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 「『母の眠り』(カール・フランクリン監督)は渋い味わい。国民文学賞を受賞した優れた文学者の父の影響を受け、専業主婦の母の生き方に反発して新聞記者となってニューヨークで特ダネを追っていた娘エレン。父の誕生パーティのために久しぶりに帰郷した彼女は、母親が末期ガンであると知らされ、父親から母親の世話をするために戻って来いと言われる。母の強さや父の弱さに触れて家族を、そしてこれまでの自分の仕事をとらえ返しながら、死を迎えようとしている母親の介護を続ける」「誰もが直面している問題を静かに提示しているが、あえてミステリー仕立てにしなければならないのがハリウッド映画の悲しさだ」

 「メリル・ストリープ、ウィリアム・ハート。この二人の味わい深い演技によって、物語の中に引き込まれていく。メリル・ストリープが一見平凡な主婦の存在感を示して見事。ウィリアム・ハートは、努力家だが家庭を軽んじている中年男性をバランス良くみせた」「憔悴しても最後までぷっくら顔でちょっと首をかしげたが、レニー・ゼルウィガーの率直なヘレン役も悪くない」

 「原題は『Jakob The Liar』。『聖なる嘘つき、その名はジェイコブ』(ピーター・カソヴィッツ監督)というひどい邦題で、ちょっと観るのをためらっていたが、やはり観て良かった。佳作である」「いわゆるユダヤ人収容所、ゲットーの物語だが、軽妙さを貫くことで悲しみを引き出した『ライフ・イズ・ビューティフル』(ロベルト・ベニーニ監督)とは別の方法で、ユーモアを生かしている」「ヒトラーを取り上げたブラックジョークを持ってきて『冗談を言うことが我々を支えている。他はドイツ人に奪われた』とジェイコブに語らせる導入部がうまい」

 「極限状態の中で生きる人々を、それぞれ生き生きと個性的に描き分ける見事さ。ベテラン俳優たちがそろっている。主人公ジェイコブ役のほかに製作総指揮も務めたロビン・ウィリアムズの演技は、とりわけ素晴らしい。このところの大袈裟さが微塵もない絶妙な表現力。嘘をついても真実を話しても、結局人を死なせてしまう立場に置かれたジェイコブの苦悩と悲しみがひしひしと伝わってくる」「だから、少女とのつかの間のダンスの場面で涙が出た」

 「女優ジョアン・チェンの監督デビュー作『シュウシュウの季節』。広大なチベットの自然の中で、中国の文化大革命に翻弄された少女の物語。革命を信じた純粋な少女が、故郷に帰るために共産党官僚に進んで身をまかせるようになる姿は、正視できないほど残酷だ」「中国政府の許可を得ずに撮影を強行し、作品を完成させた執念は、『ポーラX』(レオス・カラックス監督)に匹敵するものがある」

 「なんといってもシュウシュウ役のルー・ルーの可憐さが忘れがたい。前半、あまりにも可憐なので、後半の変化がとてつもなく痛々しい。自然の変化と小道具をうまく使いながら、寡黙に簡潔に描かれた悲恋」「それにしても、去勢されたラオジン以外の男性たちは、獣のように描かれている。共産党批判と男性批判が重なっているのが、結構こたえた」

 「ミラ・ジョヴォヴィッチへの惚れ込みから誕生した『ジャンヌ・ダルク』だが、歴史に翻弄される女性を執拗に追い続けるリュック・ベッソン監督の映像は力強い」「時に勢い余って空回りする場面も見受けられたが、100億円の駄菓子『フィフス・エレメント』よりは、はるかに見ごたえがあった」

 「いかにもベッソンといった鋭く構図の美しいシーンと戦場の猥雑で血なまぐさいシーンの振幅の大きさに感心した。通常の歴史劇に比べ、数歩対象に近づいて撮っている」「血を浴び火に焼かれているベッソン監督を想像した。入れこみようは大変なものだろう。エリック・セラの音楽も、これまでに増して堂々としている」

 「『ゴースト・ドッグ』では、鳩とハイテク、武士道とヒップポップ、言葉が通じない友情、古いものと新しいもの、純粋なものと猥雑なもの、さまざまな異質なものが独特のスタイルで混在している。ジム・ジャームッシュの世界は、いつもユニークで、しかも不思議にリアルだ。考えてみると、殺し屋に『葉隠』の美学は実にぴったりくる。殺し、殺されることを中心に生き方を純化しているからだ。」「単純な振る舞いに還元する武士道のスタイルは魅力的だが、代わりに複雑な世界の豊かさをばっさりと切り落としてしまう。もちろん映画は多様性を失ってはいない」

 「少女ルイーズ・ヴァーゴが『葉隠』の本をゴースト・ドッグ に渡し、最後に少女パーリーンに本が引き継がれる。最初と最後に聡明な少女を配したところが、いかにもジム・ジャームッシュ。老人マフィアの見事な死に様と対照的だ」「そして、残酷なアニメがストーリーと連動していく趣向も心憎い。ハイセンスなギャグとシリアスのブレンド」

 「『ワイルド・スモーカーズ』(スティーブン・ギレンホール監督)は、マリファナをめぐる血なまぐさい殺人事件から始まるが、物語はちぐはぐなコメディタッチで進んでいく。どこか『飛んじゃってる』主人公たちが繰り広げるドタバタ劇を追いながら、マフィアと地域コミュニティの対立というマジなテーマが浮かび上がる仕掛けだ」「でも深刻ぶらずに終始なごんだ香りが包む。マリファナ文化に詳しくなくても十分に楽しめるが、知っていればもっと笑えるはず」

 「ヒップな作品だが、キャストも『極上』。個性派俳優が次から次へと登場する。ビリー・ボブ・ソーントン、ライアン・フィリップ、ハンク・アザリアにケリー・リンチが絡むのだから嬉しくなってしまう。そしてジョン・ボン・ジョヴィも良い味出している」「皆楽しんで演じているのが伝わってくる。1981年に構想した脚本は、多くの出会いに支えられて、最高にハッピーな映画に仕上がった。そのこと自体、かなり幸運なことだ」

 「『隣人は静かに笑う』の切れの良いどんでん返しが記憶に新しいマーク・ペリントン監督のデビュー作『インディアナポリスの夏・青春の傷跡』。サンダンス映画祭で審査委員特別賞に輝いた。1954年、朝鮮戦争で兵役してきた対照的な性格の二人の青年が故郷インディアナポリスに帰る汽車の中で出会い、友情で結ばれる。戦争と抑圧の時代、子離れしない母親の時代に、自分らしい生き方を求めて迷い続ける青年を、ときにユーモラスに、ときにシリアスに描いていく」

 「『隣人は静かに笑う』とは、かなり違う舞台だが、シャープな映像感覚は、この作品でも何度か見ることができた。懐かしいオールデイズに乗せて、ジェレミー・デイヴィス、ベン・アフレックとも50年代の雰囲気を醸し出している。」「周囲の女性たちも、なかなか個性的で、彼女たちになら悩まされるのもうなずけた」「母親役のレスリー・アン・ウォーレンがとびきりの怪演だ」

 「『ベルベット・ゴールドマイン』(トッド・ヘインズ監督)で、一躍注目を集めたジョナサン・リース・マイヤーズの幻の初主演作『ザ・メーカー』。自分がつかめずにいるジョシュの前に10年前に家出した兄が現れ、悪の道に連れ込まれる」「しかし、その後が良く分からない展開になる。ジョシュが見る夢のシーンがスタイリッシュ。これはミステリーかと思っていると、あっけない謎解きで、終ってしまう」

 「作品の質はともかく、ジョナサン・リース・マイヤーズの存在感はたいしたもの。ノーメークでも十分やっていける」「ティム・ハンター監督は、これまでも『テックス』でマット・ディロンを、『リバース・エッジ』でキアヌ・リーヴスを主演につけ、注目を集めた」「作品はダメでも、こういう才能にたけた監督がいるのだ」

