戻る?だらだら日記

 

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8月31日(金)
 風邪引いて微熱があるのに酒を飲みにいく。酔い覚ましにオープンカフェで冷たいアイスコーヒーを飲みながら、ストリートミュージシャンのフォークをソングに耳を傾ける。ほてってけだるい体に夜風が心地よい。経済も会社もいたって調子は悪いがこんなちょっとしたことに幸福感を感じることは出来る。


8月30日(木)
 一日中、他事業所でお仕事。あっちの部署に顔出したり、こっちの部署に顔出したり、資料もらったり、情報もらったりと結構忙しい。風邪の微熱とのどの痛みと咳でなんだかとってもしんどいにゃぁ〜。
 

8月28日(火)
 今日の午後は、JEITAの会合。最近会社に出て部下に仕事の指示をするのがちょっと辛い。こんなところで仕事しないで新しい仕事でも見つけてこいと、思わず指示を出したくなってしまう。部下ももう薄々状況を知っているが立場上明確に教えられないのが困ったもんである。

 秋葉原で太陽電池モジュールを買う。これでなんか商品できんかなぁ。



8月27日(月)
 送別会に出たり、結婚パーティに出たり、映画観たり、豆腐料理のフルコース食べたり、窓を開けっ放しで寝て夏風邪引いたりする今日この頃、みな様におかれましては如何お過ごしでしょうか。わたしは好い事と悪い事が半々です。それにしても暑いです(^^;。



8月22日(水)
 会社は殆ど整理の方向で動き始めた。ようやく諦めがついたかと思う一方で、頭にくるのは上層部の意向。以下に負担無く整理するかを考えるだけで、社員の行く末や受入先を思案するスタンスがまるで無い。人事にお任せではあまりに無責任ではないか? 従業員の再雇用を含めなんとか考えるのが経営者の最後の役目じゃないのか!! いいかげん頭にきたぞ(-_-#



8月20日(月)
 結局電波測定はアウトとなる。頭痛い。人事関係が佳境に入りだす。これも頭痛い。経済誌も景気の悪い内容の記事ばかり。1年後には電機業界の再編は免れない状況。体が異様に疲れる。大して残っていない気力がついえそう。



8月19日(日)
 休日出勤するも、出勤を命じた肝心の事業部長が休み。企画会議をするも、今後の推移を把握済みなため気合が入らない。出向で来ている別な部署の室長と愚痴みたいな話をする。

 昼休み本屋で韓国で出版された日本語訳の漫画を3冊買う。「韓国キーセン物語」金童話著、「飛天舞」金恵りん(王+燐−火)著、「ホテル・アフリカ」朴姫貞。販売は日本を経由して文字も日本語だが、出版も印刷も韓国のよう。韓国の漫画家の本が出版されるのは珍しいことではないが、韓国の出版社が直接日本の市場に乗り出すのは珍しいことだと思う。今回8点ほど出版され、今後も出版が続くようである。漫画も国際化してきて非常に楽しみ。



8月18日(土)
 寝ないで起きていようと考えていたのだが、妙に疲れていたのか結局2時頃に寝てしまう。5時半に起きて、5時59分の拝島発の電車に乗って千葉の八日市場へ行く。電波の測定サイトがあるだけにとっても田舎。どのぐらい田舎かと言えば、携帯電話の電波は届くけどPHSの電波は届かない程度の田舎。クヌギの林があって、カブトムシがいる程度の田舎。草が茫々と生い茂るくぼ地。近くに廃工場があるだけで人気は無い。風も雨の音も心地よい。根が田舎者なので、こういう場所にくると妙に和む。こんな土地で仕事をしながら暮らしてみたいなぁ。

 電波測定(VCCIとかFCCI)はなんとかなりそうな気配。昨日部下からもうだめだぁと報告受けたときよりも格段に進展。少しだけ肩の荷がおりる。


8月17日(金)
 東京地方はちょっとクラッとするような好い天気。未来科学館に行く。比較的面白いが、もう少し体験コーナーなんかがあるといいな。ICの作り方を説明されても子供にはあまり受けないと思うし。ホールのLED素子を敷き詰めた地球儀は綺麗でちょっと良い。晩飯はビーナス・フォート。ここを観ていると景気が好いのか悪いのか良くわからなくなる。

 明日は早出なので、寝ないで起きていようと思う。


8月16日(木)
 東京に戻る。東名は途中事故渋滞があったが比較的すいていた。



8月15日(水)
 遠い日の戦争を考えながら、散文的な小説もどきを書く。



8月14日(火)
 だらだらする。水茄子を探すが見つからない。静岡おでん食べる。



8月13日(月)
 昼に元常務(本社では常務ではない)に合う。どうも本社系と子会社系で判断状況に食い違いがあるようで、本社側の意向というか状況を確認する。本社系の判断のほうが進んでいるようで、やはり撤退は決定的なようだ。これで休み明けにばたばたすることは必至。

 夕方、静岡に戻る。



8月12日(日)
 「猿の惑星」を観る。意外と面白い。最後のオチの判断が難しくて悩む。晩に中華を食う。



8月11日(土)
 昨日のニュースで関東地方の利根川水系が取水制限を開始したと言っていた。予備水系である奥多摩湖では人工降雨装置を5年ぶりに動作させたらしい。そのおかげではないだろうけど今日は豪雨。立川の駅舎全体が雨漏りするくらい降っている。この駅舎完成したばかりだけど意外と安普請か?(^^;



