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「映像がいい。音楽がいい。編集がいい。特に脚本がすばらしい。それらが一体になり全身で映画のおもしろさを堪能させ、最後に残酷な問いを観ている者に残す。『七人の侍』(黒沢明監督)は、恐ろしい映画だ。そのスケールの大きさと問いの重さで他の作品を圧倒してしまう。久々にリバイバル上映で観て、そのトゲの鋭さに驚いた。私の記憶では、痛快さ、風格だけが残っていたから」

「物語の展開からみると、最も重要なのは、菊千代が村に隠されていた鎧を見つけ、他の 侍たちに見せるシーンだろう。それが落人の侍を農民が殺して盗んだものと推測した侍た ちは、一斉に顔を曇らせる。久蔵は『この村の奴らを切りたくなった』と言い、勘兵衛さ え動揺を隠せない。侍と農民の間の深い断層が露わになるシーンだ」 「そう。ここで、農民出身の菊千代が大演説をしなければ、両者は離反した可能性もある 。菊千代は、武士と農民の境界にいるトリックスターとして、両者をつなぎ、活気づかせ る」「だから、菊千代の死は、村を去る武士のラストシーンにつながっている。農民と武 士の関係性は、歴史的であるとともに、普遍的なテーマでもあるよね」

「波が二人の心理を表現する−。『あの夏、いちばん静かな海』(北野武監督)は、淀川 さん好みの叙情的な作品だ。いつもながら、無言で歩く場面もうまい。物語はラスト10 分間に向けて、緩やかに盛り上がっていく」「成功作だとは思うが、観客を甘く見ている ように感じるシーンもあったよ。いずれにしても、テレビがお笑いで活性化し活性化した ように、映画界も竹中直人や北野武らが新しい風を運んで来たことは確かだ」

『Cジャック』(当摩寿史監督)は、第一作としてはセンス良くまとまっていた。しか し、日本の混沌、多国籍化を描いたわりには、いま一つ新鮮さが感じられない。混沌をま るごと抱え込み独自な美意識で描ききった『ロビンソンの庭』(山本政志監督)の方が、今も新しい」

「超エリートが記憶を失い挫折し、やがて新しい自分と家族愛を発見していく。ハリソン ・フォード主演の『心の旅』(マイク・ニコルズ監督)は、映像は丁寧で脚本も巧みだが、深みはない。音楽だけは心に染みてきたが」

「最近はコミックの映画化が多いね。『ロケッティア』(ジョー・ジョンストン監督)も、その一本。南洋クラブのアー ル・デコ調の美術は、青と白を基調にしていて、『ネイキッド・タンゴ』(レナード・シュレーダー監督)の頽廃的な赤と 黒を基調にしたタンゴ・バーとともに、感心した。でも、そのほかはパターンから脱して いない。ジェニファ−・コネリーも『ホット・スポット』ほど輝いていない。たまに宮崎 駿アニメの飛翔感を連想させるシーンもあるが、緊密さがまるで違う」

「『ホーム・アローン』とともに、子役のうまさが傑出しているのが『カーリー・スー』(ジョン・ヒューズ監督) 。選択縁での新しい家族像をさりげなく提示した点も評価したい。91年は、ジュリア・ ロバーツが『プリティ・ウーマン』『愛がこわれる時』『フラット・ライナーズ』と、さ まざまな役を演じて話題となったが、ケリー・リンチも多彩な役をこなしている。ここで は『逃亡者』とは対照的な弁護士役を好演した」

『モブスターズ』(カーベルニコフ監督)は、青春+ギャング映画。荒さはあるが、第 一作でこれだけの内容をテンポ良く2時間にまとめた力量は、認めなければならない。も ちろん、『ミラーズ・クロッシング』のような独自性や風格は期待しがたいが」 「デミ・ムーアが、ダリル・ハンナしているのが『夢の降る街』(テリー・ヒューズ監督)。甘いラブ・ストーリーだ が、細部に気を配っている分、『ゴースト ニューヨークの幻』よりも好感が持てる」

『デリカテッセン』(ジャン・ピエール・ジュネ、マルク・キャロ監督)は、通好みのブラック・コメディ。カニバリズムを中心に据えなが ら、ラストのチェロとミュージカル・ソー(のこぎり)の合奏シーンでは、ほのぼのとし てしまう。グロテスクさを意識的にひかえ、その分多彩な機知のスパイスをたっぷりと振りかけていた」


 

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「ピーター・グリーナウェイ監督の最新作『プロスペローの本』は、映像のめくるめく百科全 書だった。グリーナウェイの圧倒的な幻想力と最新のテクノロジーが、全く新しい映画の 可能性を切り開いた。そこに盛り込まれた情報量の膨大さに、一度観ただけでは、けっし て追いつけない。幾度も幾度も観るべき映画として、この作品は創られている」

「浅田彰氏は『グーテンベルク以前の装飾写本は、イルミネーテッド・ブックという名の 通り、多彩なイルミネーションによって読者の感覚を包み込む多次元の小宇宙だった。活 字文化によって抑圧されてきたそういう世界が、エレクトロニクスによって復活するかも しれない。このマクルーハンの予言を実現したのが『プロスペローの本』だと思います。 舞台としてはあまりにも冷やかなシェイクスピアの最後の夢とそこからの覚醒が、初めて 完全に実現したと言えるでしょう』と絶賛していたね」