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 「『富江Replay』(光石冨士朗監督)は、『富江』(及川中監督)の続編ではなく、オリジナルな作品。原作の『富江』は、男を狂わせ自分をバラバラに解体させて増殖していくが、映画もさまざまに原作を切り刻み、それぞれに変化増殖していくことを期待したい」「通常のような続編ではない形でシリーズ化すると面白い」「宝生舞は、なかなか妖しい雰囲気を漂わせていたね」「でも冷たい美しさは富江役にぴったりだが、脚本が富江の人間性、死ねない辛さなんかを表現しようと考えたので、恐怖がしぼんでしまった」「富江を人間に近付ける必要はない。富江は人間的な感情から離れた存在であってこそ、迫力があるはずだ」

 「『うずまき』がなかなかいい。ウクライナ出身、東京育ちのHiguchinsky監督は、ミュージック・ビデオ・クリップで高い評価を得ているが、映画はこの作品がデビュー作。くすんだ色調は『怪奇大作戦』を連想させる。懐かしい雰囲気に最新のCGを持ち込み、ギャグと恐怖を組み合わるセンスは面白い」「コミック色が強いが、突然怖いシーンを叩き付けるので、観客は席から飛び上がるくらい驚く」

 「うずまきだらけで、おもちゃ箱のような構成だが、映画としての収まりの面で、大杉漣、高橋恵子の演技に助けられている。髪を膨張させる関野恭子役の佐伯日菜子は、思い切って漫画チックにデフォルメした演技が笑える」「斎藤秀一役フィーファンは、奇妙な味を漂わせてハマリ役。ヒロインの初音映莉子は、演技はこれからという感じだが、清楚な雰囲気で好感が持てた」

 「『リング0〜バースディ〜』(鶴田法男監督)は、『リング』シリーズの完結編ということだが、『バースディ』の中編『レモンハート』を基にした組み立てに無理がある。あの作品群は、あくまで外伝として楽しむものだ」「山村貞子が、呪いのビデオテープをなぜ生み出すことになってしまったのかを解き明かしたと宣伝されているが、私は第1作『リング』自体の説明で十分だと思う」

 「鶴田法男監督は、恐がらせるテクニックには精通している。しかし、ストーリーが薄いので、恐怖の質も浅いものにならざるを得なかった。仲間由紀恵は、美少女だが山村貞子役としては線が細すぎる。地味な配役だったが、麻生久美子はラストに向けて演技に熱がこもり、『カンゾー先生』(今村昌平監督)の体当たりの演技を思い出させた」

 「『勝手に死なせて!』『人間椅子』と、屈折した人間心理を突き抜けた表現で作品化してきた水谷俊之監督。鋭い映像感覚は高い水準にあった。超能力と多重人格を扱った『ISOLA』も人間心理を描いたものだが、阪神大震災への配慮からか、製作上の制約からか、水谷監督としては大胆さが欠けているように感じた」

 「黒澤優の拒絶的な表情が抜群にいい。演技はこれからだが、目に力がある女優なので、今後が楽しみだ。癒し系の女優と見られていた木村佳乃は、人の心が読める超能力者の孤独を演じて、女優としての幅を広げるきっかけがつかめたのではないか」「『 M/OTHER』(諏訪敦彦監督)で強烈な印象を残した渡辺真起子は、激しくはあるが人間としての掘り下げが乏しい役で、かわいそうな気がした」

 「『マグノリア』(ポール・トーマス・アンダーソン監督)は、ロバート・アルトマン監督の大傑作『ショート・カッツ』を連想させるアンサンプル映画。12人の男女の一日をタペストリーのように精緻に編み上げていく。それぞれの立場は過酷で、追い詰められていくが、みつめる監督のまなざしは不思議に温かい」「偶然についての歴史的なエピソードを並べた巧みなプロローグから、手際の良い人物紹介、そして登場人物全員が『Wise Up』の『もうとまらない』という歌詞を口ずさむシーンの素晴らしさはどうだろう」「心地よい肩すかしを楽しみながら、3時間7分を過ごすことができる」「『マグノリア』という題から、あからさまな華を求めてはいけない。ラストの控えめな微笑み以外は」

 「私にとっての本当の驚きは、想像を絶したクライマックスシーン(アイデアは浮かんだとしても、実際にやってしまうとは。すべてを洗い流す土砂降りの雨。It rains frogs.)ではない。SEX教祖役のトム・クルーズの名演技だ。『アイズ・ワイド・シャット』(スタンリー・キューブリック監督)でさえ、枠を超えられなかった彼が、群像劇で花開くとは。12人の個性的な俳優たちの中でも、ひときわ存在感のある青年を演じ、強烈な印象を残した」

 「『シュリ』(カン・ジェギュ監督)冒頭の北朝鮮での特殊工作員の訓練シーンは、息を飲むほどに壮絶だ。韓国、北朝鮮の緊張関係、民族分断という現実の裏づけがあるだけに、リアリティは痛いほど。北朝鮮の工作員を人間として描いていたのも共感できた。そして、スパイと情報部員の悲劇的な恋が最大の効果を発揮している」「ラストのキャロル・キッドが歌う『When I Dream』は、心に染みたなあ」

 「ハン・ソッキュは『8月のクリスマス』(ホ・ジノ監督)とは180度違う硬派の男を演じきっていて見事。キム・ユンジンも苦悩をうまく表現していた。編集も音響も非常に切れが良い。多くの映画評は絶賛している」「傑作なのは認める。ただ、液体爆弾CTXの原理があまりにもお粗末であったり、情報部員としてはかなり不用意な行動が目立つなど、娯楽作としても疑問な点はある。しかし、ハリウッド映画に負けない娯楽作をつくろうというカン・ジェギュ監督の意気込みが全編から伝わってくる」

 「ことしも、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2000に行ってきた。ヤング・ファンタスティック・クランプリ部門では、全6作品を観た。『金髪の草原』(犬童一心監督)は、80歳の老人がある日目覚めると20歳の青年になっているというファンタジー。心温まるファンタジックなアイデアで、登場人物もみなユニーク。納得のグランプリだった」「本人は20歳のつもりだが、周りは80歳と思っている。そしてマドンナとして憧れていた女性に似ていたお手伝いさんに恋をする。夢のあるボケを描いているのかと思って見ていると、そうでもないようにも思えてくるような仕掛けが用意されている。ラストシーンは不要に感じられたが、あのシーンによって明るいまとまりになったと思う」

 「『ミステリー・オブ・ザ・キューブ』(ジョナサン・ユー監督)は、冒頭からコンピューター・グラフィックによるエフェクトの連発。タイトルには、カイル・クーパーの影響も感じられる。日本と韓国の歴史や有名な詩人の難解な詩を織りまぜながら、ミステリー、ホラー、アドベンチャーを横断していく」「ただ、仕掛けばかりが目立って意外に引き込まれない」

 「『ホーク』(ブルース・ロー監督)は、テロリスト宗教集団の毒ガス計画を阻止しようとする香港と日本の刑事の悪戦苦闘を描く。もう見え見えの企画。爆破シーンの迫力は度胆を抜くほどだが、テロリスト集団をたんにパロディ化、漫画化しているだけで、結局はアクションだけなので見終って何も残らない」「そういう作品があってもいいが、私は物足りない」

 「『パップス』(ASH監督)は、13歳の銀行強盗の物語。良くある話だが、細部のアイデアのオリジナリティが高く引き込まれる。パート・レイノルズがいい味を出していた。そして『キャメロット・ガーデンの少女』(ジョン・ダイガン監督)のキャメロン・ヴァン・ホイがとてもキュートだった」「監督も俳優として高く評価していた」

 「『ボーダーライン』(アラン・ベジェル監督)は、友人の『ベニスで火葬にしてほしい』と言う遺言をかなえるために、病院から遺体を盗み出すストーリー」「展開にやや無理はあるものの、なかなか考えさせられる。広田レオナがミステリアスなアキコ役を好演。監督は天使をイメージしたと言っていたが、さすが人間離れした美しさだった」

 「『人狼 JIN-ROH』は、日本アニメ界の多くに原画作家として参加してきた沖浦啓之の監督デビュー作。押井守 の原作・脚本。ありえたかも知れない架空の昭和30年代を舞台に市街戦の血なまぐさい世界を描いている」「人間の弱さ、デリケートさが政治に利用されていく残酷さ。救いがない暗さが立ちこめているが、それが重たい感動につながっていく。赤頭巾をさらに残忍にした童話が実に巧みに生かされている」