8月9日(木)
 開発がトラブッたりなんだりと胃の痛い状況が続く。
 本日夕刻本来企画系の会議が開催されるはずが急遽お流れになって社長以下人事系総務系の幹部が雁首揃えて会議室にこもった。あはははははははは・・・・・・。これはもう詰んだも同然。時を前後して別ルートからも情報を入手。終わった(-_-;。もはやじたばたしてもどうしょもない。

 2万ヒット達成しました。皆様どうもありがとうございます。



8月5日(日)
 ぽっかりと空いてしまったスケジュールを埋めるため本を持って街へフラフラと出かける。立川に出て午前中に夜の時間の映画のチケットを買い、けだるい体を引きずって昼飯探してさ迷う。頭の中を渦巻くのは、会社を見捨てようかどうしようかと揺れる択一の思いと、逢いたくっても逢えなかった人への想い。

 国立に行っていつもの喫茶店で内山節の「自由論―自然と人間のゆらぎの中で」を読む。”樹の自由”、”循環系の社会と拡大系の社会”、刮目すべき言葉は多く語り尽くせぬほどあるが、下手な解説より著者の言葉を引用したい。

 「近代的な商品経済とは、個人主義と結びついた商品経済として、つくられているのである。だから経済と自由の関係について考えようとすると、つい私たちは、経済と個人の自由の関係としてのみ、それをとらえようとする。その結果、一般論としては、これ以上の経済発展はひつようなのだろうかと疑問をもちながらも、我がこととしては、より自由な生活をつくるためには経済成長も必要だといった矛盾におちいる。一方では経済成長によって失われたものにつらさを感じながら、他方では自分の所得の向上を計る」

 松下幸之助の水道哲学の蛇口を止めるものはいない。

 「今日の商品を使い捨てていく社会のなかで暮らしていると、私たちは自分の問題として虚しさも感じてくる。なぜなら、すべてのものがつねに新しくつくり変えられ、すべてのものが古くなり、すべてのものが捨てられていく今日の経済社会のなかに身を置いていると、自分もまたこの社会のなかで古くなり、使い捨てられていくのかもしれないという不安を、感じないわけにはいかないからである」

 今の世の中には工学書でもなければ経済学書でもなく、哲学書こそが必要なのかもしれない。しかしその道のりは”米百俵”より遠い。

 晩、「千と千尋の神隠し」を観る。相変わらずの予定調和ではあるが、出来は非常に良いと思う。映像は涙が出るくらい美しいしね。


8月4日(土)
 スタット クルクス ドゥム ヴォルヴィトゥル オルビス(変動する世界の中、十字架は立ちつづける)

 「フォーカス」8月8日最終前?号の”連合赤軍永田洋子の獄中手記”の記事を読む。あの事件の頃は小学生で何が起きたのか、さっぱり分からなかった。浅間山荘で銃撃戦があったということをテレビのニュースで知っただけのことだった。彼らが何に対して戦っていたのかも、小学生の身には理解できなかったし、リンチ殺人事件を知ったのもずいぶんと後のことだった。そして、30年経過しても知っていること理解していることはあまり多くはない。永田洋子の後悔が書き連なった手記を読めば、人は変転する、時代は変転する、という想いだけしか伝わらない。
 連合赤軍へというのではなく、広く”あの時代”に関わって、戦っていた人々に問いたい。「あなた方は何を敵として戦っていたのか? その敵は今はもうどこにも居ないのか?」
 人を殺めたことへの悔悟はもちろん必要だが、戦ってきたことや時代に対する決算も必要なのだと思ってしまうのは、遅れてきてしかも何も関わらなかった者の勝手な言い分なのだろうか。
 時代は変わってしまったのか? 過去を振り返る必要も無いほどに今の時代は良い時代なのか? すべてはなし崩しに忘却されるまま。
 休日出勤するも猛烈にけだるく、そうそうに帰宅。



8月3日(金)
 恒例のようにお盆前後にトラブルが訪れる。会社(人事)レベルの問題に開発レベルのトラブルが加わって、はっきりいって大混乱。暑さも加わってうんざりするような季節が始る。

 会社の問題はなかなか解決策が見当たらない。100人のうちの50人の受け皿が見つかれば何とか上手い事たためるのだが。色々な事業所を併せて10人程度の受け皿では話にならない。個人的にいろいろと工作はしているのだが、今のところ成果はあがらない。

 中央線の人身事故で電車が止まったので西国分寺から国立まで歩く。国立駅のホームの端の桜はなんでか知らねど桜餅の匂いを漂わせている。

 小説の更新がなかなか出来ないので、江戸時代の艶本(平たく言えばアダルト本)の読み下し(正確な言い方ではないですが)文の作成をしている。まあ江戸時代のアダルトチックな文章がアドルト的な嗜好で好まれるとは思えないけど(^^;資料的な意味では面白いでしょ。ちょっと悩んでいるのは絵を同時に掲載するべきかどうかですね。出版界では最近無修正で出版されてはいるが公共性の高いインターネットで無修正はどんなもんかなとは思っています。その点ご意見募集中(^^)/。