「そう、この作品はシェイクスピアの最後の戯曲『テンペスト』をもとに、裏切られて孤 島に流されたプロスペローの復讐劇として構成されている。登場人物の多くは、魔術によ って生み出された妖精が変身したもの。そのため、冒頭に登場する天使エアリエルと、奴 隷キャリバン以外は、あまり存在感がない」

「200人近い登場人物が、ほとんど裸体。あらゆる状態の肉体が登場する肉体の百科全 書でもある。これほど全編にわたりおおぜいの裸者が踊り、群れる作品は例がないだろう 。にもかかわらず、セクシャルな感じを与えない」「グリーナウェイは、裸体とセクシャ リティを常に短絡させることの狭さを指摘していた」「それにしても、肉体としての厚み や実感が乏しすぎると思う」

「周防正行監督の『シコふんじゃった』は、肉体と肉体が激しくぶつかり合う学生相撲を テーマにした映画。若貴ブームのはるか以前から相撲に注目したセンスはさすがだ」「ス トーリーは、小津流の映像でパンクな坊さんを描いた『ファンシー・ダンス』以上に洗練 されている。女性が土俵に上って相撲してしまったり、キリスト者が十字を切ったり、民 放テレビ局が取材したりと、現在の閉鎖的な国技相撲を解き放とうとした、さまざまな狙 いも成功したと思う」「竹中直人は、土俵に上がると緊張して下痢になる古株を、マンガ チックに好演した」

「おそらく、『ケープ・フィアー』は92年正月に最も注目された映画だ。スコセッシ監 督、デ・ニーロ主演だけに、力を入れて観たが『猫だまし』のような作品だった。『グッ ドフェローズ』で見せた、風格ある映像と新鮮な実験の見事な融合は、どこに行ってしま ったのだろう」


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「泉鏡花原作の映画は結構多いけれど、卓越しているのは鈴木清順監督の作品『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』だ。『ツィゴイネルワイゼン』のレコードと『陽炎座』のほおずきは鮮烈だった。この2作の耽美な美しさは他を圧している。一方、篠田正浩監督が板東玉三郎主演で映画化した『夜又ケ池』は、無残な出来だった。その板東氏の初監督作品が泉鏡花原作の『外科室』。泉鏡花23歳 の小品で、耽美的な真珠のように静かに愛されてきたと思う」「伯爵夫人と若き医師の明 治時代的な悲恋。板東監督は、小石川植物園の枝垂れ桜と無機質な手術室を対比させなが ら至上の愛を描いていく」

「胸の手術のため麻酔をかけられようとした夫人は『私はね、心に一つ秘密がある。麻酔 薬はうわ言を申すから、それが恐くてなりません』と麻酔を拒否する。医師が麻酔なしで 切開を始めると、夫人がはね起き、メスに手を添えて胸を深く切り裂き絶命する。そして 同日、医師も後を追う。いかにも大時代的な話だよ」「小説ではメスが骨まで達すると、か なり迫力あるけれども、映画の描写は薄皮を切った瞬間に夫人がメスを胸に抱きしめるだ け。そのために、麻酔なしの手術の痛みが、観る者に伝わる間もなく場面が変わってしま う」「板東氏は、セクシャルな意味を込めたと言っていたが、迫力不足だ。これが、鈴木 清順監督なら、思いっきり派手に演出しただろう」

「34年に29歳の若さで他界したジャン・ヴィゴ監督の遺作『アタラント号』が、近年になって復元され、やっと札幌でも公開された。アトランタ号の中で繰り広げられる若い男女の恋の物語。つまり、水の上で、水の中で二人は愛し合う。映像の技術はさすがに古さを感じさせるところもあるが、たゆたう二人の姿を追うポエジーは新鮮さを失っていないと感じた」「私は、二人よりもジュール親爺のシュールさに魅かれた。自らの身体全体にポルノチックな刺青をしたり、友人の形見としてアルコール漬けにした手を保存していたり、その他さまざまな道具が部屋中にあふれている」「僕も、酒に酔ってドンチャン騒 ぎするこの親爺、すきだよ」

「ミシェル・ドヴィル監督の『真夜中の恋愛論』は、いかにもフランス的な会話中心の恋 愛劇。前作の『読書する女』は、ファッションや音楽が次々に変化し、それが朗読という 仕事と絶妙に調和していた。今回は、男女二人の肉体を素材に、身体のフォルムの変化と 会話を組み合わせて『愛の押しくら饅頭』を展開する」「映画は、セックスの後から始ま り、恋の誕生で終わる。フランス映画だよね」

「ケネス・ブラナーは、かなり期待が持てる監督だ。『愛と死の間で』は、ヒッチコック 並みのトリックを生かした秀作。久々にだまされる快感に浸ることができた」「ただ、良 く考えるとハッピー・エンドではないんだよね。死んだ犯人が、次に生まれ変わるとした ら」「終わりはないんだ」

『恋のためらい』(ゲーリー・マーシャル監督)は、中年の恋の物語。細部にさまざま な工夫が施されているが、お決まりの結末がさみしい」「若いアベックたちは、ひとごと のように笑っていたけれども、私はもう笑えなかった」「身につまされる年齢になったと いうことかい」