 「クロージング上映の『どら平太』(市川崑監督)は、黒澤明、木下恵介、市川崑、小林正樹の4人による『四騎の会』の30年前の脚本が日の目を見たもの。最近ではお目にかかれない豪快な主人公が大活躍する勧善懲悪もの。わくわくしながら、小気味の良い展開、編集に酔いしれた」「役所広司はどんな役も見事に演じてしまう」

 「招待作品『現実の続き夢の終わり』(チェン・イー・ウェン監督)は、はっきり言って期待外れ。最初は新しい表現手法を感じたが、あとは失速。混沌とした台湾ヤクザ社会を描いているのは分かるが、話にリアリティが乏しい。 水野美紀が短期間でニキータみたいに銃を使いこなすのはあまりにも不自然だろう」

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 「すべてがティム・バートン監督にコントロースされた『スリーピー・ホロウ』の映像美に見とれた。自分のテイストを守りながら、有名なワシントン・アーヴィングの原作『スリーピー・ホローの伝説』をもとにホラー娯楽作をつくってしまうティム・バートン。確かに血みどろであり、首がぽんぽん切られていくが、ハメを外すほどのおふざけはない」「今回は『マーズ・アタック!』以上に、そつなくまとまっている。深いトラウマを抱えながら、ハッピーエンドを描けるようになった監督の幸せを、批判するつもりはない」

 「『エド・ウッド』のジョニー・デップと『アダムス・ファミリー』(バリー・ソンネンフェルド監督)のクリスティーナ・リッチの共演というバートンらしい取り合わせとともに、尖った歯をむき出しにしたクリストファー・ウォーケンの怪演が嬉しい」「そして、バートン最愛のリサ・マリーは、天使のような母親役で登場。最後は『鉄の処女』に入れられて全身串刺しになる。何という壮絶な美しさだろう」「ヴアンパイア役で名高いクリストファー・リーの起用も忘れてはいけないポイントだね」

 「『トイ・ストーリー2』(ジョン・ラセター監督)は、しっぽの先まで美味しいあんこが詰まった鯛焼き。96年の『トイ・ストーリー』を技術的にもストーリー的にも上回る出来映え」「子供たちに触れられ愛されながらやがて捨てられるか、プレミア・トイとして博物館のガラスケースの中で永遠の命を得るか。おもちゃの『究極の選択』がテーマだが、堅苦しさは微塵もない。登場する個性的なキャラクターを楽しむだけでも1時間30分があっという間に過ぎる」

 「吹き替え版で観たが、作品全体を丁寧に日本語化していて、違和感がなかった。『バグズ・ライフ』に続いてラストクレジットに用意されているNG集は、抱腹絶倒もの。さらにギャグに磨きがかかった。本編がNG集のためにあるといっても過言ではないほど」「上映前にハイライトシーンが明かされた、今年暮れ劇場公開予定のCG作品『ダイナソー』の壮大な自在さに驚いたことも報告しておこう」

 「『トイ・ストーリー2』のあとは、『ストレイト・ストーリー』。味わい深い。忘れがたい老境映画の誕生だ」「デビィッド・リンチが監督したことを驚く必要はない。もともと確かな技量と美的センスを持った監督なのだから。いつもの作品から暴力とセックスと錯乱を除くと、『ストレイト・ストーリー』になる」「鹿をめぐる印象的なシーンや燃え上がる家、カウンターをこすり続ける客など、よく見ているとリンチ・ワールドの片鱗は隠されている。今回は暴走していないだけだね」「こんな映画をつくっておいて、次回は再び理解不能な映像を叩き付けるのが、リンチ流なのだろう」「安心はできない」

 「第72回アカデミー賞主演男優賞は逃したものの、リチャード・ファーンズワースの味わい深い演技は、誰もが賞賛することだろう。現在79歳で、『最後の作品』と語っているようだが、まだまだ多くの作品に出演してもらいたい」「アメリカの大地に根ざした生きざまを、無理なく演じられる数少ない名優なのだから」

 「巧者パトリス・ルコント監督の新作『橋の上の娘』。今回はモノクロ映像。銀幕の官能性をあらためて感じた。『イヴォンヌの香り』では、匂い立つようなエロティシズムを漂わせていたが、『橋の上の娘』は触れあうことがないままに愛を交わす、ナイフ投げの芸人と的モデルの屈折したエロスを焼きつけている」「ナイフが刺さる時の鋭い音と的の吐息のなんという官能。しびれるような快感が伝わってくる。ウイットに富んだ会話と無言の交感の対比が絶妙だ」

 「こんなに美しく、こんなに演技のうまいヴァネッサ・パラディに出会えるとは。断わることができず、どんな男ともすぐに関係を持ってしまうが、いつも孤独な少女を自然体で演じている」「そして禁欲的な芸人にダニエル・オートゥイユがなり切っている。鷹のような意志的な眼が印象的だ」「その他の脇役も皆一癖あり、いかにもルコントらしい」

 「『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』は、キューバ音楽の素晴らしさに感動したヴィム・ヴェンダース監督とライ・クーダーによって企画された至福の音楽ドキュメンタリー。演奏者の生き生きとした表情と人生の年輪が刻み込まれた明るい音楽に包まれて、幸せな気分になれる」「作為を感じさせない落ち着いた構成ながら、ニューヨーク・カーネギーホールでの歴史的なコンサートが実現する過程を追ううちに、アメリカとキューバの複雑な歴史的関係が静かに浮かび上がる」「脳天気なようで、意外に深い作品だ」

 「自分の人生を語り、楽しそうに演奏する往年のミュージシャンたち。忘れられた人たちが集まり、再び脚光をあびる。一人ひとりが輝いている。最初に登場する90歳を超えたギタリスト、コンパイ・セグントのダンディーさ、天性のシンガーであるイブライム・フェレールの人なつっこさ、ピアニストのルービン・ゴンサレスの華麗なテクニックと繊細な感性」「その音楽は本当に心地よいが、過酷なキューバの歴史が生み出したものであることも忘れてはならない」

 「『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』(アナンド・タッカー監督)。イギリス最高の天才チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレと姉のヒラリー・デュ・プレの愛と確執を描いた迫力あるドラマ。『シャイン』(スコット・ヒックス監督)に並ぶ佳作だ」「ジャクリーヌは28歳の頂点の時に難病の多発性硬化症に冒されてステージを降り、42歳で1987年に亡くなっている。『ほんとうの・・・』という邦題は、伝説化され神格化されている天才の実像に迫ろうという姿勢を示しているが、それを知らないと奇異な感じを受ける」「欧州では内容に抗議するデモがあったという」

 「前半はそっけないほど淡々と流れていくが、後半に入って前半の場面が眩く活きてくる。予想はしていたものの、エルガーのチェロ協奏曲の鬼気迫るような音色に圧倒された。この音に出会えただけでも収穫だった」「自分の才能と人生に戸惑い苦悩するジャクリーヌをエミリー・ワトソンが渾身の力で演んじた。印象深い『奇跡の海』(ラース・フォン・トリアー監督)以上にリアルだと思う。ヒラリー役はやや美化されている気もするが、レイチェル・グリフィスの演技に嫌味はない」

 「『ケイゾク/映画』(堤幸彦監督)のテレビ番組やインターネットのホームページなどを連動させながら、映画につないでいくという手法は、『踊る大捜査線』(本広克行監督)と同じ路線。しかし、『ケイゾク/映画』の方がテレビを観ていないと映画が理解しにくい。『ツイン・ピークス』『エヴァンゲリオン』などなど、先行するさまざまなイメージを取り込み、変形しながら、ギャグとシリアスのサラダという流行りのテースト仕上げだ」「それが単なる寄せ集めか、一つの世界を作り上げているかのが作品評価の分かれ目になる」

 「何がリアルに感じられるかという好みの問題になるのだろうが、私には積み木細工に感じられた。ギャグのばかばかしさは、あまりに白々しい。生死への問いは、見せ掛けばかりで紋切り型だ。派手だがセンスの良くないCGが場面をつないでいく。複雑なようで空しいストーリー展開」「だが、それは私たちの日常と似ている。『ケイゾク』というプロジェクトは、私たちの閉塞した観念世界をあぶり出しているのかもしれない」

