマ・サーマンは、なかなか活躍した。アーノルド・シュワルツェネッガー扮するMr.フリーズのコスチュームも、それなりに楽しい。しかしだからこそ、Mr.フリーズは粉々になって死ななければならなかった。有名スターだからといって、手をゆるめたのは許せない。「『マッズ・アタック!」』で有名スターを殺しまくったティム・バートンの 志気を学んでほしかった」「孤独なバットマンはもういない。前作『バットマン フォーエヴァー』でロビンという相棒を得、今回バット・ガールという女性が仲間に加わった。一作ごとにメンバーを増やしていくつもりなのか。幅広い観客の動員を考えた安易な選択だ。あるいは、多くのフィギュアを売るための戦略だろうか」

 「『愛さずにはいられない』(アンディ・テナント監督)は、明るい熱々の恋愛劇。文化の違いを超えて愛し合うという、お決まりと言えばお決まりの展開だ」「でも、会話はしゃれている。バランスの良いストーリーで、めりはりのある音楽が全体を心地よいものにしている」

 「『世界の涯てに』(リー・チー・ガイ監督)は、ケリー・チャンの肢体のようにしなやかで、金城武の笑顔のようにいとおしい。全編を繊細なさりげない風が吹き抜けていく」「ヒロインは香港を代表する海運王の娘。白血病の彼女は、スコットランドから来た船員テッド、モンゴルから来た探索屋ナーハオチュンと出逢う。二人がイギリス、中国を相対化しうる地域の出身という点も大切なポイント。返還を前にした香港、イギリス、中国の関係にダブらせながらも、作品はその図式を大きく超えてはばたく」

 「登場人物は、誰もがとても生き生きしている。香港の多面性をさりげなく映しだし、老人、子供、障害者を巧みに描く手腕には脱帽する」「小さなエピソードの一つ一つが美しく、セント・キルダ島の荘厳さとともに心に残る。香港の日常を映すラストシーンで涙が出た。なんという気持ちのいい、開かれた哀しみだろう」

 「今80年代の落書きアーティストを映画化する意味は、漂白されすべてがパッケージ化されつつある90年代に、その芸術の暴力性を思い返すことでなければならないだろう。しかし『バスキア』(ジュリアン・シュナーベル監督)は、昔を懐かしむ感傷ばかりが感じられ、腹立たしいまでに甘ったる。つきあいで、こんな作品に出演したデニス・ホッパーやデヴィッド・ボウイは、どうかしている」「だいたい監督が、バスキアに近すぎる。あんなに親しくては、距離感を保つことなどできないだろう。個性的な俳優たちも妙に小さくまとまり、脇役に徹しているようで、歯がゆい。バスキアとアンディ・ウォーホルの関係も、あんな奇麗事だったのか。もっとアーティストらしい葛藤はなかったのだろうか」

 「そんな中で、ジャーナリスト役のクリストフォー・ウォーケンがバスキアの孤独さを引き出していたのがせめてもの救いだ。歯に絹を着せぬ鋭い質問をぶつけながらも、言葉の根底に励ましがあり、それを理解したバスキアが微笑み返すシーンが、心に残った」

 「『セルロイド・クローゼット』(ロブ・エプスタイン、ジェフリー・フリードマン監督)は、ハリウッド映画120作品の中から同性愛シーンを拾い出したドキュメント。100分間を飽きさせない構成力は評価していい」「多くの発見があった。圧力を受け続けたハリウッドに少しだけ同情したな」「そして、なによりも監督たちのしたたかさに拍手したくなった」

 「『デボラがライバル』(松浦雅子監督)は、軽い軽い青春コメディ。キャアキャアしているうちに終ってしまう」「定番通りのストーリー展開。吉川ひなののお茶目な演技だけが魅力。篠原ともえは、やや迫力不足だね」「ゲームソフトをモチーフにした『ときめきメモリアル』(菅原浩志監督)は、絵に書いたような青春の一ページ。前半はもたつくが、後半の盛り上がり方はたいしたもの。さわやかな感動を味わった」「こういう典型的なストーリーは不滅だね。親友のひとりを海で失うことで、離れなれなくなる負の共同性という構図も」


97年9月に続く


キネマトピアへ キネマやむちゃへ電脳バー・カウンターへ