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日記:トムディックハリー

10月30日(月)

おでんちゃん

 

 

 内職の封筒貼りの都合でアキバにパーツを買いに行ったついでに、家電屋の店頭でオタク向けおでん缶を購入。

 以前から売っているのは知っていたし、まあこれだけだったらこれだけの話なんだけど・・・

 このおでん缶、例の自販機物と違って平たい缶に入ってまして、しかもおでん出汁が入っていないドライタイプ。

 どこかで見たような気がすると思って製造元を見たら、実家の清水の缶詰会社だった(汗。

 以前”静岡おでん”として販売されていたおでん缶と中身は一緒。まあ便乗方法としてはいい手段ですね。

 ちゃんと黒はんぺんも入ってるし、中身は結構おいしいのでお勧めです。静岡おでんとしてはオプションのダシ粉がかけているのがちょっと気になりますが。


10月6日(金)

ようつべ

 

 雨でお客は来ないし、季節の変わり目のせいかやたらと眠くて仕事をする気がまるで起きない(しろよ!)。
  そんなときにはYouTube(^^;。世界のネットワークトラフィックの無駄遣いと思いつつもハマッテおります(だめじゃん)。

 

(会社で見るときゃ音が出るから気をつけようね)

 そんなわけで(どんなわけだ!)「銃士戦隊フランス・ファイブ」です。フランス人の好き者が集まってちょこちょこ面白いことやってるなと思ったら・・・とんでもないこいつら真剣に遊んでる。

 http://www.francefive.com/

 30分のエピソードが4本もあったりする。


10月4日(水)

追悼:米沢嘉博氏

 

 10月1日にコミックマーケット準備会代表でありマンガ評論家の米沢嘉博氏が亡くなられた。氏は、お店の方でお客様として何度か足を運んでいただいたり、マンガ関係のイベントでも何度かお会いしたことがあった。
  最後にお会いしたのは4月14日であった。パーティ会場内が禁煙だったためパーティ会場での講演そっちのけで、階段脇の喫煙所で一緒にマンガの話にふけっていたりした。他の漫画家も大勢きていたので、米沢さんも挨拶に余念がなかった。その米沢さんが自己紹介している際にふと気が付いたことがあった。自分のことを”少女マンガ評論家”と紹介していたのだ。世間一般的には米沢氏は”マンガ評論家”で通用している。なぜわざわざ”少女マンガ評論家”と自己紹介していたのか? そのときは何となくへえと思っただけであったが、今思えば、もう少しその点を聞いておけば良かったと後悔している。

 

 上の2冊は米沢氏が編集された「別冊太陽:子供の昭和史 少女マンガの世界」である。昭和における少女マンガの歴史を語った本としては、未だ唯一無二のものである。少女マンガをほぼ専門として扱う古書店の店主としても、座右の書といえるものである。
 以前、私に某所から貸本時代の少女マンガに関して文章を書いてほしいと依頼があった。そんなわけで一応頭の中で文章のネタやプロットを組み立ててはいたのだが、この本を読んだら自分の言いたいことがすべてしっかりと書かれており、今更付け加えることが何一つなかったので断念した覚えがある。
 それほどこの本は良くまとまっているのだ。

 米沢氏がマンガ評論において残した功績というのは多大なものであったと思う。そして米沢氏の死によりマンガ評論の世界が失ったものも多大だと云える。特に少女マンガという語る者の少ない世界においては、その影響は極めて甚だしいものだと思う。

 ポプラ社でのパーティが終わり、四谷三丁目の駅に向けて巴里夫さんを含めた3人でテクテクと歩いた。その道のりがもう少し長く、もう少し色々なことを語り合う時間があれば良かった。それだけがとても残念でならない。

 ご冥福をお祈りいたします。