 「1998年にゆうばり国際映画祭ファンタスティック・オフシアター・コンペティション部門で激励賞を受賞した『クルシメさん』(井口昇監督)のニューヴァージョンが、札幌のまるバ会館で上映された」「好きになった人の一番嫌いなことをしてしまうという困った癖を持つ女性と、舌の先が大きく割れている女性の出会いの物語。人と関わること、他人の視線に怯えながらも、人とのつながりを切望する二人。それを追う監督のまなざしの繊細さが印象的だ」「新井亜樹、唯野未歩子の演技は素晴らしい。特に新井亜樹のおどおどした態度は切なくなるほどだ。唯野未歩子はそこにいるだけで存在感があるといういつもの役柄ではなく、引っ込み思案で新鮮だった」「身につまされるような叙情とほのかなユーモアに包まれるが、最後はコミック・ホラーになってしまう。私としては、別な終わり方を期待したが、これは監督の一種の『照れ』なのだとも思う」

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 「『シャイン』のスコット・ヒックス監督が、太平洋戦争勃発時のアメリカを舞台に、戦争、法廷劇、そして悲恋が絡み合う物語を、雪に包みながら寡黙に描いた傑作『ヒマラヤ杉に降る雪』」「回想シーンの編集がなんとも素晴らしい。現実の場面にイシュマルの思い出が交錯しながら、狂おしく美しく重なりあうフラッシュバック。意識の流れをこれほど自然に再現した映像を私は知らない」

 「俳優たちは、イーサン・ホークをはじめ皆手堅いが、日系移民ハツエ役の工藤夕貴がとりわけ印象に残る。陪審員に向けた弁護士の演説を聞き、張りつめた無表情から一瞬にして泣き崩れる0.5秒間の劇的な演技は、長く記憶されることだろう」「少女時代のハツエを演じた鈴木杏の天真爛漫な表情も可愛い。だからこそ、大人になったハツエの意志的で終始緊張した表情が生きてくる」

 「人気の『グリーンマイル』(フランク・ダラボン監督)は確かに泣ける。被害者の少女を救おうとした黒人が殺人犯として処刑される。死刑の意味を問い返すという点では、『デッドマン・ウォーキング』(ティム・ロビンス監督)以上にインパクトがある」「しかし、物語が次第に寓話化されていくので、差別や死刑問題という重いテーマからは離れていく。病気を直し死んだネズミを生き返らせる力を持つジョン・コーフィは、その力を誇ることなく、世界中に悪意に満ちた犯罪がまん延してることに心を痛め、生きることを断念し死刑になることを願う。彼が電気いすで処刑されるシーンを涙なしで見ることのできる人は少ないだろう。目をそむけてきた現実を突き付けられ、心の深いところが揺さぶられる」

 「物語は緊密で、俳優も演技派ぞろい。ただ、善人と悪人が整然と分けられ、悪人は滅んでいくというのは安易すぎないだろうか。卑劣きわまりない看守パーシー・ウェットモア、良心のカケラもない犯罪者ウィリアム“ワイルド・ビル”ウォートン。この二人ほど救いようのない悪人は近年珍しい」「世界にまん延する悪の問題に切り込みながら、単純に人を区分してしまったことで、テーマが紋切り型になったのは否めない。その方が分かりやすいのは確かだが。そして最後に示された秘密は、私には付け足しにしか思えなかった」「トム・ハンクスは確かにうまいが、真の主役はマイケル・クラーク・ダンカンだ。あの涙に満ちた瞳が切ない」

「『タイタニック』後のデュカプリオ主演作品として注目された『ザ・ビーチ』(ダニー・ボイル監督)。何か違う世界を求めて旅を続けているバックパッカーのリチャード。安ホテルでドラッグ漬けのダフィから秘密の楽園の地図をもらい、隣に泊まっていたエチエンヌとフランソワーズを誘ってその島を目指す。たどり着いた楽園は、美しい自然に包まれた少人数のコミューン。しかし、夢のような生活は長くは続かなかった」「前半の明るさ、美しさと後半の暗さ、陰惨さがとても対照的だ。鮫に食われた傷の生々しさが、象徴的に前後を分けている」

 「閉鎖的な小集団の危険性については、1970年代に嫌というほど見せつけられた。しかし、今も理想の共同生活への希求は繰り返されている。この作品は、あらためて理想の暮らしを求める小集団の危うさを示したものだ」「しかし、けっして説教くさくなるわけではない。最後に、インターネットの開かれた共同性をさりげなく提示しているところが、いかにもボイルらしい」

 「大胆な手法でイギリスの閉塞を描いた『トレインスポッティング』で高い評価を得たダニー・ボイル監督が、レオナルド・デュカプリオを迎えて描いた新作。お金はかけているだろうが、大作というよりは理想と現実の断層を見据えた青春映画だ」「デュカプリオは、狂気に振れかける危うい感情表現で持ち前の演技力を発揮し『タイタニック』(ジェームズ・キャメロン監督)の重しを見事にはね除けている」「ティルダ・スウィントンの存在感はさすが。一方、ヒロイン役のヴィルジニー・ルドワイアンは、あまり陰影がなく持ち前の魅力を発揮していない」

 「1998年、ケニアの首都ナイロビのアメリカ大使館に隣接するビルが、テロリストによって爆破されるという事件があり、完成前に類似点が指摘されて公開が延び延びになっていた『マーシャル・ロー』(エドワード・ズウィック監督)。テロリストによるニューヨークの連続爆破事件によって、FBI、CIA、陸軍が対立する中で、ついに戒厳令が敷かれアラブ系市民への弾圧が始まる。エキストラを駆使した迫力は認めるが、大掛かりな仕掛けが裏目に出た社会派映画の失敗作」「物語も登場人物も全然かみ合っていない。ハイジャックされたバスから高齢者が解放されかけた瞬間にバスが爆破されるシーンの衝撃力とFBI、CIA、陸軍のすれ違いをさらりと見せた序盤の期待は、この後見事に吹き飛ばされてしまった」

 「だいたい、戒厳令を命令した大統領が最後まで登場しないのは何故なのだろうか。CIAのエリースは、かつて自分が訓練した青年たちが次々にテロを起こしていることに薄々気付きながら、何をしていたのか。最後のお涙ちょうだいはしらけるだけだ。」「陸軍がアラブ人に拷問したとしてFBIがダヴロー将軍を逮捕するが、それで戒厳令が解かれるのは理解できない。誰がテロリストが壊滅したと判断したのか」「そして、アラブ=テロリストではないのなら、アラブとアメリカの歴史的関係や世界観の違いなどにも、少しは触れるべきではないか」

 「国立公園のレンジャー部隊2人を殺した人類学者・動物学者のイーサン・パウエルは、共同生活をしていたマウンテン・ゴリラが惨殺されたことに怒り、現代人から決別するために沈黙していた」「西洋の『奪う者』としての残酷さ、『自由の幻想』の指摘といい、すべてを言語化しようとする精神分析医との対峙といい、『ハーモニーベイの夜明け』(ジョン・タートルトープ監督)は、文明論的、哲学的な骨組みを持っている」「しかし、最も映画化しづらいテーマを無理して映画化したという感じも受けた」

 「アンソニー・ホプキンスが知能指数の高い凶暴な『精神障害者』を演じている。思わず、近く続編の撮影に入る『羊たちの沈黙』(ジョナサン・デミ監督)のハンニバル・レクターを連想したが、趣きはだいぶ違う。こちらは『奪う者』を導いてしまった自分の責任を感じての理性による『沈黙』の選択であり、結局は再び言葉によって出世主義の精神分析医の目を覚まさせる」「最後にパウエルは、やすやすと脱獄してしまうが、精神病棟の待遇などさまざまな問題は宙づりにされたまま残った。この投げ出された感じは監督が意図したものなのだろうか」

 「両生類の有精卵からつくられた生体ポッドが脊髄を直撃する魅惑の仮想体感ゲーム。『イグジステンズ』(デビッド・クローネンバーグ監督)は、十年ぶりのオリジナル脚本だが、近未来のゲームを取り上げているが、アイデアの斬新さは乏しい。今さら現実と仮想の壁が壊れるシーンを描いても陳腐なだけだ」「どんでん返しの結末も予想できてしまう。少なくても、かつてのようなまったりとした複雑な触感を残すラストシーンではなかった。どちらにもとれる微妙な終わり方が好きだったのだが」「前作『クラッシュ』のひりひりするような反社会性に比べると、バーチャルリアリティ・ゲームの危険性を示して教科書的ですらある」