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『魚からダイオキシン』(宇崎竜童監督)は、まぎれもなくロッカー・内田裕也の映画 だった。虚飾を脱ぎ捨て、ベーシックで単純な基盤に立ち返る姿勢。身体を前面に打ち出 して主張する、いつもの裕也流の展開だ」「愚直なまでに70年代の感性で90年代に対 峙しようとしている。その決意は痛いほど分かる。しかし、ストーリーまで『餌食』(若 松孝二監督、79年)と酷似しているのは、いただけないな」「前半は、『コミック雑誌 なんかいらない』のノリ、後半は『餌食』の二番煎じ。ただし、新たに溝渕美保、本木雅 弘、佐藤慶を配し、奥行きは持たせている」

「新人の溝渕は、未熟ながら可能性を感じさせる。モッくんは『シコふんじゃった』とは 一味違う鉱物的な青年を好演したが、ラストで裕也ペースにハマってしまったのは残念 だ」「佐藤慶の演技は、60年代の大島渚を思い出したよ」

「内田裕也の東京都知事選出馬を、どう料理するのか注目していたが、借金をつくってア メリカに逃げ、その後売れずに帰ってくるという形でしっかり相対化していた」「意識的 に、自分を茶化していたね」「それはそれで、見事な位置づけだが、政見放送でみせた東 郷健以上の卓抜なパフォーマンスを、十分に生かしきれなかったのは物足りなかった」

「感心したのは、イラクに単身乗り込んだアントニオ猪木が、都知事選では出馬を断念し たのに対して、そのアンチテーゼとしてクルドの音楽を持ってきた点だ。国を持たず、抑 圧されつづけているクルドの地平に立って中東を観ること。その感性は高く評価されてい い」

「それに比べて、魚を持って裸身をさらす裕也は、安易なこけおどしにみえる」「事故を 茶化しているのではないかな」「そうとは思えない。90年代の虚ろさや、事故の惨めさ に、もっとおびえなけれどならない」「しかし、裕也から虚勢を除くと、その魅力は半減 する」「内田裕也の毒は、まさに一服の清涼剤だ。ただ、私たちの周囲の毒があまりにも 強力で複雑なので、裕也の毒は薬にならない」

「コーエン兄弟の新作『バートン・フィンク』は、暑さで剥がれるホテルの壁紙のように 、私たちの意識から何ものかを剥がす。その手つきは、いかにも上品だが、相当に意地が 悪い」「1941年開戦間際のハリウッド。平凡な人々の生活のなかにこそ真実があると 主張するユダヤ人作家が、日常性に潜む底無しの狂気に巻き込まれていく。静かに、しか し癒しようもなく深く」「虚無と狂乱の、きしむベットの上での出会いだ」

 「まさに、映画を観たと、全身で感じつつ、その喜びをうまく表現できない。カンヌ映 画祭で初の三冠受賞に輝いたのは、これまでにない色調、センスに出会った人々の、正直 な判断だと言えるだろう」「『ミラーズ・クロッシング』のクールな作風に感嘆した人は 、この作品の『夏の耳だれ』のような悪意に驚いたはずだよ」

   「ルドガー・ハウアー主演の『ウェドロック』(ルイス・ティーグ監督)は、近未来SFのB級映画だが、ストーリ ーのうまさで、十分に楽しめた」「ハウアーは、『ムーンリットナイト』のエイズを患っ た新聞記者役よりも、脱獄する囚人の方がハマリ役だね」


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「大きな期待を持って完成を待ち続けてきた2つの作品が公開された。ヴィム・ヴェンダ ース監督の『夢の涯までも』とレオン・カラックス監督の『ポンヌフの恋人』。期待は満 たされなかった。しかし、両監督の映像的な魅力と切実なメッセージが、私に『失敗作』 と断言させることを許さない。今も、名状しがたい感慨の中で取り残されている」「今、 映画を観るということは、そういうことなのかもしれないね」

「『夢の涯までも』は、世界滅亡の危機が迫るという状況下で、自分の夢を映像化すると いうアイデアと得意のロード・ムービー=ラブ・ストーリーを組み合わせている。構想1 3年というだけあって、ストーリーは、熟考されすぎるくらいに練られている。映像的に もヴェンダース映画の集大成といえるだろう」「ストーリーに、あまりにも多くを取り込 みすぎている。このスケールなら、4、5時間の大作にならなければ嘘なのに、2時間4 0分に圧縮したため、表面をなぞる中途半端な展開になった。特に、後半はヤケになって カットしたとしか思えない」

「人と人の距離感、そこから生まれる痛みの感覚、それを大切にし、低めの体温で描かれ るロード・ムービーのあいまいさは、冷静さと優しさの魅力に満ちていた。しかし、この 作品のあいまいさは、心ならずもズタズタにカットしなければならなかった状況から生ま れたものだろう」「映像を追求してきたヴェンダースが、映像のナルシシズム性を鋭く批 判する誠実さは、理解できる。しかし、そこからの抜け道を『物語』に求めるのは間違っ ていると思う」 

「『ポンヌフの恋人』は、度重なる中断と膨れ上がった制作費によって、一時は完成が絶 望視され『呪われた映画』とさえ呼ばれていた。完成したのは奇跡に等しい」「カラック スの映画の主人公は、いつも逸脱者、社会的なアウトサイダーだ。映像の基調は黒。そこ に鮮烈な色彩が踊る。今回も膨大な花火のシーン、水上スキー、火吹きの大道芸など、独 特な映像が堪能できた。特に海の空撮は天才的だ」「一方、浮浪する人々を見つめる眼の 低さ。めくるめく映像と目線の低さが絶妙に響き合ってカラックス映画が生まれる」

