戻る?だらだら日記

1998年 11月編 12月編
1999年 1月編 2月編 3月編 4月編 5月編 6月編 7月編 8月編 9月編 10月編 11月編 12月編

1月編 

1月30日(日)
 久しぶりにゆっくりとした休日。午前中に洗濯を済ませ。午後、国立へ。あんまり天気が良いのでひと駅歩く。やっぱり天気が良いと気分も良いね。
 国立でエポキシパテ買った後は、いつもの喫茶店。件のネパール語の手紙をようやく書く。(はよ書けよ(^^;。遅くなってごめんねマンディラちゃん)
 幾つかの手紙とアズを執筆。もう少しでパート5が書き終わりそう。相変わらず執筆スピード遅い。書きたいネタは幾つも浮かぶのにね。
 ネタと言えば、もう書かないと公言していたイブ・シリーズの続きを考えている。時代は逆に戻って2030年頃から21世紀後半まで。タイトルは「ミッドマイヤーの遺産」。今まで名前だけで、登場しなかった遺伝子工学者のおっさんと娘の話になります。ちょっと悲しいお話にしようかと・・・。いつになったら執筆できるか分かりませんが、気長にお待ち下さい。
 国立からの帰りに、紀伊国屋(食料品屋)でブロックのベーコンとリゴットというチーズを買う。ポトフを作って食べる。


1月28日(金)
 前日、久しぶりに常務と飲む。軽くビールを飲んだだけなのだが、久しぶりにアルコールが入ったせいか、早起きに失敗(^^;。3日坊主にもならんかった(^^;;;;;。まあ、また明日に期待。
 午前中、またもや古巣の事業所へ行く。古巣へ行く際は車を使うのだが、かえり際のぽかぽかした陽射しに思わず眠くなる。一旦自宅に戻り、電車で自分の事業所へ。電車もぽかぽか暖かく眠い眠い(^^;
 会社に戻ると30分後には、今度は霞ヶ関。特許関係の打ち合わせ。いきなり外人が3人も居る(^^;;(中国系、アメリカ系、フランス系とバラエティ豊か)。おれは英語は出来んぞっと。
 半端な通訳付きで内容を聞くが、まあ特許絡みのナーバスな話なので、説明と言うよりは腹の探りあいみたいな雰囲気でやんの(^^;;;。
 特許関係の年輩の人たちと新橋で飲んでから帰宅。


1月26日(水)
 今日から1時間早起き。体質改善したいと思い、早起き健康法なんぞ試そうと・・・。
 6時半起床。30分近く近所を散歩。寒いけど気分的には良い。しかし体が慣れないせいか、ね、眠い(T_T)。頑張って続けたいことでは在る。
 午前中は古巣で、取締役含めての会議。11時頃に終わったので、会社に戻るため駅までの道をぽちぽち歩く。天気がよく、午前中の陽射しは、きらきらして道端の何でもないものでも綺麗にうつすような気がする。少しだけ気分が良い。


1月24日(月)
 いつもは田舎の路線で帰るのだが、たまに新宿などを経由して帰ることがある。久しぶりに埼京線で帰宅すると、新宿まぎわの車窓から洪水のようなネオンが見えた。一瞬の事なのに、見慣れた新宿の夜景なのに、なぜか目を奪われた。圧倒的な光、立ち並ぶビルの群れ、ホームに溢れる人々。時折、圧倒的な量と云うものに畏怖心を覚える。そして何故かそれをとても遠く感じる。

 田口ランディ著「もう消費すら快楽じゃない彼女へ」晶文社刊を読む。様々な人が、様々なモノを抱えていきている様が伺える。ゴミの中で安息を得る彼女、SM写真で癒される少女、壁に挟まれ癒される女、生まれて始めて目が見えるようになって自殺する青年、虫のような生き方から逃れたくて宗教に走る女、自分のものでない”私の詩集”を売り居場所を見い出す、ひとひとひと。
 みんなジレンマに耐え、分裂した世界に生きている。



1月23日(日)
 品川でポンペイ展を見る。ポンペイは、紀元1世紀に近くのヴェスビオ火山の噴火で壊滅した、人口一万五千人、1km四方程度の小さな商業都市です。
 豊かな街だったのでしょうね。部屋の中には色々な工芸品が絵が飾られていたようです。物価の現代比較などもありましたが、日常品などはごく安く、暮らしやすかったようです。当然、こんな暮らしをしていたのは当時のごく一部の人間でしょうが、それでも二千年前の暮らしが今の暮らしとそれ程変わりの無いものに感動を覚えます。
 当時の作り方で再現したパンなどを販売するコーナーなどもありましたが、残念ながらパンは売り切れで、クッキーだけ買いました。甘味などほとんどついていない全粒粉の硬いクッキーでしたが素朴な味がしました。
 入場料1500円はちょっと高いけど、当時の暮らし振りや室内装飾などがよく分かる、質の良い展示会でした。