 「動物の骨で組み立て人の歯を弾丸とするグリッスル・ガンの秀抜なデザインにはニヤリとしたが、身体に空けられた穴につばをつけてポッドを差し込むシーンには閉口した。いかにもクローネンバークらしいが、後者はあまりにもあからさまだ。身体の変容を追求してきたクローネンバーグ監督なので、仮想世界で思いっきり暴れまくるのかと楽しみにしていたが、グロテスクでいかがわしい小道具や過剰な血を見せるだけで、小さくまとめてしまった」「公開をわくわくしながら待っていただけに、失望感に近い物足りなさを味わった」

 「『スクリーム3』(ウエス・クレイヴン監督)は、とんとんとテンポ良く劇場公開された『スクリーム』シリーズの完結編。ホラー映画のパロディとしてスタートした『スクリーム』は、『スクリーム2』ではそれが重層化して、蘊蓄の度合いも進んだ。『3』では、さらに3層構造に進化し、味わいも深まった」「予想に反して『2』で殺されてしまったランディが、今回は遺言ビデオで登場し、三部作のスーパー・ルールという蘊蓄をたれるシーンには、思わず拍手したね。やはり『スクリーム』にランディの蘊蓄は欠かせない」

 「脚本は『隣人は静かに笑う』のアーレン・クルーガーが担当。さすがにうまい。『スクリーム』の基本を押さえながら、緊密でスリリングな展開になった」「ユーモアと恐怖のスピード感は絶妙だ。そして、今回特筆すべきなのは、この作品が人間ドラマとしてもしっかりとしているということだ。主人公シドニー・プレスコットが立ち直っていく姿が見事に描かれている」「過去の記憶に怯え幾重にも戸締まりしていた彼女が、最後に何かが起こることを密かに期待する私たちを見すかすように、ドアを空けたままにする静かなラストシーンは感動的」

 「ニューヨーク大大学院の卒業制作として仕上げた作品『ザ・パーソナルズ』(伊比恵子監督)が、いきなり1999年アメリカ・アカデミー賞のドキュメンタリー映画賞短編部門でオスカーを獲得した。ニューヨークでアマチュア劇団をつくるユダヤ系米国人の70歳、80歳を取材。新聞に『交際希望』の広告を出す高齢者をテーマにした公演を準備するサークルのメンバーに。性体験など率直な質問が繰り返され、それぞれの個性と孤独が浮き彫りになっていく」「『お年寄りたちのユーモアと率直さのおかげで映画ができた。出会えて幸運だったと思っている』と伊比監督は話していたね」

 「記録者と当事者。両者の信頼感と距離感の絶妙なバランスが、素晴らしいドキュメンタリー作品を生み出した。高齢者たちは、なんとも率直に、ときにユーモラスに性体験や人生の悩みを語る。密度の濃いテーマを可能な限り凝縮しながら、息苦しさを感じさせない編集のセンスも高く評価したい」「そして、高齢者の肉声をすくい上げるだけでなく、終盤では、劇団への公的な援助が突然カットされるという社会政策の問題点も静かに指摘している。人生と社会を同時に考えさせる心憎いばかりの配慮だ」

 「まるバ会館で上映された黒坂圭太監督作品にも触れておこう。1956年東京生まれ。現在は漫画家としても有名」「1991年作品の『春子の冒険』は、老朽化したアパートと少女の交感を中心に描いているが、すごいのは実写写真をモノクロコピーし、その濃度の変化で現実のブレを表現している点だ。その異様な緊張感は私を不安にした」「迫力というか気迫というか」「絶句するほど」「『変形作品第5番〈レンブラントの主題による変形解体と再構成〉』は1986年作品。28分の長さだが、20分過ぎまでは、単純な反復。習作を見せられているようで退屈した。しかし、ラストに向かって映像の美しさが高まり、荘厳ささえ漂っていた」「1990年作品『個人都市』は、さまざまな技法を駆使して次々にシュールな世界を突きつけ、飽きさせない」「作者渾身の告白なのだろうけれど、私には孤独感や痛みがあまり伝わっていなかった」「切実さとお茶らけたお遊びのブレンドが性に合うかどうかだね」

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 「イギリス演劇界で高く評価されているサム・メンデスの初監督作品『アメリカン・ビューティー』。第72回アカデミー賞で作品賞など5部門を受賞した。乾いた皮肉と温かいまなざしが交差する佳作。郊外の新興住宅地に住む42歳の中年男性が、空虚な家庭生活、不毛な仕事に激しい倦怠感を覚え、娘の同級生に恋をする。仕事をやめてアルバイトを始め、好きなものを買いまくり家族の崩壊に拍車がかかるが、周囲の目をよそに彼は生きがいを感じている」「妻の浮気、娘の恋などを加えて緊密な展開になっているが、この作品のすごさは、それに深刻な同性愛の問題を絡ませている点だ。自分の同性愛指向を抑圧して厳粛な父親を演じ、銃やナチの食器を収集する屈折した元軍人が登場する」「彼こそ影の主役だ」

 「倦怠感にさいなまれる中年男性に感情移入しかけた自分を、途中からは自笑しながら観ていた。登場人物の会話や行動を笑いながら観ていたが、元軍人の人生を想像したとき、今度は笑っている自分を恥じることになった」「コミカルでシニカル。この表現がこれほどぴったりくる映画は少ない」「ケビン・スペイシーは主演男優賞を取ったが、元軍人役のクリス・クーパーの苦悩に満ちた演技に撃たれた。妻役のアネット・ベニングは、『マーシャル・ロー』よりも数段熱演していた」「中年男性を狂わすアンジェラ・ヘイズ役のミーナ・スバーリは、妖しい瞳と唇が印象的。今後が楽しみな女優だ」

 「『オール・アバウト・マイ・マザー』(ぺトロ・アルモドバル監督)は、第72回アカデミー賞の外国語映画賞ほか、30を超える映画賞に輝いた」「心に深い傷を持つ人々、セクシャル・マイノリティの人々が織り成す人間賛歌。荒唐無稽とも思える強引なストーリー展開だが、屈折した歴史を背負った登場人物それぞれの個性がぶつかり合い、不思議な感動を呼び覚ます」「過酷な状況でも繰り出されるユーモア溢れる会話と下品になるすれすれの奇抜な色彩感覚も健在。そして今回は、映画、文学などへのオマージュも詰まっている」

 「『神経衰弱ぎりぎりの女たち』『キカ』のように世間の常識を打ち破る過激な展開は、少ない。しかし、醸し出される雰囲気はぺトロ・アルモドバルの世界だ」「人々のつくりだす絆が、より多面的に描かれている点に成熟を感じる」「たぶん『女性映画』と呼ばれるのだろうが、私は『男性映画』との単純な比較に関心がない。そうした既存の性差を軽やかに超えたところに、この作品は花開いているのだと思う」

 「『MIFUNE』(ソーレン・クラウ・ヤコブセン監督)は、1999年ベルリン映画祭銀熊賞を受賞 している。『MIFUME』とは三船敏郎のこと。『七人の侍』で菊千代役を演じた三船敏郎とクレステンをだぶらせている」「菊千代は農民であることを隠して侍になっていたが、クレステンは田舎育ちを隠してコペンハーゲンで仕事をし社長令嬢と結婚する幸運をつかんだ。知的障害者の兄ルードは、クレステンを『とても強くて諦めない七人目の侍』と思っている」「やや強引だが、デンマークで三船敏郎がこれほど浸透しているとは嬉しいことだ」

 「この作品は『ドグマ95』の3番目の作品として製作された。映画をハリウッド的なテクニカル重視の傾向から解放しようとする狙いがあると思うが、その約束は極端に言えばドキュメンタリーのように映画をつくれという制約の多い内容で、虚構や飛躍が基本の映画の精神とは相容れないように思う」「ただ、ソーレン・クラウ・ヤコブセンは『ドグマ95』を絶対視するのではなく、『ダイエット』と称してその制約を楽しんでいるようだった」