「しかし、愛情表現があまりにもストレートすぎる。とりわけ、ラストの『目覚めよ!パ リ』に象徴される根拠のないハッピーエンドは評価できないな」「これは、絶望の裏返し の表現じゃないの」「いや、一種の衰弱だと思う。アウトサイダーに、現実的な希望など ない。ますます排除されていく。そのことを冷静に示すだけでいい」

『ジャングル・フィーバー』は、スパイク・リー監督の最高傑作だ。重いテーマを、思 わず苦笑してしまう露骨な会話をまじえながら、辛いユーモアで包んでいる」「リー監督 は、交錯する差別を描いてきたが、今回はその絶望的ともいえる重層性を凝視し続け、け っして眼をそらしていない。映像と音楽の駆け引きも快感だった」

「バリー・ソンネンフェルド監督のデビュー作『アダムス・ファミリー』は、予告編の期 待を裏切らない見事なホラー・コメディだった」「アダムス・マンションのゴシック的な デザインと、会話の妙は特筆に値する。キャスティングでは、とりわけアンジェリカ・ヒ ューストンが出色。他の人々も捨てがたい味わいを出していた」「アクの強いブラック・ ユーモアの連続も、ラストはお決まりの家族愛。最近の手放しでの家族賛美には閉口して いるけれど、これだけ毒を楽しませてもらったので、今回は許そうという気になる」


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「冬の夜の同時刻、地球上の5つの都市で5人のタクシードライバーを中心に繰り広げら れる5話の物語。ジム・ジャームッシュ監督の新作『ナイト・オン・ザ・プラネット』は 、ユニークな構成の映画だ。これまでの延長線上にありながら、観客を楽しませることに 配慮した監督の成熟が感じられた」

「なかなかの佳品だ。第1話はウィノナ・ライダーが名優ジーナ・ローランズを食うほど に熱演。第2話は異国人の間の深刻な、それでいてメチャおかしい漫才。カトちゃん・ケ ンちゃんのタクシーコントを洗練させると、この水準になる。第3話は視覚障害者役のベ アトリス・ダルの毒気に満ちた演技に拍手。第4話は最もパワフルな一編で、久々に涙を 流して笑い転げた。かぼちゃと羊を観る眼が変わる。第5話は雪のヘルシンキで冷え冷え と終わる」「全編、音のかぶせ方が心地よく、トム・ウェイツの歌もいい」

「マルグリット・デュラス原作、ジャン=ジャック・アノー監督の『愛人(ラ・マン)』 は、2つの異質な個性がぶつかり合いながら、基本的にはアノー的な構築製に貫かれた作 品となった」「1920年代後半のベトナムの雰囲気をつくり上げたアノーの力量には、 敬服する。一つ間違えば『エマニュエル夫人』のような差別描写が登場しがちだが、さす がに巧くかわしている」「この作品でデビューしたジェーン・マーチの鳥のような演技は 、大器を予感させる。イザベル・アジャーニとマチルダ・メイを足して2で割ったような 表情。両者の毒を受け継いでいる」

「ジョン・マクノートン監督の幻のデビュー作『ヘンリー』(86年)が、やっと一般公 開された。300人以上の女性を殺したといわれている実在の人物ヘンリー・リー・ルー カスを主人公にしている。冒頭、惨殺された女性のシーンが映し出され、猟奇的な展開を みせるかと思ったが、その後は全く違った。通常、この手の映画は、被害者の側に立つか 、殺人者の側に立つか、視点を選択している。そして最低限、殺人の動機を説明しようと する」

「大量殺人が起きると、人々は動機を求めるが、それはフィクションに過ぎないこ とが多いのではないか。マクノートン監督は、その点明晰だ。殺人者とも被害者とも距離 を置き、説明なく殺人のリアルな質感を映像化していた」「ただ、人間の首は、あんなに 簡単に折れるものなのだろうか」

「カルト・ムービー『ピノキオ ルート964』(福居ジョウジン監督)は、悪意と汚物 に満ちたパワフルな作品だった。しかし凄まじいパワーを放つ『鉄男』(塚本晋也監督)のエネルギーと時代への決意には、遠く及ばない。塚本晋也監督がはっきりと世界に挑戦状をたたき付け、破壊と変身を肯定しているのに比べ、幼稚なコメディに逃げ込んでいるのが気になった」「狂気に 陥り、ゲロを吐きつづけるヒミコ役の女性の演技には、頭が下がる。演技という領域を超 えたという点では、『マンホールの中の人魚』(日野比出志監督)で生きながら腐っていく人魚役を連想させ る」

「さて、7年間自主上映を続けてきた『イメージ・ガレリオ』が、35ミリ作品を中心に したミニ・シアターとして再出発することになった。5月24日の『ラストショー』最終 日には、8ミリの名作4編が上映された。桜井篤史監督『High−High』の編集テクニックの快感、平野勝之監督『人間らっこ対かっぱ』のあまりのバカバカシイへの共感、風間志織監督『メロデ』の砂糖菓子のようにデリケートな質感。そして山田勇男監督『青き零年』の才気に満ちたプライベート映画の可能性への予感が忘れがたい。淡くたゆたう映像が魅力的。寺山修司への切実なオマージュにもなっていた」「それぞれに捨てがたいけれども、『青き零年』と『メロデ』が最も好きだな」