1月19日(水)
 最近古巣で会議をすることが多い。今日も午前中医者に寄って薬を貰った後、古巣で企画部署と会議。
 将来来るであろう家庭内のインターネット常時接続環境を目論んで他目的ルーターをという企画(差し障りがあるのでかなり表現ぼかしております)。こういったルーター環境と家電を結ぶ際の有力候補としてブルーツースというI/Fが提唱されております。2.4GHzという無線帯域を使用してデータリンクを張るという代物です。出力はかなり弱いものですが、問題は2.4GHZという帯域にあります。この帯域は水の分子との共振域にあります。ようは電子レンジと同じ周波数帯です。本当にこんな周波数帯を微弱とはいえ使用して大丈夫でしょうか? 個人的には近寄りたく無いと考えてしまいます。かつて大学で高周波を研究したら男の子どもは諦めろと言う言葉がありました。明確な論拠はありませんでしたが、教授達の子供は、みな女の子でした(^^;。始原生殖細胞のY染色体に影響が出ると言うことでしょう。携帯電話もありますが、私個人としてはGHzをこえる周波数を自分の近くで使いたく無いと思っております。将来この技術が普及した時、わたしはちょっと不安であります。

 『「家族」と「幸福」の戦後史』三浦展著 講談社現代新書1999/12/20 を読む。ちょっと内部から引用『家族や郊外というものは、高度経済成長の日本においていわば意図的につくりだされてきた一種の「装置」である。その家族は自然なものではないし、伝統的なものでもない。少なくとも、今われわれが普通に思い描く家族は戦後の高度経済成長期につくられた、きわめて特殊なものである・・・家族は人々の欲望を充足させるだけでなく、同時に欲望を喚起する装置になった』。
 意図的であるという問題と、アメリカのベビーブーマー世代がなぜ再びシステムに取り込まれたのかという点が欠落しているのは気になるし、全面的に賛同するものでは無いが、基本的には興味深い評論である。しかし、この方の説を全面承認するのは、恐ろしくてかつ切ない。
 著者の結論が「若い世代の脱力感に期待」という、ある種、司馬遼太郎の観点に近い部分には共鳴を覚える。



1月12日(水)
 帰宅してネットにアクセスしていると、メールが届く。Aliceさんという方から7777ヒットの御報告を頂く。そんなキリの良い数字に差し掛かっていたことに全然気が着かなかった(^^;;;(だめじゃん)。イブの頃から来て頂いているようで大変感謝。こうやって唐突に感想メールなどをいただけるのは本当に嬉しい。こんな時は、ホームページを始めて良かったと心底思う。

 メールを整理していたら、1年程前に会社から自宅宛に自分で送ったメールを見つける。内容は「生産を続けるために消費を人工的に刺激しなければならないような社会は、屑や無駄の上につくられた砂上の楼閣である」というただ一文。経済学者かだれかの言葉をネット上でみかけ、自分で自宅にメールを送ったのだと思う。
 かつて松下幸之助は、水道の水のごとく、すべての物質を無尽蔵たらしめることが生産人の使命であると語った(戦前の話ではありますが)。
 今や物は、壊れた水道のごとく溢れかえるが、物欲は留まるところを知らない。生産人の端くれのわたしは何処へ行けばよいのだろう。



1月10日(月)
 起きるとあちこちの筋肉が痛い(^^;。
 国立の喫茶店で「アズ」を書くが、あまり進まない。ここのところペースがイマイチあがらない。どれだけいるのかは良く分からないけど、お待ちしている方には申し訳ないがもう少しお待ち下さいm(_ _)m。本当に申し訳ない。



1月9日(日)
 早めに寝たのと寒さのため、早めに目覚める。外がほのかに明るくなった頃、ようやくテントの外へ。雲間から御来光が見えそうなので友人を起こす。
 赤くて綺麗な朝日が昇る。しかし最近朝焼けや夕焼けが妙に赤い気がする。空気中のチリの量が増えているのかしら。
 テントや荷物を頂上まで担ぎ、テントとシェラフを干しながら朝食。のんびりと撤収を行い。10時に下山。