 「成功したクレステンに、兄と暮らしていた父親の死亡の知らせが来る。天涯孤独と言っていた嘘が妻にバレ、仕事と家庭を失う。しかしクレステンは重荷を降ろしたように気楽になり、兄と暮らし始める。嫌がらせ電話から逃れるためにメイドとしてやってきたコールガールのリーバに恋し、その弟で退学になったビアーケとも新しい生活を始める」「知的障害者のルードが、屈折した思いを抱えながら生きている3人を解放していくという基本線は、よくあるといえばよくあるパターンともいえる。しかし、素朴な映像によって彼等のひたむきな情感が自然に伝わってくる」「『身の丈』という言葉を久しぶりに思い出したよ」

 「『スティル・クレイジー』(ブライアン・ギブソン監督)は、『これがロック版フルモンティだ!』という宣伝文句が気に入らなかった。それでも巧みな配役につられて観てしまった。予想通り、イギリスの深刻な失業問題を背景にした辛らつなコメディの『フル・モンティ』とはかなり違う作品だったが、メンバーが個性的で意外に面白かった」「1977年、ウィズベックの野外ロック・コンサートで解散したストレンジ・フルーツのバラバラになったメンバーが集まり、バンドを再結成するという実際にも良くある話なのだが、反目しながらまとまっていく過程が、軽妙な会話で巧みに盛り上げられる。そしてお決まりの結末に感動した」

 「期待していないと、妙に点が甘くなりがちだが、平均点は超えていると思う。個性的だが社会性に乏しい中年男たちを、女性のカレンが引っ張っていくという設定が、『ロック=男性』となりがちなこの種の作品を豊かにしている」「懐かしい70年風の曲がオリジナルだというのもうれしい。吹き替えなしの歌も迫力があった。そして、最初は死んだと思わせられたブライアンは、後半さっそうと登場し美味しいところをさらってしまった。さすがブルース・ロビンソンである」

 「『カリスマ』は、黒沢清監督が『CURE キュア』をさらに深化させてつくりあげた独自の映像世界。登場人物の輪郭も物語の因果関係もつかめないが、底知れぬ不安な緊張が持続する」「生々しさと神秘性が拮抗する真似のできない境地。世界の最高水準に立つ掛け値なしの傑作だろう」「救済も魂のせつなさも奪われてしまった後の乾き切ったタルコフスキーの映画ようだ」「ちょっと違う気もするけれど。映像の強度は似ているかもしれない」

 「自らが生きるために毒素を出し、周りの木々を枯らしている『カリスマ』と呼ばれる木。森の生態系を守るために『カリスマ』を排除すべきか、『カリスマ』も自然の一部として受け入れるのか。『カリスマ』も森も一度絶滅させるべきなのか。周りに悪影響を与える個性的な個人と社会の関係のメタファーであることは、容易に理解できる」「しかし、この作品の魅力は、そのテーマ性にはない。そのテーマの下で動き回る人間たちの、不吉で不気味なリアリティこそが卓越している」

 「『オーディション』(三池崇史監督)も、傑作。美術は現代的だが、女性の男性への『怨み』というホラーの古典を踏まえた作品。村上龍の小説もかなり怖かったが、三池崇史監督は映画の技法を最大限に生かして極上のサイコホラーを生み出した」「小手先のこけおどしではない。『キリキリ、キリキリ』。怖い上に『痛み』を感じさせる表現が貴重だ。『ヘルレイザー』とはまた違った種類の痛覚を刺激された」「切れの良い、勢いのある編集で、たっぷりと恐怖を堪能できる」

 「ちょっと身勝手な中年男性・青山重治を演じた石橋凌が良い味を出している。息子の青山重彦役沢木哲は、なかなかすがすがしい。舌と足首を切られて飼育されている柴田役の大杉漣にも拍手」「そして『言葉なんか嘘だけど、痛みだけは信じられる』『うんと辛い目に合ったときだけ、自分の心の形がわかる』と言いながら、嬉しそうに注射を打ち、針を刺し、足首を切り落とす美女。幼児虐待の深いトラウマを抱えている山崎麻実を演じ切った椎名英姫こそ、高く評価されなければならない」

 「TVとも連動した飯田譲治監督の『アナザヘヴン』。殺人後、脳を取り出してシチューやカルボナーラなどに料理する猟奇的な事件が続発する。首が折られていたことから大男の犯行とみられたが、料理やその他の証拠は女性の犯行を予想させた。そして、失踪していた女子大生がセクシーに男たちを誘惑し、『悪意』が男に乗り移る。刑事は失踪した場所・美術館の頭が欠けたアポロの像の前で推理する。ここまでは、なかなか緊張感のある展開だった。しかし、前作『らせん』と同じように、後半に入ると失速していく。観念的な説明が強くなると魅力が半減する」

 「時間をさかのぼって『天』から降りてきた『悪意』なのに、脳が拒否反応を起こした腫瘍を作るのか。何故水の形態を取って、わざわざ皮膚から入り込むのか。そんな存在なら宇宙生物にした方が、まだスッキリするだろう」「善良な人間の犠牲的な行為により『悪意』は滅びるという結末もありきたり。とりわけラストの早瀬マナブの演説は、噴飯ものだ。高尚なことを喋らせたくなる飯田譲治監督の悪い癖だろう。岡元夕紀子、松雪泰子、市川実和子の熱演に水をさす結果になった」

 「『発狂する唇』(佐々木浩久監督)は、なんともいかがわしい。内容が決まる前に決定していたという『発狂する唇』という題名からして、かなりいい加減」「全編通じて、とんでもなく無責任なエロ・グロ・ナンセンス&アクション映画。神経を逆撫でするようなシーンが畳み掛けるように続く」「父が死刑になり、兄も女子高生連続殺人事件の容疑者として追われている家族。マスコミ、近隣住民、 刑事から嫌がらせを受けている。なんともシリアスな設定。しかし突然三輪ひとみが歌謡曲を歌い、霊能力者が家に現われたあたりから、すべてが狂い始める」「刺激的で面白ければそれでいいという佐々木浩久監督の信念が貫かれている。ただ、ストーリーは猛烈に過激だが、興行的な配慮などから過剰な表現は巧みに避けている。その冷静さが、この作品からカルト的なパワーを奪っているのは否定できない」「監督自らが『60点の出来。小さくまとめ過ぎた』と語っているので、次回作に期待したい」「『発狂する唇2』かな」

 「この作品の前半は美少女アイドルいたぶり。その点、三輪ひとみは格好の対象だろう。手から血を流して包帯するシーン、家族の悲劇に苦悩するシーン、母親や姉に押さえられて死体に犯されるシーン、なかなかのサービス精神である」「そして後半、彼女が連続殺人事件の真犯人であることが明かされる。追ってきた遺族たちをカンフー・アクションで倒しながら、愛しあっていた兄とともに殺される。この大どんでん返しには空いた口がふさがなかった。それにしても、演技は下手でも三輪ひとみのひたむきな姿勢は魅力的だった」「阿部寛、大杉漣らの怪演も華を添えている。特に大杉漣は目が点になった」

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 「アメリカン・ショート・ショート・フィルム・フェスティバル2000・札幌の前夜祭が、2000年6月8日にイベント・スペース・EDITで行われ、映像製作を志す若者を中心に盛り上がりをみせた。わずか55秒の切れの鋭い一発コメディ『Devil Doll』(Jarl Olsen監督)でスタートした前夜祭は、ゼネラル・プロデューサーの別所哲也さん、映画監督の塚本晋也さんをはじめ、マイケル・アリアスさん、森本晃司さんら豪華ゲストのあいさつが続いた。そして、挨拶の合間に優れたショートフィルム映像の上映が詰まった密度の濃い構成で、9日からの連続上映に期待が高まった」

 「別所哲也さんは『映画は長さではないと端的に教えてくれたのがショート・フイルム。直球型で、監督の思いやスタイル、テーマがまっすぐに伝わってくる。それが魅力。その感動を多くの皆さんと共有したい』と、映画祭への熱い思いを語りました。塚本晋也監督は『一番最初に10分間の8ミリ作品〈原始さん〉をつくった。トンチな映画。怪獣を作れなかったので原始人にした。ビルを壊し東京を自然に戻してアメリカの都市を壊しにいくという14歳の時のテーマは、今と同じ。処女作にはすべてが入っているというが、本当にすべてが入っている。短いものは大切だなと思う』と、ユーモアたっぷりに話し、会場は爆笑の連続だったね」「死と暴力を執拗に描きつづける監督とは思えなかった」「その落差が面白い」