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『ひかりごけ』(熊井啓監督)が公開された。まずは、戦後日本文学の頂点に位置する 小説を映画化した志の高さを評価したい。人肉食というタブーの無根拠性とそのタブーに 縛られる人間の、どうしようもない苦悩。戦争と人肉食を重ね合わせる形で、人間の共犯 性を鋭く告発するという重層的なテーマを、パロディ化して描いた小説を読んだとき、武 田泰淳に内臓を優しく握られたような感動を味わったことを思い出す」

『千利休−本覚坊遺文』で、利休の死の謎に、ぎりぎりと迫った熊井監督の腕なら、洞窟内で交わされる会話の信じがたい深さに迫れるかと期待した。しかし、監督は喜劇に逃げる道を選んだ。そのために、後半の法廷劇の重みがかなり失われた」「前半を最大限シリアスに展開してこそ、法廷の茶番性が浮き彫りになる。原作の奥深い悪意が生かされた映画とは言いがたい」「泰淳と監督の資質の違いなのだろう。ラストを軽くすることで、逆に毒になりえたのに、残念だ」

「三国連太郎の人肉を食べる演技が、話題を呼んだ。遠くを見つめ無表情に口を動かす。 たしかに考え抜かれた演技だが、苦悩と快楽の微妙な相互転換にまで踏み込んでほしかっ た」「初めての犠牲者・五助は、背中の肉を生で食べられるが、私ならロースよりもヒレ から食べるな、と思いながら観たよ」

「新藤兼人監督の『墨東綺譚』も期待した割りには、永井荷風の日記をもとにあまりにも ストレートに描いていて、やや物足りない」「『北斎漫画』のような秀抜なひねりとパワ ーがほしかった。80歳になる新藤監督は、自分と荷風を重ね合わせすぎたのかもしれな い」「墨田ユキは前半輝きをみせたものの、山口百恵の『夜へ』を効果的に使った傑作『ラブホテル』(相米慎二監督)の速水典子の ように最後まで魅せる力を持っていなかった。津川雅彦はカツ丼を食べるシーンの演技力 だけが印象に残った」「むしろ、当時の雰囲気を再現した美術スタッフに拍手を送りたい と思う」

『トータル・リコール』で圧倒的な力量を発揮したポール・バーホーベン監督の 『氷の微笑』は、畳みかける展開で一気にみせた。しかし、『トータル・リコール』のような徹底したアクションの連続ではなく、サイコ・スリラーとしては『羊たちの沈黙』のように 心理のヒダに入り込んでいくわけでもない」「シャロン・ストーンは、もっと屈折した悪 女の美しさを出せた。マイケル・ダグラスも自分の中に潜む殺人の快感ともっと向き合う べきだ」「ラストの白々しさは、本当の悪女ならけっしてあり得ない。『トータル・リコ ール』でもそうだったけれど、バーホーベン監督の欠点は結末の甘さだ」

  「ソダーバーグ監督の新作『カフカ−迷宮の悪夢』は、前作『セックスと嘘とビデオテー プ』とは全く別な方向から、しかし同じく人間のコミュニケーションをテーマにした作品 だ。1920年代映画へのオマージュともなっている」「白黒の映画を観るには、今の映 画館は明るすぎる。そのために、プラハの雰囲気が十分に伝わってこない」「だが、カフ カを取り上げた意味は、十二分に分かる。マッド・サイエンティストのムルナゥ博士は、 カフカを『近代化の旗手』と呼んだ。正解だ。孤独と共同体の境界に生きたカフカは、世 紀末に再度注目されるだろう」

「デビット・リンチ監督の『ツイン・ピークス−ローラ・パーマー最後の7日間』は、難 解なのではなく、観客をおちょくった作品。単なるおフザケの犯人探しで、序章の張りつ めた映像美が、完全に失われている」「ラストに天使まで登場するポリシーのなさは、さ すがにリンチらしかったけれども」


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「クローネンバーグ監督の生み出す怪物たちの造形は、ただならぬものがある。ゴキブリ とタイプライターが合体し、背中の肛門がしゃべるバグライター、頭に乳房がある痩せた 剥き出しの雌牛と人間が合体したマグワンプ」「『裸のランチ』は、『ブルード』『ビデオドローム』ら、独特な内臓感覚に貫かれた作品の延長線上にありながら、幻想の質において一歩抜きんでている」

「映画化に当たっては、バロウズが妻殺しを契機に作家となり、麻薬中毒の現状報告書と して『裸のランチ』が書かれたというクローネンバークのバロウズ解釈が基本になってい る」「その解釈は明晰すぎて、かえってつまらなくないかい」「そう。むしろ言葉では説 明しがたい怪物たちの方が、バロウズの世界に近いと思う」

「シャカシャカ、シャカシャカ。足内の煽情的な音が、今も耳に残っている。張芸謀監督 の『紅夢』は、屋敷に閉じ込められた女性たちの情念を描いた作品。『紅いコーリャン』 は大地に支えられた圧倒的なパワーを外に発散させ、観る者を瞠目させたけれど、『紅夢』は狂暴化し歪ん でいく女性たちの姿を、閉塞空間の中で描ききった。色彩構成とシンメトリカルな映像が、 すべてを象徴の高みへと運ぶ」「男性の女性支配を凡庸に批判しただけの映画ではない。 ただし、西洋の観客を意識しすぎているな、と感じる点もある」