1月8日(土)
 1年ぶりに山に行く。久しぶりで体力に自信がないので軽い行程の丹沢のシダンゴ山にする。変わった名前の山だけど、由来はいろいろとあるようで。もともと震旦郷(しんだんごう)(震旦は中国の異名)と呼ばれていたとか、シダゴンと言う名前の仙人が住んでいたとか、弥勒菩薩が白い馬にまたがり舞い降りたとか・・・
 小田急線で新松田まで行き、食料を買い込んでバスに乗る。歩き始めの1kmがいつも辛い。汗が流れ出し呼吸がコンスタントになる頃に足が自動的に動き出すようになる。手前の宮地山で休息を取りコーヒーを飲む。気温は高めで風は穏やか。
 宮地山を降りシダンゴ山へ向かう。冷たい風が吹き出す。ちょっといやな予感。
 4時頃シダンゴ山頂上につく。頂上の弥勒菩薩を奉る祠に賽銭を入れ(この石の賽銭箱が実に良い音色がするのだ)、早速テントの設営。焚き火用のシバを掻き集め燻製用の穴を掘るが、段々と風が強くなり始める。テントのポールがかなりしなる。夜中になれば風は凪ぐだろうが、この状態では火を起こすのは危険なので、頂上での設営は諦め10mほど下った窪地に設営しなおす。雑木が多いので焚き火は無理そうだが、燻製を作るには問題ない程度のスペースが取れた。
 小型のランタンで辺りを照らすが、やはり暗い。いつも大型のランタンが欲しくなる。コーヒーを入れ、酒を飲みながら食事を作り始める。燻製は下で購入した大型のソーセージとさつま揚げ。ご飯はインスタントのアルファ米。事前の準備時間が短かったので、こんなもんしか用意できなかった。1回目の燻製は温度が上がりきらなかったので、ソーセージの脂がまわりきらずいまいち。2回目は火を強めにしたので香ばしく中がほのかに温かく美味しく出来た。
 大型のソーセージだったので、それだけでお腹いっぱい(^^)。食後に甘酒を造り、頂上で星を眺める。星座表がないのと下界より星が見えすぎるので星座がいまいちよく分からない。でもまあ綺麗。
 焚き火が出来ず、やることもないのでさっさと寝る。



1月6日(木)
 朝から打ち合わせ。合間を縫ってプロバイダーに電話。症状は理解してもらったが、その場で決着つかずに、夕方に再度電話することに・・・
 午後は、半休を取って運転試験場に免許証の更新を行う。武蔵小金井の駅からぷらぷら歩く。こんなに遠かったっけ(^^;。試験場はさすがに平日なので空いている。前回はパネルを見るだけの講習だったが、今回は10分だけ講習があった。以前遊んだ運転シミュレーターが閉鎖されている。つまらん。1時間程度で交付される。昔とは大違いのスピードだな。
 帰りは試験場の裏の野川のほとりをとぼとぼと歩く。枯れ木とはいえ樹木の間を縫って、土の上を歩くのは気持ちが良い。
 国立によって、耐水ペーパーと半光沢クリアのスプレーを買う。いつもの茶店でコーヒーとスパゲッティを食べる。プロバイダーとの設定確認があるので早めに引き上げる。



1月5日(水)
 朝から会社の始業式とかでプレゼンをやらされる。眠いし寒いし面倒くさい(-_-)。
 帰宅するといきなりインターネットが接続できない。固定料金制に変更したのでIP関係のアドレス設定とかが変更されてしまっているようだ。プロバイダーに電話をするが当然技術関係の受付は終わっている。困ったもんだ(-_-)。



1月4日(火)
 昼頃、友人と二人で東京に戻る。帰省渋滞はなかったが、厚木付近で事故渋滞。5時頃にアパートに辿り着く。



1月3日(月)
 静岡の繁華街まで脳と睡眠関係の書籍を探しに行く。東京と違ってさすがに大規模な書店はない。どれも大きさが中途半端。
 書籍は依頼されていたということもあるが、次回作にも使えそうなので購入する。脳神経の軸索流関係はネタに使えそうな気がする。



1月2日(日)
 従妹を迎えに静岡駅まで、父親のワゴンRで行く。軽自動車に乗るのは久しぶり。昔と違って乗り心地は良いし、パワーも十分あってなかなか良い。今度車を買いかえるときは軽自動車かな。
 年末作れなかった、バナナプリンケーキを作る。ホイップクリームがちょっと柔らか過ぎたけど味はまあまあ良い。



1月1日(土)
 清水のエスパルス・ドリーム・プラザという場所で、映画を観る。清水にはしばらくの間映画館が不在だったが、15年ほど振りに再出現。出来たてのほやほやの映画館で、7つのスクリーンがある流行りの複合シアター。松竹経営のシアターで座席とか音響とかの設備はなかなか良い。
 「エンド・オブ・デイズ」を観る。まあまあの出来。でも出来れば2000年になる前に見るべきだった(^^;;;。

 暇なので、江戸時代再現料理を行う。今回のネタは「古今名物菓子図式」から「牛蒡流」。太い牛蒡の芯をくり貫くのにひと苦労。苦労した割には出来はイマイチ(T_T)。