 「10日のスペシャル・プログラムでは、普段なかなか見ることのできない多彩な作品が公開された。札幌のインディーズからスタート。『Moment』(関原裕司監督)が叙情あふれる巧みな構成。才能を感じたが、ラストシーンは蛇足。紋切り型のまとめをしない抑制が、作品の深みにつながる」「『Fight it out in front of the GOD』(古幡靖監督)は、相撲をデジタル処理したもの。安定した仕上がりだが、インパクトは乏しい。オリジナル・キャラクターによるTV・CMシリーズを再編集した『Little Terra』(Wilson Tang監督)は、あらためてフル3Dコマーシャルの先駆性を確かめることができた」

 「プロダクションIGの3DCGショートストーリー・シリーズ『DIGITALS』は、4作品を上映。『LOOP』(菅原正監督)と『FRIENDS』(菅原正監督)は、簡略化したキャラクターが、豊かな表情を見せる。『HEART EATER』(荒川真嗣監督)は、どきりとするホラー。『WING'S TREE』(竹内敦志監督)は、メルヘン的な、しかし斬新なアイデアの感動作。どの作品からも果敢に模索する息づかいが伝わってくる。『Michael Arias(マイケル・アリアス)作品集』には、驚かされた。タイトルバック『M・バタフライ』(1993年、クローネンバーグ監督)、アミューズメント用、パフォーマンス用のCG作品。時代を切り開いていった映像に深い感動を覚えた」

 「『森本晃司作品集』も、TVアニメ、MTV、ミュージック・クリップ、GLAY『サバイバル』のビデオ・シングル・アニメーションと多分野にわたる。爽快なテンポと皮肉なアイデア。爆発的に膨らむ構想力には非凡なものがある」「彼が所属するスタジオ4℃のオムニバスCG作品『デジタル・ジュース』も興味深い。『月夜の晩に』(柳沼和良監督)は、メルヘン的なかわいらしいが映像の隅々にまで浸透している。『チキン保険に加入ください』(安藤裕章監督)は、テンポの早いアメリカ・アニメのテイストを目指したもの。手法的にはなかなか凝っていた。そして『圭角』(小原秀一監督)。日本的な感覚と現代的な美意識が混合され、ユニークな味わいが楽しめた。名前などのタイトルを刀に見立てたアイデアは切れ味が良かった」「『空中居酒屋』(森本晃司監督)は3Dバーチャル空間で、居酒屋の酔った人間が醸し出す猥雑感を表現しようとした時代を三歩も進んだ作品。場面の切り替えなどのカメラワークにぞくぞくした」

 「『普通サイズの怪人』(塚本晋也監督)は、『鉄男』のもとになったエポックメイキングな作品。やや説明的なほかは、ストーリーの骨格も同じで、本当に『鉄男』のミニ版だった」「監督の『偏執性』と『編集性』が、しっかりと焼き付いた映像の力強さに圧倒された」

 「まずAプログラム10作品から。『Cruel, Cruel Love』(George Nichols監督、1914)は、チャップリン主演作。まさに黎明期のパワー炸裂。足の裏がキャラクターの『Stubble Trouble』(Philip Holahan監督)は、あまり笑えないコメディ。伊比恵子監督の『The Personals』は、人生の深さと広がりを描きながら軽やかさを保っている。長さだけでなく、質的にも群を抜いていた。『The Blue Shoe』(Peter Reynolds監督)は、放浪する一足の靴のアニメ。寓話風ほのぼの系の仕上がり。『Making Change』(Georgia Irwin監督)は、旅行中に少女に全財産をすられてしまった青年のてん末。青春映画の一場面のようだ」

 「『Seventeen Seconds to Sophie』(Bill Cote監督)は、妻の懐妊から出産までを毎日撮影しつづけた労作。電子レンジ風の自らをちゃかした終わり方がいい。『A Brief Inquiry into the Origins of War』(Philip Farba監督)は、子供が浮かべるおもちゃの船を老人が沈めてしまうという意外性のドラマ。『Shattered』(Charles Weingarten監督)は、心に痛みを覚える佳品。子供の前に、ホームレス風の笛吹きが現れ、繊細なガラス細工を渡すが...」「『Big City』(Ed Bell監督)は、ラップのリズムに乗せて描くアニメ。抜群に軽快。ホラー風の始まりの『Mass Transit』(Michael Goetz監督)は、カップルにしつこくつきまとう老人が意外な事実を明かす。ホラーと思わせて社会派作品のラスト」

 「Bプログラムは、胸にこたえる作品が多かった。『The Great Train Robbery』 (Edwin S.Porter監督、1903)は、エジソン社の制作による初めて筋立てを持った映画『大列車強盗』。最初のストーリーものが血なまぐさい強盗ものとは。銃撃戦の迫力は本当みたいに見えた」「『To Build A Better Mousetrap』(Christopher Leons監督)は、究極のネズミ取り機のコマーシャル。アメリカらしい、アクの強いブラックな味。『Red Ribbon』(Elisabeth Lochen監督)は、ナチス・ドイツの非情な人口増加策を描いたもの。書類の手違いによって繁殖を任務とする兵士に少女が犯され、少女は自殺する。兵士は母親に対して任務を果たそうとする。救いがない暗さ」「20ドルでつくった『Elevator World』(Mitchell Rose監督)。密室の美しき秩序。エレベーターをめぐるクスクス笑いの世界。『Razor's Edge』(Lorenzo Benedick監督)は、ブラックすぎる死刑囚もの。後味はすこぶる悪い」

 「『A Domestic Incident』(Chris Harwood監督)は、幸せなカップルが夫の嫉妬で思わぬ悲劇を生む。オチがない重苦しさ。『More』(Mark Osborne監督)は、手の込んだクレイアートを生かしたアニメーション。アイデアはそれほど斬新ではないが、映像に力がある。観客を少し騙して、ほんわりと終るドラマ『From the Top of the Key』(Jim Fleigner監督)。アメリカの現実というところか。『Avenue Amy』(Joan Raspo監督)は、実写フイルムに強いエフェクトをかけたような不思議なアニメ。ただそれだけ」「マーティン・スコセッシ監督の実験フィルム『The Big Shave』(Martin Scorsese監督)。黙々とヒゲを剃るうちに血まみれになるというストーリーだが、監督の血なまぐさい作品を連想させた。短いながら盛り上げていく手さばきはさすが」

 「Xプログラム9作品には、ひとつおまけがついた。『Rupture』 (Pierre Etaix監督、フランス)は、1961年の作品。失恋した男が手紙を書こうとするが、何もかもがうまくいかない。最後には、自分が窓の外へ。悲しきどたばた・コメディ。『ESN』 (Simon Edwards監督、イギリス)は重い。射殺事件の現場に駆けつけたTV局の報道チームは、CMの間、被害者の救急車への移動を遅らせろという指示を受ける。現場の警察も買収されている。シリアスな社会派作品だ。実験作『Artist's Dilemma 』(Roi Vaara監督、フィンランド)は、生活か芸術かの葛藤を単純に描いているように見せながら、実は世界の荒涼を見せつけているようにも思えてくる」「『Rules of Engagement 』(Jamie Goold監督、イギリス)は、予期せぬ展開のほのぼのショート。男女の他愛のない喧嘩から生まれた教訓。大道芸人の悲劇『Excesos de Ciudad 』(Jorge Luquin監督、メキシコ)は、突然の結末への運び方がにくい」