「カンピオン監督『エンジェル・アット・マイ・テーブル』(ニュージ−ランド映画) には、心底驚いた。シアター・キノのオープニング上映にふさわしい衝撃力だった。ジャ ネット・フレイムの生涯のすさまじさに驚くとともに、それを淡々と描いたカンピオン監 督の力量にも感嘆した」「大きな身振りではなく、原作に忠実に沿いながら、しかも独自 の温かさと冷めた視線を持った映像。愛すべき佳品だ」

「ティム・バートン監督の『バットマン』は、ジョーカーのどぎつい悪だくみとバットマン の憂鬱が、バートンの世界を築いていた」「バートンの暗くて毒のある映画、好きなんで すよ。荒唐無稽な悪ふざけと、その中に表れる生きていく切なさ。『ビートルジュース』『シザーハンズ』は、そんな監督の個性が生かされた作品だった」

「その点、今回の『バ ットマン・リターンズ』は、後味が悪かった。悪役のペンギンとキャットウーマンとバットマンの三角関係が分かりにくい。バットマンは、ハリウッド的な恋に陥っている場合で はない」

「宮崎駿監督の新作アニメ『紅の豚』は、水準は超えているものの、傑作とは言いがたい 。ただ、主人公ポルコ・ロッソが、二人の女性に繰り返し語る言葉『いいヤツはみんな死 ぬ』は、宮崎監督の根底に流れる思いではないか」「1920年代後半という設定は、飛 行機が戦争の兵器として大量生産され、ロマンとしての飛行が終わりを迎えつつあった時 代。監督の自由に飛ぶことへの熱い思いは、稲垣足穂とも通底している」

『女殺油地獄』(五社英雄監督)は、死を意識した緊張が全編を貫き、五社の良質の美 意識が行き届いていた。前作『陽炎』は病による影響でパワー不足の感があったが、今回 は凛とした透明な張りがあった」「しかし、その分五社らしさが乏しい。現実の不純物を たっぷりと含んだケレンの魅力が薄い。以前だったら、ラストシーンは、スローモーショ ンなど使わずに、ダイナミックな見せ場に仕上げたと思う」


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「久しぶりに骨太で壮大な日本映画に出会った。『おろしや国酔夢譚』(佐藤純弥監督) は、ロシアに流れ着いた大黒屋光太夫ら日本の漂着民とロシア人との交流、そして帰国し ようとする光太夫らに立ちはだかる国家の過酷な壁を描いた大作。イルクーツクに再現し た200年前の市街建築群、当時の大型船、そして史上初めて撮影が許可されたエカテリ ーナ宮殿、それらがシベリアの大自然と相まって映画に厚みを与えている」

「物語は雄大な自然を背景に駆け足で展開していく。運命にもてあそばれる人間の内的な 苦悩や人と人の温かな出会いを描きつつも、過剰な感情移入を抑えている」「緒形拳のい つもながらの好演のほか、キリン・ラックスマン役のオレグ・ヤンコフスキーの細やかな 演技に心撃たれた。タルコフスキー監督の『ノスタルジア』でみせた繊細さとは別の科学者的明晰性を、見事に表現していた」

「国家が如何に閉じようとしても、人々は国家の壁を越えて交流する。光太夫らは帰国し たこともあり、詳細な記録が残っているが、記録には残らなくても、はるか昔から人々は 漂流民などの形でたえず横に結びつき、文化を伝え合ってきたはずだ」「ボーダレス時代 を迎えながらも、国家や民族の壁が問題となっている現在、彼らの遺産の上に私たちの文 化があることを実感させてくれる」

『アンモナイトのささやきを聞いた』(山田勇男監督・脚本)は『おろしや国酔夢譚』 と対照的な作品だった。自分の内側にだけ眼を向け、そのイメージを大切に造形していく 。その夢のコラージュは、たしかに切実な美しさを持つけれど、あまりにもはかない」「 山田監督は、映画作家というよりは、映像作家だ。兄宮沢賢治と妹トシの関係を中心に繰 り広げられるイマジネーションの世界は、きらきらと輝き、淡いせつなさとともに胸の中 で結晶する」「ただ、インパクトは乏しい」

「さて、待望の『エイリアン3』(ディビッド・フィンチャー監督)。はっきり言って、 『エイリアン』はおろか『エイリアン2』にも遠く及ばない。フィンチャー監督には、ス コット監督やキャメロン監督のような個性的な映像感覚がない」「ビデオクリップ的なシ ャープな切れ味、的確な構図センスは認めるが、映画監督としての独創性は感じられなか った」

「リドリー・スコット監督の『エイリアン』は、宇宙船からエイリアンの形態、生態すべ てがH・R・ギーガーによる性的なメタファーで統一され、私たちの潜在意識を激しく刺 激する。人間的な感情、価値とは無縁の昆虫的無慈悲さと性的な象徴が合体し、高度な状 況判断力を持って、宇宙船という閉塞空間に潜むエイリアンは、背筋がぞくぞくするほど 魅力的だった」

「スコット監督は、独自の映像美で観る者を極限的な緊張へと引っ張っていく。一方、こ の路線では太刀打ちできないと的確に判断したジェームズ・キャメロン監督は、『エイリアン2』を壮 烈なアクション巨編に仕上げた。しかし、母親の闘いという人間的な要素を持ち込み、エ イリアンという存在の外部性は、著しく損なわれた」

「『エイリアン3』は、形態的には『エイリアン』に戻ったものの、恐怖感は乏しい。そ して『エイリアン2』のような畳みかける展開もない。映像にエイリアンの視線を挿入し たのも失敗ではないか」「世紀末的な宗教色だけが、印象に残った」