 「『The Fisherman and His Wife 』(Jochen Schliessler監督、カナダ)は、魚の視点が生かされた不思議なテイスト。どんでん返しに、かすかなユーモアがある。『 Petit Matin Sanglant』(Julien Corain監督、フランス)は、張り込み刑事の悪夢。エロティシズムが新鮮」「『Desserts 』(Jeff Stark監督、イギリス)は、ユアン・マクレガー主演。エクレアを使った一発芸が見事に決まり、余韻も格別。『Tulip 』(Rachel Griffiths監督、オーストラリア)は、突然妻を失った夫の悲しさと牛の話。これぞハートウオーミングの見本だ」「そして、札幌ではプログラムに組み込まれていなかったが、ことしのグランプリを獲得した『The Light of Darkness』(Chery Lawson監督)が急きょ追加上映された。闇の中、車を走らせていた女性は、車がガス欠で動かなくなり、朝まで待とうとする。しかし、無気味な男が近付き、窓カラスを割り、女性を車外に引きづり出す。必死に抵抗する女性。そこに強いライトが...。本格サスペンスの風格。あっと驚くどんでん返し。そして自分の偏見に満ちた予断の怖さに気付かされる」

 「『マン・オン・ザ・ムーン』(ミロシュ・フォアマン監督)は、35歳でこの世を去ったアメリカの過激な天才コメディアン・アンディ・カフマンの生涯を描いた作品。ミロシュ・フォアマン監督は、出だしからエンドタイトルを始めるというカフマン顔負けの演出を見せる。ほとんど寺山修司のノリだ。その後は、彼の成功と挫折、そして死期が近いことを自覚したカレが仕組んだ念願だったカーネギーホールの華やかなショー、そして荘厳と呼びたくなるような葬儀までを一気に見せる」「涙でスクリーンが見えなくなるほど泣いた。『グリーンマイル』(フランク・ダラボン監督)以上に涙が止まらなかった」「ラストは、一捻りして、またまたカフマンらしい終わり方だった」

 「アンディ・カフマンが、今も多くのコメディアン、俳優に影響を与え、不滅の輝きを放っているように、ジム・キャリーは、この作品とともに生き続けるに違いない。いつもの押し付けがましい演技ではなく、カフマンに内面から近付こうとする姿勢が、見違えるような名演技となって映画を輝かせている」「ともに1月17日生まれというだけでなく、二人が映画という奇跡の中で共演しているように見えた」「脇役も曲者ぞろい。多くの本人がカメオ出演して花を添えている」

 「『インサイダー』(マイケル・マン監督)は、たばこ産業が隠しているニコチン中毒に関する真実を明らかにしようとする解雇された科学者とTVディレクターの熱き男たちの物語。実話、しかも皆実名である。派手なシーンはないが、ストーリーは最後まで緊張している」「アメリカは金で真実が買える国だが、たまにこのような美談が生まれ、アメリカの株をバブル化する」「たばこ会社の脅迫にたじろき、迷い、家族を失いながらも証言するジェフリー・ワイガンドという老け役を、ラッセル・クロウが静かにしかし的確に演じている。熱血ディレクター・ローウェル・バーグマンは、アル・パチーノが最高にかっこよく再現している」「その点では見ごたえ十分だ」

 「マイケル・マンは女性が全く描けない監督だ。前作『ヒート』の女性たちは『付け足し』だったが、『インサイダー』の女性たちも『添えもの』だ。ワイガンドとバーグマンの妻は、普通の作品なら、役にかなりの重さがあるはず。しかしこの作品では、血が通った人間になっていない」「ハリウッド映画は、女性の描き方には特に敏感なはずだが、マイケル・マンは頑に男だけの美学を描きつづける。最近珍しい古いタイプの監督なのだろうか」「ここまで徹底すれば貴重な存在だ」

 「『ミッション・インポッシブル』は遠くに来たものだ。人を傷つけることなく、頭脳プレイで任務を遂行する点が爽快だった『ミッション・インポッシブル』は、『ミッション・インポッシブル』(ブライアン・デパルマ監督)でアクロバット・シーンが登場し、知的な趣を失った。そして新作『ミッション:インポッシブル2』(ジョン・ウー監督)では全編がアクションの連続。時には現実性さえもかなぐり捨ててしまう」「はっきり言ってストーリーは古臭い。それでも、冒頭からハラハラし通しで最高に楽しめる。ジョン・ウーの映像マジックに、一段と磨きがかかった。娯楽作としては、申し分のない仕上がりだ」

 「情感豊かなイーサン・ハントを演じるトム・クルーズ。前作よりも数段輝いている。セクシーで切れがあるアクション。『マグノリア』(ポール・トーマス・アンダーソン監督)での傑出した演技とは別のタレント性を発揮し、俳優としての幅と存在感を増している」「『インタビュー・ウイズ・バンパイア』(ニール・ジョーダン監督)でトム・クルーズと共演したサンディ・ニュートンは、多面性を持ったヒロインを手堅く演じた。その他の俳優も国際色豊かで、個性を競っている」「音楽も充実していて映像を引き立たせている」

 「『クロスファイア』は、『ガメラ3 邪神イリス覚醒』などのガメラ・シリーズで、新しい怪獣映画の地平を切り開いた金子修介監督だけに期待していたが、超能力者ものの新境地を開くまでには至らなかった。『ナイト・ヘッド』(飯田譲治監督)につながる異能者の苦悩を描いたものだが、矢田亜希子の演技力の限界とエンターテインメント性を追求するあまり、十分に深められていない」「一方、少年の凶悪犯罪と裏でつながる警察幹部率いる闇の殺人集団という設定もイマイチ説得力に乏しいまま終ってしまった。最近目立ち過ぎる少年法改正の感情的な流れに迎合するようなストーリーも気になった」

 「注目していたのは、念力発火能力=パイロキネシスを、どのように描くかだった。激しいアクションの特撮には迫力ある『炎』が不可欠であり、その表現は既に一定の水準にある。しかし今回は超能力による発火だけに、その新しいスタイルが見せ場となる」「アイデア次第では、クローネンバーグの『スキャナーズ』のようにその後のトレンドになる可能性もあった。現実の身体発火は、写真で見る限り身体が内側に向けて焼尽していくように崩れている。それが映像で表現できればとの思いがあったが、残念ながら火炎の派手さに頼るばかりで、うなるような表現には出会えなかった」

 「『蛇女』(清水厚監督)は、ダリオ・アルジェントほど徹底してはいないが、恐がらせてやろうという意志に支配されたスタイリッシュな映像は、観続けるうちにそれなりの効果を上げ始める」「『蛇女』という古典的な題名も、内容を考えてみればいいかげんなものだが、監督の意図は伝わってくる。怪奇の世界と呼ぶにふさわしいB級作品」「たぶん、部屋でひとりで見るべきタイプの映画だ。エリック・サティの曲『Gnossiennes』が巧みに使われている」

 「佐伯日菜子は張り切っている。新進モデル・矢野文として前半で神秘的な美しさを発散しつつ、中盤では恐怖に絶叫し、終盤に至っては感情の糸が切れた過激な演技を見せる。『催眠』『富江』の菅野美穂に迫る振幅。いや『ピノキオ ルート964』で見せたヒミコの驚愕の演技を連想させる」「夏生ゆうなもなかなか凄みがあったが、佐伯日菜子の魅力にはかなわない」

 「『大いなる幻影』(黒沢清監督)は、映画美学校の生徒たちとともに撮ったもの。2005年という近未来を舞台にしている。友人が作った音楽を売っているハルと郵便局で働いているミチの淡いラブ・ストーリー。さまざまな場面が描かれているが、それぞれをつなぐ説明はない。登場人物には厚味がなく、ストーリーにも重みがない」「『カリスマ』のような不安に満ちた緊張は乏しい。浮遊する不安を描くために、意識して弛緩しているようにさえ見える。ハルの輪郭が、ときどき薄れていく描写はお手軽な感じだ」

 「それぞれの場面は、考えてみるとなかなか面白い設定なのだが、見せ方がストレートすぎる。ミチが夢を膨らませていた海外から兵士らしい死体が海岸に流れ着き、ミチが取り乱すシーンがある。『このまま終っちゃうの』『僕がいるだろ』『どこにいるの』『ここだよ』『どこ』『僕はやっぱりどこにもいない』。二人のすれ違いを象徴する優れた場面だが、心に染みてこない」「二人が、それぞれ生殖能力が失われる危険がある花粉症の新薬のモニターになっているという設定も、監督の意図ほど新しい愛の形を突き付けてはこない。何もかもがあいまい。とらえどころのない軽い焦躁が残った」


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