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「中国モンゴル自治区の大草原で暮らす放牧民。その生活を描いたのが『ウルガ』(ニキータ・ミハルコフ監督)だ。前作『黒い瞳』のように美しい映像と音楽が印象的。草原を わたる風、大空を飛ぶ鳥までが放牧民の暮らしと一体となって、重い問いを投げかけてい る。でも、ストーリーは、淡々と進んでいく」

「鳥葬と羊の屠殺シーンには、感動した。鳥葬はロシア人セルゲイとの出会いの契機にな った。遊牧民の文化の典型としての鳥葬が冒頭に登場し、ロシア文化との差異が物語の原 動力になる。そのセルゲイをもてなすために羊が屠殺される。これほど穏やかな屠殺シー ンは観たことがない。羊の脇腹を少し切り、手を入れて人指し指と中指で心臓近くの大動 脈を静かに断ち切る。苦しみを与えない殺し方。私も殺されるなら、この方法がいい」 「映画は遊牧民の豊かな文化を伝えるが、単なる讃歌に終わらない。電気などに頼らなか った生活に電灯がつき、テレビが入ってくる。そして、草原には工場の煙突が立ち黒い煙 を吐く。遊牧民の文化もやがて近代文化によって変えられていく」

「たしかに、距離を置いた冷静な歴史観だと思う。しかし時代はターニングポイントを迎 えつつある。これまでのように近代文明が個々の多様な文化を押しつぶし画一化していく とは限らない」

「4時間の大作『美しき諍い女』(ジャック・リヴェット監督)は、絵画創造の真髄に迫 る作品。絵画を描く過程で変化していく人間関係が鋭く緻密に映像化される。深く的確な 配置。91年カンヌ映画祭グランプリは当然だ」

「画家とモデルは創造のためにむきだしの格闘を展開し、至福を共有する。エマニュエル ・ベアールの好演が光る。画家はモデルに無理なポーズを要求し『肉体を解体』しようと する。身体の解体といえば、92年4月28日に死去したフランシス・ベーコンの絵画を 連想してしまうが、映画はあくまでも肉体を超えて内面の本質に迫るという一昔前の美意 識に支えられている」「絶対美という確信が存在しているが故に、観客は画家の眼になり 、手になって恐ろしい創作の過程に参加することができる」

『仕立て屋の恋』(パトリス・ルコント監督)は、80分の作品。『美しき諍い女』の 3分の1の長さだが、ピシッと決まっていて味わい深い」「私のように気の弱い男にとっ ては『死ぬほどせつない』悲恋物語だよ」「闇の中、向かいのアパートの女性をのぞき続 けるイール。その視線はストイックですらある。見つめられるアリスは恋人をかばうため イールに近づき罪を負わせようとする。それぞれの愛と孤独が際立つ。そして、少女の視 線が厚みのある余韻を残す」

「フィリップ・リドリー監督の初長編『柔らかい殻』は、1950年代のアメリカという 時代の奥行きと緊張感を生かし、少年時代の残酷さと純粋さを描いた作品。数々のアイデ アの秀抜さと映像の独特な美しさに圧倒される」

「巨大なカエルが破裂する冒頭のシーン 、骨に囲まれたドルフィンの家、主人公セスの父親の壮絶な焼身自殺、原爆で被曝した子 供の写真を含む3枚の写真の絶妙さ、水爆実験に兵士として参加し衰弱していく兄と、兄 の衰えが吸血鬼のためだと考えるセス。基底に核の問題があり、同性愛差別を含めて登 場する人物が皆切実な悩みを抱えている」「幻想と現実の切れ目の無さのリアリティなど 、魅力を上げていけばきりがない」「今年のベスト1最有力候補だ」


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「若松孝二監督のあまりにも対照的な2作品を観た。つかこうへい原作の『寝盗られ宗介』には心底笑わせてもらった。キーワードは『前向きのマゾヒズム』。旅芸人一座が繰り広げるドタバタ劇に、演じること=生きることのペーソスが滲む」

「主演の宗介役・原田芳雄がムチャクチャにいい。クライマックスで女装し絶唱する『愛 の讃歌』は、なんてソウルフルなんだろう。原田の骨っぽさとたおやかさの妙は、絶品。男と駆け落ちを繰り返すレイコ役の藤谷美和子もすごく色っぽい。『女殺油地獄』での好演を、さらに上回る熱演をみせた。宗介から腎臓をもらう筧利夫の演技力も光った」 「そして、ラストをバッチリ決めてくれた宗介の父親役の玉川良一。彼の実際の訃報が映 画と二重写しになって強烈な印象を残す。締めくくりは『蒲田行進曲』(深作欣二監督)のように秀逸だ」

「一方、『エロチックな関係』は、若松とは思えない失敗作。冒頭で有名なクレッソン首相が登場し『こんな映画は観ないで帰れ』と言った言葉が正しかったと、観終わって納得 する」「ビートたけし、宮沢りえ、内田裕也。現在、これだけ見事なキャスティングは、 ちょっと考えられない。しかし3人の魅力だけに頼ったため、下品な展開になった。内田 裕也の脚本は、60年代の紋切り型。『魚からダイオキシン』は東京都知事選出馬という 現実感があったからこそ、まだ観れたが、この作品は悲しいくらいに虚ろだ」

「深作欣二監督の『いつかギラギラする日』は、92年の邦画を代表する作品。『寝盗られ宗介』も傑作だったが、私は深作監督の圧倒的なパワーを評価したい。全編がハードロ ックのように凄まじい迫力に満ちている。しかも深作らしく人間を描くことを忘れない。 皆熱演しているが、荻野目慶子の完全に切れた演技は特筆に値する」「最後に、冷静な中 年を生き延びさせた点に、深作のメッセージを感じたよ」

「ペルー=スペイン合作映画『豚と天国』(フランシスコ・ロンパルディ監督)は、ペル ーの88年超インフレを背景にした悲劇を、コメディタッチで描いたもの。ラテンアメリ カの映画らしいアクの強いブラック・ユーモアが利いている。そして、デビッド・リンチ 的シュールな亀裂が取り入れられ、作品の魅力を倍加している。けっこう深刻なテーマだ ったが、ラストで笑った後ろの席のおねえさんは偉いと思った」

「フィル・ジョアノー監督の『愛という名の疑惑』は、ヒッチコックの『めまい』への熱 いオマージュに満ちていた。大ヒットした『氷の微笑』は粗さが目立つ『サイコ』映画だ が、『愛という名の疑惑』の方が数段優れたサスペンスだ。脚本の奥の深さは『愛と死の間で』をしのぐ」

「精神分析医役のリチャード・ギアは、ふところの広い演技。患者の姉役のキム・ベイシ ンガーは、シャロン・ストーン以上の悪女を完璧に演じた」「これほど魅力的なキムは始 めてだった。妹役のユマ・サーマンも『ヘンリー&ジューン 私が愛した男と女』(フィリップ・カウフマン監督)に続き神秘的な存在感を十二分に発散した」

「同時上映の『リーサル・ウェポン3』は、相変わらず快適なテンポで笑わせハラハラさせてくれる。スポーツ観戦のように楽しむなら、最高に爽快な映画だろう。リチャード・ドナー監督は、ツボを知っている職人だ」


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『ブレードランナー最終版』(リドリー・スコット監督)が公開された。82年に劇場 公開された時は、さんざんに酷評されたが、徐々に評価を高めていった稀な映画。今回の 最終版は、従来のラストシーン一分あまりをカットしたほか、ユニコーンのシーンなどを 若干加えただけで、大きな変更はない。ただ、隠喩性が増したように思う」「それでも、 劇場は立ち見が出るほどの盛況だった」「札幌公開当時、私は網走にいたので、劇場で観 ることができず、長い間悔やんできた。今回劇場で出会うことができて、ビデオでは味わ えない質感、細部の美しさをたんのうした」

「ディックの原作とは独立して、『ブレードランナー』は映像としての独創的な近未来ビ ジョンを打ち出した。80年代の文化に、これほど大きな影響を与えた映画は、ちょっと 見当たらない。そして、中心テーマだった人間としてのアイデンティティの問題は、90 年代に入り、ますます切実な問題として浮上してきている」

『ヨーロッパ』(ラース・フォン・トリアー監督)は、秀抜な技術力を見せつけられる 作品。黒の質感が良い。そして白黒とカラーの巧みな調合も成功している」「感情移入を 許さない知的な遊戯、映像にしみ込んだ悪意は、一見グリーナウェイを連想させるが、グ リーナウェイがイギリスの文化土壌を生かしているのに対し、トリアーは明確な根を持た ないように見える。しかし、デンマークという、いわばヨーロッパの『周辺』で育ったこ とは『ヨーロッパ』という概念の幻想性を体感する位置にいたと言える」

「しかし彼の寓意は、のっぺりとして重く、容易に読み解くことができない。迷宮へと誘 う催眠術的なナレーションから心地よく目覚めることは、はなはだ難しい」

「白黒とカラーを絶妙に組み合わせたもう一つの作品が『ジャック・ドゥミの少年期』。カトリーヌ・ドヌーブの美しさと哀愁に満ちた心地よい音楽があふれていた名作『シュルブールの雨傘』で名高いドゥミの姿をも映像に焼き付けている。監督は妻のアニエス・ヴァルダ。死を前にした夫を撮っていながら、映画監督としての距離をしっかりと保ち、けっして感情に流されていない。ドゥミを通じて描かれるフランス現代史の側面もある」

「ドゥミの映画を愛する者にとっての喜びは、少年時代の体験が映画のなかに結実してい く瞬間の映像。ともに監督である夫妻だからこそなしえた手法だ」「時折挿入されるドゥ ミの老いた手、顔、眼の大写しと、波のシーンがヴァルダの万感の思いを表現していた」

『青春デンデケデケデケ』(大林宣彦監督)は、ベンチャーズに『電気的啓示』を受け た高校生がロックバンドを結成する物語。このいかにも60年代的なドラマを、大林宣彦 監督ならではの感覚で描いていく。16ミリカメラ、自然光撮影、スピーディなカット割 等々の技術的な基盤を生かし、みずみずしい作品になっている」「大林監督は、77年の 当時としては斬新な手法の美少女ホラー『ハウス』以来、15年間に22本の映画を撮っている。ほとんど毎年作品を発表してい る。日本では近年類例がないよ。外国ではウディ・アレンがいるが、最近は初期のパワーが 失われ、笑い飛ばすシニカルなユーモアが欠けてきた。その点大林監督は、信じがたいほ ど初心を貫き、観る人を魅了し続けている」


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